【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Youthful Days (1) ≫


PREV / NEXT / TOP

いつもながらに藪から棒な話だなあ、って思った。
麻耶さんのことなんだけど。
「萌奈美ちゃん、テニスやったことある?」唐突にそう聞かれた。
夏休みのとある日のこと。
「体育の授業でちょっとやったくらいだよ」
麻耶さんの意図するところが読めなくて、少し警戒心を覚えつつ答えた。だって、麻耶さん油断できないんだもん。
そもそも運動全般苦手だけど、特に球技は才能の欠片もないって自分でも思う。体育の授業でだって惨憺たる有様だったのは言うまでもない。何度空振りしたことか。思い出すだけで顔が赤くなってくる。
「でも何で?」
「んー、ちょっと」
聞き返したら麻耶さんははぐらかした。こういう時は要注意だった。
また何か良からぬことを企んでるんじゃないの?自然、麻耶さんを見つめる眼差しが険しくなる。
「やだなあ。そんな恐い目で睨まないでよ」
おどけた声で麻耶さんが誤魔化そうとする。
「普段の行いの結果だろ」
テレビを観ていた匠くんが口を挟んだ。話の成り行きを窺ってたみたい。
「あー、そういう言い方傷付くなあ」
心外そうに麻耶さんが抗議の声を上げる。そう言ったって、あたしも匠くんも少しも真に受けたりしなかったけど。
「匠くん、今度の週末空いてるよね?」
「何でだ?」
麻耶さんの問いかけに、匠くんがやっぱり警戒心の籠った口調で聞き返す。
だけど麻耶さんの方がいつだって一枚上手なんだよね。
「そう聞き返すってことは、大丈夫ってことね」
すっかり匠くんの言動を把握してるらしい麻耶さんは満足そうに頷いた。
「萌奈美ちゃんは匠くんが空いてれば当然大丈夫だもんね」
反論の余地なく言われた。うー。悔しいけど麻耶さんの言うとおりだった。
「だから何でだって聞いてるだろ?ちょっとは人の話を聞け!」
痺れを切らした匠くんが声を荒げた。
「匠くんもラケット実家に置いたままだよね?」
「だから人の話を聞けっ!」
「じゃあ、そーいうことで今度の週末、テニスしに行くので二人ともよろしくね」
は?一方的な通告に目が点になった。
「何が“そーいうことで”だっ!“二人ともよろしく”だ!一方的に話を進めんなっ!」
抗議の声を上げる匠くんだったけど、可哀相だけど麻耶さんに太刀打ちできるとは思わなかった。
「でも、あたし下手だし、苦手だよ」慄きながら、とてもラリーとか試合とか出来るレベルじゃないことを主張した。
「大丈夫。どーせみんな遊びに毛の生えたレベルだから。誰も体育会系のノリを期待してないから安心して」
そう言われたからって安心できないんだけど。
「それにあたしラケット持ってないし」
何とか逃げられないものか、あれこれ言い訳を試みる。
「あたし何本か持ってるから貸してあげる」
麻耶さんはにっこり微笑んだ。ことごとく退路を断たれてしまった。どうやら観念するしかないみたい。
「だけど、もう何年も放ったらかしだし、ストリング張り替えなきゃ駄目なんじゃないか?」
匠くんの指摘に、麻耶さんは待ってました、って顔をした。
「うん。だから、匠くん悪いけどあたしのストリングも張り替えといてくれる?」
「ちょっと待て。何で僕が?」
「だってあたし忙しいし。匠くん気楽な自由業なんだから、ストリング張り替えに行く時間くらい幾らでもあるでしょ?」
「気楽とか言うなっ」
声を荒げる匠くんだったけど、麻耶さんは全然聞いてなかった。
「萌奈美ちゃんも友達誘ってみて?人数多いほうが楽しいし」
そう言って麻耶さんは、目くじらを立てている匠くんの姿がまるで目に入らないかのように、暢気に鼻歌を歌いながら行ってしまった。

麻耶さんに言われて、あたしは春音達に誘いをかけてみた。運良く、かどうかは分かんないけど、春音、千帆、結香の三人ともその日の予定は空いていて、結香は誉田さんを、千帆は宮路先輩を一緒に誘うことになった。
「でも匠くんはどうしてラケット持ってるの?」
麻耶さんは知っての通りのイベント好きだし、元々身体を動かすのも好きみたいだから、大学の時にテニスくらいやってても不思議じゃなかったけど、匠くんが自分のラケットを持ってたのはちょっと意外だった。
「大学の時に少しやってたんだよ」匠くんは言葉少なに答えた。
「やってた、ってサークルとか入ってたの?」
「いや、正式に入ってた訳じゃなくて・・・。九条がさ、あいつ、顔が広いからテニスサークルにも知り合い多くてさ、ちゃんと所属してなかったにも関わらず結構ハマって、それこそ準会員みたいな感じでよくコート使わせてもらってたんだ」
「ふうん」
匠くん達が足繁くコートに通ってたものだから、当然のように麻耶さんもテニスにハマることになって(麻耶さんはスポーツも得意で、ハマり出したら匠くんより上手なくらいで、サークルの人達と較べても少しも劣らない腕前だったらしい。)
「匠くんはどうなの?」
「ん、まあ・・・そこそこ、かな?」
上手なのかそうじゃないのかよく分からない匠くんの返事だった。そう思って聞いてみたら、一応それなりに試合になるくらいの腕前とのことだった。でもそれ だってあたしから見れば十分に大したものだった。体育の授業の時、ほんの少しだけ短い試合もやったけど、サーブは全滅、ラリーなんてよくて二回止まりだっ たあたしは、尊敬の眼差しを贈った。
そしたら匠くんは「いや、本当に大した腕前じゃないから」ってしきりに言い訳してたけど。真相は果たしてどうなんだろ?謙遜なのかな?匠くん、自分で言ってるほど運動神経悪くないし、割と何でもソツなくこなしそうに見える。匠くんのプレイを見られるのが楽しみだった。
何を着ようか思案してたら、麻耶さんが自分のウェアを貸してくれるって言ってくれた。でも麻耶さんとじゃサイズが違い過ぎるよ。背は麻耶さんの方が全然高いのに、ウエストは麻耶さんの方が細いんだから。う・・・イヤミだ。
危うく落ち込みかけてたら、匠くんに上はTシャツでいいし下はキュロットとかでも全然大丈夫だって言われて、ちゃんとしたテニスウェアじゃなくてもよさそうなのでホッとした。
「そんなこと言っていいのかなぁ。折角匠くんのためにと思ったのに」
思わせぶりな麻耶さんの物言いだった。
「何がだよ?」
「匠くん、萌奈美ちゃんのテニスウェア姿見たいだろうなあって思って、気を回してあげたのに」
麻耶さんの返事に、匠くんは一瞬固まったみたいに見えた。
「お、大きなお世話だっ」
遅れて匠くんが言い返したけど、思いっきり噛んでるし。動揺してるのがバレバレだった。
「下だけでも貸そうか?」って麻耶さんに言われた。親切なのか面白がってるのかどっちなんだろ?
「う・・・でも、ウエスト絶対合わないし」
躊躇いつつ返事したら、麻耶さんは、
「そうかなあ?大学の時のだからそんなに細くないんじゃないかなあ」って首を傾げたけど、絶対に細いに決まってるじゃん。悪気のない麻耶さんの態度に、却ってあたしは口を尖らせた。
何だかんだ言って匠くんは結局、週末までに匠くんの実家に置いてあった匠くんと麻耶さんのラケットのストリングを張り替えに、ラケットショップ屋さんに出していた。

◆◆◆

その週末。やけに意気揚々と張り切る麻耶さんに急かされて、あたしと匠くんは午前中の早い時間に家を出た。
一歩玄関を出た途端、テニスどころか外出するのもやめたくなるような暑さに、直ちに回れ右をしたくなった。何なんだこの暑さは!胸の中で誰にともなく文句を言ってみる。まだ比較的涼しいはずのこの時間でこの暑さ、日中にかけてこれから何度になるのか考えたくもなかった。
テニスコートは九条さんが入会している、都内のスポーツクラブのインドアテニスコートを予約してくれてるってことだった。(この時になってやっぱりというか、九条さんが一枚噛んでいることが判明した。)
インドアって聞いて胸の中でよかったあって歓声を上げた。この暑い中、炎天下で動き回らなくていいって分かってほっとした。そう思っていたらすっかり顔に出てたみたいで、麻耶さんに呆れた顔をされた。
「一番若い癖して情けない。高校生って言ったら暑さなんか物ともしないんじゃないのお?あたしが現役の頃はそうだったけどなあ」
「う、だって暑いのも身体動かすのも苦手なんだもん」
言い訳したら疑いの目を向けられた。
「そう言いながら夏のディズニーには嬉々として出掛ける癖に。あれだって相当暑いと思うけど」
「えっと、だって、ディズニーは別っていうか・・・」
鋭い指摘に、あはは、って誤魔化し笑いを浮かべた。
隣で匠くんに援護のしようもないって顔をされちゃった。
麻耶さんの意地悪。そりゃあさ、確かに麻耶さんの言うとおり、真夏のディズニーランドやディズニーシーで炎天下、一日中パーク内を歩き回ったり、スタンバ イの列に並んだり、ショーやパレード待ちで直射日光の下、それこそ何時間もの間待ってたりして汗だくになるけどさ、それでやっぱり暑さにはげんなりするし 疲れ切ってヘトヘトになるけど、でもホントにディズニーは別っていうか、何でか頑張れちゃうんだもん。疲れなんて何処かに吹き飛ばしちゃうくらい楽しくて 感動して、ものすごく沢山のパワー貰えるんだもん。
今年も匠くんとしっかり夏ディズニーに出掛ける計画立ててあるし。もう春夏秋冬の季節ごとにディズニーに行くのは匠くんと二人お約束になってるんだもん ね。とは言え、今年は大学受験を控えていて、去年みたくは羽目をはずしては楽しめないのを覚悟していて、夏は一泊、ハロウィーン、クリスマスは日帰りで考 えてる。それだって、受験生にしたら遊び過ぎだって、もしかしたら怒られちゃうかも知れない。他の受験生のみんなは、受験が終わるまで楽しみは一切諦め て、死に物狂いで受験勉強に取り組んでるんだろうか?そう考えて少し後ろめたさと焦りを覚える。

武蔵浦和駅の埼京線の上りホームで春音達と待ち合わせた。
久しぶりに顔を合わせられて何だかやたらはしゃいでしまった。「おはよう」って言い合って千帆や結香と手を取り合った。春音だけはやっぱり当然の如く参加してくれなかったけど。
「おはよーっす」「おはようございます」「どーもー。おはよーございまーす」
はしゃぐあたし達の横で誉田さんと宮路先輩が匠くん、麻耶さんと挨拶を交わしていた。
「おはようございます」
我関せずの春音が匠くんと麻耶さんに挨拶を告げて、はしゃいでた千帆と結香も慌てて春音に続いて挨拶をした。
「おはよう」ノリについてけないって感じで、匠くんは苦笑いしている。
「朝っぱらからテンション高いよねー」
麻耶さんが呆れたように言う。テンションの高さでは決して引けを取らない麻耶さんに言われて、思わず「どっちがっ」ってツッコミを入れたくなった。
それから麻耶さんはあたしを見据えて「高校生ったら、やっぱこのテンションでしょお?」って言った。悪かったですねっ、高校生らしくなくて。結香が何なの?って顔で見ていた。
「いやあ、テニスなんて久しぶりだなあ」
ラケットケースに入ったマイラケットを素振りしながら誉田さんが嬉しそうに言った。誉田さんもラケットを持ってるってことは経験あるってことだよね。
宮路先輩はラケットを持ってなかったけど、匠くんが何本か持ってて貸してあげることになっていた。
「麻耶さん、勝負しましょうよ」
ついこの間まで現役テニス部員だった結香はやる気満々で、麻耶さんに勝負を挑んだ。
「いーわよー。望むところ」
麻耶さんは不敵な笑いを浮かべて、結香の挑戦を受けて立った。結香はこの春引退するまでテニス部のレギュラーだったし、ちょっとこの二人の対決は楽しみな感じだった。

新宿まで行って小田急線に乗り換え、各駅停車に何駅か乗った。
車内では結香達と話題も尽きず喋ってた。夏休みに入ったばかりなのにもうすっかり日焼けしている結香は、誉田さんと海に行って来たって話してて、すかさず 春音が「受験生がそんなんでいいの?」ってチクリと嫌味を言って、匠くんと夏ディズニーに行く計画をしてるあたしも、内心ヒヤッとしないではいられなかっ た。だけどさあ、受験生だって多少の息抜きは必要だよねえ?そう心の中で言い訳する。千帆は宮路先輩と二人で、図書館に通って受験勉強を頑張ってるみたい だった。これはこれでしっかりデートって言えるし。
スポーツクラブの最寄の駅で、栞さんとも待ち合わせしていた。九条さんの住まいもここが最寄で、九条さんの部屋に行ったことのある匠くんが、歩いて15分くらいだって教えてくれた。
改札を出たところで栞さんは待っていた。
「おはようございます」
暑さを微塵も感じさせない栞さんの笑顔だった。前にも一度疑問に思ったけど、この暑い中どうしてそんなに涼しげにしていられるのか、ものすごく謎だった。
誉田さん達を見て栞さんは改まってお辞儀をした。
「あの、どうも、初めまして。間中栞(まなか しおり)です」
「あ、いえっ、こちらこそっ。お、俺、誉田敦志(ほんだ あつし)っていいます」
誉田さんは何だか慌てた感じでお辞儀を返した。
「何アガってんのよっ」面白くなさそうに結香が肘鉄を食らわせた。「ぐえっ」誉田さんの口から鈍い呻き声が漏れる。結香、結構思いっ切り入れてない?思わず心配になった。
あたしの心配を他所に、途端にどっと笑い声が上がった。栞さんも心配そうな視線を送りつつ、しっかり口元は笑っている。
笑い声が収まって栞さんと初対面のみんなはそれぞれ自己紹介をし合った。
「麻耶さんのモデル仲間ですか。どおりで綺麗な方ですねー」
うっかり誉田さんが口を滑らせて、また結香から睨まれていた。恐い目で誉田さんを睨みつけながら、結香は握りこぶしを作っている。結香、それって脅迫って言うんじゃないかなあ?まあ、誉田さんの反応も無理ないけどね。栞さんってホント素敵だもん。
「暑いねー」
栞さんが言った。
「栞さん、ちっとも暑そうに見えないんですけど」
全然そうは見えなくて、目を丸くして栞さんを見つめ返した。
「そんなことないよ。このままバタンって倒れ込んじゃいたくなるくらい暑いんだから。何でこんな暑い日にわざわざテニスするかなあ」
栞さんは始める前から、もう既に疲れたような顔で溜息をついた。栞さんの疑問はもっともだってあたしも思った。
「栞さんも麻耶さんに強制参加させられたんですか?」
「ていっ。人聞きの悪い」「痛っ」
どうせ栞さんも麻耶さんに強引に押し切られたに決まってるって思って聞き返したら、後ろから麻耶さんにチョップされた。
「日頃の運動不足を心配してあげてんじゃない」
何だかやけに押し付けがましい麻耶さんの親切心だった。
「ありがとうございます」
栞さんは一応って感じで、苦笑交じりでお礼を述べた。
栞さんもラケット持参だった。栞さんってスポーツ苦手って確か聞いてたけど。
「栞さん、ラケット持ってるんですね」
聞いたら栞さんは少し気まずげな笑いを浮かべた。
「うん。一応、大学の時テニスサークル入ってたから」
「あ、そうだったんですか」
「仲のいいコに一緒に入ろうって誘われて。でも、全然上手くないんだよ」
栞さんは大学で内気な性格を変えたいって自分で思ってて、それでスポーツは苦手だったけど、人数が大勢いて活動も活発だったテニスサークルに入ることにしたのだそうだ。
でも、あんまり活発にも明るくもならなかったけどね、って栞さんは笑った。
そんなことない。栞さんはすっごく魅力的で素敵だよ。あたし大好きだよ。そう言いたかった。

あたし達は昨日の夜にネットで場所を確認しておいてくれた匠くんの後について、スポーツクラブまでの道を歩いた。
スポーツクラブのロビーに入ったら九条さん、飯高さん、竹井さんが既に到着していた。漆原さんは今日は不参加ってことだった。(漆原さんは余り身体を動かすのは好きじゃないみたい。)
「ちいーっす」
入って来たあたし達を見つけた九条さんが手を上げた。
「よお」「おはよう」匠くんと飯高さんが親しげに言葉を交わす。
「どうも、初めまして。誉田です」
九条さん、飯高さん、竹井さんとは初対面になる誉田さん、宮路先輩、それから春音達は改まった挨拶を交わした。
「どうも、九条です。匠と麻耶ちゃんとは大学時代からの付き合いでね、こっちの二人も同じ。飯高と竹井って言います」
九条さんの紹介に飯高さんと竹井さんは名前を告げて頭を下げた。誉田さん達も一人ずつ自己紹介をしてお辞儀をした。
ひとしきり挨拶を済ませて、あたし達は更衣室に着替えに行った。
「萌奈美ちゃん。はい、これ」
更衣ロッカーで着替えを出していたら、栞さんにテニスウェアを差し出された。
「は?」
間の抜けた声で聞き返したら、栞さんが困惑した顔を浮かべた。
「えっと、あの?」
「あれ?」
二人して意味不明って感じで顔を見合わせた。
「麻耶さんに頼まれたんだけど。萌奈美ちゃんにテニスウェア貸してあげてって」栞さんが説明してくれた。
「えっ?」
「萌奈美ちゃん、聞いてないの?」
聞かれて首を横に振った。
もう、って感じで栞さんは苦笑した。
「萌奈美ちゃんとあたし、背同じくらいだしサイズ合うだろうからって、麻耶さん」
思わず麻耶さんを振り返った。
麻耶さんは結香達と話しながら着替えてて、結香が「麻耶さんやっぱりスタイルいいですねえ」って褒めたのを、「そんなことないけど」って口では謙遜しつつ、しっかり自慢げにポーズを取っていた。相変わらずだなあ。
目が合って笑顔でウインクされた。何としてもあたしにテニスウェアを着させたいみたいだった。
「折角だから着てみて。匠さんにも見せてあげたら?」
栞さんはしっかりお見通しだった。そーなんだよね。テニスウェアなんてちょっと恥ずかしいんだけど、でも匠くんには見てもらいたいかも。
まんまと麻耶さんの思惑に乗せられちゃったって思いながら、結局栞さんのテニスウェアを借りることにした。
「おっ、萌奈美、スコート姿可愛いじゃん」
恥ずかしがってたら結香に冷やかされた。えーい、うるさいなっ。

着替え終わってコートに行ってみたら、男性陣はもう集まっていた。
近付いて行ったら、匠くんと目が合って目を丸くされた。
「おーっ、女性がいるとやっぱりコートが華やぐなあ」
九条さんと誉田さんが二人して賑やかな声を上げる。二人ともノリがいいし明るいし、気が合いそうだなあって思った。
「萌奈美、それどうしたの?」
匠くんに聞かれた。
「えっと、栞さんが貸してくれたの」そっと匠くんを見上げる。「似合う、かな?」
「えっ、うん。可愛いよ」少し照れながら匠くんは頷いてくれた。やっぱり着てよかった。匠くんに可愛いって言ってもらえて嬉しかった。
「なーに大勢の前で堂々と惚気けてんだよっ」
九条さんが匠くんを後ろから思いっきりどついた。「いってえっ。るせーなっ。思いっ切り叩きやがって」照れ隠しなのか匠くんが怒鳴り返す。
顔を赤くしていたら、栞さんと目が合って、よかったね、って感じで栞さんが笑った。あたしも小さく頷き返した。

「よーしっ、準備運動始めるぞー」
九条さんの合図と共にコート脇に輪を作って、九条さんの掛け声で準備体操をした。経験者が慣れた感じで手足のストレッチをしていくのを、見よう見まねであたし達初心者も同じようにやってみた。
準備体操を終えたら二面借りているコートに別れて軽い感じで打ち始めた。
「萌奈美おいでよ」折角匠くんが誘ってくれたのに、何だかちょっと及び腰になって「えっ、うん、でも、ちょっと、最初見てるね」って答えてしまった。
あたしと、あと千帆と宮路先輩、栞さんがコートの脇でみんながボールを打つのを見ていた。
見ているうちにあたしはどんどんやる気がなくなってしまった。
「騙された・・・」
「嘘・・・」
あたしが呟いたのに続いて、栞さんも呆然とした様子で声を漏らした。
最初のうちこそみんな割りとすぐに、ネットにボールを引っ掛けたりしていたけど、すぐに勘を取り戻してきたのか、何回もラリーが続くようになった。しかもポーン、ポーンって感じのテンポじゃなくって、ビュンビュンってすごいスピードだった。
匠くんは九条さんと打ち合ってて、最初は軽く打ってる感じだったのがすぐにスピードを増していって、試合してるかのような打ち合いになった。九条さんは体 格もよくて、見るからにスポーツとか出来そうだなって雰囲気なんだけど、匠くんも全然負けてなかった。「そこそこ」の腕前なんて自分では言ってたのに、大 嘘つきじゃんって思わず文句を言いたくなった。
「みんな上手なんじゃない」
千帆もすっかり自信をなくしてるみたいだった。
「ホント。一緒にやるの気後れしちゃう」
「遊びだって聞いてたけどなあ」
栞さんと宮路先輩も騙されたって表情をしている。
結香と春音が一緒にやってて、他のみんなに較べたらゆっくりしたテンポなんだけど、でも何回もラリーが続いてるのにはびっくりした。結香はテニス部だから 当然として、春音がテニスが上手だなんて初めて知る事実だった。あんまり運動が得意ってイメージはないけど、考えてみたら体育の授業でも結構器用に何でも こなしてたっけ。今更ながらに春音って奥が深いって思った。
誉田さんは竹井さんと打ち合ってて、一人でやたらと賑やかだった。ネットに引っ掛けては「あーっ、くそーっ」って悔しがったりしてる。如何にも誉田さんらしい感じだった。
麻耶さんは飯高さんと余裕な感じでラリーしてる。やっぱり上手いなあーって見てて思った。
みんなが打ち合ってるのをぽけーっと見てた。みんな上手だなあ。何か自分なんか入って行けなさそう、って思った。
「萌奈美」
匠くんに呼ばれてはっとした。
「一緒にやろう」
「でも・・・あたし、下手だし」
「じゃあコーチしてあげる」
優しい笑顔で匠くんが言った。素直にうん、って頷いた。
コートの後ろの方で匠くんに教えてもらった。匠くんが放ってワンバウンドしたボールをラケットで打ち返す。
「萌奈美、ボールが弾んで来るところを打つんじゃなくて、ワンバウンドしてから落ちて来るところを打ち返すようにしてみて」
バウンドして弾んで来るボールを打つのはボールに勢いもあって難しいんだよ、って匠くんに言われた。なるほど。そーなんだ。「ライジングボール・ストローク」って言って、上級者の人達が打つ打ち方なのだそうだ。
それからボールとの距離感を掴めるようにって、打つ前にはボールを左の人差し指で指差すようにしてみるといいって教わった。そうすると自然に身体にも捻りが加わって、上手に打ち返せるようになるんだって。
初めはボールを打ち返す前のほんの一瞬のうちに色んなことをしなくちゃいけなくて、なかなか教わったとおりに出来なかったのが、何回も匠くんと繰り返し練習をするうち、何となく感じが掴めてきた。
「それからね、萌奈美、自分が打ったら止まっちゃうんじゃなくて小刻みに足を動かすようにして、あと、相手が打つタイミングに合わせて小さくジャンプ、って言ったらいいのかな、ステップを踏むようにすると次に素早く動き出せるよ」
匠くんに言われて麻耶さん達が打つのを観察したら、匠くんの言うとおり自分が打ち終わってもその場に立ち止まったままじゃなくて、小さく足を動かし続けて て、相手が打ち返すのに合わせてピョンって小さくジャンプをしていた。相手が打つのにタイミングを合わせて小さくジャンプするのは「スプリットステッ プ」って言って、そうすると次にボールが飛んでくる方向に素早く反応できるんだって教わった。
テニスって当たり前だけど、ただボールを打ち返してるだけじゃなくて、やっぱり色々奥が深くて難しいんだなあって改めて思った。
「匠さん、あたし達も教わっていいですか?」
声に振り返ったら栞さん、千帆、宮路先輩が立っていた。
「ええっと・・・」匠くんが弱ったように頭を掻いた。
「いいじゃん。僕も手伝うよ」
飯高さんがにこにこ笑いながら近寄って来た。春音も一緒だった。見ると結香は麻耶さんと打ち合いを始めていた。
コートの一面を使ってテニス教室が始まった。隣のコートではもう十分ウォーミングアップを済ませた九条さん達が、とんでもないスピードで打ち合っている。ネットすれすれのところをビュンビュン、ボールが飛び交っている。
あたし、栞さん、千帆、宮路先輩、それから春音も加わって、匠くん、飯高さんをコーチ役にテニスを教えてもらった。
コート一面を使ってみたら、ボールが飛んで来るところに走っていって、構えて打ち返してまたすぐ次のボールへの準備に入るっていう一連の動作を続けるの は、なかなかに難しかった。匠くんに教わったようにボールがワンバウンドして落ちてくる位置に正確に走って行くのがなかなか出来なくて、どうしても打ちや すいポジションで上手にボールを打ち返せなかった。
それでも匠くんも飯高さんも、二人とも優しく「ナイス」「惜しいっ」って絶えず声を掛けてくれて、よーしっ、次は上手に打ち返そう、ってファイトが湧いた。
栞さんは自分では下手って言ってたけど、大学の時サークルでやってただけあって、あたし達即席の生徒五人の中では一番上手だった。匠くん達が打ち出すボー ルを全部コートの向こうへ打ち返してたし。宮路先輩もスポーツが苦手ってほどでもなくって、やっぱり男の子だからか匠くん達のアドバイスを受けて見る見る 上手になっていった。
匠くんと飯高さんを相手に、あたし達が一球ずつ順番に打ち返してラリーを繋いだりとかやった。ボールが途切れちゃうとみんなで「あーっ」って悔しそうに声 を上げた。一番多くて30回以上ラリーを続けることができた。それとか二対二でちょっとしたゲーム形式の練習もしたり。始めた時の憂鬱な気持ちなんて吹き 飛んで、すごく楽しむことができた。
小一時間くらい経って、九条さんがダブルスをやろうって言った。それで上手な人とそうじゃない人とで別れてじゃんけんをして、それぞれ勝った順でペアを組むことになった。人数上、上手じゃない人組に結香は入れられて少し不満そうだった。
結果、匠くんと栞さん、あたしと誉田さん、麻耶さんと宮路先輩、九条さんと春音、竹井さんと結香、飯高さんと千帆、っていうペアになった。匠くんとペアに なれなくてちょっとがっかりだった。それに匠くんと栞さんのペアだなんて、何だかちょっと気に掛かるし。うー、出来ることなら栞さんに代わって欲しかった けど、そんなこと言ったら間違いなくワガママって言われちゃうしさあ。栞さんが匠くんに「よろしくお願いします」ってお辞儀をしているのが目に入った。も おっ、気になって仕方ないよっ。一人で眉間に皺を寄せてたら、春音に「こらこら、つまんないヤキモチ焼かない」って忠告された。
ゲームは3ゲーム制でリーグ戦を行うことになった。4ポイントで1ゲームになるんだって。フィフティーン、サーティ、フォーティ、っていうテニスのカウントの仕方も独特だよね。「0」は「ラブ」って言うし。
一応、優勝候補は竹井さん・結香ペア、九条さん・春音ペアっていう前評判だった。
片方のコートで九条さん・春音ペア対飯高さん・千帆ペア、もう片方のコートで麻耶さん・宮路先輩ペア対匠くん・栞さんペアの試合が始まった。
「ガンバレー、匠くん、栞さん!」
えこひいき丸出しの声援を贈った。
「じゃあ、佳原・宮路ペアのサービスで試合開始」
主審役の誉田さんがゲーム開始を告げた。
麻耶さんがサーブのポジションに立った。匠くんの方は前衛・栞さん、後衛・匠くんだった。
小さな気合の声と共に麻耶さんがサーブを打った。試合前に練習で打っていたサーブより格段速かった。すごっ、麻耶さん!思わず胸の中で声を上げた。
匠くんのリターンはネットに掛かってしまった。
「フィフティーン・ラブ!」誉田さんがポイントを告げる。
「へっへーん」
見たか、って感じで麻耶さんが匠くんに得意げな視線を送る。匠くんも忌々しげに睨み返してる。お互いのことになると、二人とも意地っ張りだからなあ。見てて思った。
今度は栞さんが後衛に下がって、麻耶さんのサーブを受けることになった。ちょっと緊張してるみたい。あんなサーブ見せられたら無理ないって思う。
でも麻耶さんは栞さん相手にはゆるいサーブを打った。練習の甲斐もあってか、栞さんは上手にそれを打ち返した。ナイス!栞さん!思わず声が出た。栞さんの 打ち返したボールは宮路先輩の守ってる方に返って、宮路先輩もそれを打ち返した。ボールがネットを越えるって思った瞬間、前衛の匠くんが素早く飛び出して いた。匠くんのボレーは前に詰めて来ていた麻耶さんの足元に決まった。麻耶さんは慌ててラケットを伸ばしたけどラケットのヘリに当てるのがやっとだった。
「フィフティーン・オール!」
「匠くん!ナイスボレー!」嬉しくて手を振った。こっちを見て匠くんが小さく笑い返した。
と、あたしの目の前で栞さんが「匠さん、ナイス」って言ってハイタッチした。匠くんも少し気にするような感じで、栞さんと手を合わせた。あーっ。思わず心の中で声を上げる。
「匠くん、おっとなげなーいっ」麻耶さんが文句を言った。
「お互いさまだ」憮然と匠くんが言い返す。
始まったばかりなのに、二人の間は早くもヒートアップしていた。
「そっちがその気なら、栞ちゃんには悪いけど手加減なしだからね」サーブのポジションに立ちながら麻耶さんが宣言した。言われて栞さんは「えっ?」って怖気づいている。
麻耶さんは口ではそう言ってたけど、でも匠くんには容赦のないサーブを打ちつつ、栞さんにはスピードの緩い打ち返しやすいサーブを打った。1ゲーム目は結局、麻耶さん・宮路先輩ペアがサービス・キープした。
2ゲーム目。匠くんがサーブを打った。少し手加減してるのかなって感じだった。麻耶さんが軽々とリターンした。何回かラリーが続く。先に麻耶さんが仕掛け た。匠くん側のコートに深くボールを打ち返して、するするっとネットに詰めた。栞さんが返したボールを前に出た麻耶さんが角度をつけてボレーする。匠くん が何とか拾ったけど、コートを追い出される形でオープンスペースが出来たところに、宮路先輩がボレーを決めた。
「ナイスー」麻耶さんと宮路先輩が笑顔でハイタッチを交わす。
「ごめんなさい、匠さん」
栞さんが匠くんに謝った。
「いや、ドンマイ」匠くんは優しく笑い返した。
うーっ、やっぱり匠くんとペアになりたかったなあ。匠くんに「ドンマイ」って言ってもらいたかったし、「やったあ」ってハイタッチとかしたかったのに。
そんなこと思ってたら、隣のコートサイドにいる千帆と目が合った。千帆はちょっと気まずそうに笑った。千帆はこっちのコートの試合を見てたみたい。やっぱり千帆も宮路先輩とペアになりたいって思いながら、こっち見てたのかなあ。
続く匠くんのファーストサービスはフォルトになった。セカンドサービスを匠くんはセンター寄りに入れた。宮路先輩がフォアハンドでセンターに打ち返す。丁度匠くんと栞さんの中間辺りにボールは飛んで、譲り合うように匠くんと栞さんはそのボールを見送ってしまった。
「ごめんなさい!」
すぐに栞さんが匠くんに大きな声で謝った。
「いや、こっちこそ」
匠くんも申し訳なさそうな顔で栞さんに答えた。
「へいへーい、向こうは息合ってないぞー」麻耶さんが野次を飛ばした。
ムッとした顔で匠くんは麻耶さんを見返す。本当、麻耶さんって匠くんの癇に障ること言ったりしたり、上手だよねー。呆れるように思った。
やや力の入った匠くんのサーブはフォルトになった。ちょっとムキになってるみたい。匠くんはサーブの調子が出ないみたいで、セカンドサーブはコートに入れ るだけになった。一歩前に出て構えていた麻耶さんが、ダブルバックハンドで甘く入ったサーブを思いっきり打ち返した。速いリターンがサーブを打ち終えてス トロークに備えようとしていた匠くんの足元深くに返った。当てるだけになった匠くんの打球は、力なくふわっと浮いて相手コートに飛んだ。
「宮路君!」
麻耶さんから宮路先輩に素早い指示の声が上がる。
宮路先輩が声に反応するように返って来たボールに飛びつく。宮路先輩のボレーは栞さんのバックサイドに返った。
栞さんは小さく声を上げて辛うじて宮路先輩のボレーしたボールを拾った。ぽーん、って感じで緩く山なりのボールが上がる。
その落下点には既に前に詰めた麻耶さんが待ち構えていて、左手をボールを指差すように高く掲げていた。
麻耶さんの鋭いスマッシュが匠くんのコートに突き刺さった。
「アドバンテージ、佳原・宮路ペア」誉田さんが告げる。
0-40、トリプル・マッチポイント。絶体絶命だった。
「ごめん」気落ちした声で匠くんが栞さんに告げる。
「ううん、ドンマイです。ここ、キープしましょう」栞さんが励ますように匠くんに笑いかける。
「匠くん!ファイト!!」栞さんに負けない気持ちで、大きな声で匠くんを応援した。
匠くんが顔を上げた。ファイトだよっ、匠くん!思いを込めて匠くんを見つめる。匠くんは笑って頷いた。よかった。伝わった。
サービスのポジションに立って、匠くんは気持ちを切り替えるように大きく深呼吸をした。そして相手コートを鋭く見据えた。
匠くんがトスを上げた。思い切りよく振り抜いたラケットから放たれたサーブは、鋭いスピンが掛かっていたみたいで、相手コートで大きくバウンドした。相手コートで大きく跳ねるキック・サーブっていうサーブだった。
高くバウンドしたボールを宮路先輩は上手く打ち返せず、リターンは大きくコートアウトした。
「フィフティーン・フォーティ!」
まずワンポイント!
「匠くん、ナイスサーブ!」嬉しくてぶんぶん手を振った。
匠くんが照れたように小さく手を掲げて応えた。
「ナイスサーブです。次のポイントも取りましょう」栞さんが匠くんに声を掛けて掌を向ける。ポンって匠くんは軽く手を合わせる。
やっぱ、目の前でやられると面白くないって思っちゃうよ。
次のファーストは惜しくもフォルト。気持ちを落ち着けるようにボールを何回かコートにバウンドしてから、顔を上げた匠くんはトスに入った。麻耶さんが一歩前に出た。
しなやかに身体を捻った麻耶さんは、フォアに入った匠くんのセカンドサービスを思い切りよくフルスイングした。あんなに細い身体の何処にそんなパワーがあるのかって不思議なくらい、パワフルなショットだった。
鋭く食い込まれながらも、匠くんはジャンプして麻耶さんのリターンショットを弾き返した。麻耶さんのリターンの勢いを逆に利用したライジングショットは、更に速いスピードで麻耶さんのコートに返った。
ダッシュしていた麻耶さんは、虚を突かれたように「あっ」と小さく声を上げた。足元に鋭く返ってきたボールに、麻耶さんは難しいローボレーを強いられた。
緩く浮いたボールが栞さんの守っている前に上がって、栞さんは思い切った感じでそのボールをボレーした。球足の長いボレーは一瞬サイドラインを割るように見えてひやっとしたけど、ぎりぎりでコートインした。
緊張した顔で球の落下点を見守っていた栞さんはほっとしたようで、すぐに満面の笑顔になった。
「やったあ」嬉しさを溢れさせた栞さんは、思わずっていう感じで両手を突き上げた。
「ナイスボレー」匠くんが声を掛ける。笑顔を返しながら栞さんは「匠さんもナイスショットです」って答えた。控えめにハイタッチを交わす。嫉妬を感じちゃ うくらい嬉しそうに微笑む栞さんだった。ひょっとして栞さん、まだ匠くんのこと好きなのかな?なんて、以前に栞さんから聞いた話を思い出して危ぶむ気持ち になった。
「サーティー・フォーティー」
すごいっ。これで2ポイント返した。あと1ポイントでデュースだ。
匠くんはファーストサービスの調子が悪くて、次のファーストもフォルトになってしまった。
「匠くん、リラックスだよ」
声援を送ったら匠くんはにこっと笑い返した。口ではリラックスなんて言いながら、自分のことのように緊張した。
匠くんのスピードを抑えたセカンドサービスはインになって、宮路先輩はそれを打ち返した。
お互いにボレーを警戒して山なりのやや軌道の高い深いボールを打ち返して、何回かベースラインからのラリーが続いた。
先に仕掛けたのはやっぱり麻耶さんだった。
ほんの少し軌道が低目になったボールに飛びついてハイボレーを返した。力の入りにくいハイボレーだったけど、入った角度が高かったボールは匠くんのコート で大きくバウンドした。躊躇した前衛の栞さんは動けず、匠くんがラケットの面を合わせて掬うようにロブを上げた。相手コートの真ん中より少し後ろにボール は返って、思ったより深い場所に返ってきた様子の麻耶さんは直接ボレーせず、一端コートにボールを落とした。
バウンドしたボールをダブルバックハンドで麻耶さんは思いっきりヒットした。一瞬タメるように動きを止めた麻耶さんがどちらに打ち返すのか予想できなくて、匠くんは反応が遅れてしまって、ベースライン深くに鋭く返ったボールに追いつくことができなかった。
「よぉーしっ!」麻耶さんは力を込めてガッツポーズを取った。
「ゲーム・ウォン・バイ、佳原・宮路ペア」誉田さんが試合の終了を告げた。
あーっ、残念。試合が終わった途端、がっかりして力が抜けた。あと少しだったのに。
「ごめん」
「いえ。惜しかったです。次、頑張りましょうね」
匠くんと栞さんが言葉を交わすのを見てたら、誉田さんに声を掛けられた。
「萌奈美ちゃん、俺達の番」
「あっ、はい」
慌ててラケットを持ってコートに入る。
コートを出て行く匠くんと目が合った。
「萌奈美、頑張って」匠くんが握りこぶしを作った。
「うん」あたしも手をグーにして匠くんの握りこぶしにちょこん、って合わせた。何だかそれだけでファイトをもらえた気がした。
よーしっ、頑張ろう、って心の中で気合を入れた。
匠くん達は次もすぐ試合みたいで、隣のコートにそのまま入っていった。匠くんの試合を応援できないのはちょっと残念だったけど、仕方がない。
今は自分の試合に集中しなくちゃ、って気持ちを切り替えた。
気持ちでは頑張ろうって思ってたんだけど、小一時間練習したくらいで上達する筈もないし、そうそう気持ちだけでプレイが上手くなる訳でもなくって、結局ボ ロボロだった。サーブは返せないし、空振りはするし、ボレーするタイミングは掴めないし、誉田さんの足を引っ張ってばかりだった。本当、申し訳なくて顔が 上げられなかった。それでも誉田さんは少しも気を悪くすることなく、盛んに声を掛けて励ましてくれて、勇気付けられた。試合も当然負けちゃったけど。
ダブルスの結果は予想通り、1位、九条さん・春音チーム、2位、竹井さん・結香チームだった。あたしと誉田さんのチームは全敗だった。恥ずかしくて、誉田 さんも流石にちょっとがっかりそうな顔で、もう誉田さんに本当に申し訳なくて落ち込んでしまった。それでも誉田さんは「ドンマイ。またやろうね」って言っ てくれたんだけど。あたしは力なく頷くしかなかった。
匠くんチームと当たった時は、こんな風に匠くんと対戦するなんて思いがけなかったから、どうしていいか分からない気持ちだった。匠くんもネットの向こう側 で戸惑ってるみたいで、ずっとちぐはぐな感じだった。締まらないままピリッとしない試合は、結局、匠くん・栞さんチームが制した。匠くんと栞さんはあたし 達との試合も含めて二勝していた。
九条さんは対戦してみて分かったけど、本当に上手だった。もう、太刀打ちできないって感じ。春音も大分九条さんのサポートを受けてだけど、それなりに活躍 していたし。2位になった竹井さんも九条さんには及ばないけどかなり上手くて、結香の実力は言うまでもなくて、ペアとして総合的には九条さん・春音チーム との実力の差は僅差に思えた。九条さんが抜きん出ている分が結果に出た感じだった。
肩を落としてたら頭をぐしゃぐしゃって掻き乱された。慌てて顔を上げたら匠くんが笑ってた。
「何落ち込んでんの?」
「だって、全然上手に出来なくて、誉田さんの足引っ張ってばっかりだったんだもん。一回も勝てなかったし」
「残念だったけど、でも萌奈美は頑張ったんでしょ?だったら落ち込むことないよ」
そう匠くんは慰めてくれたけど、匠くんが気楽な感じで言うほどには、すぐに気持ちを切り替えられなかった。
「もっと上達したいんだったら、僕も付き合うよ」
匠くんは言ってくれた。
「当面は受験勉強優先だけどね」
「うん」匠くんの言葉に、そうだね、って思いながら頷いた。


PREV / NEXT / TOP

inserted by FC2 system