【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ 青空 ≫


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空を見上げる。何処までも続く青空。
小学校低学年の頃のあたしは、澄み渡った青空よりも、うっすらと白を溶かした少し霞んだような空の方に落ち着いた気持ちになれたし、身近に感じられた。
その頃はその理由が何故かは分からなくって、ただ漠然とそんな風に思ってただけだった。
大きくなって、いつしかそんな気持ちは忘れてしまったけど、中学校に上がってからは暑いのが大の苦手で、夏空の青さは息苦しいほどの夏の暑さと重なって記憶されて、やっぱりあたしの中で青空は余りいい印象として残ってなかった。

今、青空の下でそんな気持ちを不意に思い出して、あの頃の自分の気持ちの在処を考えてみていた。

滲みのない何処までも晴れ渡った蒼穹は、余りに深過ぎて自分からは遠く隔たって感じられた。吸い込まれてしまいそうな位にその青色は澄みきっていて、見つめてると限りない広がりに飲み込まれて、ちっぽけな自分に気持ちが怯んだ。
一点の曇りもない青空は、あたしを何処か不安にさせたのかも知れない。
そんな風に思った。

お昼過ぎまで激しく降り続いていた雨は今は上がって、頭上には晴れた空が広がっていた。降り注いだ雨がアスファルトに籠もった熱を奪い、気温もぐっと下がっていて涼しかった。
遠くには分厚い積乱雲が真っ白に輝いていて、空との境界は僅かな滲みもなく夏の空にくっきりと際立った立体感で立ちのぼっていた。
遮るものもなくて、天辺に位置してる太陽は強い日射しを投げかけて来て、すぐにまたあのムッと息が詰まりそうな暑さが戻って来るんだろうなって簡単に予想 できたけど、今は視界の彼方まで広がる青空の中、からりと澄み切った空気が心地よかった。時折、乾いた風が肌を優しく撫でていく。

まだ所々黒く濡れてるアスファルトの上を、匠くんと手を繋いで歩いた。
抜けるように青く澄んだ夏空に胸が躍る。嬉しくて自然と笑顔が浮かんで来る。
この青い空が大好きだった。
いつからかなんて、そんなの分かりきってる。
匠くんと手を繋ぐようになって。匠くんと笑顔を交わし合うようになって。
夏の扉を開けて匠くんと一緒に飛び込んだ、あの時から。
空を見上げる。キラキラと弾けて散らばる青色の粒子が見えるような気がした。
あっ、虹!
誰かの大きな声が聞こえた。えっ?何処?慌てて空を見回す。
遠くに見えるもくもくとした積乱雲に隠れるように、薄い虹が顔を覗かせていた。
透き通るような淡い色彩の虹は、なんだか恥ずかしがっているみたいに控えめに空にアーチを架けている。
すぐにミスチルの曲が浮かぶ。「口笛」、「蘇生」・・・。
「口笛」は歌詞に“北風”って出てくるから、冬が舞台なのかなって思うけど。でも“雨上がりの遠くの空に虹が架かったなら”って、今のこの景色とメチャメチャ重なってて、うわあって心の中で声を上げてしまいそうなくらい感動しちゃう。
隣で匠くんも遠くの虹を眺めていた。
視線を感じたのか匠くんが顔を向けた。
嬉しくて笑顔で伝えた。
「綺麗だね」
「うん」
匠くんも顔を綻ばせて頷く。
こういうすごく単純な気持ちを匠くんと二人で分かち合えて、幸せを感じる。
幸せって、ホントに桜井さんが歌ってるみたいに、何気なくて、ありふれてて、そこら中いっぱい落ちてるものなのかも。ただ、それに気付けなかったり、見過ごしてしまったり、それが幸せだってその時は分からなかったりするだけで。
匠くんと一緒だと、そう感じられる瞬間や鮮やかな場面と沢山巡り合える。幾つもの、数え切れないくらいの幸せが訪れる。
隣から不意にメロディーが聞こえてきて、びっくりして匠くんを見上げた。
尖らせた唇から優しい響きで奏でられてるのは、もう絶対聞き違いようのない、あたしと匠くんとが大好きな曲だった。それもあの大好きなライブ映像の、会場 全体が合唱し終わって曲の終わりで桜井さんが吹いてた口笛そっくりそのままで、今度こそあたしは心の中でうわあ!って叫び声を上げていた。
ちょっと!匠くんっ、それって反則だよっ!思わず胸の中で匠くんに抗議した。
だってズル過ぎるって思わない?
歌の通りに遠くの空に虹が架かっててそれだけでもう感動しまくりなのに、その上更に大好きなあのライブでの「口笛」の桜井さんみたく口笛吹いたりして。ど んだけ感動させれば気が済むの?こんな真昼間の公園で目頭が熱くなって、危うく視界がぼやけそうになって、心の中で匠くんへの文句を並べ立てて何とか涙を 零さずにやり過ごすことができた。

遥か高くまで澄み渡った青空を見上げてると、何だかそこに自分の心が写し出されてきそうな気がする。
今はこんなに広々と青く晴れ渡ってるけど、でもこの晴れた空がたちまち曇って日が射さなくなってしまったり、暗く重苦しい雨雲が空一面に低く立ち込めて、 伸びやかな心を押し潰しそうになったりもする。或いはいつ止むとも分からないような激しい雨が降り続くことだってあって、この心を悲しみの涙で冷たく濡ら したりする。時には荒れ狂う嵐が激しく胸を掻き乱して、匠くんへの愛さえも見失ってしまいそうになる。
いつも穏やかに澄み切っていられたらいいのに。今この瞳に映る青い空みたいに晴れ渡っていられたらいいのに。
いつだってそう願いながら、それなのに簡単に嫉妬や猜疑心や怒りや悲しみや様々な感情が押し寄せて、心の中の青空を覆い隠してしまう。
その度に自分に絶望しそうになる。愛することがこんなにも自分自身や他の誰かを傷付けたり、損なわせたりするなんて・・・。
自分に匠くんを愛することなんて、あたしが愛を与えることなんて本当に出来るんだろうかって、自信がなくなって分からなくなって、この胸にずっと抱き締めていたい大切なものが零れ落ちてしまいそうになる。
けれど、その度に匠くんが気付かせてくれる。今までもずっと気付かせてくれた。これからだって気付かせてくれる。ずっと。
見渡す限り果てしないくらいどこまでも厚い雲が頭上を覆い尽くしていたって、その向こうにはいつだって青空が広がっているんだってこと。
匠くんといれば見つけ出させてくれる。やがて雲の切れ間から覗く青い、青い、真っ青な空を。

少し視線をはずしている間に、遠くに見えてた虹はもう消えてしまっていた。
だけど心の中にはっきりと映ってる。鮮やかな七色のアーチが。
公園の草木が滴を湛えてきらきら煌いてる。生き生きとした濃い息吹をいっぱいに放ってる。
あたし達の後ろから散歩に来たまだ子犬くらいの柴犬が、飼い主を引っ張るようにしながら元気よく追い抜いてく。
小学生の子達が公園内の一角にある遊具ではしゃいだ声を上げている。
降り注ぐ日射しの下、雨上がりの公園には眩しいくらい生命が溢れていた。

ねえ!
はしゃいだ声で呼びかける。繋いだ手を強く引っ張る。
視線が向けられる。少しびっくりしたような瞳があたしを見てる。
匠くんに伝えたくなった。
自分の季節って感じはしないんだけど。でも、どうしてだろう?
匠くんと二人だとすっごく心がワクワクして、じっとしてられないような気持ちになる。
何処までも見通せそうな、この青い空を見て思う。また季節が巡って来たんだって。
あたしと匠くんの、二人の季節がやって来たんだね。


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