【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Youthful Days (2) ≫


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「匠、打とうぜ」
並んで座って休憩していたら、九条さんが匠くんを誘った。匠くんがちょっとあたしの方を気にしたので、行って来ていいよ、って気持ちで頷いた。
ベースラインに立って匠くんと九条さんは乱打を始めた。ベースラインからの打ち合いを見てる限りでは、匠くんも九条さんに決して負けていないように見えた。ネットの上数センチってところを鋭いスピードでボールが往復していく。
飯高さんが匠くんと九条さんの打ち合いを見ながらすぐ隣に来たので、「九条さん上手ですね」って話しかけた。
「うん。僕達の中では一番上手いね。元々体格にも恵まれてるし、運動神経もいいし。まあ、テニスに限らず大悟は何でも器用にこなすけどね」
九条さんって本当に器用そうに見えるし万能って感じで、そうなんだろうなって思いながら頷いた。
「穴がないっていうか、オールラウンドプレイヤーだね。サーブ、ストローク、ネットプレイ、弱点がないし、試合の組み立てまでちゃんと考えてプレイできるからなあ」
敵わないっていう感じで飯高さんは言った。そう言う飯高さんは抜きん出ているところはないけど、安定したプレイをする印象だった。ストロークで粘って、チャンスがあればネットに出るっていうプレイスタイルって言うのかな。
ボールを打ち返した九条さんが、無造作な感じでネットに出た。匠くんが九条さんの動きを見て、バックサイドに鋭いショットを返した。九条さんのバックボレーはネットに掛かった。
わっ、匠くんカッコいい。思わず身を乗り出したのを、飯高さんにも気付かれて笑われちゃった。
「匠はちょっとムラがあるんだよね」笑い声で飯高さんが言った。
「そうなんですか?」照れ隠しのつもりで聞き返した。
「時々目を瞠るようなプレイをするし、すごいショットを打ったりするんだけど、何ていうのかなコンスタントなプレイが出来ないし、匠自身も安定したプレイなんてのには興味なさそうっていうか」
匠くんの性格を思い浮かべるように飯高さんは苦笑した。
「多分、匠は今みたいに単純に乱打してるのが一番楽しいんじゃないかな。ベースラインで打ち合ってるのが好きなんだと思うよ」
ふうん、そうなんだあ。飯高さんの話を興味深く聞いていた。
「ベースラインからハードヒットして打ち勝つのが楽しいらしくてね、ハードヒッターって言えば竹井もそうなんだけど。竹井と匠の打ち合いって言ったら、も う意地の張り合いというか、駆け引きとか組み立てとかコースなんかも関係なしに、どっちが先に競り負けるか競って、ただ力一杯ぶっ叩いてるだけって感じな んだよね」
面白そうに飯高さんは話してくれた。
何だか匠くんの意外な一面を知ることができた気がした。でも匠くんらしいかも。そうも思った。匠くんって普段はあんまり感情を表に出さない感じでいるけど、でも本当はすっごく情熱的な性格だもんね。胸の奥にすごく熱い気持ちを秘めてるの、ちゃんと分かってるんだから。
ただ単純に思いっきりボールを打ってるのが楽しいだなんて、なんか可愛いって思ったりした。
しばらくボールを打ち合ってた匠くんと九条さんは、満足したのかコートを離れた。隣に戻って来た匠くんにタオルを渡した。
「はい、匠くん」
「サンキュー」
コートを走り回ってた訳ではないけれど、それでも力一杯打ち合っていた匠くんは荒い呼吸をしていた。顔にも何本もの汗の筋が流れていた。タオルで汗を拭いながら匠くんは大きく息を吐いた。
「楽しそうだったね」
「え?」
「九条さんと打ってる匠くん、すごく楽しそうだった」
「そうかな?」
匠くんは自分だとよく分からないみたいに少し首を傾げた。
「あとね、とってもカッコよかった」
少し恥ずかしかったし照れくさかったけど、匠くんに伝えた。
「えっ?」匠くんのびっくりした声が聞き返した。
「ボール打ってる時の匠くん、すごく真剣な顔で、あっ、カッコいいって思っちゃった」
えへへ。自分でもニヤけてるなあって分かる顔してたって思う。
匠くんは一瞬固まったようになって、少し上ずった感じで目が泳いで、それから照れくさそうにちょっとはにかみながら笑った。
匠くんの笑顔に、胸がきゅんってした。
麻耶さんに誘われてコートに入った。麻耶さんは春音と、あたしは匠くんと組んで二対二で乱打をやった。相手が麻耶さんと春音だったから気兼ねすることもな くて、麻耶さんは手加減してくれたし匠くんが沢山カバーしてくれて、あたしみたいな下手っぴでもそれなりに楽しむことができた。何ていったって匠くんとペ アになれて嬉しかったし。

コートを借りていた3時間が経って、あたし達は更衣室で着替えてフロント前のロビーで待ち合わせた。
建物を一歩出たら湿気と熱気が押し寄せて来て、うわーっ、って悲鳴を上げたくなった。恨めしげに太陽を見上げてたら、栞さんと目が合った。栞さんも敵わないって顔で苦笑いを浮かべた。
「どうする?腹も減ったし、どっかファミレスでも入るか?それとも俺ンち来る?」
先頭を歩いていた九条さんが振り返ってみんなに聞いた。
「九条ンち行くか」
竹井さんが誰にともなく言った。あたし達はどうするとも言えずに黙っていた。
「いいんじゃない。なあ、匠?」
竹井さんに賛成した飯高さんが、匠くんにも意見を求めた。
「ああ・・・九条が迷惑じゃなければ」
「迷惑じゃないさ。却って狭くて悪いけど」
気遣うような匠くんの言葉に、九条さんは笑って答えた。
「んじゃ、決まり。ちょっと歩くことになるけど行こうぜ」
九条さんが言って、あたし達一同神妙な顔で頷き返した。
駅前からの通りは商店街になっていて、こじんまりとした感じのお店が沢山並んでいた。食べ物屋さんも多くて、結構お惣菜屋さんもあった。店先からいい匂いがして来て、こういう商店街のある街もいいなあってちょっと憧れた。
途中で九条さんが食料を買い込んで来るから、って言った。それで九条さんは竹井さんと誉田さんに買出しを手伝ってもらって、他のみんなは先に部屋に行って るようにって、アパートの場所を知っている飯高さんに部屋の鍵を渡した。男の人だけだと好みが偏りそうだからって、麻耶さんと結香も一緒に九条さん達に くっついて行った。
飯高さんの道案内で九条さんのアパートに到着した。3階建てのまだ割りと新しそうな小奇麗な建物だった。九条さんの部屋はその2階の一番端っこにあった。
「どうぞ上がって」
鍵を開けた飯高さんがみんなを招き入れた。
「って、俺の部屋じゃないんだけど」
「お邪魔しまーす」
おどける飯高さんに笑いながら、あたし達は挨拶をして部屋に上がった。
部屋は2Kの間取りで男の人の一人暮らしの割には部屋の中は片付いていた。今日もしかしてみんなを招待するつもりで、あらかじめ片付けておいてくれたのかも知れない。
「ちょっと狭いかも知れないけど、適当に座って」
飯高さんに言われて、少し戸惑いながら腰を下ろした。
締め切ってあった部屋には熱気が籠っていた。それと煙草の匂いもした。飯高さんが勝手知ったるって感じでエアコンを入れて、すぐに冷気が吹き出し始めた。炎天下を歩いて来て火照った肌が、ひんやりした風に晒されて生き返る心地だった。
「取り合えずあるもので我慢しといて」
飯高さんが言って冷蔵庫から2リットルのペットボトルのお茶を持って来てくれた。ついでに缶ビールも。キッチンに戻った飯高さんを追うように匠くんが立ち上がったので、あたしも匠くんの後に続いて席を立った。
飯高さんがキッチンを漁って人数分のグラスを用意するのを、匠くんも手伝い始めた。
「あたしも手伝うよ」
匠くんに伝えたら匠くんは困ったように笑った。
「いや、いいよ。キッチン狭いし」
「じゃあ、グラス濯ぐね」
形も様々なグラスは普段余り使われてなさそうなのもあったので、一度濯いでおこうと思った。
「やっぱり女の子だね。そういうトコよく気が付くなあ」
感心したように飯高さんに言われて、少し気恥ずかしかった。
「そんなことないです」ちょっと小さくなりながらおずおずと答えた。
「あたしも手伝います」
キッチンに来た栞さんが言った。
キッチンに四人は流石に狭かった。
「じゃあ任せてもいいかな?」
「はい」「うん」匠くんに聞かれて、栞さんとあたしは二人して頷いた。
栞さんと話してグラスの他に取り皿も用意して洗うことにした。
「ピザも頼もうか」飯高さんの問いかける声が響いた。
隣の部屋から何のピザを頼もうか、相談し合う声が聞こえてきた。
「萌奈美と栞さんは何のピザがいい?」
匠くんがデリバリーのメニューを持って来て聞かれた。
「あたしは何でもいいよ」
「あたしもお任せします」
あたしと栞さんはグラスと取り皿を流れ作業で洗いながら答えた。

何十分かして「ただいまー」って麻耶さんの声と共にドアが開いて、買出し組が帰って来た。
「おまたせ」
九条さん達がテーブルの上に、買い込んで来たペットボトルやらお惣菜やらを置いた。すぐに一人暮らし用の小ぶりなテーブルの上は、いっぱいになってしまった。それから少ししてピザも届いたので、そのスペースを確保するのが大変だった。
「食え!みんな早くどんどん食っちまえっ!」
テーブルの上に並べ切らない食べ物に悩んでいたら、九条さんが突然口走った。もう無茶苦茶言うなあ。
家具やベッドもある六畳二部屋に12人は流石に狭くて、主の九条さんと竹井さん、飯高さんの常連組はキッチンに座り込んでいた。三人とも少しも気にしてない風だったけど。
ピザの他に、テーブルには商店街のお惣菜屋さんのメンチカツや焼き鳥、煮物、それから麻耶さんの主張で駅の反対口にあるデパートまで足を伸ばして買ってきてくれた数種類のサラダが並んだ。冷蔵庫の中には同じくデパートの地下で買ったケーキもしまってあった。
「んじゃ、みんなお疲れー」
くだけた調子の九条さんの音頭で乾杯した。九条さん、竹井さん、誉田さん、あともちろん麻耶さんもビール組だった。普段からお酒を口にしない匠くん、アル コールの苦手な飯高さんと栞さん、それからあたし、春音、結香、千帆に宮路先輩を加えた未成年者五人はペットボトルのウーロン茶や緑茶で乾杯した。
匠くんのお友達とあたしの友達(と、その彼氏)とは今日が初顔合わせだったけど、和気藹々とした楽しい時間を過ごすことができた。中でも九条さんと誉田さ んは二人共、陽気で快活で親しみやすい人柄だし物怖じしない性格で、加えてお酒好きってこともあって、乾杯してから程なくしてすっかり意気投合している様 子だった。
こういう風に繋がり合って広がっていくんだなあって、まさにその瞬間を目の当たりにしてるって感じられて、何だかすごく嬉しくなって、それから小さな感動 を覚えていた。つい昨日までまるで見ず知らずの、全然違う場所違う時間に生きて来てて、それなのにこんな風に今、お酒を飲んでたり冗談を言ったり大きな声 で笑い合ってたりする、それってなんだかすごく不思議で、だけどとっても素敵なことだなあって思った。
商店街のお惣菜屋さんのメンチカツはサクサクで中はジューシーで、それと何だか素朴な感じがあって、とても美味しかった。煮物屋さんの肉じゃが、大根の煮 物も。大根は中まで味がよく沁みていて、なかなか家庭ではこの味出せないなあって思えるような、総菜屋さんならではの味だった。
「ああいう商店街があるのっていいですよね。総菜屋さんもすごく美味しくて、今日は何食べようかな、なんて、悩んじゃいませんか?」
歩いていける距離に美味しい総菜屋さんが何件も立ち並ぶ商店街があるのが羨ましくて、そう九条さんに聞いてみた。
「食いしん坊の萌奈美ちゃんならではの感想だねー」
自分だってぱくぱく食べてる癖に、麻耶さんがそんな冷やかしを入れてくる。
もおー、うるさいなー。麻耶さんを睨んでいたら隣で笑いが漏れる声が聞こえた。
匠くんが、くっくっ、て必死で笑いを噛み殺している。
あーっ、ひどーい!匠くんの裏切り者ーっ!
今度は匠くんに抗議の眼差しを注いでたら、九条さんが「いや、ホント。その通り」って声を上げた。
「萌奈美ちゃんの言うとおりでさー。揚げ物だの焼き鳥だの煮物だの、これがまた酒の肴にこの上なく合うんだよなー。帰りがけに寄っちゃったりすると、つい つい家飲みも量が進んじゃってさ、ここんとこ、ちょいウエストが気になりだしてんだよなー。ホント、嬉しい悩みっつーか」
九条さんが陽気に言って、ひとつお腹をポンって叩いて見せた。
「単に九条が飲ンべえなだけだろ」
竹井さんが冷ややかに言い放つ。
「まあ、そんな悩みもあって、今回テニスに誘った訳よ」
今回のテニスの会の開催理由を九条さんが白状した。って、そんな九条さんの個人的な事情に付き合わされたの、あたし達?まあ、楽しかったからいいけど。
「一回テニスした位で効果なんかあるか」
今度は突き放すように匠くんが言い放つ。ホント、匠くんと九条さん達って会話はぞんざいっていうか、よく知らない人が聞いたら仲悪いのかなって勘違いしちゃうような感じだよね。男の人同士ってそういうものなのかな?
「じゃあ、九条さんのダイエットのためにも、ここはひとつみんなで協力しましょうよ」
誉田さんが提案した。
「協力ってどんな?」
誉田さんの隣で結香が不思議そうな顔をした。
「だから今日みたいなテニスの集いを、定例的にやろうってこと。月イチとかね」
「おっ、嬉しいねえ。誉田ちゃん、優しーなあ」
誉田さんのアイデアに九条さんは大袈裟に感激を示した。それにしても九条さんと誉田さんは、すっかり意気投合してる。
「自分がテニス楽しみたいだけでしょ」結香が誉田さんの真意を見抜くように言った。
「月イチくらいじゃ全然ダイエットにならないだろー」竹井さんが指摘する。「やるならせめて二週間に一回、出来ることなら週一回はやりたいところだな」竹井さんはどうやらテニスをやりたい派らしい。そんな毎週なんて時間取れないよー。
「そんなにやりたいなら、やりたいヤツだけでやれ」匠くんが、我関せずって態度で言う。
「萌奈美ちゃん達は受験生なんだから、そんな時間ないと思います」心配するように栞さんが言ってくれた。
「そっか、萌奈美ちゃん達は受験か・・・」
言われて気がついたように、九条さんがあたし達を見て呟いた。こっくりと頷く。
「でもさー、毎週は無理だけど、月イチとかだったらあたしも参加したいなあ。部活も引退しちゃったし、大学入ったらまたテニスやるつもりだし、これから受験が終わるまで勉強一辺倒だったら却ってストレス溜まっちゃうし、身体も鈍(なま)っちゃう」
結香がそう主張した。そうだね。受験勉強にはもう脇目も振らず取り組むつもりだけど、でも勉強しかせずにいたら煮詰まっちゃうっていうか、適度な息抜きは 却って気分がリフレッシュ出来て、さあ、また受験勉強頑張ろう、って意欲を持って前向きに取り組むことが出来るんじゃないかなって思う。あたしだって息抜 きって称して、しっかり匠くんとディズニーには行くつもりでいるし。
「まあ別に、全員が全員強制参加しろってつもりはないし、参加できる時に無理せず参加すればいいさ」九条さんが気楽な感じで告げる。
結香が嬉しそうに頷く。
「あたしと栞ちゃんは極力参加ね」麻耶さんが栞さんに向かって言う。
「えーっ!九条さん、竹井さん、麻耶さんってメンバーじゃ実力違い過ぎます!」中心メンバーの顔ぶれが既にお遊びの域にはないことを理解して、栞さんが悲鳴を上げた。
「大丈夫大丈夫。あたし達がみっちり鍛えてあげるから」
フフフフフ。口元に笑みを浮べる麻耶さんのその笑いには、何処か裏があるように感じられて仕方なかった。
「全然大丈夫じゃなーいっ!」栞さんも我が身の危険を予感したのか、助けを求めるように叫び声を上げた。
ご愁傷様。なむなむ。心の中で栞さんに合掌した。
「俺も笹野さん誘ってもいいかな?」飯高さんが九条さんに聞いている。因みに笹野さんっていうのは、飯高さんの彼女なのだそうだ。あたしは会ったことないけど、匠くん達は何回か会っているらしい。
「おう。他のヤツも知り合い誘っていいからな。人数多い方がコート代、頭数で割って安くなるしな」九条さんがみんなに告げる。
何だか段々大きな話になってきたような・・・。九条さんは大人数で集まったりするのが好きみたい。誉田さんも幹事役とか得意みたいだし、この二人が組むと最強かも・・・。
「麻耶ちゃん、間中さんも、是非知り合いのコ誘ってね」コロッと声色を変えた九条さんが、麻耶さんと栞さんにお願いした。揉み手せんばかりの調子だった。・・・何か、ちょっと裏の意図を感じるんだけど・・・。
「あっ、いーっすねー。女のコいた方が華やぎますもんね」嬉々とした誉田さんが同意を示す。
「そーゆー魂胆なら、敦ちゃんは参加禁止ね」結香が聞き捨てならないとばかりに、ぴしゃりと言い放った。
「えーっ、そんなあ!誤解だー!濡れ衣だー!俺はただ、人数いた方が楽しいと思ってさー!」
「嘘おっしゃい!」
嘆きの声を上げる誉田さんは弁解するも、ふん、って鼻息荒くふんぞり返る結香の前には通用しなかった。
相変わらずの夫婦漫才のような絶妙なやり取りに、みんなで声を上げて笑ってしまった。
その後も誉田さん、結香、九条さん、麻耶さんを中心に、喧々諤々の一幕が繰り広げられた。あたしと匠くんも毎回は無理だけど、時々、月イチか二月に一回程 度だったら参加させてもらおうかな、って相談し合った。匠くんはあんなに上手なんだからもっと参加したらとも思うんだけど、匠くんは「別に・・・萌奈美が いなかったらつまんないし」って言ってくれて、あたしも匠くんと一緒にいられないのは淋しいから、匠くんの言葉についつい甘えてしまった。
それと結香の発案で市高を卒業した春休みに、泊りがけでテニス合宿に行こうっていうことになった。匠くんは「いつからテニスサークルになったんだ?」って 零してたけど、でも大好きなみんなで泊りがけで出掛けられるのはすっごく嬉しい。あたし的にはテニスはそれほどやりたい訳でもないんだけれど、合宿に行く のがすっごく楽しみになってしまった。

まだまだ暑さは和らぐ気配をちっとも見せないけれど、それでも陽射しが色を帯び始め、太陽が地上に落とす影が少しずつ長くなり始めていた。窓の外は全然明るかったけど、そろそろ夕刻が近づきつつあった。
ノリのいい誉田さんが、「何かまだお開きになっちゃうのは名残惜しいなあ」って漏らして、それを耳にした九条さんが、やっぱり打てば響くようなノリの良さで「んじゃー、カラオケでも行くか?」ってみんなに聞いた。
数名は九条さんの提案に同調を示そうとしたけど、匠くんが「ったく遊び人ども。ちょっとは受験生の都合も考えろ」って嗜めた。
栞さんも「今日は身体を動かして少し疲れちゃったし」ってやんわりと辞退の意を示した。
「そっか、まあ、そうだな・・・」九条さんも反省した様子で頷いた。
「そっすね。カラオケはまた次回ってことで」誉田さんも気持ちを切り替えたようだった。
そんな感じでみんな幾分(若干名は明らかに)残念そうにしながら、本日の集まりを終えることになった。
駅まで送るよ。九条さんが言って、みんなで駅までの道をぞろぞろと連なって歩いた。
一歩外に出た途端、うひゃあって悲鳴と共にドロドロに溶け出しちゃいそうなくらい暑かった。栞さんと目が合って、お互い同じ心境なんだろうなあって苦笑し 合った。栞さんが来る時も差してた日傘を差して、「萌奈美ちゃんもどうぞ」って言ってくれてお言葉に甘えさせて貰って、肩を並べて傘に入った。暑いのはさ して苦にしない麻耶さんも、日焼けは大敵なのか日傘を差している。いつもは絶対に匠くんの隣を離れないのに、この時ばかりは栞さんのお誘いにいそいそと日 傘に入れて貰うあたしを、匠くんの呆れたような視線が注がれるのを感じた。ごめんね、匠くんへの愛は絶対に揺るいだりしない。でも、暑さと紫外線には勝て なかったの。心の中で匠くんに謝った。
「合宿、楽しみですねー」
「うん。合宿までにテニス上達して萌奈美ちゃんを驚かせちゃおうかな」
「えー、本当に?じゃあ、栞さんのプレーも楽しみにしてますね」
「あははー、冗談だよ」
日傘の下、仲良く並んで歩きながら栞さんとお喋りしてた。
「聞いたぞー。その願い、しかと聞き入れた」いつの間にか隣に来てた麻耶さんが、願い事を叶えてくれる神様のような口調で話に割り込んで来た。
「麻耶さん!?」栞さんは明らかにうろたえている。まさか麻耶さんに聞かれてるとは思わなかったようだ。
「頑張って上達しよーね、栞ちゃん。あたし、協力するね」見るからに誠実そうな微笑を浮べて、麻耶さんが協力を申し出る。さすがは麻耶さん、友達のために協力を惜しまない、誠実な人柄を見事に演じきっていた。
「九条さん、栞ちゃんが合宿までにテニス上達したいんだって!」九条さんにまで伝えている。
「おー、殊勝な心がけだなあ。んじゃー、俺も間中さんのために次回からの特別メニュー考えとくよ」麻耶さんのノリに見事な返しをする九条さんだった。
「だってさ。よかったね、栞ちゃん!」にっこりと栞さんに微笑む麻耶さん。なんとゆー知能犯。
「ぎゃーっ!助けてー!萌奈美ちゃん!」栞さんらしからぬ悲鳴を上げるものの、全ては後の祭りだった。ご愁傷様、栞さん。なむなむ。心の中で合掌した。
賑やかに談笑しながら(栞さんには、そんな微笑ましいものじゃなかったみたいだけど・・・)15分程の駅までの距離はあっという間に歩ききってしまった。 楽し過ぎて暑さもさほど気にならなかった。(匠くんに聞かれたら、日傘に入っててよく言うよ、って言われちゃうかも知れないけど。)改札で九条さんとお別 れの挨拶を交わした。
「んじゃー、またな」
「ああ」
九条さんと匠くんのやり取りは相変わらずの素っ気無さだった。
「んじゃ、テニスに参加するヤツにはまた改めて連絡すっから」そう九条さんが言うと、
「連絡なら俺、しましょうか?」って誉田さんが申し出た。
「おっ、ホント?助かる」嬉しそうに九条さんが言う。
「コート予約取れたら連絡ください。俺が他のみんなに連絡回しますから。出欠も俺の方でまとめときます」
「オッケー。よろしく」
「それと今度はカラオケもやりましょーよ」
早速、名コンビぶりを発揮している。
「今日は楽しかった。また、やろうね」「はい。是非」栞さんと挨拶を交わす。
「上達したところ、見せてくださいね」くすくす笑いながら、お願いする。
「う、萌奈美ちゃんのイジワル」拗ねる栞さんだった。可愛い。
「心配御無用。あたしがついてるからドーンっと大型豪華客船に乗ったつもりで安心してちょーだい」麻耶さんがしゃしゃり出てきた。
「もーっ、あんまりイジワルなこと言うんなら、脱会しようかなあ・・・」栞さんが逆襲に出る。
「えっ?ゴメン、ゴメン」慌てたように麻耶さんが謝り、二人は仲直りした。って別に険悪にもなってなかったけどね。栞さんってホント優しいから、本気で怒ったり機嫌悪くしたトコ、今まで見たことないんだよね。
「今日はお邪魔様」
「全然。狭苦しいトコで却って悪かったな」
「それこそ、全然そんなことなかったよ」
「ちゃんと笹野さん連れて来いよ。それと、笹野さんにも女友達連れて来てってお願いしといて。竹井は・・・まあ、期待しないでおく」
「放っとけ」
飯高さん、竹井さんと九条さんがそんな言葉を交わしている。
「それじゃお疲れ!本日はこれにて解散」九条さんの体育会系のような挨拶をもって、みんなお別れした。
別れ際、「帰りに焼き鳥屋とか寄るんじゃねーぞっ」って竹井さんに言われて、「アホかっ、部屋にまだたっぷり残ってるわっ!」って九条さんが反論した。
買い込んで来たお惣菜やサラダは結構な量だった。それでも人数がいたのでかなり食べたんだけど、それでも残ってしまったものもあった。残ったものの処分を 「どうしようか?」って相談してたら、九条さんが「いい、いい。飯のおかずにすっからそのままにしといて」って言ってくれたのだった。残り物で悪いなあっ て思ったけど、九条さんは気にした風もなく「明日の晩飯もこれなら白米だけありゃ十分だな」なんて、おかず代が浮いたのを喜んでた。
「ホントに気をつけろよ」飯高さんが九条さんの健康を案じて言う。
「大学ン時みたいな感覚で食べてると、あっという間にウエストのサイズ上がっちゃうぞ」
九条さん体格いいし、以前は結構スポーツマンだったらしいから、食事の量も結構食べてたみたい。その感覚で今も食べちゃうと、運動不足でエネルギーが消費されずに全部贅肉に転化しちゃうってことなんだね。
「そだな。気ィつけるわ」
親身に自分の心配をしてくれる飯高さんに、九条さんも真面目な声で応じた。
「んじゃー、みんな気をつけてな」
「さようなら」「失礼します」「またな」「今日はサンキュー」
自動改札を挟んで手を振って見送ってくれる九条さんに、あたし達も手を振ってお別れを告げた。ホームへの通路を進みながら、ずっと見送ってくれている九条 さんに、何度も振り返って手を振った。いつもこういうお別れの瞬間って、少し淋しい気持ちになる。特に夏の夕方は感傷的な雰囲気が漂って、その淋しさが増 すような気がした。
栞さんとは逆方向だったのでホームで別れた。
「それじゃ、またね」
「はい。栞さん、帰り気をつけてくださいね」
「うん、ありがとう。皆さんも気をつけて」
「また、お会いしたいです」千帆が栞さんに告げた。
今日は結構二人で話してたみたい。千帆も物静かで柔らかい性格だから、タイプの似てる栞さんにもしかして憧れを抱いてるのかも知れない。その気持ちはすご くよく分かる。栞さん、とっても素敵な女性だもんね。落ち着いてて大人だし、それでいて可愛いくてチャーミングだし綺麗だし、できることなら栞さんみたい な女性になれたらいいな。栞さんは、自分のことどっちかっていうとネガティブに受け止めてて、素敵だなんて全然そんなことないよ、って言うかも知れないけ ど、でも、あたしにとってはすごく素敵で憧れの女性(ひと)だもん、絶対。
「うん。あっ、そうだ。携帯の番号とメアド交換しようか?」栞さんが千帆に持ちかけた。
「えっ!いいんですか?本当に?」思いがけぬ展開に千帆はびっくりしてる。
「もちろん」
栞さんがバッグから携帯を取り出したので、千帆も慌てて自分の携帯を取り出した。そこからは携帯を手にした結香も「あたしもいいですか?」って栞さんにお願いして、「じゃあ俺もいいっすか?」って誉田さんが加わってきて、ちょっとしたメアド交換会になった。
因みに誉田さんには結香が「敦ちゃんは絶対下心あるんでしょ?」って睨みを利かせて、「そんなこと絶対ないっ!天に誓って!」って必死に弁解して、何とか結香のお許しの下、栞さんとメアドと携帯番号の交換をしてもらえたのだった。
反対方向の電車が先に到着した。ホームに入って来た電車の音に掻き消されないように、栞さんが声を張った。
「それじゃ、皆さん失礼します。麻耶さん、失礼します」
「うん、またね。連絡するね」ひらひら手を振りながら麻耶さんが笑顔で答える。
「はい」
「テニス、ちゃんと栞ちゃんに無理なくコーチするからさ、一緒にやろうね」今度はすごく友達思いの優しい眼差しで、麻耶さんが栞さんを誘った。
「はい。よろしくお願いします」栞さんも安心した顔で頷いた。
そして電車のドアが閉まるギリギリまで、あたし達は栞さんとお別れの挨拶を交わした。
閉まったドアのガラス越しに手を振る栞さんに、あたし達も手を振り返した。電車が動き出し、お互いの姿が見えなくなるまで手を振り合った。
また淋しさが募った。
それから少しして上り電車が到着し、あたし達は電車に乗った。並んで吊り手に掴まりながら、ずっと飽くことなく千帆、結香、麻耶さんとお喋りしてた。春音は聞き役で自分からはあまり喋らなかった。
「楽しかったねー」
「でも、やっぱちょっと疲れたかなあ」
確かに夏の暑さのせいもあるけど、ちょっと身体が気だるい感じだった。
「今日みたいな感じだったら、楽しめて続けられて、もっと上達できそうな気がする」
スポーツが苦手な千帆も今日のテニスは楽しかったみたい。
「じゃあ千帆ちゃんも無理のない範囲で参加しようよ」
麻耶さんが誘ってくれた
「はい、是非」千帆が嬉しそうに頷く。「先輩も一緒に行きましょうよ」千帆が宮路先輩の方に向いて呼びかけた。
「うん。麻耶さんの言うとおり、無理のない範囲でね」
「もちろん、わかってるよ」
受験がまず何よりも優先。言外にそんなニュアンスを漂わせて宮路先輩が告げる。そんなこと言われなくたって、ちゃんとわかってるよーだ。答える千帆も言葉にこそしなかったけれど、そう言いたそうだった。
相変わらず、千帆と宮路先輩の仲は順調みたい。すごく微笑ましかった。
電車の窓の外で流れていく景色は、少しずつ影を帯びていく。光に柔らかい黄金色が混ざり始める。電車が駅に着きドアが開く度、むっとした湿気と熱気が車内 に流れ込んで来た。夏の夕暮れ特有の気配。何処か郷愁的(ノスタルジック)で感傷的(センチメンタル)な、夏の夕方の匂い。
みんな喋り疲れたのか会話が途切れて、ふと隣に立つ匠くんに視線を向けた。あたしの視線を感じたからか、匠くんもあたしを見た。匠くんのあたしを見る眼差しはとても優しくて穏やかだった。嬉しくてあたしもにっこり笑い返した。
楽しかったね。そうだね。本当にそう思ってる?・・・思ってるよ。また、みんなでやりたいね。まあ、そのうちね。もお、ちゃんと考えてる?匠くんのプレイ するところ、カッコよかったから、もっと見たいな。まあ、そのうちね。もう、そればっかり。声には出さず、視線でそんな会話を交わす。
受験一色に染まる時期を目前に控え、目一杯身体を動かし、たっぷり汗を流し、みんなで楽しんで笑い合った、とっても充実した夏の一日だった。


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