【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ The Door into Summer 第3話 ≫


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夏休みのある日、結香、千帆、春音の三人と大宮に買い物に出掛けた。アルシェ、丸井って回って、休憩にスタバに入った。
あたしは匠くんとのデート用にトップスを探していて丸井で可愛いのを見つけられてご機嫌だった。多分、すごく分かりやすかったんだと思う。結香がおもむろに言った。
「萌奈美、付き合ってる人いるの?」
聞き方こそ疑問形だったけど、そこには「いるんでしょ」っていう断定が含まれていた。
うろたえたけど、今更隠すことでもないって思って頷いた。
「うん。いるよ」
普通に言えてほっとした。
結香はあたしを見ていた視線を、春音、千帆へと巡らせた。春音は平然としていたけど、千帆は根が素直だから結香に秘密にしていたことに少し後ろめたい気持ちが表情に表れてしまっていた。
結香は溜息をついた。
「なんだ、あたしだけ除け者だったんだ」
少し傷ついた顔で呟いた。結香の表情に胸がずきん、って痛んだ。
「ごめん・・・」
俯いて謝った。
「あのね、除け者ってそんなつもりじゃなかったんだよ」
千帆が申し訳なさそうに説明した。
「結香って意外と口軽いからね」
春音はきっぱりと言い切った。
ああっ、それを言っちゃあ!あたしも千帆も慌てた。
「どういう意味よ!」
結香は予想した通り、春音の言葉に反応して噛み付いた。当の春音はでも涼しい顔をしている。大したものだってあたしは胸の中で感心した。
「言った通りの意味だけど。結香って割と軽々しくポロッと言っちゃうトコあるでしょ。その上、亜紀奈と祐季とも仲いいからね。もしあの二人の前で口を滑らそうものなら、あっという間にクラス中と言わず、学校中に知れ渡りかねないし」
春音は断言口調で言った。
結香は不満そうな顔で春音を睨んでいたけど、春音の発言が的を射ていたみたいで、その口からは非難の声は聞こえてこなかった。
「まあ、あたし達も黙っていたのは確かに悪かったけど」春音が口調を和らげた。
「ごめんね、結香」
「ごめんね」
あたしと千帆は口々に謝った。
「萌奈美と千帆は悪くないから。あたしが口止めさせてたんだから」
春音はあたし達を庇うように付け加えた。
「・・・もう、いいよ」
諦めたように結香は呟いた。
「春音の言うとおり口軽いトコあるし。うっかり祐季達の前でバラしちゃう可能性はあるかも」
「あの、萌奈美、まだ付き合い出して間もないし、あんまりそういうの周りで噂されるのも嫌だと思うんだよね」
千帆はあたしの気持ちを気遣ってそう説明してくれた。
「うん・・・わかった」
結香はそう答えて笑顔を作った。結香が笑顔になり、あたしと千帆はほっとした。
「で、どうなの?順調なの?」
結香があたしを見て聞いた。秘密にしていた引け目があったのであたしは素直に答えた。
「うん。あの、夏休み前に告白して、交際してる」
改めて友達に打ち明けるのはちょっと恥ずかしかった。
「順調そのものみたいよ。夏休みに泊りがけでディズニー行くみたいだし」
横から春音が告げ口をした。
「ちょっと!春音!」
何勝手にばらしてんのよ!あたしは怒った。春音はちっとも動じてないけど。
「えー、すごーい」
春音の言葉に結香は素直に驚いていた。
「三泊四日で、しかもミラコスタにも泊まるんだって」
千帆までばらすなんて。
「すごーい。うらやましー」
結香の声のトーンが上がった。周りの席のお客さん達の視線を感じた。声が大きい!
「もお、春音も千帆も何バラしてんのよ!」
「別にいいじゃない。幸せなんだから」
春音が全く悪びれずに答えた。
「そうそう。ほんとはみんなに教えたい癖に」
千帆も面白がってそんなことを言う。
「もおっ。こんなことなら教えなきゃよかった」
恥ずかしさから拗ねた声で文句を言った。そりゃあ確かにみんなに話したいって気持ちもなくはないけど。でも図星を指されて余計気持ちがひねくれてしまっていた。
「もお、拗ねないの」
千帆が苦笑いを浮かべて仲裁した。
「萌奈美のそんな態度初めて見た」
結香が意外そうな顔をした。
「うん」千帆が頷いた。
「あたしも前は萌奈美のこういうとこ見たことなかった。萌奈美、好きな人が出来てから、すごく感情が表に出るようになったっていうか、色んな表情見せるようになったんだよね」
そう千帆に言われて、そうかな?って思った。自分ではよく分からなかったけど。
「萌奈美、佳原さんの話するとき、すごくいい顔するんだよね」
冷やかす千帆の言葉に結香は「へえ、佳原さんて言うんだ」って繰り返した。
うう・・・すっかり話のネタにされて、不満げな視線で三人を睨みつけながら、なかなか反撃の機会を見出せず口を開くことができなかった。
「相手って、同じ学年?年上?」
結香が遠慮なく聞いてくる。
「いくつだと思う?」
春音が聞き返す。だからーっ!あんたの彼氏じゃないでしょー!
「同じ学年だったら、もうちょっと噂になってもいい気がするけど」思案顔の結香に、あたしはこれ以上茶化されるのは御免だったので自分から話すことにした。
「匠くんは9歳年上」ふん、と鼻息を荒くして告げた。
結香は目を丸くした。思った以上に意外だったみたいだ。
「きゅ、9歳?年上?」
「そうだよ」
悪い?とばかりに睨む。そんなに9歳年上とか意外なものなの?少し腹立たしかった。
あたしの剣幕に気付いた結香は慌てて説明した。
「あ、ごめん。違うの」
違う?何が?
「あたしも付き合ってる人、8歳離れてるから、なんか、似てるかもって思ってちょっとほっとしたって言うか」
そう言って結香ははにかんだように笑った。
え!?あたしは目を丸くした。春音も、初耳だったのか少し意外そうに結香を見た。
あたしも春音も結香の素振りで彼氏がいるのは前から何となく分かってたけど、相手がどんな人なのかまでは全然知らなかった。もしかしたらこちらから聞けば 結香は誤魔化したりせずに、平気な顔して教えてくれたのかも知れないけど、何だか聞いたら悪いかなって感じがして今まで聞けずにいたし。春音はそもそも滅 多にそういう話に首を突っ込まないし。
「そうなの?」
聞き返すと結香は頷いた。
結香の恋人は8歳年上のお隣に住む幼馴染っていうことだった。
最初に意識するようになったのは結香の方だったらしい。幼い頃から仲が良くて大好きな幼馴染だったんだそうだけど、結香が中学二年になって、急に幼馴染の 事を異性として意識するようになったのだそうだ。それから結香は猛アタックを開始して、顔を合わせる度に気持ちを告白したけど、その時相手は22歳だし、 結香の事を妹みたいに思っていて、真剣には取り合ってくれなかったみたい。
そんな日々が続いて二年近くが経過しても、結香は諦めることなく思い続けたそうで、そんな折、結香が市高に入学した年、彼が結婚まで考えて真剣に交際して た女性が二股をかけていて、彼を振って別の男の人と結婚してしまったのだそうだ。幼馴染の彼はすごく傷付いて、長い間落ち込んで自棄(やけ)気味になって しまったのを、結香は献身的に励まして支え続けて、その気持ちが幼馴染にも通じて、いつしか彼の方も結香を一人の女の子として意識するようになって、お互 いを大切な存在として認め合うようになったということだった。
結香の告白に感動してうるうるしてしまった。目に涙を浮かべて結香に「よかったね」って心からの祝福を贈った。
そんなあたし達を春音は冷ややかに見つめていたけど。うーん、何故に彼女は全てにおいてそんなに冷静なんだろう?
それから千帆がこの話を聞いても全然驚いていなかったので気になって訊ねたら、千帆はもう以前に結香から話を聞かされていたのだそうだ。そう言えばとあた しは思い出していた。あたしが匠くんとのことを春音と千帆に相談した時、千帆は同じ様に年上の彼がいる知り合いのコの話をしていたことがあったっけ。そう か。あれは結香のことだったんだ、ってあたしは今になって理解した。
「だから、萌奈美の付き合ってる人が9歳年上だって分かって、なんかすごく身近な感じがしたんだ。何か色々相談できそう」
結香がそう言ったのであたしも頷いた。
「うん、ほんと、そうだね」
意気投合するあたしと結香に慌てて千帆が口を挟んできた。
「ねえねえ、あたしにだって恋の悩みはあるんだから、一緒に話に混ぜてよ」

そう話す千帆の彼は市高の三年生の先輩だった。
宮路融(みやじ とおる)先輩っていって放送部の部長をしていて、あたしも知っているけど誰にでもすごく優しくて人当たりがいい先輩だ。もちろん勉強もできて学年で常に10位以内の成績を保っているのだ。スポーツはどちらかって言うと得意ではないようだけど。
何より怒ったり嫌な顔をするのを誰も見たことがないって噂されるほどの好人物で、聞いた話では誰もが嫌がるトイレ掃除さえ、ズボンの裾をめくって徹底的に 掃除をするっていう非常に前向きで真面目な性格なのだそうだ。かと言って堅物(かたぶつ)って感じじゃなくて、すごく気さくだし明るくて親しみやすい人柄 で、先生、生徒両方からの信頼も厚い人物だった。
二人の馴れ初めは宮路先輩から千帆に告白して来たんだそうだ。
一度千帆と一緒に帰り道、市高通りを歩いてたらそこに宮路先輩が追いついて来て、三人で駅までの道を一緒に帰ったことがあって(その時、宮路先輩は千帆と 一緒に帰れてラッキー、って嬉しそうな笑顔で言ったんだよね。一緒にいるこっちの方が思わず照れちゃうくらい、もう千帆のことが大好きだっていうのが伝 わってくる笑顔だった。宮路先輩ってそういうこと、少しも照れたりせずに面と向かって言える人なんだよね。却って言われた千帆の方が恥ずかしくて仕方なさ そうに困った顔してた)、あたしは二人が付き合っているのを知っていたので、宮路先輩に千帆の何処が好きなんですか、って質問したことがあった。
あたしの不躾な質問に気を悪くするでもなく、宮路先輩は誤魔化したりせずすごく真っ直ぐに話してくれた。
「千帆とはさ、最初は文化祭の実行委員の活動で知り合ったんだよね」
千帆っていう呼び方が二人の仲の良さを教えてくれていた。あたしは微笑ましく思った。
「第一印象で、あ、可愛いコだなとは思ったんだよね」その時の様子を思い出すかのように宮路先輩は話した。
「で、委員会で同じ班分けになって、一緒に活動したんだけど、俺達は各クラスやクラブの参加団体の申込みを審査したり、各団体の調整したりってそういう仕 事で、雑用の多い駆けずり回ってる役でさ、結構面倒臭い仕事もあったんだけど、嫌な顔ひとつせず頑張って千帆はやってくれてさ。俺、放送部の方の用事も あって、手が回らなかったりしたんだけど、彼女きっちりフォローしてくれてさ、責任感も強いし、ああ、優しくて性格のとってもいいコだなって思った」
褒める先輩に千帆はくすぐったそうだった。
「そんなことないです。先輩がいつも自分から進んで一生懸命頑張ってやってるから、あたしは先輩を見習って頑張ってただけです」
「それで、千帆のこと意識するようになってさ、文化祭が終わってからも学校の中で見かけて気になってた。どんどん気になっていって、だんだん不安になって来たんだ」
「不安、ですか?」
あたしは聞き返した。
「うん。だってこんなに可愛くて、優しくて、性格のいいコだし、いつ誰が告(コク)ってくるか分かんないだろ。そう思ったらめちゃめちゃ不安になったんだ」
千帆は宮路先輩にべた褒めされて真っ赤になって俯いてしまった。
「で、もう我慢できなくなって告白したんだ。ラッキーなことにOKの返事もらえて、もう飛び跳ねんばかりに喜んだね」
宮路先輩は得意そうな顔で言った。
こんなにも素直に千帆への気持ちを聞かせてくれた宮地先輩に好感を持った。そして仲のよい友達がとても素敵な恋愛をしていることがわかってとても嬉しかった。
あたしは千帆の気持ちも知っていた。千帆が打ち明けてくれたんだけど、文化祭の実行委員の活動と放送部の活動で手一杯になってるのに決してキレたり怒った りせず、持ちかけられる面倒事にもひとつひとつ誠実に対応して、みんなにてきぱきと指示しながら率先して自分でも動き回る宮路先輩の姿を見ていて、誠実で 優しい先輩に千帆も密かに好意を抱いたのだそうだ。
文化祭終了後、校庭で行われた後夜祭でキャンプファイヤーを囲んで文化祭をやり終えた喜びを、みんなで笑って分かち合っている宮地先輩の笑顔に、千帆は胸がきゅんってなったって教えてくれた。そのとき宮路先輩に肩を組まれて心臓がばくばくだったそうだ。
二人の話を聞いて、まるで青春小説のような爽やかな恋愛だなあって感動を覚えた。
その後も相思相愛の二人は、余り周囲に知られることなくひっそりとかつ順調に交際を続け、お互いの気持ちを育んでいた。とっても微笑ましい二人だった。

「まあ、千帆はばっちり相思相愛で、なーんにも思い悩むことなんてないんだろうけどさ」結香は笑いながら意地悪く言った。
「そんなことないよ。あたしだっていろいろ悩んだりしてるんだから」
千帆が心外そうに抗議した。
あたしはあははって脳天気に笑ってた。
あたしも結香も千帆もそれぞれ付き合っている相手がいることが分かって、実はみんなそうだったんだねーって何となく親近感を感じて和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気になっていた。
そこに突然爆弾が投下された。破壊力抜群の爆弾が。
「あたしも冨澤と付き合ってるよ」
どうして春音が突然打ち明けるつもりになったのかは分からなかった。なんとなく告白合戦みたいなノリになっていたのに釣られたんだろうか。
あたし達はお互いの顔を見合わせた。一瞬、春音の発言の趣旨を理解できなかった。
冨澤?って、誰?
「冨澤?」
口に出したのは結香だった。眉を顰めている。
「え、っていうか、春音、付き合っている人いたの?」
思いもかけなかったって顔で千帆が聞いた。
あたしも同じ気持ちだった。春音に付き合っている人がいたなんて、そんなの今の今まで全然知らなかった。春音、そんなこと今まで一言だって言ったことなかったし、億尾にも出したことなかったじゃない?
「冨澤って何処の冨澤?」
結香が聞き返す。
そういえば春音の言い方は何だかあたし達も知っている人物だって感じられるものだった。そうすると同じ市高生なんだろうか?同じ学年?それとも先輩?一人考えを巡らせていた。
淡々とした口調で結香の問いに春音が答えた。
「数学の冨澤」
一瞬にして空気が凍りついた気がした。
数学の冨澤・・・?
非常にまずい感じがした。このことについて触れない方がいいように思えた。だけど、そうも行かなかった。
「・・・放送部の冨澤?」
聞き返したのは結香だった。春音を見る眼差しが据わっていた。
数学の冨澤、放送部の冨澤・・・何れにも該当する人物は一人しか存在しない。市高において。
「そう」
春音はあっさり頷いた。
数学担当で放送部顧問の冨澤・・・
「冨澤先生!?」
千帆は叫んでいた。
みんな信じられなかった。だって、学校の先生と付き合ってるって?いくら春音が常識的な高校生の範疇からはずれてて、独特で独自の思考と規範とポリシーを持っているっていったって、それにしても先生と生徒の恋愛って、それって余りにまずいんじゃ?
「い、いつから、付き合ってるの?」
やっとのことで口を開いた。
春音はちょっと考えこんだ。そんなに考え込むほど長い付き合いなんだろうか?
「去年の夏休みに入る直前だったかな。ちょうど一年ってとこ」
がーん。マジ、ハンマーで頭を殴られたかのような衝撃だった。一年もの間、市高の先生と付き合ってたなんて。
それをあたしに全然打ち明けてもくれなくて。あたしはそれに全然気付けなくって。
毎日学校で一緒に過ごして来た筈なのに、こんな重大な事実に全然気付けなかったあたしって、一体春音の何を見ていたんだろう?
ものすごくショックを受けていた。
去年の夏休み前っていったら春音だって高校生になって三ヶ月が過ぎた頃で、やっと高校の雰囲気に慣れ初めて来た頃じゃなかっただろうか。その頃にもう先生と付き合うようになったなんて、そう思うと何か春音があたしからはすごく遠い存在のように思えた。
欺かれていたっていう悔しさより、春音とあたしの間にすごく大きな隔たりを感じて、春音はあたしのすぐ隣にいてくれてるって勝手に思い込んでたけど、本当 はあたしなんかよりもずっと先の冨澤先生達大人と同じ位置にいて、一人で取り残されていることに今の今まで気が付けずにいた、そんなすごい寂しさを覚え た。
沈黙しているあたしに春音は、少し言い訳めいた感じで打ち明けた。
「やっぱり、生徒と教師が付き合ってるのってマズイから、内緒にしときたかったんだよね」
・・・それは分かる・・・でも・・・
「あたしにも?あたしが喋ると思った?」
そんな態度取りたくはないのに、非難めいた口調になってしまうのが嫌だった。
「萌奈美が喋るはずないって知ってる。・・・ただ、話しても萌奈美困るんじゃないかと思った」
それは的を射ていた。いつだって春音の考えは正しい。多分、その時、春音と冨澤先生が付き合ってることを聞かされても、生徒と先生の恋愛なんて許されない んだよって、そんな当たり前のことしかあたしは思えなかったに違いない。世間の常識そのままに。恋する気持ちも愛する気持ちも何にも知らないまま、あの頃 のあたしだったら。そう思った。
・・・だけど、春音のあたしに対する理解は、すごく正しいんだろうけど、でも、あたしには理解できないだろうから話さなかったっていう事実は、とても寂しく思えて悲しく感じられて、あたしを傷付けた。
例え、春音があたしの事を考えてそうしたんだとしても。
「萌奈美・・・」
千帆の気遣う声を振り払って立ち上がっていた。
「あたし、帰る」
無性に怒りが湧いて来て、一方的に店を出た。
「萌奈美!」
千帆の言葉にも耳を貸さなかった。

◆◆◆

家に帰る気にもなれなくて、春音達と別れてから迷いながらも匠くんの部屋に来てしまった。
幸い麻耶さんはいなくてほっとした。麻耶さんがいたらこんな風に甘えられなかったから。
ベッドに腰掛けた匠くんに膝枕してもらっていた。自分でもまるで小さい子供のように拗ねているのが分かっていた。
「萌奈美はどうしたいの?」
匠くんは優しくあたしの髪を撫でながら聞いた。匠くんに撫でてもらっているとすうっと気持ちが落ち着いて来る。穏やかで優しい気持ちになれる。
「志嶋さんを許さない?」
匠くんの問いかけにふるふると頭を振った。
春音はあたしを裏切ろうとした訳じゃない。むしろあたしが困惑してしまうことを気遣って話さずにいたんだ。それなのに勝手に傷ついて、怒って・・・
それはちゃんと分かってる。でも、何か心の中で溶け切らないしこりのような思いが残っていて・・・じくじくと疼いて、その疼きで素直になれない自分がいて、自分自身を落ち込ませてもいた。
「ちょっと携帯借りていい?」
不意に匠くんが聞いたので、あたしは頷いた。でも何でだろう?
匠くんはあたしの携帯を操作して何処かへ電話したみたいだった。匠くんの膝に頭を乗せたまま匠くんの様子を見上げていた。
「もしもし?」
匠くんは電話の向こうの相手に話しかけた。
「ごめん、違うんだ。萌奈美じゃないんだ。佳原です。覚えてるかな?」
え?何となく電話の相手が分かった。
春音?・・・匠くん、春音に電話かけたの?でも、どうして?匠くんのとった行動が理解できなくて困惑していた。
「うん。前、学校で一度会ったよね。こんにちは」
匠くんは結構親しげに話している。でも、春音と直接話すのは初めてなんじゃないかな?この状況がよく飲み込めないまま、ぼんやりと思った。
「ん?ええと、」
匠くんはちらとあたしを見下ろした。
視線を向けられてどきんとした。電話に出なきゃならないのかって身構えた。
「えーと、お姫様が拗ねててさ。このまま拗ねられてても困るんで」
匠くんは横目で笑ってそう春音に話した。
えーっ、あたし拗ねてなんか・・・いるけど・・・でも、匠くんに電話かけてなんて言ってないのに。匠くんの勝手な判断をちょっと腹立たしく思っていた。
「まあ、スピーカーだと思ってくれればいいよ」
そんな説明をしていた。
スピーカーってどういうこと?
「萌奈美に伝えたいことがあったら、その通り僕が萌奈美に伝えるから」
・・・え!
驚いて匠くんを改めて見上げた。
そして匠くんは文章を読み上げる時のように、ちょっと抑揚を欠いた口調で喋り始めた。
「ごめん、萌奈美のこと傷付けるつもりはなかったんだけど、でも結局傷付けることになってごめん」
匠くんは恐らく電話の向こうで告げられる春音の言葉をそのままに繰り返しているんだった。
「自分の勝手な思い込みで判断して、萌奈美の気持ちを傷つけて、本当にごめんね。親友なら、本当なら、どんなことも打ち明けて、一緒に悩んだり苦しんだり するのが親友のはずだよね。だからあたしは萌奈美の信頼を裏切ったんだね。口で言う謝罪なんて、全然足りないけど、でも本当にごめんなさい」
匠くんを通して語られる春音の言葉を聞いていて、あたしは我慢できなくなって身体を起こして匠くんに目で訴えた。
頷いて匠くんは携帯をあたしの耳元に当ててくれた。自分で携帯を握り締めて聞こえてくる声に耳を澄ませた。
「あたし、萌奈美は本当に大切な友達だって思ってる。決して失いたくない存在なの。あたし、自分のことをかなり偏った人間だと思ってる。こんな偏狭で偏屈 な人間を理解してくれたり、親しくしてくれたり、好きになってくれる人なんて、まずいなくて、こういう自分ならそれも仕方ないって半ば諦めてるところがあ る。今まではそう自分に言い聞かせてた。でも、萌奈美と出会って、萌奈美と一緒にいて、あたしの中の、そういうあたしが嫌いな自分を薄めてくれるような、 萌奈美と一緒にいることで、嫌いなあたしを少しずつ変えていけるような、そんな風に感じられるんだ。萌奈美はあたしにとって掛け替えのない、大切な親友な の。大切な存在なの。だから、失いたくないの、萌奈美を。あたしから離れていかないで。お願い。萌奈美、ごめんなさい」
聞きながら肩が震えていた。我慢しようと思っても嗚咽が漏れてしまう。
「・・・あたしだって、そうだよ」
嗚咽で言葉にならない声を途切れ途切れに絞り出した。
「あたしだって、そうだよ。春音は、掛け替えのない、大切な親友だよ。あたしのことをすごく深いところで、理解してくれる、本当に素敵な、親友、だよ。あたしも、春音を、失いたくないって、思ってるよ」
ひどい涙声だった。泣きじゃくりながら何を言っているのかわからなかった。
「ごめんね、あたし、こそ、勝手に、傷ついて、怒って、拗ねて、春音の気持ち、ちっとも解かってなくて、親友の癖に、本当にごめんね。あたしこそ、ごめんね。許して・・・」
「・・・ううん、あたしの方が悪いんだから」
電話の向こう、春音の声も涙声だった。春音が泣いていた。
「あたしの方が、ごめん、ね」
春音は鼻をすすった。
「ねえ、萌奈美、・・・許してくれる?」
春音の声は自信がなく震えていて、春音らしくなかった。
「もちろん、だよ」
あたしも鼻をすすりながら、なるべく明るい声で答えた。
「だから、・・・あたしのことも、許してくれる?」
「だって、萌奈美はあたしが許さなきゃならないようなこと、してないよ。許すも何も、・・・あたしは萌奈美がいつもずっと大好きだよ」
春音の言葉は胸の奥深くに響いた。普段の春音は決して言わないような、とても素直な胸の内を今あたしに明かしてくれていた。
「あたしも。春音のこと、大好きだよ。とっても大切な、親友だよ」
泣き笑いで春音に伝えた。
匠くんが優しく肩を抱き、頭を撫でてくれてた。匠くんの胸に頭を摺り寄せた。とても幸せだったから。
涙を流した分だけ心が潤ったような気がした。

仲直りした春音と後で電話で話した時、春音は意外そうに呟いた。
「佳原さんて、もっとなんか、クールっていうかドライな感じの人かと思ってた」
ドライ?あたしは首を傾げた。
「そう、かなあ?」
「うん。もっと、他人に関心ないっていうか、余り感情を出さないような人かと思ってた。あんまり自分の思ってること話さなかったり」
春音にはそう見えるんだろうか?周りの人から無愛想だとか言われているのはよく聞くけれども、それもあたしにはピンとこなかった。
「あたし、自分とちょっと似た所あるような感じがしたんだよね。シニカルそうな感じとか、他人に関心示さないとことか、自分の感情を表に出そうとしないとことか、そういうの似てるって感じしてたんだけど」
あたしにはあまりそういう印象はなかった。匠くんは照れ屋なところはあるけど、冷たい訳じゃなくて、本当はすごく優しくて温かい人だって分かってる。それは春音も同じだって思ってる。
「だから、佳原さんが電話かけてきてくれた時も、すごい意外な感じだったのよね。すごいお節介っていうか、でしゃばりな感じで。佳原さんてそういう人なの?」
春音の問いかけにあたしは思案した。
「んー、匠くんはとっても優しくて温かい人だよ。あたしのことすごく気遣ってくれて、大切にしてくれて。少し照れ屋さんなところはあるけど」
「・・・照れ屋さん、ねぇ・・・」
あたしの言い方に春音は白けたような口調だった。なんか異論でも?
「まあ、萌奈美と一緒にいて、佳原さんも少しずつ変わってきてるのかもね、あたしみたいに」
一人ごちるように春音は言った。
違うよ、匠くんが変わってきてるんじゃなくて、匠くんと出会って、あたしが変わってきてるんだよ。そうあたしは言いたかった。
 

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