【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ The Door into Summer 第2話 ≫


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7月も半ばを過ぎて、やっとっていう感じで梅雨が明けた。
そして終業式が終わり、待ちに待った夏休みへ突入した。
先生が夏休み中羽目をはずし過ぎないように、来年は受験生なんだからこの夏休み中もしっかり勉強する習慣を身に付けるようにって注意を述べていたけど、み んな上の空で聞き流していた。やがて先生がホームルームの終了を告げた次の瞬間、弾かれるようにみんな一斉に席を立って、わあっと歓声のような声が教室に 響いた。
みんな口々に「じゃあまた九月にね」「じゃあね」ってしばしの別れを口にしていた。
「萌奈美、一学期はどうもありがとう」
にこにこと笑顔を浮かべて千帆に言われた。
「こちらこそ、お世話になりました」ちょっと畏(かしこ)まって挨拶を返した。
顔を上げお互い視線が合って声を上げて笑い合った。
「夏休みはどうするの?」
「んー、とりあえず部活と合宿は決まってるけど」
後はまだ特にこれといった予定は決まってなかった。
千帆はあれ?って不思議そうな表情をした。ちょっと小声になった。
「佳原さんとは?どっか行かないの?」
あたしも声を潜めた。
「え、出掛けようとは言ってるけど、でもまだ決めてない」
千帆はあたしの耳元で囁くように言った。
「でも、泊まりがけで出掛けるならもう予約取っとかないといっぱいになっちゃうよ。っていうか、もう今からじゃ難しいかも」
「泊まりがけって・・・」
思わず声が大きくなりかけて、慌ててトーンを落とした。
「そんなことある訳ないじゃん」
顔を赤くして言った。
「えー、そうなの?」
千帆は意外そうな顔をしてあたしを見た。・・・まさか?
「千帆は、どっか泊りがけで行くの?・・・その、先輩と」
「もちろん」平然と笑って答える。
がーん!そんな、当たり前って感じで。千帆の自然な素振りにあたしは大きなショックを感じていた。
「だって、家の人には?」
何て言って出掛けるつもりなんだろう、って思った。
「んー、アリバイ工作頼んであるんだ。結香に」
な、なんですと?
「ゆ、結香に?」声がひどくうろたえてしまった。「結香、そんなこと頼まれてびっくりしなかったの?」
「別に。結香もそうみたいだし」
事も無げに千帆は答えた。
そうみたい?って、えっ?どういうこと?
「えっ、ゆ、結香も?結香も泊りがけで彼氏と出掛けるの?」
「うん、らしいよ」
ががーん。千帆にも結香にも大きく遅れを取っているなんて。衝撃を受けずにはいられなかった。
か、彼氏と二人きりで泊りがけってことは、当然・・・だよね。想像して頭がくらくらした。
「萌奈美、大丈夫?」
茫然と立ち尽くすあたしに、千帆が心配そうに声をかけた。
「そ、そうなんだ・・・」
あたしは愕然としながら、強張った笑いを浮かべてやっと、って感じで返事をしていた。

◆◆◆

匠くん家に向かう電車の中で、色々思い悩んだ。
千帆も結香もそんなに彼氏と進展してたなんて全然知らなかった。そのこともショックだったし、それに、もちろん匠くんと泊りがけで出掛けられたらいいなぁって思うし、24時間一緒にいたいって思うけど。
だけど24時間一緒にいるってことは、当然「そういうこと」になる・・・んだよね?当たり前だけど、恋人同士なら普通。
でも、いざその時になって気持ちが整理できているかどうか自信ないし・・・でも、そうなりたいって願う気持ちも無い訳じゃなくて・・・って言うか近頃じゃ匠くんともっと先に進みたいって求め始めてる自分がいて。・・・頭の中が混乱しそうだった。
そんなことを考えていて、匠くんの部屋に行ってからも何処かぎこちない感じになってしまっていた。・・・変に意識してしまうっていうか。
匠くんもあたしの様子がおかしいことにもちろんすぐ気付いて。「どうかした?」って聞かれてしまった。
「もう夏休みになったんでしょ?なんか浮かない顔してる」
不思議そうに匠くんは聞いた。
「え、うん・・・」
歯切れの悪い返事になってしまった。
全部正直に話せればいいけど、流石にこんなこと話せないよ。顔から火が出そう。
「どうしたの?心配ごと?」
匠くんが身を屈(かが)めて、あたしの瞳を覗き込む。吸い込まれるように視線を合わせてしまう。
「夏休み、二人で何処か行きたい」
ぽつりと言った。匠くんはなんだ、って顔で笑った。
「もちろん。何処行こうか」
匠くんが屈託ない笑顔で訊ねる。
そうじゃないんだけどな。ちょっと躊躇って、でも口にした。
「あの、ね、結香も千帆も彼と、その、・・・彼と二人で泊りがけで出掛けるんだって。夏休み」
ちらっと匠くんと視線を合わせ、恥ずかしくてすぐさま慌てて逸らしてしまった。
匠くんは真意が分かってものすごく驚いていた。それはもちろんそうだよね。
・・・考えてみれば、そもそも女の子から二人で泊まりで出掛けたいなんて、結構はしたなかったかも知れない・・・急に猛烈に恥ずかしさを覚え、居ても立ってもいられない気持ちになった。
「えーと・・・」
匠くんもどぎまぎしている。視線が一向に定まらなかった。
「それで萌奈美は何処行きたい?」
え?何処行きたい、って、それってつまり、泊まりで出掛けようってこと?ええー!?い、いいの?匠くん・・・自分で言っておきながら急に心配になった。
「でっ、でも、いいの?泊まり、だよ?」
言いだした本人の方が激しく動揺していた。それはお金のことを気にしてなのか、それとも男女が泊まりで出掛けるってことが暗に意味するところの不安からなのか・・・自分でもよく分からなかった。
あたしの動揺ぶりを見て今度は匠くんが慌てていた。
「え、あれ?もしかして冗談だった?」
ばつの悪そうな笑顔で聞かれた。え、そんなことない。
「ううん、違う。冗談なんかじゃない。・・・ごめん。戸惑わせるようなこと言っちゃった。ごめんなさい」
あたしの考えなしのいい加減な発言が匠くんを戸惑わせてしまったことを反省した。
「いや、いいんだけど」
匠くんはちょっと困ったような顔をした。
「萌奈美が泊まりで出掛けたいなら行こうかなって」
そう言ってから慌てて匠くんは付け加えた。
「あ、もちろん、僕も萌奈美と泊まりで出掛けられたらそりゃあ嬉しいっていうか、むしろ僕の本心は行きたいって思ってるよ。本当のところ」
匠くんは恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
「萌奈美と一日中、一晩中、二十四時間一緒にいたいってすごく思ってるよ。むしろ、僕の方から誘いたいっていう気持ちでいっぱいだよ。夏休みの予定考えてると、本当は旅行とか誘いたいって、もうずっと頭の中ぐるぐる回ってるよ」
匠くんの口から出た思いがけない言葉を聞いて、あたしは眼を丸くしていた。
「でも、ええっと、その・・・もし見え見えの下心見透かされて、いやらしいとか、拒絶されたら怖いって気持ちがあったり、それに、えーと、一晩中一緒にいて何もしないでいられる自信もないし」
顔を赤くしながら、でも匠くんはとても素直な気持ちをありのままに打ち明けてくれた。
その包み隠さない気持ちを知ってすごく嬉しくなったし、気持ちが軽くなった。痞(つか)えていた思いがすっと溶けていくのを感じた。
「そんな、いやらしい、なんて思わないよ。っていうか、えっと、あたしもすごい意識しちゃってるよ。気になってるっていうか、ううん、期待してるっていう方が正しいかな」
自分の言ってることの意味を考えるとすごく恥ずかしかったけど、でも匠くんが本心を隠さずに打ち明けてくれていることに対して、あたしもありのままの気持ちを隠さずに伝えたかった。
匠くんもあたしの言葉にびっくりしていた。
「だから、匠くんだけじゃないよ。あの、我慢できなくなってるの」
真っ赤になりながらも正直に打ち明けた。
言ってから沈黙が降ってきた。
お互い意識し過ぎてしまい、二人とも気まずい雰囲気を感じていた。
こういう時どうやって沈黙を破ればいいのか困ってしまう。軽口でも言って場を和ませるのがいいのかな?なんて考えを巡らせていた。
「・・・そうと分かったら、是非とも旅行、行きたいな」
匠くんが先に口を開いた。「どう?」ってあたしに視線を向ける。
あたしは返事も出来ず、ただぶんぶんと激しく首を縦に振って頷いた。
あたしの様子に匠くんが吹き出した。
それで一気に場が和んだ。ほっとした空気が流れた。
「じゃあ、何処に行こうか?」
匠くんが改めて聞いた。
思いっきり悩んだ。うーん、何処がいいかな?清里?軽井沢?伊豆とか?それから、気掛かりだったことを思い出して訊ねる。
「あ、でも・・・匠くん、多分お金、あたし出せないと思う・・・」
あたしのお小遣いなんかじゃ全然足りないだろうし、かと言って匠くんと二人で泊まりがけで旅行に行くなんてパパやママに話せる訳ないし。
あたしの言葉を聞いて、何も心配しなくていいからっていうように匠くんは笑った。
「ん、大丈夫。萌奈美は気にしなくていいよ」
そうは言われてもやっぱり気になってしまうけれど。でも匠くんと二人きりで旅行できるんだから、素直に匠くんの言葉に甘えることにしようかなって思った。
「甘えていいの?匠くんに」おずおずと訊ねた。
「全然OK。僕としては萌奈美が甘えてくれる方が嬉しいんだから」
その言葉どおりに匠くんは嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
匠くんの言葉がもうすっごく嬉しくて、甘い気持ちが胸をいっぱいにした。
さて、それじゃあ何処へ行くことにしようか?・・・頭の中で次々と候補地を思い浮かべた。
その時、匠くんがぽつりと言った。
「ディズニー、とか?」
あ!あたしは眼を輝かせた。匠くん、名案だよ!
「それ、いい」
すかさず同意した。
でも気掛かりな点が二つ。一つはディズニーリゾートに泊まりがけで行くとなると結構費用がかかること。二つ目は既にこの時期予約がいっぱいになってるに違いないっていうこと。今からじゃどのホテルもいっぱいなんじゃないかなって思った。
「でも、泊まるの結構高いよ。それに夏休みは泊りがけで来るお客さんでどこのホテルもいっぱいで、もう予約取れないかも知れない」
「そうしたら仕方ない。諦めよう」
事も無げに匠くんは言った。
「えーっ、やだ!一度聞いちゃったらもう行きたくてたまらなくなっちゃったもん」
「それじゃ日帰りで行こうか」
匠くんが提案する代案に、全然満足できなかった。
「絶対、やだ。もうすっかり泊まりがけで行く気になっちゃったんだから」
意地でも泊まる、って言い張るあたしに匠くんは天を仰いだ。
「・・・とにかく、頑張ってみるよ」
頑張ってみるって予防線を張る匠くんに、絶対だよ、ってくどい位に念押しして約束を交(か)わした。自信なさそうな顔の匠くんと無理やり指きりげんまんもしておいた。
「あたしバイトしようかなぁ」
「え?どうして?」
頬杖をついて呟いたら匠くんが聞き返した。
「だって、ディズニー行くのも、泊まるのもお金かかるし」
「萌奈美は心配しなくていいよ」
匠くんはそう言うけど、でもだからって丸ごと全部匠くんの好意に甘えるのはやっぱり気が引けた。あたしが出せるのは自分のお土産代位だ。
そうは言ってみたものの、バイトを始めたら匠くんと会える時間がものすごく減ってしまうことは確実だった。それを思うとバイトしようっていう気が鈍った。どうすればいいのかな。
考え込んでいたら、匠くんの手が肩に伸びて来て強く抱き寄せられた。「きゃっ」突然だったので小さく悲鳴を上げて倒れ込み、匠くんに膝枕をしてもらうような格好になってしまった。
「だから、気にしなくていいってば」
匠くんが上から覗き込んで繰り返した。
「でも・・・」
言い淀むあたしの言葉を遮るように、匠くんの顔が覆いかぶさって来た。少し焦ったけど、すぐ目を閉じた。
匠くんの唇が触れて来る。
頭の片隅で、あー誤魔化された、って思ったけど、すぐにまあいいかっていう気持ちになってしまった。
甘く心地よい感触に全身からふにゃんって力が抜けていく。
匠くんとのキスはとても甘くて心地いい。全身にびりびりと痺れるような快感が走り、同時に蕩けるような甘い快感に全身の力が抜けてしまう。
飽きることなく何度も何度もキスを繰り返す。激しく求めるように口づけしたり、優しくついばむように吸ったり。
そしてキスを繰り返せば繰り返す程、切なくなってもっともっと求めてしまう。長くキスを交わした後、匠くんの唇が離れていくのがたまらなくなって切ない吐息が漏れてしまう。
欲望には際限がないように感じて恐くなる。キスの後、匠くんを見つめる自分の眼差しが濡れているのに気付いていた。
思わずもっと先に進みたくなる。何度そう口にしそうになっただろう。やっぱり匠くんに話したとおり、もう我慢できないかも。

◆◆◆

次の日は午後部活で学校に行き、合宿のテーマを決めたり分担を決めたりして、匠くんに会えなかった。
その分、夜に電話で話し込んだ。明日は会いに行く約束をして電話を切ろうとしたら、匠くんが「明日、朗報があるから」って意味ありげに言った。
「え?なあに?」
気になって聞き返したけど、明日のお楽しみだから、って言って教えてくれなかった。
電話を終えてから、もう、あんな言い方されたら気になって仕方ないじゃない、ってちょっと恨めしく思った。
その夜はそのことが気になってなかなか寝付けなかった。

翌日、あたしは逸(はや)る気持ちで匠くんちに向かった。
匠くんちに上がり、リビングのソファに腰掛けるが早いか、あたしは勢い込んで口を開いた。
「ねえ、それで朗報って何?」
匠くんは得意満面の笑みを浮かべた。
「予約取れたよ」って答えた。
何の予約かと思い至るのに二、三秒かかった。そしてはっとした。
「え、ディズニー?」
みるみる嬉しさがこみ上げて来た。まだ匠くんから答えを聞いてもいないのに。
でも匠くんは頷いた。
「8月25、26、27、28日の四日間。空けといてね」
四日間!三泊四日!!すごいっ!!あたしは大興奮だった。でもその後更なる興奮が待っていた。
「えっと、ホテル途中で変わるんだけど、25、26は東京ベイホテル東急で、27はミラコスタが予約できた」
東急だってオフィシャルホテルだよ!すごいよ!それにミラコスタって?まさか?
「ホテル・ミラコスタ!?」
びっくりする位大きな声で聞き返した。
あたしの勢いに気圧されて匠くんが引き気味に答えた。
「そ、そう」
はっ、いけない、いけない。でも、すごいっ!!
「すごーい!ミラコスタに泊まれるなんて、夢みたい!」
夢心地で今にも舞い上がらんばかりの浮かれようだった。
でも、すぐ様あることに気付いて現実に引き戻された。
「あ、でも・・・三日間オフィシャルホテルとディズニーホテルじゃ、ホテル代すごいんじゃ・・・?」
恐る恐る聞いた。
匠くんは呆れたような顔をしてあたしを見た。
「萌奈美は心配しなくていいよって何回も言ってるでしょ?」
そんなこと言ったって・・・多分、ホテル代で十万以上するに違いなかった。そう思うと素直に喜べなくて、笑顔が曇ってしまう。
「だって・・・」
やれやれ、って感じで匠くんは肩を竦めた。
「心配しなくていいって言っても心配しちゃうのが萌奈美のいいところでもあり、欠点でもあるところだけど」
その顔はでも皮肉なんかではなくて、優しい笑顔であたしを見ていた。
「性格だもんね」
どう答えていいか分からず、曖昧に頷いた。
「気にしないでっていうのは無理な話として、まあ、こう見えても僕もそれなりに収入はあるから。大丈夫だよ」
それは、もちろん匠くんが貧乏だなんて思ってる訳ではないけれど、それにしたって十万以上ものお金を出してもらうのはやっぱり気が引けてしまう。
まだ俯いて口ごもっているあたしの頬に匠くんが触れて、顔を上げさせられた。匠くんと視線がぶつかる。
「僕としては、萌奈美に素直にありがとうって言って欲しいな」
そう言って匠くんは問い返すように首を傾げた。優しい笑顔に釣られてあたしも笑顔になってしまった。
「ありがとう、匠くん」
匠くんに言われたとおり、素直に感謝することにした。それが多分、匠くんには一番嬉しいんだって思った。
「素敵だよっ!」って叫んで目の前の匠くんに抱きついた。
匠くんも力を籠めてあたしのことを抱き止めてくれた。
「実は麻耶のお陰なんだよね」耳元で匠くんは打ち明けた。
「麻耶さん?」
「うん。予約取ろうとしたんだけどネットで見たらもう何処も満室でさ。でも、萌奈美すごく楽しみにしてたからなんとかしたくてさ。麻耶、仕事柄知り合いが多いから、そのツテで何とかならないかと思って、まあ、冷やかされるのは覚悟の上で頼んでみたんだ」
予想通り冷やかされはしたものの、麻耶さんは心当たりを聞いてみてくれて、予約を取ってくれたのだった。
麻耶さんに匠くんと二人で泊まることを知られてしまって恥ずかしかったけれど、でも感謝の気持ちで一杯になった。会ったらお礼を言わなきゃって思った。あたしの我儘な願いを叶えてくれたんだから。
「じゃあ麻耶さんには二人だけで泊まること知られちゃったんだ。ちょっと恥ずかしいね」
匠くんに寄り添って甘えながら言った。
「まあ、ね」
匠くんもちょっと困ったような表情で笑った。
「でも思ったよりは追求してこなかったな」
その時の様子を思い出しながら匠くんは呟いた。
むしろ、茶化されて後ろめたい気持ちが薄らいだ気がしたって匠くんは言った。
ひょっとしたら麻耶さんなりの気の遣い方なのかな、って思った。なんだかんだ言って、麻耶さんは匠くんの事が大好きだってことをちゃんと知ってるんだから。
ただそう思うと二人がとても身近な親しい間柄なだけに、あたしの中で少しちりちりとした気持ちが湧いてくるのを感じた。それは紛れも無く嫉妬だった。実の兄妹なのに、匠くんを大好きな異性の存在にあたしはヤキモチを焼くのを抑えられなかった。
その気持ちが余計に匠くんとの距離を早く縮めたい、より親密な関係になりたいっていう願いを加速させた。

匠くんは保護者然とした口調で夏休みの宿題を済ませておくように言った。
言われるまでもなく、あたしは面倒くさいこととか嫌なことは先に済ませてしまう性格なので、毎年夏休みの宿題は休みに入ってすぐに済ませてしまっていた。そう言ったら「偉いなあ」って感心された。
匠くんは夏休みが終わっても宿題をしなかったそうだ。そのうち、先生も何も言わなくなって有耶無耶(うやむや)になってしまうのだそうだ。それでも試験の成績が良かったので、特に成績に影響なかったらしい。あたしはそれはそれですごいと思った。
ディズニーリゾートへの三泊四日の旅は夏休み後半の最大のイベントになった。待ち遠しくてたまらないけど、待ち遠しく思っている時間にも楽しさがあった。
なんて言っても憧れのミラコスタに泊まれるんだから。いつか泊まってみたいって夢見ていて、泊まれるようになるのはあたしが働いてお給料が貰えるように なってからででもないと絶対無理だって思ってた。それが匠くんと一緒に泊まれるなんて、もう最高!って思った。できるものなら周りのみんなに言いふらした い位だった。学校の友達にも、聖玲奈にも香乃音にも、ママやパパにも。・・・なんて絶対に言えないんだけど。
それからあたしと匠くんは、その他にも長い夏休みを一緒に過ごす計画を色々話し合った。今のところ、今後これから予定が入ってくるかも知れないけど、部活 がない日は匠くんの部屋に遊びに来るか、匠くんと会って過ごすつもりだった。でもあんまり出掛けてばかりいて、ママに勉強や家の手伝いもしなさいって叱ら れるかもしれないなんて思ったりもした。
それに夏休み中あんまり匠くんと一緒にい過ぎて、二学期が始まってから会えなくなるのが我慢できなくなったらどうしようなんて、馬鹿みたいな心配もちょっとしたりした。
匠くんと一緒だと何かとても当たり前の夏らしい夏を過ごしたいって思った。
高校生が普通に夏休みに行くようなところに行きたかった。プールとか海とか、花火大会とか、お祭りとか。
今までは特別行きたいとも思わなくて、学校の友達が楽しそうにそういうイベントに行く計画を話しているのを聞いて、人混みは疲れるなあとか思って大して興 味も湧かなかったのに、匠くんと二人だとすごく行きたいって思った。ちょっと恥ずかしいけど水着姿を見せたいなあとか、浴衣姿を見てもらいたいなあとか、 胸をときめかせながら思った。
二人で夏休みの計画を立てているだけで、すごくわくわくして楽しくて幸せだった。
そしてあたしと匠くんの予定表はみるみる埋まっていった。期待とときめきと幸せをぎゅうぎゅうに詰め込んで。

麻耶さんにお礼を言う機会は夏休みに入って間もなく訪れた。匠くんの部屋に遊びに来て、ちょうどお休みだった麻耶さんが部屋にいた。
「あ、いらっしゃい」
「こんにちは。お邪魔します」
挨拶も早々にすぐあたしはお礼を言った。
「あの、ディズニーのホテルの予約のこと、ありがとうございました」
ちょっと気恥ずかしくて躊躇いがちに告げたら、麻耶さんはにっこりと笑った。
「ああ、いいのいいの。大したことじゃないから」
そう言って軽く手を振った。
「でも、夏休みに入ってからホテルの予約なんてもういっぱいだったって匠くんも話してたし」
実のところ、結構大変なことだったんじゃないのかなって思っていた。
「ん、まあ、一応こういう仕事してると知り合いでそれなりに顔が利く相手もいるからね」
少し得意げな顔で麻耶さんは答えた。
「匠くんがあたしにそういう頼み事をするなんて、尋常じゃないから無碍(むげ)にもできなかったし」
麻耶さんは意味ありげに、ちらりと匠くんへ視線を投げた。
「それに萌奈美ちゃんが楽しみにしてるっていうから是非とも叶えてあげたかったしね」麻耶さんはそう付け加えた。
え?あたしは慌てた。
匠くんは少し赤くなりながら不機嫌そうな顔をした。
「余計なこと言うなよな」
はいはい、って言って麻耶さんは肩を竦めた。
「ま、後で楽しかったお土産話聞かせてよね。いろいろと」
・・・いろいろ、という言葉を麻耶さんは意味深に強調した。あたしも匠くんもその言わんとするところにみるみる顔が赤くなった。
「麻耶!」
匠くんが苦し紛れな感じで怒った。
麻耶さんはけらけら笑いながら「はーい」って応じて、「じゃあ、あたし友達と買い物して来るから」って言い残してさっさと出掛けてしまった。
部屋には気まずい雰囲気で赤くなった顔を見合わせているあたしと匠くんが残された。
もう、麻耶さんは!一言文句を言いたい気分だった。
 


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