【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ Gift 第4話 ≫


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飲み会が始まって30分くらい経った頃だろうか、麻 耶さんが到着した。麻耶さんは友達を三人連れて来ていて、三人とも美人だったり可愛かったりみんな華のある女性で、男性陣は色めき立っていた。それとなく 匠くんの反応をチェックしてたんだけど、匠くんは別に大して興味なさそうな反応だったのでよかったって安心したし、嬉しかった。
麻耶さんと一緒に来た三人の女性は、麻耶さんと同じ事務所に所属していてモデルをしているとのことだった。
そのうちの一人は前に匠くんのマンションで会ったことのある栞(しおり)さんだった。割と近い場所に座った栞さんと目が合って、お互いに会釈し合った。穏 やかににっこりと微笑む笑顔はやっぱり素敵だった。癒し系っていうのかな、きっと男の人ならほっと心安らぐような、そんな雰囲気を持っていた。あとの二人 も見覚えのある顔立ちだった。みんな雑誌に載ったりCMに出たりしてるとのことで、それであたしも見覚えがあるんだなって思った。
麻耶さんはあたしにもお二人を紹介してくれた。二人は橋崎桃花(はしざき ももか)さん、安東歌鈴(あんどう かりん)さんっていう名前だった。橋崎さん は長い黒髪のきりっとした美人で、はきはきした話し方とか、真っ直ぐに向けられた眼差しとか、意志の強そうな女性だって感じがした。安東さんは愛くるしい 感じの女性で、栗色のふんわりした髪型とか、甘い声で少し甘えるように語尾を伸ばす喋り方とか、男性が放っておかない感じの女性だった。
華があるっていうのはこういう人達のことを言うんだなあって、感嘆しながら見とれていた。

匠くんが説明してくれた話では、今夜集まった30名程の人達は大別すると次のような集まりだった。
ひとつは匠くんの大学時代の友人を中心としたメンバー。九条さんが中心になって、ここに匠くんや、九条さん、竹井さん、各々の高校時代の友人も加わったり しているらしい。(織田島先生もこの繋がりで市高で同級生だった匠くん、飯高さん、漆原さんの他、九条さん、竹井さんとも面識があるんだった。)
ひとつは匠くんや九条さん達が仕事上で繋がりが深い人達。出版社の人とか、コンピューター関係の仕事をしている人とか様々。
それからもうひとつが匠くんと同じイラストレーターの人達。
それぞれのグループは一見繋がりがなさそうに見えるけど、九条さんがどのグループにも横断的(匠くんがそう言ったので、「横断的」って何?って聞き返した ら、匠くんが例えて教えてくれたところでは、それぞれのグループをお団子だとすると、それを一連なりに貫く串のようなものみたい。)に絡んでいて、うまく 各グループの橋渡しをしているらしい。その内、九条さんを介さなくても各グループの個々のメンバーがそれぞれに関係を築き始め、今現在の関係を作るに至っ ているんだそうだ。九条さんはそういう、最初何の接点も持たなかったグループ同士を九条さんが橋渡し的な役割を務めて繋げ、そのうち橋渡し役抜きで機能す る緩い関係で繋がったグループを形成するのが得意っていうか、そういう才能に秀でているんだってことを匠くんが言っていた。あたしは学校っていう、年齢と か学力とか共通点の多い人達で形成されるグループにしか属したことがなかったので、こういう関係っていうのもあるんだなあって新鮮に感じていた。

突然、ポンって両肩に手が置かれてびっくりした。誰かと思って振り向くと御厨さんだった。
「佳原君。萌奈美ちゃんちょっと借りていい?」
一緒に振り向いた匠くんに御厨さんが聞いた。
「は?」
匠くんは間の抜けた声を上げて、あたしの方を向いた。あたしは匠くんと離れるのをちょっと心細く感じて不安げな視線で匠くんを見返した。
「え、と、何ですか?一体?」
匠くんは先輩である御厨さんに気を遣いながら、あたしの表情に気付いて聞き返してくれた。
あたし達二人のやり取りを御厨さんは面白そうに見ていた。
「あのね、何も取って食ったりしないから。あっちでちょっとお話したいなと思って。ほら、麻耶ちゃんも一緒にいるから心配ないでしょ」
御厨さんは離れた席に座っている麻耶さんと栞さんを指し示した。あたしと目が合うと麻耶さんは笑って手を振ってきた。
麻耶さんが一緒だと知ってあたしはちょっと安心した。
「ね。行こ」そう言って御厨さんは、あたしを半ば強制的に立たせて、あたしの背中を押すようにして連れ去った。
「ちょっ、御厨さん」慌てた顔で立ち上がる匠くんに、あたしは連れ去られながら目の隅で助けを求めたんだけど、御厨さんはお構いなしに「いーから、いーから」って言ってあたしをどんどん押しやって連れ去ってしまった。
心もとない表情を浮かべるあたしに「ちゃんと後で佳原くんのところへ帰してあげるから」って御厨さんは囁いた。
最初に顔を合わせた時から、どうも御厨さんにいい印象を持てないでいたんだけど、今も改めてこの人のことを苦手だって感じた。何ていうか、あまり人の気持ちを気遣うってことをしないっていうか、そんな印象を抱いた。
「萌奈美ちゃんいらっしゃい」
御厨さんに連れられて行くと、麻耶さんが迎えてくれた。
あたしを着席させて御厨さんも隣の席に腰を下ろした。
「何飲んでるの?」御厨さんに聞かれて、おずおずと「あの、ウーロン茶を」って答えた。
「アルコール駄目なの?」意外そうに御厨さんに聞き返された。答えようとしたら麻耶さんが代わりに「萌奈美ちゃん、まだ未成年だから」って答えてくれた。
途端に御厨さんが眉を顰めた。
「萌奈美ちゃんって、幾つなの?大学生?社会人じゃないよね」
そう言えばまだ年齢を聞かれてなかったし、あたしも言ってなかったのに気が付いた。(みんなから子供に見られそうな気がして、年齢を告げられなかったっていうのもあった。)そうするとみんなあたしのことを大学生って思ってるんだろうか?
「いえ、あの、高校生です」
言い出しにくい雰囲気を感じながらあたしは答えた。
「えっ?」
意外なまでに大きな声を上げて御厨さんは驚いた。
「今、高二。ちなみにあたしの後輩に当たるんですよ」麻耶さんが補足するように御厨さんに言った。
「高二?じゅう・・・」目を丸くしながら御厨さんが聞くので、「17です」ってあたしは答えた。
「じゅう、なな・・・?」
繰り返す御厨さんにあたしは訊ねた。
「そんなに意外ですか?」
「あ、ううん、て言うか、若いだろうなとは思ってたんだけど、まさか高校生とは思ってなくて」
気を取り直したように御厨さんは答えた。
「でも、言われてみれば、大学生にもちょっと見えないか」そう納得したように呟いた。
ちょっとカチンと来た。
「それって、子どもっぽく見えるってことですか?」
「あ、ごめん。そういうつもりじゃなくて」
取り繕うように御厨さんは弁解した。やっぱりこの人のことを余り好きになれそうになかった。
「大学生ってもっと化粧慣れしてるし、雰囲気もちょっと違うものあるからね」
麻耶さんが御厨さんを弁護するように説明した。
そう言われてもまだ不満げな気持ちを鎮められずにいた。
「あはは。ほんと、ごめんね。萌奈美ちゃんの気分を害するつもりは全然なかったんだけど。ごめん。ね、このとおり。だから機嫌直して、ね」
御厨さんはそう言ってあたしに両手を合わせてウインクをした。
確かに悪気はないんだろうけど。それから何となく憎めない性格ではあるんだろうけど。腑に落ちないものを感じながらも、こういう席でいつまでも意地を張っているのも子どもっぽい気がして、仕方なく頷いた。
「・・・いいですけど」
「ごめんね、萌奈美ちゃん」
麻耶さんがあたしに謝ったのでちょっとびっくりした。別に麻耶さんが謝ることなんか全然なかった。多分、麻耶さんはあたしも謝るから御厨さんのこと大目に見てあげてっていうつもりであたしに謝ったんだと思う。
それから麻耶さんは御厨さんに向かって言った。
「華奈さん、前にも言ったと思うけど、ほんとにもうちょっと考えて物言うようにしないと。それなりの歳なんだから」
諭すような麻耶さんの言葉に、御厨さんは拗ねたように頬を膨らませた。
「どうせあたしは幾つになっても人間が出来てませんよ」
「そうですねえ。華奈さんには成長ってものが全然感じられませんよねえ」
麻耶さんは頷いて同意した。
「でも、ほんと、華奈さんイラストの才能無かったら、只の社会不適応者ですよ」
「ひっどおい。何で年下にここまで言われなくちゃならないのよ」
言い合っているように見えて、でも麻耶さんは御厨さんの事が好きみたいだった。麻耶さんはこの人の何処が好きなんだろう?あたしはそれを意外に感じていた。
あたしが意外そうな眼差しで見ているのに気付いた麻耶さんは、ちょっととりなすような微笑を浮かべて言った。
「華奈さんてちょっと、いや大分、かな?配慮に欠けた発言するところあるから、よくない印象持っちゃってるかも知れないけど、裏表の無い根の正直な人だから。とっても気立てのいい人なの。付き合ってる内に分かってくるから」
「そうなの。麻耶ちゃんのいう通りだから、これからもよろしくね」
麻耶さんに続いて御厨さんが言う。
内心どうなんだろうって思いながら、とりあえず「はあ」って曖昧に相槌を打った。
あたしの様子に麻耶さんが、「華奈さんが余計なこと言うからあたしの言うことまで信頼性なくなっちゃうんじゃないですか」って抗議した。
「えー、だってえ」麻耶さんに責められて御厨さんは言い訳を始めた。
くすくすっていう笑い声が聞こえたので見ると、栞さんが可笑しそうに口元を押さえていた。あたしが見ているのに気付いて、笑いながら困ったような表情を浮かべた。
「あのね、あたしも何回かお会いしてるんだけど、麻耶さんの言うとおりの人だから、華奈さんて」
栞さんがそう言うので、「そうなんですか」って神妙に頷いた。
それからあたしは少し機嫌を直し、四人でお喋りをした。
「ところで萌奈美ちゃんは佳原くんの何処を好きになったの?」
話題が途切れた時、唐突に御厨さんが聞いた。
「え?何処って・・・」
突然聞かれて困惑して口ごもった。
そう言えば以前麻耶さんにも同じこと聞かれたことがあったっけ。あたしは思い浮かべた。見ると麻耶さんもそれに気付いているのかニヤニヤしていた。今思う と、あの時は麻耶さんに対してかなり生意気なことを答えてたんだよね。「何処とか、そんなの分かりません。その人の一部分を見て好きになるものなんです か?」なんて。何だかあの時のことが懐かしいものに思えた。
「だって、佳原くんて愛想ないし、人付き合い悪いし、萌奈美ちゃんくらい可愛ければ他にもっといい彼氏幾らでも作れると思うんだけど。何故に佳原くんなのか、ちょっと不思議」
あたしには御厨さんの言ってることが全然分からなかった。質問の意味が、っていうことじゃなくて、その質問自体があたしにとっては全く理解できないものだった。
「・・・匠くん、愛想なくないですよ。とっても優しいし、すごく気を遣ってくれて。あたしのこと大切にしてくれます」
心外に思いながら言い返した。
御厨さんは目を丸くした。信じられないって感じだった。おもむろに麻耶さんの方を向いた。「そうなの?」
「萌奈美ちゃんといると全然態度違うんですよ。アイツ」
忌々しそうに麻耶さんが答えた。
「へえー」
意外なことを聞いたって感じで御厨さんは感嘆の声を上げた。
「それに、何処をって聞かれても分からないんですけど。あたし、匠くんを好きになったんです。匠くんの何処か、をじゃないし、だから匠くんじゃなければ好きになりません」
あたしはあたしが感じていることを、そのまま素直に答えた。
「匠くんじゃなきゃ駄目なんです」
御厨さんは目を丸くしたままぽかんとした顔であたしを見ていた。あんまりまじまじと見られて何だか気恥ずかしくなった。でも、思ったままの正直な気持ちを言っただけだって思って、毅然として御厨さんから視線を逸らさなかった。
御厨さんはつい、と視線をあたしからはずして、麻耶さんの方を向いた。麻耶さんは苦笑していた。その隣で栞さんは温かい眼差しで微笑んでくれていた。
「参った、でしょ?」
麻耶さんが御厨さんに聞いた。一体何が参ったんだろう、って思った。
御厨さんは唖然とした顔で頷いた。
「うん。参った」
・・・だから、何が?
妙に納得いったような表情を御厨さんは浮かべていた。

「それにしてもよく諦める決心ついたわね」
御厨さんが麻耶さんを見ながら聞いた。あたしと栞さんは話の意味するところが分からずに、二人で頭の中でクエスチョンマークを浮かべた。
諦めるって何のこと?
聞かれた麻耶さんは少したじろいだような様子だった。
「ちょっと、華奈さん」
御厨さんは麻耶さんの反応に「んー?」って言ってにやにやしている。
御厨さんのそういうところはいつものことなのか、麻耶さんは諦めたように「はあー」って大きく溜息をついた。
それから麻耶さんは御厨さんを見て答えた。
「でも分かったでしょ?敵わないんだよね。流石に、あたしでも」
麻耶さんは何故なのか寂しそうな笑顔を浮かべていた。
「初めてそう思った。違うんだよね。他のどんな人とも」
御厨さんは麻耶さんの言葉に頷いた。
「そっか」
「うん」
御厨さんと麻耶さんが短い言葉を交わした。それで話は終わったみたいだった。
あたしも栞さんも何の話かさっぱりだった。

「萌奈美ちゃん、そのネックレス素敵ね」
栞さんがあたしの胸元のネックレスを見ながら言った。
あたしは嬉しくなった。
「ありがとうございます」
「あ、実はあたしも思ってたのよね」
麻耶さんがあたしの方へ身を乗り出すようにして言った。
金と銀のツインの十字架をちょっと持ち上げて見せながら、すごく自慢げな気持ちだった。
「匠くんがプレゼントしてくれたんです」
あたしの言葉に麻耶さんと御厨さんは目を見開いて驚いていた。
「え?」驚きの声が見事にハモっていた。
「ホントに?」
信じられないような顔で麻耶さんが聞き返した。
あたしは頷いた。匠くんがプレゼントをくれるっていうのは、そんなに驚くほど意外な事なのかな?何だか匠くんに失礼なんじゃないだろうか。内心思った。
「うーん、佳原君にそんな甲斐性があったとは」
御厨さんは匠くんが耳にしたら絶対怒るに違いないであろう失礼なことを、また平気で口にしていた。
全く、麻耶さんといい御厨さんといい、匠くんの事を絶対誤解しているんだ。あたしは憤然と思った。
でもいいもん。匠くんはあたしに「だけ」特別に優しいんだね。きっと。
「とっても可愛いし、萌奈美ちゃんによく似合ってるね」
栞さんだけが素直に褒めてくれた。
「匠さんが選んでくれたの?」
栞さんは匠くんのことを名前で呼んだ。それは栞さんは麻耶さんと仲がいいし、「佳原さん」って苗字で呼ぶのは、麻耶さんも同じ「佳原」な訳でちょっと奇妙 な感じがするし、紛らわしい気がするのかも知れなかった。別に深い意味はそこにはないのかも知れない。でも栞さんみたいな可愛くて素敵な女性が、匠くんの ことを名前で呼ぶのを聞いて、何となく心穏やかではいられなかった。
多分そういった気持ちがあったからだと思う。このネックレスを匠くんが選んでくれたことを殊更強調して話をした。
「はい。一緒に見てて、匠くんがこれがあたしに似合うって選んでくれたんです」
でもあたしのその返答は思ったのと違う方面に波紋を投げかけることになった。
「えー、佳原君にそんなセンスあったりするのー?」
「何それ、信じらんない。実の妹のあたしには何も買ってくれたことない癖に。萌奈美ちゃん、プレゼント貰ったからって簡単に心許しちゃ駄目だからね。絶対 下心があるに決まってるんだから。絶対そうに決まってる。実の兄がそんなやらしい男だとは思わなかった。ほんと嘆かわしい」
がっくりと項垂(うなだ)れたい気持ちでいっぱいになった。栞さんも困ったように苦笑していた。

「萌奈美」
名前を呼ばれてはっとした。匠くんの声だった。
でも、呼び捨てにされたのは初めてだったのでびっくりした。
振り向くとあたしの席の後ろに匠くんが立っていた。
「あれ?お迎えに来たの?」
御厨さんは冷やかすような視線を匠くんに送った。
「そんなに心配しなくてもちゃんと返してあげるから」
匠くんは少し気恥ずかしそうな顔で、でも憮然とした感じで「別に」って答えた。
「そう言えば聞いたわよー」
御厨さんは今にも舌なめずりしそうな顔で匠くんを見て言った。その声の調子にはっとした。匠くんも嫌な予感がしたんだろう、警戒心丸出しで聞き返した。
「何をですか?」
「萌奈美ちゃんが着けてるネックレス、佳原君が選んでプレゼントしたんですって?」
御厨さんはチェシャ猫がしそうなにやにや笑いを浮かべて匠くんに問いかけた。
匠くんはてき面に動揺し、顔を赤くした。
「な、何でそれを」
御厨さんは得意げに畳み掛けた。
「萌奈美ちゃんに聞いちゃったもん」
まさかこういう展開が待っているとは知らず、御厨さんに匠くんをからかう絶好のカードを渡してしまったことを深く反省した。
匠くんの視線を強く感じながら、顔を上げられず俯いていた。ひたすら心の中で匠くんに謝った。
「佳原君にこんな甲斐性があったとは知らなかったなー」
御厨さんがそう言って、麻耶さんまで「ほんと、女の子にアクセサリーをプレゼントできるなんて初耳だわ。まして匠くんが選んだなんて尚更びっくり」って、信じられないって口振りで言った。
匠くんは御厨さんと麻耶さん、二人の攻勢に遭ってたじろいでいた。なかなか反論する言葉が浮かんで来ないみたいだった。
「硬派なフリして、やっぱり匠くんも世の中の多くの男どもと同じ穴のムジナだったのね。プレゼントで釣るなんて下心見え見え。実の妹として嘆かわしく思うわ。ほんと匠くんには失望しました」
麻耶さんは心底失望したかのように深い溜息を吐いた。
「ほんとにねえ、女になんか全く興味ありませんっていうような態度だった癖にねえ」
「あのなっ、誰が下心持ってるってんだ」
匠くんは猛然と反論したけど、御厨さんが「あら、じゃあこれっぽっちも下心は持ってないっていうの?佳原君は清廉潔白だって神様に誓って言える?」って問い詰めると、流石に言葉に詰まってしまった。
御厨さんと麻耶さんは、二人してやれやれっていった身振りで失望感を顕わにした。
「やっぱりね」「やっぱり男はみんな同じよ。いやらしい」口々に呟いた。
「だから誰がだっ」
言い返す匠くんだったけど、麻耶さんと御厨さんの共同戦線の前に、形勢は匠くんに著しく劣勢であることは明らかだった。段々匠くんが可哀相に思えてきた。

「佳原」
突然、匠くんを呼ぶ声が聞こえ、あたし達の全員が振り向いた。
「久しぶりだな」
声の主は織田島先生だった。
匠くんはあたしの事を気にしたのか少しうろたえたみたいだった。
「・・・織田島」取り繕ったように笑い返した。「ああ、久しぶり」
心の中で身構えていた。視界の片隅で何故か麻耶さんが眉を顰めたのに気が付いた。
「まさか酒飲んでないだろうな。阿佐宮」
織田島先生はあたしに笑いかけた。
「もちろんです。匠くんから言われてますから」
真顔であたしは答えた。愛想笑いなんてしたくなかった。
「そうか」あたしの返答に織田島先生は頷いた。
「なあに、教師と生徒みたいね、何だか」
暢気な顔の御厨さんが口を挟んだ。
織田島先生が肩を竦めてみせた。
「教師と生徒なんです」
「へ?」御厨さんは帰ってきた答えに素っ頓狂な声を上げた。
「織田島さんは萌奈美ちゃんが通っている高校の先生なんです」
麻耶さんが説明した。織田島先生の名を口にした時、麻耶さんの言葉の中に微かに厭うようなニュアンスが滲んでいるような感じがした。何故かは分からないけど。
「えええ、そうなんだ」
御厨さんはそんなことあるのかっていった感じで驚いていた。織田島先生は御厨さんに柔和な笑顔を見せて答えた。
「ええ。本当に奇遇なんですけど」
それから、織田島先生は麻耶さんに視線を向けた。
「どうも、久しぶり」
麻耶さんと織田島先生は面識があるみたいだった。あ、そうか。すぐに納得した。麻耶さんも織田島先生も市高の出身だし、麻耶さんは匠くんの妹なんだし、織田島先生は匠くんの友人らしかったので、二人が知り合いであってもおかしくはなかった。
「お久しぶり」
返事をした麻耶さんは言葉こそ丁寧だったけど、そこには何故か厭わしさが籠もっているように感じられた。麻耶さんの織田島先生に対する態度には、拒絶の態度が表れているように見えた。それは多分気のせいじゃないってあたしは感じた。
二人の間には何だか妙に緊張した空気が漂っていた。
麻耶さんと視線を合わせた時、織田島先生が皮肉っぽい笑みを浮かべたように見えた。だけどその笑みは一瞬ですぐ掻き消えてしまった。
そして織田島先生はまた匠くんの方を向いた。
「まあ、友人なんで信頼はしているつもりだけどな」
織田島先生はおもむろに言った。
「一応教え子なんで、くれぐれも節度あるお付き合いをお願いするよ。分別ある大人としてのね」
匠くんにそう言ったのだった。何だか嫌味っぽい笑いを浮かべながら。
「それにしても」
織田島先生は更に続けた。
「相変わらずヤなヤツ」
そう言った織田島先生ははっきりと匠くんを見ていた。
あたしは気色ばんで立ち上がりかけた。ガタンって椅子が大きな音を立てた。その音は重なって聞こえた。
音がした方を向くと、椅子を蹴立てて立ち上がっている麻耶さんの姿があった。
麻耶さんも怒りを顕わにして織田島先生を見ている。
一瞬、しん、とこの空間が静止したように感じられた。
張り詰めた静寂を破ったのは織田島先生だった。
「じゃ、な」
皮肉めいた笑みを浮かべたまま匠くんを横目で一瞥して、踵を返してお店の出口の方へと姿を消してしまった。
「何なのあれ?」
少しして、御厨さんが呆気に取られたように呟いた。
気になって匠くんを見つめた。織田島先生が言った言葉の真意が分からずに、匠くんは戸惑った顔で立ち尽くしていた。
織田島先生を許せない、っていう思いがあたしの中に湧き立っていた。麻耶さんも同じ気持ちなのか、怒りを顕わにした顔で織田島先生の消えた方角を見つめ続けていた。
「どうしたんだ、織田島?」
飯高さんが近づいて来て匠くんに話しかけた。
「いや、分からない」
匠くんは呆気に取られた様子で答えていた。

◆◆◆

織田島先生が波紋を起こして一人帰ったあと、何となく気まずい雰囲気がしばらく拭えず、あたし達はいまひとつ盛り上がれないまま喋っていた。
やがて予約していた時間が過ぎて、みんなでお店を出た。
大半がこの後二次会へ流れていく気配だったけど、匠くんはあたしが遅くなるといけないので帰る、って九条さんに伝えていた。あたしは一人で帰るからって匠 くんに言ったんだけど、匠くんは送ってく、って言って譲らなかった。挨拶をしてみんなと別れた。麻耶さんも二次会に流れていったので、あたしと匠くんは二 人で駅に向かった。
別れ際に九条さん達がまた会おうねって誘ってくれて、御厨さんも今日はごめんね、またお話ししたいな、って言ってくれた。九条さんを始め、今夜会った匠く んの親しい人達に、あたしは好感を抱くことができた。御厨さんに対しても麻耶さんのフォローもあって、最初に感じた抵抗感っていうか苦手意識は薄らいでい た。
「ごめんね。退屈だったでしょ」
匠くんは歩きながら申し訳無さそうに謝った。
「ううん。そんなことなかったよ」
匠くんの仲のいいお友達と知り合うことが出来たし、「飲み会」にしても、ああいうグループっていうか集団の関係にしても、いままで経験したことの無かったことなので興味深かったし、意外と楽しむことができたし面白かった。

「ねえ、匠くん」
気になっていたことを口に出した。
「織田島先生と友達なの?」
先生の言動はどう見ても友人っていう間柄のものには思えなかった。
匠くんは唐突な質問に一瞬びっくりしたような顔をしたけど、すぐに真顔になって考え込んだ。
「・・・特別仲がいいとかじゃなかったな。市高の時共通の友人がいて、同じグループにはいたんだけど。二人だけで話したりとか、そういうのは言われて見れば特に無かった気がする」
やがて匠くんが言った。
ふうん。あたしは相槌を打った。何となく奇妙な感じがした。特に親しくもなかったようなのに、じゃあ何で織田島先生はあんな風に匠くんを嫌っているようなことを言ったりしたんだろう。織田島先生の態度は何だか理不尽じゃないか、ってあたしには思えた。
匠くんもあたしに言われて、改めて奇妙に思っているみたいだった。
「ごめんなさい、変なこと聞いちゃった」
あたしは謝った。もやもやした嫌な気分が残りそうなのでこの話は終わりにしようって思った。
匠くんは、うん、別に、って言って笑った。
「そう言えば」あたしは話題を変えた。
「匠くん、さっきあたしのこと呼び捨てにしてたよね」
匠くんも思い出したように「あ」と口を開けた。
「ごめん」
別に嫌な訳じゃなかった。
「ううん、嫌とかそういうんじゃなくて。何であの時呼び捨てにしたのかなあって思って」
「うん・・・あの時は、あの場でちゃん付けで呼ぶと、何だかよそよそしい気がして、それで」匠くんは済まなそうに説明してくれた。
「別に怒ってないよ」
笑って言った。
「あたしもよそよそしい気がするもん。匠くんにいつまでもちゃん付けで呼ばれるの」
うきうきした気持ちで匠くんに伝えた。
「呼び捨ての方が匠くんの彼女って感じがするから。だから、ただ、萌奈美、って呼ばれる方がいいな」
あたしがそう言ったら、匠くんは少し照れたみたいだった。それから頷いて「うん、分かった」って言った。

あたしは武蔵浦和まででいいって言ったんだけど、匠くんは遅いからって言って結局西浦和まで一緒に来て、家のすぐ傍まであたしを送り届けてくれた。
駅からの人通りのないひっそりとした夜の道を、他愛の無い話をしながら二人で歩いていると、しんと静まり返ったこの夜の世界が何だか二人だけのものであるかのような気がして嬉しかった。
家まであと数メートルのところであたしと匠くんは向かい合っていた。
「じゃあ、またね」
匠くんが言って、あたしは頷いた。
「どうもありがとう。今日は楽しかった」
「ほんと?それなら良かった」
あたしの言葉を聞いた匠くんはほっとしたように笑った。
あたしがもう一度頷いたら、匠くんは「じゃあ、おやすみ」って告げた。
本当はもっと匠くんと一緒にいたいって思っていたので、匠くんの言葉を少し寂しく感じながら、「おやすみなさい」って返事をした。
匠くんはあたしが家に入るのを見届けようと思っているらしくて、その場に立ったまま動かなかった。仕方なくあたしは匠くんを何回も振り返りながら家の門扉をくぐり、玄関の鍵を開けて家に入った。
玄関のドアを閉める時振り返って匠くんに手を振ったら、匠くんも笑って手を振り返してくれた。
段々と閉まっていくドアの隙間に見えていた匠くんの姿は、やがてガチャン、って冷たい音を立てて閉じた玄関のドアに完全に遮られてしまった。
その冷たい響きはさっきまで幸せだったあたしの気持ちまで切り裂いたかのようで、玄関の上がり口に佇んだまますごく物悲しい気持ちに襲われた。

◆◆◆

ベッドに寝転がって、ぼんやり天井を見ていた。
布団の上に開いたまま放ってある携帯を手に取って時間を確認する。もうさっきから何回も同じことを繰り返してて、その度になかなか進まない時間をもどかしく思っていた。
携帯の画面は午後9時50分を表示していた。10時まであと10分あった。あたしはそれを「まだ」10分もある、って感じていた。10時を過ぎたら匠くんに電話をかけようって決めていた。
匠くんと別れてからずっと胸の中がしんとして寂しかった。
帰宅してからリビングのパパとママにただいま、って告げ、すぐにお風呂に入り、歯を磨いた。その間ずっとあたしの心はぽっかりと隙間が空いたままだった。
どうしてだろう、って思った。自分のことなのに不思議でたまらなかった。自分が自分じゃなくなったような感じがした。
匠くんと会えば会うほど、その時間が長ければ長いほど、匠くんの声を聞けば聞くほど、さよならをした後、話し終えた後にはとても大きな寂しさが襲って来て、切なくなった。
或いはそれが恋っていうものなのかな?
あたしはまた携帯を見た。9時53分から54分に表示が変わった。とうとう待ち切れなくなって、呼び出してあった匠くんの携帯の番号へと電話をかけた。
密やかなコール音が二回、三回って繰り返される。携帯を耳に当てて息を詰めるようにあたしは待った。
何回目かのコール音が途中で切れた。思わずはっとして身体を緊張させた。
「もしもし」
匠くんの声が問いかけて来た。その一言を聞いただけで、心の中が潮が満ちるように潤い満たされるのを感じた。
「匠、くん」
名前を呼ぶあたしの声は微かに震えていた。
「萌奈美?」
あたしの声の調子に気付いた匠くんはあたしの名を呼んだ。それは甘く蕩けるように胸に響いた。
「うん」
胸がいっぱいで頷くだけしか出来なかった。
「どうか、した?」
匠くんの声は少し心配そうだった。
「ううん」深く呼吸してから謝った。
「ごめんね、10時になる前に電話しちゃった」
「いや。別にそんなきっちり10時になってから電話しなくたって構わないよ」
いつものあたしの声に戻って安心したのか、匠くんは笑いながら答えた。
「うん」あたしは頷いた。
「何だか、待ち切れなかったの」
不思議そうに匠くんに聞き返された。
「どうして?」
「わかんない。でもね、自分でも不思議なんだけど、匠くんと会った後はいつも、会う前よりもっと会いたくなる。電話を切ると電話をする前よりもっと声が聞きたくなる」
少し途方に暮れた気持ちで説明した。
あたしがそう話すと、電話の向こうで匠くんは、ああ、って頷いたみたいだった。
「うん。分かる。僕もそうだよ」
匠くんはそう言った。
「え?」あたしは聞き返した。
今、匠くんは「僕もそうだよ」って、確かにそう言った。
匠くんもあたしと同じ気持ちでいるってこと?あたしが匠くんに会いたいって思うように、匠くんもあたしに会いたいって、今思ってくれているんだろうか?
「ほんとに?」あたしは聞き直した。
「ほんとだよ」匠くんは照れくさそうな声で答えた。
「今日、萌奈美と長い時間ずっと一緒にいたのに、さっきまで会っていたのに、もう萌奈美に会いたいって今もすごく思ってる」
何だか涙が出そうなくらいに嬉しかった。でも、それと同時に匠くんの気持ちが分かって、たまらなく切なくなった。どうして今一緒にいられないんだろう?どうしてずっと一緒にいられないんだろう?すごく、すごく寂しかった。
「萌奈美?」
あたしが黙ったままなので、心配した匠くんが問いかけた。
「うん・・・会いたい。すごく」
途切れ途切れに言った。堪えていないと泣き出しそうだった。もし一度泣き出したら、自分の気持ちを抑えられなくなりそうだった。
「うん」
匠くんは少し困ったように相槌を打った。
「明日も会おう」
約束してくれた。
でもそれでも足りなかった。
「朝から、会いに行ってもいい?」
ほんとは今すぐにでも会いに行きたいのに。
「うん。いいよ」
匠くんは優しく応じてくれた。
匠くんはあたしに精一杯の優しさをくれる。でも、もっと欲しくなる。匠くんの優しさを全部独り占めしたくなる。匠くんの全部をあたし独りのものにしたくなる。
自分の傲慢さに茫然となりながら、それでも荒れ狂うような自分の激しい思いをどうすることもできなかった。
堰を切って流れ出しそうな思いを何とか押し留めながら、震える気持ちを抱いたまま匠くんとの電話を続けた。
今日会った九条さん達のこと、御厨さんのこと、匠くんに貰った十字架のネックレスのこと、今、匠くんと話しているこの時間にやがて終わりが訪れることを恐れるかのように沢山のことを話した。
それでも全ての物事に終わりは訪れる。
電話している間中過ぎ去る時間が気になって、ずっと目覚まし時計の時刻を何度も何度も確認し続けていた。もう10分あと10分、そんな風に時計を横目で見ながら匠くんとの会話を引き延ばし続けていた。
あたしが言い出さなければ、多分匠くんはいつまででもあたしが話し続けるのに付き合ってくれる、って思った。でも、だからこそ、あたしから電話を終えないといけなかった。
裏腹な気持ちを無理やり押さえつけながら、話を締めくくった。
「じゃあ、明日行くから」
努めて明るい声で伝えた。
「うん」
匠くんは頷いた。
「朝から行くからね」
「うん。分かった」
「ちゃんと起きられる?」
「多分」
あたしは笑った。
「寝てても別にいいけど」
「そう?」
「うん。起きるまでチャイム鳴らし続けるから」
澄ました声で言う。
「それはちょっと困るかな。他の部屋から苦情が来るかも」
電話の向こうで顔を顰(しか)めた匠くんの顔が思い浮かんだ。
声を立てて笑った。
「それじゃあちゃんと起きててね」
あたしが釘を刺すように伝えたら、「分かりました」って匠くんの神妙な声が答えた。
「それじゃ、おやすみなさい」
本当は絶対に言いたくない言葉を、それでも自然な感じに聞こえるように注意しながら、告げた。電話は顔が見えなくて良かった。声はなんとか平静さを装えたけど、そう告げる自分の顔は多分悲痛な気持ちが、隠しようも無く顕わになってしまっているに違いなかったから。
「うん。おやすみ」
匠くんの返事が聞こえた。
ひっそりと息を潜め、携帯を耳に押し当てたまま電話の向こうに耳を澄ませた。
少しの沈黙の後、電話が切れてツーツーっていう音が響いた。
のろのろと携帯を切った。
何だか茫漠とした砂丘に一人取り残されたかのように感じられた。この世界にあたし独りしか存在していないような気がした。
ぽっかりと何かが零れ落ちてしまった気持ちのまま、視線を泳がせた。机の上に載っている小箱が目に止まった。
ベッドから降りて机に向かい、小箱を開いた。中に大切にしまってあるネックレスの金と銀の二つの十字架に触れてみた。
その瞬間に激しい寂しさがあたしの全身を呑み込んだ。堪(こら)え切れずに、悲しみを溢れさせて激しく泣きじゃくった。
深まる夜の中で、独りきりで身を竦ませて立ち尽くした。
 


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