【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ Gift 第3話 ≫


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高島屋タイムズスクエアと新宿サザンテラスを結んでいる、JRの架線上を渡っているデッキのベンチにあたしと匠くんは並んで座っていた。
陽は大分傾き、デッキ上に高層のビルが大きく影を落としていた。薄墨を流したような微かな暗さが周囲をぼんやりと霞ませている。昼の眩しい世界は既にその明るさを失って、もうすぐ漆黒の夜の空間に変わろうとしている間(あわい)の一時。
あたしはもう泣き止んでいたけれど、まだ心にはさざ波が立っていた。身動きするとそのさざ波が大きな揺れになって、コップの水が零れ出るように、堪えてる感情が溢れ出してしまいそうな気がしてただじっと座っていた。
匠くんもあたしに合わせて隣で座ってくれていた。
唐突に匠くんが口ずさんだ。
びっくりしたあたしは顔を上げて匠くんを見た。

君が僕を疑ってるなら この喉を切ってくれてやる

あたしが目を丸くしていると、匠くんはあたしを見て口元を緩めた。
「・・・なんてね」
ミスチルの歌の曲名を、あたしはすぐに思い浮かべた。匠くんと一緒に何回も聴いた。匠くんの大好きな曲。ミスチルの曲の中で匠くんが一番大好きな曲。それを知ってるから一人の時にも何十回も繰り返し聴いた。歌詞を見ながら口ずさんだ。あたしも大好きな曲。
匠くんの顔を見たまま、ぱちぱちと目を瞬(またた)いた。
「本当には無理だけど」
匠くんはおどけたように言った。それはそうだよ、って思った。
「大切な物って何だろうね」匠くんに聞かれた。
「え?」
すぐには歌詞の続きのことだとは分からなくて聞き返した。
「大切な物をあげる、って、何をあげたんだろう」匠くんが言った。
大切な物。胸の中であたしも繰り返した。
それは例えば、人生?一緒に時を過ごして、自分の時間を捧げるっていうこと?
「僕もあげられるかな」
ビルに切り取られた夕陽を、目を細めて見上げながら匠くんは呟いた。
「大切な物」
自分に問いかけているようにあたしには思えた。

大切な物。
それって多分目には見えないんだろうね。手でも掴めない。だからこそきっと大切な物なんだよ。それは見えもしないし触れることもできないけど、それでもそ れはちゃんとある。すごく脆くて儚(はかな)くて、すぐに見つからなくなってしまうし、時にはそれは失くしてしまったまま、二度と戻ってこない。だからこ そとても大切なんだね。
匠くんはそれを気付かせてくれる。見えないし触れないけど、あたしの中にちゃんとある大切なものの在り処を、匠くんは一緒にいると気付かせてくれる。あた しが忘れそうになったり、見つからなくなったり、失くしそうになったりしても、匠くんと一緒にいるとちゃんと気付くことができる。
匠くんはいつもあたしに大切なものをくれてるよ。ちゃんと。あたしの中に。「Gift」の歌詞にあるように。

いつまでも胸の奥で ほら ひかってるんだよ ひかり続けんだよ

あたしはあたしの中が温かいもので満たされるのを感じていた。
「匠くん」
名前を呼んだ。匠くんがあたしの方を向いた。
「ごめんなさい」
匠くんの瞳を見つめて言った。
匠くんはちょっと首を傾げた。少し困った風に。
「匠くん」
また名前を呼んだ。
匠くんは首を傾げたまま、あたしの瞳の中にあたしの言葉の意味を見つけようとしてじっと見つめている。
「ありがとう」
そっとあたしは呟いた。匠くんの瞳を見つめたまま。あたしの瞳の奥に映っている気持ちを匠くんの瞳に届けようって思いながら。微笑みながら。
匠くんは頷いて、そして笑った。
「よかった」
匠くんは呟いた。
あたしも呟いていた。胸の中で。
よかった。ちゃんと伝わってるよね。
あたしと匠くんはどちらからともなく、手を繋いだ。匠くんの手はぽかぽかとして暖かかった。繋いだ手だけじゃなくて、あたしの心まで温かくしてくれるんだよ、匠くんの掌。
「行こうか」
匠くんは立ち上がって、繋いだあたしの手を引いた。
「うん」
頷いてあたしも立ち上がった。
デッキを渡りながら、あたしは繋いだ手を見つめた。
「ねえ、匠くん?」
「ん?」
呼びかけると匠くんが顔を向けた。
「あのね、あたし、これからも詰まらない意地張ったり、それとか、ヤキモチとか焼くかもしれないけど、そうしたらごめんね」
「うん、分かった」
匠くんはあっさり答えた。何だかあんまりあっさりし過ぎていて、はぐらかされたような感じさえした。顔を上げて匠くんの表情を確認したくなった。
「それじゃあ、僕も先に謝っといた方がいいかな」
匠くんが言った。先に謝るって、何を?視線で問い返した。
「僕も、ヤキモチ焼くから」
あたしは口の動きだけで、え?って聞き返した。
匠くんがヤキモチ?そんなことあるのかな。上手く想像できなくて、ぽかんとした顔で匠くんを見ていた。
「そんな事、あるのかな?」
あたしが聞き返したら、匠くんは「あるよ」って答えた。
「だって、萌奈美ちゃんのこと大好きだから」
あたしは目を丸くした。匠くんは照れて笑った。
匠くんが時々見せる、はにかんだように笑った顔が大好きだった。
すごく嬉しかった。何だか匠くんにくっ付きたくなって、繋いでいる方の匠くんの腕を両手でぎゅう、って力いっぱい抱き締めて、匠くんにぴったりひっ付いて歩いた。匠くんは歩きづらそうで苦笑したけど、あたし達はそのまま歩き続けた。

◆◆◆

日が延びつつあるとは言っても、午後6時過ぎともなるとすっかり空は漆黒に塗り替えられていた。でも地上ではそんなこと一向に意に介さないで、幾色もの鮮やかなネオンが新宿の街を明るく照らしている。
週末の新宿の夜はいよいよ人の往来が増えている感じで、むしろ昼間より賑わっている気がした。
匠くんとあたしはあれからずっと手を繋ぎ合って時間を過ごし、今も手を繋いだまま約束したお店が入っているビルの前までやって来た。
本当に新宿駅の東口に出てすぐ目の前っていう立地だった。匠くんは前に来たことがあって、お店は地下一階なんだ、って話しながら階段を下りていった。
お店に入るとすぐの所にお店の人が立っていて、あたし達を見て素早く近づいて来た。あたし達はそれとなく繋いでいた手を離した。
「多分、九条で予約してあると思うんですけど」匠くんが伝えた。
店員さんはレジの所で何か確認して、笑顔で「どうぞこちらです」って告げて先に立って歩き出した。あたし達は後に続いてお店の中に歩き出した。
お店の中はかなり奥が広いように思えた。全体的に暗く落ち着いた感じで、間接照明とスポットライトで照らされていて、お洒落でムードがあった。高校生のあ たしはこういうお店には縁がなかったので、物珍しくてきょろきょろ辺りを見回しながら進んだ。こういうお店でデートしたら素敵だろうなあ、なんて思ったり した。
何度かお店の人とすれ違う度、いらっしゃいませ、って丁寧な挨拶をされて、あたし達は何となく会釈した。礼儀正しくて良い印象をあたしは抱いた。
お店の中へ進んでいくと、一角からざわめいた声が聞こえて来た。あたし達を先導して店員さんはそちらへ向かって進んで行く。
その一角はまだ席が定まっていないようで、座って話している人達もいれば、立ったまま輪を作って話している人達もいた。人数は結構多くて2、30人はいそうだった。
不意に「佳原」って匠くんを呼ぶ声が聞こえた。
視線を向けると何人かの男性が輪を作っていて、その一人が匠くんに向かって手を挙げていた。匠くんも「ああ」って呟いた。
「こちらです」ってお店の人が告げると、匠くんはおざなりな感じで「どうも」って返事をして、その男性達の方へ向かって歩み寄った。あたしもお店の人に急いで「どうも」ってお辞儀をしてから、匠くんの後ろに遅れないように付いて行った。
「よっす」
「どーも」
匠くんに向かってくだけた感じの挨拶が飛んできた。
匠くんも「どうも」って気のない返事を返した。
何だか慣れない感じで、あたしは奇妙なものを見るようにそのやりとりを眺めていた。でもすぐに男性達の視線が自分に集まるのを感じ、居心地の悪さを覚えた。
匠くんも視線に気付いて、背後に隠れるようにして身を竦ませているあたしを隣に立たせた。
「こちら、阿佐宮萌奈美さん」改まった感じで匠くんが紹介してくれた。
「初めまして。阿佐宮萌奈美です」
名乗ってぺこりとお辞儀をした。
頭を上げてもあたしは気恥ずかしくて視線を下に向けたままだった。何だかひそひそとした呟きが聞こえたけど何て言ってるのかは分からなかった。
「紹介するよ」
匠くんの声に、顔を上げて匠くんを見た。
「大学時代の友人で、彼が九条」
匠くんが紹介してくれた人の方へ顔を向けた。
その時あたしは初めて九条さんっていう人の他、一緒に話していた人達があたしを見たまま一様に言葉を無くしているのに気が付いた。でもそれは匠くんの知人と初めて顔を合わせた時に、既に何回か経験していたことなので気になったりはしなかった。
「あの、初めまして」
九条さんに向かって、あたしはお辞儀をした。
「あ、ああ」九条さんはやっと我に返ったように口を開いた。
「どうも、初めまして九条大悟(くじょう だいご)です」九条さんは慌てたように頭を下げた。
この人が匠くんの話していた九条さんなんだ。上目使いで九条さんを伺った。
九条さんは名乗った後もまだ唖然とした様子であたしを見ていた。
「おい、九条」見かねたのか匠くんが声をかけた。
九条さんは、はっとしたように匠くんの方を向いて口を開いた。
「・・・いや、何て言うか・・・」
あたしは自分の方から言うことにした。
「驚きました?あんまりそっくりで」
それから余裕たっぷりって感じで、にっこり微笑んで見せた。
「あ、うん」
九条さんは少しうろたえた様な感じで頷き返した。
「知ってるんだ」
「はい」笑顔のまま頷いた。
「だって、それで匠くんと知り合うことが出来たんですから」
そう言って匠くんを見たら、匠くんは同意するように頷いてくれた。
「まあ、ね」
「そうなんだ」
九条さんは納得したようで、やっと落ち着きを取り戻したように見えた。
「それにしても驚いたな。ホントにうり二つっていうか。むしろ君をモデルにして匠が絵を描いたようにさえ思えてくる」
改めてあたしをまじまじと見て、九条さんは感嘆したように言った。
「なあ」
九条さんが周りの人達を振り向くと、周りの人達も一様に頷いている。
「それ位でいいだろ」
匠くんは割って入るように九条さん達に向かって言った。それからあたしに他の人達を紹介してくれた。
九条さんと一緒にいた三人の男性は、皆大学の時の友達だって匠くんは教えてくれた。三人は漆原雄一(うるしはら ゆういち)さん、竹井朋文(たけい ともふみ)さん、飯高伸夫(いいたか のぶお)さんっていう名前だった。あたしは三人と挨拶を交わした。
「いやあ、俺、匠の描く女の子のファンだったんだよな。まさか実在するとは思わなかった」
漆原さんって人が畳み掛けるように話しかけて来て、その勢いにちょっと気押されて「はあ」って曖昧に相槌を打った。
「こらこら。阿佐宮さんが怯えてるだろ」
身を乗り出すようだった漆原さんを九条さんが引き戻してくれて、胸の中でほっとしていた。
「ちっくしょう。できれば匠より先に巡り逢いたかった」
本気なのか冗談なのか漆原さんはそんなことを言って悔しがっていた。困ったように俯くしかできなかった。
「残念でした」
すかさずって感じのタイミングで匠くんが言った。
九条さんがくっくって笑いながら「匠、それ、かなり本気で言ってるだろ」って突っ込みを入れた。匠くんはどんな反応してるんだろうって思って、横目で匠くんの様子を確認したら、匠くんの横顔は何だか少し赤くなっているみたいに見えた。
「だけど匠の彼女がこんなに可愛いとは、ちょっとショックだよなあ。何処をどう探したらこんな可愛い彼女見つかるんだよ。しかも性格最悪の匠にっていうのがダメージ大きいよなあ」
大袈裟に九条さんに言われて、恥ずかしくて真っ赤になって下を向いた。
「てめえ、性格最悪ってどういう意味だよ」
匠くんが苦々しげに言い返した。
「阿佐宮さん」
名前を呼ばれて慌てて顔を上げる。
九条さんが匠くんの言葉なんて耳に入らないかのように涼しい顔でにこにこ笑いかけてきた。
「まあ、人付き合いは悪いし、性格も最悪のこんな奴ですがよろしくお願いします」
本気とも冗談ともつかない口調で言われ、呆気に取られて「あ、はい・・・」って答えた。
「だからそういうことを言うと誤解するだろうが!」
遂に堪忍袋の尾が切れたように、匠くんは九条さんに噛み付いた。
匠くんのこんな姿を見るのは初めてだったので、びっくりしてただただ呆気に取られてしまった。
「ま、いつものことだから」飯高さんって人がやれやれ、っていう面持ちであたしに耳打ちしてくれた。
あたしは「はあ・・・」って頷いた。いつものことなんだ・・・何だかすごく意外な光景だった。
話してみたら九条さんはとても人懐っこく笑う人で、よく通る声をしていた。話題も豊富で、打ち解けやすい雰囲気を感じさせてくれて、面識のないあたしでも すごく親しみやすくて、多分すぐ誰とでも打ち解けちゃう人なんだろうなあって、話をしながらあたしは思った。ただ、親しげな笑顔を浮かべながらも九条さん は、瞳の奥に時々人を探るような鋭さが光っているようにあたしには感じられた。でもそれもほんの一瞬で、すぐに親しげな笑みに掻き消えてしまい、あたしの 気のせいかな、とも思った。
さっき匠くんと九条さんが言い争いみたいなこと(親しい人達の証言からすると恒例のじゃれ合いってことだった。)をしている最中あたしに話しかけて来た飯 高さんは、すごく柔和な雰囲気で、ほっと安心できるような感じの人だった。竹井さんは何だかノリが良くて朗らかそうな人だし、漆原さんはちょっと癖があり そうで少し近寄り難いところがある感じだけど(九条さん達が言うには、オタクが入ってるってことだった)、みんな優しそうな人達で、あたしはほっと安心し ていた。

「そう言えば麻耶はまだ来てないのか?」匠くんが九条さんに聞いた。
「ああ。麻耶ちゃん、友達連れて来てくれるって言ってたから楽しみにしてるんだけどなあ」九条さんがお店の入り口の方に視線を向けながら答えた。
「おい、みんな、こうなったら麻耶ちゃんが連れて来てくれる友達に賭けるしかないぞっ」
九条さんが飯高さん達に檄(げき)を飛ばして、三人揃って「おおっ!」なんてよく分からない気勢を上げていた。
匠くんは九条さん達を白い目で一瞥してから、あたしの方に向き直って、「萌奈美ちゃん、ちょっと」ってあたしの手を引いて九条さん達から離れた。
途中、すれ違いざま幾人かから「佳原」「よお、匠」って声がかかり、その度に匠くんは「どうも」って挨拶を返していた。
匠くんに手を引かれながら、周りを見回して、匠くんて人付き合い良くないのに意外と知り合いの人多いんだなって思っていた。社会人たる者、幾ら人付き合いが悪いとは言っても、それなりの付き合いというのはあるものなのかな、やっぱり。
「どうも、こんばんは。お久しぶりです」
匠くんは奥の方でテーブルを囲んでいる人達に向かって改まった感じの挨拶をした。
「やあ」
席に座っていた、此の場に居合わせている人達の中では比較的年配の(多分40代くらいだと思う。)男の人が、気さくな笑顔を浮かべて匠くんに向かって返事をした。
「こんばんは」
その隣に座っていた女の人が続いて挨拶を返した。匠くんより少し年上だろうか。美人っていうのではないけれど、年下のあたしから見てもとても可愛らしい感じのする魅力的な女性だった。匠くんに向けられた微笑みが素敵で、あたしは少し胸がちりちりするのを感じた。
自分に視線が集まるのを感じて、タイミングを計って挨拶をした。
「はじめまして。阿佐宮萌奈美です」
さっきの匠くんの改まった口調から、多分匠くんがお世話になっている人達だって感じて、深々とお辞儀をした。自分では上手く挨拶できたと思う。
「こちらこそはじめまして。丹生谷俊哉(にぶたに としや)です」
変わらない気さくな笑顔を絶やさず、その男の人は丁寧な挨拶を返してくれた。
「こんばんは。御厨華奈(みくりや はな)です」
丹生谷さんの隣に座っている女性は、そう名乗って魅力的な微笑みをあたしにも向けてくれた。同性のあたしでもドキッとしてしまうほど愛らしくて素敵な笑顔だった。
「みんな佳原くんと同業なの」御厨さんが説明してくれた。同業ってことは、此処に居合わせている十名程の人達はみんなイラストレーターなんだ、ってあたしは思った。みんな独特っていうか個性的な雰囲気を持った人達だった。
匠くんが補足するように、ここにいるみんなは丹生谷さんが主宰している、イラストレーター仲間で作っている「Expossession」っていうグループに参加しているメンバーだということを教えてくれた。
「ふうん」
御厨さんがあたしに面白そうな視線を向けていた。あたしはその視線にまた、何だかちょっと居心地が悪くなった。
「あの、御厨さん」
あたしの心境を察してくれたように、匠くんが躊躇いがちに御厨さんに声をかけた。
「うん。ごめん。ちょっと見とれちゃった。ごめんね」
最後のごめんねは、あたしに向けられたものだった。あたしは、いえ、と返事をした。
「本当に絵から抜け出してきたみたい」
御厨さんはあたしのことをそう評した。
そういう言い方は余り気持ちのいいものではなかった。
「それにしても本当に可愛らしい方だね、佳原くんの彼女は」
そう言って丹生谷さんが冷やかすような視線を匠くんに向けた。可愛らしい、なんて言われてまたあたしは恥ずかしくなった。うー、匠くんの知り合いの人達でなければ早く逃げ出したい心境だった。
「さすが噂されるだけはあるね」
匠くんは不満げな顔をしながら、それでも敬語で言い返していた。
「だから、何ですか、その噂って。やめてくださいよ」
「ああ、悪い悪い」
ちっとも悪く無さそうな口振りで丹生谷さんは謝った。
「でも彼女いない歴26年の佳原君に、遂に彼女が出来たという情報が瞬く間に流れてね。これは一目見ない訳にはいかないなあ、と思ってね」
からかい口調たっぷりで丹生谷さんは匠くんに答えた。
匠くんが我慢し切れないようにこめかみを押さえた。苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「それでわざわざ今日来たんですか」
「もちろん」御厨さんは力強く頷いた。
「わざわざ来た甲斐あったよ。こんな可愛らしい彼女にお目にかかることが出来て」
そう言って御厨さんはあたしを見て満足そうに微笑んだ。余りにも面と向かって言われて、顔を真っ赤にしながらもじもじしていた。

その時、飯高さんの声が聞こえて来た。
「やあ。織田島(おだじま)、久しぶり」
誰かが到着したみたいだった。織田島?聞き覚えのある名前だった。
匠くんが隣でぎくりと身体を硬くしたのが分かった。匠くんを見たら強張った表情をしていた。
「匠くん?」
あたしが名前を呼んだら、咄嗟に匠くんはあたしを身体の陰に隠すようにした。
「ど、どうしたの?」
ちょっと驚いて匠くんを見上げた。
匠くんが「まずい」って呟いた。そして「織田島が来た」って小声で言った。
やっぱり。誰が来たのか理解した。織田島先生が来たんだ。考えてみれば織田島先生は匠くんの高校の時の友達だし、現れても不思議でも何でもないかもって思った。
飯高さんが名前を呼んでいたところからすると、織田島先生は飯高さんとも知り合いのようだった。(後で聞いたんだけど、飯高さんと漆原さんも市高のOBで、二人は匠くんと高校時代からの付き合いなんだって。どおりで織田島先生と知り合いな訳だ。同級生なんだもんね。)
何だか匠くんはひどく狼狽していた。
そう言えば・・・あたしは思った。匠くんはあたしと匠くんの仲が、織田島先生に知られているのを知らなかったんだった。
あたしは平然とした顔で匠くんに伝えた。
「匠くん、大丈夫だよ。織田島先生、あたしと匠くんのこと知ってるから」
「え?」
匠くんはあたしの言葉に愕然としていた。
「な、何で?」
「よく分かんないんだけど、あたしが学校で春音達と話してた時に匠くんのこと言ってたみたいで、それを織田島先生聞いてたみたい。それで気が付いたんだっ て言ってた。あと、最初に匠くんと連絡取ろうとしてた時、織田島先生に匠くんの連絡先を教えて貰ったでしょ?それもあったみたい」
織田島先生に以前言われた話を、あたしは匠くんに伝えた。
「そ、そうなの?」
匠くんは信じられないって感じで聞き返した。
あたしが頷くと、「それで、どうするって言ってた?」って眉を顰めてあたしに問いかけた。
「別にどうもしないって。ただ確認したかっただけだって言ってた」
あたしがその時織田島先生に対して抱いた感情までは打ち明けずに、あたしは先生が言っていたことを話した。
「実際、その後も全然学校で問題になってないし。だから大丈夫だよ」
匠くんを安心させるつもりであたしは言った。
匠くんはやっと肩の力を抜いて、引き寄せていたあたしの身体を離した。
匠くんがまだ強張っている面持ちで織田島先生の方を振り返った。あたしも匠くんと一緒に織田島先生の方へ視線を向けた。
飯高さん、漆原さんの二人と話していた織田島先生は、あたし達の視線に気付いたのか、突然こちらを向いた。匠くんが緊張するのが分かった。あたしも織田島先生に視線を向けられた瞬間どきっとしていた。
でも織田島先生はあたしと匠くんのどちらにともなく、軽く笑みを浮かべただけで、また飯高さん達に向き直り話し始めた。
匠くんがほっとしたように肩の力を抜いた。でもあたしは織田島先生が浮かべた笑みに何だか嫌な印象を抱いていた。

まだ麻耶さんが到着していなかったけど、予約していた時刻になったので九条さんの仕切りで飲み会というものが始まった。(因みにあたしは飲み会って称されるものに参加するのはこれが初めてだった。そもそも高校生なんだから当たり前なんだけど。)
あたしは匠くんの隣にちんまりと座って、ウーロン茶を飲んでいた。匠くんが甲斐甲斐しく大皿に載った料理を小皿に取ってあたしの前に置いてくれた。九条さ ん達はそれを興味深そうに、或いは面白そうに見ていた。(後であたしは九条さん達から「あんなことする匠は今迄見たことがない」って聞かされた。)
たまにあたしにお酒を勧めようとする人がいて、それを匠くんが「彼女、未成年だから」って断ってくれた。「固いこと言うなよ」って相手が言うと「駄目なも のは駄目だ」って断固とした口調できっぱりと匠くんは断った。少し保護者然とした感じがしないでもなかったけれど、匠くんに守られてる感じがして、内心 ちょっと嬉しく思った。


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