【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Home Sweet Home(4) ~つよがり(4)~ ≫

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大分時間も経って、そろそろお開きも近いかなって考えてた。
ふと、話が途切れて、何を喋ろうか話題を探していた時。
「それにしても――」
映美ちゃんがポツリと口を開く。あたしと華奈さんは何だろうって思い、耳を傾ける。
「麻耶が匠から卒業できて本当によかったよ。一時期はどうすんだろうって心配したんだから」
いきなり映美ちゃんはとんでもない話題をブッこんできた。
「な、な、なー?」
あまりに突然だった。まさか映美ちゃんがあたしのひた隠しにしてた気持ちを知ってたなんて思ってもみなかったし、華奈さんを前にしてのこともあって、何も誤魔化せずにただ狼狽するしかなかった。
「何パニクってんのよ。今更隠すことでもないでしょー」
人の社会的には絶対に明かしたくない秘密をさらっと暴露しながら、映美ちゃんはケロリとしている。
「だ、だけど…」
実の兄に恋愛感情を抱いてたなんて、どう思っただろう?殊に映美ちゃんは、幼い時分からあたしと匠くんとよく見知った間柄だ。
「正直引かなかった?」
「何で?AVでよくあるシチュエーションじゃん」
事も無げに映美ちゃんは言う。おおっ、流石は映美ちゃん、懐が深い。何てことないって感じで、微塵も動揺していない。
ではあるんだけど、依りにも依ってそんなん引き合いに出されてもねー。何かすごいいかがわしい感が強まるんだけど。
「いやー、いつ禁断の世界に足を踏み入れるのかって、ちょっと期待してたんだけどなー」
おい、近親相姦を期待してたってか?人が許されない想いを抱えて、どうしていいか分かんないくらい悩んでたっていうのに、この人はそれこそドラマでも観てる感覚で面白がってた訳か。ほんの一瞬、殺意めいた感情が胸を掠めた。
「映美さん、知ってたんだ」
華奈さんが意外そうに言う。
「あ、華奈さんも?」
華奈さんの言い方で、映美ちゃんも気付いて目を丸くする。華奈さんはニコリと笑って肯定した。
華奈さんはね、折に触れて何かと端々に匂わせてたから、ずっと気付いてるんだろうなーとは思ってた。何処まで気付いてるのかなっていうのはあったけど。でも、まさか映美ちゃんも知ってたとはね。全然バレてないってずーっと思い込んでたよ。
「だからさ、何でも相談しなさいよ」
そう映美ちゃんが言う。ああ、そうか。そうだね。何でもね。
「うん。何だって相談乗るわよ」
華奈さんもそう言ってくれる。
「あたし達にだったら、何も隠す必要ないんだから」
華奈さんの言葉が胸に染み込む。あ、何か温かい。
「ありがとう。映美ちゃん、華奈さん」
「いいってことよ」
だから、何で江戸っ子みたいなの、映美ちゃん。思わず笑っちゃうじゃない。
「麻耶ちゃんに恋人が出来たって聞いて、ああ、いよいよ思い切れたんだなって安心したんだ」
華奈さんの穏やかな声が響く。心配してくれてたんだって伝わって来る。
「今も話聞いてて、恋人のこと本当に好きなんだなって分かったし、交際も順調に進んでるって思った」
ああ、華奈さんにはバレてる。何で分かっちゃうんだろう。
「セックスだって、心も許してるんでしょ?」
真っ直ぐな問い掛けに、目を見て頷く。
そうだよ。尚吾には身体だけじゃない。心まで委ねてる。委ねられる。尚吾にだったらいいって思えたから。それでよかったんだって今も思う。何も何一つ、躊躇も後悔もない。
そう言い切れる。
それなのに。それでも。
「それでも、考えられないんだね」
気落ちしたかのような華奈さんの声。しくり、と胸が痛む。
考えられないのは、尚吾とのこれから。そして、あたし自身の未来。
今っていう時間があまりに愛しくて。

あたしの心の中の深い場所に、消え去ることなくずっと存在し続けている宝石の原石のような想い。
物心つく時にはもうあたしの中に芽生えてた素朴で幼いその想いは、あたしが成長すると共に様々な感情の彩りを纏って、大きく育ってきた。気付いた時にはもうそれはあたしの中心で揺るぎないものになっていて、あたしという存在を形作る掛け替えのない一部分を為していた。無理に取り除こうとすれば、あたしの中にポッカリと消し去ることの出来ない穴が穿たれて、あたしを大きく損なわせて取り戻せなくしてしまうだろう程に。
その強い想いはだけど、その存在を明らかにすることは決して許されなくて、あたしは誰にも気付かれることのないよう、周囲の人間――友達、両親、そして、その想いを一番伝えたい筈の人にさえ知られないよう、奥深くに押し込めて覆い隠した。かつて眩しく煌めいていたその想いは、以降黒曜石みたいな昏い漆黒の輝きを帯びてあたしに取り憑き、あたしを急き立てては悩ませ、苦しめ、怯えさせるようになった。あの頃、消し去ることの出来ないその想いがただ厭わしくて、それから逃れたくて、そのためだったらあたし自身を壊してしまったっていいって思った。
結局どんなにその想いを否定しようとしても、その想いから逃れたくて何処か遠くに捨て去ってしまいたいって願っても、あたしの心の深い部分はそれをぎゅっと抱き抱えて、何があったって手離そうとはしなかった。何だか自分に裏切られたように感じながら、あたしはただ諦めと共にその想いを認めるしかなかった。
その想いを認めるしかなくても、だとしても許すことは出来ない。乾いた眼差しでただこれから先ずっと向き合っていくしかないんだろう。そう思ってた。
いつの間にか変わってた。まるでふと気付いたら冬が終わり、春の訪れがそこここに芽を出していたかのように。
あたしの中に穏やかに積もっている想い。
匠くんへと向けられた変わらぬ想いでありながら、今ここにあるのは、激情をもたらすものじゃなく、あたかも春の長閑な陽だまりに似て優しく照らしてくれるもの。
激しさや熱さはなくて、温もりと優しさがじんわりとあたしを温めてくれる。
傍にいてあの二人を見守っていると、あたしはとても優しくて幸せな気持ちになる。

心密かにあたしは願ってる。
「ずっとね、このままでいられたらいいなって思うんだ」
変わらずに、ずっとこのまま。
小さな声で呟く。映美ちゃんや華奈さんに伝えるつもりでもなく、ただ何となく口から零れ落ちてしまっただけ。
映美ちゃんは聞き漏らしたみたいで、え?って聞き直してきたけれど、華奈さんの耳にはしっかり届いたらしい。
「このままで、って佳原くんと萌奈美ちゃんと三人での暮らしのこと?」
あたしを見る華奈さんが眉を顰めているのが分かって、何も言わないままただ穏やかな笑みを浮かべた。
「ちょっと、麻耶」
焦ったような声が映美ちゃんの方から届く。
二人を慌てさせてしまったみたいだ。このまま何も言わないでいる訳にはいかないか。
「すごくね居心地いいんだ。匠くんと萌奈美ちゃんと、三人での生活が」
「それってどういう心境?」
さっぱり理解できないって顔で映美ちゃんが聞いてくる。
「匠くんと萌奈美ちゃんの邪魔をしたり、二人の間に割って入るつもりなんて全然ないよ」
全然ない、っていうと嘘になっちゃうかな。まあ、あんまり二人が仲睦まじくしてるトコ見せつけられれば、そりゃあたまにはちょっかいやらイジワルやらの一つや二つ、かけたくもなるってものでしょう。(萌奈美ちゃんは「何処がたまに!?しょっちゅうじゃん!」って口を尖らせるかも知れない。)
あんな風に匠くんと気持ちを通わせ合えるのなんて、萌奈美ちゃんを除いて他に誰もいない。匠くんがひたすらに求めるのは、萌奈美ちゃん唯一人だけ。匠くんの眼差しが追い求めるのは、萌奈美ちゃんだけ。誰もその視線を遮ることなんてできない。
誰も萌奈美ちゃんには敵わない。あたしでさえも。それを少しも羨ましくないっていったら嘘になる。
だけどね、匠くんと萌奈美ちゃんのことが大好きで、二人を応援したい、力になりたい、っていうのは嘘偽りのない本心だよ。
匠くんと萌奈美ちゃんが一緒にいられるように、二人が幸せでいられるように、協力したり、助けたり、あたしが力になってあげたいって、そう心から思ってる。
幸せな二人を見てると、あたしも嬉しくなるんだ。幸せな気持ちになる。
三人で一緒にいるのって、何だかすごくしっくりくる。匠くんと萌奈美ちゃんとあたし。三人であの部屋で暮らしていることが、今ではすごく当たり前のことに感じられる。もう三人じゃなかった時の暮らしなんて、どうしてたのか思い出せない。それくらい三人での今の生活が、あたしの中に馴染んで溶け込んでいる。
部屋に帰ると萌奈美ちゃんが笑顔で迎えてくれる。「お帰りなさい」「ただいま」そんなやり取りが極自然に交わされる毎日が、掛け替えのないものになってる。

萌奈美ちゃんとの関係は改めて考えてみると、なかなかに不思議な気がする。色々相談に乗ってあげたりアドバイスしてあげたり妹みたいに感じられる時もあれば、何てことのない他愛のない話でずっと話し込んじゃったりして仲のいい女友達のような時もあるし、かと思えば対等なライバルって思える時もある。八つも離れてるのにね。
萌奈美ちゃんが作ってくれる料理はいつも美味しくてとても楽しみだし、家の細々としたことまで目が行き届いてて、すっかりあの部屋になくてはならない存在になっている。あの部屋が萌奈美ちゃんの持つ穏やかで優しくてほっと寛げる雰囲気、萌奈美ちゃんのカラーに彩られてる、そんな風な感じがする。萌奈美ちゃんのいないあの部屋なんて、今では全然想像できなくなってる。
匠くんの隣に萌奈美ちゃんがいるのが、今ではすごく当たり前で自然に見える。っていうか、匠くんの隣に萌奈美ちゃんがいない光景の方が思い浮かべられない。本当、敵わないなあ、って思わず苦笑を浮かべずにはいられないくらい、萌奈美ちゃんと匠くんが寄り添っているのは必然に感じられる。あたしにとってもね。

「こじらせてんなあ」
「そーかな?」
映美ちゃんに呆れた顔をされる。自分ではちっともそんなつもりないんだけど。
「恋人のことはちゃんと想ってるんでしょ?」
どうにも納得し難いのか、念を押すかのように確認される。
うん、って頷き返してから、あたしなりの説明を試みる。
「何ていうのかな、違う種類の愛し方をあたしは持ってて、それがぶつかり合ったり対立し合ったりせず、あたしの中で無理なく共存してる感じ」
人間って――あたしっていう人間、と言うべきかな?――異なる相手に対して異なる愛し方が出来るんだって、そのことに気付いた。
あたしは、匠くんと尚吾、二人を異なる愛し方で愛せる。
匠くんを愛しながら、尚吾のことも愛することが出来て、その愛って別個の愛なんだよね。そんなの他人が聞いたら、ただの詭弁って言われちゃうかも知れないけど。
「代償行為じゃないのよね?」
華奈さんからも念押しされてしまった。
「違う、と思ってるけど」
あんまり二人から問い詰められて、ちょっと自信が持てなくなりそう。
尚吾に匠くんの代わりを求めたりしてない。あたしにとって尚吾は尚吾で、尚吾と一緒にいること、尚吾と過ごす時間に幸せを感じているし、尚吾とのセックスに悦びを覚える。尚吾と会っている時、あたしはちゃんと尚吾を見つめている。尚吾の背後に匠くんを透かし見ようとしたりなんてしない。
尚吾はあたしの心が尚吾一人だけに占められることがないのを知ってる。そう知りながら、許してくれてる。
本音では自分だけを見て欲しいって思う筈。それなのに尚吾は受け入れてくれる。
そんな尚吾にあたしは甘えてしまう。正直、申し訳ないなって思う。
「ねえ、その彼氏さ、当然だけど、麻耶の本当の気持ちっていうの?を知らないのよね?」
「ううん、知ってるよ」
心配そうに映美ちゃんが聞いて来るので、あっけらかんと答えてみせる。
「へ?」
思いがけない返答だったんだろう、映美ちゃんは間の抜けた声を上げる。
「話したでしょ、高校の一コ上の先輩って。同級だったから匠くんとも顔見知りなんだけど、尚吾って洞察力が高くてさ、しっかりバレちゃってんの」
カラリとした笑顔で、何てことのないように伝える。
「ええーっ?」
「それって彼の方は?」
ああ、やっぱり必要以上に心配させちゃったかなあ。それも無理ないか。
これで尚吾との過去の一部始終を話したりしたら、果たしてどうなるのか。そんなの危なっかし過ぎる。いつか二人とも傷付くに決まってる。そんな風に言われるかな。とてもじゃないけど全部は教えられない。
「尚吾は受け入れてくれてる」
だけど二人は不安を拭えないでいるようだった。
「受け入れるって言っても、そんなにすんなり割り切れるものかしら」
口では受け入れたって言ったって、そんなにあっさりと理解することも、すんなりと割り切ることも出来なくて、わだかまる感情が心の奥底に溜まって、何れ噴き出してしまうことになるんじゃないか。そんな懸念が華奈さんにはあるんだろうか。
だけど、尚吾は他の男の人とは違うから。一度あたしを傷付けて、もう二度と傷付けたくないって、そう思ってるから。自分がどんなに傷付いたとしても。
どうすれば二人を安心させられるかな。心からは無理だとして、気休め程度にでも。
顔を曇らせる二人に笑いかける。
「えーっとね、何か二人の不安煽っちゃったみたいだけど、尚吾との交際は何の問題もないからさ。安心してよね」
尚吾との交際にあたしは何の不安も持ってない。ただ、あたしの全部を尚吾にあげられないことに、少しの引け目があるのを感じるだけ。
華奈さんは目を細めて真意を探ろうとする。
「素直に信じていいのね?」
「うん。あんまり気掛かりなら、本当に一度尚吾に会わせるからさ」
一度会っとけば安心できるだろうし。
「そうね」
あたしのその言葉を聞いて、華奈さんはやっと表情を和らげた。
「近いうちにでも会わせてもらおうかな。あたしが知る限り、麻耶ちゃんが彼氏って公言する男性初めてだし」
そー言えばそーか。大学一年の途中からずっと決まった彼氏を作らずに来たもんなあ。
「あっ、だったらあたしも会ってみたいかも」
映美ちゃんも興味津々って顔で言ってくる。
まあ、あたしはいいけど。でも華奈さんと映美ちゃん、二人からああだこうだ追及されたら、いくら尚吾とはいえ逃げ出したい心境に襲われないだろうか。その点が少しばかり気掛かりにも思えた。

「今が幸せなのは間違いないのよね?」
最終確認でも取るかのような映美ちゃんの口振り。
こんなにまで心配してくれて有難いなあって気持ちと、それだけ心配かけてしまって申し訳ないなあって気持ちが入り交じる。
理解してもらえるか分からないけど、あたしの心の片隅にある気持ちを、きちんと伝えておこうって思った。
「あたしは幸せなのかなって思う。だって、匠くんの妹でなかったら、こんな風に匠くんの近くにいて、匠くんのことずっと見続けていられなかったって思うもん」
匠くんに密かに想いを寄せながら、だけどその想いが叶うことはなく、自分の気持ちを断ち切ったり諦めたりした人達を、あたしは知ってる。どんなに強く想ったって、決して匠くんが振り向いてくれることなんてない。栞ちゃん、小橋薫子。
「いや、それってむしろ不幸っていえるんじゃ?そもそも匠の妹に生まれたりしなければ、匠のこと好きになったり、そんな厄介な気持ち抱え込まなくてもよかったんじゃないの?」
映美ちゃんに呆れた顔をされた。成る程。そう言われればそうかも。
「やっぱりこじらせてる」
苦笑いを浮かべるしかない。
だけどどうなんだろう。幸せか不幸せかって、それを測るのって決して一つの尺度しかないってことじゃない。
小さい頃は、ヒロインと好きな男の子が結ばれないとハッピーエンドじゃないって思ってた。
だけど、今は幸せの形が一つじゃないって知ってる。
少なくとも今、あたしは幸せだよ。
「麻耶ちゃんにとって今が幸せなら、人があれこれ口を挟むこともないわね」
華奈さんがふっと小さく息を吐く。何だかその呟きは自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。グラスにそっと指を添えるその仕草は、何処か淋しそうに見えて。
「さっきも言ったけど、悩みなんて大層なものじゃなくてもね、何だっていいの、心の中に隠したりしないで欲しいな。あたしに、あたし達に話して欲しいって、そう思ってるからね」
いつだって受け入れオッケー。そんな感じで華奈さんが言う。
うん、って映美ちゃんも頷いてる。
見つめた華奈さんの瞳が語りかける。
だって、麻耶ちゃんが好きだから。
「ありがとう」
やっぱりあたしは幸せだって思うよ。こんなに素敵な友人がいてくれるんだもん。

思った以上に長居してしまった。
途中、あたしのことで微妙な空気になりはしたけど、その後は再びの映美ちゃんのエロ談義で綺麗さっぱり吹き飛んで、店を出る頃には三人とも酔いも手伝ってご機嫌な笑顔を浮かべていた。
「どーする?二軒目行く?」
まだまだ人通りの減らない夜の渋谷の街を、周りの迷惑も考えずに三人横に並んで闊歩していたら、華奈さんが聞いて来た。
うーん、あたしは全然構わないんだけど、映美ちゃんが絶対潰れるだろーな。そう思って少し迷う。
「てゆーか、華奈さんち行こーよ」
映美ちゃんが、はーい、って挙手をして意見した。これで華奈さんち行ったら、絶対お泊まりコースだ。初対面の相手の家に泊まろうとは遠慮の欠片もないな、映美ちゃん。きっと自分ちに帰るのが面倒くさくなっているんだろう。だけど光輝くんは?帰んなくていいの?
「別にいいけど。光輝くんは大丈夫なの?」
華奈さんも気になったんだろうね。若干呆れの交じった視線を投げながら確認する。
「大丈夫、大丈夫。一晩くらい、あたしがいなくてもばあばと一緒で過ごせるから」
などと調子よく答える映美ちゃん。
「それならいいけど…」
「よーし、決まり!そうと決まれば早く行こう!」
華奈さんの許可を取り付けるや、勢いよく拳を振り上げた映美ちゃんは一人ズンズンと歩き出す。いや映美ちゃん、貴女、華奈さんち何処か知らないでしょ。一体何処に向かうつもりか。
ここからならタクシーだね。どっか途中で酒とおつまみ買っていこう。華奈さんと相談し合い、先を歩く映美ちゃんに腕を絡めて回収すると、あたし達は駅前のタクシー乗り場へと向かうのだった。

◆◆◆

翌日、遅く起きたあたし達は順番にシャワーを浴び、簡単に作った昼食を食べた後、少しのんびりとした時間を過ごしてから、夕方になる前に華奈さんちを後にした。
別れ際、また飲もうね、今度は最初からあたしんち飲みでもいいよ、と映美ちゃんと華奈さんは約束を交わしてた。映美ちゃんと飲むのは場所を選ぶからね。華奈さんの判断は正解だと思うよ。何はともあれいい出会いになったみたいで、あたしも嬉しい。

赤羽で乗り換える映美ちゃんとは、車内で挨拶を済ませた。
「楽しかったー。久しぶりに羽目外して遊んじゃった」
「楽しんでもらえたならよかった。これでリフレッシュ出来たら、また子育て頑張ってね」
「アハハ、任せといて」
映美ちゃんは元気いっぱいの笑顔で頷いてくれた。うん。よかった。その笑顔はあたしも元気にしてくれた。
「じゃあ、本当に麻耶の彼氏と会わせなさいよ」
「オーケー。なるべく早めに会えるようにするね」
そんな約束を取り交わし、電車は駅に到着した。
じゃ、またね。うん、バイバイ。小さく手を振り合って、映美ちゃんは電車を降りて行く。ホームに降りた映美ちゃんは、ガラス越しに笑ってもう一度手を振って来る。あたしも笑顔で頷いて手を振り返す。そして映美ちゃんは他の乗り換えの客に混じって階段を降りて行った。

西陽の眩しさに目を細めるような頃合い。
武蔵浦和に到着し、駅からマンションまで繋がるペデストリアンデッキを辿った。駅前はまだ夕暮れ前の時刻で、人通りは落ち着いていた。
鍵を開けドアを開いて帰宅を告げる。
「ただいまー」
鍵を締め直し靴を脱いでいると、リビングから萌奈美ちゃんが出迎えに現れる。
「お帰りなさい」
ホッと気持ちが和らぐ。
萌奈美ちゃんの笑顔は、優しく柔らかくあたしを包んでくれる。
いつも感謝してる。
萌奈美ちゃんが作り上げたこの穏やかで温かな部屋に帰ってくる度、この部屋を満たすゆったりほっこり寛いだ空気が、あたしの中に溜まった濁りをそっと拭ってくれて、心に出来た小さなささくれを治してくれる。あたしの中に優しさや思い遣る気持ちを補充してくれて、あたしをリラックスさせ、リフレッシュさせ、リセットしてくれる。
「これお土産ね」
「わあっ、ありがとう!」
帰りがけに都内で買って来たケーキと分かる箱の入った紙袋を手渡すと、萌奈美ちゃんは満面の笑みを浮かべた。早速冷蔵庫にしまいに行く。
リビングのソファーには匠くんが座っていた。テーブルの上にはカップが二つとお茶菓子。どうやら二人で寛ぎの一時を過ごしていたようだ。
「ただいま」
「お帰り」
あたしが帰宅を伝えると、匠くんは例によって素っ気ない返事を返してくる。視線だけをこちらにチラリと投げて、いつも通りの仕草。
「麻耶さん、お茶飲むでしょ?」
キッチンから声がかかる。
「うん、ありがと」
着替えて来るねと言い置いて、自室へと向かう。
着替えを済ませ、手を洗ってリビングに戻ると、あたしが座る定位置の前に湯気のたつカップが置かれていた。
「ありがと」
お礼を言ったら、笑顔で頷かれる。
カップに口をつけると、ほんの少し甘味のあるフレーバーティーの風味が口の中に広がり、ほうっと気持ちがリラックスする。
「華奈さんと映美さんと楽しかった?」
「うん、すっごく楽しかった!」
内容はあまり詳しく話せないけどね。
「映美ちゃんは外で飲むのはホントに久しぶりだったみたいで、すごく喜んでた」
「そうなんだ」
相槌を打つ萌奈美ちゃんは、子育てに追われる映美ちゃんの日々の多忙さに少し思いを馳せてるのかも知れない。
「華奈さんと映美ちゃん、すぐに打ち解けてて話も盛り上がったし、紹介して大正解だったなあ」
「よかったね」
幸せな出会いになったことを、萌奈美ちゃんも喜んでくれた。
お菓子に手を伸ばす際、視界の端に見えた匠くんは、何やら「うへえ」って感じで渋い顔をしていた。恐らくは華奈さんと映美ちゃんが一緒にいる場になんて、何があっても同席したくないってそう思ってるに違いない。
「昨日は華奈さんちに泊まったんでしょ?」
昨晩外泊の連絡を入れた際に、華奈さんちに泊まることは伝えてあった。
「うん」
「本当に仲良くなったんだねー」
そこまで二人が打ち解けたことに、萌奈美ちゃんは少々驚いてる模様。
まー、多分に映美ちゃんの厚かましい、あ、いやいや、もといスーパーフレンドリーな性格に依るところが大なんだけどねー。なかなかそうはいないよ。初対面相手に遠慮もなしに泊めてって言える人。
「また今度、華奈さんちで飲もうねって約束したんだ。萌奈美ちゃんもどう?」
「えー、あー、うん、考えとくね」
あたしが誘うと、萌奈美ちゃんは視線をさ迷わせて返事を濁した。あー、これは警戒してるなー。まあ、萌奈美ちゃん一度映美ちゃんの洗礼受けてるしねー。無理もない。
「未成年者を飲みに誘うなって言ってんだろ」
匠くんが口を挟む。萌奈美ちゃんはあからさまにほっとした表情を浮かべている。
「萌奈美ちゃんには飲ませないから安心してよ」
あたしが言っても、匠くんの疑わしそうな視線は晴れることがなかった。えー、信用ないなあ。
そんな感じで、萌奈美ちゃんが夕食の支度を始めるまで三人で過ごした。あたしと萌奈美ちゃんの二人でばっかり喋ってて、もっぱら匠くんはそれを聞いてるだけだったけど。いつも通りのお馴染みの光景。
あたしの話に反応して、萌奈美ちゃんがくるくると表情を変える。声を上げて笑ったり、ちょっと口を尖らせたり、目を丸くしたり、嬉しそうににっこり微笑んだり。その隣で匠くんは関心薄そうに聞き流している。時折そんな匠くんに話を振ってみたりして。

萌奈美ちゃんの柔らかな笑顔と、匠くんの素っ気ない素振り。
この部屋で過ごす、この一時が愛おしいって思う。
いつまでもずっと変わらずに、このまま三人でいられたらいいな。
そんな願いをあたしはそっとこの胸に秘めている。




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