【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Jealous Heart (2) ≫


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幸い俺が悶死に至る前に待ち人が到着し、俺はこの状況から救出された。
自己紹介を済ませ、恥ずかしさに頬を染めながら栞は俺のことを一同に紹介してくれた。
「へえーっ、栞さんの彼氏ですかー」
活発そうな雰囲気の女の子が遠慮もなく口にする。確か結香つったっけか。栞が話してくれたところでは、彼女達は萌奈美ってーコの友達だそーで、一緒にいる ヤロー共はその彼氏ってことだった。まあ、萌奈美ってコの友人なだけに、性格よさそーで付き合いやすそーなコ達だった。栞も、去年の夏に初めて会って以来 何回かテニスとかで顔を合わせてるらしく、親しげな様子で会話を弾ませている。誉田ってヤツも冨澤ってヤツも、佳原のヤローとは違って気のいいヤツみたい で、こいつらと付き合うのにも難しさは感じなかった。
何より俺は、ひとまず佳原のヤローと栞が二人で話す事態が去ったことに少なからずホッとしていた。それにしても先導に立って一歩先を歩いてる佳原のヤロー は、一向に会話に加わってもきやがらない。そんなヤローの振る舞いには慣れっこなのか、誉田や冨澤が結構頻繁に語りかけるも、佳原のヤローは相槌を打つか 一言二言答えるだけで、また前に向き直って黙して歩き続けてやがる。一社会人としてこの愛嬌のなさというか社交性のなさというかは一体何なんだ?見れば見 るほど大したヤローには思えない。こんなヤツに想いを寄せてた栞もよく分からないが、こんなヤローと婚約して同棲までしてる萌奈美ってーコも全くもって謎 だった。
「ラッパーなんて、カッコいいっすね」
誉田がそう言ってくれる。
「大したことないっス」
謙遜して答える。事実大して売れてる訳でもねーし。ここ何年かRhymeDriveで活動してて、何とかそれオンリーで食ってられてるけど、俺一人でだっ たら果たしてラップだけで食えるかどうか。自分を信じてねー訳じゃーねーけど、こういうのはタイミングとかチャンスとか、自分の才能だけじゃどーにもなら ん巡り合わせみたいなモンもあるからな。もっとも運やチャンスを呼び込むのも才能の内とかってーコトも言われっけどね。まあ、栞を幸せにするっつー新たな 目標が出来た今、持ってる才能をフルに生かして、更には運やチャンスすらも味方につけて、フルスロットルで頑張るつもりでいる。正月に栞と二人で初詣に 行った時、大枚一万円を叩(はた)いて願掛けしたんだからな。神様、どーかひとつよろしく頼んますっ。
佳原のヤローに案内されて辿り着いた先は、三階建ての豪華な邸宅だった。何でも夫婦でイラストレーターとグラフィックデザイナーをしているそうで、二人し てどんだけ稼いでんだって思わずちょっと羨んでしまいそうになった。今回初めて招かれた栞も、素敵なお家だねー、って目を瞠っている。今夜はパーティーの 後、都合のつくヤツはこちらのお宅に泊まらせてもらうことになっていて、栞が泊まるって聞いた途端、無論俺も泊まることにした。栞と佳原のヤローが一つ屋 根の下で一夜を過ごすなど、到底許せる筈もないに決まってる。
この家の主のお二人と顔を合わせてまた驚いた。ご主人も奥さんもすんげー穏やかで和やかな人で、初対面の相手をすんげー気遣ってくれて、くつろいだ気持ちになれるよう計らってくれた。
「お二人ともすごく優しくて気遣いが上手で、素敵なご夫婦なの」
栞がそう話していた、本当にその通りだった。その時、栞は「あんな素敵なご夫婦にあたしもなりたいなあ」なんて憧れるように口にして、ドキリとしたもの だ。それはつまり俺と、ってことか?そう喉元まで出掛かって、遂にはあともう少しの勇気が足りず確かめられずに終わっちまったんだが。
何だよ、何か会う人会う人、それこそ佳原のヤツ以外はいい人ばっかじゃねーか。来る前、アウェーに乗り込むつもりで身構えてた俺は少々拍子抜けしていた。 もっとも栞が、いい人、素敵な人、大好きな人達って言うんだから、当然っていやー当然か。そんなことを思って俺は肩の力を抜くことが出来た。
その後引き合わされた佳原のヤローの友人ってー奴らも、まあ騒々しくはあったが悪い連中じゃなさそうだった。俺の周りにも賑やかなヤツは大勢いたし、別に 苦手にもしていない。会う前、佳原のヤローの友人ってーことで俺の中で増幅されたマイナスイメージは、実物を前にして上向きに修正されつつあった。
リビングに用意された席に他の連中と共に腰を下ろしていると、時折料理を運んでくる女のコ二人の姿があった。様子から一人が萌奈美ってコだと推測した。もう一人も萌奈美ってコの友達らしい。
「あのコが萌奈美ちゃん」
それとなく視線で様子を追っていたら、栞が気付いて教えてくれた。
「ね?可愛いでしょ?」
言った通りでしょ?そう確かめる眼差しで栞が聞いてくる。
ふーん。佳原のヤローの婚約者にしとくのは勿体ないくらい可愛いコだった。まあ、栞には負けるのは致し方ないところだが。
近くに来た時、栞が「萌奈美ちゃん」って呼びかけて笑いかけた。小さく手を振る栞に、顔を上げた萌奈美ってコは、栞と俺を見て余裕のない様子で小さく会釈 を返した。そのまま彼女は忙しそうにバタバタとリビングから出て行ってしまった。栞と顔を見合わせ、ちょっと苦笑し合った。どうやら話をするのは料理を出 し終わってからでないと無理そうだ。
もう一人のコはちょっと綺麗めの顔立ちをした、萌奈美ってコとは対照的に落ち着いた印象のコだった。二人は同い年だと栞から聞かされたが、その落ち着きぶ りは天と地ほどにかけ離れていた。まあ、パーティーの準備でしかも開始時刻が迫ってる状況ともなれば、気持ちが焦って地に足が着かないってな心境になるの も無理ないことだ。俺だってライブ開始直前は期待と興奮に気持ちが高まりながらも、一方で緊張を感じないではいられない。一旦始まっちまえばもう無我夢中 で、緊張してる暇なんて全然なくなっちまうんだが。そういう意味では萌奈美ってコが落ち着きない訳じゃ決してなくて、あの春音ってコの方が年齢離れして落 ち着き過ぎてんだろ、って気がした。
それにしても、佳原ってーヤツは見れば見るほど変なヤツだった。誰かに呼びかけられでもしない限り、ひたすら黙して語らず、お前はこの部屋の置物かって ツッコミを入れたくなるような具合だった。それで例の萌奈美ってコがリビングに入って来たりすると、ひたすら気掛かりな様子で彼女の姿をずーっと目で追っ かけてるし。どーゆー人間なんだ?ホントに。
それでやっと料理を作り終えた萌奈美ってコがヤローの隣に来てからは、それまで魂抜けたみてーに無表情だった癖に、180度打って変わってお前別人なんじゃねーの?って疑いたくなるくらいニコニコしてやがって。まさか二重人格ってことはあるまいが。気味悪いヤツ。

食事の方もひと段落した頃、栞が阿佐宮さんに俺を紹介したいって言うので二人して彼女の所に行った。
俺を見た彼女はやや緊張を帯びた表情を浮べた。こーゆー所は少し栞とこのコは似通ってるのかも知れない。あまり親しくない相手に対して身構えてしまうよう なトコとか。パーティーが始まる際に促されて挨拶に立ってたが、人前で話したりするのが苦手で、口下手で緊張しいな所とか。人見知りっぽい所とか、引っ込 み思案っぽい所とか、な。
阿佐宮さんがRhymeDriveのファンになってくれてるって話は栞から聞いてたが、それにしても俺がRhymeDriveのイチだって知った時の、阿 佐宮さんの盛大な驚きぶりは実に面白かった。その直前、訝しげな顔をする阿佐宮さんに栞がヒントを出すも、さっぱり気付かないのにも笑ったが。
親しく話してみると、阿佐宮さんは、栞が珍しく自信を持って断言してた通り、すげーいいコであるようだ。栞は阿佐宮さんのことを、優しくて、思い遣りが あって、とっても気持ちの温かい女の子なの、って話してた。それ全部栞にも当てはまってるけどな。それにしても栞と阿佐宮さんは本当に話が弾んでて、楽し そうに笑い合ってて、あんまり仲良さそうな感じが俺的にはちっと妬けるくらいだった。栞には弟がいるだけだから、もしかしたら阿佐宮さんのコトを妹みたい に思ってんのかも知れねーな。そんな風に思わせる二人の親密さ加減だった。
「萌奈美ちゃん、卒業式いつなの?」
「三月の二週目の土曜です」
「もうすぐだねー」
「そーなんですよ。もちろん嬉しい気持ちもあるんですけど、やっぱり何かちょっと淋しいですね」
「うん。そーだよね。三年間通った思い出がいっぱい詰まった場所だもんね。仲の良かった友達ともお別れしなくちゃいけないし」
栞の言葉に阿佐宮さんは同意を得たって顔で、ぶんぶん頷いている。
「そう。そうなんですっ」
「萌奈美ちゃんにとっては、特に複雑なんじゃない?」
「え?」
「卒業できるのを待ち遠しく思ってた気持ちもあるでしょ?」
「あ・・・うん、そう、ですね」
栞の言葉を聞いた阿佐宮さんは、ちょっと物思いに沈むように目を伏せた。そんな阿佐宮さんを栞は温かな眼差しで見つめている。
二人が共有してる気持ちは、今一つ俺にはよく理解できなかった。
「匠さんにも卒業式見てもらえたらいいのにね」
「出来れば見て欲しいですけど・・・」
普通、卒業式は親か身内が出席するモンだろ。高校の卒業式に婚約者が出席するなんて、日本じゃー滅多に聞かねー話だろーなー。
「ね?匠さんも見たいですよね?」
おい、栞!そいつに話しかけるんじゃない!佳原のヤローへからかう口調で問いかける栞に、危うく制止する声が口から飛び出そうになる。
「ああ、いや・・・うん」
話を振られた佳原のヤローは、うろたえた様子で口を濁した末、素直に頷いた。
「あ、でも、パパにビデオ撮ってもらう予定だから、それを匠くんに見せることになってるです」
「そーなんだ。良かったですね、匠さん」
「え、ああ、まあ・・・」
卒業式へ出席するのは無理なものの、式典中の自分の姿を佳原のヤローに見せられることを嬉しそうに話す阿佐宮さんを見て、栞が顔を綻ばせる。心ン中で「よかった ね」とかって言ってそーな微笑みだ。栞の呼びかけに、佳原のヤローは照れたようにどきまぎししつつ相槌を打ってやがる。だから栞、ソイツに話しかけんなっ て!
「それで、何時あたしんちに来る?」
少しして話題を切り替える感じで栞が阿佐宮さんに訊ねた。
「あ、そうですね」
何でも栞が着なくなった服を阿佐宮さんにあげる約束なんだとか。制服のある高校と違って大学は私服だから、いつも同じ服装って訳にも女の子はいかないらしい。俺なんかいっつもTシャツにジーンズだったけどな。運動部のヤツに至っては年中ジャージ姿だったし。
「卒業式終わった後だと結構予定詰まってるんじゃなかった?テニス合宿もあるし、萌奈美ちゃん、匠さんとUSJ行くんでしょ?友達とディズニーシーにも行くって言ってたよね」
「はい」
どうやら春休みの予定は目一杯詰まってるらしい。いーねー。青春してるねー。因みに栞もディズニーは大好きだそうだ。
今も、心から羨ましそうに「いいなー。ディズニーシー。あたしも行きたい」って呟いている。
「じゃあ、今度、麻耶さんや千帆達と一緒に行きましょうよ」
「あ、いいね。楽しそう」
阿佐宮さんの提案に弾んだ声を上げる。じゃあ女の子だけで行きましょーか?なんて、楽しそーに笑い合っている。
なかなかに俺も栞も忙しくて、まだ二人ではディズニーに行ったことがなかった。そーだなー。栞と二人でディズニーやUSJ行ってみてーな。俺は人混みとか行列とか出来れば避けたいクチだが、栞の喜ぶ顔が見れるんなら例え火の中水の中ってな。
「家に来る日だけど、あたしも都合付く日だと、結構日にち限られちゃうかも知れないね」
「あ、そうですね、確かに」
栞の指摘を受けて、急に焦りを感じたらしかった。慌てた顔で阿佐宮さんはしきりに首を縦に振っている。
「え、と、麻耶さんと一緒にお伺いしますね」
「あ、うん。そーだね。ってゆーか、洋服持って帰るの結構荷物になるし、ちょっと遠いけど匠さんに車出してもらったら?」
言いながら栞がそれとなく佳原のヤローの様子を窺う感じで視線を動かす。
「えーっ、でも、匠くんに悪いし・・・」
躊躇いがちに口を濁しながら、阿佐宮さんも隣にいる佳原のヤローをちらっと窺った。
「いいよ」
ぽつりと隣から返事が聞こえた。何だコイツ。関心なさそーにしながら、しっかり話聞いてんのな。
栞と阿佐宮さんが笑顔でこっそり目配せしている。大成功、ってな感じだ。
「ありがとう、匠くん」
まさに満面の笑顔ってヤツを浮べて、阿佐宮さんが佳原のヤローにお礼を言った。
「いや、別に・・・」
素っ気無いくらいの返事が佳原のヤローからは返って来た。ひょっとして照れてんのか?
ふーん。つぶさに観察してて分かったことだが、どーやら佳原のヤローは阿佐宮さんのことを本当に大切に思ってるらしい。阿佐宮さんに対してのみ佳原のヤ ローの態度が全く違っているのが、まあ何よりの証拠だろーな。他のヤツに対しては表情も変えず愛想笑いの一つも浮べずひたすら素っ気無いヤローが、阿佐宮 さんには果てしないくらい優しく接してて、あまつさえそれを周囲に隠そうともしない。
阿佐宮さんもシャレや冗談じゃなく、佳原のヤローに心から好意を寄せてるらしかった。尤もシャレや冗談で婚約だ同棲だなんて出来る訳もねーけど。彼女くら い可愛ければもっと男前なヤローが幾らでもより取り見取りだってえのに、実に惜しまれることこの上ない。阿佐宮さんが佳原のヤローに向ける笑顔が、ホン トーに嬉しそーで、幸せそーで、輝いてて、何つーか、どんだけ好きなんだよって冷やかしの一つも入れてやりたくなる程だった。恐らく当人はそんなこととは 全然気付いてなさそーなんだが。何だかこの二人を見てっと、やれやれって呆れながらも思わず口元が緩みそうになってくる。
阿佐宮さんみたいないいコが、佳原のヤローの一体ドコをそんなに好きなのか、理解に苦しむ俺ではあった。どっか一個くらいあのヤローにもいい所があるのかも知れん。今ん所皆目見つかる気がしなかったが。

◆◆◆

深夜零時をとっくに過ぎた頃、ようやっと風呂の順番が回って来た。リビングを出た所で九条のヤツと鉢合わせした。特に何を言うでもなくそのまま行き過ぎよ うとしたら、ヤツに呼び止められた。ちょっといいっすか?そう聞かれたんで無言で頷き返す俺を、ヤツは誰もいない脱衣所兼洗面所に連れて行った。これには ビビった。ひょっとしてコイツ、そっち系なのか?俄かに我が身の危険を感じていると、九条のヤローが口を開いた。
「壱原さん、アンタさー、匠をライバル視してるみたいだけど、無駄だから止めといた方がいいぜ」
突然、前置きもなくそんな言葉を突きつけられてギョッとした。
何だコイツ?何でそんなこと分かるんだよ?コイツとは今日初めて会ったばっかで、大して話をした覚えもないってのに。
「どういう意味だよ?」
尖った声で聞き返す。
「あれ?気ィ悪くさせちゃった?そうだったら謝る」
謝るとか口ではいいながら、その態度には殊勝さは微塵も感じられねー。
「無駄、ってのはさー、無駄な足掻きってコトじゃなくて、そんなことしても壱原さんが無駄に疲れるだけだからってーコトなんだけど」
まるで俺のためとでも言う口振りで、九条のヤツは俺に言った。
「何で俺が疲れるだけなんだよ」
「匠はアンタの心情なんかに少しも気付かねーから」
俺の心情なんか、だと?
「アンタの心情だけじゃなく、他の誰の心情にも関心払わねーけど」
馬鹿にされたように思えて目を剥く俺に構わず九条は続けた。
「萌奈美ちゃん以外にはね。全く以って興味を示さないんだよ。匠のヤツは」
九条は如何にも愉快そうにニヤリと口元を歪めた。
何だよ、そりゃ?
「結構、アイツとは長い付き合いだってー自負してんだけどさ。そもそも極度の人付き合いの悪さを誇るアイツの場合、長い付き合いのある人間自体、ホント限られるくらいしかいねーんだけど」
佳原のヤローの性格につくづく呆れるような顔を九条が浮べる。
「で、まあ、そんな俺が長年見てきて、匠が何かに、或いは誰かに、関心を寄せたり気持ちを動かしたりなんて、まず覚えがねーんだよな」
つくづく一体どーゆーヤツなんだ?佳原ってーヤローは。親しい友人にこうまで言われて。聞いていて俺も次第に呆れる気持ちに傾いていた。
「間中さんには可哀相だったんだけどさ、あ、もっとも壱原さんにしてみりゃ、ホッとすることなんだろーけど」
面白がる様子の九条が少し気に入らなかった。その意を示して眉間に皺を寄せて九条を睨んだ。
「匠が情熱や愛情を注ぐ相手なんて、誰一人いねーよ。未だかつて、恐らく今後もずっと」
自信に溢れる声で九条は断言した。
「萌奈美ちゃん、ただ一人を除いてね」
開いた口が塞がらない、とでも言おうか。どういう話なんだ、これは?
「そういう訳で、どんなにアンタが匠を目の敵にした所で匠は絶対気付かねーし、お宅の一人相撲で終わることになって、骨折り損のくたびれ儲けになるのが関の山だから諦めた方がいいぜ、ってゆー俺からの善意溢れる忠告」
ドコが忠告だ?ドコが善意に溢れてるって?コイツの話を聞きながら疑問を感じた。しかし、それにしても・・・
「聞きしに勝る変人だな、佳原ってーヤツは」
俺がそう漏らすと、九条のヤツは肩を竦めた。
「否定はしねーけど」
しっかし、こいつも相当に食えねーヤツだな。まあ、だからこそ長年に亘って佳原のヤローの友人なんてやってられるんだろーけどな。

横たわれるくらいの大きなバスタブで、手足を伸ばして寛ぎながら思い返していた。
九条のヤツが言ってたこと。佳原のヤローが阿佐宮さんだけを見つめてるってこと。阿佐宮さんが佳原のヤローを見るその眼差しの優しさ、温かさ、熱さ。それ から、阿佐宮さんと佳原のヤローの二人が交わす、視線や笑顔ややり取りの一つ一つに籠る深い信頼と愛情。浴室を満たす湯気にぼんやりと視界を霞ませなが ら、そんな諸々を取りとめもなく思い浮かべてた。
未だに佳原ってーヤローのことはよく分からねー。イマイチ虫が好かねーってのは、これはもう無理からぬことだと思うしな。
まあ、それでもあのコに免じて取り合えず大目に見てやるとするか。何故だかそんな心持ちになった。
いいか、勘違いすんなよ?それもこれも全ては彼女のお陰だからな。あくまで、阿佐宮さんがテメーを想う一途で純粋な気持ちに免じてなんだからな。
それとあと一つ。阿佐宮さんと佳原のヤローの二人を見てる時の、栞の穏やかで優しい瞳の色を大切にしたいって思ったから、かな。

◆◆◆

今日は暖かかったなー。3月に入って日によっては厚手のコートなんか着てると、ちょーっと暑いんじゃねーかって陽気の日なんかもあって、段々春が近づいてんだなーって気分になった。
こんな暖かくて麗らかな日には、栞は実に幸せそーな顔をする。もし時間が許すんなら恐らくきっと栞のことだから、公園なんかで日がな一日、日向ぼっことかしてたいんじゃねーのかな。
「今日歩いてたらね、白木蓮の花が咲いてて、すっごく綺麗だったの」
栞が嬉しそうに話してくれた。俺はさっぱり草花のことは分からないんだが、二人で外を歩いてて、通り沿いに咲いてる花のことなんかを、楽しそうに教えてく れる栞を見るのはすげー心が和む。栞によれば季節ごとに咲く花々は、心ン中を鮮やかに彩ってくれるんだそーだ。成る程ね。栞の笑顔を見てっと、その言葉が 何となく理解出来るような気がする。
栞と一緒にいて、今まであんまり気にも留めなかった季節の移ろいだとか、ささやかな日常なんかに注意を払うようになった。ありふれた日々の中にあるそうした小さなこと、些細なことを、栞がすごく大切にしてるからなんだけどな。俺はそんな栞をすっげー愛おしいって思う。
ついこの間の土曜、阿佐宮さんの学校の卒業式があったそーだ。栞の携帯に卒業証書を持った彼女の写真が送られて来て、俺も見せてもらった。学校の校門の所 で卒業証書を手に、友達と一緒にとびきりの笑顔を浮べていた。佳原のヤローには卒業式は見せられなかったそうだが、卒業式が終わった彼女をあのヤローは校 門の前で待ってたらしい。阿佐宮さんからのメールを読んだ栞が、「ホント匠さん、萌奈美ちゃんには優しいんだから」って微笑ましそうに笑ってた。ケッ、気 障なことすんじゃねー。萌奈美ちゃん、とうとう高校卒業しちゃったんだー。何だか自分のことみたいに感慨深げに栞は呟いてた。そんな栞の気持ちも分かるよ うな気もした。大人になっちまうと、そういう人生の節目みたいなものを感じる機会が目に見えて減っちまうからなー。そりゃカレンダーを見りゃ一年が過ぎて くのを実感するし、クリスマスや正月ってえーシーズンごとの行事に接すれば季節の移り変わりに気付かされはするけどな。街を歩けばデコレーションだとか何 だとか嫌でも目に入ってくるし。ただ、それって年中行事ってーヤツだしな。卒業証書を持った阿佐宮さんの写真を見て、多分栞は自分が高校を卒業した時の気 持ちなんかを思い出して懐かしんでたんじゃねーかな。
下旬にはこの間パーティーをした連中とテニス合宿に行くとかで、栞はとても楽しみにしている。当然あの佳原も行くって聞いて、目下俺も栞にくっ付いてこう かどーしよーか悩んでるところだ。スケジュール都合付くかなー?昼間は無理でも夜から参加できねーかとか考えてる。なにしろ栞と佳原のヤローが俺抜きで二 日も一緒に過ごすなんて、とてもじゃないが耐えられん!
他にも栞んちに阿佐宮さんが来る予定だったり、4月か5月には女性だけでディズニーに行くことを計画中らしい。おい。俺と過ごす時間もちゃんと取っといてくれよ!頼むから。
「今日、泊まってけるンだろ?」
二人で買いに行ったソファに並んで座る栞の髪に口づけながら問いかける。
「え・・・うん・・・」
躊躇いがちに恥ずかしげな顔で栞が頷く。
いー加減、部屋に泊まるくらい何でもないことのよーに頷けないモンかね、しっかし。どんだけもう泊まってるんだっての。ま、そういうトコが可愛いんだけどな。
髪から耳、首筋へと唇を移動させていく。くすぐったそうに栞が身を捩る。
「あの・・・彰さん、お風呂・・・」
どうやら俺の悪戯が止まらないらしいって知った栞が、おずおずとした声で言ってくる。俺は別にこのままでも全然構わねーんだが。だけど栞はそーゆーの恥ずかしがって許してくれねーからな。
「風呂、入れてくる」
未練を残しつつ一時中断して立ち上がる俺を見て、栞はホッとした表情を浮べた。
前に一度、風呂に入らないでそーゆー展開に突入しようとしたら、栞は頑として受け入れてくれなかった。危うくそのまま帰りそうになって、あン時は焦った。 まあ、もうちょい辛抱すっか。何れはそんなの気になんないくらい、二人で乱れまくるまでになってみせっからな。覚悟しとけよ、栞。
さて、今夜はどうしよーか?そーいや、まだ一緒に風呂入ったこともなかったな。一緒に入るか?いや、まだちょっと無理か?栞のことだから、すんげー恥ずかしがるには決まってるが。どーしてもってお願いすれば聞いてくんねーかな?
風呂場へと足を向けながら、頭ン中で栞とのあんなコトやこんなコトを妄想して一人ほくそ笑む俺だった。
 


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