【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Jealous Heart (1) ≫


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コイツが佳原匠か。
目の前にいる男に冷ややかな視線を送る。頭から足の先までまじまじと観察する。
先ほど初対面の挨拶を済ませ、今はこの後到着する予定の参加メンバーをコイツと一緒に待っているところだった。出来ることなら栞と二人でさっさと行ってし まいたかったが、残念ながらこれから行く先を俺も栞も知らなかった。でなければ誰が好き好んでコイツなんかと一緒の状況に甘んじたりするだろうか?本音を 言えば、コイツと栞を一秒だって一緒にいさせたくなかった。
今日、コイツと会うことは前もって分かってたことだった。そのための心の準備は十分にして来たつもりだったが、駅の改札を出て栞がコイツの名前を口にした時、激しく胸がざわめくのをどうにも抑えることができなかった。
「匠さん、すみません。わざわざ迎えに来ていただいて」
「いや、別に・・・他にも案内しなきゃいけない相手がいるから」
おい、テメー!栞が笑いかけてくれてるのに、なんだその愛想のない態度は!栞もそんなヤツに笑いかけるこたあないっ!
「どうも、壱原です」
名乗る声こそ穏やかさを保ったが、目の前の相手に向けた視線には、正直なところ敵意が混じらないではいられなかった。
「どうも・・・佳原です」
それにしても聞いていた通りの仏頂面だな。ニコリともしやがらねえ。ちっとは愛想ってモンがねえのか。一体こんなヤツのドコがよかったっていうんだよ?
いつもの栞と何処も変わっていない。なのに、何だか妙にヤツに話しかける栞が楽しげに見えてならない。俺の考え過ぎだとは思う。だがどうしても過剰なまで に反応せずにはいられない。栞がコイツの名前を呼ぶ度、たまらない気持ちになる。こんなヤツの名前を呼ぶな。思わずキツい声で栞にそう呼びかけそうにな る。その言葉を何とか必死で飲み込んでいた。
コイツと顔を合わせたいなんて全く思わない。だけど俺のいないところで栞がコイツと会ってるなんて、もっと耐え難かった。
「彰さん?」
栞に名前を呼ばれて、はっとして我に返った。
「どうしたの、黙り込んじゃって?」
「いや、別に、どうも」
慌てて取り繕う。栞に向けた笑顔が引き攣りそうになる。栞は少し不思議そうに首を傾げた。

ずっと気掛かりだった。
初めて会った時、突然彼女が見せた涙。恐らくは誰かを想っての涙だって、何となく分かった。
メアドを交換して、何度かこっちからメールを送ってみようか、なんて考えた。でもその度、あの時に見た涙がキーを打とうとする指先を硬直させた。俺が入り 込む余地なんてあるんだろうか?そう感じて。あんな風に人前で前触れもなく涙を流した彼女の心の中にいる誰かに敵う筈がない。そう思えた。
そう思っていた最中、彼女から送られて来たメールに正直驚かずにはいられなかった。もちろんソッコーで返信した。ちょっと前のめり気味だって自分でも思っ た。ぶっちゃけて言えば好みだったってことだ。話し方とか、性格とか、雰囲気とか、ルックスは言うまでもなく。それと、何か放っとけないっていうか。不思 議っちゃ不思議なんだけど、初めて会った時から何か気になって仕方なかった。これって要するに一目惚れってことなんだろうか?よく分かんねーけど。
とにかく、彼女が繋いでくれたパスを途切れさせる訳にはいかなかった。彼女の心の中の誰かに敵うかどうかなんて全くもって自信はなかったが、少しでも彼女の心を癒せたら、ちょっとでも彼女を支えられたら、そう思った。
そして最初は遠く離れた場所からのロングパスを送り合ってた俺達は、少しずつ距離を縮め、お互いの顔が見える位置でキャッチボールをし合うまでになれた。 彼女が見せてくれる柔らかい笑顔は、目まぐるしい日々に慣れっこになっていた俺を、穏やかでくつろいだ気持ちにさせてくれた。
目が回るような忙しない毎日も充実感に溢れてて俺は好きだ。うあーっ、一日終わったあ、って夜遅くに大きく伸びをしてる時とか、生きてる実感ってのかな、 俺、頑張ってんな、って自分をちょい、褒めてやりたくなる。ずっとスケジュールが埋まってて忙しい日々が続いてて、テンション上がり目になってる時の前の めり感っていうか、ドライブ感っていうか、結構心地いい。だけど、それ一辺倒っていうのもなかなかに辛くなってきちまう。やっぱり何事もバランスが重要っ ていうのか、トップギアで何時までもすっ飛ばしてたら、イカれるのが早まりもするだろう。機械だってフル回転で稼動させてたら寿命が縮むだろうしな。況し て人間は機械じゃあない。心と身体の両方のバランスが保たれてなきゃ、何処かでシワ寄せが来るってなモンだ。
彼女といる時間――いや、違うな、「彼女といる時間」がじゃない。「彼女」が、だ――は俺の憩い、安らぎ、くつろぎ、オアシスだ。彼女の柔らかさ、穏やか さ、謙虚さ、素直さ、優しさが俺を緩やかに解いてくれる。俺をありのままの一個の人間に戻してくれる。彼女といることで、俺はこんなにも心地よく穏やかで 満ち足りた自分になれるんだって知った。俺にとって栞が必要な存在だってことを、俺はまざまざと思い知らされた。
じゃあ、翻って俺はどうだ?俺は栞にとって必要な存在になっているのか?俺は栞に必要とされているのか?
栞は、麻耶さんに連れられて来たライブ以来、ずっとRhymeDriveの大ファンでいてくれる。毎日のように曲を聴いてくれてて、毎回のようにライブに 足を運んでくれる。恥ずかしがり屋の栞だから、ライブの時に幾ら会場が一体となってノリノリで踊ってる状況とは言っても、自分もそこに参加するのは未だに 恥ずかしくて気後れを感じてしまうらしい。ではあるものの、ライブ会場に身を置いてRhymeDriveのメンバーと同じ時間を共有し、熱い思いを分かち 合うことに最高の幸せを感じてくれているのは確かなことだった。だからこそ思ってしまう。正直、もしRhymeDriveって肩書きがなければ、俺は栞に とってどれだけ必要な存在になれるんだろう?俺は一個の人間として、一人の男として、栞の掛け替えのない存在となれているんだろうか?

栞が教えてくれたことがあった。自分が好きな色んなことについて。
やっぱり職業柄からかファッションは大好きなようだ。Sybilla、Vivienne Westwood、Yohji Yamamoto、COMME des GARCONS、CAMPER、YOSUKE U.S.A、ANNA SUI、ZUCCa・・・教えてもらったブランドの殆どが、俺には耳にしたことのないモンばっかりだった。猫よりは犬派だそうだ。特に柴とラブが好きなん だそうだ。ラブって聞いて、最初俺には分からなかったんだが。聞いたらラブラドール・レトリーバーって犬種のことだった。俺はどっちでも――いやいや、栞 が犬派だってんなら、俺も好きな動物は犬だ。犬以外にはあり得ない。女の子らしくカフェ巡りも好きらしい。俺はスタバやドトールで十分なんだが。栞もスタ バはもちろん好きだけど、って言ってた。可愛かったりお洒落だったりセンスのいいカフェで、ゆったりしたひと時を過ごすのがすげえ幸せなんだとか。あと隠 れ家的な店を見つけた時は、胸がときめいてテンションが高くなるなんて興奮気味に話してた。そんな栞の様子をすっげー可愛く思った。カプチーノとミルクを たっぷり入れたアッサムティーが好きだとも。それに多くの女性の例に漏れず、栞も甘いものが大好きだった。甘いモンだったら洋菓子でも和菓子でも好きらし い。俺はお洒落なカフェだとか場違いな感じがしてちょいと腰が引けてしまうし、甘いものもそれ程得意って訳でもないが、好きな女のためならば苦手なものの 二つや三つ、いや十や二十、付き合ってやれなくてどーする。食べ物ではイタリアンと和食が同じくらい好きだそうだ。でも割りと胃が弱いらしく、あまり重い 食事は避けるようにしてるってことだった。後で胃が痛くなっちゃうらしい。確かに丈夫そうじゃねえし、体力ねえ方かも知れないな。運動苦手だって言ってた し。あと新陳代謝が悪いとも言ってた。すげえ冷え症だそうだ。夏でもエアコンの効いた部屋に長い時間いると、すげえ身体が冷えて辛くなっちまうそうだ。そ の点はちっと俺にとっては悩ましいところだった。なにしろ俺は大の暑がりなもんで。とにかく暑いのに弱い。夏場の暑さにはとてもじゃないが耐えられん。暑 い中にいると頭がボウッとしてきて、そのうち頭ン中が溶けて流れ出すんじゃねえかって思えてくる。思うに俺の前世はイワトビペンギンだったんじゃねえか な。グータにそう話したら「何、さりげなくカッコ可愛い生き物に例えてんだよ!」ってどつかれたが。もっとも、栞は暑いのも苦手だって言ってたんだよな。 お前、暑いのも寒いのも苦手だったらドコに住むんだ?まあ、栞がどうしてもって望むんなら、海外移住も視野に入れてもいいが。しかし常夏ならぬ、常春の国 なんてあんのか?そこで仕事できんのか?一抹の不安を感じざるを得ない。ぽかぽかした陽気に公園の芝生やベンチで、お日様に当たってのんびりするのが好き なんてことも言ってたな。確かに栞らしいっちゃ栞らしい気がする。どっちかってえと栞は、ガチャガチャしてたりワサワサしてたりするトコよりは、長閑な、 のんびりしたトコの方が似合ってるように思う。栞が纏うほんわかした、ふわっとした雰囲気に、俺もいつも癒され、和まされている。
俺の部屋で栞が来る途中で買ってきたらしい雑誌を見てたことがあった。何かイラストが載っかってる雑誌で、あんま絵が好きなんて話は栞から聞いたことな かったから、ちょっと意外に感じたものだった。そんなことから俺もちょっと興味が湧いて、一緒に見させてもらってたんだけど、そん時、栞が教えてくれた。 ある頁の絵を指して、この人の描くイラストのファンなんだって。その絵を見つめる栞の眼差しは確かに、優しくて穏やかで、温もりと愛しさに満ちているよう に思った。実のところ、栞がこんなに愛の籠った視線を注ぐ絵に対して、激しい嫉妬を感じずにはいられなくなった。そのイラストの作者の名前を俺はしっかり 目に焼き付けた。栞にそんな眼差しを向けさせる絵を描いてたのは、佳原匠ってヤツだった。描いてるヤツが男と知って俺の胸騒ぎは一層激しさを増した。しか も「佳原」って名前。ひょっとして麻耶さんの親類か何かか?だとしたら栞と麻耶さんはすげえ仲いいし、その繋がりで栞とこの野郎が面識がある可能性だって 十分考えられた。そう思った途端、矢も盾もたまらなくなった。どうしても麻耶さんに確かめたくて仕方なかった。しかし、である。あの人やたら勘がいいから なあ。神懸かってるっていうか。
案の定というか。我慢できなくて麻耶さんに電話した俺は、逆に麻耶さんから聞き返された。
「随分藪から棒ねー。何でそんなこと聞くの?」
当然俺は答えに窮した。沈黙が流れる。答えない俺に麻耶さんが催促してくる。
「ん?どーかした?」
暢気な口調に聞こえるが、何故か全て見透かされてるような気がしてならない。恐えーんだよな、この人。
「いや・・・だから・・・栞がファンだっつってたから」
だから、何だ、とまでは言えず終いだった。
「あー、そーね。栞ちゃん、大ファンよね」
何でそこでわざわざ“大”って付ける必要があるかね?やっぱ、俺の胸の内に気づいてんのか?どーも侮れん。
「で、麻耶さんの知り合い?」
「うん。知り合い」
だから何で素直に教えてくんないんだ?
「どーゆー知り合い?」
「すっごい知り合い」
おい!そーゆーことを聞いてるんじゃねえ!絶対、分かってて楽しんでんだろ?アンタ!
携帯のスピーカーからくすくす笑う声が聞こえる。
「だーかーらーさー」いい加減じれったくなった俺は語気を強めた。
「ゴメン、ゴメン」笑い声で謝った後に麻耶さんは続けた。
「あたしの兄です」
あんまりさらっと言うもんだから、一瞬そのままスルーしそうになった。ああ、そー。
・・・はあっ?
「兄?」
「兄」
確かめる俺にそのまま鸚鵡返しで麻耶さんが繰り返す。
「マジ?」どーもイマイチ信用できないような気がして思わず口から飛び出してた。
「マジ。正真正銘、あたしの実の兄」
冗談には聞こえない真面目な口調で、保証するみたいに麻耶さんは言った。
「マジか・・・」
思いがけぬ真相になにやら呆然と呟く俺だった。
「で?匠くんがどうかした?」
麻耶さんが再び聞いてくる。またもや返答に窮する。にしても、実の兄キを「くん」付けで呼ぶこの人も相当変わってんな。
「いや・・・別に、どうってこともねーんだけど」
言葉を濁しつつ、だがしかし気になる点について聞かずにはいられなかった。
「栞は会ったことあんの?」
「え、誰と、って、匠くんと?」
「ああ」
なるべくさりげないように聞こえてくれることを祈って訊ねた。
「うん、もちろん。飲みに行ったりとかカラオケ行ったりとかしてたもん」
そう聞いて心穏やかでいられる筈があろうか?ある訳がない。
「二人で?」
「ううん、それはないけど」
随分即答だな。そんな言い切れる程どんな自信があるんだ?俺はまだ心の中のわだかまりを払拭できずにいた。
「何で?」
「え?」
何故にと聞かれて即答できる筈もない。もしかしたら昔付き合ってたかも知れないなんて疑念に捕らわれて、どんだけちっちぇー男なんだって我ながら溜息が出る思いだった。
「気になる?」
返答に詰まってるところへ、構える余裕もなく容赦のないストレートが叩き込まれる。
「いや、気になるっつーか・・・」
誤魔化しも利かず、ひどくうろたえた声で言い繕う。
「付き合ってはなかったよ」
言い終わらない内に麻耶さんの声が被る。彼女の言葉に安堵する。そ、そうか。付き合ってたんじゃないのか。
「匠くんは特に栞ちゃんに対して特別な感情は持ってなかったし、今、匠くんは一緒に暮らす程好きなコがいるから、何も心配するよーなことないけど」
俺を安心させようとしてか、麻耶さんはそう教えてくれる。そーか、そーか。それなら大丈夫なんだな。彼女に電話してよかった。麻耶さんに感謝の念を抱きかけた次の瞬間だった。
「片想いしてみたいだけどね、栞ちゃん。割りとつい最近まで」
救い上げといて叩き落す。悪魔か、アンタは!?
今も変わらず匠くんのイラストの大ファンではあるしねー。俺の不安を助長するような言葉を畳み掛ける彼女の声が、ショックで機能低下を来たした俺の頭に遠く響いていた。

◆◆◆

それ以来、俺の頭の中から佳原匠って野郎のコトがこびりついて離れなくなった。
付き合って別れた相手ならばまだしも、片想いのまま終わった恋ってのは、意外と色褪せないまま記憶の中に大切に仕舞われてたりするんじゃねーか?しかも未 だにそいつと顔を合わせる機会があるとなれば、その気持ちが薄れることは愚か、再燃する危険性だって孕んでるんじゃねえか?どーなんだ、ソコんとこ!?情 けない話だが俺は不安で仕方なかった。いつ恋の導火線に火がついてしまわないかと、気が気じゃなかった。
ヤツは亡霊の如く俺を苦しめた。そうまさに亡霊だ。ヤツがどんな人間か分かっていれば、もう少し気が楽になるのかも知れない。そいつの欠点や短所を知っ て、安心することも出来るんじゃないかとも思う。パーフェクトな人間なんてこの世にいねーだろーし。所詮人間なんていいトコもあれば悪いトコもある。みん な違ってみんないい、である。実際にそいつに会ってそいつがどんな人間か知れば、こんな得体の知れない不安から逃れられるように思った。
栞が俺に向けてくれる笑顔に一点の曇りだってなく、一欠けらの躊躇いだってありはしない。よく分かってる。栞が俺に伝えて来てくれる想いに、微かな戸惑い も濁りもない。100パーセントの純粋さで俺へと気持ちを届けてくれる。そう知ってる。栞は俺に全てを委ねてくれる。彼女が持ってる全てを俺に与えてくれ る。そのことに限りない喜びを感じる。
にも関わらず、俺の中に取り憑いた亡霊が頭ン中で囁きかけて来て、俺を疑心暗鬼へと駆り立てた。いつか俺から離れて行ってしまうんじゃないか。いつか俺 じゃなくヤツを見つめる日が訪れるんじゃないか。そんな疑念が俺を惑わせて、繰り返し栞の気持ちを確かめ、試してしまってた。栞の何もかもを得ようと欲し た。これ以上の何を望み、求めることがあるのか。そうよく分かっていながら。
初めて俺の部屋に泊まった日、栞は俺と身体を重ねることに喜びを伝えてくれた。まあ、恥ずかしがり屋の栞だったから、相当控え目にではあったが。一つずつ 夜を重ね、ゆっくりと俺は栞の全部を確かめ、知っていった。俺には幾分じれったく感じる程のゆっくりした進み具合だったが、急ぐ必要はどこにもなかった。 恥ずかしがる栞へと愛を伝え、彼女の躊躇いを和らげ、恥ずかしさを宥め、彼女を開かせ、この目と口と指と手で栞を味わった。そうした行為にいつまで経って も栞は慣れなくて、俺が求めると嫌がりはしないものの未だに恥じらいを見せる。
「ねえ、どうしてあたしが恥ずかしがることするの?」
ベッドの中で頬を赤らめた栞に聞かれた。
「どうして、って言われても・・・強いて言えば好きだから、かな」
「好きな相手が恥ずかしがることしたがるの?」
「いや、だから、何てーの?好きなコにはついつい意地悪したくなるっつーか。よく小学生の男子とかであるじゃん」
「何それ?」栞が呆れる目で俺を見る。
「要するに男なんていつまでたってもガキなんだってこと」
煙に巻くように言う俺に栞は不満そうな顔をした。
「変なの」
「栞は嫌?」
探るように栞の瞳を覗き込む。
「嫌、なんじゃないけど・・・恥ずかしいのっ」
少し拗ねるように言う栞がたまらなく可愛くて、強引に抱き寄せる。可愛い悲鳴を上げる栞の口を塞いだ。
恥じらう栞も可愛くていいし、恥ずかしがってる栞を感じさせることにたまらない興奮を覚える。だけど、決して栞を苦しませたり、嫌がることをしたいとか、そんなつもりはほんの僅かにだって思っていない。
それなのに今の俺は、栞が恥ずかしがりながらも快感を得ていることを確かめようとしてしまう。それがどんなに彼女にとって恥ずかしい行為であるか、よく分 かってるにも関わらず。俺が与える快感に栞は恥ずかしがりながらも悦んでいる。それを知って俺は安心した。俺が彼女をこんな風に乱れさせることが出来る。 誰にも見せない姿を栞は俺にだけ見せてくれる。そう確かめて自分自身を安堵させ、自信のない自分を宥めていた。何度も口にさせた。俺を好きだと。愛してる と。形にして確かめずにいられなかった。耳に聞こえ、目に見える形で示されなければ、自信を持てなかった。いや、栞が俺に分かる形で示してくれても俺は不 安を拭えなかった。このままじゃダメだ。心の何処かでそう気付きながら。

◆◆◆

外で夕食を済ませた後、俺の部屋で緩やかな時間を過ごしている時に栞が伝えてきた。
「麻耶さんからね、ベジタブルパーティーのお誘いを受けたの」
「ベジタブルパーティー?」
聞き返す俺に、栞は楽しそうな笑顔を浮べて説明してくれた。
「うん。野菜中心のお料理で夕食会を開くんですって」
「へえー」
「それでお料理は萌奈美ちゃんが作ってくれるらしいの」
栞が弾んだ声で続ける。萌奈美ってコは栞の話にもよく出てくる女の子で、栞とそのコは相当の仲良しらしい。栞から聞いてるところでは、あの佳原匠のヤロー の彼女というか婚約者だそうで、今現在、あろうことか佳原のヤローはその萌奈美ってコと一緒に住んでるらしかった。麻耶さんと一緒に三人で住んでるんだ よ、っていう栞の言葉は余り耳に入ってこなかった。人間とは見たい物だけを見、聞きたいことだけを聞くものである。何たるけしからん。益々佳原のヤローに 反感が募る。
それにしても一寸不可解ではあった。萌奈美ってコは、佳原のヤローの婚約者なんだろ?そんな相手とどうして仲良くなんて出来るんだ、栞は?よりにもよって自分が片想いしていた男の婚約者となんて。どうにも分からん。
「ふーん」
あまり関心なさげに相槌を打っていた俺だったが、はたと気付いた。麻耶さんトコでパーティーを開くってことは、そして萌奈美ってコが料理を振舞うってこと は、つまりそこには佳原のヤローも居やがるのか?きっとそうに違いない。佳原のヤローと栞が一つ部屋で同じ空気を吸うだなんて、誰が大人しく看過できよう か。
「栞、それ行くの?」
「え?うん。行くつもり」
さりげなさを装って聞く俺に、屈託のない笑顔で栞が答える。表向きは平静を努めていたが、心の中は冬の日本海の如く荒れ狂っていた。
「俺も行く」
「え?」
「行っていい?」
突然の俺の申し出に栞は戸惑いを隠せずにいる。
「え、うん、多分・・・麻耶さんに聞いてみるね」
自分も招待される立場であるため彼女の一存って訳にもいかず、栞が確認してくれるってことでその場は落ち着いた。
いい機会だ。佳原匠ってのがどんなヤツか、この目で確かめてやる。俺は沸々と熱い闘志を滾らせていた。

そんな訳で無事麻耶さんからの許諾を取り付けて、今こうしてここにいる訳だった。
俺が一緒に行くことになって最初栞は、その萌奈美ってコを始めパーティーに集まる知人達に俺を紹介する状況になることを、しきりに恥ずかしがっていた。俺 だって大勢の初対面の相手と一緒に飯を食うことを、決して楽しく思ってる訳じゃない。だが、ここで栞には俺っていう男がいるってことを、彼女の知り合い達 に知っておいてもらうのも悪くはないだろう。広く周知することで栞に横恋慕するような不逞の輩が出てくるのを抑止することにも繋がる。そんな思惑もありつ つ、今回のパーティーに名乗りを上げたのだ。
「今日、九条さん達も来るんですよね?」
悲しいかな、俺の心中を察することもなく、栞は佳原のヤローにしきりに話しかける。
「うん。少し前にここ通ってった」
「あっ、そうだったんですか」
今名前が出てきた九条とかってヤツを始め、今日参加する連中のことを一応栞から聞いておいた。若干名、栞も知らない人間も参加するらしいが。この九条って ヤツは佳原のヤローの友人らしい。栞はこの九条ってヤツの他、飯高とかってヤツや、他に何つったっけな?数名いる佳原の友人とも割りと親しくしているらし く、いい人達なんだよ、って話してた。人の気も知らんと。男でいいヤツなんてーのはなー、一皮剥けば下心と妄想満載のケダモノなんだよ。俺も含めてな。そ れにしても、九条ってヤツには誠に申し訳ないが、佳原の友人って聞いただけでむくむくと反感が募ってきちまう。これはもう条件反射と言おうか、坊主憎け りゃ袈裟まで憎しというか何というか。
しかしさっきから見てて思うんだが、佳原のヤローの無愛想で素っ気無い態度にも関わらず、それを気にかけることもなく栞は笑顔で話しかけている。時々軽い ジョークまで飛ばしてるんだから益々もって信じらんねー。人見知りで内気な栞がこんな風に振舞えるのはちょっと驚きだった。通常、佳原みてーなヤツを前に したら、栞だったらまず間違いなく自分から話しかけるのなんて到底無理ゲーな筈。そんだけこの佳原ってヤローに慣れてて、打ち解けた関係ってことなのか? そう思うとどうしようもない焦りが胸の奥の方から湧き起こってきて、俺をたまらない気持ちにさせる。果たして俺は今夜一晩、この身を焼き尽くすような嫉妬 の炎に持ち堪えることができるんだろうか?限りなく不安だった。
さっきだって実に危ういところだったのだ。初対面を済ませ、栞が佳原のヤローを俺に紹介した時のことだ。
「匠さん、麻耶さんのお兄さんなのよ」
驚いた?って顔で聞く栞だったが、それは既に麻耶さんから情報を得ていたので別段驚きでも何でもない。しかしせっかく栞が茶目っ気のある口調で聞いてくれてるんだから、それに応えてやらないのは悪いかなって思った。
「えっ、そーなんだ?」
びっくりした声を上げる俺を見て、栞は楽しげな笑顔を浮べた。ううっ。可愛い。時折栞が見せる悪戯めいた表情はたまらなく愛おしい。佳原のヤローがいな きゃ、公衆の面前だろーが何だろーが抱き締めてるところだ。時に俺が我慢できなくなって人目も憚らず抱き締めると、栞は顔を真っ赤にして恥ずかしがって激 しく取り乱す。そんな栞が可愛くって、あたふたともがいて恥ずかしい状況から脱出を図ろうとする彼女を逃がさず、一層強く抱き締めてしまう。終いには ちょっと怒った声で注意されることになるんだが。もおーっ、止めてよねー、って。真っ赤な顔で耳まで赤くして。いつまで経っても慣れねーのな、お前。俺と 付き合ってたら、そんくらい余裕かましてもらわないと。
とか言いながら、俺には全くもって余裕なんてなかった。栞が佳原のヤローを「匠さん」なんて呼ぶ度、激しく胸が軋んだ。そのうち心不全を起こすんじゃないか。耐えられるか、俺?そんな不安が胸を過ぎる俺に、更なる衝撃が襲いかかった。
「それとね、前に話したことあったでしょ?あたしが大好きって言ってたイラスト。あのイラストを描いてるの、匠さんなの」
栞の口から佳原のヤローに対して(例えアイツが描いた絵に対するものだとしても)「好き」なんて、しかも「“大”好き」なんてー言葉が発せられた事実を前に、俺の心臓は危うくその鼓動を停止しかけた。マジ、心臓が痛い。誰か、救心くれ!
頼むからそんなはにかんだ顔を俺に見せるな。人目が気になる一方、栞はそんなに他人の心情に敏くない。どっちかってーと他人の気持ちを察するのが苦手な方 なんだと思う。鈍い、とまで言ってしまうのは流石に躊躇われるが。しかし、それにしてもお前に惚れてる男の心情くらい、もうちょっと察して欲しいもんだ よ。思わず懇願しないではいられなかった。
「どうかしたの、彰さん?」
凍りついた表情を浮べる俺を見て、栞は目をパチクリさせた。おお!ジーザス!
 


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