【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Another Scene ≫


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ベランダに出た途端に圧倒するような暑さが襲い掛かって来て、一瞬にして気持ちが萎えかかった。回れ右をして涼しい部屋の中に戻ろうかと本気で迷った。
「お、麻耶ちゃんも一服?」
「えっ?麻耶ちゃん煙草吸ったっけ?」
振り返った九条さんと華奈(はな)さんに聞かれたので、ううん、と首を横に振った。話しかけられて逃げるに逃げられなくなってしまった。
「暑いねー、それにしても」
二人に並んでコンクリートの手摺に寄りかかり、手をかざして太陽を仰ぎ見た。ぎらぎらと突き刺さるような陽射しが容赦なく降り注いで来る。
「わざわざ出て来て何分かり切ったこと言ってんの?」
華奈さんが突っ込みを入れてくる。でも実のところ、薄々感づいてはいるんだろうな、きっと。
それは九条さんにしても同じだったみたいで。
「にしても、すんげえ急転直下の展開だよなー」
「ホント、怒涛の如くね」
呆れ返った口調で二人に言われて苦笑せざるを得なかった。誰に聞いてもそう言うだろうなって分かってるから。
「でも、一緒に暮らすように勧めたのはそもそもは麻耶ちゃんだったんだって?」
意外そうに言われた。微妙な笑顔であたしは頷いた。
「思い切ったのかな?やっと麻耶ちゃんも兄離れ出来たってこと?」
流石は“気遣い”というスキルが欠片もない華奈さんの聞き方だった。悪気がないのは分かってるから、苦笑するだけに留めておいてあげることにした。華奈さんの隣ではあの九条さんでさえ、前置きもなくいきなりそーゆう質問するかあ?って眉を顰めている。
華奈さんの質問を自分に問い直してみたけどよく分からなかった。
「うーん、どうかなあ?」首を傾げて疑問を漏らす。
「でも、萌奈美ちゃんと匠くんの二人でいることが自然に見えるようにはなったかな」
あたしが呟くと、九条さんがへえー?と露骨に驚いた顔をした。そんなに意外なこと言ったかな?
「まさか麻耶ちゃんからそんな言葉を聞くとはね。俺、麻耶ちゃんはどんな相手だろうと絶対に認めないもんだと思ってたよ。それこそ、有り得ない話だけど、相手がミス日本であったとしてもさ」
しっかり見抜かれてて気恥ずかしくて苦笑いを浮かべるしかなかった。やっぱり九条さんは鋭いなあ。今更ながらにこの人の洞察力とか勘のよさとかに感心した。
確かに以前のあたしだったらそうだろうな。・・・ううん、違う。今だって誰であっても認めないと思う。匠くんの隣のポジションに立とうとする女なんて。たった一人だけを除いて。
自分でも不思議な気がした。今まで十何年?誰一人として認めたりしたことなかった。どんなに素敵な女性であっても、非の打ち所のないような女性であって も、あたしも“ああ素晴らしい女性(ひと)だなあ”って認めざるを得ないような女性であったとしても、どんな相手も匠くんの彼女或いは恋人には相応しいと は思わなかった。ものすごい偏った思考だってことは自分自身でもよく分かってた。それでも、匠くんの彼女・恋人を仮想することは不可能で、どんな女性もそ の役には相応しく思えなかった。
それが萌奈美ちゃんだけは違った。
最初は今までして来たように排除しようと思った。でも出来なかった。それは、匠くんへの想いを萌奈美ちゃんが一向に諦めようとしなかったからだけじゃない と思う。一見大人しそうで内気そうに見える彼女の、どこにそんな情熱が潜んでいるのかってびっくりするくらい、匠くんへ向けられた彼女の想いは、一途で躊 躇いってものを知らなくて激しかった。彼女と向かい合った時あたしの方がたじろいでしまうくらい、真っ直ぐで熱い想いがその眼差しに映っていたのを覚えて いる。
匠くんの方でも萌奈美ちゃんに惹かれていってるのが分かって、あたしは驚きを隠せなかった。それだって今まで一度もなかったことだった。匠くんが異性に想いを寄せるだなんて、思ってもみなかったことだった。
何時だって匠くんは人に素っ気無くて無関心で、感情を動かしたりすることなんてなかった。匠くんが人を好きになったり恋に落ちたりすることなんて有り得ないことだって思ってた。
だけど。
まるでそれが必然であるかのように、出会った二人は自ずと引き寄せ合い重なり合って行った。
あたしはそれを否定したり引き離したり出来なかった。
それが普通にある男女の恋愛のひとつに過ぎなければ、あたしは何の躊躇いもなくその恋を引き裂いてぶち壊してた筈だ。巧妙に、あたしの画策によるものだなんて全く誰にも気付かれないままに。
でも萌奈美ちゃんと匠くんの二人には出来なかった。
あたし自身の何かが多分気付いてた。二人は巷に溢れてる偶然がもたらした何百何千通りある男女の関係の1バージョンとは違うってことを。だから、反撥しながらも心の何処かで諦めと共に受け入れていた。匠くんと一緒に並んで歩くのは萌奈美ちゃん以外誰もいないって
「今だって萌奈美ちゃん以外の誰も認めませんよ。絶対」
あたしは九条さんの意見に反論した。
九条さんは目を丸くした。「そうなんだ」
「そんだけ萌奈美ちゃんは特別なんだ。麻耶ちゃんから見ても」
華奈さんの指摘にあたしは頷く。
そう。萌奈美ちゃんは特別なんだ。匠くんにとって。萌奈美ちゃん以外の誰も、匠くんをあんな風に変えられない。匠くんに優しい振舞いをさせたり、温かい笑 顔を浮かばせたり、優しい声で囁かせたりなんて、他の誰にも絶対出来ない。全部、萌奈美ちゃんだけに向けられたものだった。萌奈美ちゃん以外の誰も、あん な風に溢れる熱情に衝き動かされるままに匠くんを駆け出させることなんて出来ない。萌奈美ちゃん以外の何も目に入らなくて全速力で走り出す匠くんを、そう させることが出来るのは萌奈美ちゃんだけだ。
認めるしかなかった。
それを認めるしかなかった時はやっぱり切なくて胸が痛んで、どうしようもなく苦しかったけれど、でも少しずつ段々と穏やかな思いが募っていった。静寂の 中、粉雪が降り積もる様にも似て、穏やかで優しい気持ちが静かに心に満ちていった。二人が一緒にいるのを見てそんな気持ちになれることに気付いて、自分で もすごくびっくりした。びっくりしながら、その気持ちに気付いてあたしは嬉しかった。二人を心から祝福した。
二人を祝福しながらあたし自身も、優しくて温かい気持ちが胸に満ちて幸せになった。
萌奈美ちゃんには、匠くんへのひたむきさ、一途さを失って欲しくなかった。少しでもあたしはその役に立ちたかった。そんなことを思えるようになった。萌奈 美ちゃんと匠くんの二人の幸せのために、あたしは何が出来るだろう?何か出来るだろうか?出来るんだったら、あたしはそのための努力を少しも惜しむ気はな かった。心からそう思った。

「麻耶ちゃんがそうまで思うんだったら本物なんだろうなあ」
九条さんが感心したように呟いた。
「九条さんもきっと分かるよ。あたしがどうしてそう思ったか」
ふうん?九条さんは曖昧な表情を浮かべた。あたしの言葉を保留したようだった。やっぱり匠くんと萌奈美ちゃんの関係は、直接接してみないと分からないんだろうなって思った。
「それで麻耶ちゃんは?どうなの?」
「え?どうって?」華奈さんの質問の意味が分からず華奈さんを見返した。
「やっとお兄さん離れ出来て、淋しくない?」
「よかったら誰か紹介しようか?・・・なんて、麻耶ちゃんだったらそんなのいらぬお世話か」
九条さんの一人ツッコミに笑いながらあたしは、「大丈夫だから。心配御無用です」とふざけた調子を演じて答えた。
「人のことより、九条さんの方こそどうなの?お相手とは上手くいってんの?」
あたしが探りを入れると九条さんは顔を曇らせた。
「まあ・・・どうにか」
その様子に九条さんの苦労が偲ばれた。大学時代の後輩で(あたしから見ると同級なんだけど)在学中から付き合い始めたのであたしもよく知っていた。正直、 九条さんてマゾなのかな?って危ぶんだものだった。だって、わざわざ自分から選んで苦労を背負い込んでいるようにしか思えなかったから。確かに外見はすっ ごく可愛くて学内でも相当人気が高かったのをあたしもよく知ってるけど、それを帳消しにするくらい性格に難ありの人物だった。九条さんだったら余程条件の いい彼女を幾らでも作れるのにと思った。実際、九条さんに密かに思いを寄せてた女子学生を少なからぬ数あたしは知っていたし、社会人になってからはスーツ 姿も決まっていて、九条さんに憧れたりする女子社員は結構いるんじゃないかと推測している。好き好んで“あの”彼女と交際を続けてる理由なんて何処にもな いんじゃないの?って思う。
「それにしてもよく続いてるよね。九条さんの苦労が偲ばれるなあ」
「ちえっ。簡単に一言で片付けんなよ。こっちの苦労は並大抵のもんじゃないんだぜ」
如何にも他人事というトーンであたしが感想を漏らすと、九条さんは苦々しげに言い返した。
「恋愛は自由です。イヤだったら別れたらいーんです」あたしは事も無げに言い返した。
九条さんがやり込められている光景に華奈さんは笑いを噛み殺している。でも防ぎきれなくて「くっ、くっ」って忍び笑いが漏れ出ている。
「俺だって自分ながらに“何を好き好んで”って思ったりもするさ。ここんとこ、そう思う頻度が多くなりつつあるのが心配なんだが・・・」
「恋愛は我慢するもんでもないでしょ?もっとも、時には我慢が必要なときもあるけど、それはそれとして・・・臨界点まで我慢して挙句にメルトダウンなんてことを思ってる訳じゃないでしょーね?」
華奈さんの追及を受けて九条さんは困ったように頭を掻いた。
「そんなことは誰も思ってませんけどねー」
九条さんは聞いているだけで憂鬱な気分になりそうな深い溜息をついた。
「どうにも分かんねーんだよなー。正直、アイツ、俺のコト本気で好きなのかなって今更になって悩んでるんだよな」
九条さんには珍しく弱音とも愚痴とも取れる発言だった。これはよっぽどダメージ受けてんのかな?流石に心配になった。
「それは完全な取り越し苦労なんじゃない?あの澤木さんが九条さんと別れたりする訳ないよ。別れられる訳ないって言った方が正確かな?澤木さんの方が完全 に九条さんに依存してるんだからさ。九条さんがいなくなったら彼女完全に誰にも相手にされなくなるの明らかだし。それくらいは幾らあの澤木さんだって分 かってるんじゃないの?」
あたしの気遣いなんて1ミクロンもしない、情け容赦のない意見に九条さんは耳が痛いようだった。九条さんには悪いけど、澤木さんに気遣いなんてしたいとも 思わなかった。同級で同じ学部だったから彼女のことは嫌でも知ってる。幸いにも直接の付き合いはなかったけど、彼女の噂は頻繁に耳に入って来たし、彼女の ことを見かける機会も少なからずあった。実際見ると際立って可愛かったのは確かだけど、でも遠目からでも彼女の性格の悪さ、人としての低俗さは伝わって来 た。大学を卒業してから3年過ぎてるけどどうなんだろ?少しは変わったのかな?とは言ってもあの性格がそう簡単に治るとも思えないし。
「ちょっとさ、不安定なんだよな。ここんトコ、アイツ」弱弱しい声で九条さんが漏らした。
「え?不安定って・・・?」
「だから、精神的にって言うか、ちょっとさ」
躊躇いがちに言う九条さんの不安そうな気持ちが伝わって来て俄かに心配になった。
「不安定って、どういう風に・・・?」聞いていいのかどうか迷いながら訊ねた。でも多分九条さんは誰かに聞いて貰いたいのかも知れないって思った。
「気持ちの浮き沈みが激しいっていうか。沈んでいる状態の方が多いんだけどさ、そうかと思うとやたらヒステリックな状態になったり・・・」
「それって・・・鬱っぽかったりとか?」“鬱病”ってはっきり口に出すのが躊躇われた。
「いや・・・よく分かんないけど・・・そこまでとは思わないんだけど・・・情緒不安定って言うか・・・」
「病院行った方がいいんじゃない?心療内科とか」
華奈さんが真剣な声で勧めた。
「俺もそう思うんですけど、アイツが人の言うこと素直に聞く訳ないし。況してや心療内科なんて“自分は精神を病んでます”なんて公言してるようなもんだって、絶対首を縦に振ったりしないよ」
お手上げというように肩を竦めて九条さんは諦め顔で苦笑いを浮かべた。
「そんなに重く考えなくてもいいと思うけどね。とりあえず心療内科だったら精神科ほど敷居高くないし、今時心身の不調で心療内科にかかる人なんて幾らでもいるわよ」
「変にプライドだけは高いから。自分が精神的に弱いだなんて絶対認めたがらないんですよ」
せっかくの華奈さんのアドバイスも澤木さんには無駄のようで、九条さんは申し訳なさそうだった。
「そうやって強がること自体、弱さの裏返しなんじゃない」
手に負えないって感じで華奈さんが声を上げた。
本当、その通りだった。自分の弱さを絶対に認めたがらない。ただ強がるだけの無意味で空疎なプライドの持ち主。自分の器も知らずに、自分を本当の自分以上 に周りに見せようとするから、遂には無理が効かなくなって、身動きとれなくなるんだ。それでバランスが崩れても自業自得ってモンじゃないの?冷たく突き放 すようにあたしは思った。
だけど九条さんは自分の彼女のことに他ならなくて、あたしのように突き放したりなんて出来なかった。
「いよいよ危なかったら四の五の言っても力ずくで連れてくのよ」
強い口調で華奈さんに言われて、九条さんはしっかりと頷いた。
「何か聞いてて九条さんも大分ダメージ受けてる感じだけど・・・そこまでして付き合う必要あるの?」
かなり率直に訊ねた。九条さんとは匠くんが大学に入った時からの付き合いで、面倒見のいい九条さんはあたしのこともそれこそ実の妹みたいに扱ってくれて、 あたしはそんな九条さんに信頼を寄せている。だからこそ、九条さんにはもっといい相手が幾らでもいるのにって思わずにいられない。
「まあ、流石にちっと消耗してるかなあ・・・」他人事のように暢気な口調で言うと九条さんは首を回した。
「九条さんが彼女と付き合い続けてるのどうしても分かんない。そりゃあ外見はすごく可愛いのは認めざるを得ないけど、九条さんのポイントってそこじゃないでしょ?だったら何でなのかなって思う」
「麻耶ちゃんはその九条君の彼女がお気に召さないみたいね?」
澤木さんのことを知らない華奈さんは、一貫して澤木さんを認めようとしないあたしの態度を訝しく感じてるようだった。お気に召さないなんてレベルじゃない。
「はっきり言って“大嫌い”の部類に入りますね。我儘で自分勝手で人を見下してて、大した器でも無いのに自尊心ばっかり高くて、自分自身に誇れるものなん てない癖に、運よくたまたま外見が他人より数段優れてて、生まれついた家が資産家だったからって、自分が価値の高い人間だと錯覚してるような人で、その 癖、他の人に依存しないではいられない性格の持ち主だもの」
人から何かを奪うことを何とも思わないような人間。人の痛みや悲しみに無自覚な人間。人を傷つけることに微かな罪悪感も感じたりしない。
大学時代、あたしの周りにも彼女の傍若無人さに傷つき痛みを負った友達が幾人もいた。
正直、大学では彼女に敵意を持っていた。もし、彼女があたしをターゲットに捉えることがあれば、あたしは容赦なく彼女を叩きのめすつもりだった。自分では 何も出来やしない彼女を二度とキャンパスで大きな顔できないように叩きのめすのなんて簡単だってあたしは自負していた。敵わない相手を避ける嗅覚にだけは 秀でていたのか(だからこそ彼女は今まであんな風に大きな顔をしてこられたんだろうけど)、残念ながら彼女とあたしが直接対峙するような状況は、遂に大学 を卒業するまで一度も訪れることはなかった。
考えてみれば奇跡的な確率のような気もする。だって九条さんは匠くんとよくツルんでたし、あたしは匠くんにべったりくっ付いてたし、幾らでも彼女とあたし が接近遭遇する機会はあったようにも思うのだけれど。でも澤木さんは何となく匠くんを始めとして竹井さんや飯高さんを敬遠している感があったし、澤木さん をいつも取り巻いてた男子学生と匠くん達は明らかに毛色が違ってたし、澤木さんは匠くん達のようなタイプと交流があるように見られるのが我慢ならなかった のかも知れない。
それに匠くんなんてもし澤木さんと面と向かっても、絶対彼女の存在自体完全無視を決め込むだろうから(匠くんの性格的に、澤木さんみたいな人種に対して少 しだって理解してやろうって気はハナからなくて、一顧だにしなかったと思うんだよね。あたしだったら、もしあたしのテリトリーに入って来たりすれば完膚な きまでに叩きのめすだろうし、匠くんはそもそも相手の存在自体を黙殺しようとするだろうから、実際の対応としては対極的だけど考え方自体はやっぱり兄妹な のか一致してるのかも)、彼女のプライドがそんなこと許すはずなくて近寄って来なかったのかも知れない。
あたしは情け容赦なく言った。
「ごめん。麻耶ちゃん」九条さんが話を遮った。
「麻耶ちゃんの言うことはもしかしたら正論なのかも知れないけど、大勢が同意を示すかも知れないけど、だけど俺の立場は麻耶ちゃんの言葉を受け入れること は出来ないんだ。俺はアイツの“彼氏”だから、俺はアイツを信じてやんなきゃいけないんだ。俺だけはアイツを庇ってやらなくちゃいけないんだ」
九条さんは少し悲痛な表情をしていた。それはそうなんだろうな。九条さんの気持ちに触れて、少し後ろめたくて言い過ぎたことに後悔を覚えた。だけど、それでも謝る言葉はどうしても出てこなかった。九条さんもそれは十分分かってるみたいだった。
「・・・九条さんは澤木さんの何処がそんなに好きなんですか?」
意地悪だと自分でも思いながら訊ねることを止められなかった。
「難しいな。一口で何処がとかって言えないし・・・」
「愛してたりとかあるんですか?」九条さんを追い詰めることを止められなかった。
「そりゃあ、愛がなきゃこんだけ頑張れないだろう?」
心外だと言わんばかりの口調で九条さんが答えた。
「そうですか?何だか、同情だったり哀れみだったりするようにあたしには見えますけど?」
「哀れみってのはないな。そんな風には思っていない。同情ってのは・・・微妙かな。アイツ、自分で自分を嫌ってんだよ。流石に年齢を重ねてちっとは大人に なって、今までの自分の愚かさに気付いて、今までの自分を嫌悪して、何とか今までの自分から変わりたいって望んでて、だけど積み重ねてきた性格ってのはな かなか治らなくて、それでどうしていいか分からなくなって、結局周囲に苛立ちと怒りをぶつけるしか出来なくなってるんだ。アイツは心の底では間違ってた自 分を変えたいって願ってて、だけど変われなくてそのギャップに苦しんでる。俺はアイツが変わろうとするのを支えたいって思ってんだ。・・・それは、同情な のかも知れない。だけどそれだけじゃないとも思う。変わりたいって願ってるアイツを愛しく思う自分が間違いなくいるんだ。変わろうとすることはそりゃあ大 変だけど、特にアイツの場合は普通の人より何倍も困難なことだと思うけど、でも変わろうとするのは決して遅くなんかない。手遅れなんかじゃない。間違いに 気付いて、間違ってた自分から変わろうとするのに手遅れなんてことはないんだからって、そうアイツを励まして、挫けそうになるアイツを支えてやりたいん だ」
九条さんはまるで自分自身に言い聞かせているみたいだった。はっきりとは考えて来なかった自分の気持ちを、今はっきりと確かめているみたいな気がした。
「結局、九条くんも相当に生真面目な人間よね」
面白くもなさそうに華奈さんが呟いた。そんなことを言う華奈さんは一体どういう相手だったらいいのだろう?
華奈さんに指摘されて九条さんは照れくさそうに頭を掻いた。
「期待を裏切って申し訳ないです」
「いーけどね」関心薄そうな華奈さんの返事だった。
一人胸の中で大きな溜息をついた。澤木さんのことをそう簡単に嫌いじゃなくなるのなんてまず無理だった。
そして、九条さんは決して同情とかから澤木さんと今まで付き合って来た訳じゃなかったっていうことを知ってしまった。九条さんに澤木さんへの気持ちを断ち切らせようというのは無理な話だって知ってしまった。
九条さんには傷ついたりして欲しくないけど、澤木さんとの交際に終止符が打たれない以上、それは避けられないことだって確信してる。
であれば、今のあたしが出来ることと言えば、出来るだけ九条さんが傷ついたり、悲しんだり、九条さんに負担がかかったりすることがないよう祈る他なかった。
人の気持ちなんてものは、どうしてこうも思うままにならないんだろう?少し悲しかった。
「二人に話聞いて貰って、大分楽になった」
九条さんが明るい声で告げた。本当なのかな?あたしとしては、とてもそうは思えなかった。
「・・・あんまり無理しなくていいと思う」
控えめにそう告げた。九条さんは十分頑張って来たと思う。いつ投げ出したって誰も責めたりしないと思う。
そう思ってやっぱり思い直した。多分・・・澤木さん本人は責めるに違いないって。九条さんが今まで傍にいてくれたことへの感謝なんて微塵も思うことなく、ただ激しく詰(なじ)るばかりなんだろうって思った。
「心配してくれてサンキュー」
あたしの表情が冴えないのを読み取ったらしく、九条さんはやたらと軽い口調で感謝を述べた。
その顔を見て思う。結局、この人は周りが何だかんだ言ったところで、澤木さんを支えようとして無理でも何でも頑張っちゃうんだろうなって。この世の中、苦労が報われるとは限らないのなんて分かりきってる癖に。
それが分かったから、あたしは薄い笑みを返しながら小さく首を振った。

あたし自身だって九条さん達に言ってるほどにはフッきれてる訳じゃない。
叶わない気持ちに理不尽だって恨めしく思ったりする。苛立たしさに襲われる。一方で想いを叶えてる人もいるのにって。幸せな人達を羨ましく思ったりする。・・・ううん、本当はもっと暗くて烈しい感情だ。その正体を知ってる癖に。それが憎しみだって分かってる癖に。
決して誰にもぶつけられないこの感情を、何処にも行き場のないこの想いを、あたしはどうすればいいんだろう?
いつか、その烈しい想いは過ぎ行く時の中で、霞んで薄れていくんだろうか?強い風に晒されて風化していくみたいに、気持ちもやがて風化するんだろうか?激 しく舞う風にこの想いが千千(ちぢ)に掻き消えてしまえばいい。そんな淋しい景色も今のあたしには待ち遠しいものに感じられた。


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