【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Cheers! ~ほろ酔い女子は今宵もそぞろ歩く (6) ≫

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日本酒も杯を重ねて、お酒の進んだあたし達は結構打ち解けた感じになっていました。
小柳さんは非常に残念そうではありましたが、「子供が待ってるから」との理由でつい先ほど九時を過ぎた辺りでお帰りになりました。五歳と三歳のお子さんがいるそうです。わあ、まさに可愛い盛りですねえ。笹野さんが教えてくれました。
飯高さんと高来さんお二人が連れ立ってトイレに行って席を外していた折のこと。
「恵美から仙道さんと飲みに行くことになったって聞いた時は、大丈夫なのか、それ、って思ったのね」
はい?大丈夫なのかって言うのは、一体何についてでしょうか。突然初島さんが白状するように話し出して、心の中で首を傾げました。
「てっきりバトるんじゃないかって思ってたから」
バトるって、それはあたしが笹野さんと、ってことでしょうか。ええっ。とんだ誤解です。
「翠っ」
事態を心配した笹野さんが焦って止めに入ります。
「別に今ならもうぶっちゃけちゃっても構わないじゃない」
一方初島さんは何の心配もなさそうに、しれっとしています。
どうやらそれなりに打ち解けて、信頼を得られたみたいです。もちろんです。笹野さんを害するつもりなんてほんの一欠片だってありません。物理的にも精神的にも。
「実際こうして直に仙道さんと話してみるまで、口論になって最悪罵倒の応酬になりはしないか、ちょっと懸念してたのよ」
そーでしたか。
あたしが飯高さんに好意を寄せてたこと、初島さん、あと恐らくは高来さんにも知られちゃってるんですね。それはちょっと気まずいですね。
初島さん達からすれば、あたしが飯高さん、笹野さんとテーブルを囲んでいるこの状況は、この上なく場違いなものに見えてるんでしょうか。諦めの悪い女が憎っくき相手を呼び出して喧嘩を吹っ掛けに、若しくは怨み言をぶちまけに来たんじゃないか。それこそつい今さっきまで、初島さん達にはそんな風に思われてたのかも知れません。残念ながら、と言っていいんでしょうか、そこまでの闘争心は持ち合わせていないですね。
それにしても、あたしってそんなに好戦的に見えますか?もしそうだとしたらちょっとショックですね。
「恵美に、章司と一緒に同席を求められた時は、あたしはセコンド役かなって思ったわね」
あはは、上手いですね。セコンド役とは何とも的確な表現ではないでしょうか。座布団一枚差し上げたいところです。
「同じようなこと考えてる人がいた」
下館さんから少しビックリした調子の声が上がりました。
「尤もあたしは仙道さんサイドのセコンドだけど」
ニヤリという擬音が聞こえそうな表情を浮かべ、下館さんは唇を歪ませます。
下館さん、ですから対決しに来たんじゃなく、あくまで友好の下、交流を図ることを目的に来たんですってば。
一体何人の方が本日の会の主旨を誤解されていたんでしょうか。まさかあたし以外の全員が、なんてことはありませんよね?少し悲しく思います。
でも今の言葉を聞いて、何故下館さんが今夜参加しているのかが、あたしにも理解できました。
下館さんはこちらからお誘いしたんじゃありません。職場であたしと飯高さん、高来さんの三人が笹野さんを交えて飲みに行く相談をしている時に、それを耳に入れた下館さんが「その飲み会、あたしも行く」って自分から名乗りを上げて来たのでした。思えばその時の下館さんの様子は多少強引にも感じるものがあったんですが、飲み会の顔ぶれがあたしにアウェイな感があるのを心配して、ご一緒してくださったんですね。ありがとうございます。下館さんはやっぱりあたしの師匠です。
だけどご安心ください。下館さんが心配されるようなことは全然ありませんから。それはもう初島さん達にもご理解いただけていることと思います。
「あたしの取り越し苦労だったみたいだけど」
肩の荷を下ろすかのように息を吐く下館さんに、初島さんも頷きます。
「そうですね」
ほっ。無事、当初の目的を果たせたようです。よかったです。
「でも、修羅場展開にならなくてホントよかったわよね」
「ホッとしました。もし万が一そんな展開になった上、あの小柳さんにそれを目撃されたらと考えただけで」
下館さんと初島さんは顔を見合わせて頷き合います。初島さんは何を想像したのか、恐ろしげに我が身を抱き締めています。
はて、一体どういうことでしょう?
「今夜小柳さんの顔を見た時は、一瞬凍りついたわよ」
「あはは。あたしは小柳さんが来るのは恵美から聞いて知ってましたけど、それだけに戦々恐々としてました」
その時の心境を思い出して文句混じりの呟きを洩らす下館さんに、初島さんが苦笑いしています。
「ごめんなさい。どこで耳にしたのか今夜のこと知って、参加したいって言われて断れなくて」
笹野さんが申し訳なさそうに謝罪します。
「まー、同じ課の普段お世話になってる先輩からお願いされちゃ、駄目とは言えないっしょ」
自分もそうだったからか、恐縮する笹野さんに理解のあるところを見せる下館さんです。
「途中で帰る時、実に残念そうだったよねー」
そう言ってちょっと意地悪な笑みを浮かべます。
一人何も分かっていないあたしが不思議そうな顔をしていると、それに気付いた下館さんが説明してくれました。
「ああ、仙道さんは知らない?小柳さんって、噂魔なのよ」
「え、そうなんですか?」
「うん。小柳さんの噂好きは社内でも評判なんだから」
そんな方だったんですね。全然知りませんでした。
「総務の小柳さんって言ったら、結構有名よ」
他課の初島さんもその評判は耳にしているようです。
「飯高さん程じゃないけど」
そう初島さんがオチをつけます。確かに。社内一の有名人っていう噂は、先だっての婚約発表の騒動を知れば納得です。
「悪い人じゃないのよ」
同じ部署の先輩のこととあってか、笹野さんが小柳さんを擁護します。
「まあ、好奇心が強過ぎて野次馬根性が旺盛過ぎるだけで」
下館さんのはそれ全然フォローになってませんからね。
だけど小柳さんが悪い人じゃないっていうのは、あたしちゃんと分かってます。飯高さんに振られて泣いてたあたしを慰めて、元気付けようとしてくれたんですから。噂好きではあるけれど優しい人、そうですよね?
まあ、何でも気軽に心置きなく話すのは、控えた方がいいかも知れません。
「だから実は仙道さんのことも、小柳さん経由で結構知ってたんだよね」
笹野さんが幾分ばつが悪そうに教えてくれました。あたしが給湯室で白田さん相手に、飯高さんへのプレゼントに何を贈ったらいいか相談してたこととか。飯高さんに振られたあたしが備品倉庫で泣いてたこととか。
何てことでしょう。殆んど筒抜け状態、全部知られちゃってるじゃないですか。ううっ、恥ずかしい。すみません、今すぐ帰ってもいいですか?
いやはや、それにしても恐るべきは小柳さんの情報力ですね。今後、社内での振る舞いには注意を払った方がいいようです。さもないと思わぬ噂が本人の知らないところで、いつの間にやら流れていたなんてことに。そう注意を促されました。はい。これからは行動には慎重を期すことを心掛けようと思います。

さて、夜も更けてまいりましたし、楽しかった時間もそろそろ幕引きとなりました。
支払いを済ませ店を出ます。
まだまだ喋り足りていない気持ちもあり、名残惜しくはありますが、時刻は既に十一時を回っていることから、今宵はこれにてお開きと相成りました。毎回思うことですが、楽しかった飲み会が終わるのは、少しく寂しい気持ちになります。
飲み慣れない日本酒を飲んだからでしょうか、笹野さんはいつもよりちょっと酔いが回っているそうです。真っ赤という訳でもなく、程よく頬が薄紅色に染まっています。可愛らしいですよ。
「送ってくよ」
「ありがとう」
飯高さんが笹野さんに申し出ます。フィアンセとしては当然の責務というところでしょうか。笹野さんも嬉しそうに応じています。
「今日泊まらせてもらっていい?」
こっちでは初島さんが堂々と外泊を宣言しています。
「いや、いいけど…」
却って高来さんの方が、傍で聞いてるあたし達を気にしている様子。
何だか男女の立ち位置違ってません?
それにしても、あのー、心の中でだけ叫んでもいいですか?それでは失礼して、コホン。
リア充滅びろ!
非リアの方々の慟哭する気持ちを、あたしも今身をもって理解することが出来ました。
あ、隣では目を半目にした下館さんが、眼前の光景に白けた視線を投じています。
師匠、心中お察しします。どうかご安心を。あたしも師匠と同じ心境ですから。

駅前までみんなで一緒に歩いて、駅の入口で解散することになりました。
「今日はありがとうございました。楽しかったです」
飯高さん達に感謝を告げます。
「こちらこそ、楽しかったです」
笹野さんにそう言ってもらえて嬉しいです。
「また飲みに行こうね」
「今度は下館さんお薦めのお店に連れてってください」
「りょーかい。じゃあ、どんな店がいいか、希望があったら伝えといて」
「それじゃ、失礼します」
「おやすみなさい」
次回の約束と別れの挨拶を交わして、あたし達は別れました。
自動改札を抜けてホームに向かう雑踏の中に、肩を寄せ合う二組のカップルが消え行くのを、下館さんと二人で見送ります。

四人の後ろ姿がすっかり見えなくなった後、隣の下館さんが「さーて」と口を開きます。
「さっき酔いが醒める光景を見せつけられて、折角のいい気分が台無しなんだけど」
はいはい、そうでしょうとも。
「このままじゃ面白くないから、もう一軒行くわよ。仙道さん付き合って」
「はいっ」
もちろんです。師匠の命とあらばどこまでだって!
ズンズンと歩き出した下館さんを追って、あたしも早足で歩き出します。
今度はどんな美味しいお酒と巡り会えるのか。新たな美酒との出会いに胸を躍らせながら、夜更けの街に歩を進めるあたしでした。

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