【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Cheers! ~ほろ酔い女子は今宵もそぞろ歩く (3) ≫

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昨日は白田さんのお陰で穏やかな気持ちで家に帰り、うだうだ思い悩むこともなく眠りに就くことが出来ました。
本当に白田さんには飯高さんのことを相談したり、失恋の痛手を慰めてもらったり、いつもいつも助けてもらってばかりで、感謝してもし足りません。
そんな訳で今日は何の思いも後を曳くことなく、すっきりとした気持ちで仕事に取り組めています。大したミスもなく(全然、とは言えないところが悲しく思います。)順調に午後の仕事をこなしていきます。
ちょうど休憩時となって、一息つくついでとばかりに一階のコンビニに向かうことにしました。

一階に降りエレベーターホールからエントランスに向かおうとしたところ、見知った二人を見つけた瞬間足が凍り付きました。
飯高さんと笹野さんの二人の姿がそこにありました。
笹野さんはコンビニ帰りらしく、その手に小さめのレジ袋を下げています。
鞄を持っている飯高さんは、午後はフロアで姿を見ていたので、これから外回りに出掛けるところのようでした。
たまたま偶然行き逢って立ち話になっている様子。正面玄関からエレベーターホールへの動線からはずれたその場所は、人の通行も少なくあまり人目を気にすることもなく、二人とも打ち解けた気安い表情を浮かべ楽しげに話しています。
あたしの立っている位置からは二人が何を話しているかまでは分かりませんが、それでも二人が浮かべる笑顔から楽しい内容であることは一目瞭然です。
笹野さんの手が気安い感じで飯高さんに触れます。
飯高さんに向ける笑顔の柔らかさに、どんなに笹野さんが飯高さんを大切に想っているかが伝わって来ます。
二人は間もなく笑顔のまま手を振り合い、その場で別れました。笹野さんはエレベーターホールへ、飯高さんは通用口へと向かっています。
あたしは一端死角に入って笹野さんをやり過ごすと、飯高さんの後を追いかけました。
何のためなのか、あたし自身もよく分からないまま。
見つけた飯高さんは通用口の自動ドアをくぐり、ちょうど外に出たところでした。通用口を出ると駐車場になっていて、周囲に人影はありません。
殆どなにも考えないまま、あたしはズンズンと足を進めました。
猛然と進んで来るあたしに気付いた飯高さんは、ギョッとした顔をします。一瞬その肩がビクリと跳ねるのが目に入りました。
「飯高さん、お伺いしたいことがあります」
眦を決して飯高さんに話し掛けます。普段滅多に出さないような硬い声です。
「は、はい?」
あたしの剣幕に押されてなのでしょうか、何だか飯高さんは恐々っていった様子です。
「何かな?」
「飯高さん、以前好きな人がいるとは仰ってましたけど、付き合ってる人がいるとは仰っていませんでしたよね?」
「ええと、そうだったっけ?」
自信なさげに飯高さんが聞き返します。あまり覚えてないみたいです。
「そうでした」
対してあたしは間違いないって口調で断定します。
「そうだっけ…ごめん」
悄々とした様子の飯高さんに謝罪されました。
頭を下げられて、自分が飯高さんを責め立てるかのような態度をとっていることに気付きます。内心後ろめたい気持ちを覚えながら、態度を和らげるよう自分を宥めます。
「あの…あれから付き合い始めて婚約されたんですか?それとも、あの時は本当はお付き合いされてたんですか?」
そんなことを聞いて一体どうするんだろう。自分でも理解しているのに、それでも飯高さんに確かめずにはいられません。
「ええっと…あの時は…ちょっと、何て言うか、はっきり明言出来なくって…」
重そうな飯高さんの口から吐き出された説明は、甚だ不明瞭なものでした。
それにしても、あの時明言出来なかった、それってどういうことでしょうか?あたしにははっきり言いたくなかった?確かに社内恋愛って知られるのが嫌で、相手が何処の誰か明言したくなかったのかも知れません。
或いはもっと別の理由なのかも。例えば、そう――
「明言出来なかった、それって、あの時お二人が距離を置いてたってことですか?」
問い詰められて飯高さんの唇がきつく結ばれます。それに対する返答は断固拒否する、そんな意志表示であるかのようです。
二人の距離が離れていた。それってどんな原因で?
だけどあの時、飯高さんははっきり言ってましたよね?好きな人がいるって。だとしたら、二人の距離が離れてしまう原因を作ったのが誰かなんて、そんなの確かめるまでもなく明らかじゃない。
誰のせいか、そんなことを今更此処で聞いたところで何も意味なんてない。あの時飯高さんと笹野さんの気持ちが離れていたんだとしても、その後二人は気持ちを通い合わせて、だから今婚約に至ってるんだから。あたしが今更笹野さんの非を糾弾したところで、飯高さんの気持ちが動くこともなければ、二人が別れたりすることだってない。飯高さんがあたしに振り向いてくれる筈ない。そんなのよくわかってるんです。
それでも、短い時間だったかも知れないけど、笹野さんの気持ちは飯高さんから離れてた。その時笹野さんが飯高さんを不安にさせて、悲しませてたのは間違いありません。そんな笹野さんの罪が許せなくて。笹野さんの罪を問い詰めたくて。あたしは口を開かずにはいられませんでした。
だけど――。
「俺は二人の距離が離れてたとは思ってないんだ」
あたしが笹野さんを非難する前に、飯高さんがそう反論します。
本当にそうでしょうか?飯高さんが本心から言ってるのか聞いてみたくなる。そんな意地の悪い自分に嫌気が差します。
「確かに、あの時彼女は迷っていたのかも知れないけど…」
一瞬困ったように笑う飯高さん。それでもすぐ。
「だけど、全然迷わない人なんていないんじゃないかな?」
そう言って穏やかに目を細めます。元から細い目がまるで糸みたいです。これでちゃんと見えてるんでしょうか。
迷っていたかも知れないけど、笹野さんの気持ちは離れてしまったんじゃなくって、揺れ動いたその後に自分の気持ちをしっかり確かめた笹野さんは距離を縮めてくれた
飯高さんはそんな風に言葉にしました。
こんな表情を向けられては、何だか毒気を抜かれた気分になって、拍子抜けしてしまう。これがアレですね。社内の人が口にするところの、何とも憎めないお人好しの飯高さん、なんですね。
そんなことを心の中で考えるあたし。飯高さんの話は続きます。
「それに俺が笹野さんを好きって気持ちは、全然変わらなかったしね」
はあ、左様でございますか。
「俺の方はもうずっと前から、笹野さんと結婚したいなあって思ってたし」
……あのー、惚気るのは止めて貰っていいですか?そういうの笹野さんに聞かせてあげてください。第三者が聞かされても反応に困るんですけど。
飯高さんってこういう人なんですねー。臆面もなく好きな人のこと好きって言えちゃうような。恥ずかしがりもせず好きな人の惚け話出来ちゃうような。あんまりいないんじゃないでしょうか。そういう何とも、素敵な人。
それにしてもですねー、あたし飯高さんに片想いしてた人間なんですよ?そのあたしに笹野さんへの飯高さんの気持ちを聞かせるなんて、あんまりひどすぎません?こっちはダウンしてるのに構わずマウントからのメッタ打ちを喰らわされてる気分。もしあたしの友達が此処にいて今の飯高さんの話を聞いてたら、間違いなく飯高さんの評判は地に堕ちていたことでしょう。全くもう。
最低です、って言ってもいいでしょうか?いいですよね。
「飯高さん…」
「ん?」
半目で見据えるあたしに気付いてハッとする飯高さん。
「最低です」
「えっ?」
いきなりの非難を浴びて焦った声を上げます。
「あたし、飯高さんに失恋したんですけど?」
あたしの抗議を受けて、やっと自分の不用意且つ失礼な発言に思い至ったみたいです。あっ!と慌てふためいた表情を浮かべます。
「ごっ、ごめん!仙道さん、ホントごめんなさい!」
飯高さんは必死になってペコペコと謝罪しています。うーん、こういうのってよく喩えで何ていうんでしたっけ。…そう、コメツキバッタみたい。よく言いますよね。
何だか可笑しくなって眉間に寄せてた皺が消えてしまいます。口元も緩んできちゃうし。ホント、憎めない人だなあ。ある意味すごいですよね。
「もういいですよ」
不本意ながらも表情を緩めてあたしが言うと、飯高さんはおずおずと顔を上げます。
「ホントに?」
ハの字眉で弱りきった表情を浮かべる飯高さんと顔を合わせたら、もう怒る気持ちなんて霧散してしまいます。
「はい。ホントにもう怒ってません」
ズルいなあって思いながら、ついつい笑い返してしまう。
あたしが笑顔を向けると、飯高さんも安心したのか、ホッとして表情を緩めました。
あたしにとってはちっとも優しくない人。
だけどあたし以外には、いつだって優しい人。
殊に笹野さんに対しては、とっても優しいんだろうな。とっても、とーってもね。周りが呆れて笑うしかなくなっちゃうくらい。
本当、ズルくないですかあ?
やっぱりちょっとくらい困らせたっていいよね。
「飯高さん、やっぱりお詫びに一度飲みに連れて行ってくれませんか?」
「え?」
突然のあたしの要求に飯高さんは激しく狼狽しています。
まあ婚約したばかりの身で異性と二人で飲みに行くなんて、あまり風聞がよくありませんもんね。ましてや交際を申し込んで来て断った相手だったら尚更。どんなあらぬ誤解を招くか分かったものではありません。
飯高さんの慌てふためく様子を前に、少し溜飲が下がる気持ちになります。
心の中で小さく舌を出しつつ追い討ちをかけます。
「ダメですか?」
上目遣いで乞うような眼差しを送ります。
「え、いや、あの…」
益々挙動不審の素振りを強める飯高さんに、思わず吹き出してしまいました。
「笹野さんもお誘いいただいて」
「え?は?」
邪気のない顔で笑うあたしを見て、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする飯高さん。
「どうですか?」
再度問いかけると飯高さんは、宙に視線を投げて考え込む様子。暫しの後、飯高さんからの返答は、
「笹野さんに聞いてみていい?」
とのことでした。
あら、随分慎重ですね。もしかして既に飯高さん笹野さんに尻に敷かれている状況なんでしょうか。などと考えていたら思い至りました。
そうか。もしかしたらあたしがまだ飯高さんを諦めてなくて、婚約者の笹野さんに宣戦布告なり喧嘩を吹っ掛けるなり、そんなことを危惧してるのかも知れないですね。
そんなつもりは毛頭ないんですけどね。
それでなくても振った女性と婚約者と三人で顔付き合わせるのなんて、気まずいことこの上ないですもんね。躊躇するのも仕方ないでしょうか。
此処は少し妥協して。
「何だったら、笹野さんの他にも誘って頂いても構いませんし。そうですね…高来さんですとか」
どんな不穏な思惑も隠してないって理解してもらうために、更なる第三者の同席も許容します。
高来さんは同じ課だし飯高さんと仲がいいから、同席しても変じゃないですしね。
「え、それでもいいの?」
ちょっと意表を衝く提案だったのか、意外そうな顔で飯高さんに聞き返されました。
「はい」
妙な考えはありませんよ。そんなメッセージを笑顔に込めて頷きます。
あ、でもニッコリした笑顔が却って怖いって感じる人もいるかも知れないですね。
えーと、飯高さんにはどう見えていることでしょう?

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