【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Astray (3) ≫


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ある晩、仕事が終わってから麻耶さんに誘われた。これから麻耶さんのお兄さんと、お兄さんの大学時代の友達と一緒に飲む予定なのだという。
「栞ちゃんも一緒にどう?」
そう聞かれて正直迷った。初対面の人と話すの苦手だし、打ち解けられずに憂鬱な時間を過ごしてしまうんじゃないかって不安があった。
それでも、すっかり麻耶さんのお兄さんが描くイラストのファンになっていたあたしは、お兄さんとまた会えればともずっと思ってて、躊躇う気持ちを黙らせて参加することにした。
会ったからって別に何を期待してる訳でもなかった。麻耶さんのお兄さんは一回会っただけ、しかも面と向かった時間なんてほんの僅かなものだったし、あの通 り素っ気無くて無口でぶっきらぼうで、あたしはあたしで人見知りで人と話すのが苦手で、そんな二人で話が弾んだりなんてある筈もない。そんなの分かりきっ てたけど、それでもあたしにとってお兄さんの描く絵を見ることが、毎日を過ごすささやかな楽しみになっていて、あたしに温もりと優しさを届けてくれてい る。少しでもそんな気持ちを伝えられたら嬉しい。
少し胸を高鳴らせながら、麻耶さんと一緒に待ち合わせ場所に向かった。
駅前の待ち合わせ場所に着くと、麻耶さんのお兄さんと二人のお友達が既に待っていた。
「ども、お待たせー」
「おーっ、麻耶ちゃん、久しぶりー」
「おーっす」
麻耶さんとお兄さんのお友達は会うなり親しげな挨拶を交わした。麻耶さんから聞いてる話では、麻耶さんもお兄さんと同じ大学だったので、みんなとは大学の 時からの知り合いで、大学時代はお兄さんの友達とも年がら年中一緒にいるような関係で、すごく仲が良くて親しい間柄なのだという。
「あの、初めまして。間中栞です」
一人だけ初対面の状況に気後れを感じつつ、挨拶した。
「事務所の中で一番仲良しのコなの」
あたしの両肩を抱くように手を置いて仲良しぶりをアピールしながら、麻耶さんが紹介してくれた。何気ない感じの麻耶さんの言葉だったけれど、“一番仲良し”って言ってもらえて、すごく嬉しかった。
「どーも。初めまして。竹井(たけい)っていいます」
「こんばんはー。漆原(うるしはら)です」
お友達の二人に挨拶をされて、ぺこぺことお辞儀を繰り返した。
顔を上げてお兄さんをちらりと窺ったら、丁度視線がぶつかった。
「あ、あの、こんばんは。お久しぶりです」
メチャクチャ焦りながら挨拶をした。
「ああ・・・どうも」
ある程度予想はしてたけど、返って来た返事はやっぱりひどく素っ気無かった。その事実に心の中でしょんぼりした。
「九条(くじょう)さんと飯高(いいたか)さんは?」
麻耶さんが竹井さんに訊ねた。今夜の参加者はあたしを含め、総勢で7名らしかった。
「まだ。大悟(だいご)からは電話あって少し遅れるって。伸夫(のぶお)はまーた会社で誰かに捕まってんじゃないの?」
まだ来ていない二人は九条さんと飯高さんという人だそうだ。竹井さんが教えてくれたところでは、飯高さんは人並みはずれたお人好しで、会社で頼まれ事をされてばかりいて、しょっちゅう遅刻して来て、待ち合わせの時間に間に合ったことなんて皆無なのだそうだ。
「大悟がこっち着いたら連絡入れるから、先にどっか店入ってていいってさ」
漆原さんが麻耶さんに九条さんからの伝言を伝えた。
「麻耶ちゃん、どっかいい店知ってる?」
「大悟だったら色んな店よく知ってンだけど、俺達じゃチェーン店の居酒屋になっちゃうからなー」
漆原さん、竹井さんの依頼に、麻耶さんは少し思案顔をした。
「栞ちゃんお酒飲めないから、食事メインのお店でもいい?」
あたしのことを気遣って、そう麻耶さんが聞いてくれた。
「全然構わないよ」「うん。OK、OK」
麻耶さんの提案を、竹井さんと漆原さんのお二人は快諾してくれた。
麻耶さんとお二人が話してる間も、お兄さんは口出しすることなく、ずっと無言のままだった。

麻耶さんの案内であたし達は移動することにした。久しぶりに会ったのか、麻耶さんと竹井さん、漆原さんは会話が弾んでいて、あたしはその後ろをくっついて 歩いた。麻耶さんのお兄さんも三人の会話には加わることなく、その後ろを歩いていた。図らずも麻耶さんのお兄さんと隣り合って歩くようなポジションになっ てしまって、俄かに緊張を覚えた。
「あ、あの、麻耶さんとお二人、仲いいんですね」
他に何も思いつかなくて、取ってつけたような話題を口にした。
「ああ・・・まあ、大学時代からの付き合いだし」
気の乗らない感じでお兄さんは答えてくれた。それでもあたしとしては黙殺されずに返事を返してくれただけで、涙が出るくらい嬉しかった。これは頑張って会話を続けなくちゃ。
「お、お仕事は忙しいんですか?」
追い縋るように次の質問を投げかけた。お兄さんがチラリとこちらに視線を投げた。鬱陶しいって思われたのかも。愛想のない表情に一瞬気持ちが怯みかけた。
「・・・別に、大して・・・」
取り付く島もない感じの答えだった。ちょっと泣きたいかも・・・。
「で、でも、毎晩遅くまで起きてらっしゃるんですよね?大変ですね」
愛想笑いが強張ったまま、顔に張り付いてしまいそうな気がした。
「別に。その分、朝遅くまで寝てるから」
「そ、そうなんですか。いいですね、遅くまで寝ていられて」
ジロリ。そんな音が聞こえて来そうな眼差しをお兄さんから向けられた。たじろぎながら自分の今の発言が、皮肉以外の何物でもないことに思い至った。
「すっ、すみません!別に皮肉を言うつもりじゃ・・・」
慌てふためきながら謝罪した。
「匠くーん、何、栞ちゃんのこと怯えさせてるの?」
おたおたしていたら、前方から麻耶さんの諌めるような声が届いた。
「誰が怯えさせてる?」
憮然とした顔つきをお兄さんが前方に向ける。
「どう見たって間中さん、怯えてるだろう」
混ぜっ返すような竹井さんの物言いだった。
「いえっ、あの、違うんです。あたしが失礼なこと言っちゃって・・・」
何だか麻耶さんのお兄さんが悪者にされてしまいそうな気配に、慌てて弁護しようとしたら、漆原さんが全然気にすることないって言わんばかりの口調で言った。
「いーの、いーの。匠なんて年がら年中、他人に対して失礼なこと言いまくってるんだから、たまに失礼なこと言われたところで文句言える筋合いじゃないって」
そういう問題だろうか?
「てめーら、好き勝手言いやがって」
忌々しげに麻耶さんのお兄さんが低い押し殺した声で呟いて、すぐ隣にいたあたしは思わずギクリとしないではいられなかった。
「だから、怯えさせんなって」
あたしの表情を見て取った竹井さんが再び注意する。
お兄さんの視線が向けられるのが分かって、目を合わせるのが恐くて俯いた。何だかお兄さんに迷惑がられていないかすごく不安になった。
「匠、お前、怯えさせんなって。何回言われたら分かンの?」
漆原さんの声が畳み掛ける。竹井さんの笑い声が響く。
下を向いたままでみんなの様子は分からなかったけど、すっかり麻耶さんのお兄さんをからかうような雰囲気になっている気がして、お兄さんが気を悪くしているんじゃないかって心配だった。
もっと普通に話せたらって思ってたのに、そんなささやかな望みからは果てしなく遠い状況に悲しくなった。

麻耶さんが選んでくれたのはイタリアン・バール&トラットリアっていうスタイルのお店だった。店内はハイテーブル、ハイチェアで気軽にお酒を楽しむことが 出来るバールエリアと、テーブル席やソファ席でゆったりと食事を楽しむことが出来るトラットリアエリアとが用意されていて、今日は人数もいるので麻耶さん は寛いで食べたり話の出来るソファ席を選んだ。
隣に座る時に麻耶さんから笑顔で言われた。
「栞ちゃん、さっきの匠くんのこと、気にしないでいーからね」
「え、・・・はい」
そう言われてもやっぱり、気の利いた返し一つ言えない自分自身に落胆しないではいられなかった。
ちらりとお兄さんの様子を窺い見た。そうしたら、話題にされていたからかこちらを向いていたお兄さんは、あたしと目が合いそうになって、その前にふいと視線を逸らしてしまった。避けられてるみたいに感じられて、正直がっかりした。
「もー、何でそう栞ちゃんを落ち込ませるような態度取るかなー」
麻耶さんがその様子を見ていて、嗜めるように言う。
「怯えさせんなっていうから、目ェ合わせないようにしてンだろーが」
そう麻耶さんのお兄さんが反論する。
「何かズレてんのよね。考え方が」麻耶さんが呆れ顔で言う。
「普通に優しくできないモンかね」漆原さんが疑問の声を上げた。
「匠が“優しく”なんて、出来っこないだろー」笑い混じりの声で竹井さんが指摘した。
「やかましい」
またみんなに茶化されるような話の流れに、麻耶さんのお兄さんは憮然とした顔で言い捨てた。
二人が来るの何時になるか分かんないから始めてよう。そう竹井さんが言って、飲み物と料理を頼むことにした。麻耶さんと一緒にメニューを見たけど、料理の オーダーは麻耶さん達にお任せすることにした。麻耶さん、竹井さん、漆原さんの三人で次々と料理を決めていく。ここでもお兄さんはさっぱり口を利かなかっ た。やっぱり機嫌を悪くしてるんだろうか?それとも単にいつものことなんだろうか?
タパス3点盛り合わせ、イベリコ豚とポルチーニ茸のクリームソース“タリアテッレ”、茄子と自家製ミートボールのミートソースピッツァ、骨付き鶏もも肉の トマト煮込み、魚貝まるごとパエリア、ハーフポンドリブロインステーキ・・・まだお二人見えてないのに、気兼ねすることなくお腹に溜まるものを注文してい るけどいいんだろうか?
麻耶さんが「ちょっと、肉ばっかりで思いっきり偏ってるじゃん」って注意して、10種の野菜の彩りサラダ、新鮮野菜のミニスティックバーニャカウダー、カラフルミニトマトのカプレーゼもオーダーに加えた。
飲み物は、麻耶さん、竹井さん、漆原さんがモレッティっていうイタリアのビールを頼んだ。
「匠は何にする?」
聞かれて麻耶さんのお兄さんは、別に何でもいいって感じで「同じので」って答えていた。
あたしは一人だけソフトドリンクなのも気が引けて、麻耶さんもいてくれるし、少し冒険心でイタリアンサングリアの赤を選んでみた。麻耶さんが「フルーティーで飲みやすくて美味しいよ」って話してたので、ちょっと興味をそそられもしたし。
「酔っ払ったらウチ泊まればいいしね」そう麻耶さんが言ってくれた。
飲み物が運ばれてきて、みんなで乾杯をした。「じゃあ、お疲れー」なんて竹井さんが言って、みんなも倣って「お疲れー」って声を合わせて、グラスをカチンって鳴らした。但しお兄さんだけは無言のままで、辛うじてグラスを合わせるのだけはみんなに付き合ってくれた。
サングリアは一口飲んでみたら、麻耶さんが話してたとおり、フルーティーで甘くて美味しかった。あんまり飲みやすくて、気をつけてないとついつい飲み過ぎ ちゃって、本当に酔っ払っちゃいそうだった。麻耶さんの頼んだモレッティも一口味見させて貰ったけど、やっぱり苦いだけで美味しくは感じられなかった。だ けど麻耶さんや竹井さんはその苦いビールを美味しそうに飲んでいて、本当に美味しいのか甚だ疑問に感じた。麻耶さんのお兄さんはというと、別に美味しくも なさそうに表情も変えずにグラスを口に運んでいる。

料理が運ばれてきて少し経った頃、竹井さんの携帯に着信があって、九条さんが駅に着いたとの知らせだった。麻耶さんが竹井さんから携帯をバトンタッチして、お店の場所を説明した。
「宮益坂口から出て少し行ったとこにある、『アチェーゾ』っていうお店なんだけど。そう。分かる?」
電話を終えて、麻耶さんが感心した声でみんなに伝えた。
「流石、九条さん。お店の名前言っただけですぐ分かってた」
「歩くガイドブックだからな」
ふうん、そういう人なんだ。心の中で感心しつつ、竹井さんの言葉を聞いていた。
それから10分も立たない内に、九条さんが到着した。
「わりィ、遅くなった!」
顔を合わせるなり、よく通る大きな声で九条さんはみんなに謝った。
「よーっす」「どーも」竹井さんと漆原さんが口々に声を掛ける。
「こんばんは」微笑む麻耶さんに、九条さんも「どーもっ」って返事を返した。
それから九条さんは麻耶さんのお兄さんへと視線を動かした。
「よお」
「ああ」
目を合わせた二人は、一言短く言い合っただけだった。何だか二人してひどく素っ気無かった。
そんな様子を見つめていたら、九条さんの視線が今度はあたしに注がれた。
「あ、初めましてっ、間中栞です」
慌てて頭を下げた。
「初めまして。九条大悟っていいます。よろしく」
お兄さんに対するのとは打って変わって、フレンドリーなスマイルを浮べて九条さんも自己紹介してくれた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
そう返事をして、もう一度お辞儀をした。
「栞ちゃん、あたしと同じ事務所なの」
「いやー、麻耶ちゃんの知り合いだけあって、やっぱ可愛いなあ」
麻耶さんが補足して言ってくれるのを聞いて、九条さんは納得した顔で頷いている。全く照れる様子も見せずに言う九条さんに対して、片やあたしの方は面と向かってそんなこと言われて、恥ずかしくて落ち着かない気持ちになった。
「伸夫は?例によって遅刻か?」
誰にともなく九条さんが聞いた。いい加減もう文句を言う気にもならないって顔で竹井さんが頷いた。
「大悟は?何飲む?」
ドリンクメニューを差し出しながら竹井さんが聞く。
「ビール」メニューも開かずに九条さんは即答した。
「俺達と同じモレッティでいいか?」
「それでいい」
聞き返す竹井さんに九条さんは頷き返した。二人は気が合うらしくて、みなまで言わずに話が進んでく感じだった。
料理も九条さんが食べる分がなかったので、竹井さん達が追加オーダーした。
九条さんはすごくスーツ姿がキマっていて、見るからにシャープでスマートなビジネスマンっていう印象だった。話し振りも饒舌だし話題も豊富で、すごく話し 上手だった。話してる間も笑顔を絶やさなくて、ああ、何かカッコいい人だな、さぞかし女性にモテるんじゃないかな、なんて思った。ただあたし自身は、九条 さんみたいに自信に溢れて見える人に、少し引け目を感じてしまって何処か苦手意識があった。そんなこと言ったら、いつも自分に自信が持てないあたしの、た だの僻みに過ぎないとも思うんだけど。
九条さんが加わって、一層賑やかさが増した感じだった。竹井さんと九条さんの冗談の言い合いはどこまでも果てしなく続いてくように思われたし、麻耶さんと 九条さんの掛け合いも絶妙で、あたし達が囲むテーブルは笑いが絶えなかった。あまり飲み会とか馴染めなくて好きじゃないあたしだったけど、今夜の集まりは 心から楽しむことが出来た。
九条さんが到着して更に30分以上が経って、飯高さんからの連絡が入った。麻耶さんが場所の説明をしたけど、どうも怪しい感じだった。恐らくは真っ直ぐ辿り着けないんじゃないか。そう思っているのが九条さん達の表情からはありありと読み取れた。
不意に麻耶さんのお兄さんが立ち上がった。
「店の外、見て来る」
ぶっきらぼうに言い残して入口へ向かって歩き出した。
「おーい、待てよ。俺も行くよ」
漆原さんも立ち上がってお兄さんを追いかけた。
「別にいいよ」
「そう言うなって。一人で突っ立ってたって退屈だろー」
そんなことを言い合いながら、二人は連れ立ってお店を出て行った。
二人の後姿をぽかんと見送っていたら、麻耶さんが教えてくれた。
「匠くんと飯高さんと漆原さんって、高校の時のクラスメイトでもあるのよね」
えええ、そうなんだ。麻耶さんの話にびっくりした。付属って訳でもないのに、高校、大学って同じで、社会人になってからも交友が続いてるなんて、相当の仲良しだよね。
「俺とか竹井とか、あの三人が一緒にいると、俺達は何か外様(とざま)って感じるんだよな」
そう感想を漏らす九条さんは、何処か羨ましげな様子に見えた。
「そんなこともないと思うけど」
執り成すように言う麻耶さんに、九条さんは「いやいや」って首を横に振った。
「やっぱ、何かこう違うモンがあンだよ。何がどうってことでもなくて、説明しづらいんだけどな」
そこはかとなく感じるニュアンスみたいなものなのかな?九条さん、竹井さんにだけ微妙に感じられるものなのかも知れない。
そんなことを感じる九条さんは、見た目よりずっと繊細で細やかな性格なのかも知れない。一見するとノリ重視で思い切りがよくて、あんまり細かいこととかこだわらなさそうに見えるんだけど。
それから10分くらいして麻耶さんのお兄さん、漆原さんが男の人を連れて戻って来た。この人が飯高さんらしい。にこにこして何だか優しそうな、見るからに人の良さそうな雰囲気だった。
「いやー、ゴメン。遅くなっちゃって」
申し訳なさそうな顔で飯高さんはみんなに謝った。
「今更、伸夫の遅刻は想定済みだから、気にすんな」
竹井さんが皮肉とも慰めともつかない言葉を掛ける。
飯高さんもどっちに取っていいのか迷う感じで、「アハハッ」って乾いた笑い声を上げた。
一同の顔を見回した飯高さんは、見知らぬ顔が一人混じっているのにその時初めて気がついたようだった。
あれ?って感じの表情を浮べる飯高さんに挨拶した。
「あの、初めまして。間中栞っていいます」
「麻耶ちゃんの友達なんだって」
竹井さんが飯高さんに説明してくれる。
「あ、そーなんだ。飯高伸夫っていいます。よろしく」
「こちらこそよろしくお願いします」
ぺこぺことお辞儀し合った。とっても柔らかい笑顔を浮かべる飯高さんは、第一印象通りに親しみやすくて温和な人のようだった。
「伸夫、何飲む?」
「みんなは何飲んでんの?」
九条さんが聞くと、飯高さんはみんなの前に置かれてるグラスを見回した。
「大体ビールかな」
返答を聞いて、途端に飯高さんは気まずそうな表情を浮べた。
「・・・カクテルでもいいかな?」
「仕方ねえな」
九条さんが肩を竦める仕草で応えた。
了解を取り付けた飯高さんはホッとした顔で、受け取ったドリンクメニューに視線を落とした。
「あと、食べたいモンあったら一緒に頼んじゃってくれ」
そう伝える九条さんに、飯高さんは「うん」って頷いた。
飯高さんが頼んだのはカシスソーダっていうカクテルだった。どうやら飯高さんはお酒に弱いらしい。あたしの他にもアルコールが苦手な人がいてくれて、安心した気持ちになった。
飯高さんに聞かれて、麻耶さんと同じモデル事務所に所属している後輩で、よく一緒に仕事をしていて、麻耶さんに大変お世話になっていることを説明した。
飯高さんは聞き上手で、色々聞かれてもそれがちっとも詮索されてるって感じがしなかったし、話の所々で飯高さんから話していることについて更に詳しく聞き 返されて、それが話の腰を折る感じじゃなく、話の接ぎ穂になって話題を膨らませてくれて、話下手なあたしでもスムーズに会話を続けることができた。初対面 にも関わらず、何だかすごくホッと出来て肩の力を抜いて向き合える、そんな雰囲気を持っている人だった。
「あの、まだいらっしゃらない時に麻耶さんから聞いたんですけど、飯高さんと漆原さんと、匠さん、って同じ高校なんだそうですね」
麻耶さんのお兄さんの呼び方を一瞬どうしようか迷った。「麻耶さんのお兄さん」じゃ、あんまり余所余所しい感じもしたし、「佳原さん」じゃ麻耶さんもいる のに何だかちょっと変かなって思って、いきなり名前を呼ぶのは少し馴れ馴れしいかもって躊躇われもしたんだけど、結局「匠さん」って呼んでしまった。
それを聞いた飯高さんが目を丸くした。飯高さんだけじゃなくて、一瞬テーブルを囲むみんなの動きが止まったように見えた。
みんなの反応を知って心の中で慌てふためいた。えっ、やっぱり変だったかな?いきなり突然過ぎだった?
「ご、ごめんなさい。あの、変、でした?」
上ずった声で誰にともなく問いかけた。
「いや、別に変って訳じゃ・・・」フォローする感じで飯高さんが答えてくれた。
「“匠さん”ねぇ」九条さんが繰り返した。何だかやけに思わせぶりな言い方だった。
お兄さんもあたしを見ていて、何だか間違って変なものを飲み込んでしまったかのような顔をしていた。途端に恥ずかしさを覚えた。
考えてみれば、昔好きだったアイドルか弟の司以外、男性を下の名前で呼んだことなんてなかった。そんなあたしが麻耶さんのお兄さんを苗字じゃなくて下の名前で呼ぼうって思ったのは、少しでも打ち解けたいって願望の表れだったのかも知れない。
「すっ、すみません」
お兄さんの視線から逃れるように俯いて謝った。
「別に謝らなくたっていいんじゃないの?」
再び庇うように飯高さんが言ってくれる。
「麻耶ちゃんもいるし、佳原って苗字じゃ匠も麻耶ちゃんも“佳原”な訳だしね」
何も不自然じゃないよって、飯高さんが支持するように言ってくれた。
「成る程ね」
飯高さんの説明を聞いた竹井さんが、納得した顔で相槌を打った。
「いやあ、それにしても新鮮な響きだ。“匠さん”」
ニヤニヤした笑いを口元に浮べて九条さんが呟いた。何だかちょっと意地の悪い、からかうようなニュアンスを感じた。
九条さんの言い方に、麻耶さんのお兄さんはムッとした表情を浮べた。
どういう訳かあたしの発言は、度々麻耶さんのお兄さんをみんなのからかいの対象にしてしまっていた。そのことに気付いて、麻耶さんのお兄さんに申し訳ない気持ちになった。
落ち着かない気持ちで視線が泳いでいたら、麻耶さんと目が合った。その眼差しがやけに冷ややかに感じられてドキッとした。今まで一度だって見たことのない 麻耶さんの冷たい視線にうろたえるあたしを置き去りにして、麻耶さんはふいっと目を逸らしてしまった。麻耶さんの眼差しの意味が分からなくて、胸の中に困 惑が広がっていった。
すぐに何もなかったように麻耶さんは竹井さんと話し出してしまい、問いかけるタイミングを失ってしまった。
「そうそう、匠と雄一と俺が高校が一緒だったって話ね」
思い出したように飯高さんが話の続きを始めた。麻耶さんの見せた反応が気に掛かりながら、あたしは飯高さんと話し出した。

高校時代の話をしてくれていた飯高さんが、ふとした感じで口にした。
「匠ってクールに見えたり無愛想だったり、素っ気無く感じたりするかも知れないけど、ホントはすごく優しいし、いいヤツなんだよ」
自分が保証するよって言いたげに、自信に満ちた笑顔を飯高さんは浮べた。
そんな匠さんの評価は、麻耶さんからも聞いたことだった。親しい二人が揃って口にするのだから、それは間違いのないことなんだって思えた。
ちらりと窺うように飯高さんが視線を送り、釣られてあたしも視線を動かした。匠さんは憮然とした表情を浮べて、一方の九条さんは余裕たっぷりっていった様子で口元を緩めて、何かを言い合っている。そんな二人の光景はお馴染みのものなのか、飯高さんは呆れるように苦笑した。
匠さんに聞かれていないのを確認した上で、高校時代の或るエピソードを飯高さんは明かしてくれた。
「三年の時、俺、クラスで仲間外れっていうか、孤立しそうになりかけたことがあったんだよね」
話の内容からはかけ離れた、にこやかな顔で飯高さんは喋り始めた。
イジメっていう程、深刻なものでもなかったらしいけど、何かの折に(飯高さんは自分では全く覚えがないそうだけど)クラスの中心的存在だった男子生徒の機 嫌を損ねてしまったことがあって、その男子生徒から睨まれてしまい、クラスメイトの多くがその男子生徒と仲がよく、クラスへの影響力を持っていた彼に同調 して、周囲も飯高さんを避けるようになってしまったのだという。クラスで浮いた感じになってしまい、飯高さんはどうしていいか分からなくて、学校に行くの が苦痛に感じられた時期があったのだそうだ。
そんな雰囲気の中で、匠さんだけは何も変わらない態度で飯高さんと接してくれて、すごく救われたって飯高さんは語った。普通だったら飯高さんと一緒にいる 匠さんも、クラスメイトから疎外されてしまいそうなものだけれど、匠さんは元々あまりクラスのみんなに迎合するような感じじゃなく、教室の中で独特の個性 を放っていて、それに成績優秀だったこともあってかみんなから一目置かれているような存在で、そんな感じにもならなかったらしい。
飯高さんはクラスで仲間はずれにされている間、四六時中べったりって感じでいつも匠さんの傍にいたのだそうだ。それまで二人は特別親しいって訳でもなかっ たけど、匠さんは飯高さんを迷惑がるでもなく、一緒にいてくれたらしい。飯高さんはそんな匠さんを「“来る者拒まず去る者追わず”って、そんな感じか な?」って評した。
しばらくする内に、クラスメイトの態度から余所余所しさや忌避する感じが消え、また飯高さんはクラスに溶け込むことが出来たらしかった。
「あの時、匠がいてくれなかったら、多分学校に通い続けられなかったんじゃないかな」
その当時の気持ちを思い起こすように飯高さんは言った。
「匠にはすごく感謝してるんだ。大学の時、その件でお礼を言ったら、匠は“そんなことあったか?”なんて、まるっきり覚えてない様子だったけどね」
匠さんに覚えてないって言われて、匠さんをずっと大恩人って思ってた飯高さんはすごく拍子抜けしてしまったという。だけど後になって考えてみて、それはもしかしたら匠さんの照れ隠しだったのかも知れないとも思ったそうだ。
「まあ、ホントに覚えてなかったのか、それとも照れ隠しなのか、どっちか結局分かんないけど。匠って何ていうんだろう、フェアでありたいっていうのかな。 大局や時勢や時流とかに飲み込まれたり迎合したりしないで、出来るだけ客観的に冷静に物事を見て判断したいって考えてるトコがあるように思う。人を簡単に 色眼鏡で見たりせず、公平公正さを失わずにいたいって、そう思ってるんじゃないかな」
飯高さんの目を通した匠さんの人物像の意外さに、驚きで心を打たれながら頷き返した。
「そういう客観性とか公平公正さを失わないでいようとした結果、そこが不器用なところなんだろうけど、必要以上に人と親しく接しないでおこうとしたり、無愛想だったり素っ気無くなったりしてるんじゃないかなって思うんだよね」
飯高さんは言いながら苦笑した。
思ってもみなかった匠さんの一面を明かされた気持ちになった。
「根底はさ、匠はすごく優しいヤツなんだ。すごく匠を尊敬してる。俺も匠みたいに、出来る限り優しくありたいって思う」
少し照れくさそうに、だけど温もりに溢れた笑顔を飯高さんは浮べた。あたしも顔を綻ばせて相槌を打った。
飯高さんの話を聞いて、匠さんの描くイラストを目にした時に心に浮かぶ、優しさや温もりや愛しさが正しいんだって、匠さんのイラストから受け取る印象が、 匠さん本人と接した時の見た目の印象からどんなにかけ離れていたって、決してあたしの勘違いや気のせい、間違いなんかじゃないって、あたしは確信を持つこ とが出来た。
「おい」
不機嫌そうな呼び掛けに、飯高さんと二人して視線を動かした。
いつから気が付いたのか、自分のことを話題にされてるって知ったらしい匠さんが、憮然とした顔でこちらを見ていた。
「余計な話すんなよ」
釘を刺す感じで匠さんに言われて、飯高さんは「ごめん、ごめん」って笑い返した。多分、不愉快そうな匠さんの態度も照れ隠しだって、飯高さんは分かってるに違いなかった。


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