【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ つよがり ~Another Story 第1話 ≫


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駐車場に車を停めると、玄関へは向かわず一度敷地から通りに出て、改めて歩いて校門をくぐってみる。
久しぶりの学校は懐かしさで胸が一杯になった。
しばらく校門を入ったところで佇んで見覚えのある懐かしい校舎を見つめていた。鮮やかに記憶が甦ってくる。
春の桜の咲き誇る校門をくぐって登校するのが大好きだった。
そんな光景を思い出して、懐かしくて甘酸っぱくて少し切ない気持ちに満たされる。

少しの間感慨に耽ってから、来客用玄関へ向かった。来客用の下駄箱でスリッパに履き替える。玄関を入った正面にある事務室に声をかける。
「すみません。卒業生ですが、職員室に行きたいんですけど」
本当は職員室に用事がある訳ではないけれど、説明するのが面倒くさかったのでそう告げる。卒業生が職員室に行く分には、特に何もうるさいことは言われないって知っているから。
案の定、事務室の職員は大して気にも留めなかった。
「来校者名簿に記入して、来校者バッジを着けて行ってください」と事務的に説明される。
言われたとおり来校者名簿に氏名と時間と訪問先を記入して、名簿の隣に置いてあるケースに入っている来校者バッジをひとつ取って廊下を進んだ。
階段を上がる途中で見覚えのある先生とすれ違った。ひと目見て全然変わっていない様子に嬉しくなった。
でも先生の方は、あたしがサングラスをかけていたので誰か分からないようだった。少し訝しげな顔で尋ねられた。
「卒業生?何処行くの?」
あたしはサングラスをずらすと、笑顔を向けた。
「お久しぶりです。賀川先生」
あたしの顔を見た途端、賀川先生はびっくりした顔を見せた。
「え?佳原さん?」
卒業したのはもう七年も前のことなのに、すぐに名前を呼んでくれたのがとても嬉しかった。
あたしが頷くと、先生は声のトーンを数段上げて嬉しそうに問いかけて来た。
「えーっ、本当に佳原さん?懐かしいね。どうしたの今日は?」
「ちょっと在校生のコに会いに」
あたしの返事を聞いて先生は少し不思議そうな顔をした。
「誰?弓道部のコ?」
先生に訊かれてあたしは首を振った。在学時あたしが弓道部に入っていたので先生はそう思ったのだろうか?
「あの、賀川先生、二年の阿佐宮萌奈美さんってご存知ですか?」
思い切って訊ねると、先生は更に怪訝そうな顔をした。恐らくあたしが彼女を訊ねて来る理由が思いつけないからだろう。
「二年の阿佐宮さん?うん、知ってるけど」
そう先生が答えたので少しほっとした。訊ねて来たはいいけど彼女が二年何組か知らなかったので、通りかかった生徒にでも声をかけようかとちょっと迷っていたのだ。
良かった。賀川先生に聞くことにしようっと。
「えっと、阿佐宮さんに会いに来たんですけど、彼女何組ですか?」
「えーっと、何組だったかな。あたしも二年受け持ってないからちょっと何組かまでは知らないんだけど。でも、放課後になってないからまだ会えないけど」
「ええ。会う約束してる訳じゃないから、行き違いにならないように終わるまで教室の前で待っていたいんですけど、いいですか?」
六限目ももうじき終わって、あとはショートホームルームが済めば放課になるため、待つとしてもほんの少しだとあたしは計算していた。
先生はまた少し怪訝そうな顔をしていたけれど、特に駄目とは言わなかった。

賀川先生は二学年の教室がある階まであたしを案内してくれた。廊下を並んで歩きながら会話に花を咲かせた。
「でも佳原さんすごいよね。コマーシャル見てるよ」
「ありがとうございます。でも、そんなにすっごいメジャーなCMでもないし、まだまだですよ」
あたしは謙遜して答えた。
「そう?市高生の中じゃ今一番有名な卒業生なんじゃないかな」
先生にそう言われると少し気恥ずかしかった。
「でも先生、ほんっと変わってませんね」
先生に再会したときからずっと思っていた感想を述べた。
「そう?それってひょっとして全然成長が見られないってこと?」
思わず声を上げて笑ってしまった。
「違いますよ。今も変わらずに若々しいってことです」
本心でそう告げていた。本当にあたしが卒業した時から全然変わらず若々しくて、ひょっとしたら歳を取ってないんじゃないかとさえ思えた。
そう告げると先生は嬉しそうに笑ってくれた。「それならいいんだけど」
在学時から常々思っていたのだけれど、学校の先生ってみんな歳不相応に若々しいのだ。やっぱり毎日十代の生徒を相手にしてるから、気持ちが若いのだろうか?
「ところで佳原さんは阿佐宮さんとはどういう知り合いなの?」
先生はやっぱりあたしと阿佐宮さんの接点が見つからないみたいだった。
先生に訊かれても、すぱっと一言で言えるような説明が浮かばず、何とも意味不明瞭な返答になってしまった。
「えっと、ちょっとした知り合いというか」
「なんだ、そりゃ」
先生は全く意味を成さないあたしの答えに笑いながらつっこみを入れた。
「あ、でもこの間一緒にご飯食べたんですよ」
自分でもあんまりな返答だったので、慌ててそう言い足した。一緒にご飯を食べる位には親しい間柄だと匂わせたかったのだ。
「へえ」
あたしの言葉に先生は少し意外そうな顔をしていたけれど、一応納得してくれたようだった。
階段を上っている途中で、タイミングよく六時限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
二学年の教室がある三階へ上がると、先生は知っている二年生を捕まえて訊ねた。
「ねえ、阿佐宮さんって何組?」
「阿佐宮・・・萌奈美さんですか?」賀川先生に呼び止められた女子生徒が下の名前を言ったので先生と一緒にあたしも頷いた。
「えっと、五組です」女子生徒は少しだけ考えて、すぐクラスを答えた。
先生は笑顔で「ありがとう」と答え、廊下を歩き出した。あたしも先生に続いた。
「阿佐宮さん、妹が一年にいるのよ」
先生は少し振り返ってそう説明してくれた。だからさっきのコは下の名前を確認したのだ。妹がいると聞いてへえ、と思った。
あたしと先生は「2-5」と表札のかかった教室の前で立ち止った。
賀川先生がドアの近くにいた女の子に声をかけた。
「阿佐宮さん呼んでくれる?」
先生に声をかけられた女の子は教室の中をぐるりと視線を巡らせ、教室の一角に「萌奈美!」と大きな声で呼びかけた。
ショートホームルームが始まるのを待っている教室は、生徒達の賑やかなざわめきで溢れ返っていた。窓際で数人の友達と一緒に話していた彼女は、突然名前を呼ばれびっくりしたように入り口へと顔を向けた。
少し驚いてこちらを見ている顔には見覚えがあって、彼女・・・阿佐宮萌奈美だった。
教室の入り口で賀川先生が手招きしているのに気付いて、彼女は目を丸くしながらこちらへとやって来た。
歩いて来る途中で賀川先生の隣に立つあたしに気付き、彼女は更に驚いたようだった。
教室の前の廊下に立っているあたし達の前まで来た彼女は、あたしと賀川先生の顔を見比べるように戸惑った視線を向けた。
「こんにちは」
あたしが告げると、彼女も神妙そうな表情で「こんにちは」と答えてお辞儀をした。
あたしと彼女の間に流れる微妙な気配に気付かないのか、賀川先生は明るい声で彼女に話しかけた。
「阿佐宮さん、佳原さんと知り合いなんですって?」
賀川先生に問われて、彼女は少し困ったように首を傾げながら「はあ・・・」と曖昧に頷いた。
「突然ごめんね。ちょっと話したいことがあって来たの。今日、この後何か予定入ってる?」
あたしは賀川先生の手前、ことさら馴れ馴れしい口調で訊ねた。
「え、いえ・・・特に」彼女はあたしの言葉に戸惑いながらも、おずおずと返事をしてくれた。
「部活は大丈夫?」
「あ、はい」
あたしが聞くと彼女はすぐ答えたので、それは大丈夫そうだった。
「じゃ、終わるの廊下で待ってるから、いいかな?」
半ば一方的な感じで問いかけると、彼女は躊躇いながら頷いた。
彼女はあたしの訪問の真意が分からなくて少し不安そうだった。何も取って食うつもりはないんだけど。思わず苦笑したくなった。

「あれ?賀川先生。どうかしましたか?」
背後からした声に振り向くと、懐かしい顔が立っていた。
あたしはまたサングラスをずらして挨拶を告げた。
「お久しぶりです。仲里先生」
仲里先生もあたしの顔を見た途端、びっくりした表情を浮かべた。
「え?佳原さん?」
「はい。ご無沙汰してます」
「ほんと、どうしたの。ついこの間もお兄さんが来たばっかりだっていうのに」
仲里先生は匠くんとあたしが相次いで学校を訪れた事に心底驚いているようだった。
賀川先生も仲里先生の話を聞いて、びっくりしたようだった。
「え?お兄さんも来てたの?」
賀川先生があたしに向かって訊いたので、「はい」と頷き返した。
「それで君は今日はどうしたの?」
仲里先生があたしを見て訊いた。兄である匠くんに続くようにしてあたしが訪れたので、何か関連していると思ったのかも知れない。
まあ、関連性があるといえばあるかな。
「あの、ちょっと阿佐宮さんに話があって会いに来たんです」
そうあたしが答えると、仲里先生は特に疑問を持たなかったようだった。
「じゃあ、ホームルーム済ませちゃうからちょっと待っててもらえる?」
そう告げた仲里先生はあたしの返答を待たずに、廊下にいる阿佐宮さんを促しながら教室へと入って行った。
賀川先生は思い出したように「しまった。あたしもホームルーム行かなくちゃ!」と声を上げた。
「じゃ、佳原さんまたね。今度またゆっくり話そうね」
きびすを返そうとした先生が振り向いて手を振ったので、あたしも手を振り返した。
「はい。どうもありがとうございました」
あたしがお礼を述べると先生は笑顔で頷き返した。そして賀川先生は脇目も振らずに廊下を駆けて行ってしまった。それを見送りながらあたしは、廊下走っちゃいけないんだよな、と内心呆れていた。

「お待たせしました」
数分後、他の生徒に混じってバッグを肩にかけた彼女が教室から出て来た。
笑顔を浮かべて頷きながら、一応「ごめんね」と突然の訪問を詫びた。
「いえ・・・」彼女は言葉少なに返事を返した。その顔には明らかに戸惑いが浮かんでいるのが分かった。
仲里先生に一言言って帰ろうかと思ったけど、先生はまだ教室で生徒に捕まって話をしていたので諦めることにした。
車をナビセンター前の駐車場に停めてあることを告げ、駐車場で落ち合う約束をして一旦別れた。彼女は生徒用昇降口に靴を置いてあるし、あたしは来客用玄関の下駄箱に靴を置いてあったからだ。
事務室に来校者用バッジを返してから職員用玄関を出ると、生徒用昇降口から駆け出して来る彼女の姿があった。
彼女が追いつくのを待って、連れ立って駐車場へと歩いた。車まで行くと、彼女は少し訝しげな表情を浮かべた。
「これ、佳原さんの・・・?」
彼女の言わんとすることを察してあたしは答えた。
「二人で共用してるの」
彼女は少し頷いたようだった。
「助手席に座って」あたしが運転席側のドアを開けながら声をかけると、彼女は頷いて助手席側のドアを開いた。
礼儀正しく「失礼します」と告げてから彼女はシートに座りドアを閉め、すぐにシートベルトを締めた。その動きがとてもスムーズだったので、あたしはちょっとびっくりした位だった。
それから思った。そうか、匠くんが送った時にも助手席に座ってたんだな。
そう考えて少し胸の辺りでもやもやとした不愉快さを覚えた。

車を走らせながらしばらくは二人とも黙りがちだった。
あたしはHDDナビに録音してある音楽から適当に選曲してアンダーワールドをかけた。
彼女は聞いたことが無いみたいで、すこし落ち着かない様子だった。
旧中山道をパインズホテル前で右折して市役所通りに入り、市役所前の交差点を左折して国道17号線を走った。
「この先のスタバでいいかな?」
視線を向けずに声をかけた。不意に聞かれて彼女は慌ててこちらを向いて、遠慮がちに「はい」と答えた。
県庁近くの17号線に面したスターバックスに車を入れた。ここのスターバックスは駐車場があって、車でも来れて便利だった。
車を降りると彼女から「お話って長くなりますか?」と訊かれた。
それ程長く話すつもりは無かったけれど、あたしは「何で?」と聞き返した。
彼女は少し逡巡しているようだった。
「あの、話が長くなるようなら、佳原さんに遅れるって知らせておいた方がいいかなって思って」
それを聞いてあたしは慌てた。匠くんにはあたしが彼女に会いに来てることは内緒なのだ。
「あ、それなら大丈夫。そんなに時間取らせないから」
あたしが作り笑いを浮かべてそう言うと、彼女はまだ少し迷いながら「そうですか」と答えた。
どうやら電話をするのは思い留まったようで、内心ほっとしていた。

店内に入り、レジであたしはカフェモカを、彼女はカプチーノをそれぞれ注文した。
彼女が財布を取り出したので、あたしは彼女を制した。
「ここはあたしの奢りだから」
「え、でも・・・」
困惑している彼女に笑いかけた。
「急に誘ったお詫びってことで」
まだ戸惑っている彼女に構わずレジで支払いを済ませた。

店内は茶飲み友達といった風の奥様らしき女性達のグループやサラリーマンらしいスーツ姿、大学生と思しき女子グループでテーブルの三分の二ほどが埋まっていた。
注文した飲み物を受け取り、あたし達は店の隅の方のテーブルに向かい合って座った。
彼女はこうしてあたしと向かい合っている理由が分からず困惑しているみたいだった。
カフェモカを一口飲むと僅かにほろ苦さを含んだ甘さが口の中に広がった。
彼女はまだ熱いからか口をつけず、温かい紙のコップを両手で覆うように持っていた。
彼女の様子を上目遣いに確認してから、口を開いた。
「本当に突然でごめんね」
「いえ・・・」彼女は曖昧に笑いながら頭(かぶり)を振った。
さて、といざ彼女と向かい合ってからあたしは考えていた。実のところ学校まで押しかけて彼女を連れ出したはいいけど、何を話すか自分の中でまるっきり整理がついていなかった。
彼女は静かにあたしが口を開くのを待っている。
それにしても、とあたしは改めて思った。こうして面と向かってまじまじと彼女を見ていると、本当に瓜二つと言うしかなかった。まるで絵の中から抜け出して来たかのような、不思議な感覚に襲われる。
「本当にそっくりよね」
思わずそう口にした。
一瞬不思議そうな顔をしたけれど、彼女はすぐ笑顔を浮かべた。
「みんなに言われましたけど。でも麻耶さんに言われるってことは、ほんとにそうなんだなって改めて思います」
そう話す彼女は見ていてはっきりとわかる位に嬉しそうな顔をしていて、そう言われることを嫌がってはいないのだと分かった。
それが却ってあたしを刺々(とげとげ)しい気持ちにさせた。
「どういうつもりなのか分からないんだけど」
自分でも唐突だと思いながら、彼女に対し言葉をぶつけるように言い放っていた。
当然のことながら彼女はきょとんとした顔を見せた。
「頻繁にウチに来てるみたいだけど?」
あたしがそう言うと、彼女ははっとした表情を見せ、急にしゅんとして下を向いた。
「あの・・・すみません。佳原さんがちっとも迷惑そうな顔をしないからって、つい厚かましく何度もお邪魔してしまって・・・」
おずおずとした口調で告げる彼女を見ていて、少し気持ちが揺らぐ。
話していてすぐに彼女がとても素直で真っ直ぐな性格をしていることが分かった。そしてあたしが予感しているとおりに、恐らくは彼女の気持ちが本気だということも。
それでも自分の中のざわめく気持ちを抑えられずに、あたしは口を開いた。
「紛らわしいことは辞めて欲しいんだけど」
「紛らわしいこと?・・・」彼女は何のことかという風に繰り返した。
「あのね、匠くんはいい歳して女の子に免疫がないのよ。それがあなたみたいな可愛らしいコが何度も部屋を訪れたりしてたら、絶対勘違いして変に期待を抱いちゃうと思うのよね」
そうあたしが告げると、彼女は照れたように「そんな、可愛らしいだなんて・・・」と頬を赤らめて俯いてしまった。
いや、あたしが言いたいポイントはそこじゃないんだけど・・・
天然なのか、素直なのか、彼女は余り察しがいい方ではないようだった。心の中で溜息をついた。
「だからね、どういうつもりかは知らないけど、変に期待させるような真似は辞めて欲しいんだけど。どうせ本気じゃないんでしょ?」
「え、本気じゃないって?」
顔を上げた彼女は改めて不思議そうな眼差しをあたしに向けた。
「時々いるのよ。匠くんも一応イラストレーターって肩書きの仕事してるから、それを何となくカッコイイと思って近づいてくるコとか、或いはあたしのこと 知ってて、あたしと知り合いになりたいからって匠くんに近づいて来るコとか。業界にツテが出来るんじゃないかって思ったりしてね。あなただって九歳も離れ てる相手にまさか本気じゃないんでしょ?」
思いついたように更に付け加えた。
「ああ、それとも年上の人に憧れちゃう年頃ってことなのかな?」
きつい口調でかなり手厳しい事をズケズケと言った。ちょっと気の弱い女の子なら、これだけでショックを受けて顔を歪ませるだろうなと思いながら。ひょっとしたら泣き出すコも中にはいるかも知れない。
向かい合った彼女もとてもショックを受けているようだった。まさかあたしからそんな事を言われるとは露ほどにも思っていなかったのだろう、目を見開いたまま瞬きもせず、あたしを見つめていた。
彼女の瞳の奥に悲しみの色が浮かんでいるのに気付いて少し胸が痛んだ。そして、これで諦めてくれたらいいと願った。

兄の匠くんはあたしが知る限り、生まれてこの方の人生において、彼女がいた事はただの一度もなかった。あたしが知る限りということは、つまり絶対にというのと 同義だった。あたしに隠れて女の子と付き合うなんて不可能だという自信があたしには会ったし、なにしろこの26年間匠くんに「彼女」が出来る芽を悉(こと ごと)く潰して来たのは、何を隠そうこのあたしなのだ。なお、このことに匠くんは全然気付いておらず、自分は女性にモテないと好都合にも思い込んでくれて いる。
妹のあたしが言うのも何だが、一応モデルの仕事をしていて周囲からも美人だと褒められるあたしと血の繋がった兄妹である匠くんは、それなりのルックスをし ていると思う。背だって低くはないし、それなりに彼女が出来る条件は揃えている。確かに愛想は良くない。と言うより正直なところ愛想はひどく悪い。皮肉屋 なところはあるし、無口な方だし、面白い事も気の利いた事も言えないし、その点は今時の女の子からは敬遠されてしまう要因だろう。
とは言え、中にはただ無口なだけで気の利いた事のひとつも言えないって性格を、「寡黙」と取り違える女の子だっていたりするし、その短所を差し引いたとし たって、26年間ただの一人も「彼女」と呼べるような存在がいたことがないという事実は周囲からしても不思議に映った。(因みに本人はそれ程彼女が欲しい と思ったためしがないようで、その事に深く悩んだりした事もないようだった。)
全ては偏(ひとえ)にあたしの暗躍によるものだった。
小学校、中学校を通しては匠くんと仲良くなりそうな女子がいれば陰で追い払っていた。
高校時代なんか実を言えば、匠くんは成績上位者だったし、美術部でも目立って絵が上手いことではそれなりに有名だったので、文化系の男子を好きな女子の中 では密かに人気があったのだ。あの時は我ながら八面六臂の活躍だった。こう見えてあたしは高校では有名人だった。弓道部に入っていたのだが、その姿が凛々 しいと、あたし自身は不本意ながらも女子のファンクラブまで存在していたし、男子からもしょっちゅう交際を申し込まれていたものだった。学年を問わず男子 女子共に知り合いが多く、その情報網を駆使しては、匠くんを好きだという女子の噂を聞けば、密かにあたしは匠くんには好きな人がいるというデマをその女子 の耳に入るように流して諦めさせたり、ラブレターを渡そうとしたり告白しようとしたりするような果敢な女子がいれば、全力を尽くしてその機会を妨害した。 一度放課後に匠くんを呼び出した女子がいて、あたしは具合が悪くなったと仮病を偽って連れて帰って貰うために匠くんを呼んで来させ、その女子と匠くんが会 うのを無事に阻止したこともあった。その一方で匠くんは女嫌いで愛想が悪く、誰彼の区別なく悪口雑言を吐くという偽りの情報(愛想が悪いのは事実だったけ れど)をせっせと流しては、女子の間での匠くんの評判を落とし続けた。その甲斐あって(?)、加えて匠くん本人が恋愛ごとに無関心だったこともあって、高 校時代遂に一人も匠くんの彼女の座を射止める女子が現れることはなかった。
大学時代にしても、匠くんが大学一年であたしが高校三年だった時には、大学という場に憧れる高校生を演じて、妹という特権を駆使しては大学にしょっちゅう 出入りしていたし、(匠くん本人は苦虫を噛み潰したような顔をしていたけど、匠くんの友達はあたしの目論見通りあたしの事をちやほやして可愛がってくれ て、半ば匠くんのいるグループの準メンバーのようなポジションを得るのに成功した。なにしろあたしは外見も外面も人当たりも良ければ、物怖じもしない性格 で、初対面でフレンドリーな関係を築くことに長けていたのだ。)無事同じ大学に合格してからは、大手を振って常時周囲をうろちょろしては匠くんに接近して くる女子の存在に目を光らせ、射程距離に入って来ようものなら容赦なく撃退した。

人前では常に匠くんを小馬鹿にしてはからかうようなことばかり言っているので、そうと見破られることは無かったけれど、実のところあたしは筋金入りのブラコンだった。
そう言えば、とあたしは思い返した。あたしが匠くんを好きだという事に気付いた人が、今迄あたしが知る限りでは三人いた。
一人は当然と言うべきか母である。もっとも母は単なるブラザーコンプレックスだと見ているようだった。以前ふとした時に母に言われたことがあった。「麻耶 は親離れは早かったけれど、兄離れは何時になったら出来るのかしらね」と苦笑交じりで言ったのだった。あの時は正直動揺せずにはいられなかった。何とか表 面では「何言ってんの?」と如何にも心外だという面持ちで返すことが出来たけれど、その実、心の中では激しく狼狽していた。その時は母は自分の勘がはずれ て意外そうな顔をしただけで、それ以上は何も言って来なかったので、内心ほっとしたのだけれど。
二人目は高校時代の匠くんの友人の一人だった。その人はあたしに好意を寄せていたらしく、彼に交際を申し込まれてあたしが断ると、幾らあたしが匠くんの事 を想っても不毛なだけだと彼は非難するように言ったのだ。あたしはまさか学校の中であたしの気持ちに気付いている人間がいるとは思っていなかったので、そ れこそ頭を殴られたかのような激しいショックを受けた。一瞬頭の中が真っ白になって取り繕う暇もなくて、あたしは顔を強張らせて絶句していた。あたしのそ の様子が彼の言葉が的を射ている事の何よりの証左だった。彼は説得するようにあたしに語りかけた。彼が言葉を尽くしてあたしの気持ちが一生報われないもの である事を言えば言うほど、あたしの気持ちは頑(かたく)なになった。あたしの心は動揺と羞恥と、そして血の繋がった兄に想いを寄せているなどという、決 して誰にも知られてはならない異常な、禁忌すべき気持ちを見抜いた彼に憎しみさえ覚え、激しく彼を拒絶した。あたしの容赦のない拒絶に遭い、彼は自嘲と蔑 みと哀れみのない交ぜになった眼差しであたしを見ていた。そしてあたしの事を忌むべき存在だと蔑むように非難して彼は立ち去った。今思い出してもあの時の 忌まわしさに鳥肌が立つ思いだった。
三人目は匠くんと同じイラストレーターの女性からその事を問われたのだった。その人とはイラストレーター同士の飲み会に匠くんが誘われて行く事になって、 その席で匠くんに女が近づいて来るような間違いがあってはならないと、半ばごり押しであたしも同行した時に知り合ったのだった。匠くんの横であたしがそれ となく他の女が匠くんの隣に来たりする事がないよう目を光らせていると、その人があたしの隣に来て、本当に何気ないような軽い調子でこそっと囁くように訊 いて来たのだった。あんまり気軽に訊かれたので、その人が何処まであたしの気持ちに気付いたのか、あたしもよく分からなかったけれど、それでもびっくりし てあたしは固まってしまった。ほんの一、二時間程度会っているだけでそれと知られてしまう程、あたしは分かり易い態度を見せてはいなかったし、迂闊ではな いつもりだった。実際その場でその人以外に知られたようには思えなかった。あたしが目を丸くしたまま絶句していると、その人はそれでもう十分だというよう ににんまりと口元に笑みを浮かべて、また席を離れて行ってしまった。その後、何回か性懲りも無く同じような飲み会に匠くんにくっ付いて行って、その人とも 何度も顔を合わせる事になり、あたしはひどく警戒したのだけれど、それっきりその事について訊いて来るでもなく普通に話をするようになって、今ではその人 とは気持ちを知られてしまっているという事もあってか、打ち解けた気の置けない付き合いをするようになっていた。
あともう一人、ひょっとしたらあたしの気持ちに気付いているのかも知れないと思える人がいた。匠くんの大学時代からの友達の九条さんだ。あの人はいつも飄 々としていて本心を掴ませないので、勘付かれているのかどうかあたしも今ひとつ自信がないんだけど、かなり目端が利いて人の内面を読むのが上手くて勘も鋭 いので、今迄にそれらしい事を指摘された事は無いものの、何となくあたしの気持ちを気付かれているように思えた。

自分でも何でそうなのかはよく分からなかった。子供時代を振り返ってみても、あたしが極度のブラコンに陥るようなきっかけも理由も見当たらなかった。大体 世の中には匠くんよりカッコいい素敵な男性なんてザラに居るし、その気になればあたしがそういう男性と付き合うのは容易いことだと自負している。
それなのに何故実の兄の匠くんなのだろうか?あたしにとってそれは最大の謎だった。
ただ自分なりにそうじゃないかと見当をつけているところとしては、きっと匠くんの肩肘張らないその在り方に惹かれているんじゃないかと思う。
周囲からは匠くんよりあたしの方が優秀で才能に溢れていると思われがちだった。昔からあたしは可愛い、美人だと誉めそやされて来たし、今だって一応モデル という仕事に就いている位に容姿端麗だと客観的にも言えると思う。性格だって社交的で愛想が良くて他人への気配りが上手い、よく気の利く人間だと思われて いる。勉強だって出来た方だし、学校での成績も良かった。ある程度はもともと素地としてあったのだと思う。でも自分ではちゃんと分かっている。あたしはそ れ程大して才気溢れる人間なんかじゃない。周りにはそれと気付かれないように、地道で多大な努力を払ってそう見せて来たのだ、ずっと。多分、幼い頃から 「可愛い」とか言われてちやほやされて来て、いつしか周囲から自分を実力以上に優れた存在だと見られたいと思うようになったんじゃないだろうか。だからも う必死になって努力を重ねた。それと見えないように気を付けながら。常に兄の匠くんよりあたしの方が格段優れているという評価を得られていなければ不安 だった。「妹の麻耶ちゃんに較べて、お兄さんである匠くんは・・・」と密かに囁かれるのを耳にして安心した。正直なところ、実の両親でさえそう思っている んじゃないかと思う。いつも華やかな表舞台に立つあたしに比べ、匠くんは凡庸に埋没する冴えない裏方なんだと。
その筈なのに、あたしから見た匠くんはそんなこと、僅かにも気にしていないようだった。妹であるあたしの方がよっぽど優秀だって言われているのが耳に入っ ていない筈はないのに、匠くんはムキになったりがむしゃらになったり、或いは自棄(やけ)になるようなことはなかった。いつも軽やかに、マイペースを保っ ているように見えた。周囲の話なんかまるで気にも留めずに、あくまで自分の興味と関心の範囲で生きているようにあたしの目には映った。その在り方はあたし にしてみればとても不思議に思えたし、とても羨ましく見えた。そしてあたしは敵わないと思ったのだ。匠くんの在り方に、どんなにあたしが精一杯頑張って も、そしてどんなに周囲があたしの方を認めてくれていても、匠くんには何だか敵わないと思った。
匠くんの在り方は、あたしにとって何だか苛立たしく、心の中に憎く思う気持ちさえ感じながら、その一方でとても羨ましくて憧れるものだった。
だからだと思う。あたしがずっと密かに匠くんに憧れ続け、匠くんに近づこうとする異性を悉く排除し続けて来たのは。

では、匠くんと男女の関係になりたいのかと言うと、自分でもそういうのとは何となく違うような気がしている。そういう関係になるには余りにも身内としての意識が強過ぎて、今更どうしようもない気がしている。そういう状況を全く想像することができない。
大学時代は流石に自分が異常なんじゃないかと思い悩み、それなりに匠くんと距離を置こうとしたり、或いは人並みに彼氏を作ったり、恋人と呼べるような男の 子との付き合いもしたし、男女の関係にもなった。(その一方で匠くんに女の影が近づくのはしっかり排除し続けていたのだけれど。)だけど何となく違和感が あった。どんなにあたしへの好意を示してくれても、客観的にはすごく優しくて思いやりがあって彼氏として申し分のない、非の打ち所のない男の子であって も、何かが違っていた。心の片隅で常にその思いは拭い去れなくて、そうしてやがて関係は終わってしまった。大体においてあたしが別れを告げた方が多かった と思う。中にはあたしの中に誰か別の存在がいて、いつも違う方を見ていると的を射た指摘をして離れていった人もいた。
何れにしろ結局長続きはせず、何人かの男性と恋愛めいた真似事を繰り返した後、あたしはもう諦めてしまった。そしてはっきりと分かった。自分が匠くん以外の男の人を本当に好きになることはないのだということを。絶望感で目の前が真っ暗になりながら。
匠くんとの二人暮しという今の生活は、あたしにとっては理想的なものだった。お互い顔を合わせれば皮肉混じりの言い合いばかりしているような間柄ではあっ たけれど、それでもあたしはこの状況がずっと続けばいいと願っていた。お互いの仕事は全然違うものだったので、特にあたしの方は四六時中外に出ているの で、なかなか目が行き届かない不安はあったけれど、都合の良いことに匠くんの仕事は殆ど一日中家に籠もっていて、女性と知り合う機会は極度に少なかったの で、匠くんが仕事上で女性と親しくなる可能性は極めて低いと思われた。

それなのに・・・自分の選択を今とても悔やんでいた。まさに痛恨のミスだった。
あの時あたしが匠くんを学校に行くよう仕向けなければ、こんな事態を招く事はなかったのに。自分のあの時の判断を今更ながらに呪ってやりたかった。
まさか、あろうことか9歳も年下の女子高生が匠くんに想いを寄せるだなんて、予想だにしていなかった。しかも、である。匠くんもどうやら彼女に惹かれてい る様子である事を知って、うろたえずにはいられなかった。こんな事は初めてだったし、それに何より彼女が匠くんの描く少女とそっくりで、正に絵から抜け出 て来たんじゃないかと言いたくなるほどに似ている事が、あたしの中の焦燥に拍車をかけていた。そしてあたしには嫌な予感があった。彼女が匠くんを本気で好 きになっている事が間違いないように思えた。
一刻も早くこの恋の芽を摘んでしまわなければ。あたしの胸には焦りがあった。早く手を打っておかないと今はまだ小さく弱弱しいこの芽は、やがて双葉が顔を出し、すくすくと葉を繁らせ、枝を伸ばして、見る間に大きく揺ぎ無い大樹に育ってしまうんじゃないか、そう感じた。

彼女は表情を強張らせ瞳を揺らしていた。
それを見ていて胸が痛んで、強引に話を終わらせようと思った。もうこれで匠くんと会わないようにするつもりで。
「だから・・・」
あたしの言葉を遮って彼女が口を開いた。
「そんなつもりじゃありません」
それはあたしが抱いていた彼女のイメージを打ち消すような強い口調だった。
「あたし本気です」
そう言われて、あたしは一瞬唖然として「は?」と間の抜けた声で聞き返していた。
「あたし、本気で佳原さんが」と言いかけて、彼女は少し躊躇した表情を見せてから言い直した。
「匠さんが好きです」
下の名前を言われて少し心がざわついた。あたしは皮肉っぽく聞き返した。
「本気とか軽く言うけど、どういう事か本当に分かってるの?」
彼女は強い眼差しであたしを見返した。
「軽くなんか言ってません」
彼女の余りにきっぱりした口調に、目の前に座っているのが8歳も年下の少女だという事も忘れて苛立った。
「大体、匠くんの何処を好きだって言うの?」
あたしの問いに彼女は静かに答えた。
「何処とか、そんなの分かりません。その人の一部分を見て好きになるものなんですか?」
そう聞き返されてあたしはすぐに返答できなかった。あたしが口を噤んでいると彼女は言葉を継いだ。
「もちろん好きになるのって色んな形があるんだと思います。段々とその人を好きになったり、ある部分に惹かれてから次第に好きっていう気持ちが募っていっ たりってこともあるんだと思います。外見を見て好きになる事だってあるだろうし、その人の優しさとかに触れて心が惹かれる事もあるんじゃないかって思いま す。でもあたし自身は匠さんの何処が好きかって聞かれても答えられません。上手く言えないんですけど、匠さんに会った時から、あたし本当に匠さんを好きに なりました」
そう言ってから彼女はふと思い直したように言った。
「もっと言うと、会う前から好きになってたんだと思います。変に思うかも知れませんけど、匠さんが描いた絵を初めて見た時から、あたし匠さんを好きになっていました。それで実際に匠さんと会って、あたしは匠さんを好きだっていう自分の気持ちを確認しました」
どうしてそんなにも彼女が躊躇いなく話すことができるのか不思議だった。でもその真っ直ぐな眼差しを見て、あたしは彼女がとても真剣で心から匠くんを好きなんだという事が分かってしまった。何故だろう、理屈ではなくそれが分かってしまった。
でもだからと言って、容易くそれを認める訳にはいかなかった。
「でも、9歳も歳が離れていて上手くいくと思う?」
我ながら陳腐な事を聞いていると思った。
「自分に何度も問いかけてみました。自分でも歳が離れている事が気掛かりでした」
彼女は一瞬の逡巡もなく答えた。恐らく彼女が言うとおり、何十回、何百回と自分自身に問い直してみたのだろうと思った。
「すごく思い悩んで、考えて、でもそんなこと全然関係ないって分かりました。そんなこと関係ない位、匠さんを好きだって分かったんです」
そう言って彼女はにっこり笑ったのだ。
余りに嬉しそうな幸せそうな彼女の笑顔を見て、あたしは不覚にも毒気を抜かれてしまった。
それに気付いて狼狽しながらも、更にしつこく聞き返した。
「で、でも、匠くんって性格悪いし愛想悪いし、全然楽しくないよ」
「・・・そうですか?とっても優しいと思いますけど。それに一緒にいてあたしは何時もすごく楽しいです」彼女は少し意外そうに首を傾げた。そして思い出したように笑いながら付け加えた。
「そう言えば、ちょっと無愛想なところあるかも知れないですね。でもそれってすごく照れ屋だからなのかなって思うんですけど」
いや、それはちょっと違うんじゃ、と思った。でも何を言っても無駄かも知れない。要するに痘痕(あばた)も笑窪ってヤツで。
「いや、でも、ネクラだし、むっつりスケベだし・・・」
段々滅茶苦茶な事を言い出していた。彼女はあたしの話を聞いて、不思議そうに「そうなんですか?」と聞き返した。
「それに絶対将来禿げるから。父親が頭の毛相当薄くなっててさ。いや、あれはもう薄いなんてもんじゃなくて、人から見れば明らかに禿げてる以外の何物でもないんだけど、遺伝で匠くんも禿げるに決まってるのよ」
あたしがそうまくし立てると、彼女はぽかんと口を開けたまま目を丸くしていた。それからくすくすと笑い出した。
一体何を言ってるんだろう。我ながら馬鹿な事を言っていて唖然となった。
「どうかな、禿げてる匠さんて想像できないから、何とも言えないんですけど。でも、もし匠さんが禿げても、好きな気持ちは変わらないって絶対の自信ありますから」
彼女は悪戯っぽい口調で可笑しそうにそう答えた。
あと何か言うことはあるだろうか?必死に匠くんの欠点を思い浮かべた。

でも彼女の笑顔を見て諦めるしかなかった。
あたしが何時も心の片隅で匠くんに敵わないと思っているのと変わらない強さで、あたしは目の前に座っている8歳も年下の少女に敵わないと思っている事に気付いた。
何故かは自分でもよく分からないけれど、匠くんと彼女は特別なのだと感じた。それは多分彼女を初めて見た時から感じていたのだと思う。
こうして彼女と面と向かい合ってみて、その予感が間違っていなかった事をあたしは知らされた。
それを認めると、あたしの気持ちはすっぽりと底が抜けたように軽くなり、むしろ清清(すがすが)しささえ感じていた。
不思議なコだった。
特別にこれといった魅力がある訳じゃないし、取り立てて特長があるのでも強い個性があるのでもない。結構可愛い顔をしてるけど、それだってものすごくって ほどでもなかった。そもそも仕事柄カワイイ子も綺麗な子も見慣れてるから、その辺りの評価は自ずと厳しくなる傾向はあるかも知れない。
それなのに何故だか彼女には敵わないって思ってる自分がいる。匠くんを想う気持ちでは誰にも負けないって、そんな強さが彼女から放たれているのが見えるような気がした。
自分のことに自信が持てずに、いつも自信なさげに躊躇うように、時にはおどおどと喋る彼女が、匠くんのこと、匠くんへの想いを語る時には自信に満ちた真っ 直ぐな眼差しを向けてくる。匠くんのことを語る時の彼女は不思議なくらい魅力的だった。彼女の周りがきらきらと輝いているみたいに感じられた。

あたし達は店を出て、17号線を武蔵浦和駅方面へと車を走らせた。
あたしも彼女もずっと口を開かずにいた。
「ごめんなさい」
不意に助手席で彼女が口を開いた。
色んな感情のない交ぜになった気持ちを飲み込んだまま、なるべくそのことを考えまいと車の運転に意識を向けていたので、唐突に告げられた彼女の謝罪の意味が分からなかった。
「え?」
眉を顰(ひそ)めて聞き返すと、彼女は少し躊躇うように言葉を継いだ。
「あの、ごめんなさいなんて謝るのも変だと思うんですけど、何だか偉そうな事を言ってしまってすみません」
それから彼女は顔を上げてあたしを見た。
「それに、あたしのような子供が匠さんを好きだなんて言って、麻耶さんからすれば許せないのかも知れません。でも、あたし本当に匠さんを好きです。誰よりもずっと。誰がなんて言ってもそれは間違ってないって事を、あたし知ってます」
強い光の籠もったひたむきな眼差しがあたしを射る。
彼女の強い視線を感じながらも、彼女の言葉を聞いてあたしは何も言わずに、ただ前方を凝視して車の運転に集中した。
返事を待っていた彼女は、あたしが何も言い返さないのを知ると、諦めたように前方へと視線を向けた。
再び車内を沈黙が包んだ。


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