【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ 蜂蜜パイの午後 ≫


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「アップルパイとアプリコットティーお願いします」
彼女がウェイトレスに注文する。
思わず噴き出しそうになるのをなんとか堪えた。
ウェイトレスがテーブルから離れると、何か言いたそうな僕の顔を見て口を尖らせる。
「何?」
自分でも目が笑ってるのが分かる。
「いや、あれだけメニューとにらめっこしてたのにアップルパイって」
店に入ってこの席に着いてメニューを貰ってから、彼女は数分間それこそ眉間に皺を寄せて何を注文しようか思い悩んでいたのに。
少し恥ずかしさに頬を赤らめながら彼女は抗議した。
「だって、気になるんだもん」
「でも、きまってアップルパイじゃない?もっと食べたいもの頼んだらいいのに」
「アップルパイが食べたいの」
「それはそうかも知れないけどさぁ」

彼女が何故そんなにアップルパイに執着するか知ってるだけに、僕はちょっと気が引ける。
彼女がアップルパイにこだわりを持つのが、僕のせいであることは分かってる。僕のためにそうしてくれるのはもちろん嬉しい。
でも、僕は彼女にもっと好きなものを食べて欲しいとも思っていた。
「萌奈美のアップルパイはとびっきり美味しいんだから、もう今更研究する必要はないと思うよ」
最近ではこんな褒め言葉も大して照れずにさらりと言えるようになってきた。随分進歩したものだと我ながら思う。
以前は内心そう思っていても照れや気恥ずかしさや緊張で上手く伝えることができなかった。
でも彼女が本当は分かってくれているのだとしても、こちらの気持ちにちゃんと気付いてくれているのだとしても、それでも女の子には言葉に表してきちんと伝えてあげることが必要なんだって、女の子ってそういうもんなんだって少し前に理解した。

麻耶にも言われたことがあったっけ。
「匠くんはさ、言わなくても分かってくれてるはずって思ってるかも知れないけど。それにもちろん萌奈美ちゃんなら分かってくれてるはずなんだろうけど。でも、女の子はきちんと言葉に出して欲しい訳よ。そうしてくれる事で安心できるの」
成る程。そういえば桜井さんも歌ってたよな。
“きみはすぐ 形で示してほしいとごねる”
ところで兄を「くん」呼ばわりするのはいい加減どうかと思う。そう言ったところでアイツは何を今更って鼻で笑ってお終いになるのがいつものことなんだけど。

多分に僕はきちんと口に出して伝えるという事を、世の中の平均的な男性諸氏よりも苦手としていた。
萌奈美が初めてアップルパイを作ってくれた時も、僕は気恥ずかしさを必死で押さえ込みながら最大級の賛辞を送った。本当にそこらの店で買うアップルパイより格段美味しかった。
僕がアップルパイが好きだということを話したら、次の週末、手作りのアップルパイをごちそうしてくれた時のことだ。
僕にはその時作ってくれたアップルパイが充分過ぎる程美味しかったのだけれど、それからというもの二人で出かけてお茶をする時、彼女が頼むのはアップルパイが定番になった。
色んなお店のアップルパイを食べ比べて、研究しているのだそうだ。
ちょっと待てよ。ひょっとしたら僕と二人の時だけじゃなく、友達と出掛けた時にも毎度アップルパイを注文してるんじゃなかろうか・・・萌奈美の性格を考えると。
だとすると、ちょっとどころじゃなく申し訳なく思えてくる。だって萌奈美は他の多くの女の子の例に漏れず、甘いものもケーキも大好きなのだから。
ケーキを食べてるときの萌奈美のその至福の笑顔を見るたびに、ひょっとしたら僕はケーキに負けてるんじゃないかと思い、複雑な気持ちになる時が少なからずある。
って、ケーキと自分を比較してる時点で、既にどーしよーもないガキの発想だと思うのだけれど。
何れにしろ萌奈美から他の数多(あまた)のケーキを遠ざけ、アップルパイにだけ固執させているのが僕の仕業だと思うと少なからず胸が痛む。

僕にとっては萌奈美の作ってくれるアップルパイが一番美味しいのだけれど。・・・彼氏の贔屓(ひいき)目が少なからずあるのかも知れないけど。
そうは言っても彼女は多分、アップルパイを頼んじゃうんだろうな・・・うーん、これはお茶する店にあらかじめアップルパイがあるかどうかリサーチしとかなきゃ駄目かな?マジで。

「ねえ、匠くん?」
そんなことを考えていた僕をぼんやりしていると思ったのだろうか、萌奈美が少し拗ねたような口調で聞き返した。
「あ、ごめん。何?」
萌奈美はもう、とほっぺたを膨らませる。しまった、ちょっと怒らせちゃったかな?怒ってる時の萌奈美の仕草も可愛くて好きだなあ、と内心見とれている。
「ごめん、何?」
もう一度素直に謝る。精一杯反省してますという顔をしながら。
「だから、蜂蜜パイってどんな味なのかな、って言ったの」
は?蜂蜜パイ?・・・蜂蜜パイとは?

僕が鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしているのが分かったのだろう、萌奈美は更に補足した。
「村上春樹さんの小説であるでしょう?蜂蜜パイの話」
ああ、分かった。因みに蜂蜜パイって題名(タイトル)だよね。話の中に確かに蜂蜜パイが出てくるけど、別に蜂蜜パイの話ではなかったかと思うのだけれど。
という指摘は言わないでおく。こういう時、女の子は別に指摘して欲しい訳ではないのだから。
これも萌奈美と付き合いだしてから学習した。女の子とはそういうものなのだと。
「ああ、うん、あるね」とだけ答える。
話がどう転ぶのかまだ分からないのでとりあえず頷いておく。
「あの蜂蜜パイってどういう味なのかなあってずっと思ってたの。食べてみたいけど、今まで見た事ないから」
確かにケーキ屋でも喫茶店でも蜂蜜パイは見かけた事がないような気がする。そんなにケーキ屋とか詳しくないけど。
「言われてみれば確かに。売ってるのを見た事ない気がするな」
「でしょう?どういう味なのかなぁ」
頬杖をついた萌奈美はまだ見ぬ蜂蜜パイに想いを寄せる眼差しで呟いた。
「まあ、蜂蜜パイって言う位だから、蜂蜜を使ってるんだろうけど・・・」
「でも、蜂蜜だけじゃ焼いてる時に蜂蜜が溶け出しちゃわないのかな?」
うん、それも確かに。
「気になるんだったらネットで調べてみれば?」
・・・しまった。ついうっかり建設的な意見を口にしてしまった。

こういう時も、女の子は解決策や建設的な意見を求めてる訳ではないのだ。
こういう時は一緒になって蜂蜜パイとはどんなものか、蜂蜜パイの仔細を想像し、自分がイメージした蜂蜜パイについて意見を交わし合い、思いを巡らせてあげるのが正答なのだ。
案の定、彼女はこう言った。
「うん、でも調べて答えが出ちゃうのもつまんないかなぁ」
彼女が求めているのは即物的な蜂蜜パイの実像ではない。蜂蜜パイのような甘く、とろけるような・・・好きな人と一緒に過ごす・・・素敵なひと時なのだ。
ところで、ふと蜂蜜で喚起されたイメージが頭に浮かんだ。
「そういえばさ、プーさんのハニーハントって最後の所で蜂蜜の匂いするよね」
「プーさんのハニーハント」とは言わずと知れたディズニーランドのアトラクションである。人が聞いていたら突然飛躍し過ぎのように聞こえるかも知れないが、二人の間ではディズニーの話は常に共有されているので突飛でも何でもない。
案の定彼女にはそれで話が繋がっていて、僕の言葉に顔を輝かせた。
「うん、そう!」
本当に嬉しそうに笑う。
「あたしも今そう思ったの」
テレパシーみたいで嬉しい、ってのはsmapだったっけ?
彼女の満面の笑みを見ると、こちらも本当に幸せな気持ちになり自然と顔が綻ぶ。
彼女もこれ又巷の多くの女の子と同じく、ディズニーランドが大好きだった。
「しばらく行ってなかったね、今度行こうか?」
僕のこの問いかけに彼女の声のトーンが数段上がる。
「本当?いつ?」
僕は彼女の跳びはねんばかりの様子に苦笑しながら、携帯を取り出しカレンダーを表示する。
「そうだな・・・」
そこへアップルパイが運ばれて来た。
ディズニーランドへ行く計画は食べ終わってから決めることにした。

アップルパイを一口食べた彼女は、至福の笑顔を浮かべる。
「うん、美味しい」
彼女のその笑顔に満足して、僕も注文したレモンパイを食べる。
「美味しい?」
と彼女が聞いてくる。これも女の子の法則だ。「美味しい」ということ。
手作りの料理に対してはもちろんのこと、女の子と一緒の時は料理を味わって、その美味しさを口に出して伝えること。
「うん、美味しいよ」
「じゃ、味見」と自分のアップルパイをこちらに差し出し、僕のレモンパイの皿と交換する。
味見。これ又女の子の定番。彼女曰く、女の子は食いしん坊なのだそうだ。
自分が迷いに迷って注文した料理であっても、他の人が頼んだ料理も食べてみたくて仕様が無いのだそうな。
だから女の子同士で食事する時は皿がテーブルの上をあっちこっち行きかう事になるとのこと。
その話を聞いた時は、へえー、と素直に感心したものだった。男には無い発想だ。

アップルパイを食べ終え彼女にとって至福のひと時を過ごしてから、改めてディズニーランドへ行く日取りを決めた。
そして僕たちは来週の土曜日にディズニーランドに行く約束をした。
それと、僕は机に頬杖をつきながらもうひとつ彼女に提案した。
「それから、今度蜂蜜パイを探しに行こうか?」
女の子が欲しがってるのは答えではないのだから。
彼女は一瞬目を丸くしてぽかんとしていた。それがにっこりと笑顔に変わる。
「うん」
この先もずっと見続けていきたいと思う最高の笑顔だった。
 


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