【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ きみがすき ≫


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「あーあ」
机に突っ伏しながらぼやく。
もう昼休み。とうとう午前中が終わってしまった。

あたし達は教室の机を四つ合わせて即席のランチテーブルをこしらえていた。
亜紀奈(あきな)と結香(ゆうか)は食堂の購買にパンを買いに行っている。
購買は学校の近くのマムというお店のおじさんが、昼休みにだけ食堂の一角で調理パンや菓子パンやおにぎりを販売している。
彼女達二人は購買派だった。一方、あたしと春音(はるね)と千帆(ちほ)はお弁当組だ。
あたし達は彼女達が購買から戻ってくるのを待っているところだった。

「なあに?まだ機嫌直んないの?」
お弁当の包みをほどきながら春音が呆れている。
・・・さすがに不機嫌はどうにか収まったんだけど。
でも、今度は自己嫌悪があたしに圧し掛かっていた。
「なんか、自分がヤな性格になってく気がする」
ちょっとしたことで不機嫌になったり、拗ねたり、怒ったり・・・なんでこんなに自分の気持ちが思うようにならないんだろう。
あたしってこんなに癇癪持ちだった?前はこんなじゃなかった気がする。
匠くんと出会う前。あの頃あたしはどうしていたんだっけ?もっと毎日穏やかだった気がする。
「そんなことないよ。さっきも言ったでしょ。あたしは今の萌奈美が好きだよ」
そうかなぁ?のろのろと千帆の方へと顔を向ける。
「前の萌奈美はいつも穏やかに笑ってる子だったでしょ。決して怒ったりしなかった。みんなに平等に優しかった。それで・・・いつも手の届かない場所にいる感じで少し寂しかった」
はっとして千帆を見た。
でも、と千帆は言葉を続ける。
「今の萌奈美はありのままの気持ちを見せてくれてる気がする。笑ったり、泣いたり、怒ったり、喜んだり、ね」
千帆の眼差しは優しかった。
「くるくる変わる表情がとても魅力的に見える。悲しかったり、傷ついたりするのは嫌だし、怒ったりすればあとで落ち込んじゃうかも知れないけど。でも、嬉しい時、幸せな時の笑顔は、とびきり輝いてる。きらきらして眩しくて、そういう萌奈美があたしは大好きだよ」
千帆はちゃんと言葉にしてくれる。こんな時も少しも臆さないで、真っ直ぐな眼差しで気持ちを伝えてくれる。こういう千帆があたしも大好きだ。
かけがえのない、大切な友達だ。
「ありがと」
気恥ずかしくてそう答えるのが精一杯だった。
にっこりと笑って千帆は頷く。

そうだ。匠くんと出会う前。匠くんに恋する前。
あたしの毎日はもっと穏やかだった。
心はしんとしていて、周りの世界はまるでフィルターがかかっているように何処か疎遠に感じられていた。
自分自身が薄い膜に覆われてしまっていて、触れても何かが欠けていた。
あたしが触れた途端に、その熱は奪われてしまった。決してその熱さがあたしに届くことはなかった。
あたしの心は穏やかだった。だけど、それは寂しさに彩られた平穏だった。それが寂しいと気付かない程に。

匠くんと出会って、匠くんに恋をして、あたしを覆っていた薄膜は、ぱちんとはじけた。
あたしの中に激しい感情が流れ込んできた。あの日からあたしの心は、激しい感情にこすれて、ひりひりした。切なさが擦り傷のように沁みた。
そして、それと共にとても甘くて、とても温かい気持ちがあたしの中に満ちた。

匠くんに想いが伝わらなくて、匠くんが想いを伝えてくれなくて、とても切ないけれど、
匠くんに想いが伝えられたとき、匠くんが想いを伝えてくれたとき、二人で手を繋いでいる時のように、温かさが伝わってくる。
あたしの手をぎゅっと握った匠くんの手の平がとても温かかったように、匠くんと一緒にいると、幸せな気持ちがあたしの心をきゅっと抱きしめ温めてくれる。

じっとしていられなかった。
机から身を起こしていた。
「千帆、春音」
机の上の携帯を握り締め、すっくと立ち上がって言った。
「あたし、行ってくる」
千帆は満足そうに頷いた。
「うん」
「いってらっしゃい」
春音が素っ気無い声で送り出してくれる。だけどその眼差しはとても優しくて。
弾かれるように教室を駆け出した。
あたしの勢いに、すれ違い様に入ってきた男子が何事かって慌てて身を引く。廊下に駆け出したら後方から聞き慣れた声が呼びかけて来た。
「あれー、どうしたの萌奈美?」
「何処行くの?」
きょとんとしたその声に、購買から帰ってきた二人の姿が脳裏に思い浮かんだけど、振り向くのももどかしくて、全力で廊下を走り去った。
あたしがこんな風に全力疾走で廊下を走ることを想像もできない何人もの同級生が、信じられないものを見たかのように、すれ違い様に振り向くのが目に入った。

昇降口で外履きに履き替え、人気のないナビセンターの方に走って来ると、握っていた携帯を開く。
すると、待ちかねていたように突然、携帯が震えた。
今一番その声を聞きたくてたまらない人からだった。
一瞬、たった今、たまらない位に声が聞きたいっていう気持ちが繋がった気がした。
「はいっ!」
通話ボタンを押し、答えた。
思わず出た声は叫び声に近かった。

やっとの決意で通話ボタンを押し、呼び出し音が鳴る間もなく、いきなり耳元で叫び声の如き返事が聞こえた。
油断していた耳元で発せられた高音は、音速で飛ぶ戦闘機が通過していく時発する高周波のソニックブームの如く、左耳から右耳へと駆け抜けていった。
キーンとした反響が左耳に残り、受話器から届く声は、ひっそりと遠くに聞こえる。
「・・・くん?」
一瞬フリーズした思考が再起動する。
「え・・・?萌奈美?」
自分で彼女の携帯に電話しといて、彼女が電話に出て驚いている。自分ながら間抜けこの上なかった。
「うん・・・匠くん?」
消え入りそうに小さな声だった。僕は聞き逃さないように、まだ完全に回復していない耳元に携帯をぴったりと押し当てた。
なんて言おう・・・?
さっきまで頭の中で考えていたセリフは、一瞬にして何処かに飛んでいってしまった。
言葉が見つからないまま、もごもごと口を開く。
「えっと・・・今、大丈夫?」
「うん、昼休みだから」
答える彼女の声は、でもやっばり戸惑いがちだった。
「そっか。もう食べ終わったの?」
「え、うん、と・・・まだだけど」
言いにくそうに彼女は答える。
自分のタイミングの悪さに落ち込みながら告げる。
「ごめん、また後でかけ直す」

「えっ!?」
今にも電話を切ってしまいそうな気配だった。
また後でなんて絶対無理だった。今、気持ちが昂ぶっているこの時じゃなきゃ素直に言えないって思った。
「大丈夫だから!匠くん、電話切らないで!」
慌てて電話の向こうに呼びかける。
一回くらいお昼を抜いたって、お腹が空くくらい我慢できる。
それより、匠くんといま仲直りすることの方が遥かに大事だった。お昼ごはんより大切なことがこの世にはある。恐らく数え切れない位いっぱい。
あたしにとっては、匠くんにこの想いを伝えることが、今、何よりも大切なことだった。
切迫したあたしの声に、匠くんは思い留まってくれたようだった。
一瞬遠ざかった声は、再び耳元ではっきりと聞こえた。
「萌奈美?」
激しく揺れて、この胸からこぼれ落ちそうになっている気持ちが、やがて鎮まってしまう前に伝えたかった。
「ごめんなさい。あたし」
性急に言葉を探す。でもなかなか想いを伝える言葉は見つからなかった。
「つまらない事で怒ったりして、小さい子みたいに拗ねたりして、ごめんなさい」
それはまるで、小さい子どもがお母さんに叱られて、もうお母さんは知りませんって突き放された時のような謝り方だった。あたしは今、泣きじゃくってこそいなかったけど、もうひたすら相手が許してくれるまで謝り続けた。

ごめんなさい。子どもで。いつまでたってもつまらないことで意地を張って、素直じゃなくて、幼稚なままで。
・・・ずっと不安だった。あたしが子どもだから、いつか匠くんに愛想を尽かされてしまうんじゃないかって、匠くんとの年の差は現実的に埋まる訳ないけれ ど、追いつける筈はないのに追いつきたくて、でも焦って急ごうとすればする程、足は前に進まなくて、躓いて、想いはもつれて、ずっと前を歩いてる匠くんの 背中を見失ってしまいそうになって。
あたしは、なんて、子どもなんだろう。・・・
心の中で泣きじゃくっていた。幼い子どものように。

「・・・なみ。・・・萌奈美!」
匠くんが強く呼ぶ声にはっと我に返った。
「萌奈美?僕の方こそごめん。僕の方こそ君を不安な気持ちにさせてごめん」
匠くんの声はとても優しかった。とても。
視界が滲んだ。
嗚咽を堪えて隠そうとするけど、無理だった。
「萌奈美、泣かないで」
匠くんは焦ってなだめてくれるけど、涙が止まらなかった。
ごめんなさい、こんなことで泣いて。それも言葉にはできなくて。ただ必死に泣き声を抑えようとすることしかできなくて。


萌奈美は辛いのだろうか?僕と一緒にいることは、無理して背伸びばかりして、ただ辛いことばっかりなのだろうか?
この年齢差は彼女を焦らせるだけなのだろうか。
萌奈美には似合わないと思った。無理して背伸びして、いつも焦って急ぎ足でいることなんて。萌奈美はもっと、ゆっくりとゆったりと歩いているのが似合ってる。
季節ごとに咲く花、木々の緑の青さ、空の高さ、雲の形、吹き渡る風、そんなことに季節の移ろいを感じ、いつも周りの風景に目を留めながら、ゆっくりと歩いているのが萌奈美には似合っている。
僕は萌奈美をただやみくもに急ぎ足で歩かせてしまっているのだろうか?
僕といるのは、萌奈美は辛いのだろうか?無理ばかりしているのだろうか?
自分でも思わず口にしていた。

「萌奈美は、辛い?」
匠くんの声は、ぽつりと耳に届いた。
何気ない問いかけだった。ぼんやりしていたら思わず頷いてしまいそうになるくらい、その声はぽつり、としていた。
あたしは辛いんだろうか?心の中でもう一度訊きかえしてみた。
・・・あたしは辛いんだろうか?匠くんといることが・・・

辛いこともあるのかも知れない。苦しいのかも知れない。時には。・・・何時も?
「苦しいよ」
声が詰まった。
受話器の向こうで息を飲む気配がした。早く、言葉を紡がないと。
「だけど」
舌がもつれて言葉が出てこないのを堪えて、必死で後を続ける。
「だけど、そんなの忘れちゃう位に、匠くんと一緒にいるのは幸せだよ」
「匠くんを好きでいると、気持ちが揉みくちゃになって、醜い自分が映し出されて、自分が嫌になってしまいそうになるけど・・・」
きみがすき、大好きなミスチルのあの歌みたいに。
あの曲みたいに穏やかなテンポでは、決してないけれど。
繰り返し、繰り返し。想いを焦がして。
いつか、あたし達は穏やかな気持ちで、一緒に肩を並べて歩いているだろうか?
多分、いつか。
そして、ずっと、気持ちは変わらない。

「匠くんが好き。いつも。ずっと」
笑いながら言った。涙は止まってないけど。泣き笑いの顔で。電話でよかった。こんなひどい顔見られなくて。
とてもありふれていて、だけどとても素直で温かい言葉、とても大好きな言葉。ずっと伝えたい、君にずっと言い続けたい。
「ずっと、ずっと。匠くんが好き」

少しの間、沈黙が続いた。でも、全然不安じゃなかった。

「ありがとう」
匠くんの声は少し照れている感じがした。そして少し躊躇いがちに聞こえた。
「僕も、萌奈美が好きだよ」
一瞬息ができなかった。強く抱きしめられたみたいに、苦しいけど、とても幸せな気持ちになる。
ずっと聞いていたい。もっともっと言って欲しい。その声でずっと囁いて欲しい。
一言であたしはこんなに幸せになる。

早く学校が終わればいい。学校が終わったら速攻で会いに行くから。
この気持ちが治まってしまわないうちに。こんなに溢れそうになってる気持ちがしっくりと胸の中に落ち着いてしまわないうちに。
そしてちゃんと顔を見て、もう一度言うから。恥ずかしくて真っ赤になっちゃうんだろうけど。二人ともどぎまぎして、視線が泳ぎまくりだろうけど、多分。
だけど、ちゃんと言うから。
とてもありふれていて、だけど魔法の言葉。

きみがすき。


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