【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Conflict (4) ≫


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「阿佐宮」
廊下で織田島先生に呼び止められた。
「何ですか?」
あたしが近くまで行くと、織田島先生は周囲に気を配りながら声を潜めた。
「小橋から宣戦布告されたって?」
織田島先生の発言にギョッとした。
「何でそんなこと知ってるんですかっ?」
動揺を隠せずに聞き返したら、織田島先生はニヤッと口元を歪めた。
「・・・麻耶さんから聞いたんですか?」
肯定も否定もしない織田島先生だったけど、その沈黙が答えているも同然だった。
もうっ。麻耶さんったら、ぺらぺら何でも喋っちゃうんだから!不機嫌になりながら、胸の中で麻耶さんへの文句を言い放つ。
昨日丹生谷邸から帰宅した麻耶さんに、一昨日の小橋さんとの一幕を報告したのだ。
「そんなことほざいたの?あの女(アマ)!」
忌々しげに麻耶さんが言った。
「身の程知らずがふざけたこと抜かしてんじゃないわよ!」
余りの剣幕に内心少し恐れをなしていた。
「あの、麻耶さん、少し落ち着いて・・・」
自分から話を持ちかけた立場なのも忘れて、麻耶さんを宥める。
だけど麻耶さんの勢いは少しも留まることはなかった。
「大体、昔っからあの女いけ好かなかったのよね。何かってーとすぐ匠くんに絡んで来てさ。ライバル気取りで、その実匠くんを理解してるつもりになって、ふざけんじゃないわよ」
市高時代を思い出して、今更のように猛然と怒り狂う麻耶さんだった。
麻耶さんの話からも、市高での匠くんと小橋さんの二人の関係が何となく理解できた。きっと、表面ではいつも匠くんに対抗心を燃やすような態度に出ながら、 本当は小橋さんは心の中では匠くんに想いを寄せていたんだ。その時はきっと小橋さん自身、自分でも認めようとしなかったんだろうけど。麻耶さんはそんな小 橋さんの心の機微を敏感に感じ取って、小橋さんに反感を抱いてたんじゃないのかな。当時の刷り込みは今だに麻耶さんの記憶から拭い去れていないらしい。
「まさか萌奈美ちゃん、弱気になってたりしないでしょうね?」
小橋さんへの敵愾心も収まらないままの麻耶さんに問い質されて、ビビリつつも慌てて首を横に振った。
「そんなこと思ってないよ。匠くんが愛してるのはあたしだけだって知ってるもん。匠くんの心の中にいるのはあたしだけだよ」
あたしが断言すると、それも麻耶さんには面白くなかったみたいで、少しムッとした表情を浮かべたような気がした。でも今のこの状況ではあたしの発言には敢えて目を瞑ることにしたらしく、「よし」って頷いた。
「いい?絶対あんな女に負けちゃ駄目だかんね!何としてもアイツに泣きっ面かかせてやるんだかんね!」
麻耶さんは拳を強く握って力説した。
何だか麻耶さんとは重要な点において、若干のズレがあるようにも思えたけど、大人しく頷いておいた。

「そんなに怒るなよ。お前達のことが心配なんだよ、麻耶は」
あたしの胸の内を見透かすように、織田島先生は麻耶さんを擁護した。一瞬ギクリとしながらも、織田島先生に疑惑の視線を向けた。
「別に軽々しく俺に話した訳じゃなくてさ、麻耶は高校ン時の小橋のことを俺に聞きたがったんだよ。一応同級生だったしな。何つっても佳原と違って俺、社交性のある性格だからな。それなりに小橋とも付き合いあったしな」
どうしてそこで匠くんを引き合いに出すのかあたしには疑問だった。どんなに社交性があったって、その嫌味な性格が帳消しにしてるんじゃないだろうか。
「ん?何か言いたいことでもあんのか?」
ジト目で見つめるあたしの表情に気付いて、織田島先生が問い質す。
「いえ、別に」
思ったことを押し隠して言葉少なに答えた。
「あの、市高の時どうだったんですか?小橋さんって」
市高時代の小橋さんと親交があったって耳にして、織田島先生の意見を聞きたくなった。
「結構知名度のある生徒だったかな。美術部で活躍してたし、絵の上手さじゃかなりなモンだったんじゃないか?県内でも知られてたみたいなんだぜ。俺、あんまりそっち詳しくなかったけど、その俺でさえ噂では知ってたくらいだからな」
織田島先生の話を聞いて、改めて小橋さんのすごさに驚いていた。織田島先生がそう評するくらいなんだから、恐らく高校の頃から相当上手だったんだろう。
「性格もまあ、阿佐宮も宣戦布告されて薄々分かってるかも知れないけど、高校の時から勝気で負けず嫌いだったからな、一目置かれてたし二の足踏んでるヤツも多かったけど、男子で気のあるヤツは結構いたハズだよ。性格はキツイけど美人だったしな」
「匠くんとはどうだったんですか?」
織田島先生はニヤリとした。
「まあ、何つーの。格好の餌食?」
何それ?って思った。餌食って匠くんのこと?
「佳原はさ、系統は全然違ったんだけど美術部で結構有名だったんだよな、やっぱり。聞いた話じゃ美術部の顧問の先生は、どっちかっつーと佳原の感性を買っ てたらしいよ、小橋よりも。俺みたいな素人からすると、文化祭で美術部の展示発表見たりしたけど、小橋の方が上手く見えたし、才能ありそうに思えたんだけ どな。よく分かんないけど。とにかくそういうの小橋は感じ取ってたらしくてさ、もう絵のことに留まらず何かってーと対抗心燃やしてさ、佳原に突っかかって たんだよな。これが傍目には滅茶苦茶面白くてなー。小橋が突っかかって行っても佳原は暖簾に腕押しっていうか、全くもって関心なさそうにしれっとしてて さ。小橋にとっちゃその態度が余計自分が佳原の眼中にないって思えて、佳原に対する対抗心に拍車をかけてたんだよな。何かにつけ小橋から頭ごなしに文句や ら嫌味やら言われてた佳原は、哀れというか何というか」
そんな話をする織田島先生はとても愉快そうだった。
「当時は絶対認めたがらなかっただろーけど、俺からすりゃ見え見えだったな。小橋の気持ち?気になる相手にちょっかい出さずにはいられないって、小学生かっつーの」
やっぱり織田島先生から見ても、市高で小橋さんは匠くんに想いを寄せていたんだ。他の人の口から匠くんに向けられた小橋さんの想いを聞かされ、胸がきゅっと締め付けられる。
「多分、小橋は自分にはない才能を持ってる佳原に惹かれてて、アイツも相当本気なんだろうけどな。今になっても忘れてないくらい」
織田島先生の言葉に心を強張らせた。心の水面に暗い嫉妬の影が波紋のように広がっていく。
「俺は小橋のこと、割りと好きなんだよ。負けず嫌いだったり自己中心的なとこはあるけど、自分に妥協しない姿勢は、見てて清々しいと思う。他人の目なんて気にもせず、人から誤解されるのを恐れもせず、自分の道を貫こうとする意志の強さとかに、俺は敬意を覚える」
小橋さんを評価する織田島先生を改めて見返す。どうやら織田島先生は小橋さんの味方らしかった。
「旧友でもあるしな。だから――」
織田島先生は言葉を続けた。
「小橋が大人しく諦めてくれればって、実は思ってる」
意外な発言に目を瞠った。
だって、織田島先生は小橋さんのことを好きなんでしょ?旧友なんでしょ?だったら、小橋さんの味方をするものだとばかり思った。
「立場的には俺が佳原の側につかざるを得ないのは当然だろ?」
今度も織田島先生はあたしの抱いた疑問に答えるように告げた。
「第一に、何と言っても俺は麻耶と付き合ってるんだし、麻耶は小橋を毛嫌いしてるからな。どっちの味方をすべきかは分かり切った話だ」
まるで「表向きは」って断りを入れているように、あたしには受け取れた。織田島先生の心の中には、本当は小橋さんのことを応援したい気持ちがあるのかも知れない。
「出来ればアイツが傷付くのを見たくないしな」
傷付く?小橋さんが?心の中で疑問に思った。
「率直に言って、阿佐宮と佳原の間に割り込むことなんて無理だと思ってる」
自分の耳を疑った。織田島先生の言ったことが信じられなかった。
「さっき、俺は“第一に”って言ったよな。理由は他にもあるんだよ。俺が佳原と阿佐宮の側につくのは」
あたしが目を丸くしていたら、織田島先生は愉快そうに笑った。
「俺は佳原みたいにロマンチストなんかじゃないし、運命なんてモン信じてもいないし、そういうことを口にする奴を馬鹿にしてさえいる」
織田島先生の言葉は挑発的な感じで、しかも匠くんを馬鹿にしているように感じられて、あたしは半ば反射的にムッとしていた。
「恋愛なんて詰まるところ、キッカケとタイミングと、あとは勘違いと思い込みの集積で成り立ってるモンだと思ってる。ホラ、よく言うだろ“吊り橋効果”とか」
そうなのかな?あたしはそうは思わない。恋愛が勘違いと思い込みの集積だなんて、そんなものだけじゃないってあたしは思ってる。人を恋しく思う気持ち、愛 しくてたまらなくなる気持ち、それって理屈だけじゃ言い尽くせない、理性でコントロールすることの出来ない、予測も計測も計算も立たない、不可思議で不条 理で激しくて、簡単に人を呑み込んでしまうもの、人はその流れに呑み込まれたらどうすることも出来なくて、ただ烈しい奔流に身を任せるしかない、そういう ものなんじゃないかな。
多分、織田島先生は分かってて恋愛に否定的な発言をしているんだった。もし織田島先生が心の底から恋愛を単に「キッカケとタイミングとあとは勘違いと思い 込みの集積」なんて考えてるのなら、今、麻耶さんと付き合ったりしてないと思う。今までずっと何年間も心の深い場所で、麻耶さんを想い続けてなんていな かったに違いないもの。
織田島先生もきっと自分の心の中の不可思議で不条理な気持ちの存在に気付いてる。
「ただなー、お前達二人を見てると可能性ってもんを信じられる気がしてくるんだよな」
自分でも腑に落ちないのか少し首を捻りながら、不本意そうに織田島先生が言う。
「可能性?」
繰り返すあたしに織田島先生は頷いた。
「自分がまだ変われるんじゃないかって、そう思えて来るんだよ」
織田島先生は言った。
「俺はかつて、好きだった相手を取り返しのつかない位傷付けたんだ。償いようのない位に激しく損なったんだ。想いが叶わないからって逆恨みしてな。そんな 自分が許せなかった。だけど例え、自分を許さない、そう自らに課したところで俺が犯した罪は決して許されないだろうし、消えることはないって思ってた」
自嘲的な調子で織田島先生が話すのを、じっと息を詰めて聞いていた。
「そう考えてた筈が、もしかしたら俺はまだ変われるんじゃないかって、俺はまだ間に合うんじゃないかって、何だかそう思えて来たんだ。自分でも何故だか不 思議だったけどな。だから俺は、俺の中にいる臆病者の自分を叩き起こして、何とか勇気を奮い立たせて、そして麻耶にもう一度会って言葉を伝えようと思った んだ。そう思うことが出来たんだ」
そう話す織田島先生にはもう自嘲的な笑みは見られず、あたしが今まで見たことのない穏やかな笑みを浮かべていた。
「きっと、麻耶も同じようなことを感じたんじゃないか。俺のことを絶対許さないって思ってた筈だ。一生俺を憎み続けるつもりだったに違いない。それなの に、俺の話を聞いてくれて、俺のことを許してくれて、俺を受け入れてくれたんだ。麻耶もまだ自分が変わっていける、そう感じたんじゃないかって思う」
織田島先生や麻耶さんに可能性を信じようとする気持ちを、あたしと匠くんがもたらしたなんて、織田島先生の話を聞いても何だか全然ピンと来なかった。むし ろあたし達は、いつも麻耶さんを始め周りの人達のたくさんの助けに支えられていて、そんなあたし達が麻耶さんや織田島先生の支えになれるなんて、そんなの 自分ではちっとも信じられなかった。
あたしの気持ちに同意を示すように、織田島先生は自分でも釈然としない様子で首を捻っている。
「何だか自分でも腑に落ちないトコではあるんだが、佳原と阿佐宮、お前達二人を見てるとそんな風に思えるんだよな。しかも佳原と阿佐宮の二人セットでなん だよな、不思議なことに。決して一人だと何も特別な感じはしないのにな。佳原一人だったら、ただ無愛想で他人に無関心のひねくれ者でしかないし、阿佐宮一 人だと別に何てことのない取り立てて特長のない、内向的で消極的な子どもってだけなんだよな」
匠くんとあたしを評する織田島先生の、何だかあんまりな言い草にカチンと来る。
あたしの心中など知らぬげに、織田島先生は更に言葉を続けた。
「それなのに、お前達は二人だと何でだか不思議この上ないけど、可能性を信じてみたいって思わせるんだ。自分はまだ自分がなりたいと思う人間になれる、自分が望む自分に変わっていけるって、な」
織田島先生が口にした言葉に正直、心の底から驚いていた。
「なんてな。自分でも何言ってんだって感じがするんだけど」
織田島先生も自分らしくないって思ったのか、そんな皮肉めいた軽口を交えた。
「ま、これでも一応教師って職業に就いてる身の上ではあるからな。お前達生徒が希望やら可能性やらを信じられるよう、助言や手助けなんかはしてやりたいって思うくらいには前向きだし真面目に考えてる部分はあるんだぜ。阿佐宮は意外に感じるかも知れないけど」
本当に意外だ。思わず相槌を打ちそうになって、それだと織田島先生に失礼に思えて、慌てて縦に動かしかけた首を横に振る。あたしのぎくしゃくした動きを捉えて、織田島先生がくっ、と忍び笑いを漏らす。
「もっとも、そんな風に前向きに考えたり取り組めるようになったのだってここ一年ばっかしの話だし、もっと直截的には麻耶と気持ちを通わせるようになれたからだしな。それまでは世を拗ねて恨んで限りなく後ろ向きだったしな。我ながら完全にダークサイドに落ちてたっつーか」
そんな嘗ての自分を振り返った織田島先生は苦笑しか浮かばないらしく、口の端を歪めている。
「だけど、暗黒面に落ちた俺を少しずつ救い上げて、段々と前を向けるように、そう考えられるようにしてくれたのは麻耶と、それからお前達なのかなって思うんだよな。お前と佳原の二人な。だから少なからず感謝してんだよ。俺も、それから麻耶も」
ダークサイドに落ちていた、その頃の織田島先生をあたしも知ってる。何だか得体の知れない感じだった。上辺では明朗快活で親しげな仮面を貼り付けておい て、その下では笑顔で人を傷付けるような残酷さを秘めていて、平然と人の気持ちを抉る言葉を投げつけて、あたしと匠くんを傷付けようとしたこともあった。 思い出して少し恐くなる。だけど先生はそんな自分を自ら否定して、自分の中の怪物を打ち負かすことが出来たんだ。勇気を奮い起こして暗い心の洞窟から抜け 出して、明るい光の中に踏み出せた。先生にそうさせることが出来たのは、麻耶さんの存在なんだってあたしはずっと思ってた。麻耶さんが織田島先生を正しい 方向へと導いてあげたんだって。だから麻耶さんだけじゃなくてあたしと匠くんも先生を助ける力になれた、そう織田島先生が考えててその上感謝してるとまで 言われて、ただもうびっくりするだけでいっぱいいっぱいだった。
「多分俺や麻耶だけじゃない。そういう風に感じてんのは。お前達の周りにいる大勢の奴が、実はそう感じてんじゃないかって思うよ。それで、お前達二人を応援したくなったり、力になりたいって思ってんじゃないか」
織田島先生はあたしにそう語りかけた。
あたしが目を丸くして固まったまま一向に何も言い返さないので、織田島先生は呆れたような笑いを浮かべた。
「それにさ、佳原と阿佐宮がもし破局でもしたら、こっちにまでとばっちりが来そうな嫌な予感がするんだよな」
織田島先生はさらりと、あたしにとっては考えたくもない仮定を口にした。
「止めてください!」
思わず大声で言ってから、ここが学校だったのを思い出して慌てて口を抑えた。
「・・・仮の話でもそんな話しないでください」
「ワリイ、ワリイ」
謝りながら織田島先生の口元には苦笑が浮かんでいた。
「ま、そういうことだから」
勝手に話を締めくくる一言を残して、織田島先生はスタスタと行ってしまった。
少ししてあたしは心の中で「何が“そういうこと”なんだろう?」って一人で首を傾げていた。
だけど、織田島先生は間違いなく本当のことも言っていた。
あたしと匠くんを応援してくれて、あたし達の力になってくれる人達がいる。春音、千帆、結香、祐季ちゃん、亜紀奈、麻耶さん、栞さん、冨澤先生、誉田さ ん、織田島先生、紗希さん、丹生谷さん、華奈さん、もちろんパパもママも香乃音も、それから聖玲奈も(多分)。それに九条さんや飯高さん、竹井さん、漆原 さん達だって、きっと口では何やかやって言うかも知れないけど、それでも少しも厭わず力になってくれる、沢山の人達がいる。
そのことにあたしは勇気づけられた。
そして、もし織田島先生が言ってたことが本当で、あたしと匠くんがほんの少しでも周りの人達の支えになれるのなら、大好きな人達にあたし達二人が希望や勇気や情熱をもたらすことができるとしたら、それはとても幸せなことだって思えて、すごく嬉しくなった。

◆◆◆

携帯にママから電話があった。「ママ」って表示されている携帯のディスプレイを見て、何となく嫌な予感がした。
お仕事をしている匠くんの部屋のドアにチラリと視線を送ってから、匠くんに聞かれないように殆ど普段は使うことのない自分の部屋に籠もって、携帯の通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「もしもし、萌奈美?」
「うん」
「どう?元気にやってる?」
「うん。元気だよ」
当たり障りのない言葉を交わしながら、警戒する気持ちを強めた。ママがこんな風にごく当たり前の、世間的な会話をしてるなんてどうにも変だった。
「それでどうしたの?」
こちらから切り出してみる。
「ん?」
「電話して来て何かあったの?」
そう問いかけると短い沈黙が流れた。
「・・・萌奈美、大丈夫なの?」
心配げなママの声が訊ねて来た。
「えっ?」
突然だったので戸惑った。大丈夫って何が?
「だから、心配だったり不安になってたりしてない?」
「何?何で?」
何でそんなこと聞いて来るのか、すぐには分からなかった。
「だって匠さんを好きだっていう女性が現れたんでしょ?萌奈美達が婚約してるって知っても、全然諦める気ないそうじゃない」
「えっ?何で!?何でママがその話知ってるの!?」
驚いて大きな声で聞き返してしまった。
「聖玲奈が教えてくれたわよ」
あたしの様子にも動じず、けろりとした声でママが答えた。
「聖玲奈が!?何で聖玲奈が知ってるのよ!?」
執拗に問い返すあたしは、もう丸っきり詰問口調だった。
「そんなの知らないわよ。本人に聞けばいいでしょ」
煩わしそうにママに言い返されてしまった。
「それでどうなの?匠さんとギクシャクしたりしてない?」
「ギクシャクなんてしてないよ。匠くんは全然気にしなくていいからって言ってくれたし、相手の人にあたしを婚約者だって言ってくれて、あたしと結婚するってはっきり言ってくれたもん。それに匠くんは、最初っから全然相手の人の言うこと取り合おうとしてないし」
「ならいいけど。貴女、匠さんのことになるとすぐ思い詰めるし、男の人からすると重たい女って思われないか心配なのよね」
悪気の欠片もないママの発言は、あたしの胸にグサッ!と突き刺さった。“重たい女”って・・・その言葉に落ち込まずにはいられない。
「でもまあ、貴女達二人の気持ちがしっかりしてるなら心配いらないわね」
安心したようにママは言った。
「何かあったらすぐに電話するのよ。一人で思い悩んだりしないようにね」
そう言い残してママは電話を切った。
改めてみんながあたし達のことを思ってくれているんだなって分かって、心が温かくなった。
そしてすぐさま思い出して、もう一度携帯を開いて電話をかける。
「もしもし?」
暢気な声が問いかけて来た。
「もしもし?聖玲奈」
「どうしたの?お姉ちゃんが電話して来るなんて珍しいね」
不思議そうな聖玲奈の声だった。
そーだよね。普通だったらあたしから聖玲奈に電話なんて滅多にしないもんね。
「聖玲奈、ママに話したでしょ?」
「何を?」
「ママから電話あったんだからねっ。ママに聞かれたのっ。匠くんを好きだって女性(ひと)が現れたけど大丈夫なの?って」
何のことか皆目分からないっていった様子の聖玲奈の声にイラッと来つつ、抑えた声で説明した。
「ああ、その事ね」
やっと分かったっていう感じで、聖玲奈が朗らかな声を上げる。
「そうよっ!何で聖玲奈がその話知ってんのよ!?」
苛立ちを抑えきれなくなって、あからさまに不機嫌な声で問い質した。
「麻耶さんがメールくれたんだよ」
あたしの腹立ちなんて全く意に介さない暢気さで聖玲奈は答えた。
「麻耶さんがっ?」
思いがけない答えだった。
「・・・どうして麻耶さんが聖玲奈のアドレス知ってるのよ?」
「前に香乃音と二人でメアド交換してくれませんか?ってお願いしたら、快く応じてくれたよ。優しいし全然気取ってないし、ホント麻耶さんって素敵な人だよね」
嬉々とした聖玲奈の言葉を聞きながら、眩暈がしそうな気分になった。
「だからって、何で麻耶さん、聖玲奈にメールなんかしたのよ?」
思わず口走っていた。
「何かあったら力になってあげてね、って書いてあった。優しいよねー」
聖玲奈の返事に言葉を失う。
それは麻耶さんは本当に心からあたしと匠くんのことを心配してくれて、それで周囲からの協力と励ましを求めて、織田島先生や聖玲奈に知らせたりしているの かも知れないけど・・・それにしても絶対に人選間違えてるよ。織田島先生も聖玲奈も、それはあたし達のことを心配してくれる気持ちも確かにあるかも知れな いけど、でも心の何処かで絶対面白がってるに違いなかった。ひょっとしたら面白がってる気持ちの方が勝ってたりするんじゃないの?そんな疑念を抱かずには いられなかった。
「それであたしに出来ることない?」
「ないっ!」
聖玲奈の問いかけに、間髪入れずに答える。
「遥か遠くから見守っててくれるだけでいいから」
もう銀河系の彼方から見守っててくれるだけでいいから。
「えー、詰まんないの」
不満げに呟く聖玲奈に向かって胸の中で毒づいていた。
間違っても変なトコででしゃばって来ないでよね。下手に聖玲奈がしゃしゃり出てくると、余計な混乱を招くばかりのような気がした。
「いい?お願いだからあたし達のことは放っておいてよね」
まだブツブツと不平を漏らし続けているのを無視して、一方的に聖玲奈との通話を終了した。
ドッと疲れを感じた。思わず深い溜息を吐く。
そしてふと思った。
ひょっとしたら麻耶さん、他にもこのこと知らせまくってたりするんじゃないの?あたしの脳裏に瞬時に九条さんの顔が思い浮かんでいた。
匠くんの元に、明らかに面白がっているって分かる九条さんからの電話が掛かって来たのは、それから間もないことだった。
麻耶さんの(こう言っては失礼だけど)余計なお節介のおかげで、あたしも匠くんも何だか小橋さんとは直接関わりのないことで気を揉むことになり、肝心の小橋さんのことをうっかり失念しかけてしまっていた。
そんなあたし達に、小橋さんはあの日予告したとおりに攻勢を仕掛けて来たのだった。


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