【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Vegetable Party (1) ≫


PREV / NEXT / TOP
 
春の訪れまで、まだまだ遠そうな今日この頃。
朝の早い時間にベランダでお洗濯を干してて濡れた洗濯物を触ってたり、夕飯の仕度で研いだお米をお水で濯いでる時とか、もう指先が冷たくて痛くて涙が出そうになる。
或る寒い朝、洗濯物を干してる時、ベランダで真っ赤になった指先をぎゅうって握り締めて「うーっ」って顔を顰(しか)めていたら、通りかかった匠くんがあたしの様子に気付いて、心配顔で「どうしたの?」って声をかけてくれた。
こんなことで匠くんに泣き言を言いたくなくて、慌てて笑顔を作って「何でもないよ」って答えたんだけど、握り拳を作ってる手を無理やり開いた匠くんは、赤くなってるあたしの指先を見て驚いた表情を浮べた。
「こんなに赤くなって、大丈夫?」
匠くんはあたしの冷え切った指をぎゅって握ってくれた。匠くんの掌は温かくって、心の中で「あったかーい」って歓声を上げた。
「萌奈美冷え性なんだから、気を付けてないとすぐ霜焼けになっちゃうだろ」
ちょっと強い口調で注意された。油断してると毎年冬の間に二、三回は霜焼けになっちゃうんだよね。
それから匠くんは視線を落とした。
「ごめん、今まで全然気付かなくて」
ひどく気落ちした声だった。
「そんな、匠くんが謝るようなことじゃないもの」
匠くんをこんな風に心配させたり落ち込ませてしまって、居たたまれない気持ちでいっぱいになった。
「こういうの我慢しないですぐに言って欲しいんだ」
匠くんはあたしの瞳を覗き込んで言った。すごく大切に思ってくれているのが、あたしを見つめる匠くんの真摯な眼差しから伝わって来て、神妙な顔で、うん、って頷いた。
それからは朝のお洗濯を干すのは匠くんが代わってやってくれて、またまた匠くんの優しさにたまらなく幸せな気持ちになって、匠くんの愛に心までほっこり温められちゃうあたしだった。

◆◆◆

3年生は早い学年末試験を終え、家庭研修期間に入っていた。あと学校に通うのは、卒業式まで数えるくらいしかない。少し淋しくも感じるけれど、受験勉強で 好きなことも我慢してた反動から、持て余しそうなくらいのたっぷりとした自由時間を手に入れて、物語を作ったり、読み溜めていた本を読んだり、凝った料理 に挑戦してみたり、都内に新しく出来たレジャースポットやデートスポットに匠くんと出掛けたりして、思う存分満喫していた。もちろん、大学入学に向けての 勉強も疎かにはできなかった。
思い立って久しぶりに篠有紀子さんの『花きゃべつひよこまめ』を読み返したら止まらなくなっちゃって、一気に全巻読破しちゃった。ふわふわしてて、きらき らもしてて、ほっこりしたり、ほんわかしたり、アハハってなったり、本当、面白くって楽しくって大好き。篠さんの漫画ってどれも大好きなんだけど、やっぱ り『花きゃべつひよこまめ』が一番好きかなあ。あと、特に『眠れるアインシュタイン』と『閉じられた9月(セプテンバー)』が好き。『眠れるアインシュタ イン』はコメディー作品で、とにかく面白くって笑っちゃう。『閉じられた9月(セプテンバー)』はアメリカが舞台のサスペンスなんだけど、洋画のような趣 がある作品なんだよね。作品としての完成度がすごく高いように思う。ストーリー展開とかカット割りとか、ホントにそのまま映画にできちゃいそうな感じ。あ と、生まれ変わりとか超能力とか、超常現象(スーパーネイチャー)や超心理学(パラサイコロジー)を題材としているのにも惹かれてしまう。あたしもそうい う世界にすごく関心があって、ホラーやスプラッターは苦手なんだけど、オカルトや神秘現象には無性に魅せられちゃうトコがある。篠さんの作品にも割りとそ ういうのを題材にしたものがあって、篠さん本人も好きなのかなあって思う。モチロン匠くんもそのテの話が大好きなのは言うまでもなくって、フリーメイソン とか薔薇十字団とかファティマ第三の予言とかロズウェル事件とか陰謀説とか聞くと、二人してワクワクしてしまう。そーいえば『花きゃべつひよこまめ』のリ カさんも、オカルトとかUFOとか大好きなんだった。
『花きゃべつひよこまめ』のお話の中で野菜パーティーをする回があって、花きゃべつスパゲッティーとひよこまめスープっていうのを作ってて、あたしも匠く んも豆類もカリフラワー(花きゃべつってカリフラワーのことなんだって)も大好きって程でもないんだけど(カリフラワーよりは形が似てるブロッコリーの方 が好き。もちろん、匠くんも一緒)、何だかその絵とレシピを見てたら無性に作ってみたくなって、どうせだったら漫画と同じように、みんなを呼んでパー ティーを開いちゃおうって思い立って、匠くんに相談してみた。匠くんは諸手を挙げてっていう感じでもなかったけど(匠くんは多人数で集まって賑やかにする のが、それ程・・・あんまり?好きな方じゃないから)、それであたしも相談しながら、内心ちょっと匠くんは嫌がらないかなって心配に思ったんだけど、そん なあたしの心の内を読み取ってくれたのか、優しい笑顔で「うん、いいよ」って頷いてくれた。
「匠くん、本当に?」
不安げに聞き返すあたしの髪を匠くんは、くしゃ、って掻き乱して、それからきゅって優しく抱き締めてくれた。
「本当にいいよ」
耳元で囁かれて、やっとあたしも安心した気持ちになった。
「ありがとう、匠くん」
お礼を告げて匠くんの身体に手を回した。

麻耶さんにも相談したら即座に賛成してくれて、むしろ麻耶さんの方が乗り気なくらいの張り切りようだった。
あたしは春音、千帆、結香に連絡して、冨澤先生、宮路先輩、誉田さんにも声を掛けてくれるようお願いした。匠くんはあまり気が進まないようだったけど、し つこくお願いするあたしに折れる形で、九条さん、飯高さん、竹井さん、漆原さんに連絡を取ってくれた。麻耶さんも栞さんと華奈さんと、それからあと千晴さ んも誘ってた。
千晴さんと竹井さんは春先に食事&カラオケ会で知り合って以来、麻耶さん達がセッティングして飲み会をしたりカラオケに行ったり、テニスをやったりして何 度か顔を合わせてて、二人共ノリがよくって弾けてて、楽しいこと大好きなトコとか一致してて、周りからは気が合ってそうだし相性もいいんじゃないかなって 見えるんだけど、こと恋愛に関しては二の足を踏んでしまうらしい竹井さんと、まだ恋愛ゴトについてはそれほど関心が高くないらしい千晴さんと、なかなか進 展を見せないのだそうだ。竹井さんの方はかなり千晴さんに恋心を募らせてるらしいんだけど、はてさて、二人の恋の行方はどうなるんだろう?人の恋路は周囲 がとやかく口を出したりせずにそっと見守るべきだとは思うんだけど、そう分かってはいてもちょっとワクワクしてしまわずにいられない。
飯高さんが彼女を一緒に誘ってもいいか匠くんに聞いてきたり、華奈さんが丹生谷さんと紗希さんを誘ったり。
それから何て言ってもビックリしたことが!栞さんが知り合いの人も一緒に連れて行ってもいいか麻耶さんに聞いてきて、それが男の人だって知った時には、も う本当に驚いちゃった。麻耶さんはお相手を知ってるらしいんだけど、一体どんな人なんだろう?もう会えるのがすっごく楽しみになってしまった。
そんなこんなで当初考えていたより参加人数が膨らんで、匠くんが「一体総勢何人集まるんだ?」って心配顔をした。指折り数えてみたら、あたし達も含めてその数20名に及んだ。
「幾ら何でも、このリビングに20人は手狭じゃないか?」
難しい顔で言う匠くんに、確かにそうかも、ってあたしも心の中で頷いた。でも、今更ご遠慮願うのなんて失礼だし。考えあぐねていたら、麻耶さんから華奈さ んに、華奈さんから丹生谷さんに話が伝わったらしく、「だったら我が家でやればいいわよ」って紗希さんから電話が掛かってきて提案された。だけど大多数が 丹生谷さんご夫婦とは初顔合わせになるメンバーで、そんな厚かましい真似できないってあたしと匠くんは固辞したんだけど、紗希さんも丹生谷さんも家に 人を招くのが大好きで、お二人共、全然何の問題もないって譲らなくって、結局押し切られる形で丹生谷さんと紗希さんの好意に甘えることにしてしまった。
「あっ、でも、メインシェフは立案者である萌奈美ちゃんにお任せするわね」
電話口で何度もお礼を伝えていたら、紗希さんから茶目っ気のある声で告げられた。
「もちろんですっ!」
それはもう当然承知してます!ご自宅を会場として提供していただく上に、紗希さんに料理なんてさせられなかった。
「ウ・ソ」
大きな声で返事をするあたしに、紗希さんはくすくす笑った。
「もちろんあたしもお手伝いするから、遠慮なく言ってね」
優しい声で紗希さんが言ってくれた。

パーティーの場所が匠くんのマンションから丹生谷さんのお宅に変更になったことを伝えても、誰も気持ちを鈍らせたりする人はいなくって、丹生谷さんの家に お邪魔したことのあるあたしが、とっても素敵なお家なんだよって伝えたら、千帆や結香なんかは行くのをすっごく楽しみにしている様子だった。
お話に出て来たお料理は全部作ってみるつもりでいるんだけど、それにしても20名分のお腹を満たすにはそれだけだと足りないだろうなって思って、他にも野 菜を主役にしたお料理を作るため、前もってネットでレシピを探してみた。それと男性陣は野菜だけだと物足りなく思うんじゃないかなとも考えて(漫画の中で も、祐二さんが野菜ばっかりのメニューを聞いて「おれはそんなメニューはいやだー!!野菜ばっかりなんて食えるか。鳥じゃあるまいし」って嫌がって た。)、お腹に溜まるメニューも用意することにした。あれこれ考えている内に作る予定の品数が増えてきて、しかも20名なんて大人数のお料理を作るのなん て初めてのことでもあって、俄かに心配になってきて、紗希さんはお手伝いしてくれるって言ってくれてたけど、だからってあれもこれもお願いするのは気が引 けて、春音に助けを求めることにした。自分からは絶対に披露したがらないけど、春音は実はお料理も上手なのだ。あたしが電話でお願いしたら、春音は「う ん、いいよ」って快く引き受けてくれた。
「あたしが言い出したことなのに、ごめんね」
「そんなの気にしないでいいから」
ちょっと申し訳ない気持ちで告げたら、春音の優しい声が返ってきた。
「萌奈美があたしを頼りにしてくれるの、嬉しく思う」
春音のその言葉に胸がとても温かくなった。
初めて作るメニューばっかりなので、ぶっつけ本番は流石に不安に思えて、一度家で試しに作ってみることにした。匠くんにパーティーで初披露できないのは ちょっぴり残念な気もしたけれど、パーティー本番で失敗する訳にはいかないものね。春音に話したら、自分も前もって手順や段取りを掴んでおきたいからって 言って、家での試作会に参加することになった。一度に全部作るのはちょっと大変だったし、そんなに作っても食べきれないので、二回に分けて試作を行った。 漫画に書いてあるレシピだけだと、調理の細かい部分が分からなかったりしたので、これもネットで調べて情報を補った。春音とも相談し合って少しメニューに 変更を加えたりして、パーティー当日に向けて準備を進めながら、どんどん楽しみな気持ちが膨らんでいった。
試作会は春音と二人、二回に亘って延べ8時間掛かりで一通りのメニューを作り上げた。多少味が薄いかなってお料理があったくらいで、試作は大成功だった。 試食の時には匠くんも参加してくれて、春音がいる手前多少控えめにではあったけれど、料理を口にする度「美味しいよ」って言ってくれて、すっごく 幸せな気持ちになった。匠くんの優しい言葉を聞いて、にまにまするあたしを見た春音は、ちょっと呆れ顔でやってられないとでも言いたげではあったけど。そ れと匠くんも「美味しい」って言ってくれてもちろんすっごく嬉しいんだけど、もうちょっと率直な意見を聞かせてくれないと、あんまり試食の意味がないんだ けどな、なんてほんの少しだけ思った。

紗希さんから電話があって、「もしよかったらお泊りの用意して来てね」ってお誘いを受けて、おまけに「お友達にもそう伝えてくれる?」なんて言われてしまった。ええーっ?丹生谷さん家にお泊り?しかもみんなで?だけど、全員泊まることになったら20名もいるんだよ?
パーティーでお家を使わせてもらうのだってすごい迷惑をお掛けするのに、この上泊まらせてもらったりなんてしたら、もう大・大・大迷惑になっちゃう。いくら何だって、そこまで丹生谷さんと紗希さんのご好意に甘えられない。
「いいえっ、そんなご迷惑はお掛けできませんっ」
力一杯辞退する意志を伝えたら、紗希さんに笑われてしまった。
「あたしも俊哉さんも、迷惑なんてこと全然ないのよ」
優しい声が受話器の向こうから届いた。
「むしろ、みんなをご招待したりおもてなしできるのって、すごく楽しいし、嬉しいの」
紗希さんの真心に触れて、ほわんと心が温かくなる。紗希さんみたいに、構えないで自然にこんなことが言えるのって、すごく素敵だった。
「だから、ね?そんなに堅苦しく考えないで、気軽に泊まりに来てくれると嬉しいな」
親しげな紗希さんの調子に、あたしも畏まった気持ちを和らげることができた。まだ即座に「はい、分かりました」って返事するのは躊躇われて、「匠くんにも聞いてみます」って伝えておいた。
そうしたら「絶対泊まって行ってくれるよう、俊哉さんからも佳原さんにお願いしておいてもらうわね」って、自信たっぷりに言われてしまった。確かに匠くん、尊敬してる丹生谷さんに頼まれると弱いからなあ。うーん。紗希さんも一度決めたら結構譲らない性格みたい。
それは以前聞かせてくれた、紗希さんが丹生谷さんを好きになってから振り向かせるまでの一部始終を思い出しても、十分頷けるところではあった。なにしろ猛 然とアタックをかける紗希さんに、丹生谷さんは最初の内は年齢差とか、講師と教え子っていう立場だとかを考えて、紗希さんを傷つけないように気遣いながら も紗希さんの気持ちをやんわりと拒んでいたらしくて、それでも紗希さんは一向に諦めたりせず、却ってファイトを燃え立たせたってことだから。しつこくし過 ぎて丹生谷さんに嫌われたりしないか一方では不安になりながらも、でも自分の気持ちに正直になって、一途に想いを伝え続けたのだそうだ。今の紗希さんの穏 やかで落ち着いた雰囲気からは何か想像も付かないような話で、紗希さん本人の口から聞いても今ひとつ信じられないくらいだった。丹生谷さんが「みんな知ら ないだろうけど、見かけによらず紗希は強情で負けず嫌いで、譲らない性格だよ」って半ば零すように話してて、隣で紗希さんが「もう、みなさんの前で何言っ てるの」って恥ずかしそうに抗議してたことがあって、その時は丹生谷さんと紗希さんのやり取りを聞いていて、年上のお二人なのに微笑ましいななんて思った りしたんだけど。確かにそうかも、って今になって思った。
間を置かず匠くんの方にも丹生谷さんから連絡があって、翌日に予定とか入ってない人は是非泊まって行ってくれると嬉しい、って丹生谷さんから熱心に誘われ て、声を掛けた人達に丹生谷さんからの伝言を伝えて、あたしと匠くんはちょっと心苦しく感じない訳にもいかなかったけど、丹生谷さん達が折角楽しみにして くれているんだからってことで、その日は泊まらせていただくことにした。麻耶さんに伝えたところ、もちろん嫌って言う筈もなくて、即座に泊まることを表明 したのは言うまでもない。
間際になってどこから話を聞きつけたのか、天根(あまね)さんが参加することになって、天根さんは浅緋(あさひ)さんにも声を掛けたそうだ。浅緋さんと会 うのは本当に久しぶりで、それも楽しみなことの一つになった。天根さんが参加するって聞いた時、匠くんはとても慄いていたけど、その気持ちは分からなくは なかった。天根さんも九条さんや華奈さんと同じく、匠くんをからかうのを楽しみにしている一人なんじゃないかなって思う。何故だか匠くんって、ああいう人 達のからかいの絶好の対象にされてしまってる感じなんだよね。あたしとしては愛する匠くんをからかいの対象にするなんて、すっごく腹立たしいし許せないん だけど。だから天根さん達が匠くんをからかおうとしてきたら、あたしが守ってあげるんだ。

◆◆◆

材料の買出しだけで結構な荷物になってしまうので、車で行こうって匠くんが言ってくれた。丹生谷さんちに行く途中で食材は買うことにして、車は近くのコイ ンパーキングを探して停めておけばいいよ、って匠くんに提案された。それで匠くんはネットで丹生谷さんの家の近くにあるスーパーを前もって調べてくれたり もして、匠くんもパーティーのことで色々考えたり協力してくれて、すっごく嬉しかった。
当日は午前中に丹生谷さん家を訪問することにした。早い時間から押しかけるのは申し訳なくって気が引けたけど、なにしろ20人を超える人数の料理を用意し なきゃいけなくて、そんな経験は初めてだったし、準備万端の心がけで望みたかった。春音と午前9時に武蔵浦和駅前のロータリーで待ち合わせして、武蔵浦和 を出発した。もちろん麻耶さんも同乗した。休日の早い時間に起きることになって、少し文句を言っていたけれど。
「パーティー始まるの夕方っていうか夜でしょお?何でこんな早い時間から出掛けんのぉ?」
「準備ってモンがあるだろーが。何人分用意しなきゃいけないと思ってんだ?お前はただ食べに来るだけで、気楽でいいだろうけどな」
麻耶さんが発した疑問に、匠くんが嫌味たっぷりの口調で言い返した。
「嫌だったら、後から電車で来ればいいだろ」
匠くんの指摘に、渋々って顔で後部座席に乗り込む麻耶さんだった。午前中早くから出掛けるのは不本意ではあるけれど、電車で行かなくちゃいけないのはもっと面倒くさいらしかった。
最初匠くんは高速で行った方が早いかどうかで迷ってたけど、ネットのマップサイトでルート検索したところでは、高速を使っても一般道で行ってもそれ程大き く違わなかったので、一般道で行くことにしたみたいだった。匠くんの読みは当たって、休日の午前中のまだ早い時間の道路は空いてて、車載ナビの指示に従っ て匠くんの運転するオデッセイは順調に吉祥寺への道を進んでいった。
麻耶さんはまだ寝足りなかったらしく、しばらく走っている内にすやすやと寝入ってしまった。あんまり喋ってて麻耶さんを起こしてしまっても悪いので、春音との会話も控えることにした。麻耶さんを気遣って、少しボリュームを絞ってミスチルの曲を流した。
久しぶりに『Versus』や『Kind of Love』を聴くことにした。ミスチル初期の曲はちょっと深みに欠けるかなって感じはあるけれど、ポップさがあって桜井さんの声もちょっと違ってて(初々 しかったり、ちょっと構えてる感じがあったり?)、久しぶりに聴いたら何だかとっても新鮮だった。
「これ、ミスチル?」
あまり音楽を聴くことのないらしい春音から質問された。特にJポップなんて全く聴かないんだろうな。テレビもまずドラマとかバラエティとか音楽番組は観な いみたいだし。現代の十代とは思えない生活してるよねえ、春音って。毎日一体何して過ごしてるんだろう、なんてちょっと疑問にも思ってしまう。やっぱり本 の虫なのかなあ?
「そう。初期のアルバムの曲」
助手席から振り返って答える。
ふうん。そう呟いて春音は、特に関心もなさそうに窓の外に視線を投げた。
春音の耳にはどう届いてるのかな?強要するつもりは全然ないけれど、春音もミスチルの曲を気に入ってくれたら嬉しいなって思った。
17号バイパスをずっと走っていたオデッセイは、環八通りへと入った。
フロントウインドウから見上げたら、澄み渡った冬晴れの空がどこまでも広がっていた。

オデッセイは渋滞に阻まれることもなく、ほぼ予定していた通りの時間で吉祥寺駅前に到着した。まずは吉祥寺駅前の東急デパートで食材を買う予定だった。
結局麻耶さんは到着するまでずっと眠ってて、地下駐車場への進入路を下っている時に、やっと目を覚ました。
「あれえ?着いたの?」
大あくびをしながら麻耶さんが寝ぼけ口調の声を上げた。
「今、東急に着いたトコ」
「あー、そーなんだー。意外と早かったねー」
あたしが答えたら、麻耶さんは車内で窮屈そうに伸びをしながら頷いた。
東急デパートの地下駐車場に車を停めて、あたし達は地下のグロサリーで野菜やお肉を買った。
まだ午前中の食料品売り場は買い物をするお客さんも少なくて、カート3台を押してウロウロするのにちょっと気が楽だった。用意した買い物リストとにらめっ こしつつ、時間に急かされながら買い物を進めた。手土産を兼ねて、匠くんがリカーショップでワインを買った。山盛りの食材をカートに積んでレジを済ませる と、大急ぎで車に戻った。
そこから匠くんはまたナビを頼りに、丹生谷さんの家へと向かった。丹生谷さんちに到着したのは午前11時を少し回ったところだった。
丹生谷さんの家の前にオデッセイを寄せた匠くんは車を降りて、門に設置されているインターフォンのボタンを押した。
インターフォンのスピーカーからの返答がないまま待っていると、門扉の向こうで玄関のドアが開くのが見えた。紗希さんが出て来て、あたし達を見てにっこりと微笑んだ。
「おはようございます。いらっしゃいませ」
「おはようございます」
門扉を開けて招き入れてくれる紗希さんに、あたし達はみんなで頭を下げた。
「今日はご迷惑をお掛けしてしまって、すみません」
恐縮した声で匠くんが謝った。
「ううん、そんなこと全然ないのよ。あたしも俊哉さんも、今日のこと、とても楽しみにしてたんだから」
紗希さんのふんわりと柔らかい笑顔が、あたし達の気持ちを和らげてくれた。
「初めまして。志嶋春音です」
紗希さんとは初対面になる春音が名乗ってお辞儀をした。
「あたしの親友です」
春音の隣で誇らしげな顔で紗希さんに伝えた。紗希さんは温かい眼差しであたし達を見て頷いてくれた。
「いいわね。学生時代に“親友”って呼べるお友達がいるのって」
「あたしと春音の間では、アンとダイアナに倣って、“腹心の友”って言ってるんです」
「あら、素敵ね」
紗希さんが顔を輝かせた。それだけの説明で出典が『赤毛のアン』だって分かったみたい。紗希さんの反応に嬉しくなった。
「荷物を置かせてもらったら、僕、車をコインパーキングに入れて来ます」
このままだといつまでもあたし達の話が尽きないって危ぶんだのか、匠くんが割り込むように紗希さんに知らせた。
「あ、そうね。ごめんなさい」
紗希さんも気付いたように頷き返した。
あたし達は匠くんを手伝って、大きなレジ袋6袋にもなる食材、更に丹生谷さんへの手土産や買い込んで来たアルコールや清涼飲料水、おつまみ類をオデッセイから丹生谷さんの家の玄関へと運んだ。
玄関では丹生谷さんが笑顔で出迎えてくれた。
「やあ、いらっしゃい」
「おはようございます」
みんなで丹生谷さんに挨拶をした。
「今日は色々とお世話になります」
匠くんが少し堅苦しい感じで頭を下げた。
「いやいや。こっちこそ、萌奈美さんの手料理が食べられるって楽しみにしてるんだから」
丹生谷さんが気さくな笑顔を浮べた。
手料理なんて言われちゃうとちょっと困る。あんまり期待され過ぎても、荷が重く感じられてきてしまうから。
「そんな、手料理なんて大層なものじゃないです。それにあたし一人じゃなくて、こちらの春音にも、それから紗希さんにも手伝って貰いますし・・・」
「失礼。僕の言ったことが、萌奈美さんに妙なプレッシャーを与えてしまったんだったら、大変申し訳ない」
遠慮がちに言うあたしの様子を見て、丹生谷さんは少し反省するような表情を浮べた。
「いえっ、そんなこと・・・」
慌てて言葉を返そうとして、でも途中で途切れてしまった。
丹生谷さんに余計な気を遣わせてしまって、却って申し訳なく感じてしまう。もっと何でもなく受け流せればいいのに。人の言ったことにいつも過剰に反応してしまう自分が嫌になる。
「俊哉さん、荷物、キッチンまで運んでくれる?」
紗希さんが玄関に運び込んで来た食材の袋を示して伝える。
「ああ。分かった」
丹生谷さんが快く頷いて、食材を目一杯詰め込んだ重たいレジ袋をキッチンへと運んで行ってくれる。
あたしと丹生谷さんのやり取りを聞いてた紗希さんが、気遣ってくれたのかも知れない。
「萌奈美」
最後の荷物を運び終わった匠くんに声を掛けられた。
「じゃあ、コインパーキング探して入れてくるから」
うん、って相槌を打ってから「あたしも行こうか?」って匠くんに訊ねた。
「大丈夫。萌奈美は仕度始めてて」
萌奈美は料理にだけ集中して。匠くんが心の中でそう言ってくれてるのが伝わって来て、笑顔で頷いた。
匠くんがオデッセイをパーキングに置きに行って、あたし達は残りの荷物を玄関からキッチンへと運んだ。
キッチンで食材を取り出していたら、「おはよー」って朗らかな声が響いた。
顔を上げたら、入口に華奈さんの姿があった。
「あれ、華奈さん」麻耶さんも目を丸くしている。「やけに早いねー」
みんなには午後6時に来てくれるよう伝えてあるのに。あたし達よりも先に来てるなんて、来るの早過ぎでしょ。
「集合時間、午後6時って・・・」
「あっ、いいの、いいの、気にしないで。こっちはこっちで勝手にリビングで寛いでるからさあ。萌奈美ちゃん達は予定通りに進めてくれていいんだよん」
戸惑い気味に言いかけたら、しれっとした顔で華奈さんが答えた。
「ちょっと一杯やってようかなって思うんだけど、麻耶ちゃんもどお?」
華奈さんの発言に呆れた気持ちになった。まだお昼にもなっていないっていうのに。お正月に親戚の家に集まったオジさん達みたい。
「そお?いやあ、折角のお誘いだしねぇ」
麻耶さんも負けていない。華奈さんに誘われて、いそいそとした様子でキッチンを出て行こうとする。
「何か手伝うことあったら声掛けてねー」
麻耶さんはそんな台詞を残していったけど、全然アテにしないでおくことにした。
二人を見送った紗希さんが、半ば呆れて半ば慣れっこっていった感じで、くすくす笑っていた。

さて、と。小さく息を吸って気合を入れる。持参したエプロンを付けて手を洗った。
パソコンからプリントアウトして書き込みもしてある、試作会でも使ったお料理紹介サイトのレシピのプリントを広げる。春音ともう一度料理を作る順番や、段取りなんかについて確認し合う。
ふうん。紗希さんも興味深そうに、しげしげとあたし達が広げているプリントを覗き込んだ。
「沢山作るのねえ」
何しろ20名を超える人数のお腹を満たさなきゃいけないから、量としてもハンパじゃない。九条さんを始め、食欲旺盛な男性もいるし。
今日作るお料理は全部で18品。って言っても、メインディッシュが出来るまでに、酒の肴として出すつもりの割りと手軽に出来るものもあって、品数程には手間はかからない。
「あたしもお手伝いするから、遠慮なく何でも言ってね」
紗希さんが言ってくれて、すごく頼もしく感じられた。
作るお料理を紗希さんに説明して、盛り付けるお皿を三人で決めたり、キッチンにある調理器具を紗希さんに教えてもらったりした。丹生谷さんちでは、よく 「expossession」のメンバーの人達を集めてパーティーを開いたりしてるので、大人数が集まった時用に沢山の食器が用意されていたり、大きなお 鍋や調理器具も揃っていて、しかも紗希さんは大勢の人をもてなすのにも慣れているので、とても心強かった。多分紗希さんのセンスなんだろうな。お洒落な食 器が沢山あって、イタリア製の素敵な大皿や可愛くてカラフルな絵皿なんかを目にして、テンションが上がってしまった。
チャイムが鳴った。紗希さんが確かめるより早く、リビングのモニターで確認したらしい丹生谷さんが廊下を歩いて来て、「佳原君が戻って来た」って紗希さんに伝えて、玄関を開けに行った。少しして丹生谷さんに連れられた匠くんがキッチンに顔を覗かせた。
「ただいま」
「お帰りなさい」
振り返って笑顔を向けた。匠くんも笑顔を見せて頷いてくれた。
「何か手伝えることある?」
匠くんが言ってくれたけど、現状匠くんが手伝えることは何もなかった。
「うん、ありがとう。大丈夫」
匠くんの気持ちが嬉しくて、にっこり笑い返した。
「あ、後で力仕事お願いするかも」
大量に茹でたジャガイモを潰さなくちゃいけないのを思い出して付け足した。
「お安い御用だよ」
「用意できたら声掛けるね」
「佳原さんって優しいわね。萌奈美ちゃん、本当に幸せね」
あたしと匠くんのやり取りを聞いていた紗希さんが、しみじみとした声で呟いた。ちょっと気恥ずかしくなって匠くんと二人で顔を赤らめた。
「僕だって、言ってくれれば何でも手伝うよ」
紗希さんの発言を耳にした丹生谷さんが即座に申し出る。
「あら、嬉しい。じゃあ、後で何かお願いしようかしら」
紗希さんと丹生谷さんだって、あたし達に負けないくらい仲いいよね。匠くんと二人、視線を交わしてこっそり笑い合う。

早速下ごしらえに取り掛かった。お肉の下味を付けて冷蔵庫で寝かせたり、風味の落ちない野菜を切っておいたり、早めに作り始めておいても大丈夫なものから調理していくことにする。
それにしても人数が人数なだけに、お肉に味付けしたり野菜を切ったりするだけで一仕事だった。試作の時は量的には大した量を作らなかったので、こんなに大 人数分のお料理をするのは無論初めての経験なだけに、やってて少し焦った気持ちになる。大量のじゃがいもを大きなお鍋で茹でながら、本当に時間に間に合う のか心細さを覚えた。
お湯の中でぐつぐつと踊るじゃがいもを思い詰めた眼差しで見つめていたら、そっと肩に手が置かれた。はっとして顔を上げる。
「大丈夫。一人じゃないんだから。一つ一つ落ち着いて作業を進めてこう」
とても落ち着きのある穏やかな口調だった。あたしを見つめる春音の澄んだ真っ直ぐな眼差しを見たら、すうっと気持ちが落ち着いていった。
うん。小さく笑って頷く。
「志嶋さんって落ち着いてるわね」
紗希さんが感心している。
「萌奈美ちゃんも18歳にしては落ち着いてるなあって思うけど、志嶋さんは年齢離れしてるわね」
「そうですか?」自分では必ずしもそう思わないのか、春音は少し首を傾げた。
「本当に、いつもすごく頼りになるんです」
春音の肩を後ろから抱くように手を置いて、自信に満ちる声で紗希さんに伝えた。春音はちょっと戸惑うような、はにかむような表情を浮べた。
あたしが春音に寄せる信頼が伝わったのか、紗希さんの温かい眼差しを感じた。
「あたしが高校生の時なんて、もっと子どもだったし落ち着きなかったなあ」
思い起こすように紗希さんが呟く。何処か懐かしげな響きに顔が綻んだ。
 


PREV / NEXT / TOP

inserted by FC2 system