【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Angelic Snow ≫


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雪が降るって聞いてたから期待してたのに、全然積もらなくてそのうち陽が射してきて、あっという間に融けてしまった。
もう、つまんないよ。
期待を持たせた天気予報を恨みたい気持ちだった。やつ当たりもいいとこだけど。
だけどさあ、去年の冬は結局雪が降らないまま過ぎてしまって、匠くんと一緒に雪を見られなくてがっかりだったんだもん。今年こそはって思って、それで雪が降るって予報で言ってたからすっごく期待してたのに。
「萌奈美、今日はこれから雨か雪になるって」
学校に行く準備をしていたら、テレビの天気予報を聞いた匠くんが心配して言ってくれた。
うん。昨日の夜の予報でも言ってたから知ってるよ。胸の中でつまらなそうに答えた。どうせ雨に決まってるし。そう思ってたから。
リビングのレースのカーテン越しに見上げたら、暗い曇り空がどんよりと広がっていた。
玄関で靴を履くと傘を持った。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
「うん。行ってきます」
見送ってくれる匠くんに笑顔を返した。匠くんの顔が近づく。いってらっしゃいのキス。少し顔を上げて匠くんの唇を待つ。
「どうしたの?何だか元気ないけど」
唇が触れる寸前で匠くんに聞かれた。目を開けると、わっ、と思わず声が出てしまいそうなくらい間近に匠くんの顔があって、あたしを見つめていた。
「具合悪い?」
心配げな匠くんの瞳に覗き込まれて、ぷるぷると首を横に振った。
「ううん、全然。ごめんね」
「何が?」何のことかって顔で匠くんが目を丸くする。
「え、っと、心配かけて。あのね、本当は少しがっかりしてるだけ」
「がっかり?何で?」
不思議そうに聞き返す匠くんに、少し恥ずかしくなって肩をすぼめる。
「だって、どうせ雪なんか降らないんだろうなって思って」
あたしの説明を聞いて匠くんは一瞬きょとんとして、それから顔を綻ばせた。
「そういうことか」
匠くんに子供っぽいって思われたかも。拗ねて唇を尖らせる。
「だって、天気予報が期待させるようなこと言うんだもん。この間だって全然積もらなかったし」
「天気予報は注意を促すために、多少オーバーなくらいに言ってるんじゃないの?軽めに見積もっといてそれで結構降ったりしたら、みんな天気予報が悪いって 責めるんだから。それに本当に積もったら大変でしょ?街中じゃちょっと積もっただけで、交通とかすぐ混乱しちゃうんだから」
「それはそうだけどお・・・」
匠くんと視線を合わせないまま、納得できない気持ちで言い返した。
「早く行かないと遅刻するよ」
匠くんはそう言って、俯いているあたしに屈み込んで素早く唇を重ねた。
あたしが応える間もなく匠くんの唇は離れてしまった。
物足りない視線を向けたら、匠くんが笑っていた。
「はい、行ってらっしゃい」
もおっ。何かすっかり上手くあしらわれたみたいで悔しい気持ちになった。
「行ってきます!」
強い調子で言い返して、思いっきり“いーっ”をした。
あたしの反応に匠くんは呆れるように笑ってた。
後で電車の中で思い返して、丸っきり小さな子供の行動だったって恥ずかしくなった。

◆◆◆

午後になって雨が降り出した。一歩教室から出ると凍えそうなくらい寒い一日だった。
放課後になってあたしと春音は文芸部室に顔を出していた。
秋の文化祭を終えて三年生はもうとっくに引退したんだけど、志望校に合格が決まり受験勉強から解放されて、あたし達はまた以前のよう部室にちょくちょく顔 を出すようになっていた。他の部でも既に進路が決まった三年は、手持ち無沙汰もあってか部活に顔を出して後輩の指導をしたり、受験勉強で鈍ってしまった勘 を取り戻すように練習を再開したりしていた。
文芸部の後輩の子達も、引退したあたし達が行っても全く違和感を感じてないみたいで、当たり前のような顔で頻繁に出入りしてるあたし達に、ごく自然に挨拶をしてくれた。
受験勉強中は創作活動も自ら禁止してたあたしは、猛然と物語の創作に取り組んだ。ほんの何ヶ月か物語を創ること、物語を書くことから離れていただけなの に、またこうして物語を書けるようになったのをとても嬉しく感じた。自分が物語を創ったり書いたりするのが、とても大好きなんだって改めて実感してた。
突然、窓の外から「あっ、雪!」って女の子達の叫ぶような歓声が聞こえて来た。
雪、降り出したんだ。心の中で思って一瞬嬉しくなったけど、すぐ考え直した。またすぐ止むか雨に変わっちゃうんだから、どうせ。
他の部員の子が雪が降って来たって聞いて窓を開けて空を見上げても、頑なに外を見ようとしなかった。
ふと視線を感じて顔を上げたら、春音があたしを見ていた。
「何?」
聞き返したら春音は「ううん。別に」って言って、手元のノートに視線を落としてしまった。何なの、一体?

冬は日が暮れるのが早いので下校時刻も早まっていて、あたし達は迫る下校時刻に慌てて部活を終えた。
昇降口を出ようとして息を呑んだ。
すっかり日が暮れて暗くなった空間に、ものすごい勢いで雪が降り続いていた。
路上は既にうっすらと雪が積り白く覆われてた。視界が遮られそうなくらいの勢いだった。
うわあ!心の中で声を上げた。
大粒の雪はまるで空から真っ白な羽が舞い落ちているみたいに見えた。
全然期待してなかったこともあって、自分が見ている光景に感動で胸がいっぱいになった。何て綺麗なんだろう。まるでこの世界を浄化するみたいに、無垢で純粋な白さで覆い尽くそうとしているかのようだった。
空を見上げていると、絶え間なく降ってくる雪に飲み込まれてしまいそうな気がした。
「萌奈美?」
春音に呼びかけられて我に返った。
「どうしたの?」
「ん、ちょっと。すごく綺麗で、何かすごい感動しちゃった」
そう答えたら春音は微笑んでくれた。
「うん。すごいね」
春音はそう言って雪の舞い落ちる空を見上げた。
あたしと春音は少しの間、静かに降り続く雪の中で立ち尽くして空を見上げていた。

「あれ?春・・・志嶋さん?」
職員用玄関から出て来た人影に声をかけられた。薄暗い中、目を凝らして相手が冨澤先生だって分かった。
「今、帰り?」
あたし達に近づいて来た先生に聞かれた。
「はい」
何も答えそうにない春音の代わりに頷く。
「すごい降りだね。こりゃあ積もるかもね。明日の朝、大変なんじゃないかな」
心配そうな顔で先生は雪が降ってくる空を見上げた。
「でも、すごい綺麗ですよね」
嬉しさを隠せずに先生に伝える。
「うん、まあね。確かに」
あたしの気持ちを否定することなく、先生は同意してくれた。やっぱり冨澤先生って優しいね。春音にそう伝えたくなった。でも春音は多分関心なさげな感じで「そう?」とか一言呟いて終わっちゃうんだろうなあ。照れ隠しのつもりなんだか。なので、言わないでおくことにした。
「帰るの大変でしょう?よかったら送ってくよ」
車で通勤している冨澤先生が、あたし達を気遣って言ってくれた。
「どうする?送ってもらう?」
春音に問いかけられて、せっかくの冨澤先生の好意を断るのも悪いかなって思ったけど、この雪の舞い落ちる世界を少し歩きたい気持ちでもあった。だけどあた しが断ったら、きっと春音も断るに決まってる。それだと冨澤先生が可哀相だった。春音に断られたら冨澤先生落ち込むよね、絶対。彼女を送ってくつもりがそ の彼女に断わられちゃったら、多分ショックだよね。
そう思って冨澤先生の好意に甘えることにした。ただし、春音、冨澤先生の二人とあたしが帰る方向は正反対だったので、あたしは北浦和駅までお願いすること にした。そうすれば後は春音と冨澤先生二人きりになれるし。雪の降る夜に二人で一緒の時間を過ごせるなんて、すごくロマンチックだよね。春音だってきっと 嬉しく感じるに違いないよね、きっと。
そんなことを考えながら春音と二人、冨澤先生の後についてナビセンター前の駐車場に向かっていて、校門を出たすぐのところに電柱に寄りかかるように佇んでいる人影に気がついた。
誰か待ってるのかな?そう思いながらぼんやり見ていて、背格好だとか何だかやけに見覚えのある人影であることに気がついた。まさかって思って、よくよく目を凝らしてその人物を見つめた。
校門前に佇んでいる人影が誰なのか分かって、信じられない気持ちだった。
「匠くん!?」
叫ぶように言って、積もり始めた雪で足元が滑るのもすっかり忘れて駆け寄った。
「お帰り」
駆け寄るあたしに匠くんは笑って言った。
「ただいま。って、そうじゃなくて。匠くん、どうしたの?何で、いるの?」
訳が分からなくて問い質すような口調で匠くんに訊ねた。
「萌奈美を迎えに」
あっさり答えられて、だけどそれを聞いてもちっとも分からないままだった。だって、こんな大雪が降っててすっごく寒いのに。普通、こんな天気の中で外で待ってたりしないでしょう?あたしがいつ出て来るかも分からないのに。
「でも、だけど、どうして?」
しきりに聞き返した。
そんなあたしを見つめたまま匠くんは優しく微笑んだ。
「一緒に帰ろうと思って」
何も言えなくなってしまった。胸がいっぱいになって。匠くんの気持ちが伝わって来て。
とても不思議だったけど、でも、ものすごく嬉しかった。
どうして匠くん、あたしの気持ち分かったの?この雪が降りしきる美しい世界を歩きたいって、あたし思ったの。それで、匠くんと二人で歩けたら、ものすごく 素敵だろうなとも思ってたんだよ。だけど、あたし確かにそう思ってたけど、でも、それって匠くんには一言だって伝えてないのに。
信じられない気持ちであたしが見つめていたら、匠くんは可笑しそうに小さく笑った。
「だからいつも言ってるだろ?僕も萌奈美と同じ気持ちだって。いつも萌奈美と同じこと思ってるって」
もおっ!そんなこと言われたらもう駄目だよっ。気持ちが抑えられなくなっちゃうよっ。
「匠くんっ!」
たまらなくなって、思いっきり匠くんに抱きついた。
「ちょっと、萌奈美っ」
焦ったように匠くんが声を上げた。
「こら。少しは周囲の眼ってのを意識して行動しなさいよ」
背後から冷ややかな声が聞こえて我に返った。そうだった。ここは学校のまん前だった。慌てて匠くんから身体を離した。
「こんばんは、志嶋さん」
苦笑を浮べた匠くんが春音に声を掛けた。
「こんばんは。萌奈美のお迎えですか?」
「うん、まあね。一緒に帰ろうと思って」
匠くんの返事に春音は少し目を瞠ったようだった。
「すごいですね。こんな雪の中」
「こんな雪だからだよ」
何でもないことのように匠くんが答える。
何も言わなくたってあたしの気持ちがちゃんと匠くんに伝わっていることに、あたしの心は幸せで溢れそうだった。
匠くんの隣で、あたしは匠くんとしっかり手を繋いだ。手袋越しでも匠くんの手の平の温もりがちゃんと伝わって来た。
「よかったね、萌奈美」
満面の笑みでいるあたしに、春音が優しい声で言ってくれた。
「うん。あたし、匠くんと帰るね」
あたしが言うと、春音は優しく微笑んで頷いた。
「あれ、佳原さん」
冨澤先生が一人遅れてあたし達の元へと近づいて来た。
「どうも」
匠くんが会釈して、冨澤先生も「どうもどうも、こんばんは」ってぺこぺことお辞儀を返した。
「どうしたんですか?こんなとこで」
「萌奈美を迎えに」
「え?車は・・・?」きょろきょろと冨澤先生は辺りを見回した。
「今日は電車で来ました」
匠くんの返事に冨澤先生は不思議そうな顔だった。
「よかったら乗って行きますか?」
冨澤先生が気を遣って聞いてくれた。ありがと、先生。心の中でお礼を言う。だけどいいの、先生。匠くんはわざわざ電車に乗って、駅からも歩いて来てくれたんだから。あたしのために。
「ありがとうございます。でも折角ですけど、駅まで萌奈美と歩いて行きます」
確認するように匠くんがあたしを見る。
「うん」あたしは頷いた。
「だからいいです、先生。ありがとうございます」
「そう?」冨澤先生はいまひとつ腑に落ちない表情を浮かべてた。
「春音は乗ってくでしょ?送ってくよ」
冨澤先生がこれは譲らないって口調で春音に訊ねた。
「うん。じゃ、そうしてもらおうかな」
何だかやけに上から目線で春音が答える。でも冨澤先生はそんなのちっとも気にしてない感じで嬉しそうだった。この二人はこの二人で、それなりに上手くバランスが取れてるみたい。そんな二人が微笑ましく思えた。
「じゃあね、春音。また明日」
春音に告げる。
「うん。またね」
「じゃあ、僕達はこれで」
匠くんが冨澤先生に挨拶を告げた。
「あ、はい。失礼します」
「さようなら」あたしも頭を下げた。
「うん、さようなら。気をつけて」
あたしと匠くんはもう一度頭を下げて、駅へ向かって市高通りを歩き出した。
すっかり暗くなった市高通りには雪が降ってるせいもあってか、他の生徒の姿は見えなかった。
「どのくらいあそこで待ってたの?」
気になって匠くんに訊ねた。
「大して待ってないよ。萌奈美の部活が終わる時間を見計らって来たから」
「でも、こんな天気だから早く切り上げてたかも知れないのに」
あたしがそう指摘したら、匠くんは「そうか。それは考えなかったな」って答えた。
嘘。心の中で言い返した。絶対嘘だった。匠くん、絶対ずっと待ってたんでしょ?
だけどそのことには触れなかった。聞かなくたって分かるから。
「寒かったでしょ?」
「大丈夫。ホッカイロ2個も持ってるから」
匠くんはダッフルコートの両方のポケットからホッカイロを取り出した。取っておきのことのように答える匠くんに、思わず笑ってしまった。
「ひとつあげる」
匠くんがひとつをあたしにくれた。自分の頬に当ててみた。
「あったかーい」
それから匠くんと繋いでいる方の手袋をはずした。不思議そうな顔をする匠くんに何も説明しないまま、匠くんの手袋も脱がせた。ホッカイロを手の平に持った まま直に匠くんと手を繋ぎ直して、匠くんのポケットに繋ぎ合った手を突っ込んだ。匠くんのコートのポケットは大きくて、二人で繋ぎ合った手でも楽々入っ た。
満足げな笑顔で匠くんを見上げる。匠くんは少し照れたような顔をしていたけれど、ポケットの中の手は、しっかりとあたしの手を握ってくれていた。
やっと願いが叶って雪の中を匠くんと一緒に歩くことができた。色んな季節を匠くんと一緒に感じたかった。
「すごい雪だね」
弱まる気配のない雪の舞い落ちる暗い空を見上げて、匠くんに話しかけた。
「うん」匠くんもあたしと一緒に空を見上げて頷いた。
「萌奈美を待ってる時、空を見上げてたら何だか自分が雪に包み込まれそうな気がした」
目を瞠って匠くんを見返す。その感じ、すごくよく分かったから。
あたしが匠くんを見つめていたら、匠くんもあたしを優しく見つめ返した。
「前にも話したかも知れないけど」
しんと静まった暗い道で匠くんの穏やかに話す声だけが、はっきりとあたしの耳に届いた。
「萌奈美といると、不思議なくらいこの世界が新鮮な驚きに満ちてるって感じられるんだ。以前はありふれた出来事に溢れていたこの世界が、とても美しく見えるんだ。今も雪が降るこの景色の美しさにすごく感動してる」
匠くんの言葉を聞いて、胸が震えた。夢中で頷き返した。
「あたしも。匠くんと一緒にこんなに綺麗な景色が見られて、ものすごく幸せだよ」
胸から溢れ出る想いが留められなくて、あたしの頬を涙が伝った。
「泣き虫だなあ」
呆れるように匠くんが言って、あたしの頬を拭った。
だって仕方ないじゃない。匠くんといるといっぱい感動しちゃうんだもん。匠くんと一緒にいるとものすごく幸せで、胸がいっぱいになって、幸せな気持ちが溢れ出してきちゃうんだもん。
頬を膨らませて心の中で言い返した。ぎゅっと匠くんに身体を押し付けた。頭の上で匠くんが苦笑したような気がした。

駅に近づくに連れて人通りが増えて来た。
「誰かに見られたりしないかな」
心配そうに匠くんが呟く。何を今更?って思った。学校からずっと二人で寄り添って歩いて来てたのに。誰がどう見たってラブラブなカップルだったよ。
「別にいーじゃない。あたしは全然構わないよ。別に匠くんと付き合ってるの秘密にしたい訳じゃないし」
平然と言い返した。
一緒に住んでるっていうのは流石にバレたらマズイけど、匠くんと恋人同士ってことなら誰に知られたって全然構わないじゃない。違う?
「まあ・・・そうだけど・・・」
はっきりとは答えず言葉を濁す匠くんに構わず、あたしは繋ぎ合った手を匠くんのコートのポケットに入れたまま、うろたえる匠くんを引き連れるように堂々とした足取りで駅へ向かった。
途中、何度か市高の制服を見かけたようにも思ったけど気に留めなかった。
駅に着いてからもあたしは、匠くんのコートのポケットの中で手を繋いだままでいた。
上り電車がやって来て、ドア付近に二人で寄り添って立っている間もずうっとそうしていた。
窓から外を眺めると、夜の街に一向に止む気配のない大粒の雪が降り続いている。
どさどさって感じの盛大さで舞い落ちてくる雪に圧倒される。
窓の外の降り続く雪に眼を奪われていたら、屈み込んだ匠くんもあたしの視線を追うように外の景色を見つめてた。
「すごいね」
匠くんへ視線を向けて笑顔で言った。
そういえばついさっきも同じことを言ったような気がした。
「うん」
そのことを指摘したりせず、匠くんはただ頷き返した。
優しく響く匠くんの一言を聞いただけで温かい気持ちになって、また車窓の外へと視線を戻した。
漆黒の空から次々に舞い落ちて来る大粒の真っ白な雪は、まるで天国から降ってくるようにさえ思えた。
あたかもこの世界を祝福しているかのように。
 


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