【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Happy Song (1) ≫


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週末の土曜、九条さん達匠くんのお友達と、麻耶さん、栞さん、あと他にも麻耶さん栞さんと仲のいいモデルのお友達二人を加えたメンバーで、夕食を食べに出掛けた。
夕食っていうか、あたしともう一人、モデルの千晴(ちはる)さんを除いてはみんな二十歳を超えていたので、言い方としては「飲み会」とか「コンパ」って感 じだったんだけど。それでも、未成年者が二名いるってことでそこは気を遣ってくれたらしくて、見るからに“お酒を飲む店”って感じじゃなくて、食事がメイ ンでプラスお酒も楽しめるって感じのお店をチョイスしてくれたみたいだった。
麻耶さんと栞さんのお友達のモデルのお二人は、紺野千晴(こんの ちはる)さん、東城由梨華(とうじょう ゆりか)さんっていって、同じ事務所の後輩なの だそうだ。千晴さんは今19歳で、都内の有名私立大学に通いながらモデルのお仕事をしているんだって。もう一人の由梨華さんは24歳で年齢は栞さんと同い 年だけど、モデル経験は由梨華さんの方が1年後輩とのことだった。
二人とは初対面だったので、人見知りで引っ込み思案なあたしは、打ち解けて話が出来るか不安だったんだけど、そんな心配は全くの杞憂だった。二人共とって も優しくて親しみやすい人で、その上話し上手で、すぐにあたしでも仲良くなることができた。そもそも麻耶さん栞さんと仲がいいんだから、いい人に決まって るよね。
由梨華さんは背中まで伸びた艶やかな黒髪がすっごく綺麗な、オリエンタル美人って感じの女性で、とても落ち着いた口調で話す物腰の柔らかい印象だった。
千晴さんは少し赤みがかった明るい茶色のショートボブがよく似合う、ボーイッシュな雰囲気の、見るからに元気いっぱいって感じの女のコだった。千晴さんは 年齢が近いせいかあたしに親近感を持ってくれたみたいで、積極的に話しかけてきてくれて、でも押し付けがましかったり一方的な感じじゃなくって、知り合っ て間もないのに余り馴れ馴れしくされたりすると却って気後れを感じてしまうあたしだったけど、千晴さんとはそんなこともなくて、本当にすぐに打ち解けるこ とができて嬉しかった。そんなところも千晴さんの魅力の一つなんだろうなあって感じた。
あたし達が行ったお店は新宿の東口にあって、店内は全体的に照明を絞って落ち着いた雰囲気で、それぞれのテーブルの上に暖色系の明かりが灯されていて、く つろいで打ち解けた時間を過ごせるような感じの、居心地のいいお店だった。何回も来たことのある九条さんの話では色んなタイプの席があるみたいで、四人く らいの人数向けのこじんまりとした半個室のテーブル席から、足を伸ばすことのできるお座敷スタイルの席や、ずらりと並んだワインボトルを眺めて愉しむこと のできるカウンター席、外を見ながら食事が愉しめる大きなガラス窓に面したカウンター席、あたし達が座ったのはスモークガラスで仕切られたプライベートな 感じのある大きな円卓席だった。中華料理店やバンケットホールでもないこういうお店で大きな丸テーブルの席って、ちょっと珍しいような気もして意外な感じ だったけど、長細いテーブルだと端と端の人とが距離があって話しにくくなってしまったりするところが、円卓だと全員と顔を合わせながら話せて、思ってもい なかったくらい話が弾んで、愉しい時間を過ごすことができた。掘りごたつ式なのも何となくくつろいでリラックスした感じがあってよかった。
食事のメニューもお酒のお供っていった軽く摘める感じのものから、がっつりとお腹に溜まる系の、しっかりボリュームのあるものまで多彩な品数で、トマトと モッツァレラのカプレーゼ、鴨のスモーク、鮪のレアステーキわさびソース、雲丹とアサリの和風ボンゴレ、生タコのカルパッチョグレープフルーツ風味、和牛 ステーキ・マスタードソース、イベリコ豚の厚切りベーコン、半熟卵のシーザーサラダ、手長海老のパスタ、ポルチーニ茸のリゾット、緑黄色野菜のバーニャカ ウダ、サーモンとアボガドの生春巻き、季節野菜のペペロンチーニ、自家製ピクルス、地鶏のロースト・カシスソース・・・もうテーブルに並びきらないくらい のお料理を注文して、テーブルをいっぱいに埋めるお料理の載ったお皿を前に、まだ来ていないお料理だっていっぱいあって、どうすんの?ってあたしなんかは 最初思ったんだけど、そんな心配は全然必要なかったことをすぐに理解した。
九条さん達はテーブルにお料理が並ぶや否や、「いただきます」って言うが早いか猛然としたスピードで食べ始めた。その光景に呆気に取られていようものな ら、危うく一口も食べられないままお皿の上は空っぽになりかねなかった。危機感を覚えてか、麻耶さんが率先してお皿の上の料理をシェアし始めた。栞さんと 由梨華さんも麻耶さんを手伝うように、他のお皿のお料理を取り皿に分け始め、一時は口に出来ないんじゃないかって危ぶまれたお料理は無事全員に行き渡った のだった。
九条さん、竹井さん、漆原さんは生ビールを頼み、当然麻耶さんもアルコールを注文して、シャンディ・ガフっていうビールをジンジャーエールで割った飲み物 を選んだ。九条さん達に付き合ったのか、匠くんも一杯目は生ビールを注文してた。由梨華さんも考える風もなくグラスワインを選んでいるのを見て、お酒に強 いのかなって意外な感じで思った。お酒に弱い飯高さんは最初っからソフトドリンクにするのは気が引けるのか、アルコールの低いカシスオレンジっていうカク テルを注文した。千晴さんとあたしは当然ソフトドリンクにして、あたしはブラッドオレンジジュースを、千晴さんはピーチソーダをオーダーした。
お料理はどれもすごく美味しくて大満足だったし、麻耶さん、栞さん、由梨華さん、千晴さんが聞かせてくれる華やいだ業界のエピソードの数々はすっごく新鮮 だった。憧れたりとかは全然ないんだけど、自分とは全然縁もゆかりもない知らない世界の話を聞くのは、とっても興味深くて面白かった。一方の九条さんや飯 高さん、漆原さん、竹井さんの仕事や職場の話も、すっごく面白くって笑いっぱなしだった。漆原さんはゲーム会社に務めててシナリオを書いたりしてるそうな んだけど、ゲーム会社っていうところが元来そういう人達が集まりやすいのか、漆原さんの周囲の人達は一癖も二癖もある変人ばかりっていうことだった。それ を聞いた九条さんが「自分を棚に上げて何ぬかしてる。そう話してる本人が人並みはずれた奇人の癖して」って茶々を入れて、みんなの笑いを誘った。

昼間から生憎の雨模様で、暗くなっても雨脚はさっぱり弱まる気配を見せなかったけど、そんなこと少しも気にならないくらい楽しい夜だった。雨のカーテンに 包まれた新宿の夜の街は、冴えない空模様にも関わらず大勢の人達が行き交って、歩道を埋め尽くすようにカラフルなパラソルの花を咲かせていた。
「エソラ」の歌詞みたいに、夜の街の灯りが雨に滲んで、きらきらと宝石みたいな光を放って輝いている。降り続く雨がアスファルトの路上に作った幾つもの水溜りを、小さく跳ねるように避けながら歩いた。
「なあ、カラオケでも行かねー?」
お店を出ての帰り道、先頭を歩いてた九条さんが振り返ってみんなに聞いてきたのだった。
唐突な提案にみんな一瞬目を丸くしたけど、九条さんのすぐ後ろを歩いていた麻耶さんが、ぱっと顔を輝かせて「うん。行こう」って同意した。
この顔ぶれで九条さんと麻耶さんが意見を合わせれば、それはもうみんなの意見を聞くまでもなく決定事項に他ならなかった。
「ここら辺だと何処にあったっけ?」
すぐにノリのいい竹井さんが同調して聞き返した。
「由梨華ちゃんと千晴ちゃんもOK?」
麻耶さんが二人に確認したら、二人共二つ返事で頷き返した。
千晴さんは見るからにノリが良さそうだしカラオケも好きそうに思えて不思議はなかったんだけど、由梨華さんも迷わず頷いたのはちょっと意外な感じだった。 物静かであんまり賑やかに騒いだり歌ったりしなさそうに見えるんだけど。モデルさんをしてるくらいだから、やっぱり賑やかだったり華やかだったりするのが 好きなのかな?・・・って、ちょっと偏見?
一方、とすぐ隣を見上げた。
匠くんは行きたがってないに違いないんだろうな。実際、予想していた通り匠くんは明らかに気の乗らない顔をしてる。
「・・・悪いけど」
匠くんがおもむろに口を開いた。
「まあまあ、いーじゃん。匠も行こーぜ」
匠くんに最後まで言わせず、竹井さんと飯高さんが両側から匠くんの両腕をがっし!と掴んだ。テレビドラマでよく見かける、抵抗する容疑者を連行しようとする刑事さながらだった。
「おいっ、ふざけんなっ!離せっ!」
当然匠くんは二人の腕を振りほどくべく、雨に濡れるのも構わず激しい抵抗を試みている。
「無駄な抵抗はよせっ!」
暴れる匠くんに向かって、余りにベタな決まり文句を口にする九条さんだった。
相変わらずだなあって、ずるずると半ば強制連行されていく匠くんの後ろ姿を見送りながら心の中で思った。
「だけど、匠さんの歌、ちょっと聴きたいかも」
そんな呟きが雨音に紛れながら届いて、えっ?って胸の中で声を上げた。
栞さんが匠くんと九条さん達のじゃれあいを見て、くすくす笑っている。
「栞さん、匠くんの歌聞いたことあるのっ?」
愕然とした思いで栞さんに問いかけた。
「え?うん」
笑顔を崩さず栞さんは頷いた。
「何でっ?何時っ?何処でっ?」
もはや自制も利かず、畳み掛けるような質問を栞さんに投げかけた。
あたしのただならぬ形相に気付いた栞さんの顔から笑みが消える。少し引き気味なのが分かった。
「えっと・・・前、カラオケで・・・」
「えーっ!?栞さん、匠くんとカラオケ行ったのお?」
堪えきれなくて、つい大きな声を上げてしまった。
「前にね、やっぱ飲みに行った帰りにさ、みんなでカラオケ行ったんだ。九条さん達と。その時、栞ちゃんもいたんだよね」
見かねた感じで麻耶さんが代わって説明してくれた。ね?って視線で同意を求める麻耶さんに、神妙な面持ちで栞さんが頷き返す。
えーっ、でもぉ・・・匠くん、あたしとはカラオケなんて行ったことないのに。何かズルイ。
もう居ても立ってもいられなくなってしまった。
前方で九条さん達と未だに言い合っている匠くんに駆け寄った。
「離せっつってんだろーがっ!」
「お前、先に帰るとか、空気をシラケさせるような真似が許されると思ってンのか?」
「そーだ、そーだっ!折角の麗しきレディ達との、更なる親睦を深めるチャンスを奪おうってのか?」
「ンなこと知るかッ」
幾分声を潜めながら漆原さん、竹井さん、匠くんがそんなやり取りを交わしている。
「ねえっ、匠くんっ!」
呼びかけるあたしの強い口調に、慌てたように匠くんが振り返った。
「匠くん、栞さんとカラオケ行ったことあるんだ?」
「はあ?」
いきなりの問いかけに匠くんは意味不明って顔をした。
「あたし、まだ匠くんの歌聴いたことないよ」
不満げな顔で匠くんに訴えた。
「なんだ、匠まだ萌奈美ちゃんとカラオケ行ったことないのかよ」
「うるせー。黙ってろ」
ニヤニヤ笑う竹井さんを苦々しい顔で一喝して、匠くんはあたしの方へ向き直った。
「あのね萌奈美、ちょっと待っててもらえる?」
弱弱しく匠くんは抗議らしき声を上げた。
だけどあたしは匠くんの言うことに全然聞く耳を持たなかった。
「あたし、匠くんの歌聴きたい」
拗ねる声でそう主張した。
「ハイ、決定!」
実に愉快そうな九条さんの朗々とした宣告がみんなの耳に届いた。
あたしっていう味方まで失って、今やカラオケに行きたがっていないのは匠くん一人っていう状況だった。孤立無援になってしまって、一瞬恨みがましい視線を あたしに向けた匠くんは力無くうなだれて、意気揚々とした竹井さん、九条さん、飯高さん、漆原さんの四人に引っ立てられて(?)行ってしまった。

土曜の夜ってこともあって、カラオケ店は満室だった。
空室が出るまで30分程を受付カウンター前のソファに座って待っていた。 
麻耶さん、栞さん、由梨華さん、千晴さんと五人で並んで座って、飽きることなくお喋りに花を咲かせてた。あたし的には歌えなくてもこれでも十分楽しかった。
匠くん達男性陣はソファに座りきれずに壁に寄りかかるように立っている。逃亡されないようにか、壁を背にした匠くんの左右を竹井さんと漆原さん、前方を九 条さんと三方を囲むように塞いでいた。匠くんは憮然とした表情を浮かべている。もっとも、あたしを置いて匠くんが逃亡を図ったりする訳ないんだけど。
「萌奈美はカラオケよく来るの?」
千晴さんに聞かれた。
「ううん、そんなでも・・・たまーに友達と来る程度です。自分からはあんまり行こうって思わないし」
それ程得意じゃないって暗に匂わせるように答えた。
カラオケには結香達に誘われてたまーに来てて、歌うのは嫌いじゃない。上手いかどうかは自分ではよく分かんないけど、一応音痴じゃないって思う。でも声量 がなくて、それに大きな声出すのはやっぱりちょっと恥ずかしくて、あんまり感情の籠もってない抑揚のない一本調子な歌い方になっちゃってるんじゃないか なって思う。多分聴いてて退屈なんじゃないのかなあ。
結香なんかはもの凄くノリがよくって元気があって、心から楽しそうに歌ってて、あんな風に歌えたら自分でもさぞかし楽しいんじゃないかなって思えて、 ちょっぴり羨ましかったりした。因みに結香の十八番はAKB48で、シングル曲殆ど歌えるらしい。「フライングゲット」なんか振りまで完コピしてるし。あ たしなんかみんなの前で踊ったりなんて恥ずかしくって絶対ムリ。
そんなだからカラオケに行っても、どっちかって言うと聞き役専門だったりする。
ふーん、って相槌を打つ千晴さんは、見るからにカラオケ大好きって感じがした。
「千晴さんは好きそうですよね」
「うん。大好き」
あたしの指摘に千晴さんは元気一杯の笑顔で頷いた。
くすくす笑う声が聞こえて視線を巡らせた。
笑顔の栞さんがあたし達を見ていた。
「千晴ちゃん、スゴいのよね」
楽しげな声で栞さんが告げる。
「すっごく元気よくて、見てるだけで楽しくなっちゃう」
やっぱり思ってた通りらしくって、どうやら結香と似たタイプみたい。
栞さんはどうなんだろう?
「栞さんは歌うの得意なんですか?」
千晴さんを挟んで座ってる栞さんに首を伸ばして聞いてみた。
「ううん。大の苦手」
ちょっと困った顔で、栞さんは小さく肩を竦めた。
 「あたしもです」
栞さんに親近感を覚えつつ、あたし一人が苦手じゃなくってホッとした気持ちになった。
「カラオケ来ても人が歌うの聴いてばっかりいます」
「あっ、あたしもそう!」
あたしが白状するみたく言ったら、同士を見つけたって感じで嬉しそうに栞さんは頷いた。
「でも音痴じゃないよね、栞ちゃん。綺麗な声してるし」
栞さんの歌を聴いたことがあるらしい麻耶さんが、あたし達の会話に割って入ってきた。
栞さんは麻耶さんにそう言われてちょっと恥ずかしそうで、自分だとよく分からないって言いたげに小首を傾げた。
「麻耶さんの前だと余計に歌いたくなくなっちゃいます」
少し拗ねるような声で栞さんは麻耶さんに言い返した。
「すっごく上手なんだもん。麻耶さん」
あたしもマンションでバスルームから聞こえてくる麻耶さんの歌を時々耳にしてて、栞さんの発言にすごく同感だった。
ホント麻耶さんって何だって得意だし上手だし、万能なんだよね。もう、羨ましくて仕方ない。
「あたしも麻耶さんの歌聴くの、大好き」
「あっ、あたしも!」
由梨華さんが控えめにそう言ったら、千晴さんも勢いよく手を挙げた。
「aikoとかすっごく音程取りづらいって思うのに、麻耶さんよく上手に歌えますよねえ」
脱帽って感じで千晴さんが賞賛を贈った。
「演歌からアイドルまで麻耶さんってレパートリー広いですよね」
栞さんが感心した声で麻耶さんに伝えた。
「麻耶さん、演歌なんか歌うの?」
びっくりした声で聞き返したら、笑顔で栞さんが頷き返した。
「『また君に恋してる』とか『舟唄』とか、『喝采』とか歌うんだよ」
どの曲もあたしでも曲名を聞けば知ってるくらいの有名な曲だったけど、それにしても麻耶さん何時、何処で演歌なんて覚えてるんだろ?素朴な疑問が湧いた。
「あたし、西野カナさんの曲がいいなあ。麻耶さん、また歌ってくださいね」
「じゃあ、あたしと一緒にAKB48歌いましょうよ!」
由梨華さんがリクエストをお願いしたら、負けじと千晴さんが麻耶さんにデュエットを申し出た。どうやら麻耶さんはAKBも歌えるらしかった。
「あたし今日はモモクロに挑戦してみようかなって思ってるんだけど」
楽しみって顔で麻耶さんが言う。
aikoさん、西野カナさん、AKBにモモクロ、坂本冬実さんにちあきなおみさん・・・確かにレパートリー広いかも。あたしも麻耶さんの歌を聴くのが楽しみになった。

そういえば匠くんはどうなんだろう?歌、上手いのかなあ?言うまでもなくミスチルが大好きで、大体歌詞を覚えてるみたいだし、時々口ずさむ程度のを耳にし たことはあったけど、ちゃんと歌ってるのはまだ聴いたことがなかった。普段は物静かな喋り方だからちょっと分かんないんだけど、でもいい声してるって思う し(そう麻耶さんに言ったりしたら、また例によって「恋は盲目」とかって呆れた顔で言われちゃうんだろうけど)、ちょっと高めの優しい声があたしは大好き だった。匠くんの甘く優しい声で「萌奈美」って呼ばれるだけで胸がきゅん、ってなる。
「匠くん、歌上手なんですか?」
匠くんが歌うのを聴いたことのある栞さんに聞いてみた。さっきだって栞さん、匠くんの歌をまた聴きたいなんて気になること言ってたし。
「うん。すっごく上手なのよ」
本当に意外って顔で栞さんが頷く。
ふうん、匠くん歌上手いんだ。栞さんと同じようにちょっと意外に思いながら、匠くんの歌を聴くのがすごく楽しみになった。
「ねえ?麻耶さん。上手ですよね?」
「まーね」
栞さんに問われて、麻耶さんは九条さん達と言い合ってる匠くんにちらりと横目で視線を送って、ちょっと面白くなさそうに首を縦に振った。
「マイク握ると人間変わるんだよね」
何それ?どーゆーこと?
麻耶さんに疑問の眼差しを送っていたら、栞さんのくすくす笑う声が聞こえた。
「確かに。歌声、喋ってる声と全然違いますよね。歌ってる時の匠さんって、普段と雰囲気全然違ってすごく情感が籠ってて」
「その時、匠くん何歌ったんですか?」
栞さんの声が楽しそうなのが何だかちょっと気になった。
「ん?・・・えーっとね・・・」
記憶を手繰り寄せるように、栞さんは視線をやや上方に投げながら曲名を挙げた。
「・・・『夜空ノムコウ』とか『世界にひとつだけの花』とか・・・」
どちらもカラオケの定番になってるsmapの曲だった。
「・・・あと、あれはミスチル、ですか?」
ミスチルは詳しくないのか、栞さんは確かめるような視線を麻耶さんに向けた。
「うん。『CROSS ROAD』と『抱きしめたい』ね」
頷いた麻耶さんは即座に曲名を挙げた。多分匠くんの影響なのかな?当然って言うか、麻耶さんもミスチルに詳しかった。
「抱きしめたい」!?た、匠くん、そんなの歌ったの!?
危うく叫び声を上げそうになった。
多分ミスチルの曲歌ったんだろうなって予想はしてたんだけど、それにしたって「抱きしめたい」なんて歌ってたって知ったら、穏やかな気持ちでなんかいられなくなった。
だって「抱きしめたい」なんて、メチャクチャ心に沁みるラブソングだよっ?そんなの歌われたら絶対もう感激しちゃって、感動しまくりで、たまらない気持ちになっちゃうって、そう思わない?
愕然としてるあたしの隣で、栞さんの声が弾んだ。
「あたし、その『抱きしめたい』って曲知らなかったんですけど、すっごくいい曲ですよね。匠さんが歌うの聴いて感激しちゃいました」
そして栞さんは耳を疑うような発言をした。
「匠さんの歌声、好きだな」
そう言ってから栞さんははっとしてあたしを見た。目を剥いているあたしに気付いて慌てて弁解した。
「あっ、ゴメンっ!萌奈美ちゃん!違うんだよ。あの、何て言うか、歌声が素敵ってことなんだからね」
かつては匠くんに想いを寄せていたこともある栞さんから“好き”だなんて言葉聞かされたら、冷静でいるのなんて無理に決まってる。
必死に謝ってくれる栞さんに、もう殆ど脊髄反射みたいに嫉妬の炎を燃やしてしまってた。
栞さんの発言は言葉の綾っていうかうっかりっていうか、栞さんがあたしに告げている言葉通りに違いないんだって頭ではよく分かってるのに、それでも心は理性の呼びかけに耳を貸そうとせず、勝手に反応してヤキモチを焼いてしまっているんだった。
「ほんと、ゴメンっ」
面白くなくて口を噤んでるあたしを宥めようと、もう全力な感じで栞さんは何回も謝ってくれた。
栞さんに悪いって思いながら、むすっとした顔をなかなか直せなかった。
匠くんのことになるとすぐに血相変えちゃうって、自分でもよく分かってるけど、でもどうしようもないんだもん。
心の片隅ではこんなことで機嫌悪くしてる自分が子どもっぽく思えて後ろめたさを感じてて、だけど開き直るみたいに胸の中で呟いてた。

それから少し経って部屋が空いて、店員さんに案内された。
ぞろぞろと狭い廊下を進んでくみんなの後について行きながら、気まずさを持て余してた。
「どうかした?」
そんなあたしの様子に匠くんは気付いてて、あたしの隣を歩いてくれてた。
「ん?ううん・・・」
首を横に振りながら、でも素直な気持ちになれなくて曖昧に返事してしまった。
そっと匠くんの手が伸びてあたしの手を優しく掴んで引き止めた。
匠くんの真っ直ぐな眼差しがあたしの瞳を覗き込む。
「萌奈美?」
優しい声があたしの気持ちをそっと包み込んでくれる。
あたしのことを心配してくれて気遣ってくれて、この優しい声があたしの名前を呼んでくれる度に、胸の中に居座ってるわだかまりがすうっと消えてく。まるで柔らかくて温かい陽射しに、硬く凍り付いた雪が融けてくみたいに。
素直な眼差しで匠くんを見つめ返した。
あたしと視線を合わせて、匠くんはちょっとほっとした顔で小さく笑った。
「あのね・・・」
あまり考えないまま呼びかけてた。
「うん」
匠くんが頷く。
まだあたしは何も言ってないのに、匠くんが一言頷いてくれただけで、もう匠くんにはあたしの気持ちがちゃんと伝わってる、そんな風に感じられてしまう。
何でそんなに優しく呼ぶの?匠くんのその声はあたしの心を優しく温かく抱き締めてくれて、匠くんのたった一言が、不思議なくらいあたしをとっても素直で優しい気持ちにしてくれるんだよ。
「歌、歌って」
あたしの願い事に、匠くんの顔にはちょっと困ったっていう表情が浮かんだ。
分かってるけど、でも歌って欲しいんだもん。あたしに歌って聴かせて欲しい。麻耶さんも栞さんも聴いたことあるのに、あたしだけ聴いてないなんてズルイ。だからね、匠くんの歌声、聴かせて?
匠くんが降参って感じで笑った。あたしも釣られて笑顔になる。
何歌ってもらおう?「抱きしめたい」?「君が好き」?「HERO」?「Sign」?「and I love you」?(ちょっとキツい?)「口笛」?「名もなき詩」?・・・「simple」もいいよね?
「・・・あの、あんまりキーが高いのは無理だからね」
ワクワクする気持ちで色々思い巡らせてたら、予防線を張る感じで匠くんが囁いた。
「おい、コラ!何そんなトコで見つめ合ってんの?」
麻耶さんの叱責する声が飛んで来て、二人して視線を移動した。みんなの姿はなく、廊下の曲がり角で麻耶さんが半身を覗かせてこっちを睨んでいる。
匠くんと小さく苦笑し合って、慌てて不機嫌顔で待ってる麻耶さんへと駆け寄った。
「全くちょっと目を離すとすぐこうなんだから。油断も隙もないよ」
ぶつぶつ文句を呟く麻耶さんに、何で文句を言われなくちゃなんないの?って、よく分からないまま思った。

部屋に入って、部屋の真ん中にあるテーブルを囲むように置かれているソファに銘々が腰を下ろした。あたしはもちろん匠くんの隣をいち早くキープした。
「麻耶ちゃん、今、何わめいてたの?」
「えー?二人がいないなーって思ったら、例によっていつもの如く、場所もわきまえず二人だけの世界に入りこもうとしててさー。相も変わらず、全くさあ」
漆原さんの問いかけに、呆れて物が言えないって顔で麻耶さんはぼやいた。
みんなの視線がこっちを向いて、匠くんと二人して顔を赤くした。
もお、うるさいなー。麻耶さんこそ、いい加減ほっといてくれればいいんじゃないの?毎度毎度、一々目くじら立ててないで。
恥ずかしがりながら、胸の片隅でこっそり麻耶さんに文句を言う。
九条さんがフードメニューの飲み物のページを開いて「飲みモン何にする?」ってみんなに呼びかけた。
「あたしビール!」
麻耶さんが先陣を切って申告する。
「おし!ビール飲むヤツ」
九条さんが注文を募る。「あ、じゃあ俺も」竹井さんが手を挙げる。「俺もビール」漆原さんも加わる。
「あたしもビールお願いします」
そう言ったのは由梨華さんだった。さっきのお店でもずっとお酒飲んでたし、やっぱり由梨華さん、結構お酒に強い人なんだ。
「おっ、いいねえ」
九条さんが嬉しそうな声を上げた。由梨華さんはちょっとはにかむ感じに小首を傾げた。
ビール派は九条さんも含め5名が集まった。
「あ、俺、ウーロン茶で」
飯高さんが言って、「ウーロン茶頼む人?」ってみんなを見回した。
「あたしもお願いします」栞さんが胸の前で小さく控えめに手を挙げた。
「萌奈美は?どうする?」
匠くんに聞かれて、「うん。あたしもウーロン茶でいいよ」って答えた。
頷いた匠くんは「僕と萌奈美もウーロン茶で」って伝えた。
「コーラお願いします!」
メニューを眺めていた千晴さんが最後になって注文を伝えた。
「おーし。じゃあ注文するぞ。つまみは適当に頼むからな」
そうみんなに確認してから、九条さんは壁に付いている受話器を取った。
「すいません、注文お願いします。えーっと、ビール5つ、ウーロン茶4つ・・・」
みんなのオーダーをまとめてフロントに伝えていく。最後に九条さんはポッキーとミックスナッツとポテトチップスを頼んで受話器を戻した。
「えーっとお、モモクロの・・・」「麻耶さん、最初はあたしとAKB歌いましょう!」
「何歌うかなあ・・・」「俺、『愛のバクダン』」
部屋にはカラオケのリモコンが二台あって、麻耶さんと千晴さん、飯高さんと竹井さんとが、それぞれ歌う曲目を探している。
竹井さんがB’zの曲名を挙げたのでビックリ。稲葉さんも相当な高音だよね。それを歌えるなんて、どうやら竹井さんは歌が得意みたい。
あたしの隣で匠くんは我関せずって素振りでその様子を傍観しているばかりだった。あたしとしては匠くんに歌って欲しいんだけどな。
曲選びで盛り上がってる麻耶さん達の様子を見ながら、そんなことを思ってた。
間もなく画面に映像が映る。天井から吊り下げられているスピーカーからドラムのシンバルのカウントを刻む音が流れる。
「ワン・ツー・スリー・フォー!」
マイクを握った千晴さんが勢いのある声で速いカウントを叫んだ。
すぐにスピーカーから軽快な曲が流れ出す。テレビの音楽番組とかでもよく聴くし、結香がいつも決まってカラオケで歌ってるので、曲の出だしだけであたしもすぐに何の曲か分かった。
「イエーイ!」イントロの流れる中、九条さんから威勢のいい合いの手が入る。竹井さんと飯高さんの二人が部屋に置いてあったタンバリンとマラカスをかき鳴らし曲を盛り上げる。
マイクを手にして並んで立った千晴さんと麻耶さんが曲に合わせて踊り出す。
「I want youー!」千晴さんを追っかけるように麻耶さんが歌う。「I want youー!」
もはや説明不要、今やカラオケで盛り上がる曲の定番「ヘビーローテーション」で幕を開けた。
千晴さんも麻耶さんも振り付けを完コピしているらしくて、笑顔の二人は歌いながらノリノリで息の合った踊りを披露している。千晴さんだけじゃなく麻耶さん までAKBの曲の振り付けを完コピしてるとは思わなかった。よくテレビの番組やYouTubeの映像で、“「ヘビーローテーション」踊ってみた”って動画 を見かけたりして、結構完コピできる人もいるみたいだけど、それにしても麻耶さんてホントつくづく多彩だよねえ。心から感心してしまった。大体、何処で覚 えたりするんだろう?ちょっと謎だったりもした。
やっぱりこういうテンポがよくて明るい曲って一気に盛り上がるよね。聞き覚えのある曲だからか、手拍子しながら栞さんや由梨華さんも画面に表示される歌詞 を目で追って口ずさんでいる。みんなと一緒に手拍子しながら、あたしも小さな声で歌った。隣では匠くんも一応お義理のように手拍子を打っていた。ちょっと 気のない素振りではあったけれど。
画面には本人達のPV映像が流れてて、下着姿の彼女達は結構セクシーだった。あんまり匠くんには観て欲しくないなあ、なんて胸の中でちょっと思ったりし た。こっそり匠くんの様子を盗み見たら、視線を感じたのか匠くんがこっちを向いた。目が合って、どうかした?って感じの匠くんの眼差しに、慌てて笑顔で頭 を振って誤魔化した。
一気にみんなの気持ちを盛り上げて、麻耶さんと千晴さんが歌い終える。ワーッ、って歓声と共に拍手が挙がった。九条さんが指を口に咥えて指笛を鳴らした。拍手を受けてちょっと照れるような笑顔を浮かべながら、麻耶さんと千晴さんはマイクをテーブルに置いてソファに座った。
短い静寂の後、エレキギターがかき鳴らされるイントロが流れる。竹井さんの掛け声が響く。ギターの音にドラム、ベースの音が重なる。
速いギターのリズムに乗って竹井さんが歌い出す。
聴き始めてすぐにビックリしてしまった。竹井さん、歌上手っ!
カラオケの曲って原曲より幾分キーを下げてあるのかも知れないけど、それでも竹井さんの声はすっごく高音部までよく伸びて、擦れたり裏返ったりもしなく て、思わず聞き惚れてしまうくらいメチャメチャ上手だった。歌声も何て言うんだろう艶があるっていうか魅力的で、所々ちょっと稲葉さんに似てるかもって感 じるところもあった。由梨華さん、千晴さんも手拍子しながらびっくりして目を瞠っている。
「竹井さん、歌上手いんだねー」
匠くんに顔を寄せて囁いたら、手拍子を打ちながら匠くんは笑って頷いた。
その時ノックの後にドアが開き、女性の店員さんが飲み物を運んできた。
「失礼します」そう言ってトレイに載った飲み物の入ったグラスを、店員さんがテーブルに置いていく。
運んできた物をテーブルに移し終えて店員さんはまた「失礼します」って告げて部屋を出て行った。
“1・2・3、さあ君は何処へ行くー!?”
ラストのサビに差し掛かって、いよいよ熱の籠った声で竹井さんは「愛のバクダン」を熱唱した。伸びのある高音が部屋に響き渡る。
「すっごい!竹井さん、歌メチャクチャ上手いですねー!」
歌い終えてソファに座った竹井さんに、千晴さんが身を乗り出して話しかけた。
「あ、ども。ありがとう」
興奮に目を輝かせている千晴さんに絶賛されて、竹井さんはちょっと照れたようにお礼を告げた。
「こんなにB’zの曲、上手に歌える人に会ったの初めてです」
「うん。あたしもです。B’zって音高いし、難しいですよね」
感激した声で千晴さんが伝えると、由梨華さんも口を揃えた。
ホント。カラオケでB’z歌う人って結構いると思うけど、上手に歌える人ってなかなかいないよね。
「そっすか?」
千晴さん、由梨華さんの二人にべた褒めされて、竹井さんは照れまくっている。
「おーい、次入ってねーぞぉ」
リモコンを操作している九条さんに呼びかけられた。
そんなこと言われたって、あんなに上手な歌聴かされたすぐ後に歌うのなんて、なかなか出来ないよ。上手な人のすぐ後に歌ったりしたら下手さが余計際立っちゃうじゃない。ちょっと後ろ向きな気持ちになって思った。
「栞ちゃんは?」
「いえっ、まだ曲選んでる最中です」
麻耶さんに聞かれた栞さんは焦ったように返事を返した。
「萌奈美ちゃんは何歌う?」
麻耶さんの矛先が今度はあたしに向けられる。
「あたしもまだ何歌うか決まってないっ」
慌てて首を横に振った。
「もーっ、みんな入れないんなら、あたし入れちゃうよ」
リモコンを手にした麻耶さんが不満げな顔で声を上げた。
「あっ、じゃあ、あたしも入れていいですか?」
声を弾ませて千晴さんが麻耶さんに身を寄せた。二人で顔を寄せ合ってリモコンを入力し始める。
「あれっ、二人して曲入れてんの?ずっりーなあ。じゃあ俺も入れようっと」
竹井さんが声を上げた。
「ちょっと待てっ。お前ら三人だけで歌ってンじゃねえっ!」
放っておいたら三人だけのカラオケ大会になりそうな気配に、九条さんがストップをかけた。
「んなこと言ったって、みんなが歌おうとしないのが悪いんじゃない」
麻耶さんが不服そうに抗議する。
「オラ、みんなさっさと曲入れねーと、このままだと三人で二時間歌いまくられかねねーぞっ」
九条さんが及び腰になってるみんなに発破をかけた。
そうこうしてたらイントロが流れ始めて、九条さんがマイクを取った。
「お前ら、ちゃんと曲入れろよっ」
マイクを持った九条さんがスピーカーを通してみんなに念押しした。イントロが終わり慌てて画面に表示される歌詞を目で追って九条さんが歌い始める。少し歌い出しが遅れてしまったみたいだった。
九条さんは先に歌った麻耶さんや竹井さんに較べたら明らかに格段下回ってはいるけれど、だけど音痴だったり下手って訳でもなくって、まあ人並みっていった トコだった。九条さんの歌を聴いて正直ほっとした。あんまりみんな歌が上手かったらどうしようって思い始めてたところだったから。
出せる音域は余り広くなさそうで、それは九条さん自身よく分かってるのか、あまり挑戦する感じの曲じゃなくて、今歌ってる曲も「世界に一つだけの花」、カ ラオケの大定番ソングだった。カラオケでは自分は歌って盛り上げたり聴かせたりって役回りじゃなくって、箸休めっていうか繋ぎ役、もしくは竹井さんや麻耶 さんの引き立て役って、自分の役回りを思ってる感じだった。決してうわあ上手って感じではないけど、それでも九条さんはよく通る声をしていて、声量があっ て堂々とした歌いっぷりで、みんな九条さんの歌に聞き入った。
曲が終わり「お粗末っ」って九条さんには珍しく、照れるような感じでマイクを置いた。やっぱり麻耶さん、竹井さんと較べられちゃうとそうなっちゃうよね。 でも聞いてたみんなちっともしらけてなくて、笑顔で称えるかのような拍手を贈ってた。あの二人のすぐ後に臆することなく、堂々と歌い切ったその潔さに感動 した感じだった。
「まだ歌ってないヤツちゃんと入れたかあ?」ソファに腰を下ろしてビールで喉を潤した九条さんは、すぐ様矛先をみんなに向けてきた。
ギクリ。九条さんの追及から逃れるように、慌てて曲名が載った分厚い本に視線を落とす。本で視線を隠すようにルーム内をそれとなく見回すと栞さん、由梨華さんも同じような動きをしていた。
気まずい沈黙を掻き消すようにイントロが流れ始めた。ホッと胸を撫で下ろす。
飯高さんがテーブルに置いてあるマイクを手に取った。
あっ、飯高さんが歌うんだ。飯高さんがどんな歌を歌うのか、少し興味が湧いた。飯高さんって、九条さんとか竹井さん、匠くん達の中にいると、特別飛び抜けててずば抜けてるってトコ見てないけど、でもソツないっていうか、ホッと安らぐ感じなんだよね。
そんなことを考えてて、飯高さんが歌い始めた歌を聴いたら、歌のレパートリーも飯高さんらしい感じだった。モンゴル800の「小さな恋のうた」。そう言え ばカラオケで結構よく歌われてて人気があるって、前テレビの情報番組でやってたのを思い出した。その時はまだ曲を聴いたことなくって知らなかったんだけ ど、ふうん、こういう曲だったんだ。オリジナルがどんな感じなのか知らないから分からないんだけど、でも飯高さんの雰囲気に合ってるって感じた。そんなに 熱唱する感じじゃなくって、ちょっと和むっていうか自然体っていうか無理のない感じ。飯高さんの歌うのを聴いてたら、上手な人がいるからって別に無理に背 伸びしたり、頑張ったりしなくていいんだって思えるようになった。自分が歌いたい歌を歌って、それで自分が楽しめればいいんだ、そう思えた。飯高さんがこ のメンバーの中で、やっぱりしっかりと重要な役割をちゃんと担ってるって改めてよく分かった。
カラオケでよく歌われてて人気があるって聞いてたとおり、麻耶さん、千晴さん、竹井さん達も知ってて、笑顔で口ずさんだり手拍子をしたりしていた。そうい えばサビの部分、“ほら あなたにとって大事な人ほど すぐそばにいるの ただ あなたにだけ届いて欲しい 響け恋の歌”ってメロディーは何処かで聴いた 覚えがあった。歌詞をずっと目で追ってたんだけど、いい歌詞だね。優しさに溢れてて。人気があるの、分かる気がする。
曲が終わって恐縮した感じで飯高さんが、「ども」って言いながらマイクをテーブルに戻す姿を、みんな微笑ましく思いながら温かい拍手を贈った。
続いて千晴さんが大塚愛さんの「さくらんぼ」を披露した。これもカラオケでの元気な女の子ソングの定番だよね。結香もよく歌ってる。千晴さんも麻耶さん、 竹井さんの二人ほどには上手な訳ではないけれど、でも千晴さんの可愛くて元気なイメージによく合ってるし、何より千晴さん本人がもうメチャメチャ楽しそう に歌ってる姿が見てて微笑ましくて、聴いてるこっちまですごく楽しい気分にしてくれる。麻耶さん、由梨華さんもよく知ってるのか、テレビ画面に流れる歌詞 を見ることもなく、歌う千晴さんに視線を送りながら小さく口ずさんでいる。
と、千晴さんの曲中思い立った感じで、由梨華さんがリモコンを操作して何か曲を登録し始めた。
イエーイ!最後まで元気いっぱいに千晴さんが歌い終わる。またもや九条さんが指笛を鳴らしてエールを贈った。
ドサッ、って感じで千晴さんがソファに倒れこんで来て、歌って喉が渇いたのかグラスのストローを咥えた。
続いて予告通り、麻耶さんがモモクロを歌った。「走れ」って曲。あたしはモモクロって今迄聴いたことがなくって、これが殆どモモクロの曲初体験って言えた。それにしてもホント、麻耶さん何処でモモクロとか聴いてるんだろ?謎は深まるばかりだった。
出だしからいきなり歌で始まった。いかにもアイドルっぽい感じ?そんなことを思っていたら・・・
ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!ハイッ!
な、何っ?正直ビビった。歌い出しの部分が終わって間奏に入った途端、野太い合いの手?掛け声?が入った。漆原さん、九条さん、竹井さん、飯高さんによる ものだった。何か本当のアイドルのライブみたいなノリだった。でも漆原さんにしても九条さんにしても、どうしてそういうの知ってるの?何処で一体覚えるんだ ろ?カラオケで?・・・みんな不思議だ。
麻耶さんは歌によって微妙に雰囲気を変えていた。そういうことができるのも麻耶さんの多彩さを物語っていた。さっきのAKBも元気がよくてポップで可愛 かったけど、今歌っているモモクロに較べてキュートさが歌声にあったと思う。あと多少のセクシーさ?一方、モモクロの方はもっと弾けてるっていうか元気さ を全面に出してる感じ。歌が上手なだけにそういう風に歌声を変えたり、歌ってる時の雰囲気を変えたりとか出来るんだろうなあ。上手な麻耶さんの歌を聴きな がら、ひたすら感心してしまった。
モモクロの「走れ」は、曲は本当にアイドルらしい明るい曲だったけど、歌詞をよくよく注意して聴いてたら、内容は男の子目線の片想いの歌だった。通学の電 車の中で何度も見かける女の子を好きになってしまった、甘酸っぱい青春って感じの、胸がキュンってなるような可愛い恋を歌ってて、あたし結構好きかも。
本当は麻耶さんは「行くぜっ!怪盗少女」とか歌いたかったそうだけど(そう聞いてもあたしにはどんな歌なのか全然わかんないんだけど)、ちょっと勇気が出 なかったのだそうだ。でも、麻耶さんが勇気が出ないなんて、一体全体どんな曲?それで「走れ!」は“モモクロの中では”割りと普通に恋愛を歌ってる曲なの で、今回はこの曲で手を打ったのだそうだ。あたし的には聴き易くてよかったけどね。
麻耶さんのモモクロが終わり、みんなが盛大に拍手を鳴らす中、「やー、楽しかったあ」って言って麻耶さんはソファへと戻った。
すぐに次の曲のイントロが流れ始めた。モモクロの元気な曲から一転して、静かで淋しげな曲調だった。
聞き覚えのない曲だったので、誰の曲だろうって思ってテレビ画面に表示される曲名と歌手名に注目した。
「プラネタリウム」っていう大塚愛さんの曲だった。そっと淋しい曲、何処か物悲しい曲、ってそんな感じ?知ってる大塚愛さんの雰囲気とは随分違う曲だったので、愛ちゃん、こういう歌も歌うんだってちょっと意外な驚きだった。
「しゃれた選曲するね、由梨華ちゃん」
曲を知ってるらしい麻耶さんが感心した声で漏らした。マイクを持った由梨華さんが、ありがとうございますって答えるように微笑んだ。
由梨華さんの歌はその淋しい曲の雰囲気によく合っていた。朗々と歌い上げるとかじゃなく、声量もそれほどある方じゃないみたいで声を張るような歌い方じゃ なく囁くように歌ってて、でもサビの部分では少しキーが上がって苦しそうではあったけど綺麗に声が伸びてて、すごく素敵な雰囲気にルーム内は包まれた。こ んな曲女の子に歌われたら、何だか男性はちょっとドキッとしちゃうんじゃないのかな、なんて思った。匠くんがそんな気持ちになってしまわないか、少し心配 になった。
しっとりした雰囲気に包まれて曲が終わった。
拍手もその雰囲気を壊さないよう少し気遣うかのように控えめで、でもこの綺麗な澄んだ空気を生み出した素敵な歌声に、惜しみない賞賛を贈る感じだった。
「由梨華ちゃん、すごく素敵だった」
歌い終わった由梨華さんに栞さんが拍手と共に賛辞を贈った。
「今日は上手に歌えました」
照れ隠しのような感じで、小さく肩を竦めて由梨華さんが言う。ダメな時はサビの部分で声が震えてしまったり、裏返ったりしてしまうのだそうだ。
だけど、こんだけ雰囲気があって綺麗な歌が歌えれば十分すごいし、羨ましいな。
「萌奈美、歌わないの?」
匠くんに顔を覗き込まれた。う・・・どうしよう。
「匠くんに歌って欲しい」
匠くんの瞳を見つめ返してリクエストした。匠くんはほんのちょっと困ったような目をしたけど、でもすぐにあたしのお願いを聞いてくれるつもりで、頷いてくれた。
「何がいい?」
「ミスチル」
「何でもいい?」
「匠くんは、歌うんだったら?」
歌って欲しい曲はいっぱい、それこそ残り時間がなくなっちゃうくらい一杯あるけど、でも匠くんが歌ってくれれば何でもいい。
「『CrossRoad』でいい?」
匠くんの申告に頷く。
二人でリモコンを操作して「CrossRoad」を入力し、決定を押した。リクエストが送信される。
次は漆原さんのリクエストした曲が流れた。「残酷な天使のテーゼ」。あたしもこの曲が『エヴァンゲリオン』っていうアニメーションの主題歌であることくら いは知っている。ちょっと場違いな感じがしないでもないけど、意外にもカラオケでよく歌われる曲なんだって教えられた。漆原さんの十八番みたいで、九条さ ん達はよく分かってる感じで囃し立てて、千晴さんも知ってるらしく声援を贈ってて、思った以上に盛り上がりを見せた。
 


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