【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Cheerful Festival!(2) ≫


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翌朝は4時過ぎに起床した。正味三時間位しか寝られなくて眠くて仕方なかった。仕度をしている間中、何度も欠伸が出た。
車に乗ってから匠くんが、新都心駅に着くまで目閉じて休んでて、って言ってくれて、匠くんの言葉に甘えることにした。助手席で目を瞑っていたら、車の揺れがいい揺り篭代わりになって、いつの間にかうとうとしてしまった。
新都心に着く寸前で起こされた。
「萌奈美、もう着くよ」って匠くんの声が聞こえて、はっとした。ちょっとぼんやりした頭で窓の外に視線を投げたら、見覚えのあるさいたま新都心付近の景色が目に入った。
「あ、ごめん。また、うとうとしちゃった」
「いや。少しは休めた?」
短い時間だったけど何だか気持ちよく眠れて、今はすごく意識がしゃっきりしていた。
「うん。すっごく」って元気よく頷き返した。
「それはよかった」匠くんが嬉しそうに笑った。
すぐにさいたま新都心駅に到着した。駅からのエスカレーターを降りてきた通り沿いの歩道に、もう春音と夏季ちゃんは到着していて、通りを走る車にしきりに 視線を投げている。後続車が来ていて二人の前に車を停められなくて、匠くんはそのまま通過して少し行ったロータリーに車を寄せた。
「あたし、呼んでくるね」
「うん。頼む」
ハザードランプを出して路肩に停車しているオデッセイを降りて、あたしは信号を渡って二人の待っている場所まで走って行った。二人も走って来るあたしにすぐ気付いてくれた。
「萌奈美ちゃん。おはよー」夏季ちゃんが手を振った。
「おはよう。春音。夏季ちゃん」
二人の元に駆け寄り、弾む息で挨拶を告げる。
「おはよう。萌奈美」
穏やかな笑顔で春音が答えた。
「二人共待った?」
訊ねたら「ううん」って夏季ちゃんが首を振った。
「あたし達もぉ、ついさっきぃ着いたトコだよぉ。春音ちゃんとぉ同じ電車に乗っててねぇ、改札でばったり会ったのぉ」
朝から間延びした夏季ちゃんの話しぶりだった。そうなんだ、って相槌を返した。
「車ね、この先のちょっと離れた所に停めてあるんだ」って説明した。
これからしなくちゃならないことがあってのんびりもしていられなかったので、二人を連れてすぐに車に戻った。
どうぞ乗って、って二人を促して、自分も助手席のドアを開けて乗り込んだ。
シートベルトを締めていたら、後部座席に乗ってきた二人に匠くんが振り返って「おはよう」って声を掛けた。
「おはようございます。こんな朝早くからすみません」
早口で春音が返事を返した。
「おはよーございますぅ。昨日はぁお世話になりましたぁ。今日もぉお世話になりますぅ」
ワンテンポ遅れて夏季ちゃんも告げた。
「いや」
匠くんは愛想のない声で一言答えて、すぐに車を発進させた。
「眠れたぁ?」
夏季ちゃんに聞かれた。
「うーん。三時間くらいかなあ」
あたしの返事に夏季ちゃんは「やっぱりそーだよねぇ」って相槌を打った。
「さっきまで眠くて仕方なかった。来る間ちょっとうとうと出来て、今はかなり復活出来たけど」
後ろを振り返って笑って話した。
「そっかぁ。あたしは結構平気なんだよぉ」
えっへん、って胸を張る感じで夏季ちゃんが言った。へえ、そうなんだ。夏季ちゃん、普段からぼおっとしてる感じだから、てっきり朝とか弱そうに見えるし、八時間以上寝なきゃだめな人だとか勝手に思い込んでた。
「春音は?眠くない?」春音に話題を振ってみた。
「別に。平気」
あっさり答えられた。まあ、春音は何となく夜も朝も強そうで、寝不足なんてならなそうに見えるけどね。っていうか、春音って眠るのかな、ってそんな本人に対して失礼極まりない疑問さえ、ちらっと頭を過ぎった。

ナビの道案内で迷うこともなく、佐伯さんちに到着することができた。家の前の道幅の広い道路には、何だか見覚えのある赤い小型車が停まっていた。匠くんはそのすぐ後ろの路肩にオデッセイを停車させた。その赤い小型車は、学校で見かけたことのある美南海先生の車だった。
あたし達が車から降りていると、佐伯さんちのガラスドアが開いた。中から現れたのは美南海先生だった。
「おはようございます、前河先生」
あたし達三人は慌てて挨拶を告げた。
「おはよう。三人ともご苦労様」
先生はあたし達に言いながら、運転席から降りてきた匠くんに視線を向けた。匠くんを見てちょっと訝しい表情になった。
「あの、初めまして、文芸部顧問の前河と申します。この度はお世話になります」
匠くんの前に立った美南海先生は名前を告げて頭を下げた。
「・・・どうも初めまして」
そこで匠くんは一度言葉を切った。一瞬逡巡したみたいだった。
「佳原です」
匠くんも名乗り返して頭を下げた。
「佳原、さん?」
美南海先生は眉を顰めた。そしてすぐに、え?と口元に驚きを浮かべた。
「あの、佳原さんって、もしかして・・・?」
少し困ったような顔をして匠くんは頷いた。
「ええ・・・佳原匠です」
「え!?でも、どうして・・・」
美南海先生は今度こそびっくりして目を見開いた。それはそうかも知れない。プロのイラストレーターの匠くんが、文芸部のために表紙イラストを描き下ろして くれたり、こんな早朝からこうしてあたし達三人を送って来てくれたりってことが、不思議に思えるに違いなかった。表紙イラストを描いてくれることになった 理由について、あたしは明言を避けていたし。
「その・・・阿佐宮さんとは、何ていうか、ちょっとした知り合いで・・・」
匠くんが歯切れ悪く説明するのに、あたしもまさか先生に「匠くんはあたしの婚約者です」なんて言う訳にもいかなくて、神妙な顔で頷き返した。
先生はまだ不審そうな視線ではあったけれど、それ以上追求するのも躊躇われたみたいで、小さく頷いた。
「そうなんですか・・・昨年、今年と二年も続けて、文芸部の部誌の表紙に大変素晴らしい絵を描いていただいてありがとうございました」
美南海先生はお礼を告げてから気がついて「ひょっとして、昨日のチラシ作りもご協力いただいたんじゃ?」って匠くんに問いかけた。
匠くんは「まあ・・・」って言葉を濁すように答えた。
「重ね重ねお世話になってすみません。本当に色々とありがとうございます」
恐縮した感じで深々と頭を下げる美南海先生に、匠くんは「いえ・・・」って困惑気味にお辞儀を返した。
「先生、時間がないので始めたいんですけど、いいですか?」
春音が美南海先生と匠くんとの会話を遮るように問いかけた。
「え、ああ、そうね」
美南海先生は少し戸惑ったような表情を浮かべたけれど、すぐに頷き返した。
「佳原さん、コピーしたチラシを学校まで運んでくださるっておっしゃっていただいてますけど、学校へはあたしが運びますので大丈夫ですから」
美南海先生が匠くんに向き直って告げた。
「え、ですが・・・」
「佳原さんにお世話になりっ放しでは申し訳ありませんので」
困惑したように匠くんが言いかけると、先生はそう説明した。
「いや、別に、そんなことは・・・」
「時間がないので十分なお礼も申し上げられなくて申し訳ありませんが、大変お世話になりありがとうございました。今日、文化祭は一般公開日になっています ので、もしよろしければ文化祭にお越しくだされば嬉しいんですけど。文芸部も展示発表をしているので、ご覧いただけると生徒達も喜ぶと思います」
すぐには了承しない様子の匠くんに、先生はそう告げて頭を下げた。そしてあたしに「阿佐宮さんもお誘いしておいてね」って言ってから、匠くんに「それでは失礼します」って断って、春音と夏季ちゃんの二人と一緒に佐伯さんちに入って行ってしまった。
匠くんは戸惑いながら辛うじて「どうも」って会釈を返した。ぽつんと立ち尽くす匠くんの様子をあたしは窺った。
「匠くん、先生もああ言ってくれてるから、後は大丈夫だよ」
気遣いながら声を掛けた。
「ああ、うん・・・」
拍子抜けしたような匠くんの返事だった。
「あの、送って来てくれてどうもありがとう。他にも色々と手伝ってくれて本当にありがとう」
ちょっと励ますつもりでお礼を言ったら、匠くんが気付いたようにふっと顔を綻ばせた。
うん、って匠くんは笑って頷いた。
あたしもほっとして、笑い返した。
「文化祭、絶対に来てね。待ってるから」
力を込めて言ったら、匠くんが「分かってる」って答えた。
「一般公開は9時半からで、あたし、11時にはフリーになるから。時間になったら迎えに行くから、校門を入った所で待っててくれる?」
匠くんは、うん、って頷いた。
「じゃあ、急がなくちゃいけないから。送ってくれてありがとうね」
「頑張って萌奈美」
「匠くんも運転気をつけてね」
匠くんの励ましの言葉が嬉しくて、思いっきり笑顔で手を振った。
匠くんのオデッセイが走り去ってから佐伯さんちの事務所に入ったら、興味津々の視線が待ち構えていた。
「萌奈美ー、どーゆー関係?」
「そーですよー。何かすっごい仲良さそうっていうか、親しげな感じ?」
言われて少し顔が赤らんだ。匠くんとのやり取りを見られてるとは思ったけど、でも隠すつもりもなかったので普段と変わらずに振舞った。名前で呼び合ってる のだってきっと聞かれたし、単なる仲良さそうとか親しい知り合いとかってレベルとは思われてないだろうな、って思った。けど、知らん振りを決め込んだ。
「ノーコメント」
一言言って春音達の作業を手伝い始めた。
「えー、怪しい」とか言う声が聞こえて来たけど、聞く耳持たなかった。

枚数が枚数なだけにコピーするのにも結構な時間が掛かってしまって、コピーを終えたのは7時を回ってしまっていた。大急ぎでコピーしたチラシを美南海先生 の車に積み込んだ。大量のカラーコピーはインク代とかも馬鹿にならないって思われて、先生は快くコピーさせてくれた佐伯さんのお父さんに、全額は無理だと 思いますが部費から幾らかでもお支払いします、って申し出た。佐伯さんのお父さんはとっても温和な笑顔で、そんな気を遣わないでください。娘の頼みを聞く ことができて、私自身嬉しく感じてることなんですから。そう言って丁重に断っていた。その場にいたあたし達文芸部員一同、佐伯さんのお父さんに心からの感 謝を込めて「どうもありがとうございました」ってお礼を言って頭を下げた。
「陽菜さんを始め生徒達が一丸となって取り組んだ文化祭を、是非ご覧になりにいらしてください」
そう佐伯さんのお父さんに美南海先生が伝えて、お礼も早々に学校に向けて出発した。あたしと春音と夏季ちゃんは、自転車部隊のみんなにはちょっと心苦しく感じつつ、先生の車に同乗させてもらった。
窓から空を見上げたら、雲が切れて秋の澄んだ青空が顔を覗かせ始めていた。天気予報では日中に向けて晴れ間になって来て、秋晴れの一日になるとのことで、絶好の文化祭日和が期待出来た。
学校に着いて、待ち構えていた文芸部のみんなで、完成したチラシを物理講義室まで運んだ。チラシの出来を見て、部員みんなが誉めそやしてくれた。すっごい いい出来じゃない。このチラシなら貰った人、実物はどんなモンかな、って興味持って見に来てくれるんじゃないかな。そう言ってもらえてすごく嬉しかった。
「さっすが、夏季部長」
二年のコに煽てられて、えっへん、って胸を張った夏季ちゃんは「やっぱりぃ?」って得意げな顔だった。
春音はというと、褒められても別に大して嬉しそうでもなく「そう?ありがと」って素っ気無く答えていた。

8時半になって朝のショートホームルームがあるので一旦教室に行った。
美南海先生から今日の日程と一般公開にあたっての諸注意を聞いて、一般公開前の全校清掃をおこない、時間は9時過ぎになっていた。
文芸部の準備の方は担当のコに任せ、クラスのアイスクリーム販売の準備をした。春音は副部長ってこともあって、クラブの準備に顔を出しに行った。
ばたばたと忙しなく動き回ってるうちに時刻は9時半を迎え、一般公開が始まった。教室の外からは賑やかに自分のクラスを宣伝する大きな声が聞こえてくる。 すぐに廊下にざわめきが響き、大勢の一般公開のお客さんが訪れ始めた。教室の前では呼び込み担当のコ達が「3の3、アイスクリーム販売してまーす!」って 声を張り上げている。
昨日と同様、今日販売するアイスクリームは開始時間までに届かなくて整理券を配っていたら、突然「3年3組の生徒、事務室まで来てください」って校内放送がかかった。「何だろう?」って言って、クラス委員の女のコ二人が教室を出て行った。
少しして、走って戻って来た彼女達が興奮した顔で「ちょっと、手空いてる人、来て!」って呼びかけて来た。教室に5人だけ残してみんなで彼女達の後につい て行ったら、事務室前の職員用玄関口に宅配便のトラックが停まっていて、運転手の人が荷物を運び込んでいるところだった。荷物は発砲スチロールの箱で、既 に十数箱が積み上げられていた。一目見てすぐにアイスクリームの入っている箱だって分かった。わあっ!て歓声が上がる。後で聞いたんだけど、昨日届いた時 はお昼近くになってしまったので、その時受け取ったコが、明日はもっと早く届けてもらえませんか、ってお願いしていて、ドライバーさんが今日は早めに届け てくれたのだった。
発泡スチロールの箱は全部で20箱あって、みんなで大急ぎで教室へと運んだ。
アイスクリームが届いて何だか教室が活気づいて、呼び込みの声にも自然と熱が籠った。あたしもお金を受け取ったりお釣りを渡したりしながら、気持ちが弾んで元気な声で受け答えをした。
教室の外で「校長先生!アイス買ってくださーいっ!」「校長先生ー、お願いしまーす!売り上げにご協力を!」って叫ぶ声が聞こえた。そして、やれやれ、っていう感じで苦笑いを浮かべた校長先生が教室に入って来た。
「えーと、じゃあ、アイス8個貰おうかな?」
校長先生の注文を聞いてびっくりしてしまった。えっ、そんなに?って思わず校長先生を見つめ返した。
あたし達が心配そうな、或いは呆気に取られた視線を向けているのに気付いて、校長先生はまた苦笑を浮かべた。
「あ、それから、ちょっとデリバリーをお願いできる?」
デリバリー?レジ担当のみんなで訝しんでいたら、校長先生は茶目っ気のある笑顔で言った。
「そのアイスをね、事務室に届けて欲しいんだ」
ああ、なーんだ。そういうことか。一同納得した。8個も売り上げに貢献してくれた校長先生に、クラスメイト一同深くお辞儀してお礼を言った。校長先生が教室を出て行った後、クラスメイトの一人がビニール袋にアイスを詰めて事務室に届けに行った。
一般公開開始直後から売り上げは上々で、忙しくしている間に受け持ちの時間は結構すぐに経ってしまった。11時になって次の販売担当のコと交代して教室を後にした。
一度文芸部が展示発表をしている物理講義室に顔を出した。
「どう?」
この時間受付をしている春音に訊ねた。
「まあまあなんじゃないかな。部誌の売れ行きも結構いい感じよ。チラシを配ってるコ達も頑張ってくれてるみたいで、チラシを手に来てくれるお客さんが結構いるしね。萌奈美、よかったらちょっと様子見て来てくれる?」
春音に言われて、うん、分かった、って答えて、まあまあの人の入りにほっとしてから、一般のお客さん用の入口に足を向けた。
他の多くのクラスやクラブの宣伝係の生徒が、大声で自分達の展示発表や販売のPRをしているのに交じって、文芸部のコが精一杯声を張り上げてチラシを配っていた。一緒に頑張っている夏季ちゃんの姿もあった。
「みんな、お疲れ」
声を掛けたら、夏季ちゃんがあとの二人に宣伝を任せてその場をはずれた。
「部屋の方はぁ、どんな感じか知ってるう?」
「うん。今ちょっと見て来たとこ。いい感じみたいよ。三人が頑張ってくれてるからだよ」
あたしの返事を聞いて、夏季ちゃんは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ほんとお?よかったあ。嬉しーなー」
その笑顔にちょっと胸がズキンってした。これからあたしは匠くんと文化祭を回るつもりで、あたし一人楽しんでていいのかな、って思った。あたしも文芸部のために手伝わなくちゃいけないんじゃないのかな。
「夏季ちゃん・・・あの、あたしも一緒に手伝おうか?・・・」
胸の中に躊躇う気持ちがあって、何処か消極的な聞き方になってしまった。
おどおどと聞くあたしに、夏季ちゃんは屈託のない笑顔を浮かべた。
「んーん。萌奈美ちゃんはぁ、これからぁ、佳原さんと文化祭見て回るんでしょお?佳原さんにはぁ、とーってもお世話になったんだからぁ、お礼の意味も込めてぇ、萌奈美ちゃんがぁ、しっかりぃ、案内してあげてねー」
にこにこ笑いながら言われた。
「でも・・・」気まずさを感じながら言いかけた。
「萌奈美ちゃんにはぁ、午後にぃ、ちゃあんとぉ、頑張ってもらうんだからー、気にしなくていいんだよぉ、楽しんで来てねー」
温かい夏季ちゃんの笑顔に送り出されるようにしてその場を離れた。匠くんとの待ち合わせ場所に決めてある校門前に向かった。

昇降口で外履きに履き替えて、校門を入ってすぐの所に作られた文化祭のアーチまで行った。訪れた大勢のお客さんが、アーチをくぐって入って来る。アーチか ら一般客用入口に続く列の余りの人数に正直びっくりしてしまった。父兄か或いは近隣に住んでると思しき大人の人、他校の制服を来た高校生や中学生のグルー プ、OBらしき大学生くらいの人達、列に並ぶ客層は様々だった。大勢の人の中で、アーチから少し離れた場所に立っている匠くんと麻耶さんを見つけた。
「匠くん!麻耶さん!」
大きな声で呼びかけたら、気付いた匠くんと麻耶さんがあたしを見て笑い返した。
「いらっしゃい。市高祭にようこそ」
嬉しくてにこにこ笑いながら言った。
「すっごい人出ねー」
ぞろぞろと続くお客さんの列を見て、麻耶さんが驚きの声を上げた。麻耶さんはシンプルなシャツとジーンズ、それから変装なのか髪をアップにして帽子を被り、伊達眼鏡を掛けていた。
「でも麻耶さんの頃だって大勢来てたでしょ?」
「んー、どーだったかなあ?」
あたしが聞き返したら麻耶さんは首を捻った。
匠くんと麻耶さんと一緒に、一般客用入口に続く列に並んだ。昇降口でスリッパに履き替えた二人に、ちょっとここで待ってて、って断って急いで上履きに履き 替えに行った。戻って来て二人を案内して文化祭を見て回った。廊下はものすごい人混みで、先に進むのも一苦労だった。人いきれで汗ばむくらいだった。屋台 風の飾りつけをして、フランクフルトや焼きそばを販売してるクラスで買い食いしたり、家庭科部の手作りクッキーを買ったりした。写真部や美術部の展示にも 足を運んだ。美術部の展示では、昔、匠くんもいたクラブだからか、感慨深そうにじっくりと展示を眺めていた。ちょっぴり懐かしく感じたりしてるのかなっ て、その横顔を見て思った。視線に気付いた匠くんがあたしの方を向いて、少し照れたように笑った。何だかちょっと優しい気持ちになって笑い返した。
「はい、ごめん。何こんなとこでいいムードになってんのかねー」
そう言って麻耶さんがあたしと匠くんの間に割り込んで来た。もおっ、麻耶さん、やっぱりお邪魔虫なんじゃない。ちょっと不満げに胸の中で文句を呟いた。
職員室の前を通りかかった時、丁度廊下に出て来た先生を見た麻耶さんが、嬉しそうな声を上げた。
「真東(しんとう)先生!」
名前を呼ばれた先生はびっくりしたように振り返った。顔は見たことがあったけど、学年が違うのであたしはその先生のことはよく知らなかった。一瞬、真東先生は自分の名前を呼んだ相手が誰か分からず、怪訝そうな顔をした。
「お久しぶりです。佳原です。覚えてらっしゃいます?」
麻耶さんは眼鏡と帽子を取ってにっこり笑った。
やっと真東先生も麻耶さんのことが分かって、びっくりした表情を浮かべ、それから嬉しそうに笑顔になった。
「佳原!もちろん覚えてるよ。久しぶりだなあ!」
後で麻耶さんが話してくれたんだけど、真東先生は弓道部の顧問をしていて、麻耶さんは部活で指導してもらっていたのだそうだ。
「お元気そうですね」
「佳原もな。すっかり有名人になっちゃって」
恩師にそう言われて麻耶さんは少し面映そうだった。「いえ、そんなこと・・・」って謙遜していた。
「どうしたんだ?今日は」改めて真東先生は疑問を口にした。
「三年の阿佐宮さんとちょっとした知り合いなんです。彼女に誘われて今日は兄と一緒に文化祭を見に来ました」
麻耶さんの話に、真東先生があたしのことを見たので、あたしは先生に会釈した。
「兄のことはご存知でしたっけ?」
麻耶さんに聞かれて真東先生は微妙な顔で頷き返した。
「ああ、まあ。直接話したことはなかったかな。佳原のお兄さんってことで知ってはいたけど」
「どうもお久しぶりです」
匠くんも神妙そうな顔で真東先生に会釈をした。
「阿佐宮さんは知ってます?」
麻耶さんが先生に訊ねた。
「ああ、うん」真東先生は頷いた。
「阿佐宮三姉妹の一番上のお姉ちゃんだよな?」
真東先生の返事にびっくりせずにはいられなかった。そんな、三姉妹なんて呼ばれてるなんて初耳だった。それから真東先生は説明するように付け加えた。
「一年の妹さんのことは担当してる学年だから知ってるし、二年の妹さんは有名人だからな」
聖玲奈が校内で有名であることはもちろん知ってたけど、先生にまで言われて正直恥ずかしかった。顔を赤くして俯いた。
「これから何処か見て回るのか?」
「いえ、別に特に予定がある訳じゃないんですけど」
麻耶さんの返答を聞いて、真東先生は「じゃあ」って声を弾ませた。
「よかったらちょっと寄ってかないか?久しぶりだから話聞きたいし、他にも顔見たがってる先生も大勢いると思うし」
職員室を指し示して真東先生は麻耶さんに問いかけた。
「本当ですか?是非!」
麻耶さんも顔を綻ばせて答えた。
「じゃあ、萌奈美ちゃん、匠くん、後で電話するね」
そう言って麻耶さんは真東先生の後に続いて職員室に入って行ってしまった。
匠くんと二人廊下に取り残されてちょっぴり呆気に取られながらも、これで匠くんと二人っきりで回れるって、実は内心大喜びだった。
匠くんと二人になって、まず結香のクラスのお化け屋敷を見て回ることにした。そう思って廊下を進もうとして、人混みになかなか思うように進むことが出来な かった。すぐにあたしと匠くんの間に人が割り込んでくるし。もお、って思いながら匠くんの手を握った。突然学校の中で手を繋いだので、匠くんはぎょっとし たみたいだった。
「萌奈美っ?」
焦った声で匠くんが名前を呼んだ。
「まずいだろ?」そう匠くんに聞かれて、「別に。大丈夫だよ」って平然と答えた。
うろたえている匠くんに構わず、手を繋ぎ合ったままずんずんと人混みでごった返す廊下を突き進んだ。
結香のクラスのお化け屋敷は大盛況で、入場待ちの長い行列が廊下に出来ていた。これは30分以上待たなきゃ駄目かもって思いながら、仕方なく列に並んで 待った。列に並ぶと匠くんはさりげなく繋いでいた手を離した。多分他の生徒や先生に見咎められないようにって気遣ってくれてのことなんだろうけど、でも ちょっと意気地なしって不満に思った。別にいいじゃない。匠くんとあたしが恋人同士だって、あたしは誰にも内緒にするつもりなんてないし、誰にばれたって 全然構わないし、堂々と誰にだって言い張れるよ。そう思った。
やっと順番が来て、暗幕で閉ざされた入口をくぐった。中は外からの明かりを遮断して真っ暗で、細かく仕切られた通路は狭かった。お化け屋敷のお約束どおり 匠くんと手を繋ぎ合った。匠くんも人目がないせいか、お化け屋敷の中では手を繋ぐのにあまり抵抗ないみたいだった。文化祭の出し物なので別段どきどきもし ないで順路を進んだ。ところどころでお化け役の生徒が驚かそうとして現れるんだけど、そのチープさに恐がったりびっくりしたりするより笑ってしまった。恐 いっていうより面白いって言った方が正しかった。途中現れた白い着物姿のお化けに「あ、萌奈美?」って名前を呼ばれた。結香だった。匠くんを認めて、 「あ、佳原さん。どうもこんにちは」ってお化け役であることも忘れてお辞儀をするので、可笑しくて声を上げて笑ってしまった。もう最高。
匠くんも失笑している。
「お昼からはあたしも空くからさ、そしたら一緒に回ろうよ」
額から血糊を垂らしている顔で誘われた。思えばシュールな感じがしないでもなかった。
「誉田さんは?」
「あたしが空くのに合わせて来るって」
あたしの問いかけに結香は答えた。
二人だけで回らなくっていいのかな?そう思ってこっそり聞いたら結香は、そんなの全然構わないよ、って笑った。
「じゃあ終わったら携帯に連絡頂戴」
結香は「分かった」って頷いた。
お化け屋敷を出てから自分のクラスに行った。丁度千帆がレジ係をしていて、前もってキープをお願いしてた二人分のアイスを出してもらった。
「こんにちは。佳原さん」
あたしの後ろで少し居心地悪そうにして立っている匠くんに、千帆はお辞儀をした。
「どうも。久しぶり」
匠くんはやけに小声で挨拶を返した。
「さっき結香と会ってね、お昼からフリーになるから一緒に回ろうって言われた。誉田さんも来るんだって」
「そうなんだ。分かった。あたしも一緒に回る」
千帆に頷き返しながら訊ねた。
「宮路先輩は?」
「もう来てると思うよ。あたしの担当が終わるまで、先生と会ったりしてるって言ってたから」
宮路先輩はこの春卒業したばっかりだし、在校時は有名人だったから顔見知りの先生や仲のいい後輩も沢山いて、一人でも多分全然暇を持て余したりしないんだろうなって思った。
千帆とも終わったら連絡を取り合うことにして、アイスのお金を払って、匠くんと手を繋ぎ直して教室を出た。手を繋いだ時、匠くんはやっぱり戸惑ってたし 焦ったような顔をしていた。実はあたしもちょっと心の中で、クラスメイトにどう思われるかなって心配がなかった訳じゃないけれど、でもいいや、って気楽に 考えることにした。
後で千帆に言われたんだけど、やっぱり居合わせたクラスのコから「誰、あの人?」とか「阿佐宮さんの彼氏?」とか「えーっ、阿佐宮さんって付き合ってる人いたんだあ」とかって随分話題にされたみたい。もう、別にいいじゃん。大きなお世話っ。
それで千帆もあたしと仲いいから、匠くんのことを知ってるか聞かれたんだって。でも千帆はううん、よく知らない、って答えてくれたのだそうだ。
少し呆れ口調で千帆に言われた。
「萌奈美って結構度胸あるよねえ」
「そう?」
ちょっと気恥ずかしさを感じながら、それを誤魔化して平然とした声で答えた。
「但し、佳原さんのことでは、だよねー」
結香にも冷やかされた。
えーい、うるさいっ!開き直るつもりで胸の中で思った。
そうだよっ。匠くんのことでは恐いもの知らずになれるんだからっ。


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