【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Anniversary 第2話 ≫


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「萌奈美、何読んでるの?」
あたしの席にやって来た千帆に聞かれて、手元の文庫から顔を上げた。
「ん、『赤頭巾ちゃん気をつけて』」
「それ、前読んでなかった?」
「うん。また読み返してるの」
不思議そうな顔の千帆にあたしは笑って答えた。
「大好きな本って、時々読み返してみるの。そうすると、前読んだ時には気付かなかったことに改めて気付いたり、時間を置いて読み直すとまた違ったことが心 の中に浮かんで来たりして、それとか大好きな本を読み返すと、その本を最初に読んだ時に思ってた大切なことを改めて思い出したりとか、初心を思い出すって いうか・・・以前のあたしが抱いてた掛け替えのない大切な思いが胸の中に甦って来たりするの」
「ふうん・・・」
千帆はあたしの言うことがいまひとつピンとこないようではあったけれど、でもだからって軽く笑い飛ばすようなことは絶対になくて、“そうなんだ”“よかったね”っていうみたく、あたしの気持ちを尊重するような優しい眼差しで頷いてくれた。そんな千帆が大好きだった。
今やこの作品はあたしにとって掛け替えのないすごく大切な一冊になっている。
なんてったって、この本は匠くんと出逢った日、匠くんに教えて貰って読んだ記念すべき最初の一冊なんだもの。
一年前のあの日、あの時の気持ち、匠くんと出逢ったその日に、初めてこの本を読んでとっても温かい気持ちになって、すごく胸が熱いもので満たされたあの真夜中を思い起こすように、この本を読み返していた。

時代だって全然異なってて、この物語で語られている時代はあたしの生まれるずっとずっと前のことで、その時代のことなんて何一つ知らなくて、ママとパパ だってこの時のことなんて知らない位で、聞き齧ったところではこの頃は“政治の季節”とか呼ばれたりしてて、大勢の大学生が警察と対立したり新宿の街中で 通りを埋め尽くして行進したり、この作品の中でも触れられてるけど東大の建物を大学生が占拠して立て籠もったりなんかしたそうなのだ。それは本当にあった ことで、そう聞かされても何だか信じられなくて全然想像もつかなくて、あたかもまるでお話の中の架空の歴史のような感じしかしなかった。
匠くんはこの『赤頭巾ちゃん気をつけて』とか、アニメーションの監督で押井守さんっていう人のファンだったりして(匠くんは今ではあまり公言したがらない けど、中学、高校の頃はかなりな「オタク」だったらしいのだ。今ではあんまりアニメも漫画も見なくなっちゃってるんだけど。でも何でオタクだったことを隠 したがるのかよく分からないんだけど・・・アニメとか漫画とか今や日本が誇る文化のひとつなんじゃないのかな?・・・でも、あたしが以前そう聞いてみた ら、匠くんはそんなのマスコミの煽りだったり政治家が口先で言ってるだけの話で、文化なんて呼べるレベルじゃないって言ってた。結局、ごく一部の才能のあ る人がレベルを引っ張り上げてるだけで、総体としては内輪受けに終始するような底の浅い世界だって随分辛らつに評していたんだよね。でも、そう話す匠くん はとっても熱い口調で、なんて言うのかな、好きな故に手厳しいっていうか、そんな印象をその時あたしは受けたのだった。因みにあたしも匠くんがDVDを 持っていて、匠くんお勧めの『うる星やつらビューティフルドリーマー』と『機動警察パトレイバー THE MOVIE』を観たんだけど、ニ作品ともすごく 面白かった。アニメって言うと、それまでディズニーかジブリ作品位しか頭に浮かばなかったあたしは、こういう作品もあるんだなあって、ちょっと新鮮な驚き をその時感じたものだった。)その押井守さんっていうアニメーション監督の影響から、この辺りの時代・・・1960年代のことに関心があるみたいで、匠く んだって生まれてなかった筈なのに、何故か意外とこの頃のことを知ってたりするのが不思議だった。そう言えば村上龍さんの『69』とか、村上春樹さんの初 期の作品『風の歌を聴け』『羊をめぐる冒険』もこの辺りのお話だったっけ?
本当に匠くんて哲学とか文学批評、純文学なんかの難しくてカタい本から、娯楽小説、漫画、アニメ、或いは映画、西洋美術、西洋史、平安文学、等など守備範 囲が広いなあって驚いちゃう。でも匠くんはそんなこと全然ない、自分なんて全然興味の範囲が狭いよって答えるんだよね。匠くんにそんなこと言われたらあた しは余計焦っちゃうんだけど。実は、心密かに匠くんの読んだ本、観た映画やアニメ、ぜーんぶあたしも読んで観てやろうって決意してるんだから。そう言って もまだまだ全然遠い道のりなんだけどね。
えっと、話が大分横道に反れてしまったんだけど。
それで、つまり、そういう今の時代からは想像もつかないような時代を背景にしたお話ではあるけれど、それでも、この『赤頭巾ちゃん気をつけて』の主人公・ 薫くんの、何だか風に飛んでいってしまいそうなくらい弱々しい決意、ふと自分で自信が持てなくなって疑問に感じてしまうような儚げな決意に、あたしはとて も共感を感じる。
若さとか、カッコよさとか、或いは「時代の流れ」なんていう、そういうものに安易に乗っかってしまったり飛びついてしまったりするのではなく、時には自分 がひどくあやふやな感じがして、自分自身が曖昧で所詮薄っぺらな存在のように感じられてそのことに耐えられなくて、そうした安易な流れに飛び込んでしまい たくなるけれど、その度にそのギリギリのところで、薫くんの言葉を引用させてもらうと、≪ぼくには、このいまぼくから生まれたばかりの決心が、それがまる で馬鹿みたいなもの、みんなに言ったらきっと笑われるような子供みたいなものであっても、それがこのぼくのもの、誰のものでもないこのぼく自身のこんなに も熱い胸の中から生まれたものである限り、それがぼくのこれからの人生で、このぼくがぶつかるさまざまな戦いのさ中に、必ずスレスレのところでぼくを助け ぼくを支えぼくを頑張らせる大事な大事なものになるだろうということが、はっきりとはっきりと分かったように思えた≫、その決心に限りない共感をあたしも 感じるのだった。
もちろん薫くんがそう語る時代よりも、今の時代遥かに物事は複雑な様相を呈しているように思える。60年代のような見かけ上、倒すべき相手とか戦うべき相 手っていうのが、はっきりと想定できるような単純な図式は今や存在しない。っていうのは実は匠くんが言ってたことなんだけど。
そして薫くんが≪誰のものでもないこのぼく自身のこんなにも熱い胸の中から生まれたもの≫って語るような思いや決意も、それが自分自身のものだっていう確 証なんて今では持てやしない、自分の気持ち、自分の言葉なんてどこにもなくて、自分の口から発せられる全ての言葉、全ての思いは所詮誰かの受け売り、引用 でしかなくて、結局自分自身なんて全部既成のものの寄せ集め、全ては模倣、そこにはオリジナリティなんてない。匠くんはそうも言った。
大好きな『赤頭巾ちゃん気をつけて』のことで匠くんがそんな風に否定的な意見を言ったので、(『赤頭巾ちゃん気をつけて』は匠くんにとっても大好きで大切な作品だって思っていたから余計に)あたしはショックを受けずにはいられなかった。
匠くんの言葉を信じられないでいるあたしに匠くんは続けた。
「『赤頭巾ちゃん気をつけて』はそれすら見越してるんだよね。実は」
敵わないっていう風に匠くんは笑った。ショックが尾を引いていて、何で匠くんが笑っているのかその訳が分からなくてぽかんとしているあたしに、匠くんは続けた。
「作品の最後に「翌日読んでもらいたいささやかなあとがき」って記されてて、そこで≪白状しちゃうと、なんだかぼくってのは、実は兄貴の書いた小説の主人 公なんじゃないかって気もするほどなんだ(だって、日比谷の名簿を見ても庄司薫なんて見つからないのだから)≫なんて書いてあって、このお話はつまり虚 構、作り事なんだよってぶちまけて、それまで作品を読んできて薫くんに共感を寄せた読者の気持ちをほっぽり出すような仕掛けがしてあるんだよね」
えっ、そうだったっけ?匠くんの話を聞いて心の中で声を上げていた。全然そんなとこ気付いてなかった。
「自分がもし、誰かの作った架空の話の中の登場人物に過ぎないって知ったらどうする?」
匠くんにそう聞かれてもあたしはどう答えていいか分からなかった。
匠くんも別にあたしからの返答を期待してた訳ではなかったみたいで、すぐに話を続けた。
「だけど薫くんは≪でもぼくはまああまり気にしないことにするんだ。何故って、もし誰かがこれを読んで、ぼくにとても嬉しいことがあって、そしてぼくは とってもついていたんだということを少しでも分ってくれれば(そしてほんの少しでも喜んでくれれば)、ぼくはもうほんとうにそれだけでいいんだから。≫っ て締めくくるんだよね。・・・自分が例え誰かの作ったフィクションの中の存在に過ぎないとしても気にしない。もし、そのフィクションに過ぎない話で誰かを 喜ばせることができたらそれでいいんだって、そう表明するんだよね」
匠くんはとても楽しそうに話を続けた。
「開き直り・・・ではないのかな。薫くんは、ある種の開き直りも安易な道のひとつとしてその退路を断っていたからね。でも、そのシニカルさを易々と突き抜 けたような軽みのある視点は、全然古びたりしてないって気がするんだ。むしろ、とても“イマ”的な、現代において有効な見方なんじゃないかなって気がす る。僕って何?自分って何?っていう問いにがんじがらめにされて身動き取れないでいるよりも、自分らしさ?そんなの人からの借り物でも人のものの寄せ集め でも別にいいじゃんって、ね」
あたしは匠くんの言葉を聞きながら呆けたようになっていた。茫然となりながら、なんだか全く知らなかった新しい扉が開かれているような、そんな感じを心の 何処かで感じていた。“自分らしさ”って呼ばれるもの。それが誰かからの借り物の寄せ集めであったっていい。そんな捉え方を今まで考えたこともなかった。 そして、そんな誰かからの借り物の寄せ集めである“自分”が、ほかの誰かをほんの少しだって喜ばすことができたり、幸せにすることができたら、その方が よっぽど大事な大切なことなんだっていうこと。『赤頭巾ちゃん気をつけて』をそんな風に読むだなんてあたし全然思ってもみなかった。
いつまでも延々自分探しなんてしてる場合じゃないよ。・・・ううん、薫くんはそうは言ってなかったかな。それはそれで大切で重要なことだって、薫くんは思ってるかな。
それはつまり、薫くんにとって「みんなを幸福にするにはどうすればよいか」を模索することなんだね、多分。
今、面と向かって誰かに言えば「それってウケるー」って大笑いされちゃうような、冗談としか思われないような目標ではあっても。
「それにしても『赤頭巾ちゃん気をつけて』って作品は一筋縄じゃいかないって言うか」
一人で頭の中で色々と考えを巡らせていたら、匠くんがまた口を開いた。
匠くんの話の先を促すようにあたしはひとつ頷いた。
「文庫版では「四半世紀たってのあとがき」っていうのが載ってて、その冒頭で≪このあいだ、思いついて日比谷高校の卒業生名簿を開いてみたら庄司薫という 名前がのっていた。この本の「翌日読んでもらいたいささやかなあとがき」では、庄司薫なんてのってない、とあってへんてこだが、四半世紀たつことを思えば なにが変ろうとやむをえないような気もする。≫って庄司薫名で書いてるんだよね」
あたしはまたこっくりと頷いた。
「でも、そもそも庄司薫ってペンネームじゃない?だとしたら卒業生名簿には≪庄司薫なんてのってない≫筈なんだよね」
あ!そっか!
あたしが声もなく口を開けるのを見て、匠くんが嬉しそうに笑った。
「一方で自分はお兄さんの書いた小説の主人公なんじゃないかって気がするなんて言いながら、別のところでは“庄司薫”っていう存在は実在のものであるかのように書いてる・・・それって、メタフィクションの構造みたいじゃない?クレタ人の嘘つきパラドックスみたい・・・」
あたしは勢い込んで匠くんに問いかけた。
「まあ、そこまで目論んでるかどうかはちょっとね・・・」
匠くんは苦笑気味だった。
「でも、まあ、煙に巻いてるっていうかさ、著者自らが嘘か真か真偽怪しいってスタンスでさ、だからこの作品を論じるのはそれくらいに留めておいてねって言われてる感じ?結局真剣に論じたところでこの作品は悪戯っぽく舌出してるような、そんな感じかな?」
如何にも軽い調子で匠くんは言った。
あたしの方は何だか匠くんに煙に巻かれたような気分だった。
でもよくよく匠くんが言ったことを考え直してみるうち、あたしの中でこの『赤頭巾ちゃん気をつけて』について、今までとは異なる認識が生まれて来ていた。それは決してネガティブなものじゃなかった。
そもそも、この小説の作者が主人公の庄司薫くんと同名であることからしてリフレクティブだったりしてない?
“ぼく”って一人称で語る薫くんと作者が同姓同名だったりしたら、どうしたって読む人は作者の実話的な印象を作品に対して寄せちゃうと思う。そこへ来て、 後書きで“庄司薫なんていない”ってはぐらかされたら、読者はそれまで薫くんに、そして作者に深く共感を寄せて読み進めて来たのに、まるで突然冷たい水を 浴びせられたような気持ちになるんじゃないのかな。今まで共感したり同じような気持ちを感じてたのは何だったの?って。
加えて更に、「翌日読んでもらいたいささやかなあとがき」で読み手に作品があくまで虚構であることを強く意識させたその外側に、庄司薫の名前で「四半世紀 たってのあとがき」を置き、やっぱり庄司薫は実在します、みたいなことを告げることで、再び読む人は“一体どっち?”って問い質したい気持ちに内心駆られ たりするんじゃないかな?
そして、そんなことをしてじゃあ『赤頭巾ちゃん気をつけて』って作品は、庄司薫っていう人は、何をどうしたいのかな?
それであたしは思ったんだけど、もちろんそれが正解だなんて言うつもりは全然ないし、そもそもそんなこと言う自信は最初っからほんのちょっとだってないん だけど、あくまであたしの個人的な、あたしにとっての捉え方ってことなんだけど、この本はそんな風にとっても曖昧ではっきりしなくて甚だ頼りない存在なん ですからね、って読む人に断ってるんじゃないのかな?この作品、この物語が、何かの指標になったり戦略や戦術を教えたり、進むべき道や方向を指し示すもの でもなくって、もし万が一そう読めるところがあったとして、そんなのあくまでお話の上での作り事、絵空事なんですよって読む人に種明かしするみたいに打ち 明けてるんじゃないかな?人によってはそれは肩透かしを食ったように感じるのかも知れないけれど。
でもひょっとしたら多分、薫くんはこう言いたいんじゃないかな?
これは“ぼく”のお話であって、それでぼくはスレスレのところでとってもついていたって、ただそのことを誰かに(薫くんと同じようにスレスレのところで頑 張ってる誰かに)伝えたいって思ったんじゃないかなって。それで“ぼく”のそのささやかな告白が、“ぼく”をスレスレで救ってくれた小さな女の子とのささ やかな出来事みたいに、他の誰かをスレスレで踏みとどまらせるささやかなきっかけになったら嬉しい、そんな風に考えてるんじゃないかな。
だからこの『赤頭巾ちゃん気をつけて』っていう本は、さっきも言ったけどあくまで“ぼく”の≪お話≫であって、決して“きみ”を何処にも導いたりしない。 何も指し示したりしない。“きみ”のための≪お話≫じゃないんだよ、って。“きみ”がどうやって「逃げて逃げて逃げまくる」のか、或いは「みんなを幸福に するにはどうすればよいか」、それは他の誰でもない“きみ”が、お話の中で“ぼく”が大きなゴム長靴をブカーリブカーリさせながら、さんざんみっともない 有様で動き回ってたみたいに、“きみ”自身がみんなの前で格好悪い姿を見せながら駆けずり回って見つけるしかないんだよ、だからくれぐれもこんな嘘かほん とか分んないようないい加減なお話に左右されたりするんじゃなくて、“きみ”の、自分のお話を探してね。そんな風に(薫くんのあの調子で)語っているよう にあたしには思えた。
そして、『赤頭巾ちゃん気をつけて』はまた違った意味合いを帯びて、掛け替えのない大切な一冊になったんだ。

◆◆◆

「お帰りなさい」
次の日の夜になって麻耶さんが帰ってきた。
「ただいまー」
玄関で出迎えてあたしは訊ねた。
「夕飯は?」
「うん。食べてきた。ありがとね」
「じゃあ、お風呂入る?沸いてるよ」
「ありがと。お言葉に甘えてそうさせてもらおっかな」
「うん」
二人で言葉を交わしながらリビングに入り、麻耶さんはソファにいる匠くんに声をかけた。
「ただいまー」
「お帰り」
匠くんはいつもながらの素っ気無さで返事を返した。
自室に入る前に、麻耶さんがこそっと耳打ちするように話しかけてきた。
「お風呂上がったらちょっと部屋来ない?お土産もあるし」
「えっ、うん。分った」
約束を交わして麻耶さんは一端自室に入り、すぐにお風呂に入りに行った。
あたし達二人の会話が聞くともなく耳に入っていた匠くんは、麻耶さんがバスルームに消えてからあたしに向かって訊ねた。
「何だって?麻耶」
その問いかけが、あたしが麻耶さんの部屋に呼ばれたことだろうなって察しのついたあたしは、首を傾げながら答えた。
「え?ううん、分んないけど、後で部屋においでって誘われた」
「何だろ?」
「さあ?お土産があるとも言ってたけど・・・」
麻耶さんはあたしによく服とかプレゼントしてくれて、麻耶さんの部屋で着て見せたりしてるので、それでかなとも思って匠くんに伝えた。
「ふーん」
自分一人だけ蚊帳の外って感じがするのか、匠くんは詰まらなそうに呟いた。あんまりあたしと麻耶さんが仲良くしてると、匠くんは面白くなさそうな顔をす る。でもそんなこと言ったら、あたしだって匠くんと麻耶さんが仲がいいと面白くないって思うし、おまけに麻耶さんもあたしと匠くんが仲睦まじくしてると、 ヤキモチなのか何なのかすぐちょっかい出してくるんだよね。ビミョーな三角関係と言えなくもないのかな?はて?

お風呂から上がった麻耶さんは冷蔵庫から冷えた缶ビールを取り出すとあたしの方を振り向いた。
「萌奈美ちゃんも飲む?」
あたしはぶるぶると首を振って、絶対いらないって意思表示した。
「未成年者に平然と酒を勧めるな!」
匠くんもすかさず保護者然として叱責の声を上げた。
「ったく、融通が利かないんだから・・・」麻耶さんは匠くんに聞こえないようにぶつぶつ小声で文句を言いながら、改めて冷蔵庫の中を覗き込んだ。
「じゃあ、萌奈美ちゃんはコーラでいい?」
「うん」
麻耶さんに聞かれて頷いた。もちろんカロリーゼロのやつ。因みにあたしはコカコーラの方が好きだ。匠くんもあたしと同じ。麻耶さんはペプシの方が好きだっ て言ってた。そんな訳でうちの冷蔵庫にはコカコーラとペプシ、両方入ってるのだった。麻耶さんはちゃんとコカコーラのカロリーゼロのペットボトルを取り出 してグラスも持ってあたしを部屋に招いた。グラスは一個だけで麻耶さんは缶ビールを直飲みするつもりのようだった。(缶ビールは缶で飲んだ方が絶対ウマ イ!って麻耶さんは前に主張していた。)
その様子を関心無さげに、でもしっかり横目で伺っている匠くんの視線に麻耶さんが気付いて、意地悪な笑みを浮かべた。
「これからガールズトークなの。生憎男子禁制だかんね」
「なーにが、ガールズトークだ!」
忌々しそうに言う匠くんの声が気になりつつ、麻耶さんの部屋にお邪魔した。

麻耶さんの部屋に入ってあたし達はフローリングの床にクッションを敷いて向かい合って座った。
グラスに注いだコーラをあたしに渡してくれてから、麻耶さんは缶ビールのプルトップを開けてぐいっと扇いだ。ごくごくと喉が鳴った。
「かーっ!ウマイっ!」
麻耶さんがたまらないって感じで声を上げる。よく麻耶さんはお風呂上りの一杯は格別だって話していて、その様子は以前試しに一口ビールを飲んでただ苦いだ けで全然美味しくなかった記憶しかないあたしでも思わず美味しそうだなあって思っちゃうくらいに、実に美味しそうだった。
あたしもグラスのコーラを一口飲んだ。途端に喉をシュワッとした刺激が通り抜けていく。
麻耶さんはもう一口缶ビールを飲んでからあたしに訊ねた。
「どーだった?昨日は素敵な記念日になった?」
麻耶さんの質問がどの辺のことについて聞いてるのかって思い、少し顔を赤くしながらそれでも笑顔で頷いた。
「うん。とっても素敵な一日だった。本当にどうもありがとう麻耶さん」
「いーえ。どういたしまして」
あたしがお礼を告げたら麻耶さんは大仰に頭を下げ返した。それから麻耶さんはニヤニヤ笑いを浮かべた。このチェシャ猫みたいな笑い方には見覚えがあった。人をからかう時の聖玲奈の笑いとそっくりだった。
「まあ、もっともさ、下手に家にいたら却ってアツアツの二人に見せつけられちゃうからさー、どっちかっていうとあたしが避難したって意味合いも強いんだけどねー。寝不足になっても困るしー」
しっかりからかうことを忘れない麻耶さんだった。
麻耶さんの言葉にあたしはやっぱり顔を赤くしないではいられなかった。
「本当はねー、いつも二人でいさせてあげられたらいいんだけどねー」
麻耶さんが何げない感じで漏らした言葉が気になった。
「あの、麻耶さん、一人暮らししようとしないのって、ひょっとしてあたし達のこと考えてくれて・・・?」
以前からちょっと腑に落ちないでいた。ほとんど毎日仕事で都内に出掛けてて、夜も遅くて帰って来ない日も頻繁にある麻耶さんにしてみれば、都内に住んだほうが絶対便利なんじゃないのかなって。麻耶さんの収入からすれば都内で部屋を借りたって全然困らないと思う。
あたしの質問に麻耶さんは含みのある笑顔を見せた。
「んー?いや、まあ、一人暮らしは父親から駄目って言われてるしねー。必ずしも萌奈美ちゃんのいう理由からだけじゃないよ」
「でも、やっぱりあたしと匠くんのことを考えて、一緒に住んでくれてるんでしょ?」
「一応、この部屋に住んじゃえば、ってけしかけた張本人だからね」
それは確かに、匠くんといつも一緒にいたくて、離れていたくなくて、もうどうしようもなくて自分の気持ちが抑えられないでいた時、「一緒に住んじゃえ ば?」って麻耶さんが背中を押してくれたんだったけど、でもそれが麻耶さんを束縛してるんだったらとても申し訳ないって思えた。
「あの、あたしのせいで麻耶さんに不自由で不便な生活を強いてるんだったら・・・」
「それは違うよ」
言いかけるあたしを麻耶さんは遮った。
「萌奈美ちゃんが高校を卒業するまでは万が一の時の言い訳のためって、責任感からここに住んでるっていうのもあるにはあるけどね。だけど、それだけじゃないし。萌奈美ちゃんと匠くんとの三人での暮らしが楽しくて大好きだからっていうのがあたしの中では大きいかな?」
そこで麻耶さんは一度言葉を切り、悪戯っぽい視線であたしを見つめた。
「あとねー、匠くんと萌奈美ちゃんを二人っきりにさせるのもちょっと癪に障るんだよねー。毎日、二人っきりでラブラブなんて、そんなの断じて許せん!ってゆーかさー」
麻耶さんはそう言ってぐっと拳を握った。
なにそれー?あたしは麻耶さんの冗談とも本気ともつかない言葉に目を丸くしてしまった。
あたしのそんな様子を見て、麻耶さんは顔を綻ばせた。
「だから、別に迷惑なんてこと全然ないし、あたしは好きでこの部屋に居座り続けてるんだかんね。余計な心配しないでいーからね」
釘を刺すように麻耶さんは言った。麻耶さんの優しい気持ちにうるうるっとなりながら、うん、って頷いた。
「っていうかー、むしろ、もういー加減出てって欲しーんだけどって思われても居座り続けてやろーと思ってますからー。それこそ、二人が結婚してからも小姑として居座ってやろーかなー」
けけっ、と笑いながら麻耶さんは付け加えた。
ええっ?ちょっとっ、それは流石に困るんですけどー!?何だか本当に心配になってきてしまった。

何となく危機感を感じて話の矛先を麻耶さんに向けた。
「と、ところでっ、織田嶋先生とは最近どうなの?」
突然降って湧いたような話題に、麻耶さんが危うく口の中のビールを吹きそうになった。
「なっ、なによ、唐突に」
口元を拭いながら焦った様子の麻耶さんが聞き返した。
「えっ、だって、その後どうなってるのか全然教えてくれないんだもん、麻耶さん」
反撃とばかりに涼しい顔で答える。
「仕返しって訳?ふふん、萌奈美ちゃんもそんなこと覚えたんだねー」
すぐに体勢を立て直した様子の麻耶さんが余裕の口調で聞いた。えっとお・・・早くも形勢を逆転されたように感じて及び腰になった。
「でも、まあ、彼とのこと話せるの、今のところ萌奈美ちゃん位しかいないからさー、本音を言えばあたしとしても聞いて欲しいっていうかねー」
白状するかのように麻耶さんは言った。
「・・・まだ、栞さんに打ち明けてないの?」
気になって疑問を口にした。
「ん、付き合ってるってことは報告したんだ。でも、栞ちゃん、尚吾(しょうご)のこと知らないからさ、あんまり相談するってのもねー。そのうち紹介しようとは思ってるんだけど」
麻耶さんにしては随分歯切れが悪かった。
「まだ迷ってたりする?」
あたしが心配そうに聞いたら麻耶さんは笑顔を浮かべて首を振った。
「それはないから、安心して。自分の気持ちはちゃんと分かってるから。まあ、ちょっとタイミングっていうか、引き合わせるのにこれっていう機会がねー、なかなか・・・」
麻耶さん自身もどのタイミングで会わせようかって悩みどころのようだった。そっか。少なくとも麻耶さん自身が織田嶋先生とのことを迷ってる訳じゃないってことが聞けて、ほっとした。
「匠くんにはいつ話すの?」
「・・・これまた難しいよねー。あの二人、ちょっとビミョーだもんねー」
腕組みして気難しい顔で麻耶さんが呟いた。でも、あの、ビミョーな関係になってるのは他ならぬ麻耶さんに起因してるんだけどね・・・
「でも匠くんは麻耶さんに好きな人がいるんだったら話して欲しいんじゃないのかな」
あたしがそう言ったら麻耶さんは疑わしそうな視線であたしを見返した。
「えーっ、そーかなあ?何か話したところで、“はあ?へえ、ふーん”で終わっちゃいそーな気がするんだけど」
「そんなことないよ。ああ見えて匠くん、麻耶さんのこといつも気にしてるし、心配もしてるよ」
「そっかなー?」
あたしの主張に麻耶さんは懐疑的なようだった。麻耶さんには匠くん、更に輪を掛けて素っ気無くてぶっきらぼうな態度で接してばかりいるから、こういう時に 損しちゃうんだよね。麻耶さんだってホントは匠くんのこと大好きで、匠くんが気にかけてるって聞いたら心の中じゃ嬉しいはずなのに、口では気持ちとは正反 対のことばっかり言ってるんだから、本当に素直じゃなくて臍曲がりだよねえ・・・
「そう言えば織田嶋先生は麻耶さんに部屋を出て欲しいって言ったりしないの?」
ふと思って口にした。
「は?どうして?」
「だって、麻耶さん仕事でいつも忙しいし、夜だって遅いし、二人でなかなか会う時間なんてないんじゃない?あたし達と一緒に住んでたら部屋で会ったりもできないでしょ?」
どうして好きなのに会わないでいられるのかあたしには全然分からない。あたしは匠くんと少しだって離れ離れになりたくないって、いつも一緒にいたいって、もう全然我慢できずにいるのに。麻耶さんも織田嶋先生も大人だからなのかなあ?
千帆と宮路先輩の二人もどうして我慢できるんだろう?
どうして会いたい、いつも一緒にいたいって気持ちを抑えることができるんだろう?我慢できない自分の身勝手さを後ろめたく感じながらも、すごく疑問に思った。
「うーん、まあ、どうなのかなー。今のところまだ尚吾もそこまでは言ってきたことないけどね。心の中ではもしかしたら思ってるのかも知れないけど」
何だか他人事のような話し振りだった。
「麻耶さんは、そうは思わないの?」
「残念ながら今はまだ・・・仕事も面白いし、萌奈美ちゃんと匠くんと三人での生活も楽しいし・・・まだ尚吾のことが何にも増して最優先っていう感じではな いんだよね。もちろん、一緒にいるとほっとできたり、心が潤ったり、元気づけられたりして、一緒にいてすごく嬉しいし楽しいんだけどね。あたしにとって大 切なものの一つではあるよ。でも全部ではないかな」
麻耶さんはそのことに少し引け目を感じているのかもしれなかった。麻耶さんの言葉の中にそんなニュアンスを感じとった。
何だかちょっと麻耶さんに悪かったかなって気持ちになった。
「あの、ごめんなさい。何だか色々詮索するみたいに聞いたりして・・・」
「んーん。全然」
少しも気にした風も無く明るい笑顔で頭を振った麻耶さんはそれから、あ!って声を上げた。
「忘れるところだった。萌奈美ちゃんにあげるものがあったんだった」
いけない、いけない、って漏らしながら、バッグの隣に置いてあった紙の手提げ袋に手を伸ばした。
「はい、これ。お土産」
そう言って麻耶さんは紙袋から取り出したリボンのかかった小さな箱をあたしに差し出した。
「あ、ありがとう」
笑顔で受け取ったけど、心の中ではちょっぴり心苦しい気持ちになった。だって、麻耶さんたら度々プレゼントくれるから・・・。気持ちはすごく嬉しいんだけど、あんまり頻繁だと却ってちょっと気が重くなってしまう。・・・こんなこと言ったら麻耶さんに悪いんだけど・・・。
あたしが同じように働いてお給料とか貰ってるんだったら、プレゼントされたらお返しすればいいんだけどそんなの無理だし。
バイトっていうのも考えたんだけど、でも部活やってバイトやってたら家事やる時間がなくなっちゃうし、それに何より匠くんと一緒にいる時間がなくなっちゃ うもん。匠くんに話したらバイトなんかしなくていいって言われて(っていうかバイト禁止って言われて)、匠くんがそう言ってくれるのをいいことに、本音を 言えばバイトしようとは全然思ってなかった。だって匠くんとできるだけ一緒にいたいもん。(それで匠くんは高校生のあたしには十分過ぎる位のお小遣いをく れるんだよね。おまけに服とか必要なものは一緒に買い物に出掛けた時に買ってくれちゃうし。だから匠くんから貰ったお小遣いは無駄遣いしないで大部分貯金 してるんだけど。匠くんや麻耶さんに誕生日やクリスマスのプレゼントとか買うので入用な時のために。)
「ね、開けてみて」
プレゼントを受け取って見つめているあたしを麻耶さんは促した。
「あ、うん・・・」
頷いてリボンを外し包装を開けた。
箱の大きさと包装の感じからアクセサリーかなって思った。
蓋を開けたら中にはピアスが入っていた。小ぶりなシルバーの十字架で石が嵌められていた。シンプルだけど洒落た印象のピアスだった。
「匠くんから貰ったネックレスにも合うんじゃないかなーって思って」
「うん。ホント」匠くんに初めてプレゼントして貰った十字架のネックレスを思い浮かべてあたしも頷いた。
「ありがとう、麻耶さん」
おずおずとお礼を告げたら麻耶さんは「いーの、いーの」って答えた。
「よかった。気に入ってくれて」
麻耶さんの嬉しそうな様子に心苦しさを覚えながら、でもちゃんと伝えておかなきゃって思った。
「・・・あのね、麻耶さん」
「ん?」
「あの、本当に嬉しい。それに麻耶さん、いつもいつもあたしに色んなもの買ってくれて、本当にどうもありがとう」
「ううん、いいんだよ。そんなの」
麻耶さんは“なんだ、改まってそんなこと”っていうように笑った。
「あのっ、麻耶さんの気持ち、本当に嬉しいの。だけどね、ちょっと心苦しく感じるの」
急きたてられるようにあたしは告げた。
「え?」
麻耶さんはあたしの話にきょとんとしている。
後ろめたい気持ちで、躊躇いがちに話を続けた。
「あの、こんなこと言ってごめんなさい。沢山プレゼント貰っててこんなこと言ったら本当に勝手だって思うんだけど、あの、ごめんなさい」
麻耶さんが気を悪くしていないか気になって、何度も「ごめんなさい」って繰り返した。
麻耶さんは改まった顔でじっとあたしの話に耳を傾けている。視線を合わせていられなくて俯いてしまった。
「え、と・・・あのね、麻耶さんはいつもあたしに服とか買ってくれたりするけど、それは本当にすごく嬉しいんだけど、でも、あたし貰ってばっかりで麻耶さ んに全然お返しできなくて、それを思うと、あの、麻耶さんがプレゼントしてくれると、嬉しく思ってる気持ちの片隅で、少し申し訳なくて、少し気が重かった りするの・・・」
一旦俯いた視線を上げるのが恐くて、麻耶さんの顔を見ることができなかった。麻耶さんがどんな顔をしているのか分らないまま、また謝罪を口にしていた。
「・・・あの、こんなこと言って、本当にごめんなさい」
短い沈黙があった。でもあたしにはその沈黙がものすごく長い間のことのように感じられた。
「・・・そっかあ」
ぽつりと麻耶さんが漏らした。気の抜けたような口調にはっとして顔を上げた。
麻耶さんはちょっと困ったような表情をしていた。あたしと目が合ってばつの悪そうな笑顔を浮かべた。
「あたしこそごめんね。萌奈美ちゃんがそんな風に気にしてたなんて気が付かなくて。萌奈美ちゃんがあんまり負担に感じないように値段の張らない物をプレゼントしてるつもりだったんだけど、ちょっと考えが甘かったか」
麻耶さんに謝られて慌てて頭を振った。勝手なことばっかり言って、本当にあたしの方こそ謝らなきゃいけなかった。
「ううん、そんな、麻耶さん・・・麻耶さんが謝ることなんて何もないのに・・・勝手なことばかり言ってごめんなさい」
「そんなに謝ってばかりいないで。却って気になってきちゃうから。でも萌奈美ちゃんの気持ちはちゃんと分かったから。これからは控えるようにするね」
「うん・・・ごめんなさい・・・」
麻耶さんは苦笑した。
「ほら、また“ごめんなさい”って言った。それはもうやめだかんね」
そう言われてあたしも頭では分ってるんだけど、口癖のようについ口をついて出てしまうのだった。
「あたし女の兄弟いないから、萌奈美ちゃんと一緒に暮らすようになって妹みたいに感じててさ、それでついついこういうの似合いそうだなあとか、これ萌奈美ちゃんにぴったりだなあとか、お姉さんぶって買い込んで来ちゃうんだよね」
「あたしも麻耶さんが本当のお姉さんみたいでとっても嬉しく感じてる。あの、あたし長女だし妹は二人いるけど、何でも相談できるような年上のお姉さんって いなかったから、こうやって夜、麻耶さんの部屋で女同士で色んな話できてすごく楽しいし、悩み事とか相談できたりしてとっても嬉しいっていつも思ってるん だよ」
「萌奈美ちゃんがそう言ってくれるとあたしもすごく嬉しい」
麻耶さんは本当に嬉しそうににっこり微笑んだ。
「あの、麻耶さん、せっかくの麻耶さんの気持ちを台無しにするようなこと言って、本当にごめんなさい」
「だからあ、もう“ごめんなさい”は禁止だってば」
仕方ないなあっていう感じで苦笑を浮かべる麻耶さんに注意された。
麻耶さんを困らせてしまってるみたいなので、あたしももうこれ以上このことで気にするのは止めようって思った。
「でもさ、これからはあたし自粛するけど、たまーにどうしても“これ萌奈美ちゃんに絶対似合う!”っていうの見つけたらプレゼントしたいから、その時は受け取ってね」
麻耶さんの言葉がとても嬉しかった。笑顔で「うん、もちろん」って頷いた。
それから、あたしと麻耶さんはお互いに何のしこりもなく、心置きなく色んな話を続けた。
その中で部活で文芸部がメイド服姿になって新入生の勧誘をした話をして、あたしは学校でメイド服姿になるのは恥ずかしくて嫌なんだけど、でも匠くんには見せたいなって思ったりしてることを打ち明けたら、俄然麻耶さんが乗り気になったのだった。
仕事で仲のいいスタイリストさんにでも相談すれば、結構出来のいいメイド服借りられると思うよ、なんて麻耶さんは言って、あたしの返事を確かめもしないで どんどん話を進め出してしまった。そんなあんまり大袈裟な話にはしたくないんだけど・・・って言ったところでもはや後の祭り。麻耶さんのノリの良さはよく 知ってる訳で、あたしは今更水を差すのは諦めることにした。遠からず麻耶さんがメイド服の入った大きな紙袋を抱えてご機嫌な様子で帰ってくる姿が目に浮か んだ。・・・これも麻耶さんの好意には違いないって思った。

麻耶さんの部屋を出てリビングに戻ったら、匠くんが物言いたげな視線をこちらに向けてきた。
ソファに座っている匠くんの隣に滑り込むようにして、匠くんにぎゅうって抱きついた。それで匠くんの機嫌は幾分か直ったみたいだった。
「何話してたの?結構長い間麻耶の部屋にいたけど」
麻耶さんの部屋に入ってかれこれ小一時間が経っていた。
「んー、色んなこと。麻耶さんがあたしに似合うからってピアスをプレゼントしてくれて、それとか麻耶さんが香乃音の入学祝いをくれたお礼に今度の土曜、市高の制服姿見せに来る約束したり、あと、女の子同士の話とか」
「ふーん」
あたしが「女の子同士の話」って言って、暗に匠くんには話せない内容だって仄めかしたら、匠くんはあんまり面白くなさそうだったけど、でも仕方ないって感じでそれ以上問い質したりはしなかった。
「僕の悪口とか文句とかこっそり言ってない?」
匠くんがふざけて言うのを、「そんなこと、絶対ないから」って力説した。
「そう強調するとこが怪しい」なんて匠くんは言って、でも顔は笑ってて、あたしもくすくす笑いながら「本当だってば」って匠くんに身体を摺り寄せて甘えながら答えた。
「そうまで言うんだったら信用してあげる」
匠くんはそう言ってあたしの首筋に唇を寄せた。甘い快感が走って思わず身体を震わせた。
「あれ、もしかして帰って来ンの一日早かった?」
ソファであたし達がじゃれ合っている様子を、部屋から出てきた麻耶さんに見られてわざとらしく訊ねられた。
あたしと匠くんはぱっと身体を離すと、二人して真っ赤になった顔を気まずげに見合わせた。
 


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