【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Any ≫


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体育館内には激しく床を擦るシューズの音、応援の歓声、ボールの弾む音、そうした音が混然となって響いていた。
相手チームのシュートは決まらず、リバウンドボールを取った市高サイドの攻撃になった。一気に市高を応援する歓声が活気付く。バスケット部の男子の声に混じって、女子生徒達の甲高い声援が上がる。
あたしの隣でも祐季(ゆき)ちゃんと亜紀奈(あきな)が口々に応援の声を張り上げている。少し気後れしていたら千帆(ちほ)ちゃんと目が合った。同じよう な気持ちだったらしく、ちょっと気まずい感じで苦笑し合った。春音(はるね)も誘ったけれど興味なさそうに呆気なく断られてしまった。・・・あたしだって 別に興味があった訳でもないんだけどなあ・・・誘われて、つい断れなかっただけなのだ。多分、千帆ちゃんもそうだったんじゃないかなって今思った。
そんなことをぼんやりと考えていたら、周囲の一際沸く歓声に我に返った。いままさに自分の学校の選手が、相手校のゴールへ向かってシュートを決めようとし ていた。遅ればせながら心の中で応援しながら見守った。チームメイトのスイッチでディフェンスが離れ、ほとんどノーマークでドリブルからレイアップシュー トを放った。お手本みたいにすごく綺麗なフォームだった。ボールは見事に相手チームのバスケットを揺らし、ゴールが決まった。途端に周囲からまるで爆発し たような黄色い歓声が上がる。祐季ちゃんと亜紀奈も手を取り合って喜んでいる。
見るとゴールを決めた男子は満面の笑顔でチームメイトとハイタッチを交わしていた。
「すっごーい。杉崎君、シュート決めたよ」
興奮しながら祐季ちゃんが言った。
「やっぱ上手いよね。一年で一人だけレギュラーに選ばれてるだけのことはあるじゃん」
亜紀奈も感心したように言った。
あたしも千帆ちゃんもふーんっていう感じで二人の話を聞いていた。
そうなんだ。杉崎君、一年で一人だけレギュラーに選ばれてるんだ。同じ一年として尊敬の眼差しでコート上の杉崎君を見つめた。コートでは相手ボールで試合が再開され、杉崎君が真剣な眼差しで相手校の選手をディフェンスしていた。
「カッコいーよね。杉崎クン」
「うーん、カッコいーけど、あたしはやっぱり広瀬センパイだな」
そんな会話が聞こえてきて、視線を向けると同じ一年で顔を知っているコだった。3組のコだ、って心の中で思った。二人してはしゃいだ様子でコートへ声援を贈っている。
クラスメイトの男子ともろくに話すことのない、男子の情報にこの上なく疎いあたしでも、杉崎君が女子の間で人気があることとか、バスケ部の二年の広瀬先輩 がジャニーズ系って言われてて、アイドル並みに人気があること位は知っていた。聞くところによると私設の広瀬先輩ファンクラブまであるらしい。
広瀬先輩についてはほとんど今日初めてまじまじと顔を見たくらいなんだけど、確かに整った綺麗な顔立ちをしていた。ジャニーズ系といわれれば確かに頷ける。女の子達がきゃあきゃあ言ってしまうのも無理ないかも、って思った。・・・よく分からないけど。
「杉崎ー!止めろー!」
「広瀬センパーイ、頑張ってー!」
すぐ隣で対照的な応援の声が上がった。先の声援が亜紀奈で後のが祐季ちゃんのものだ。
一年ながら早くも頭角を現し、女子バレー部の次期エースと期待されている亜紀奈は、バリバリの体育会系だけあって聞いているこちらがびびってしまいそうな激しい檄を飛ばしていた。
一方の祐季ちゃんは応援する時もちょっと鼻にかかった甘い感じの女の子らしい声援だった。・・・って、あれ?祐季ちゃんも確かバトン部で一応運動部だったんじゃ・・・?あたしは応援もそっちのけでそんなことばかり考えていた。
大体、スポーツへの関心が皆無と言っていいあたしを誘うこと自体がそもそも間違っている。そりゃ愛校心はそれなりにあるつもりだけど、それでもわざわざ運 動部の応援に足を運ぶのは正直あまり気が乗らなかった。祐季ちゃんの押しの強さに断りきれずに、億劫な気持ちでついてきたのが本当のところだった。第一、 本気で応援している亜紀奈は別として、祐季ちゃんはバスケ部の応援っていうより、広瀬先輩目当てで来てるに違いなかったし。そうでもなければわざわざ練習 試合の応援になんて来ないと思う。でも、こうして見てみると練習試合にも関わらず意外に応援の女子生徒の姿が多いことに正直驚きだった。祐季ちゃん曰く、 練習試合は応援に来る人数が少ないから顔を売るチャンスなのだそうだ。結構試合が終わった後とか声かけたりして話す機会があったりするらしい。そういうも のなんだ、ってあたしは感心しながら祐季ちゃんの話を聞いていた。

試合は我が市高の勝利で終わった。
祐季ちゃんも亜紀奈もずっと声を張り上げて声援を贈っていたので、顔を上気させて興奮冷めやらぬといった様子だった。あたしもそれなりには応援していたので試合が終わってからもまだ気持ちが高揚していた。やっぱり自分の学校のチームが試合に勝つのは嬉しいものだった。
広瀬先輩に一声かけるチャンスを伺っている祐季ちゃんと、それに付き合うつもりの亜紀奈を残して、あたしと千帆ちゃんは体育館から出ていようと出口に向かった。
「阿佐宮!」
不意に呼ばれてびっくりして振り返った。相手校のユニフォームの男子がこちらに駆けて来る姿が目に入った。
にこにこと笑っているその顔には見覚えがあった。
「槙嶋くん・・・」
驚きを隠せない顔のまま、小さく彼の名前を呟いた。同じ中学校だった男のコだった。
「阿佐宮、市高だったんだな」
あたしの前まで来て槙嶋くんは笑顔でそう言った。
頷きながらあたしも「槙嶋くん、浦北だったんだ」って言い返した。
何だか嬉しそうに槙嶋くんは笑っている。
「阿佐宮がバスケの試合の応援に来るなんて意外だな。しかも練習試合になんてさ」
「・・・友達に無理やり誘われて断りきれなかっただけだよ」
如何にも不本意っていう口振りで答えた。
あたしの返答に槙嶋くんはあはは、って声を上げて笑った。彼の明るい笑い声は体育館に響いて周囲の注目を引いた。自分の学校の女子生徒やバスケ部の部員、 相手校の生徒がこちらを見ていた。祐季ちゃんと亜紀奈も目を丸くしてこっちを見ている。あたしは恥ずかしくなって早く体育館を出たいって思った。
槙嶋くんは周囲の視線なんて全然気にならない様子だった。
「阿佐宮、市高の制服すごい似合ってるじゃん」
平然とした顔で槙嶋くんは言った。
どう答えていいか分からなくて、そんなことを面と向かって言われてすごく恥ずかしくてただ俯いていた。内心少し迷惑にさえ感じていた。
あたしの様子を気にした風もなく槙嶋くんはすぐにまた口を開いた。
「あのさ、阿佐宮、ケータイの番号教えてくんない?メアドも」
槙嶋くんの言葉にびっくりした。思わず槙嶋くんの顔を見返した。いきなり携帯の番号を聞かれるなんて初めてだったから、すごくびっくりしてしまった。
「な、なんで?」
滑稽なくらいにうろたえながら聞き返した。どういうつもりであたしの携帯の番号なんて聞くのか、槙嶋くんの真意が分からなかった。
あたしの様子が面白かったのか、槙嶋くんは可笑しそうに白い歯を見せながらあたしの問いに答えた。
「いや、だってせっかく会えたんだしさ。今度久しぶりに田島中のメンバーで会おうよ。連絡するからさ」
槙嶋くんは屈託のない笑顔をしていた。
正直ちょっと困っていた。中学の時の友達と会えるのは嬉しいけど、男子と一緒に、っていうのははっきり言って気が進まなかった。何でわざわざ男子とまで一緒に会う必要があるんだろう?携帯の番号だって、何で教える必要があるんだろう?せっかく会えたからって、何で?
あたしがはっきりしない態度でいると、遠くから槙嶋くんを呼ぶ鋭い声がした。槙嶋くんの学校のバスケ部の先輩達がみんなでこっちを見ていた。
「あっ、ヤベ」
槙嶋くんはそう呟くと、慌てた様子で先輩達のところへダッシュで戻って行った。駆け出す際、あたしに向かって「まだ話あるからさ、ちょっと残っててよ」って言い置いていった。
あたしは呆気に取られてぽつんと立ち尽くしていた。
「萌奈美、誰?あの人」
ずっと隣で控えめに黙っていた千帆ちゃんが、やっと口を開いてあたしに訊ねた。好奇心に満ちた眼差しをしていた。
「同じ中学だったコ」
あたしはちょっと迷惑に感じながら眉を顰めて答えた。
「ふーん」
千帆ちゃんは走り去った槙嶋くんに視線を向けながら頷いた。
「ちょっと格好いいんじゃない?」
うきうきとした様子で千帆ちゃんが言った。はあ・・・溜息をつきたい気分だった。
しっかり気が付いていた。槙嶋くんがあたしに話しかけてきた時、離れたところで槙嶋くんの学校の制服の女の子達が、こっちをすごい視線で睨んでいたことを。
中学時代から槙嶋くんは女子にすごい人気があった。運動神経抜群だしバスケ部のエースだったし、全然気取らないですごく気さくで人気者だった。多分高校に入っても槙嶋くんは相変わらず人気者なんだろうなって思った。槙嶋くんの学校の女子の様子を見て分かった。
何だかうんざりした気持ちになった。
「いこ」
素っ気無く言ってあたしは出口に向かって歩き出した。
「えっ?待っててって言われてたんじゃないの?・・・」
「別にいいよ」
うろたえる千帆ちゃんに、あたしは一向に気にしない様子ですたすたと出口に向かった。

結局、槙嶋くんの言葉を無視してあたしは帰ることにした。大体、槙嶋くんは一方的に言うと行ってしまって、あたしはそれにいいとも嫌だとも意志表示してな いんだから、あれは約束でも何でもないと思う。であれば、別に義理堅く待っている必要はない、とあたしは考えている。何処か間違ってるだろうか?
半ば憤然とした心境になりながら、校門の近くで千帆ちゃんと二人、祐季ちゃんと亜紀奈が出てくるのを待った。
時々部活が終わったかこれから始まるのだかで登下校して行く浦北の生徒達が、違う制服の生徒が自分の学校の敷地内に立っているのを見つけて、じろじろと訝 しげに眺めていた。あたしも千帆ちゃんも何だかいたたまれなくて俯いていたところへ、やっと祐季ちゃんと亜紀奈が体育館を出てきた。
あたしと千帆ちゃんはほっとした思いで、四人揃うと早々に浦北の校門を潜り抜けた。

帰りのバスが来るのをバス停で待っていると、祐季ちゃんがやたらと目をきらきらさせて話しかけて来た。
「ねえねえ萌奈美、さっき体育館で話しかけてきた浦北の男のコ、誰なの?」
またその話か、って思って、溜息交じりに仕方なく説明した。
「同じ田島中だったコ」
「杉崎がさ、何か驚いてたよ。萌奈美と彼、槙嶋って言うの?二人が知り合いだったみたいで」
亜紀奈が言った。あの後亜紀奈は杉崎くんと話したようだった。でも何で杉崎くんが驚くんだろう?
「杉崎くんが?」腑に落ちなくて聞き返した。
「うん。杉崎の話だと、浦北の槙嶋って結構注目されてるみたいだよ。一年でかなり上手いって評判みたい。杉崎も中学の時から知ってるって言ってた。同じ学年だし結構ライバル心あるみたいだったな」
亜紀奈は面白そうに言った。あたしは大して関心もなくてふーん、って相槌を打った。そーなんだ。杉崎くんと槙嶋くんがライバル同士・・・スポ根モノのドラマか何かみたいだ、なんてことを思った。
「でも槙嶋くん、なかなかイケてたんじゃない?」
祐季ちゃんが混ぜっかえすように口を挟んで来る。祐季ちゃんてばそういう視点以外の話題はないんだろうか?
「うん。結構カッコ良かったよね」
と、あろうことか千帆ちゃんまでその話題に乗っかってきて、あたしは目を丸くした。
「萌奈美、彼に携帯の番号とメアド聞かれてて教えなかったんだよ。それに話あるから待っててって言われてたのに知らんぷりして帰って来ちゃったし」
千帆ちゃんがバラして、祐季ちゃんが「えーっ」と声を上げた。あたしは千帆ちゃんに密かに恨めしげな視線を送った。言わなくていいのに。
「もったいなーい。何で教えなかったの?」
あたしの取った行動が信じられないみたいで、祐季ちゃんは心底意外な顔をしてあたしに問い質して来た。
「・・・だって、別に中学の時だって親しかった訳でも何でもなかったんだから。何でいきなり聞かれたのか全然分からないんだもん」
何だか非難されているような気分になって、言い訳するように答えた。
「えーっ、全然いーじゃん。中学の時は別に何でもなかったのが、高校に入って久しぶりに会って急に気になりだしたってケースなんじゃないの?」
「うん。隣で見てたんだけど、槙嶋くん、割かし萌奈美に気ありそうな感じだったよ」
祐季ちゃんの指摘に千帆ちゃんが頷きながら同意を示した。
「ほらー。絶対萌奈美のこと好きなんだよ。もったいなーい。今から戻って番号教えてくれば?」
千帆ちゃんの言葉で自分の考えに自信を得た祐季ちゃんが焚きつけるようなことを言い、「一人じゃ不安ならあたしが付いてってあげようか?」とまで言った。
迷惑千万だと思いながら、「いい!」って強い口調で拒否した。
あたしの怒ったような口ぶりに、千帆ちゃんも亜紀奈も少しびっくりしたような顔であたしを見た。
「えー、絶対もったいないと思うんだけどなー・・・」
祐季ちゃんは心底残念そうに、まだ諦めきれない様子でぽつりとこぼしていた。
普段滅多に見せない不機嫌そうな顔をあたしがしたので、亜紀奈も千帆ちゃんもちょっと遠巻きにあたしの様子を伺っているみたいだった。
少なからず内心むしゃくしゃとした心境になりながら、何で?って心の中で呟いていた。
どうしてみんなそういう風に考えるんだろう?好きだとか、気があるとか、そういうこと。何で女の子同士で話すことといえば大概決まって男の子の話で、男の 子の話と言えば決まったように恋愛話に結び付けようとするんだろう?誰が誰を好きで、誰が誰に気があるんだとか、そんな話ばっかり。別に、好きな人がいれ ば幾らだってその気持ちを喋っていいって思うし、そういうのが悪いとかそんなことを言うつもりは全然ないけど、ただ、みんながみんなそうだっていう感じ で、誰もがそういう話をされて嬉しかったり喜んだりする訳じゃない、って思ったりはしないんだろうか?、と思うのだ。
それともあたしが変なのかな?好きな男の子とかいなくて、憧れたりときめいたりすることもなくて。
この16年間の人生で少なくとも物心ついた頃から思い返してみて、初恋の覚えもなければテレビで好きになったアイドルとかただの一人もいたことがなかった。何でなのかは自分でもよく分からないんだけれど、事実そうなんだから仕方がないことだった。
それをあたし自身は別に気にしてもいないのに、何故か周囲が勝手に誰があたしに気がありそうだとか、誰とあたしがお似合いだとか、当人にお構いなくお節介 なことを言うことが嫌だったし、高校生にもなれば恋愛のひとつもしてないと何だかおかしいみたいな雰囲気だったり、彼氏の一人もいて当然、彼氏・彼女がい ないと寂しい人みたいに思われることがみんなの共通認識としてまかり通っているような、そういう空気に違和感を感じていた。
あたしは槙嶋くんのことを何とも思っていないのに、何だかあたしと槙嶋くんをくっ付けようとする空気が漂って、槙嶋くんに憧れたり好意を抱いていたりする 女の子達の反感を買うなんて、あたしにとっては理不尽極まりなかった。もし、槙嶋くんが千帆ちゃんが言ったようにあたしに好意を寄せてくれているのだとし たら槙嶋くんには本当に申し訳ないんだけれど、あたしは槙嶋くんにどんな特別な感情も持てなかった。中学の時だってそうだったし、今日久しぶりに会っても あたしの中では何も変わったりしなかった。ただ中学が同じだった男の子だってそう思っただけだった。少し懐かしさくらいは感じたかも知れないけれど、それ だけ。槙嶋くんがやけに親しげに笑いかけてくるのがあたしには不思議なくらいだった。何でそんなににこにこ笑いながらあたしと話してるんだろうって変な感 じがしていた。
あたしは声を大にして言わなくちゃならないんだろうか?あたしは誰も好きじゃないって。槙嶋くんを何とも思ってませんからって、体育館で「何?あのコ」っ て言いたげな眼差しであたしのことを見ていた女の子達に言わなくちゃいけないんだろうか?でも、そう言うのも何だか却って反感を買う結果になりそうな気が する・・・そういうのってすごく疲れる。
そう、あたしには疲れる以外の何物でもなかった。槙嶋くんも杉崎くんも広瀬先輩も、あたしにはみんな不思議だった。何でみんなそんなに好きになったりする んだろう?少し親しげに話したことがあるくらいで、バスケでカッコイイところを見たくらいで、笑顔が素敵でドキッとなったりしたくらいで、或いはちょっと (人によってはすごく?)顔が整っているくらいで、何でもう自分の全エネルギーを注がんばかりにまで「好き」って気持ちになったりするんだろう。いとも簡 単に。そういうのってよく分からない。さんざん考えてみて、分かんなくて、すごく疲れる。
あたしはいつか、誰かを好きになったりするんだろうか?全然想像つかなかった。
あたしが誰かをすごく、もう自分の全力を傾けてその人を好きになって、好きって気持ちでいっぱいになってしまうなんて、そんなことあるのかな?それはとて も遠くのこと、あたしではない誰か別の人のことのようにしか、今のあたしには思えなかった。それは少し淋しいことに感じられた。
帰りのバスの中で薄暗くなっていく窓の外をぼんやりと見ながら、そんなことを思っていた。

◆◆◆

「萌奈美」
休み時間、教室で春音と話していたら廊下から名前を呼ばれた。見ると入り口の所で廊下から顔を覗かせて4組の芳田智恵美ちゃんが手招きしていた。あたしは首を傾げながら春音に断って智恵美ちゃんの所へと近寄って行った。
そのまま廊下に誘い出されて、あたしは訊ねた。
「どうしたの、智恵美ちゃん?」
「昨日さあ、槙嶋くんから電話かかって来たんだよね」
智恵美ちゃんの返答にあたしは目を丸くした。
「智恵美ちゃんに?槙嶋くんが?どうして?」
あたしの質問攻めに智恵美ちゃんは少し迷惑そうな顔をした。
「そんなのこっちが聞きたいっつーの。何であたしんトコに電話掛けてくるのか。萌奈美、昨日槙嶋くんに会ったの?」
戸惑いながら頷いた。
「槙嶋くん、萌奈美に待っててって言ったのに萌奈美待ってなかったって、槙嶋くん愚痴ってたよ」
智恵美ちゃんに言われて、あたしは気まずい気持ちになった。
「そんで、萌奈美のケータイ聞かれたんだけど、黙って教えるのもヤだったから萌奈美に伝えるって答えたんだよね」
そうだったのか。あたしはやっと理解した。
槙嶋くんに言われてたのにあたしが黙って帰ったから、槙嶋くん、同じ田島中出身の智恵美ちゃんに電話したんだ。
「でも槙嶋くん、智恵美ちゃんの携帯、知ってたんだ」
あたしが意外そうにそう聞いたら、智恵美ちゃんは大したことでもないって顔をしながら答えた。
「入学したばっかの頃にみんなで会ったんだ。西条くんとか木下くんとかと。その時ケータイの番号とメアド交換したの。槙嶋くんもいて、それでね。でも槙嶋 くんとなんてその時交換してそれっきりで全然連絡取ったりしたことなかったから、昨日電話掛かって来た時はびっくりした」
「そうだったんだ。ごめんね」
智恵美ちゃんに迷惑を掛けてしまったことを謝った。
智恵美ちゃんは「別にそれはいーんだけど」って全然気にしていない様子で言った。
「槙嶋くん、萌奈美と話したがってたよ。勝手に萌奈美のケータイ教えちゃって、萌奈美に怒られてもヤだったから教えなかったけどさ。萌奈美電話してあげれば?」
そう言って智恵美ちゃんは携帯の番号をメモしたものをあたしに差し出した。どうやら槙嶋くんの携帯の番号らしかった。
「あと、槙嶋くんに萌奈美が誰かと付き合ってるか訊かれた」
あたしが差し出されたメモに戸惑っていると、智恵美ちゃんはそんなことを言った。
「え!?」
驚きを隠せずに裏返った声を上げた。その声は思った以上に廊下に響いて、余計に慌ててしまった。
「そ、それで?」
動揺してどもりながら訊き返した。
「ん、はっきりとは知らないけど多分いないんじゃない、って答えといた」
「そ、そう」
どぎまぎと頷くあたしに智恵美ちゃんは半ば強引にメモを渡して来た。
「槙嶋くん、萌奈美のこと好きなんだよ。ちゃんと電話してあげなよね」
智恵美ちゃんは笑いながらそう言うと、「じゃあね」って廊下を駆けて行ってしまった。
あたしは動揺した気持ちのまま、途方に暮れて立ち尽くしていた。

はーっ、とあたしは深い溜息を吐き出した。困った、って心底思いながら。
「もう、何でこうなるのかな?」
智恵美ちゃんから貰ったメモに視線を落としながら、困惑した気持ちを漏らした。
新棟の校舎の3階にあるビオトープに設けられているベンチに春音と並んで座りながら、心情を吐露していた。
晴れてはいたけど少し肌寒い日で、昼下がりのこの時間帯でもいくつかあるベンチに座っているのはあたし達だけだった。
澄んだ青い空は晩秋から冬への移り変わりを漂わせて、何処かぽっかりと抜け落ちたような寂しさを纏っていた。
「曖昧にしないではっきり言えばいいんじゃない?迷惑だって」
春音は至極冷静に答えた。
って、そうできれば苦労はない、とあたしは心の中でだけ反論していた。
あたしが目で訴えていると春音はじろりと見返した。
「何か言いたいことでも?」
「・・・ないけど」拗ねた目をしながら渋々と言った。
春音は少しうんざりした様子で言った。
「だから、そういうとこがいけないんだって言ってるの。言いたいことがあったらはっきりそう言えばいいじゃない」
「そうだけど・・・」
不満そうなあたしに、春音は呆れたような顔をしながら言葉を続けた。
「何で躊躇うの?別に好きでもなんでもなければ、迷惑だってはっきり気持ちを言って、それで嫌われたって別にいいんじゃない?はっきりと言って嫌われるのが恐いからそれで曖昧なままにしてるんだったら、それは萌奈美がずるいと思う」
春音の指摘にあたしは何も言えなかった。
そう。本当に春音の言うとおりだった。
あたしは何とも思っていないって自分の気持ちをはっきりと伝えて、それで槙嶋くんに嫌われたり、槙嶋くんの怒りを買ったり、恨まれたりするのが恐いんだ。 決して、はっきりと気持ちを伝えて槙嶋くんを傷つけてしまうのが恐いから曖昧なままにしようとしているんじゃなかった。自分が可愛いだけなんだ。誰かに嫌 われたり恨まれたりして、それで自分が傷つくのが恐いんだ。春音に指摘されて、改めてはっきりと自分の中の真実に気付いた。
同時にあたしの中に春音に対して反撥したい気持ち、春音に対する微かな憎しみが生じた。自分でそれが憎しみだとは気付かないくらいに微かに。
あたしは春音みたいに強くない、誰かに嫌われたり恨まれたりして平気でなんて、平然と自分のままでなんていられない、心の中でそんな言い訳をしていた。
「・・・いつまでも曖昧なままにしていても自分が気まずくなるだけだよ」
春音は無言のままのあたしをそう諭した。
でも、あたしはだからと言って素直に春音の言うことを肯定できず、その後春音と気まずい気持ちのまま別れてしまった。

「阿佐宮さん」
一人で廊下を歩いていて呼び止められた。声の主の姿を認めて、一瞬で気まずい気持ちになった。
「昨日は応援に来てくれてありがとう」
あたしの前まで来て杉崎くんは笑いながらそう言った。
あたしはでも気まずさばかりが胸の中にあって、ほとんど無表情で、硬ばった口調で答えた。
「別に。桂木さん達に誘われて行っただけだから」
「桂木さん・・・って、ああ、バトン部の?」
硬い表情を崩さずただ頷いた。
「市橋さんとも親しいの?」
杉崎くんは亜紀奈とも面識があるみたいで訊かれた。亜紀奈はバレー部だし、体育館で部活をしていれば顔を合わせたりすることもあるんだろう、って思った。
「二人とも同じクラスだから」
杉崎くんの質問にあたしは素っ気無く答えた。杉崎くんはあたしの態度がちょっと気になったみたいに一瞬だけ笑顔を顰めたけれど、すぐにまた笑顔を浮かべた。あたしには杉崎くんの笑顔が何だか息苦しく感じられた。
「阿佐宮さん、浦北の槙嶋とも顔見知りだったんだね」
まただ、と思った。何でそんなに槙嶋くんの名前が出てくるんだろう?うんざりしながら思った。
「槙嶋そう言えば田島中だったし、阿佐宮さんもそうだったんだね」
多分、杉崎くんは単なる事実としてそれを口にしたんだろう。でも今のあたしには、あたしの感情を苛立たせるつもりで言っているとしか感じられなかった。
「それがどうかした?」
憮然と訊くあたしに杉崎くんは面食らった様子だった。
「いや、どうかしたって事もないんだけど・・・」
戸惑っている杉崎くんを残して、あたしは「急ぐから行くね」って一方的に告げ、杉崎くんの返事も待たずに駆け出した。背後で杉崎くんが躊躇い気味に呼び止めるような声が聞こえた気がしたけど、あたしは気にもかけずにその場を走り去った。
何だか胸の中がとげとげしい苛立たしさで溢れそうだった。

◆◆◆

その日、結局春音とは気まずいまま仲直りすることもできず、顔を合わせ辛くて部活もサボってしまった。たまたま部活が休みだった千帆ちゃんと一緒に市高通りを駅へと向かって歩いていた。
11月に入ってから日ごとに寒くなって来て、午後4時近くにもなると西に傾いた陽射しは全然勢いがなくなり、オレンジの澄んだ光を力なく投げかけていた。何となく物寂しい気持ちになる光の色だった。
「どうしたの?」
学校を出てから千帆ちゃんはずっと訊ねるタイミングを計っていたみたいで、遂に思い切った様子であたしに問いかけた。
あたしはやっぱり気まずい気持ちで、「うん・・・」って言ったものの、口ごもってしまった。
「春音と何かあったの?」
そう言われて伺い見るように視線を上げると、千帆ちゃんは心配そうな面持ちであたしを見ていた。
あたしは少し迷惑に思うのと千帆ちゃんに心配かけて悪いなと思うのと半々な気持ちになりながら、春音に対して今はもう後悔ばかりが募って、だけど自分から 素直に謝ることができなくて、それで誰にも相談することもできずに自分の思いを持て余してしまっていたので、躊躇いながらも口を開いた。
「春音は正しいことを言ってくれてたんだけど、あたしがそれを素直に聞くことができなくて、あたしが怒ってケンカしちゃったんだ」
はっきりと口に出すと改めて自分の中で後悔の念が強くなった。
「萌奈美が怒るなんて珍しいね」
意外そうに千帆ちゃんが言った。それから少し苦笑いを浮かべた。
「まあ、春音ってあんまりにも婉曲的にものを言わな過ぎるからね。あんまり厳しい指摘をにこりともしないで冷ややかに言われたら、言われた方が腹が立つのはよく分かるけど」
それから千帆ちゃんは思い出したように付け加えた。
「そう言えば昨日の萌奈美も意外な感じがした」
あたしはどう答えていいか分からなくて、曖昧な表情を浮かべて少し首を傾げた。
「でも、多分春音は本当に萌奈美のためを思って言ってくれたんだと思う」
千帆ちゃんの言葉にあたしも頷いた。
「うん。それは、あたしもそう思ってる」
「春音、自分でも自分のものの言い方がキツイのはよく分かってるみたいだから、それに春音は萌奈美のこと一番大事な友達だって思ってるはずだから、今頃春 音の方でも萌奈美に対して後悔してたりするんじゃないのかな。そんなに気に病まないで、素直にごめん、て言えば何もなかったみたいにまた話せて仲直りでき るよ」
千帆ちゃんの言葉は、落ち込んでいたあたしをすごく勇気付けてくれた。千帆ちゃんに打ち明けてみてよかったって思った。
「うん」
あたしは自分にも言い聞かせるようにしっかりと頷いた。千帆ちゃんはそんなあたしを見てほっとしたように微笑んだ。
とても千帆ちゃんに感謝していた。素直に「ありがとう」ってお礼を言って、笑いかけた。
千帆ちゃんも笑顔で「ううん」って頭を振った。
「絶対、大丈夫だから」
千帆ちゃんが言い、あたしも「うん」って頷いた。二人で笑い合いながら。
何だか穏やかな気持ちになって肩を並べて歩いていたら、後ろから「櫻崎(さくらざき)さん」って呼ぶ声が聞こえて、千帆ちゃんもあたしも立ち止まって振り返った。
あたし達が振り向いた先、市高通りをこちらへ軽く駆けて来る男子生徒の姿が目に映った。
それが誰かすぐに分かった。
こっそり隣へ視線を移すと、千帆ちゃんが少し頬を染めながら困ったような嬉しいような顔をしていた。
「宮路先輩・・・」
あたし達のところまで駆けて来て、宮路先輩は少し息を弾ませながら嬉しそうに笑った。
「千帆の後ろ姿見つけたから。一緒に帰ろうと思って」
少しの照れもなくそう言う先輩に、千帆ちゃんはちょっと困ったような顔のままで、どう言っていいか分からなそうだった。
さっきは遠くからだったからか千帆ちゃんを苗字で呼んでいたのに、今宮路先輩が彼女を下の名前で呼ぶのを聞いて、あたしは二人の親密さを何となく感じ取ることができた。
「一緒に帰ってもいいかな?」
あたしに向かい宮路先輩は訊ねた。お邪魔じゃないかって気になったのかな?むしろお邪魔なのはあたしの方なんじゃないかな?
そう思いながら、あたしは「もちろんです」ってOKした。
あたし達は千帆ちゃんを真ん中にして三人で並んで歩き出した。千帆ちゃんは何だか恥ずかしそうに俯きがちだった。
「でもラッキーだったな。帰り道で千帆と会えるなんてさ。今日、部活はなかったんだ?」
問いかける宮路先輩に千帆ちゃんは顔を上げて、でも視線が合うと慌てたように視線を外して恥ずかしそうに答えた。
「はい。今日はたまたまなんですけど。先輩も今日は部活なかったんですか?」
「うん。冨澤先生が今日出張でいないんで部活休みなんだ」
宮路先輩は市高の有名人だった。放送部の名物部長で、幾つもの企画を立てて絶賛されたっていうことだった。勉強も出来て常に学年上位の成績をキープしてい た。おまけに先生からも生徒からも信望の厚い好人物で、もはや伝説として語り継がれている話で、トイレ掃除でも靴下を脱いでズボンの裾を捲り上げたサンダ ル姿で、嫌な顔ひとつ見せず全く手を抜かないで熱心に掃除をしていたというほどの生真面目さで、しかもただ生真面目なだけの堅物ではなくて、気さくで快活 な明るい性格でとても打ち解けやすい人となりで、上級生にも下級生にも広く顔を知られている市高の人気者だった。
その宮路先輩と千帆ちゃんは文化祭で実行委員会の委員になって知り合ったっていうことだった。委員会内の分担で同じ係になり、面倒見のいい宮路先輩が初めて文化祭を経験する千帆ちゃんにとてもよくアドバイスしてくれて、それで二人は仲良くなったそうだ。
とても素敵な先輩だって千帆ちゃんはあたしに打ち明けてくれていた。千帆ちゃんは文化祭実行委員の活動期間中、一緒に色々な仕事をして、宮路先輩のどんな ことにも全力で取り組む姿勢とか、決して面倒くさがったりしない真摯なところとか、自分から率先して動き回る姿とか、忙しくても絶対にイラついたり周りに 当たったりせず、周囲に対する気遣いを忘れないところとか、そういう宮路先輩の姿を近くで見続けているうち、いつの間にか心惹かれていたそうだ。でも人気 者の宮路先輩だし絶対自分の片想いで終わるに決まってるって千帆ちゃんは初めから諦めていたところに、思いも寄らず宮路先輩の方から気持ちを告白されて、 千帆ちゃんは信じられないのとびっくりしたのとで、しばらくの間は宮路先輩の彼女になれたなんて実感を持てずにいたそうだ。
そんな訳で二人の交際はつい何週間か前にスタートしたばかり、まだできたてホヤホヤのカップルだった。
横で見ていても本当に嬉しそうにずっと話し続ける宮路先輩と、恥ずかしそうにはにかみながら言葉少なに受け答えしている千帆ちゃんの二人が初々しくて微笑ましくて、あたしはそんな二人を見ていてつい悪戯心が湧いて来て宮路先輩に訊ねてしまった。
「宮路先輩はどういう気持ちで千帆ちゃんに告白したんですか?」
あたしが突拍子もないことを訊いたので、千帆ちゃんは真っ赤になりながら慌てふためいた。
「ちょっと、萌奈美!突然何聞くのよ!」
宮路先輩も一瞬面食らったみたいに目を丸くしたけど、すぐに屈託のない笑顔に戻って話し始めた。
「千帆とはさ、最初は文化祭の実行委員の活動で知り合ったんだよね」
あたしは頷いて「ええ。知ってます」って答えた。その辺りの経緯(いきさつ)は既に千帆ちゃんから事細かに聞かせてもらっていた。
「第一印象で、あ、可愛いコだなとは思ったんだよね」
いきなり惚気(のろけ)られて聞いているあたしの方が照れてしまった。隣の千帆ちゃんは言わずもがなだった。真っ赤な顔で言葉もなく俯いていた。
先輩ってこういう事を照れもせず言える人だったんだな、ってあたしは感心すると共に尊敬の念を覚えた。なかなか出来ることじゃないと思う。
それから宮路先輩は千帆ちゃんのことを段々と意識するようになっていった気持ちを打ち明けてくれた。
去年も文化祭の実行委員で同じ係を担当していた先輩は、経験者として係を率先する役割を務める一方で、放送部の企画でも中心メンバーとして立ち回ってい た。そんな多忙を極めていた宮路先輩を助けるように、千帆ちゃんが一生懸命に委員の仕事をこなしてくれるのを傍で見ていて、先輩はすごく感心したのと同時 に好感を持ったっていうことだった。
千帆ちゃんは宮路先輩に褒められてとてもくすぐったそうだった。
「そんなことないです。先輩がいつも自分から進んで一生懸命頑張ってやってるから、あたしは先輩を見習って頑張ってただけです」
謙遜するように千帆ちゃんは答えた。
それから文化祭を終えてからも先輩は千帆ちゃんのことが気になっていて、校内で千帆ちゃんを見かけたりする度にすごく意識するようになったって話した。そ れと共に先輩の中で誰かに先を越されてしまうかも知れないっていう不安が募ってきて、いてもたってもいられなくなって千帆ちゃんに告白したのだそうだ。
それで千帆ちゃんももちろん宮路先輩の事が好きだったから、信じられない気持ちで何だかよく分からないまま頷いたことをあたしは千帆ちゃんから聞いていた。。
「ラッキーなことにOKの返事をもらえて、もう飛び跳ねんばかりに喜んだね」
先輩はその時の事を思い出しながら得意そうに話した。
宮路先輩が一向に照れる様子もなく話してくれているのに対し、千帆ちゃんは隣で聞いていて終始とてもくすぐったそうにしていた。でも千帆ちゃんもどういう 風に先輩が自分の事を想うようになってくれたのかを聞くことができて、多分そんなチャンスはそうはないだろうから、嬉しかったに違いないんじゃないかなっ て思った。
あたしはこんなにも素直に千帆ちゃんへの気持ちを聞かせてくれた宮地先輩に好感を持った。とってもお似合いの二人だって心から思った。そして千帆ちゃんが素敵な恋をしているのがとても嬉しかった。

千帆ちゃんと宮路先輩の二人を、羨ましいとかそういうんじゃなしに、あ、いいな、って思った。素敵な二人だな、って思った。二人を見ていると何だか胸が温 かくなった。憧れとかとは違う。自分がどうとか、そういう気持ちは全く動いたりしなかったけど、ただ二人を見て純粋に”ぴったり”な感じがして微笑ましく 感じられた。
人を好きになるとか、恋とか、あたし自身はよく分からなくて、自分がその状況に置かれることを望んでなくて、何だか避けて通りたい感じがしていて、そうい う感情が疎ましくて気後れを感じているのだけれど、千帆ちゃんと宮路先輩の二人が肩を並べて仲睦まじい感じで歩いている姿はとっても素敵だなって素直に 思った。

◆◆◆

家に帰って自分の部屋に入ってすぐに春音に電話をかけた。すぐに謝りたいって思った。
繰り返されるコール音を聞いていると不安な気持ちがじわじわと募ってきたりしたけど、それを何とか押し留めて春音が出るのを待っていた。
「もしもし?」
春音の声が耳に飛び込んで来て、緊張にどきん、って心臓が高鳴った。
「春音?」
恐る恐る呼びかけた。
「うん」
そこで二人の間に少し沈黙が流れた。
どきどきしながら、でも勇気を奮い立たせて口を開いた。
「・・・春音、あの、今日はごめんね」
何て言っていいか頭の中でまとまらないまま、たどたどしく謝るあたしに春音は何もなかったかのように、いつもと変わらない声で返事を返した。
「うん、別に。気にしてないよ」
そのあまりの普段と変わらない調子に、拍子抜けしたような気分になった。
何だか全然気にしていない春音の様子に、春音にとってあたしはどういう存在なんだろう、っていう不安を覚えた。あたしがどんな風に思おうと、どんな態度を 取ろうと、春音は大して気になったりしないんじゃないかって思った。春音の中で、あたしは春音にとって必要とされている存在なんだろうか?
「本当に?」
不安になって思わず聞き返した。
「うん。あたしこそごめんね」
春音はさりげなくあたしに謝った。注意していないとそのまま聞き流してしまいそうなほどのさりげなさだった。聞く人によっては、それって自分で本当に悪いって思って謝ってるの?って疑問を感じるような調子のものだった。
少し判断に迷って口ごもっていた。
「あたし、いつも省略し過ぎてるよね。ちゃんと説明しないで言葉が足りてなくて、単刀直入に言い過ぎるし、相手の気持ちとか考えないで、きっとこう言った ら傷つくだろうなとか、そう思っても気遣う努力とか怠ってて・・・他の人には多分あたしの言葉が相手を怒らせるだろうなって分かってるから言おうとも思わ ないんだけど、萌奈美にはきっと萌奈美ならそういう部分を省いて言ってもちゃんと伝わってるんじゃないかって思って、萌奈美の気持ちを考えずにきついこと 言ってばかりいる。萌奈美に甘えてるんだ。ごめんね」
とつとつと話す春音の言葉を、あたしは注意深く耳を傾けて聞いていた。
春音にとってあたしは甘えられる存在なんだって、その言葉を聞いて知ることができた。他の人には言わないことでもあたしには言ってくれる、そのことを春音 の口から聞くことが出来て、あたしは嬉しかった。春音の中であたしは大して気にもならない存在じゃないって分かって嬉しかった。
「ううん、あたしのこと春音がそんな風に思っていてくれて、嬉しいよ」
素直な気持ちになって言った。
「あたし、春音にとって少しでも必要とされてるのかなってすごく不安だったんだ。あたしが怒ったりしても別に春音は気にもならないのかなって、あたしばっ かり春音をすごく大事な友達って思ってて、春音にしてみればあたしなんてどうでもいいのかなって、そんなこと自分勝手に馬鹿みたいに思って、一人で淋し がってた」
春音はあたしの話を聞きながらどう思ったのだろう?
少しの沈黙があって、一言「ごめん」って聞こえた。
でもあたしはその一言に込められた強い自責の念とか、悔やむ気持ちとかをしっかりと受け取っていた。
その後も春音が「萌奈美をそんなに不安な気持ちにさせてたって気付かなくて、淋しい気持ちにさせてて、本当にごめん」って言葉を続けるのを、嬉しさが募って目に涙をいっぱい溜めながら泣き笑いの顔であたしは聞いていた。

◆◆◆

意を決して、メモに綴られている携帯の番号に電話をかけた。
何回かのコール音の後、「もしもし?」って問い質す低い声が聞こえた。
「槙嶋くんですか?あの、阿佐宮です」
あたしが名乗ると槙嶋くんは明るい声で応じた。
「阿佐宮さん?よかった。芳田さん、ちゃんと伝えてくれたんだ」
電話越しに聞こえる声がとても嬉しそうな感じで、あたしは少し気まずい気持ちになった。
「日曜は待っててって言われたのに、黙って帰っちゃってごめんなさい」
取り合えず黙って帰ってしまったことを謝った。
「いや、いいよ。全然、気にしてないから」
槙嶋くんの弾んだ声がそう言ってくれて、でもあたしの気持ちは益々陰鬱になっていった。
「ありがとう。それでね・・・」
あたしは逸る気持ちで、何か話し出そうとする槙嶋くんを制して言った。
自分でも少し頑な過ぎるのかな、って思ったりもした。携帯の番号なんてそんなに堅苦しく考えずに教えてあげてもいいのかも知れない。或いは男の子だからっ て変に意識する必要はないのかも知れない。二人で会うのはやっぱり何だか特別な感じがするので避けたいけれど、他の女の子や男の子とみんなで一緒に会うこ とにして、大勢の友達の内の一人として会うのなんてみんな誰でもしていることなのかも知れない。だけど、携帯の番号を教えることが何か期待させたり気を持 たせたりすることに繋がったりするのなら、それはやっぱりあたしの本意ではないし、それに、同じようにみんな等しくただの友達っていう、そういうのにあた しはどうしても違和感を感じないではいられなかった。
だから、やっぱりあたしはこうするしかないんだと思う。
「あの、やっぱりメアド教えられない。ごめんなさい」
携帯の番号も自分では教えるつもりはないけど、多分今電話してて槙嶋君の携帯に番号が表示されてしまっているんだった。
あたしが告げると、槙嶋くんは意外そうな声で聞き返した。
「えっ、何で?」
あたしは小さく一回深呼吸すると口を開いた。できるだけ真摯に、槙嶋くんにあたしの言いたいことが伝わればいいって思いながら。
「だって、あたしと槙嶋くん親しくないし。中学の時だって親しかった訳じゃなかったし・・・」
「それはそうかも知れないけど、でも、これから親しくなりたいって俺は思ってるんだけど」
槙嶋くんはそう言うと少し躊躇うような間があいた。あたしはその続きは聞けないって思った。
「あたし、槙嶋くんを同じ中学だった男のコって、そういう風にしか感じてない」
「え?」
あたしの言葉に、槙嶋くんの息を呑むような声が聞こえた。
「だから、ごめんなさい」
そう言ってあたしが話しを終えようとするのを、槙嶋くんの硬い声が遮った。
「・・・付き合ってるヤツとかいるの?好きなヤツとか」
あたしは少し戸惑って、そんな事を槙嶋くんに教える必要あるのかなって思ったけれど、でも正直に答えた。
「ううん、いない」
「じゃあ、別によくない?普通に友達としてさ、会えばいいんじゃない?」
押し付けるかのような口調で槙嶋くんはそんなことを言った。
「ごめん、あたし、そういうのって分かんない。変かも知れないけど、そういう風に会うの、あたしできない」
あたしの頑なな返答を聞いて、槙嶋くんは返す言葉がないのか沈黙してしまった。
あたしは更に続けた。
「本当にごめん。でもあたし、槙嶋くんのこと何とも思ってないの。だから会えないし、もう電話しようとか思ってない」
あたしの言葉はきっと槙嶋くんを傷つけてしまった。重苦しい沈黙が流れた。電話の向こうで槙嶋くんがどんな気持ちでいるのか気になりながら、あたしは電話を終えようと思った。
「本当にごめんなさい」
謝る言葉は最後まで伝わらなかった。あたしが話している途中で電話は不意に切れた。あたしの言葉を拒絶するみたいに通話は切断された。耳に押し当てたままの携帯からはツーツーっていう冷たい響きだけが聞こえていた。
槙嶋くんを傷つけてしまったことを悔やみながら、恐らく途切れた電話の向こうで今、槙嶋くんは深い悲しみをあたしに対する怒りや憎しみの気持ちで紛らわせ ているのかも知れないって思いながら、それが辛くはあったけれど、でもこうするしかなかったんだって自分に言い聞かせていた。
だからと言って、自分が槙嶋くんの心を深く傷つけてしまったことについての自責の念と後悔の思いが少しでも薄れる訳ではなかったけれど。

深く落ち込んだ気持ちをまだ引きずったまま、ベッドに仰向いて寝転がりながら天井をぼんやりと見つめていた。
あたしの中にまだ一度も生まれたことのない気持ち。もしかしたらあたしには欠落してしまっているのかも知れない。あたしの心は綻んでいて、その綻びから知 らぬ間に零れ落ちてしまったのかも知れない。それともそんな気持ちは最初からあたしには失われてしまっているのかも知れない。
誰かをとても好きになったり、恋しくて焦がれたり、自分を抑えられなくなるくらい愛しく思ったりすること。そんな気持ちにあたしの心が埋め尽くされる時が来るんだろうか、いつか?
自分の中で欠けている心のカケラを思うと、何だか淋しかった。いつか、その無くした一片は見つかるんだろうか?その見つからなかったピースがカチリと嵌 (はま)って、あたしの心はその時動きだすんだろうか?誰かを恋しく思う気持ち、愛しく思う気持ち、胸が潰れてしまいそうなくらいに激しく切ない想いがあ たしの心に生まれてくる時が訪れたりすることがあるのかな?

◆◆◆

春音と並んで廊下を歩いていると、向こうから来た智恵美ちゃんと目が合った。
「智恵美ちゃん」
あたしが笑いかけたら智恵美ちゃんも手を振って笑い返した。それから思い出したことがあったように「あ、そうだ」って呟いてあたしを手招きした。
あたしは智恵美ちゃんに顔を寄せた。
「萌奈美、槙嶋くんのこと振っちゃったんだって?」
近くにいる春音のことを気にしながら、声を潜めて智恵美ちゃんはあたしの耳元で囁いた。
どうして智恵美ちゃんがそのことを知ってるのかって驚きながら、あたしは曖昧に頷いた。
「西条くんとこの前電話してて聞いたんだけど、槙嶋くんたら、西条くん達にそのこと言ってるみたいよ。萌奈美にフラれたって」
智恵美ちゃんは言った。
それを聞いて暗い気持ちになった。多分槙嶋くんを怒らせちゃっただろうなとは思ったけれど、そんな風にみんなに伝わることになるとは思ってもみなかった。
みんなにあたしはひどい人間だって思われただろうか?
あたしは少し不安になって智恵美ちゃんの様子を伺うと、智恵美ちゃんは少し憤慨している感じで話を続けた。
「槙嶋くんて意外とセコイんだね。断られたくらいで言いふらすなんてさ」
どうやら智恵美ちゃんは槙嶋くんの取った行為に怒ってるらしかった。
「そんなことしても自分の小ささを見せつけるだけだって分かんないのかな?だからあたし西条くんに言ってやったの。西条くん、槙嶋くんの一番の親友みたいだからさ。槙嶋くんの評判が下がるだけだから、そんなことみんなに言うの辞めさせたほうがいいよ、って」
得意そうに話す智恵美ちゃんに、呆気に取られていたあたしは「そうなの」って感情の籠もらない声で相槌を打った。
「うん。だから萌奈美は全然気にしなくて大丈夫だよ」
笑って智恵美ちゃんは言い、「じゃあね」って手を振って立ち去ってしまった。
あたしが茫然と立ち尽くしていると、ぽんと背中を叩かれた。我に帰って振り向いたら春音が笑いかけていた。
「大丈夫だよ。あたしも全然気にしなくていいと思う」
「うん、ありがとう」
春音がそう言ってくれて、でもまだ暗い気持ちを拭い去れずにいるあたしは力なく笑い返した。
「多分、芳田さんも萌奈美のしたことを認めてくれたんだと思うけど、あたしも萌奈美のしたことは間違っていないって思う。正しいのかどうかまでは自信を持って言えないけど、でも間違ってはいないと思う。あたしはそう思ってる。だから大丈夫だよ」
春音の言葉は、落ち込んだあたしを勇気付けてくれた。元気付けてくれた。
笑顔で頷いて、心から「ありがとう」って言った。

あたしは春音、千帆ちゃん、数少ないけれどあたしが心から信頼を寄せることができる友達に支えられながら、多分自分では全く気付かずにそれでも分かっていたんだって思う。
いつか。きっといつか、あたしが心から想いを寄せるあたしが必要とする大切な人、そしてあたしを必要とする愛しい人、お互いに絶対に欠くことのできない大 切な誰か、自分ではどうすることもできないほどの恋しさ、愛しさにお互いが身を焦がすような存在である誰かと、必ず出会えるんだって、そう知っていたんだ と思う。
そして、その時きっとあたしは知るんだと思う。恋するってこと、愛しい気持ち、そういう素敵な想いと出会えるんだって、あたしの中のあたしも知らないあたしはそれを知ってる。

◆◆◆

本当にたまたまだった。
日曜の昼下がり、浦和のパルコの上にあるユナイテッドシネマで映画を見て、大分遅いお昼ご飯を食べてからLOFTの店内をぶらついていた。
前方にいた人が突然あたしのことを「阿佐宮さん?」って呼んだのだった。
あたしはびっくりして相手の顔を見た。あっ、と思った。
「・・・槙嶋くん?」
去年会った時より背が伸びて少し大人っぽくなっている感じがした。
「偶然だね」
槙嶋くんは笑顔になって言った。笑った顔には見覚えのある槙嶋くんの面影が浮かんだ。
「本当。久しぶり」
曖昧な笑顔を浮かべた。去年のあの時の事が思い出されて少し戸惑った気持ちになった。あたしと顔を合わせて、槙嶋くんはどう思ってるんだろう?
微妙な気持ちでいたあたしは、すぐに槙嶋くんの隣にいる女の子に気が付いた。
あたしの視線がその女の子に向けられたのに気付いた槙嶋くんは照れたような笑顔になって言った。
「あ、俺のカノジョ。藍田さん」
藍田さんって槙嶋くんに呼ばれた女の子は、あたしのことを神妙な面持ちで見ながらぺこりとお辞儀した。
あたしもすぐに「こんにちは」って言ってお辞儀を返した。
槙嶋くんは藍田さんにあたしのことを「彼女、阿佐宮さん。同じ中学だったんだ」って説明した。
藍田さんはあたしのことをまじまじと見ながら、あまり関心もなさそうな声で「そうなんだ」って頷いた。
そっか、槙嶋くん彼女いるんだ。何となくほっとしたような気持ちになった。
藍田さんが「槙嶋くん、行こ」って槙嶋くんの服の袖を引っ張って促した。槙嶋くんは「あ、うん」って頷き、あたしの方を見返して「じゃあ」って言った。あたしも「うん。じゃあね」って答えた。素直に笑顔になれた。
「萌奈美」
そこへ、入れ違いのようにステーショナリーのコーナーを見ていた匠くんが来て、あたしを呼んだ。
「あ、匠くん。もう買い物終わったの?」
匠くんといるともう自然に顔が綻んで、嬉しくて満面の笑顔が浮かぶのが自分でも分かった。こんなとこ聖玲奈(せれな)に見られでもしたら、絶対「何ニヤけてんの?」って突っ込まれるに違いないんだろうな。
「うん。お待たせ」
笑顔で答える匠くんの左手を取って、あたしは「行こう」って言った。
半ば強引な感じで手を繋いだので、匠くんは少しうろたえた感じだった。匠くんてば、こういうのいつまで経っても慣れないんだね、って内心可笑しくなりながら、そういう匠くんが大好きでものすごく愛しく感じた。
匠くんの左手はいつも空いてる。いつもあたしと手を繋ぐためにとってある。あたしは指を絡めて繋いだ手にぎゅっと力を込めた。匠くんの温かい手が応えるようにしっかりとあたしの手を握り返した。
あたし達のやり取りが耳に届いたのか、少し離れたところで振り返ってこっちを見て意外そうな顔をしている槙嶋くんの姿が目に入った。
別に誰に見られたって全然構わなかった。あたしは誇らしげに匠くんと手を繋いで歩き出した。


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