【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ No Welcome to My Room 第1話 ≫


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「萌奈美ちゃん、電話ー」
夜、リビングのソファで匠くんにひっついてAXNで放送している『CSI:NY』を見ていた時だった。
自室から出てきた麻耶さんが携帯を片手にあたしを呼んだ。
最初何を言われてるのか全然理解できなかった。
それは匠くんも同様で、頭の中で大きなクエスチョンマークを浮かべてる顔だった。
麻耶さんの携帯にあたし宛の電話がかかってくるなんて訳分からなくて当たり前だと思う。
「え・・・あたしに?・・・誰?」
思いっきり訝しげな顔で聞いてしまった。
「九条さん」
「ちょっと待て!」
麻耶さんの返事を聞いてすかさず匠くんが横槍を入れた。
「何で九条が萌奈美に、しかもお前を経由して連絡して来るんだ?」
匠くんの疑問はもっともだった。あたしだってそう思うもん。九条さんがあたしにどんな用事があるんだろう?
「いちいち細かいこと気にしないの」
麻耶さんが如何にもウザったそうに眉を顰めた。・・・って、当然の疑問だよ。
「あ、もしかして萌奈美ちゃんに男から電話掛かって来たのが面白くないとか?」
麻耶さんは意地悪な笑みを浮かべて匠くんをからかった。
「それって器、小さくない?」更なる追い討ち。
「んな訳あるか!」
むっとした声で匠くんが言い返す。絶対麻耶さんに乗せられやすいよね、匠くん。
「いいからよこせ!」
そう言って匠くんは麻耶さんから携帯を奪い取ろうとする。
「ちょっとお!あたしの携帯なんだからねー、プライバシーの侵害ー!」
匠くんから携帯を護りながら麻耶さんが抗議の声を上げる。口で麻耶さんに敵う訳ないよねー。二人のやり取りを見ながら思った。
「はい、萌奈美ちゃん」
匠くんの手から巧みにガードしつつ麻耶さんはあたしに携帯を差し出した。
仕方なく携帯を受け取った。
「あの、もしもし?」
恐る恐る電話に出る。
「あ、萌奈美ちゃん?こんばんはー!元気ー?」
思わず人違いです!って携帯を放り出したくなるような、底抜けに陽気な(って言うよりノーテンキな)声が耳に飛び込んで来る。
「げ、元気です。こんばんは」
ビビりながらも何とか挨拶を返す。
「何か匠が吠えてるみたいだけど今平気ー?」
言いながら絶対少しも気にかけていないって分かる九条さんの声だった。
ちらりと横目で匠くんの様子を伺った。あたしから携帯を受け取ろうとする匠くんを麻耶さんが阻んでいた。
「・・・はい」
あたしが仕方なしに返事をすると、九条さんは「悪いね」ってこれも絶対そんなこと少しも思ってないでしょ?ってツッコミを入れたくなるような声でお義理の ように謝った。一度会っただけだけど、九条さんのこういうトコはもうよく分かってるので諦め顔をするしかなかった。
「あの、あたしに用事って?」
「うん、そう。匠に言ったって黙殺されるに決まってるからさあ」
それは匠くんが黙殺するようなことを持ちかける九条さんの方に問題があると思うんですけど。とは思ったけどもちろん口には出さなかった。
「はあ・・・」曖昧に相槌を打っておく。
「今度さー、萌奈美ちゃんトコ行ってもいい?」
「はあっ?」
藪から棒な話に思わず何とも間の抜けた声を上げてしまった。あたしんトコって・・・何処のこと?そう考えてやっとこの部屋のことだって思い当たる。
「え・・・ここ、ですか?」
聞き返しながら、“あたしんトコ”って表現が何だか腑に落ちない感じがした。あたしは居候の身だし、やっぱり匠くんの部屋、若しくは麻耶さんの部屋って言 うのが正しい気がした。(でも、そう感じてることを打ち明けたら、匠くんは「萌奈美は居候なんかじゃなくて、れっきとした婚約者(フィアンセ)だろ!」っ て強く窘(たしな)められて、匠くんの言葉がもうすっごく嬉しくって、思わず、えへへって一人でニヤけちゃったし、麻耶さんも「ここは萌奈美ちゃんの部屋 なんだよ。胸張ってそう言っていいんだからね」って言ってくれて、もう涙が出るくらい嬉しかった。)
「うん、ソコ」九条さんは鸚鵡返しのように言った。
「でも、匠くんに聞いてみないと・・・」
困惑したあたしは口籠もった。一方何も心配していないような楽観的な九条さんの返事だった。
「いーの、いーの!匠に聞いたって駄目って言うに決まってんだからさ!」
それで匠くんを無視したりしたら余計マズイと思うんだけど。そういう考えは九条さんの頭の中にはないのかな?ただただ疑問だった。
「それに萌奈美ちゃんトコお邪魔したら、色々と世話かけちゃうのはやっぱ萌奈美ちゃんでしょ?だから匠の都合なんかより萌奈美ちゃんの都合が大事なの」
それは一理あるような気がしないでもないけど、でも実のところは何だかんだ理由をつけて匠くんをスルーしようっていう論法に他ならなかった。
「萌奈美ちゃんは迷惑かな?」
うっ。九条さん、ズルイ。打って変わって気遣う口調でそんな風に聞かれたら、迷惑だなんて言える訳ない。匠くんの(匠くんは認めたがらないけど)大切なお 友達だし。
「・・・そんな、迷惑なんて、そんなことないですけど・・・」
あたしが躊躇いつつも答えた途端だった。
「良かったあ!」
盛大に喜びを表した声が電話の向こうから放たれた。あたしはスピーカーからの圧力に思わず携帯を耳から離した。
「んじゃあさー、早速だけど今度の日曜とかどう?都合悪い?」
畳み掛けるように聞かれてあたしは狐につままれたような気分だった。この変わり身の早さは何?
そんなことをぼんやりと頭の片隅で思いながら、半ば反射的に返事を返した。「いえ、特に・・・」
そこで言葉は遮られた。
「そう?良かった!あ、麻耶ちゃんからは大丈夫って返事もらってるから。んじゃ、日曜の1時過ぎってことで」
有無を言わせぬ一方的さだった。あたしはもごもごと口の中で「え」とか「あの」とか声にならない声を上げるばかりだった。
辛うじてあたしは一体誰が来るのかって疑問を思い浮かべることができた。
「あのっ、いらっしゃる方って・・・」
何とか聞くことができた。だけど。
「あ、いーから、いーから。気心知れたメンバーばっかりだからさ。萌奈美ちゃんは気い遣わないで」との九条さんの返答。
そーじゃないんだってばっ!絶対、九条さんは分かっててはぐらかしてるんだった。
必死になって聞き返そうとして、その瞬間携帯が手の中から消失していた。
「てめー!九条!一体何のつもりだ!?」
呆然とするあたしの目前で、匠くんがあたしから奪い取った携帯に向かって盛大な罵声を浴びせていた。
「おう、匠。久しぶり」
よく通る九条さんの声は離れてても聞こえた。
「誤魔化すなっ。何企んでる!?」
「お前、藪から棒に人聞き悪いこと言うなよ」
「ざーとらしい!」
心外そうな九条さんの抗議を匠くんはばっさり斬り捨てた。
「どういう魂胆だ?」
あたしが聞いたことのないような押し殺した声で匠くんは携帯の向こうへ問い質した。あたしは思わず息を呑んだ。
「ああ、うん。お前にも一応知らせとくな」
携帯のスピーカーからはしれっとした声が聞こえてきた。流石は大学時代からの長い付き合いだけあって、匠くんが怒ってる様子にも全然怯む気配は見えなかっ た。
「今度の日曜、おまえんトコ行くから」
「なんだそりゃあ!」
前置きも理由も一切省いた九条さんの一方的な通告に、匠くんは我を忘れて大声を上げた。
「ちゃんと説明しろ!」
「あ、麻耶ちゃんと萌奈美ちゃんの許可はもうもらったから」
匠くんの要求を九条さんはあっさり無視した。
「じゃあ、日曜、1時な」
「ちょっ、待てっ!」
追いすがる匠くんの声も空しく、通話は切られたみたいだった。
一瞬呆然としていた匠くんはくるりとあたしの方に向き直った。
「・・・一体、何だって?」
まだショックでモードチェンジできていない匠くんに問い質されて、身を竦ませずにはいられなかった。
「えっ、あのっ・・・」焦って言葉が出て来なかった。
「なに萌奈美ちゃんに八つ当たりしてんのよ!」
麻耶さんが匠くんの手から携帯を奪い返しながら匠くんを叱責した。我に返ったらしい匠くんは慌てた様子だった。
「誰も八つ当たりなんか!・・・」
言葉は途中で切れてしまった。
「・・・萌奈美、ごめん」
萎れたような匠くんの様子を見て、今度はあたしの方が慌ててしまった。
「ううん、平気・・・」
匠くんの怒りが鎮まったのが分かって、ほっとしながら笑顔を返した。
麻耶さんは匠くんがしょげてる今の内にって感じで、逃げるように自分の部屋に入ってしまった。抜け目ないんだから・・・。

落ち着きを取り戻した匠くんに、あたしは九条さんに聞いた話を伝えた。って言っても、あたしも今度の日曜の1時にウチに来るってことしか聞いてなくて、結 局二人で一体誰が、何でウチに来るんだろうって頭を悩ませるばかりだった。
匠くんが切り出すとまた喧嘩腰になるに違いないので、あたしから麻耶さんに探りを入れることにした。
「ねえ、日曜って誰が来るの?」
「んー」
麻耶さんは天を仰いで思案顔だった。それからあたしを見て言った。
「秘密!」麻耶さん、その嬉しそうな顔って・・・
「そんなあ!」
あたしは悲鳴交じりの声を上げた。
何なのよー、一体!?
あたしと匠くんはそれから日曜まで不安を抱えながら過ごすことになった。

◆◆◆

日曜は朝から落ち着かなかった。
早めに起きて念入りに部屋の掃除をして、それから匠くんと二人で近所のスーパーに買出しに出掛けた。そうは言っても誰が来るのかも何人来るのかも分からな くて、何をどれだけ買えばいいのかいまひとつ掴めなかった。
部屋から一歩外に出ると、これでもかっていう感じで残暑の強い陽射しが降り注いできた。もうすぐ八月も終わりだっていうのに、夏休みが終わるのを嫌がって る気持ちに呼応するかのように、まだまだ季節は夏の真っ只中にあることを主張してるような気がした。
二人で話しながら、取り合えず九条さんを始めとした匠くんの大学の時の友達辺りが来るんだろうって見当をつけて、アルコール類とかペットボトルとかおつま みの類を買い物籠に入れた。
1時過ぎって時間帯だからお腹にたまるものもあった方がいいよねって思って、お料理の材料も買うことにした。分量が分からなかったので少し多めに買ってお いた。
ワンパターンかなとも思ったけど、イタリアンを作ることにした。九条さん達にはまだ披露したことないしね。それでペペロンチーノとボロネーゼのパスタ二種 類、他にもカプレーゼとか簡単なものを幾つか作ろうって思った。
「萌奈美、張り切らなくていいからね」
後ろからカートを押しながらついて来る匠くんが面白くなさそうな顔で、だけど優しい声で告げた。面白くないのは一方的に家に押しかけられるからで、それは あたしも分かってるので笑い返した。
「ううん、大丈夫。そんな大したもの作らないから」
「住んでる人間の許諾もなしに押しかけて来るような奴ら、もてなしてやることなんてないんだからさ」
未だに匠くんの中では九条さん達は許可なく一方的に押しかけてくるものっていう認識らしかった。まあ、無理もないけど。
だけど片や九条さんの方は、あたしと麻耶さんの許可を取り付けたことですっかりパスしたものって思ってるに違いなかった。
多分こういう認識の不一致はこれまでにも何度となく繰り返されて来たんだろうなあ、って容易に想像できてしまった。それも九条さんが分かっててやってて、 それは匠くんの反応を面白がってのことに違いないってところまで予想がついた。そんな二人のやり取りは仲間内では一種のレクレーション若しくはコミュニ ケーションと捉えられてるって、匠くんと九条さん共通の友人の飯高さんが以前話してたのを憶えている。なんだかんだ言って仲いいんだよ、って飯高さんは忍 び笑いを漏らしていた。その飯高さんの口調が、話している飯高さんを含めてみんな気の置けないとても親しい間柄であることを滲ませていて、匠くんにこんな 素敵なお友達がいるんだって分かって、とっても嬉しくなった。
それなのに表向きは仏頂面で文句を言っている匠くんが可笑しくて思わず笑ってしまった。
「ん?」
「ううん、何でもないっ」匠くんに見咎められて慌てて頭(かぶり)を振った。

部屋に戻って料理の下ごしらえを済ませたりお客さん用のグラスや取り皿を用意している内に、あっという間にお昼になってしまった。もうみんなが見えるまで 一時間もなかった。
麻耶さんはと言えば、休日の恒例で10時もだいぶ回ってから起きて来た。
「おっはよー」
大きなあくびを漏らしながらリビングに入ってきた麻耶さんを、匠くんはあからさまに不機嫌な顔で一瞥した。
「人が来るっていうのにいつまで寝てんだ」
リビングの壁に掛けてある時計に目をやった麻耶さんは心外そうな顔で言い返した。
「まだ二時間もあるじゃない」
「萌奈美が早くから起きて掃除や料理の用意とかしてくれてんのにどういう了見だっての」
「べっつにいーじゃん。よく見知った相手なんだからさー、わざわざ改まんなくてもさー」
投げ遣りに言う麻耶さんの意見は、根拠こそ違うものの匠くんの意見と結論では一致していた。
「誰のせいでそういう事態になったと思ってんだ?」
「まさかあたしのせいとでも?」
芝居がかった口調で麻耶さんは問い返した。麻耶さん、それって絶対匠くんを煽ってるでしょ?
「匠くん!」
麻耶さんの態度に眉根を寄せる匠くんに気付いて、慌てて呼びかけた。時間がないのに兄妹喧嘩なんか始めないで欲しかった。
「ごめん、洗ったグラスとか拭いてもらえる?」
「あ?ああ、うん。いいよ」
あたしがお願いすると匠くんはきまり悪そうな顔で頷いてくれた。
「んじゃ、あたしはちょっくらシャワー浴びて来るねー」
しれっとした口調で言い置いて麻耶さんはバスルームへと向かった。その後姿を忌々しそうに見ている匠くんを伺い見ながら、あたしとしては取り敢えず今はリ ビングからいなくなってくれて良かったって心の中で思っていた。

1時を回って数分。匠くんとあたしがリビングで来訪者を今か今かって待ち構えていると、チャイムが一度鳴った。マンションのエントランスからの呼び出し だった。
「やけに時間に正確だな」
意外そうな顔でそう呟く匠くんは、余りに時間通りに来たのが腑に落ちないらしかった。
「はい」インターホンの受話器を取って匠くんが応答する。
「やっほー!来たよー」
インターホンのスピーカーからやたらと陽気な声が響くのが聞こえた。その声は明らかに男の人のものではなかった。
「御厨(みくりや)さん!?」
完全に虚を突かれた様子の匠くんが調子のはずれた声を上げた。
「どうも、こんちは」
続いて今度はくだけた調子の低音の渋い声が聞こえた。
「丹生谷(にぶたに)さん!?」
再び匠くんが大きな声を上げる。
二人とも匠くんがお仕事で付き合いのある人達だった。あたしも以前一度会っていて、二人の顔を思い浮かべていた。丹生谷さんも御厨さんもイラストレーター で、匠くんにとっては先輩にあたるような人達なのだ。
「な、何で二人が?」
うろたえたように呟いた匠くんはすぐに気付いて慌ててエントランスの自動ドアの解錠ボタンを押した。
「ど、どうぞ」匠くんには珍しいくらい狼狽しながらインターホンに呼びかけていた。
匠くんが動揺を鎮める暇もなく玄関のチャイムが鳴った。匠くんは慌てて玄関へ走った。あたしも急ぎ足で匠くんの後に続いた。
玄関を開けると丹生谷さんと御厨さんの二人が笑顔で立っていた。
「どーもー。お招きに預かりまして」と御厨さん。
「せっかくの日曜に押しかけちゃって悪いね」と丹生谷さん。
「は?いえ、はあ・・・」
二人の来訪の訳が分からずに匠くんは曖昧に相槌を打った。
「あの、いらっしゃいませ」あたしも何だかよく分からないまま、取りあえずお客様に挨拶を告げた。
「あ、この度はおめでとうございます」
あたしの顔を見て丹生谷さんは改まった挨拶を言った。その理由もよく分からなかったけど、あたしは失礼のないように「あ、どうもありがとうございます」っ て頭を下げた。
「はい、これ。お祝い」丹生谷さんはそう言って持っていた紙袋を匠くんに渡した。紙袋には縦長の箱が二本入っていて、どうやらお酒みたいだった。
「・・・はあ、どうもありがとうございます」お礼を述べる匠くんも未だ状況が掴めていないらしかった。紙袋を受け取りながら首を捻っている。
「萌奈美ちゃんもね。おめでとう。はいっ」
御厨さんもそう言って手に抱えていた大きな花束をあたしに差し出した。玄関を開けた時から随分大きな花束を持ってるけどどうしたんだろうって気にはなって いて、まるで結婚式の帰りか何かみたいだなあって思ってたんだけど、まさかあたし達への贈り物だとは思わなかった。
バサッ!って感じで手渡された豪華な花束に驚きつつ、あたしは「あ、ありがとうございます」って辛うじてお礼を述べた。それにしても大きな花束だった。両 手で抱え切れないくらい。ほとんど前が見えなくなっちゃいそうだった。一体幾らくらいしたんだろう?相当高かったんじゃないのかな。それにしても、御厨さ んこれを抱えて電車に乗って来たんだろうか?だとしたら車内でかなり注目の的だったんじゃないのかな?
「九条君達はまだ?」
丹生谷さんが訊ねた。
「え、ええ。まだ・・・って、丹生谷さん、九条に呼ばれたんですか?」
匠くんの質問に丹生谷さんが答えようとした時だった。麻耶さんの部屋のドアが開いて、麻耶さんが顔を出した。
「あ、よーこそ。いらっしゃいませ」
「ども。お邪魔してるよー」
「こんにちは。お邪魔してます」
三人が三様の挨拶を交わす。因みに先に言ったのが御厨さんで後が丹生谷さん。年上の丹生谷さんの方が明らかに丁寧だし礼儀正しいのが不思議なところだっ た。
「あの、どうぞリビングへ・・・」
お客様を廊下に立たせたままにしておくのも失礼なので、あたしはおずおずと促した。
「あ、どうぞ」あたしの言葉に匠くんも気がついたように慌ててリビングへと二人を案内した。
「へえ、いいトコ住んでんじゃない」リビングに入って御厨さんはぐるりと部屋を見回して感想を漏らした。
「センスいいね」丹生谷さんも感心していた。
匠くんは二人に褒められて気恥ずかしそうだった。
「いや、この部屋の家賃、半分以上麻耶の事務所が出してくれてるんですよ。それに家具なんかは麻耶が選んだヤツだし」
言い訳のように二人に説明していた。
「ふーん。そうなんだ」納得したように呟いたのは御厨さんだった。
「あの、お二人ともどうぞ掛けてください」
匠くんは話題を逸らすように二人にソファを勧めた。
二人がソファに腰を下ろすのを確認してあたしはキッチンに向かった。まだ全員(って言っても全員で何人なのかも知らないんだけど)揃ってないし、取りあえ ずお茶でいいよね?一人で胸の中で自問しながら冷たいジャスミンティーを用意した。
「どうぞ」
二人の前のテーブルにジャスミンティーのグラスを置く。それから匠くんと麻耶さん、自分の分もテーブルに置いた。
「あ、どうもありがと」
「すみませんね」
二人にお礼を告げられて会釈を返す。二人とも暑かったのかすぐにグラスに手を伸ばしていた。午後一時過ぎの今時分が一日の内で一番気温が高くなる時間帯 だった。
「外だいぶ暑かったんじゃないですか?」
「もう焼け死ぬかと思ったわよ」
幾ら何でもそこまではオーバー過ぎるんじゃないのかな?御厨さんのオーバーアクションを見ながら思った。でもこの時期、確かにほんのちょっと外を出歩いた だけでグッタリしちゃうのはよく分かる。
「それにしても立派な花束よねー。高そー」
御厨さんから受け取って取りあえずダイニングテーブルに置いておいた花束を見て、麻耶さんが感嘆した様子で呟いた。
あ!そーだった!お花、お水あげなきゃ!思い出して慌てた。でもあんな大きな花束入れる花瓶なんてないし、どうしよう?
「花束どうしよう?大きな花瓶なんてないし・・・」
困って匠くん達に相談した。
「仕方ないからバケツに入れとけば?」
匠くんが言った。掃除用の味気ないプラスチックのバケツに入れるのはあんまりとは思ったけど、他に妙案もなくてそうするしかなさそうだった。
「うん・・・わかった」頷いてから一応、丹生谷さん達に謝った。
「すみません。せっかくいただいた立派な花束なのにバケツに入れるなんて」
「いやいや。こっちこそ貰う側が困ることなんて全然考えずに買ってきちゃって申し訳ない」
丹生谷さんが却って恐縮したように頭を下げたので慌ててしまった。
「いえっ、そんなことありません!こんなに素敵な花束いただいて、本当にすごく嬉しいです」
「せっかくのお祝いだから、ちょっと豪勢なくらいの方がいいかなーって奮発しちゃってさー」御厨さんが告げた。
「本当にありがとうございます」
何のお祝いなのかもよく分からないまま頭を下げた。
「それじゃ、ちょっとお花、バケツに入れてきます」
そう断って花束を抱えて洗面所に向かった。
洗面台の下の物入れからバケツを引っ張り出し、水を張って花束を飾った。無機質で素っ気無いプラスチックのバケツに豪華な花束は予想したとおりのそぐわな さだった。何だか申し訳ない気持ちになった。仕方ないよね、って諦め混じりの溜息を漏らす。
その時チャイムが鳴った。エントランスからの呼び出しだった。
あたしが洗面所から顔を出したら、リビングの入り口にあるインターホンに匠くんが出るところだった。洗面所から顔を出しているあたしと目が合って、“いい よ”って軽く手を上げて目で合図を送ってくれた。頷き返しながら九条さん達が到着したのかなって内心思った。
「え?間中(まなか)さん?」
匠くんが意外そうに声を上げた。
それを聞いてあたしは麻耶さんのお友達の栞さんの顔を思い浮かべた。栞さんも呼ばれてたの?
「おい、間中さんが見えたぞ」
エントランスのオートロックを解除してインターホンを切った匠くんは、リビングの麻耶さんに呼びかけた。
「ああ、うん。そう」
聞こえてくる麻耶さんの声は当たり前って感じだった。
濡れた手を拭いて、首を捻りながら出迎えに来た匠くんに合流した。目が合って匠くんが視線で“どういうこと?”って聞いてきたけど、あたしだって知る訳な くて“分かんない”って首を振って答えた。
玄関で少し待っているとチャイムが二回鳴った。すかさず匠くんが玄関のドアを開ける。
「あ、どうも、こんにちは」
匠くんとあたしの二人を認めて、栞さんは深々とお辞儀をした。
「どうも」匠くんが慌てたように答える。
「こんにちは。いらっしゃいませ」
あたしもお辞儀を返した。
顔を上げた栞さんは、こんな炎天下の中を歩いて来て暑くないのかな?って疑問に思うような涼やかな笑顔を浮かべた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
匠くんが招き入れると栞さんはもう一度ぺこりと頭を下げた。
「あの、これ、大したものじゃないんですけど、お土産」
部屋に上がる直前、栞さんは持っていた手提げ袋を匠くんに差し出した。手提げ袋に入っているお店のロゴで洋菓子だって分かった。
「あ、どうもすみません」匠くんが恐縮して受け取る。
「ありがとうございます」あたしも栞さんにお礼を言った。栞さんはあたしを見てにっこり笑い返してくれた。
リビングに栞さんを案内すると、ソファに座っている三人から声が上がった。
「いらっしゃい、栞ちゃん」麻耶さんが小さく手を振る。
「どーも。こんちは」くだけた調子で御厨さんは手を掲げた。
「間中さん、お久しぶり」やっぱり丹生谷さんは一番年長者なのに一番丁寧な挨拶をしていた。
「こんにちは」栞さんも柔和な笑顔で挨拶を返した。
匠くんがソファを勧め、一言お礼を告げてから栞さんもソファに腰掛けた。
あたしは匠くんから栞さんのお土産を受け取って冷蔵庫にしまいに行き、栞さんの分のジャスミンティーを用意した。
はて?てっきり九条さん、飯高さんっていう匠くんの大学時代のお友達が来るものとばかり思っていたので、栞さんや御厨さんの訪問は想定外だった。
栞さんの分のグラスを用意してソファに戻ると、匠くんも同じ心境だったみたいで集まった顔ぶれに今ひとつ落ち着かない様子だった。麻耶さんだけは三人を相 手ににこやかに会話を弾ませている。
「どうもありがとう」
栞さんの前にグラスを置くと栞さんにお礼を言われた。あたしは「いえ・・・」って返事をして匠くんの隣に座った
「栞さん、暑いの強いんですか?」
ふと思い出して訊ねてみた。
「え?ううん、そんなことないよ。暑いの苦手」
栞さんは不思議そうな顔だった。
「でも、栞さん、何か全然暑そうな感じしないから。玄関でも炎天下を歩いて来たようには見えない涼しげな感じだったし、あんまり汗もかいてないみたいに見 えるんですけど」
「そう?自分だとよく分かんないけど・・・汗はあんまりかかないかな?あたし、代謝が悪いんですよ。あと、結構な冷え性だし。夏場でも冷房が効き過ぎてる とすぐ手足が冷たくなってきちゃうの」
「ふーん。そうなんだ。健康に気を遣ってそうに見えるけどね」
丹生谷さんが意外そうに言った。
「あ、だから健康には気を遣ってますよ。低血圧ですぐ貧血起こすからなるべく規則正しい生活心がけてますし。食事なんかも身体が冷えないものを食べるよう にしてます。身体弱いから却ってすごく健康には気をつけてるっていう感じですね。それでも仕事がどうしても不規則なのでなかなか思ったようにはできないん ですけど・・・」
「あとね、運動した方がいいよ。スポーツクラブ入るとか」
栞さんが困ったようにこぼすと、丹生谷さんがアドバイスした。
「・・・周りの人から言われるんですけどねえ・・・運動苦手だからどうしても気が乗らないっていうか・・・」
「あたしも一緒にジム通おうって言ってるのに、栞ちゃんなかなか“うん”って言わないんだよねー」
弱音を吐く栞さんに、麻耶さんがちくりと苦言を呈した。
「だってえ」栞さんは麻耶さんからも攻撃されてたまらず悲鳴を上げた。
「あたしも運動するの苦手ですよ」
そうあたしも白状した。
「高校だと授業で体育があるから、嫌でも身体動かせるじゃない」
麻耶さんがあたしと栞さんの立場の違いを指摘した。そうか。嫌いでも何でも体育の授業があるだけ、まだあたしは運動不足にならずに済んでるんだ。社会人に なったら自分から自発的に運動しないと、どんどん運動不足になっちゃうんだ。運動が苦手で大っ嫌いな体育の授業だけど、少し意義を見出せた気がした。
「んじゃーさー、彼氏に協力してもらえば?」
ニヤニヤした笑いを口元に浮かべながら御厨さんが口を挟んだ。あたしや栞さんがどういう意味かなって御厨さんを見ると、御厨さんは如何にも楽しげに言葉を 続けた。
「毎日毎晩二人で励んでれば結構いい運動代わりになるんじゃない?」
御厨さんの言葉の意味が分かってあたしは顔を真っ赤にしていた。栞さんもこういった話は免疫がないみたいで真っ赤な顔をして俯いてしまった。
「あのね、華奈さん、未成年者もいるんだからそのテの話はどうかと思うんだけど・・・」
丹生谷さんが困った顔で御厨さんをたしなめてくれた。
「えー?だって、今更でしょう?ねえ?」
御厨さんがあたしに向かって同意を求めたけれど、もちろん同意できる筈もなくて、あたしはただ赤い顔で俯くしかなかった。それは確かにもうあたしと匠くん は何度となく身体を重ねてるのは事実だし、それで多分みんなもそんなこと言わなくたって百も承知なんだろうけど、だからって人前で恥ずかしげもなく“は い、そうです”なんて認められるもんじゃないって思うんだけど?御厨さんのこういうところ、理解に苦しむんだけど。
「第一、あたしお付き合いしてる人いませんし」
ぽつりと栞さんが漏らした。
「そっか。それは残念。好きな人とかもいないの?」
御厨さんが更に不躾な質問を続けた。御厨さんのこういう遠慮のないトコとか、いまひとつ好きになれないって思う。それは、麻耶さんが言うように悪気は全然 ないんだろうし、こういう質問しても嫌味な感じだとか興味本位の詮索好きな感じだとかがしないのは、御厨さんが持ってる生来の人の良さや、裏表のない性 格っていうのが伝わってくるからなんだろうけど・・・。でも、やっぱり聞いていいことと聞かないでおいた方がいいこととを弁(わきま)えるべきだって思 う。あたしは。
「・・・ちょっと前までは気になる人はいたんですけどね」
栞さんが少し困ったように答えた。随分真っ正直な返答に聞いててびっくりした。素直過ぎる人だなあ、栞さんって。
「それって過去形なんだ?」
聞き捨てならないって面持ちで御厨さんが突っ込みを入れた。
「彼女ができちゃったんです。その人に」
答えにくそうなことを栞さんはだけどあっさりと答えた。仕方ないって感じの言葉の割には、でも栞さんの表情はあまり淋しそうな感じには見えなかった。
「奪っちゃおうとかって思わないんだ?」
「そんなの性格的に絶対無理ですねー」
御厨さんの過激な質問に栞さんは笑いながら肩を竦めた。
「それに、そんなこと考えたりできないくらい、その二人って一緒にいてすっごくお似合いなんですよ。二人一緒にいるのが何だか自然っていうか」
「ふうん」
神妙な顔で御厨さんは相槌を返した。
聞いていてあたしは、栞さんの声に何だか少しその二人を羨んでいるような響きを感じた。それは片想いが失恋に終わってしまったことへの未練とかじゃなく て、そういうのとは違う種類の、憧れとかそういうのに近いニュアンスのように感じられる気がした。
「栞ちゃんって理想高いの?」
麻耶さんが改まった口調で訊ねた。
「結構栞ちゃん狙いって男、聞くけどねー。栞ちゃん、言い寄ってくる男全部するりとかわしちゃうよね」
不思議そうな顔をする麻耶さんに、栞さんは言い返すように答えた。
「麻耶さんには言われたくないです。麻耶さんこそ片っ端から振ってる癖に」
「このあたしと釣り合うとか勘違いしてる不届き者が多過ぎんのよ」
間髪を置かずに傲然と麻耶さんは言い放った。その微塵も揺るぎのない自信に満ち溢れた態度には思わず拍手を贈りたくなった。
「何様なんだ、お前は?」
呆れ果てたように匠くんが問いかけた。
相変わらずの匠くんと麻耶さんのやり取りに栞さんがくすくす笑った。
「でも、ホント、あたしあまり話すの上手じゃないし、相手の話に気の利いた受け答えもできなくて面白みがないんですよね。ノリもよくないし。あたしと一緒 にいると気分が盛り下がっちゃうみたいで、白けちゃうみたい」
あたしなんかは逆に栞さんのそういうキャピキャピしてないところとか、物静かで落ち着きのあるところとか、却って親しみ易さを感じるんだけど。性格的にや たらテンション高かったりノリがいい人って、苦手意識っていうかどうも近寄りがたく感じてしまう。
第一、あたしだって話すの下手だし苦手だし、気の利いたことなんて全然言えないし、栞さんより遥かに面白みのない性格だって自覚あるし。栞さんはあたしな んかから見たら、とっても魅力的で素敵な女性だと思うんだけど・・・。
「ノリのよさだとか、そんなことを魅力だと思ってるような男なんか相手にする必要ないですよ」
静かな声で丹生谷さんが言った。丹生谷さんの口から告げられたその言葉は何だかすごく説得力があった。思わず“はいっ”て居住まいを正して頷いてしまいそ うなくらいに。
「栞さんはとっても魅力的ですよ。本当にいい男は栞さんを放っておきませんから。栞さんは安心して待っていればいいんですよ」
「ありがとうございます」
優しい眼差しで見つめる丹生谷さんに、栞さんは照れながらお礼を言った。
「こらこら、そこで色目を使うんじゃない、このエロ親父」
とても年上の大先輩に対するものとは思えない御厨さんの物言いに、思わず丹生谷さんは顔を顰めた。
「ひどいな、華奈さん」
「栞ちゃんも間違ってもこういう妻帯者にひっかからないようにね」
丹生谷さんの抗議を全く無視して御厨さんは栞さんへ忠告していた。
「はい。気をつけます」
笑いながら栞さんは頷いた。
「栞さんもそんなこと言うんだ」
ショックを受けたように丹生谷さんは愚痴を零した。
うーん。でも御厨さんの言うとおり、確かに丹生谷さんってモテるだろうな。40過ぎてもちっとも「オジサン」って感じしないしお洒落だし。こういう魅力的 な「大人の男性」にメロメロになっちゃう女性も結構いるんじゃないかな?それこそ奥さんや子どもがいても構わないっていう。
「萌奈美さんまでそういう目で人のこと見る」
あたしの視線に気付いた丹生谷さんが傷ついた声で嘆いた。
えっ?内心密かに思っていたことがバレてしまって焦りまくった。
思わず周りを見回すと匠くんが目を丸くしてあたしを見ていた。
「やっぱり誰の目にもそう映るんだよねー」
嬉々とした声で御厨さんが追い討ちをかける。
えっ?えっ?すっかり出汁(だし)にされて、言葉もなく慌てふためいた。
その横で麻耶さんが遠慮もなくけたけたと笑いまくっていた。

ひとしきり笑ってすっかり場が和んでいたところに、1時も30分を過ぎた頃エントランスからの呼び出しのチャイムが鳴った。
匠くんが席を立ってインターフォンの受話器を取ると、すぐさま不機嫌も顕わな声で答えた。
「よお・・・確か1時過ぎって言ってなかったか?」
冷ややかな声で匠くんが嫌味を言っているのが聞こえた。エントランスにいるのは九条さん達に間違いなかった。
匠くんはエントランスのオートロックの解錠ボタンを押して受話器を戻した。
「やっと来やがった」
忌々しそうに呟いて匠くんは玄関へと向かった。あたしも慌てて席を立って匠くんの後を追いかけた。
「九条さん達来たの?」
匠くんの背中に問いかけたら、匠くんは振り返りもしないでぶっきら棒な声で「そう」って答えた。
それから気がついたように慌てて振り返った。
「萌奈美はリビングにいていいよ」
匠くんの声は弁解するように優しげだった。
「ううん。お客様をちゃんと玄関でお出迎えしないと失礼だもん」
あたしがそう主張したら匠くんは困ったように笑った。
「お客様なんてそんな品のいい連中じゃないけどね」
「ううん。匠くんの大切なお友達なんだから、大切なお客様だよ」
あたしがそう言い募ると、匠くんは苦笑しながらもちょっと嬉しそうな顔だった。前に向き直りながら素っ気無い声で匠くんは言った。
「サンキュ」
照れ隠しの匠くんの声はちゃんとあたしの耳に届いた。匠くんの気持ちが伝わってきてすっごく嬉しくなった。満面の笑顔で九条さん達をお出迎えできそうな気 分だった。
程なく玄関のチャイムが鳴って、あたしと匠くんは九条さん達を出迎えた。
「ちはーっす!」「よーっす!」「ども」「うぃーっす!」
玄関ドアを開けると同時に、如何にも男の人同士が交わす感じの挨拶が一斉に飛び込んで来た。野太い声の攻勢に気持ち的に後じさりしたくなった。
「よお・・・」九条さん達のテンションの高さとは対照的に、匠くんは抑揚のない声で一言返事を返しただけだった。
「あ、あの、いらっしゃいませ」
どういう態度をとっていいのかよく分からなかったので、一応失礼のないように丁寧にお辞儀をした。
「あ、どーも。今日は大勢で押しかけちゃってゴメンねー」
先頭に立つ九条さんが匠くんとのやり取りもなしにあたしに声を掛けて来た。
「いえ、そんなこと・・・」
立場的に匠くんと九条さんの間に挟まれることになってあたしは困惑しまくりだった。
「あの、どうぞお上がりください」
あたしは言って、匠くんに“ねっ?”て視線で問いかけた。
匠くんは相変わらずの憮然とした様子だったけど、あたしが促したので不本意ながらって感じで玄関の外に立つ四人を中に招き入れた。
「お邪魔しまーっす!」
口々に断って玄関で靴を脱ぐと、匠くんの先導も必要ない様子で九条さん達はぞろぞろと部屋の奥へと上がって行った。
玄関のドアを閉めながら匠くんは今更ながらに不機嫌そうだった。
「た、匠くん、あのっ、せっかく来てくれたんだからっ、ねっ、ちゃんとおもてなししてあげようよ」
作り笑いを浮かべて匠くんに必死に訴えた。
すると匠くんは大きな溜息をひとつついた。
「分かった。萌奈美の顔立てて、不本意ながら歓迎することにする」
そう言ってあたしの頭にぽんと手を載せた。
「言っとくけど、あくまで萌奈美のためだからね」
念を押すように匠くんはそう言ったけど、でもそれって多分ポーズなんじゃないかな?腐れ縁って感じの九条さん達に、素直に歓迎の意を表せない匠くんの。何 となくそう思えた。
「うん。ありがとう。匠くん」
匠くんの言葉を受けて、そう返事をした。
部屋の奥では九条さん達が先に来ていた丹生谷さん達と挨拶を交わす声が聞こえた。
あたし達がリビングに戻ると、九条さん達から銘銘買い込んできた手土産を渡された。お酒だったりお菓子だったりおつまみだったり。
「これ、お土産ね」
「どうもすみません」
次々に手渡される紙袋を受け取りながらあたしはぺこぺこと頭を下げ続けた。
「それとこれはみんなから」
そう言って飯高さんは持っていたバスケット入りの立派な花束を差し出してきた。
「えっ?あ、あの、どうもすみません・・・」
紙袋を手にいっぱいぶら下げたあたしは、そのとても立派なバスケットの花束を抱えることができなくてあたふたしてしまった。代わりに匠くんがすっと手を出 して受け取ってくれた。
それにしても御厨さんから貰った花束といい、このバスケットに入ってる花束といい、見るからにものすごく立派なものだった。それだけに大きな疑問も浮かん できた。何でこんな立派な花束?手土産としてはグレード高過ぎって思うんだけど?
「えー、これで一応今日の顔ぶれは揃ったことになるんだけど」
前触れもなく突然九条さんが口を開いた。
「一番後に到着しといて、堂々と“揃った”とか言うな」
匠くんが忌々しそうに突っ込みを入れた。
「匠と萌奈美ちゃんもちょっと座ってくれる?」
匠くんの嫌味なんて涼しい顔で受け流して、九条さんがあたし達に向かって言った。
九条さんに言われてあたしと匠くんは持っていた荷物をダイニングテーブルに置いて、言われたとおりリビングのフローリングに腰を下ろした。これだけの人数 になるとソファに座り切れなくて、九条さん達も気にした様子もなくリビングテーブルを囲んで床に直に座り込んでいる。
あたしと匠くんの二人が座ったのを確認してから九条さんは言葉を続けた。
「本当ならもっと大勢に声かけて盛大に行いたいところですが、何やら今はまだあんまり大っぴらにできない事情もあるようなので、とりあえずはごく内輪で やっとこうと思いまして・・・」
今ここで九条さんが仕切っている理由がよく飲み込めなかった。疑問いっぱいの眼差しで九条さんを見る。
「と言うことで、匠、萌奈美ちゃん」突然九条さんに呼びかけられてびくっと肩を竦ませた。
「婚約おめでとう!」
は?
「おめでとー!」
次の瞬間口々にお祝いの声が上がり、一瞬頭の中がホワイトアウトしていたあたしは、ぎょっとして身体を浮かせた。
え?な・・・何?
今もってこの事態をよく把握できていなかった。
隣の匠くんを見たら、匠くんは疲れ切った様子で頭痛でもするかのようにこめかみを抑えていた。
「・・・ったく、誰に聞いた?」
ボソリと匠くんが呟いた。誰にともなく発した問いは、でも明らかに九条さんに対して向けられたものだった。そして、聞かなくてもその答えはもう分かり切っ てるみたいだった。
「だって、匠くん、教えてなかったでしょ」聞かれもせずに麻耶さんが答えた。
「そうそう。全く、水くせえったらないぜ」九条さんが匠くんを責めるように続けた。
「麻耶ちゃんが教えてくれなかったら、絶対俺達ずーっと知らされないまんまだったんだよな」
「だから、それは」
匠くんが言い返そうとして言葉に詰まった。九条さん達に敢えて内緒にしていたのは、もちろん色んな諸事情があってのことなんだけど、(多分冷やかされるに 決まってるからっていう理由が、匠くんの中では大きな要因を占めてたんじゃないかなって思うんだけど)、でも、一番の理由はまだあたしが高校生だからに違 いなかった。やっぱり学校にバレたら大変なことになっちゃう気がするし。それで芋づる式にあたしと匠くんが一緒に暮らしていることまでバレたりしたら、ま ず間違いなく学校にいられなくなると思う。だから万が一にもそんな事態にならないように、この事はあたしと匠くんの家族の他には、春音達あたしのとても仲 のいい友達にしか話さずにいたんだった。
そうは言っても、九条さん達の憮然とした表情を前にして、匠くんは少し後ろめたさを感じているみたいだった。多分、お互いに親友だと思っているのに内緒に してしまって。
「俺達だって匠の幸せを祝ってやりたい、そう思ってんだぜ」
畳み掛けるように九条さんは匠くんに告げた。飯高さん達他のみんなも同感の意を示して一様に頷いた。
「あの、ごめんなさい。あたしのせいです」
匠くんを庇って口を開いた。あたしがまだ高校生だから匠くんはこんな重大なことを一番親しいお友達に打ち明けられずに、結果的に秘密のままにしてしまった んだってことに、今更ながらに気がついた。そして九条さん達を傷つけてしまったことに後悔を感じていた。
「そうか」
項垂れているあたしの隣で匠くんが呟いた。その声がとても淡々としているのが気になって、あたしは顔を上げて匠くんを見た。
「それは悪かった」
そう言う匠くんはやっぱり何故だか大して悪いとも思っていないような調子だった。
「匠くん?」匠くんの様子が不思議で思わず声をかけた。
「それで?」
匠くんはあたしの呼びかけには応えず、九条さんに視線を向けたまま更に言葉を続けた。
「うん?」
九条さんは軽く笑みを浮かべている。
「建前は分かった。んで、本音は?」
建前?本音?・・・匠くんは何を言ってるんだろう?
「何のことかな?」
にこにこ笑いながら九条さんは聞き返した。その笑顔は何だかこの場面ではひどく不釣合いだった。
「・・・今更ざーとらしーんだよ。どうしたらお前達に僕と萌奈美の婚約を心から祝福しようなんて殊勝な気持ちが芽生えるんだ?」
匠くんは九条さん達を傷つけるようなことを平然と言い放った。あたしはそんなことを言う匠くんが信じられないでいた。
「やっぱり?バレる?」
あたしが息を詰めていると、場違いなほど気の抜けた軽い調子の声が聞こえた。声の主は九条さんだった。視線を向けるとへらへら顔が笑っている。
「わからいでか!どんだけの付き合いだと思ってんだ!」
匠くんが声を荒げるのと同時だった。
ぎゃははははは!!耳を劈(つんざ)く爆笑が上がった。
な、何?驚きの余り心臓が止まりそうだった。
「やっぱさー、こんなオモロイ状況見過ごせないよなあ」
そう言って九条さんは“なあ?”って飯高さん達三人に同意を求めた。三人は満面の笑みで頷いた。
「匠が婚約!しかも女子高生となんて、オモシロ過ぎる!こんなイジリ甲斐のあるネタ、滅多にあるもんじゃねえもんなー」
九条さんは一人うんうんと納得している。
な・・・何なの?この人?信じられない思いだった。オモロイ状況?イジリ甲斐のあるネタ?・・・・って、それって、どーゆーコト?
未だにこの展開に理解が追いつかなくて半ば呆然としながら、胸の中にムクムクと怒りが湧き上がってくるのが分かった。
「てめーら!とっとと帰れ!」
怒りを爆発させたのは匠くんの方が先だった。
激昂しながら立ち上がった匠くんは九条さんに蹴りを入れた。でも九条さんは予想していたのか一瞬早く飛び退いて匠くんの蹴りをかわした。
それが引き金になったかのように竹井さん、漆原さんの二人も九条さんに続いた。唯一人飯高さんは呆れたような苦笑を浮かべて、逃げ出した九条さん達三人を 目で追っていた。
「叩き出す!」
匠くんはそう叫んで猛然と九条さん達を追いかけ始めた。
逃げる九条さん竹井さん漆原さんと、それを追いかける匠くんの四人はダイニングテーブルの周りをぐるぐる走り回っている。何だかコメディー映画の1シーン でも見ているかのような光景だった。
「なあなあ?プロポーズの言葉何て言ったんだよ?」
逃げ回りながら九条さんの次に悪ノリの常習って聞いている竹井さんが匠くんに質問を投げかけた。もちろん匠くんの怒りに火を注ぐって百も承知で。
「やかましい!絶対ぶっ飛ばす!」
匠くんが怒れば怒るほど九条さん達の講は乗る一方だった。逃げながらも大爆笑している。
「大の大人が何やってんだか」
白い目を向けて麻耶さんが呟いた。
「麻耶さんも一枚噛んでるんでしょ?」
猛然とした怒りを感じながらあたしは麻耶さんをジト目で睨んで問い詰めた。
麻耶さんはあたしの怒りを買うとは思ってなかったのか、あたしの詰問に“しまった”って顔をした。
「ゴメンね、阿佐宮さん」
おずおずとした声にハッとして視線を向けた。
飯高さんが心から申し訳ないっていう感じであたしを見ていた。
「大悟(だいご)達もさ、悪ふざけが過ぎるトコはあるけど、口で言ってる程にはからかうつもりばっかりでもないんだ」
いつもメンバーの中で一歩引いてる様子の飯高さんに真面目な口調で告げられて、あたしは喉まで出掛かっていた怒りを飲み込んだ。
「匠もそうだけど、大悟も相当な照れ屋なんだ。本人はそれこそ絶対認めようとしないだろうけど。真面目ぶったコトになるとどうしてもおちゃらけようとする のが悪い癖でさ、でも幾らかは本当に匠と阿佐宮さんをお祝いしたいって気持ちなんだよ。もちろん他の二人も」
飯高さんは少し肩を竦める仕草をした。
「まあ、匠をからかってやろうって魂胆の方が圧倒的に大きいのは確かなんだけどね」
そう言って困ったように飯高さんは笑った。
「少なくとも僕達は二人を祝福するつもりで今日はお邪魔してるんだけど」
丹生谷さんが後を継いだ。丹生谷さんと飯高さんの二人に真面目な口調で言われて、今の今まで感じていた怒りも何処かに消し飛んでしまった。
「あ、華奈さんはどうか分かんないか」
おどけた口調で丹生谷さんはそう付け加えた。
「ちょっとお、どーゆー意味ですかあ?あたしだってちゃんと佳原君と萌奈美ちゃんをお祝いするつもりで来てますよお」
丹生谷さんのからかい半分の言葉に御厨さんは不満げな顔で抗議した。
「あ、そーだった?こりゃ失敬」
茶化すかのような丹生谷さんの口調に釣られて思わず口元が緩んでしまった。
多少(大分?)困ったトコはあるけれど、匠くんの周りには本当にいい人達が集まってるんだなって、飯高さんの言葉を素直に受け取れる気持ちになれた。
そう思って改めて視線を向けてみて、匠くんに追いかけられている九条さんも竹井さんも漆原さんも、悪ノリっていうだけじゃなく何だか嬉しそうな顔をしてい るようにあたしには見えた。(もしかしたらあたしの単なる気のせいだったかも知れないけど。)
四人がドタバタと走り回るのを見て、下の階から苦情が来ないかちょっと心配になった。
 


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