【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Always Together 第2話 ≫


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夜、午後10時を回ってリビングに入ったら、パパとママが二人でのんびりテレビを観ていた。この時間には聖玲奈も香乃音も大抵自分の部屋にいるので、パパとママに話しがある時はこの時間帯が適していた。
入って来たあたしにパパが気付いた。
「萌奈美。どうした?」
パパの声にママもあたしに視線を向けた。
二人が座ってるソファに歩み寄って、躊躇いながらも口を開いた。
「あの、パパとママに話があるの」
パパはあたしを見上げて不思議そうな顔をしている。ママは何となく察しがついたのか少し眉を顰めてあたしを見た。
「とりあえず座ったら」
ママに言われてソファに腰掛けた。
「何だい、話って?」
何気ないのんびりした口調でパパは聞いた。
「うん・・・」
なかなか切り出せなかった。匠くんにはあんな威勢のいいことを言って、電話を切った時は何も恐いもんなんかないって思えて、躊躇う気持ちなんかほんの少し もなかったのに、いざパパとママの前に来たら急に不安になって、気持ちに急ブレーキがかかっていた。反対されたらどうしよう。ううん、普通絶対反対するよ ね。そんな迷いが決心を鈍らせる。
「佳原さんのことでしょ?」
ママが口火を切ってくれた。
「うん・・・」
あたしは頷いた。
「お願いがあるの」
胸の中の躊躇いを振り切った。
「あたし、匠くんと一緒にいたい気持ちが抑えられないの。あたしの中でどんどん膨らんで来て、破裂しそうになってる」
あたしは打ち明けた。
「匠くんといつも一緒にいたくてたまらないの。その気持ちが一杯になって、もう何も手につかなくなっちゃうの。匠くんが傍にいないと思うと、寂しくて切なくてあたしの中は空っぽになって、何も出来なくなっちゃうの」
打ち明けながら、苦しくて涙を浮かべていた。
あたしのこんな様子を初めて見て、パパは驚いて息を呑んでいた。
「毎日会うことも、毎日電話で話すこともできると思うけど?」
優しい声でパパは聞き返した。
でもそういうんじゃない。すごくもどかしかった。あたしの気持ちを取り出して、パパとママに見せることが出来たらいいのに。
「それじゃ駄目なの。匠くんと一緒に朝を迎えて、一緒に一日を終えて、おはよう、おやすみって言って、同じ部屋で同じ空気を吸って、同じ空間にいて、同じ時間を過ごして、それで、それから・・・」
必死に自分の気持ちを説明して言葉を並べ立てるけれど、一番伝えたい想いは何故か言葉にしようとするとするりと滑り落ちていってしまい、決して伝えることができなかった。
あたしは匠くんと一緒じゃないと駄目なんだ。それだけは分かってる。
「結婚まで待てないのね?」
ママが聞いた。
あたしは頷いた。
「学校はどうするの?」
「行くよ、もちろん」
泣き顔できっぱりと答えた。
「学校は大丈夫なの?」
再びママが聞いた。もちろんママが言いたいのは学校に知れても大丈夫なのかってことだった。
「分かんない」
あたしは頭を振った。
「でも、麻耶さんが言ってくれたの。匠くんと麻耶さんとあたしの三人で暮らしたらどうかな、って」
「二人だけじゃないんだ」
そのことはパパにも少なからず安心感を与えたみたいだった。
「麻耶さんはそれでいいって?」
ママがまだ厳しい口調を保ったまま聞いた。
「うん。麻耶さんがそう言ってくれたの。部屋に来て三人で一緒に暮らしたらって」
「匠さんは何て?」
「匠くんは躊躇ってる。やっぱり止めた方がいいんじゃないかって心配してる。学校のこととか、パパやママの気持ちを考えて。でも匠くんもあたしと同じ気持ちなの、あたし知ってる。それを必死で我慢しようとしてる」
匠くんはあたしが匠くんと一緒にいたいって思うのと同じくらい、あたしと一緒にいたいって思ってる。だけど周りの人のことや色んなことを心配して我慢しようとしてるの、あたしには分かってる。
「匠君は我慢しようとして、萌奈美は我慢できないのかい?」
パパが聞いた。
「絶対無理」
断固とした口調で答えた。匠くんだって、我慢しようとしてるけど絶対無理だってあたしは知ってる。
「多分、分からないし、あたしも伝えられない。でも、あたしは匠くんと一緒じゃないと駄目なの。匠くんもあたしと一緒じゃなきゃ駄目なの。それだけははっきり知ってる」
パパとママを納得させられるようなことを、何一つ説明することはできなかった。ただ漠然とした抽象的なことしか言えなかった。
ママはパパの方を向いて訊ねた。
「公煕(こうき)さん、どう思う?」
「よく分からないなあ」
パパは途方に暮れたようにソファにもたれた。
パパの困惑は当然だった。そう思うと暗い気持ちになった。ママとパパをひどく悲しませるに違いないけど、家出する覚悟を決めるつもりだった。
「ただ、萌奈美が匠君と一緒にいなきゃ駄目なんだってことだけはなんとなく分かった」
パパが少し間を置いて言った。
え?あたしはパパの顔を見た。それって、どういうこと?
パパは子供の我が儘を仕方なく聞き入れる親の顔であたしを見ていた。呆れながら、苦笑しながら、少し残念そうに。
ママも同じ表情を浮かべていた。
「本当、仕方ないわねえ。公煕(こうき)さん、娘達に大甘なんだから」
少しヤキモチさえ焼いているような調子でママはパパの方を見ている。
そしてあたしに向き直って言った。
「パパにちゃんとお礼を言うのよ。こんなに物分りのいい父親なんて他にいないだろうから」
パパは苦笑した。
「物分りがいいのかどうか、どうなんだろうね?普通父親ってものはこういう場面だったら「許さーん」って怒鳴り散らすものなんだろうけど」
自分の父親としての態度に今ひとつ疑問を感じているみたいだった。
「でも、許さないって言ったところで、萌奈美が悲しむだけだって分かってるから」
パパは言った。
「萌奈美の幸せを考えたら、匠君と一緒にいることなんだろうなあ、と思って。僕としては少し複雑な心境ではあるけれど」
そう言ってパパは照れたように笑った。
「でも、この間、うちに匠君が挨拶に来たとき、匠君と一緒にいる萌奈美は、パパが今まで見たことも無いくらいに幸せそうな顔をしていたし、今匠君と離れて いる萌奈美はとても苦しそうな悲しそうな気持ちでいるって分かる。萌奈美の悲しんでいる顔は見たくないし、萌奈美にはいつも幸せでいて欲しいから、そうす るのが一番なんだろうね」
パパは少し寂しそうな顔をした。
「じゃあ、パパ」
何だか信じられない気持ちで目をぱちぱちと瞬(しばた)いた。
ママがパパの心中を察するように「仕方ないでしょ」って答えた。
少しの間呆然としてたけど、やがて実感が湧いて来て胸の中に喜びが満ち溢れた。
「ありがとう!パパ!ママ!」
叫ぶように言ってパパとママに飛びついた。
パパもママも苦笑しながら抱き止めてくれた。
「行ったっきりにならないで、こっちにも顔出すのよ。すぐ近くなんだから」
ママが注意を告げた。パパとママの間に顔を埋めながら、うん、って頷いた。
今迄空っぽになりかけていた気持ちが、あっという間に大きく膨らんではちきれんばかりになっているのを感じた。

自分の部屋に戻ってすぐに匠くんに電話した。気持ちが逸って携帯のボタンを押すのさえもどかしく感じられた。
すごく浮かれ切った声でパパとママに許して貰ったことを報告した。
匠くんは許して貰えるって思ってなくて、なかなか信じられないみたいだった。何度も「本当に?」「大丈夫かな」って心配していた。
あたしはすっかり舞い上がって興奮醒めやらぬ状態だった。ベッドの上でぴょんぴょん弾んでいた。
「明日から匠くんちで暮らすので。よろしくお願いします」
ベッドの上で正座してお辞儀をしながら改まった挨拶をした。匠くんには見えないけど。
「え、でも色々運ぶものとか、用意しなきゃいけないものとかあるんじゃないの?」
明日からって聞いて匠くんは慌てていた。
「そんなの大丈夫だよ。あたしんちと匠くんのマンション近いんだから少しずつ運べばいいし、必要なものもその内少しずつ用意してけばいいんじゃない?」
あたしの最優先事項は少しでも早く匠くんと一緒にいたいってことだった。多少の不便なんて全然気にならない。
「明日からって、そのこと、お父さんとお母さんは了承してるの?」
未だに気になっているらしかった。でもそういえば明日からとは言ってなかったっけ。
あたしは少し考えて「あとで言っとくね」って答えた。
「いや、そうじゃなくて・・・」匠くんが何か訴えてたけど、あたしの耳には全然届いていなかった。

◆◆◆

次の日の朝、朝食を食べている出勤前のパパと、パパに朝食を用意していたママに、今日から匠くんの部屋で暮らすから、って伝えた。
パパは幾らなんでも昨日の今日とは思ってなかったらしく慌てていた。でも会社に行かなくちゃいけないので、後ろ髪を引かれる様子で出掛けて行った。
家を出るパパに向かって、あたしはにこやかな顔で「行ってらっしゃーい」って呼びかけて手を振った。パパは複雑な表情を浮かべ、何度も振り返りながら駅への道を歩いていった。

それからあたしは朝食を済ませると、早速とりあえず持っていく必要のあるものの荷造りを始めた。
教科書、ノート、辞書、参考書、本、文房具、机はとりあえず持っていけないから机の中のもので必要そうなものを詰め込んだ。ショルダーバッグ、制服、私 服、下着、パジャマ、大して数は無いけど化粧道具、etc・・・旅行用のボストンバッグや家にあったダンボール箱に次々に詰め込んで行った。
「何してんの?」
起きて来た聖玲奈があたしの部屋の物が溢れかえった惨状を見て聞いてきた。
「荷造り」
手を休めずあたしは答えた。
「荷造りって何で?」
「匠くんの部屋に引っ越すから」
なるべく、何でもないことのように喋った
でもやっぱり聖玲奈は聞き逃さなかった。
「ええっ?それって、つまり、佳原さんと同棲するってこと?」
興奮した口調で問い質された。
「二人じゃないよ。麻耶さんも一緒だから三人で住むの」
言い訳のように説明した。
「そーなんだ。でも、お姉ちゃんがすることってほんと唐突で人をびっくりさせるねえ」
感心してるんだか呆れてるんだかよく分からない様子で聖玲奈が言った。
少なくとも聖玲奈には言われたくないんだけど、って内心思いながら、せっせと荷造りを進めた。
部屋から出て行った聖玲奈が大声で香乃音を呼ぶ声が聞こえた。
あたしは焦った。何れすぐに知られることではあるけれど、何も無理やり教えることもないのにって胸の中で憤慨した。
「なあに、聖玲奈ちゃん?」
香乃音が起き抜けののんびりした口調でやって来た。
「見てご覧」
聖玲奈は言ってあたしの部屋の中を促した。
聖玲奈、あんたねえ。あたしは聖玲奈を睨みつけた。聖玲奈は涼しい顔を微かに変えもしなかった。
「あれっ、どうしたの?これ・・・」
香乃音はあたしの部屋のひどく散らかりまくった光景にびっくりしている。
「何なのこれ、萌奈美ちゃん?」
溜息を吐きながら説明した。
「匠くんの部屋で暮らすから。引越しの用意してるの」
面倒くさいのでなるべく端的な事実のみを話した。
「えええっ!?」
思ったとおり、香乃音はとんでもなく驚いた声を上げた。もはや叫び声に近かった。
「萌奈美ちゃん、佳原さんと一緒に住むのぉ?」
目を丸くしている。
だからそんな大袈裟に言わなくても・・・頭を抱えたくなった。
「だって結婚はまだずっと先でしょ?それなのにもう一緒に住むの?」
何だか香乃音に問い詰められていると、とんでもなくいけないこと、非常識なことのように思われてくる気がした。
「そう!」
イラッとしてつい大きな声で答えていた。そんな自分にはっとして、言い訳めいたことを言った。
「だから、荷造りで忙しいんだから邪魔しないでよね」
香乃音はまだ何か言いたそうな顔で佇んでいたけれど、聖玲奈が触らぬ神に祟りなしとでもいうように、香乃音の背中を押して、あたしの部屋から出ていった。

とりあえず当面持っていく必要がありそうなものを選り分けて荷造りを済ませ、ひと休みしようって思って一階に降りた。
リビングにママと聖玲奈と香乃音が顔を揃えていて、ぎくりとした。
「支度は捗(はかど)ってるの?」
ママに聞かれて、あたしはリビングから逃げ出すタイミングを失い、恐る恐るソファに近寄って行った。
「うん、とりあえずすぐに必要そうなものは詰め終わったとこ」
ママは「そう」って相槌を打ち、あたしの分もカップを用意してお茶を淹れてくれた。注ぐ時にポットからふわっとジャスミンの香りが立ち上った。
あたしは黙ってお茶を飲んだ。
香乃音がちらりとあたしを上目遣いで見つめて来た。
「本当に行っちゃうの?」
少し寂しそうな声だった。
その香乃音の声の響きにはっとした。見ると不安そうな顔を向けていた。
ちくりと胸が痛んだ。我が家から家族が出ていってしまうことは、残される方にしてみればとても寂しいことなんだって初めて気が付いた。
「ごめんね」
急に香乃音に申し訳ない気持ちが募って謝った。
「でも、あたし、どうしても匠くんと一緒にいたいの」
素直に自分の気持ちを打ち明けた。
「だから、ごめんね」
もう一度謝った。
香乃音はいつの間にか半べそをかいていて、ぐすん、って鼻を鳴らした。そんな香乃音を見てあたしも急に悲しい気持ちになった。
「まあ、いいじゃない。何もすごく遠いところに引っ越しちゃうとかって訳じゃないんだから。武蔵浦和なんてすぐ近くだし」
聖玲奈が明るく振舞って言った。
「お姉ちゃんだってすぐ帰って来られるし、香乃音もあたしもお姉ちゃんトコ行けばいいんだし」
聖玲奈は香乃音を励ますように言ったけど、来られるのははっきりいって迷惑だ、ってあたしは思った。
「うん」
鼻を鳴らして香乃音が頷いた。
「萌奈美ちゃんは佳原さんと一緒にいるのが一番の幸せなんだもんね」って泣き笑いの顔で言ってくれた。
香乃音にそう言ってもらえて、とても嬉しくて頷き返した。
聖玲奈が更に「お姉ちゃんがいればさ、断然麻耶さんに会いに行き易くなるじゃない」なんて本気だか冗談だか分からないことを言った。ううん、絶対本心に違いない。
真に受けた香乃音も目を輝かせて「そういえばそうだねえ」って同調した。
「あの、麻耶さんすごく忙しいんだから、滅多に部屋に居ないんだから・・・」
慌てて予防線を張ったけど、二人の目の輝きようを見ると効果は全然期待できなさそうだった。
「それで匠さん、荷物運びに来てくれるの?」
ママが口を挟んだ。
「うん。あたしが支度できたら電話して、迎えに来てくれることになってる」
「机やベッドはいいの?」ママが聞いたので、「とりあえず置いとく。どうしても必要なものじゃないし」ってあたしは答えた。
「寝るときどうするの?」ママは更に聞いた。
「お客さん用の布団があるからそれ使っていいって」ってあたしが答える横から、ニヤリと笑った聖玲奈が「そんなの必要ないじゃん」って言った。
「仲良く一緒のベッドに寝ればいいんだから」
そう言ってムフフって嫌らしい笑い声を上げた。
ごつん。
鈍い音が響いた。聖玲奈が頭を押さえている。あたしと香乃音は言わなきゃいいのにって内心思いながら呆れていた。

持って行く荷物を玄関に出し終えてから匠くんに電話した。すぐ出られるので15分位で来てくれるってことだった。
リビングで匠くんの到着を待った。少しして、家の前で車の停まる音が聞こえた。
エンジンの音やドアの開け閉めする音で匠くんの車だって聞き分け、飛ぶように玄関に向かった。
玄関を出たら、匠くんが車から降りてくるところだった。
「匠くん」
満面の笑みで匠くんに声をかけた。
「やあ」
いつもの匠くんの返事だった。
でも、明日からは匠くんもあたしもその日最初の第一声は変わるんだよね。そう思うと嬉しくて心が弾んだ。
「今日はありがとう」
「いや、大したことじゃないから」
あたしがお礼を言ったら、匠くんは遠慮がちに答えた。
「こんにちは、匠さん」
ママが玄関から出て来た。
匠くんは慌てて頭を下げた。
「あ、どうも、こんにちは」
そしてぎこちなく言った。
「今回は、あの、ご心配おかけしてすみません」
そう言って匠くんはまた頭を下げた。
「匠さんが謝ることではないんでしょ。萌奈美が無理言ってるんだから」
ママは穏やかな顔で答えた。
「こちらこそ今日はすみません。荷物運ぶの手伝っていただいちゃって」
ママがそう言って頭を下げたら、匠くんの方が慌てて「いえ、そんなホント大したことないので・・・」ってしきりに恐縮していた。
「ところで、匠さん、ちょっと話があるんだけどいいかしら?」
ママが匠くんに訊ねたので、ちょっと胸がドキンってした。
一体、ママが匠くんに何の話があるんだろう?ひょっとしたらあたしのことで匠くんを非難するんじゃないか、って心配になった。
匠くんは「はい」って返事をして、ママに促されるように玄関を上がって家の中に入って行く。
あたしは気が気じゃなくて、慌てて匠くんの後を追って家に上がった。ママと匠くんが和室に入って行くので、あたしも続いて入ろうとするとママに止められた。
「匠さんと二人で話しがあるの。悪いけど席をはずして頂戴」
「え、でも・・・」
心配でママの言うことに素直に従いたくなかった。
「萌奈美、先に荷物、車に積んどいてくれる?」
あたしの気を紛らすように匠くんが言った。
「重いのは僕が運ぶからそのまま置いといて」
匠くんはあたしの手に車のキーを載せた。
「でも・・・」
素直に従いたくなくてあたしが言い淀んでいると、ママが冷ややかに「聖玲奈と香乃音もね」って言った。
え?振り向いたあたしの後ろに聖玲奈と香乃音が立っていた。
あはは、って誤魔化し笑いを浮かべる二人に、呆れずにはいられなかった。何で二人まで話を聞く必要があるのよ?
二人に気を取られていたら、ぴしゃんって戸が閉まる音が響いた。慌てて前に向き直ったら無情にも和室の戸は目の前で閉ざされていた。
あたしは背後の二人を恨めしい気持ちで睨みつけた。

閉め切った和室の中で、ママが匠くんにどんなことを言っているのかとても気になったけど、ぼおっとしてても仕方ないので匠くんに言われたとおり荷物を車に積んでおくことにした。
「聖玲奈と香乃音も手伝ってよね」
当然のことのように言った。
聖玲奈が心外そうに「なんであたし達が・・・」って言いかけたので、ぎろりと睨んで「シャラップ」って一喝した。
玄関と匠くんの車を行き来しながら、あたしは聖玲奈と香乃音に手伝わせて持って行く荷物を車に運んだ。途中、聖玲奈が「お姉ちゃん絶対性格変わったよね」って香乃音に耳打ちしているのが聞こえて、ひと睨みしたら慌てて口を閉じて黙々と荷物を運んでいた。
三人だとあっという間に荷物を運び終えてしまった。元々差し当たって必要なものだけを持って行くつもりだったので、量的にはそんなに多くなかった。匠くんの部屋には一通りのものは既に揃ってるし。
あたしと聖玲奈と香乃音は玄関の上がり框(かまち)で、窮屈そうに肩を並べて座って頬杖をついていた。
「何話してんだろうね、ママと佳原さん」
聖玲奈がぼんやりと言った。それはあたしの方が聞きたい。
「萌奈美ちゃん・・・」
香乃音が呼ぶ声にあたしは身体を屈めて、聖玲奈を挟んで向こう側にいる香乃音を見た。
こちらを見て香乃音が目を潤ませていて、ちょっとびっくりした。
「どうしたの?」
「佳原さんちに行っても元気でね」
香乃音は涙声で言った。
「やだ。別に何処か遠く離れた所に行っちゃう訳じゃないんだよ」
思わず苦笑してしまった。
「そうだけど・・・」
みるみる涙が溢れて来る。急に香乃音を愛しく思った。
「しようがないなあ」って言って手を差し伸べた。
「萌奈美ちゃーん!」
香乃音は叫んで聖玲奈を突き飛ばすようにあたしに抱きついて来た。
香乃音に突き飛ばされて、廊下に倒れ込んだ聖玲奈が「いったーい、ちょっとお!」って喚いていたけど、あたしも香乃音も聞いていなかった。
「ふええーん」
泣きじゃくる香乃音の背中を、お姉さん然として優しく抱き締めながら、宥(なだ)めるように言った。
「あたしもこっちに帰って来るし、香乃音も遊びに来て?」
香乃音はあたしの胸に顔を埋めながら、うん、って頷いた。
「はい、はーい!」
手を上げて返事をしたのは聖玲奈だった。
だから聖玲奈には言ってないから。冷ややかな視線を送った。

それから少しして、和室からママと匠くんが出て来た。
「お待たせ」
匠くんがあたしを見て言った。
あたし達が窮屈そうに玄関で肩を並べているのを見たママは目を丸くした。
「何やってるの?あなた達」
えっと、別に・・・あたし達はもごもごと答えた。
「荷物は?」
匠くんに聞かれて、もう全部運んだよ、って答えた。
聖玲奈が恩着せがましく、あたし達も手伝いました!って自己申告したので、匠くんは「あ、それはどうも。ありがとう」って律儀にお礼を言った。毎度毎度一言多い聖玲奈をあたしは睨みつけた。
「もう行くの?」
ママに聞かれて、「うん」って頷いた。
匠くんはどうするのがいいか分からなくて困っていたので、あたしは「匠くん、行こう」って促した。
先を切って玄関を出て車へと向かった。匠くんも躊躇いながらあたしを追いかけて来た。
さっさと助手席に座って、「じゃあ、行って来ます」ってみんなに告げた。この場合、別れを告げるべきなのかちょっと迷ったけど、さよならを言うのも何かよそよそしい気がしたので、行って来ますって言うことにした。
「じゃあね」
「元気でね」
聖玲奈と香乃音が口々に答える。香乃音はまた今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「ほら、泣かないの」
笑いながら香乃音の鼻をちょっと摘んだ。香乃音は泣き笑いの顔をした。
ママは屈み込んで、あたしを挟んで運転席の匠くんに「萌奈美をよろしくお願いします」って頭を下げた。
「あ、はい」匠くんも恐縮したように頭を下げた。
「萌奈美、頑張ってね」
ママは笑顔であたしにそう言ってくれた。
あたしも「うん」って笑顔で頷き返した。
「じゃあ、出すよ」匠くんが言ったので、あたしは匠くんの方を向いて頷いた。それからママ達の方に向き直って「それじゃあ」って笑って手を振った。
車がゆっくりと動き出し、ママと聖玲奈と香乃音も手を振り返してくれた。
じきに車は曲がり角を曲がり、三人の姿は見えなくなってしまった。不意に寂しさが胸を締め付けた。ぼんやりと外を見つめ続けた。
「本当にいいのかな」
匠くんがぽつりとそんなことを言った。
はっとして匠くんの方を向いた。
「これでいいんだよ」
少し無理して笑ってみせた。
「本当に?」
繰り返し聞く匠くんに少し強がるように答えた。
「本当に。あたしは匠くんと一緒にいるのが一番幸せなんだから」
それは嘘じゃない。今はちょっと感傷的になってるけど、でも、すぐに幸せいっぱいの気持ちで笑えるようになるんだから。
「うん」
匠くんは頷いて微笑んだ。

◆◆◆

マンションに着いて匠くんちにあった台車で何往復かして、ダンボールの荷物を部屋に運んだ。最後にあたしと匠くんは荷物を詰め込んだ紙袋を両手に下げて匠くんの部屋に戻った。
とりあえずリビングに荷物を下ろした。うー、重かった。あたしは手を擦った。
「ようこそ。我が家へ」
突然匠くんが言った。
驚いて匠くんを見たら、匠くんが笑って手を広げていた。たまらなく嬉しくなって匠くんの腕の中に飛び込んだ。ぎゅうっ、と力一杯抱き締められた。
顔を上げたら、すぐ近くで匠くんがあたしを見つめていた。あたし達は引き寄せられるように口づけを交わした。
唇を離して、「これからお世話になります」って、ちょっと畏(かしこ)まって匠くんに言った。
匠くんもあたしを真似て「こちらこそよろしくお願いします」って答えた。
あたし達は抱き合ったまま、くすくす笑い合った。
たまらなく幸せだった。これからずっと一緒にいられるんだって思ったら、はしゃぎ回りたい気分だった。
これからは毎朝一緒に起きて、おはようって言って、行って来ますって言って、ただいまって言って、お帰りって言って、いただきますって言って、ごちそうさ まって言って、おやすみなさいって言って、一緒に眠りに就くんだ。毎日を匠くんと一緒に重ねていけるんだ。幸せで胸がいっぱいになって匠くんを強く抱き締 めた。

あたしは思った。いつも匠くんと一緒なんだ。
一緒に美味しいものを食べて「これ、美味しいね」って笑顔になって、一緒に映画を観て、テレビを観て、一緒に感動して、一緒に泣いて(匠くんは泣かないっ ていうかも知れないけど、時々悲しい映画や感動的な映画とか観て目を潤ませているのちゃんと知ってるんだから。)、一緒に笑って、一緒に色んな所に出掛け て、一緒に沢山の思い出を作って、一緒にディズニーランドに行って、一緒にディズニーシーも行って、そのうちアメリカのディズニーワールドにも一緒に(多 分新婚旅行とかで)行って、一緒にミッキーと写真撮って、ミニーとも撮って、ドナルドとも撮って、グーフィーとも撮って、チップとデールとも撮って、プ ルートとも撮って、スティッチとも撮って、二人一緒の写真で埋まったアルバムをいっぱい増やして、時々喧嘩して、時々怒って、時々拗ねて、時々泣いて、時 々もう大嫌いって言ったりして、でもすぐ謝って、やっぱり大好きって言って、いっぱいいっぱい大好きって言って、沢山沢山愛してるって言って、毎日何回も キスして、毎日はきっと無理だけどいっぱいエッチもして、そんな風に毎日一緒に、ずっと一緒にいられるんだね。
これからずっと。


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