【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Greeting 第1話 ≫


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夏休みの部室ははっきりいって地獄さながらに感じる。
クーラーもない部室で、辛うじて扇風機だけはあるのでスイッチを「強」にしてみたものの、生ぬるい風が髪を鬱陶しく乱すだけで、不快指数は一向に下がらなかった。
市高は普通教室全室と一部の特別教室には冷房を設置しているものの、部室には夢のまた夢ってみんな口々に言っている。炎天下の中走り回っている野球部始め 運動部に較べれば、強い陽射しに晒されることもないし気温30度を超える中で身体を動かすって訳でもないウチのような部が、何甘えたことを言ってるんだっ て叱られるかも知れないけど、でも、暑いものは暑いんだもん!って思う。
窓を全開にしても全然風が抜けず、うだるような熱気の籠もる部室で、あたし達は我慢較べのように文化祭に発行する部誌に載せる作品の執筆に取り組んでい た。文芸部は女子しかいなくて男子の目を気にする必要がないので、みんなセーラー服の襟を大きく開いてたり、スカートをばたばた仰いでいたりで、ひどい有 様だった。
あたしも人のことは言えず、こんなだらしない格好絶対に匠くんには見せられなかった。
その中で異様を放っているのがゆかりんこと山根紫(やまね ゆかり)部長と、もう一名あたしの親友の春音(はるね)だった。二人ともこの我慢較べ大会会場 の様な部室にあって、服装を乱すでもなく黙々と執筆に集中している。かつてゆかりん部長はのたまったことがある。「心頭滅却すれば火もまた涼し」。居合わ せたみんなは決して本人に聞こえないように声を潜めて、「修行僧かよ」って毒づいていたものだった。
一方の春音はあたしのすぐ隣で沈思黙考している。あたしは手放せずにいるハンカチで流れる汗をしきりに拭いつつ、春音の様子を見つめた。その顔には汗の浮 いている様子もなかった。本当に同じ人間なのかな?ふとそんな疑問さえ生じた。女優さんはどんな暑い時でも顔には汗をかかないって聞いたことがあるけど、 ゆかりん先輩じゃないけど気持ち次第でどうにかなるものなのかな?ってそんなことを思った。
「何?」
視線を感じてか春音が顔を上げた。
「ううん、別に。春音、作品書くの進んでるみたいだなあって思って」
あたしは慌てて取り繕った。
「ま、ね」
春音はにこりともせず答えた。
「あ、今日、終わってから時間大丈夫だよね?」
丁度いい機会なので確認した。
「うん。千帆と結香も来るんでしょ?」
春音の問いにあたしは頷いた。
「うん。メールで大丈夫って言ってたから」
みんなに報告したい事があって、今日部活が終わってから仲良しの千帆と結香と四人で会う約束をしていた。

部活が終わると、何だか制服は汗で湿っていて気持ち悪く感じられた。といって着替えもないので我慢してそのまま着続けるしかなかった。
部室で春音とあたしがのろのろと片付けをしているところに千帆が現れた。
「萌奈美、春音、お待たせー」
千帆が所属している茶道部も今日は部活のある日だったので、部活が終わってから落ち合うことにしていた。
「千帆。久しぶり。こっちも終わったとこだからちょっと待ってて」
あたしは大きな声で答えた。春音は一足早く片付け終えて、入口にいる千帆の方に向かい「久しぶり、千帆」って声を掛けている。
あたしも急いで机の上に広げていた筆記用具を鞄に詰め込んだ。

◆◆◆

結香とは大宮で待ち合わせの約束をしていた。結香は部活がなかったので、大宮に一緒に行こうっていうことになった。買い物に付き合ってと。
あたし達三人は大宮駅の改札を出て、大勢の人達が待ち合わせをしている中央コンコースで結香を探した。
結香の姿はすぐ見つかった。千帆が素早く見つけて「結香!」って大きな声で呼びかけ手を振ると、結香もこっちを見て笑顔を浮かべ手を振りながら駆け寄って来た。
「みんな久しぶりー」
結香は千帆と手を取り合って、きゃあきゃあはしゃいで再会を喜んでいる。そんな終業式からまだ二週間かそこらなんだけど。まるで何年かぶりの再会のような 二人だった。大袈裟な二人の様子は周囲から注目を集めていて、あたしはそんな二人がちょっと恥ずかしく思えて距離を置いて佇んでいた。春音はといえば、更 に遠い位置から無関係であるかのように二人を見ているところが彼女らしかった。
あたし達は西口のデッキをそごうの方へと歩き、その途中にあるマックでお昼を食べることにした。
マックはあたし達と同じくらいの若いコ達で混み合っていた。
あたしと春音が注文の列に並んで、結香と千帆が席を取っておくことにした。
注文を終えてトレイを持ったあたしと春音が上の階に上がってきょろきょろ見回していると、結香達の方から「萌奈美、こっちこっち」って声をかけてくれた。
何とか上手く空いた席をキープできたみたいだった。
「お待たせ」
あたしと春音はトレイをテーブルに置いて席に着いた。
しばらくハンバーガーを頬張りながら近況報告に花を咲かせた。
「結香、ちょっと黒くなった?」
「うん、敦(あっ)ちゃんと海行って来たんだ」
「二人で?」
「うん」
「ひょっとして泊まり?」
「残念ながら日帰り」
「千帆は宮路先輩とどっか行った?」
「んー、映画観に行った位だなー。放送部って部活多いんだよね」
そう言って千帆はちろんと春音を見た。
春音はその視線に気付いて反論した。
「何?あたしのせいじゃないわよ。冨澤だって自分が予定立てたんじゃないって愚痴ってたもん。夏休みだってのに部活に忙殺されてちっとものんびりできないって」
「春音、彼氏を苗字で呼び捨てってのはどうかと思うよ」
「だってまさか先生って呼ぶ訳にもいかないでしょ」
「名前で呼んだら?優(まさる)だっけ?優さん、とかさ」
「気色悪い」
春音は一顧だにせずばっさりと切り捨てた。聞いたら絶対先生傷つくと思うよ。
「で、先生、じゃなくて、冨澤さんとは何処か出掛けたりした?」
「だから、部活に忙殺されてそれどこじゃないっての。熱心な部長さんのお陰でね」って今度は春音が逆襲した。
千帆が「何よ」って受けて立っていた。
二人が剣呑な気配になりかけて、あたしは慌てて口を挟んだ。
「で、会ってないの?」
「部屋には行ってるけど・・・」
春音にしては珍しく歯切れの悪い言い方だった。恋人の部屋に行ってるなんてみんなに教えるのは、やっぱり春音でも照れるものなのかな。
「何だ、ちゃんと逢瀬は重ねてるんじゃない」
結香がからかい気味に言う。
さっきの話がまだ尾を引いているのか、千帆も「相手の部屋ってのがまた意味深な感じだよね」なんて角が立つようなことを言っている。
ああ、だから険悪な雰囲気になるようなことは控えてほしい・・・心の中で溜息をついた。
「何?あたしに喧嘩売ってる訳?」
春音が目を細めた。ちょっとお、春音。
「ね、ねえ。春音もうちょっと落ち着いて。それに千帆も結香もからかうようなこと言わないで」
あたしは慌てて仲裁した。
「久しぶりに会ったんだから、ね」
無理やりに笑って収束を図ろうって努めた。
「ふん」
仕方なさそうに春音は椅子に深くもたれた。千帆も結香もあたしに注意されて、少なからず反省したようだった。
「夏休みはまだ始まったばっかりだし。これからまだ沢山出掛ける機会はあるんだから」
出掛けるチャンスはこれから先まだまだたっぷりあるんだからってあたしは主張した。

気を取り直した結香が思い出したように言った。
「そう言う萌奈美はどうなの?今日会おうって言い出したの萌奈美でしょ?」
「そうだ。何か話があるんじゃないの?」
千帆もあたしの方に顔を寄せて聞いてきた。
「う、うん。あの、実は報告したい事があるんだ」
あたしはおずおずと話した。改まった口調に春音からも視線を向けられた。
「えっと、あのね」
三人の視線が集まると何だか急に気恥ずかしくなってしまって、何度か言い淀んでから、やっとって感じで話すことができた。
「あたし、匠くんと婚約したんだ」
あたしの言葉を聞いた途端、あたしを取り囲むように三人とも身を乗り出した。
「はあ?」
「何それ?」
「マジ?」
三者三様に驚きの声を上げた。信じられないみたいだ。分かるけど。
「うん。ホント。匠くんがね、家に来てパパとママの前で言ってくれたの。結婚したいって」
照れながら、でも嬉しくて、でれでれとその時の様子をみんなに話した。
「それで、今サイズ直ししてるから手元に無いんだけど、エンゲージリングもプレゼントしてくれたの」
そう言って本当は実物を見せたいところだったけど、携帯に撮っておいた指輪の写真をみんなに見せた。指輪のアップと、あたしが嵌めた指輪を胸元で見せてい るバストショット(改めて見たらあたしの顔は大層得意気だった)、指輪を嵌めて幸せいっぱいのあたしとちょっと照れている匠くんが腕を組んでいるツー ショットの画像を順々に披露した。
みんなで顔を寄せ合って携帯の画面を覗き込み、写真に写っている指輪を眺めた。
「可愛いねえ」「結構高そう」なんて感想を呟いていた。
「・・・萌奈美、展開早過ぎ」
結香が呟いた。
「知り合って二ヶ月でしょ。それでもう婚約って、早過ぎでしょ」
「でも、パパはママに出会って一週間でプロポーズしたって言ってた」
不思議でも何でもないって感じで答えた。
「血筋なの、それ?」
呆れたように結香が言った。
「結婚はいつ頃するの?」
流石、春音は落ち着いた様子だった。
「うん、まだはっきり決めてないけど、あたしが高校卒業してからだって」
「まあ、そうだよね」
千帆が頷いた。
「それにしても佳原さん、やるねー」
結香が感心したように言う。
「敦(あっ)ちゃんに今度聞かせてやろうっと」
「あたしと匠くんを出汁(だし)にしないでよ」
あたしが抗議すると不満そうな顔で結香に言い返された。
「だって、敦(あっ)ちゃんにも気合入れてもらわなきゃ。なんか敦(あっ)ちゃん、一歳違いってこともあってなのか、佳原さんに親近感持ってるみたいだからさ、佳原さんのこと話したら気合入れてくれるんじゃないかなーと思って」
「結香と誉田さん、二人のペースっていうのがあるでしょ。別にあたし達に倣う必要ないじゃない」
気になって諭すように言った。
「でも、女の子としては憧れちゃうもん。プロポーズって。あたしだって、いつ敦(あっ)ちゃんと結婚したっていいって思ってるし」
すっかり結香はそのつもりらしい。あたしは心配になってきた。
「あの、結香も春音も大事なこと言い忘れてるよ」
見かねたように千帆が口を挟んだ。春音も結香も問いかけるように千帆へ視線を向けた。
すると千帆はあたしの方を見てにっこりと笑った。
「萌奈美、おめでとう」
本当に心から祝福してくれているのが分かる温かい笑顔だった。
「あ、ありがと、千帆」
胸がじーんとして言葉に詰まった。
千帆を見て結香も春音も優しい笑顔を浮かべた。
「そうだね。おめでとう。萌奈美」
春音があたしの手を取って言ってくれた。
「ありがとう、春音」
あ、ヤバい。なんか泣きそう。
「おめでとー、萌奈美」
そう言って結香はあたしを抱き締めてくれた。もう駄目だった。
「ありがとう、結香」
辛うじてそう言って、すぐに涙が浮かんできて零れ落ちた。
「ありがとう、みんな」
みんなにもう一度お礼を言った。完全に泣き声だった。
「よかったね、萌奈美ー」
抱き合っていたあたしと結香に、千帆も泣きながら加わった。三人で泣きながら抱き合った。真っ昼間のマックでそれは一種異様な光景だった。春音はあたし達 の輪に加わりこそしなかったけれど、もう仕方が無いなあって言いたげな笑みを浮かべて、あたしの背中をぽんぽんって叩いてくれていた。

ひとしきり泣いたら気分がすっきりした。
あたし、結香、千帆の三人は赤く目を腫らしながら、でももうさっぱりした様子で普通に話している。
「じゃあさあ、今度プール行ったメンバーで食事会することになってるじゃない。それ、萌奈美と佳原さんの婚約を祝う会にしようよ」
結香が提案した。こういうことを真っ先に提案するのはいつも結香だった。
そんなこといいよ、って遠慮したけれど、結香も千帆もすっかり乗り気で「じゃあ、各自彼氏のスケジュールを確認しといてね。そしたら今夜メールで日取りを決めよう」って話を進めていた。
「もう佳原さんのご両親とはお会いしたの?」
結香と千帆の浮かれた調子に一歩引いた感じの春音から質問された。本当によくそういう点に気がつくなあって感心した。
「ううん、まだ。今度会いに行くっていう話は匠くんがしたみたい」
匠くんから聞いていたことを話した。
結香が興味有り気に口を挟んできた。
「おおー、相手の両親にご挨拶ですかー。それってめちゃ緊張するよねー。特にお母さんにはねー、気ぃ遣うよねー」
千帆も「嫁、姑の関係になるんだもんね。それによく彼の方の母親は嫁に息子を取られたって感じたりするらしいし」って何処からか聞き齧った情報を口にした。
千帆の指摘にあたしは急に不安を覚えた。
「ちょっとお。そういう怖いコト言わないでよね。ただでさえご挨拶に行って“こんな子どもが相手だなんて”とか思われたりしないか、すっごく心配なんだからあ」
あたしの抗議に千帆は「あはは。ごめん」って笑って謝った。もお、他人事だと思って・・・
「でもさあ、挨拶に行ったら後で様子聞かせてね。やっぱり相手のご両親に会うのってすっごく気になるもんね。どんな感じか知りたいし」
千帆は興味津々の様子だった。もしかしたら自分が宮路先輩の家に行く時の参考にでもするつもりなのかも。
「その点結香はいいなー」溜息交じりにぼやいた。
「結香んトコはお隣同士で、誉田さんのお母さんとも結香顔見知りなんでしょ?」
あたしが訊ねたら結香は「まあね」って頷いた。
「家族ぐるみの付き合いだしねー。もう娘同然って感じだし。おじさん、おばさんからはいつ嫁いで来てもいいって言われてるし。ウチの親も敦ちゃんだったら安心だって言ってたし。どっちの親も“いっそのこと敦ちゃん家に住んじゃえば?”ってノリだし」
「いいなあ」
心底羨ましくて呟いた。
あたし達四人はそのままだといつまででも話していそうだったので、誰からともなく「そろそろ行こうか」って言って席を立った。それからアルシェやルミネをぶらぶら回って、それぞれちょっとしたものを買って、夕刻に差しかかる頃大宮駅で別れた。

◆◆◆

「匠くんはいつが都合いい?」
いつもより少し早い時間に匠くんに電話していた。
いつもは大体10時頃に電話することがあたしと匠くんの間で暗黙の了解になっている。8時位までにお風呂、夕食を終え、二時間程勉強してから匠くんに電話 し、一時間位話して電話を切って就寝するのがあたしの大体の日課だった。匠くんの声の響きを耳に残して眠りにつくのはとても幸せだった。
だから今夜は早い時刻の電話に、何かあったのかって匠くんは最初驚いた様子だった。
「こっちは結構時間の融通利くと思うけど」
匠くんは雑誌とかのイラストを描く仕事をしていて、仕事は大体夜中することが多いし、割と自分のペースで進められるので時間の融通が利くようだった。
「じゃあ、駄目な日があったら教えて。その日ははずすようにするから」
あたしは匠くんの都合の悪い日をメモするために手帳を開きながら言った。
匠くんと出会ってからあたしの手帳のスケジュール欄は予定でぎっしり埋まるようになった。前は部活の予定だとか、友達と買い物に出掛ける約束だとかを記入 する程度で、空欄の日の方が多かったけど、ここ二ヶ月ばかりは匠くんとのちょっとした予定も記入するようになって、賑やかになっていた。自分で見ても女の 子のスケジュール帳だなあって思う。デートの日なんかハートマーク書き込んでるし。
「もしもし萌奈美?」
匠くんの問いかける声が耳元で響いて、はっと我に返った。いけない、いけない。
「もしもし?ごめんね」
「都合の悪い日は・・・」
匠くんはスケジュールを確認しながら都合の悪い日をあたしに告げた。あたしはスケジュール帳のその日の欄に「匠くん×」って記入した。
「・・・いまんとこ、それ位かな」
「うん、分かった。また日時が決まったら知らせるね」
「うん」
この間プールに行ったメンバーで顔合わせするのは匠くんはあまり気乗りしないかなって、本当は少し不安に思っていたんだけど、割と乗り気な様子だったのでちょっと意外な感じがした。
そもそも匠くんはそんなに誰とでも親しくなる方じゃなかった。社会人として社交辞令的な会話や、短い間を繋ぐ世間話程度はそつなくこなしはするけれど、匠くんも自分で言っている通り社交的とは言い難い性格だ。
そう言うあたしも知り合ってすぐ打ち解けたりできないし、友達だって大勢いる方じゃないし、そういうところは匠くんとあたしは似てるのかも知れない。そん なあたしが匠くんの連絡先を調べ出して自分から連絡を取ったり、匠くんの部屋に殆ど一方的に連日訪れたりしていた(って言うよりも「押しかけてた」ってい う方が正しい)のは、あたしのことをよく知ってる人からすると本当に信じ難い出来事に映ってたに違いないんじゃないかな。自分でも今思い返せば信じられな い気がするし、我ながらよくやったなあって感心するやら呆れるやらって気持ちだもん。恐らく後にも先にも二度とないことなんじゃないかって思う。それだけ 匠くんはあたしにとって特別な存在なんだよね。
けれども匠くんが親しくしている人達は本当にいい人ばかりで、匠くんも心から信頼しているのを知っている。(仕事上付き合わざるを得ない人は別として、っ て匠くんは以前“敢えて”って感じで言っていた。と言うことは、仕事上では嫌々付き合いのある人が現に誰かいるのかな?ってあたしはその時聞いて思ったも のだった。社会に出ればそれは当たり前なのかな?)
照れ屋で少し皮肉屋なところのある匠くんだから、口でこそ「ふざけた連中」とか「ひどい連中」とか「悪ノリし過ぎる」なんて悪態をついているけれど(そし てそれは、あたしも少なからずそう思わざるを得ない事態を目(ま)の当たりにすることがあったので、決して見当違いとも言えないような気がするんだけ ど)、本当はとてもその人達のことが好きなんだってことを、あたしはちゃんと知っている。(それにしても匠くんはあたしにはあんなに優しいし素直に気持ち を伝えてくれるのに、どうして他の人達には同じように接しないんだろうって不思議に思う。そう思って以前麻耶さんに聞いてみたら、あたしに対する態度の方 が例外なんだって断定されてしまった。そんなことない、って思うんだけどなあ。)
それとなく匠くんの真意を探ってみたら、割と誉田さん、冨澤先生と話が合ったし、もう少し話したいって思ってるみたい。ふーん、そうなんだ。そういえば結 香が話してたっけ。誉田さんも匠くんとまた会いたいって言ってたって。もしかしたら、同世代だし付き合ってる彼女も同じ歳の女の子っていう共通点があるか らなのかな。

「ところで、匠くん」
あたしは唐突に話題を変えた。
「ん?何?」
「匠くんのご両親には何時ご挨拶に行くの?」
実は結構気になっていた。匠くんはもう電話であたしのことを話しているみたいだし、あまり間を空けていたらあたしが行くのを嫌がってるんじゃないかって誤解されないか心配だった。そう打ち明けたら、匠くんはそんなことにはならないってきっぱり言ってくれたけど。
「ただ・・・」
自信なさそうに匠くんは言葉を続けた。
「電話した時にさ、まだ先の話なんだけどって言ったら、何時頃結婚するのかって聞かれたんだよね」
匠くんは少し弱ったように言った。
「うん」あたしは相槌を打った。
匠くんはそれからその時の電話の内容について話してくれた。
あたしの家に来てパパとママに結婚を許してもらった後、部屋に戻って麻耶さんに話したら、ご両親にも早く報告するよう忠告されたのだそうだ。それもそう だって匠くんも思って、早速実家に電話したらお母さんが電話に出たんだって。(匠くんの実家は今お父さんとお母さんの二人暮しだから、自(おの)ずとお母 さんが電話に出る頻度が高いみたい。)
匠くんが話してくれた、匠くんと匠くんのお母さんの間で交わされた会話は次のようなものだった。

「あ、もしもし。匠だけど」
「あら、匠。珍しいわね。匠の方から電話して来るなんて」
「まあ・・・」
お母さんと話す時の匠くんの受け答えはいつもこんな感じらしい。(そう匠くんが教えてくれた。それにいつもは用件を手短かにかつ一方的に話し終えたら、匠くんの方からさっさと電話を切ってしまうらしい。)
「何?何か用があって電話して来たんでしょ?」
「そうだけど・・・」
やっぱり実の親に結婚の話を切り出すのは、なかなかに言い出しにくいものだったって匠くんはあたしにその時の心境を語ってくれた。
「実は、さ、今度そっち行こうと思ってるんだけど」
「そうなの?別に構わないわよ。第一、自分の家なんだからわざわざ断って来る必要もないでしょう」
「いや、そうだけど・・・」
「鍵は持ってるでしょ?」
「うん」
そういう事ではないんだが、って匠くんは思いながらもそう答えてしまったらしい。
「麻耶も一緒に来るの?」
「え、さあ。聞いてないから分かんないけど・・・」
匠くんのお母さんは匠くんが煮え切らないような返事ばかりするので苛立ったらしい。因みに匠くんによると、匠くんのお母さんは(匠くんの表現によれば) 「割と」気が短いらしい。加えて(これも匠くんの表現によれば)「瞬間湯沸かし器」の様な性格らしい。(つまり、突然猛烈に怒りだしたと思ったら、少し経 つとすっかり怒っていたことも忘れてる、らしい。)
「何なの?一体?」
電話越しのお母さんの声が尖るのが分かって、匠くんはこのままではまずいって思って、慌てて本題を切り出したそうだ。
「あのさ、ちょっと人を連れていくつもりだから、父さんと母さんに家にいて欲しいんだけど」
これを聞いてあたしはもう少し言い様がないのかなってちょっと悲しく思った。
「人って誰?」
一度イラッと来てしまったお母さんは、匠くんの要領を得ない言い方にまた苛立ったらしかった(それはそうだと思う。)
匠くんは仕方なく観念して一般的によく使われる表現に言い直したんだって。
「だから、会って欲しい人がいるんだ」
「は?」
素っ頓狂な声が返ってきた、って匠くんは笑った。
「会って欲しい人」っていう表現で、匠くんのお母さんもやっと理解してくれたみたい。
「それって、つまり、結婚したいってこと?」
声を聞いただけで本心から驚いているのが匠くんには分かったそうだ。
なにしろ今迄女っ気なかったからね、って匠くんはその理由を語った。いまだかつて彼女の話ひとつ親の前でしたこともなかったのに、それが突然結婚したい人がいるって電話したもんだから、驚くのも当たり前だよね。匠くんは苦笑しつつそう告げた。

「ねえねえ、匠くん」
あたしはちょっと引っかかって聞き返した。
「いままで彼女の話をしたことないって言うのは、そもそも彼女がいなかったから話せなかったの?それとも本当は付き合ってる彼女はいたんだけどお母さん達には黙ってたってことなの?どっち?」
「・・・萌奈美、何か話題が反れてない?」
「そんなことない。ねえ、どっち?」
「・・・何でそんなこと、今・・・」
電話越しにほんとに小さな声で匠くんは愚痴めいた呟きを漏らした。あたしには絶対聞こえないと思って。だけどあたしは聞き逃さなかった。
「匠くん。あたしに言えないの?」
問いかける自分の声が少し低くなっていた。
春音に指摘されたことがあった。
「萌奈美って本気で怒る時って静かに怒るよね。それで話す声が低くなるんだよね。なんか獲物を狙ってる肉食獣が姿勢を低くしているような感じ」・・・春音はいつも鋭い。
自分では決して怒りっぽい性格じゃないって思ってる。周囲の評価も温厚な性格で通っている。あたしが怒るなんて信じられないって言うクラスメイトもいたりする。
それがこと匠くんのことになるとあたしは簡単に機嫌を悪くする。誰かが匠くんのことをちょっとでも悪し様に言っていようものならムカッと来て、黙っていら れなくなってしまう。匠くんが他の女の子の事を話してたり、匠くんの口からあたし以外の女の子の名前が出たりすれば、途端にムッとしてふて腐れてしまう有 様だった。自分でも重症だって思うけどどうしようもなかった。
「匠くん、あたしに言えないこと?」
あたしはもう一度静かに繰り返した。
「え、いや、言えないなんて、そんなことある訳ないだろ」
匠くんは慌てたように答えた。
「だから、もちろん彼女なんていたことないに決まってるだろ、今まで一度も」
匠くんはそう答えて沈黙した。
あたしはそう聞いて途端にさっきの機嫌の悪かったのなんて何処かに飛んでいってしまってにこにこ顔に戻ったんだけど、匠くんの気持ちはあたしの機嫌とは反比例にどんより落ち込んでしまっているみたいだった。
今迄にもこういうやり取りが何度かあった。匠くんに過去付き合ってた女の人がいたのかどうかあたしはすごく気になって、折に触れてそれを確認したくなって 実際に匠くんに聞いてしまい、匠くんは決まって口を濁した。それはつまり付き合ってた人がいたからだって、あたしが落ち込んだり機嫌を悪くしたりすると、 匠くんは違うって、一度も彼女なんていたことないって、と慌てて答えて、あたしはその言葉にほっとしたり機嫌を直したりするんだけど、決まって匠くんは落 ち込んだようになるんだった。
何で落ち込むのかあたしにはさっぱり分からなかったんだけど、麻耶さんと話してて「そりゃあ、26にもなって今まで一人も彼女がいなかったなんて、男とし ては恥ずかしいものだからよ」って説明された。そうなのかな?・・・あたしには、匠くんに今まで誰一人彼女がいたことがなくて、匠くんの人生において彼 女って呼べる存在はあたし一人だけっていうのは、とても嬉しいことなんだけど。
でも実のところどうなんだろう?本当に匠くんには今迄彼女がいたことがないんだろうか?女性とお付き合いしたことがないんだろうか?匠くんが決まって初めは口を濁したり、答えに躊躇したり、返答に詰まったりするのを見ると疑ってしまう。本当は違うんじゃないかって。
匠くんがイケメンではないにしても(言っておくけど、これは控えめに表現しての話だからね。あたしは匠くんが誰よりもかっこいいし、素敵だし、魅力的で、 イケてるって思う。芸能人の誰と較べたって匠くんが一番素敵だって思う。そう話したら麻耶さんには「痘痕も笑窪」「蓼食う虫も好き好き」って評された。実 の妹だからってあんまりじゃないですか?ってその時あたしは麻耶さんに食ってかかったものだった。)女の人に全然モテないなんて思えなかった。でも麻耶さ んは「100%いなかった。あたしが保証するから」って胸を叩いていた。幾ら妹でもそんなに自信持って言い切れるものなのかな?或いはあたしを安心させる ために大袈裟に言ったんじゃないのかな?その時はあたしも「良かったあ。安心しちゃった」って笑顔で答えたんだけど、本当は今も疑問を捨て切れないでい た。

すっかり話が逸れてしまったけれど、匠くんと匠くんのお母さんが交わした話の中身だった。
お母さんにそれはつまり結婚したいってことなのか、って問い返されて匠くんは素直に認めたそうだ。
お母さんは少しの間沈黙(実のところは「絶句」っていう方が正しい、って匠くんは注釈を付けた)してたんだって。
「・・・びっくりさせるわねえ」
実感のこもらない声でお母さんが答えたそうだ。
「・・・でも、結婚するのは実際まだ先の話なんだけど」
「まだ先の話って?」
「少なくとも二年くらい先、ひょっとしたら六年先になるかも」
お母さんはそれを聞いてまたびっくりしたらしい。
「六年先って・・・相手の人、何してる人なの?」
そう聞かれて匠くんは言い淀んでしまったそうだ。結婚相手が今高校二年生だなんて知ったらまたびっくりするに違いないから。
黙っている匠くんにお母さんは畳み掛けるように訊ね返したそうだ。
「相手の人って今幾つなの?」
「・・・17」
匠くんは仕方なく答えたそうだ。
それを聞いたお母さんに、予想してた通り一際甲高い声で聞き返されたんだって。驚いてる顔が目に浮かんだよ、って匠くんは言った。
「17!?・・・って高校生!?」
「今、高校二年」
「高校二年!?匠、あんた一体何考えてるの!?」
お母さんの声はもはや叫び声に近かった、って匠くんが苦笑した。
それと、お母さんと麻耶さんが全く同じことを言ったので、匠くんは母娘だなあ、ってつくづく思ったそうだ。
「第一、向こうの親御さんが許さないでしょう」
そうお母さんに言われて匠くんは、
「今日、彼女の家に挨拶に行ってご両親に結婚を許してもらった」って説明したそうだ。
お母さんはまた沈黙、もとい絶句してしまったらしかった。
匠くんは電話で話しても話がこじれるだけだって思って、「とにかく、僕も彼女も真剣に考えてる。一度彼女に会って欲しいんだ」って真摯に訴えたらしい。
お母さんはしばらく沈黙していたけれど、「そうね、電話で話していても何だか分からないし・・・」って同意してくれたそうだ。
「何時頃行ったらいい?」
「平日は七時過ぎだったら大概お父さんも帰ってるし、土日だったら大抵家に居ると思うけど・・・」
そう話すお母さんの声はまだ困惑しているようだったって匠くんは言った。
「分かった。そっちに行く前にまた一度電話入れるから」
お母さんはまだ何か言いたそうな感じだったけれど、匠くんはそう言って電話を終えたそうだ。

あたしは匠くんの話を聞き終えて不安の色を濃くしていた。
「それじゃあ、余計早くお伺いした方がいいんじゃない?」
「そう、だけど・・・」
息子の結婚相手が17歳で現役の高校生だなんて聞いて、匠くんのお母さんは驚いているに違いないし不安にも思っているだろう。時間を置くことで、匠くんの お母さんの中で結婚相手の(つまりあたしの)マイナスイメージが膨らんでしまったりしたら困る。そのマイナスイメージが更に匠くんのお父さんに伝えられて しまったら、もっと困ったことになってしまう。
何だか匠くんのご両親に結婚を許してもらうってことの難易度が急に上がったように感じられた。
「ねえ、じゃあ急いでご挨拶に行ったほうがいいよ。すぐにでも」
不安に駆られて匠くんを急かした。匠くんはあたしのパパとママに許してもらう時にはぐいぐい引っ張ってくれたのに、相手が実の親となると動きが鈍ってしまうみたいだった。
「匠くんのお母さんにあたし、ろくに学校にも行ってない退学寸前の不良娘なんて思われたりしてないかな?」
あたしは妄想に近いことを口走っていた。
匠くんのお母さんに、息子は運悪く学校をサボってばかりいる不良娘に引っかかったに違いないって思われたりしていないか心配だった。
「まさか」
電話の向こうで匠くんは、はははって笑った。でも力の無い声だった。
「出来たら今度の土曜か日曜にご挨拶に行こうよ」
あたしから提案した。
匠くんはあたしが熱心に言うので仕方なく了承してくれた。
そして訪問することをご両親に知らせておいてくれるよう、それから日時が決まったら連絡をくれるようお願いして電話を切った。
ひどく気持ちが焦った。匠くんのご両親に気に入ってもらえるかどうか急に不安を覚えた。
考えてみれば結婚相手が高校二年生だなんて聞いて、まだほんの子供にしか思ってもらえないんじゃないだろうか。
愛してるとか、結婚したいとか、テレビや漫画の恋愛話に憧れる子供の戯言にしか聞こえないんじゃないか。
恋に恋する年頃なのね、なんて物分りのいい顔で納得されてしまうかも知れない。
あなた達の今の気持ちは一時の気の迷いっていう程のものだから、しばらく距離を置いてみたらいいんじゃないかしら、すこし経ってみると憑き物が落ちたようにけろりとそんな気持ちは何処かに消えてしまっているに決まってるから。
そんな風にあたしと匠くんの想いを留保されてしまったらどうしよう。
あたしの中で不安が夏の積乱雲のようにむくむくと膨らんでいった。
心の中に膨れ上がった懸念に息が詰まりそうになっていると、携帯がメールの着信を知らせた。結香からだった。
都合の良い日又は都合の悪い日を知らせて欲しい、って内容だった。
あたしは匠くんから聞いた匠くんの都合の悪い日と、それから自分の都合の悪い日を打ち込み返信した。その中に今度の土日も入れておくことにした。
小一時間ほどして、再びメールの着信があった。食事会(結香のメールでは「婚約報告会」って謳われていた)の日にちの決定を知らせるメールだった。
来週水曜午後七時に大宮集合、って記されていた。
またスケジュール表が予定で埋まった。
ちなみに今度の土日の欄は「どっちか匠くんの実家?」って記入しておいた。
 


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