【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ Disney Sea 第3話 ≫


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そしてあたし達はディズニーシーを後にした。
閉演時間を迎えたことを繰り返し告げているアナウンスが寂しさを募らせた。
最高に楽しい一日が終わってしまったことへの切なさがひたひたと胸に満ちる。入場ゲートの回転するバーを通過して、一歩足を踏み出した途端、夢のような魔 法が解け、そこは平坦な時間が流れる日常の空間だっていうことがひしひしと感じられた。いつもディズニーから帰るとき思う。このままずっと今日っていう一 日が永遠に続けばいいのに。
駐車場に向かう途中、振り返って「じゃあ、またね」って語りかけて小さく手を振った。
そんなあたしを見て匠くんも後ろを振り返った。
そしてお互い顔を見合わせて微笑んだ。平凡な日常へと戻ってきたけれど、でもあたしの隣には匠くんがいる。ずっと。
心を満たす寂しさを優しく溶かしてくれる温もりを感じた。

駐車場から一般道へ出ると辺りは大渋滞になっていた。ディズニーリゾートから帰る人達の車でいっぱいだった。赤いテールランプがフロントウインドウいっぱいに滲んでいる。
匠くんは軽く溜息をついた。
「こりゃ、ここ抜けるのにちょっとかかりそうだね」
あたしは別に憂鬱でも何でもなかった。
「全然平気だよ。だって、それだけ匠くんと長く一緒にいられるもん」
匠くんはあたしの言葉に少し照れたようだった。そして苦笑した。
「なる程。そういう考え方もあるか」
あたしの言葉で匠くんものんびり構える気になったらしい。何となく気楽な感じが車内に広がった。
それからしばらく時間を要して舞浜の渋滞地帯を抜け、オデッセイは舞浜インターから首都高に入って都心へと向かった。
運悪く(あたしとしては別に運悪くとは感じなかったのだけれど)、深夜に差し掛かろうとしている首都高は箱崎周辺で渋滞になっていた。ナビの画面上には首都高に沿って赤い線が表示されていた。
「こんな時間でも渋滞するんだね」
あたしが意外そうに言ったら、「平日だったらこの時間帯でも結構混むみたいだけど休みの日には珍しいかも」って匠くんが答えた。
道路上の電光掲示を見るとどうやら工事渋滞のようだった。でも幸い完全に停止することはなくて、ノロノロとではあったけど車は進んで、やきもきすることは なかった。それにあたしは匠くんと一緒にいてやきもきすることなんか絶対ないし。(あ、でも匠くんが他の女の人と一緒にいたりすればやきもきすると思うけ ど。)
新宿方面へ分岐する辺りから徐々に車が流れ始め、再びスムーズに進み出した。匠くんは夜で視界が悪いこともあって運転に集中し、前方を見据えたまま言葉少 なになった。運転している匠くんに悪いって思いながらも、一日中歩き続けた疲れもあってうとうとしてしまい、やがてすっかり眠ってしまった。

遠慮がちに繰り返される呼びかけに、少しずつ意識が戻ってきた。
ぼんやりと眼を開け、ぼうっとした頭で状況を判断しようとした。此処は一体何処だっけ?
そしてディズニーシーからの帰りの車の中ってことを思い出して、はっきり目が覚めた。
「あ、ごめんなさい。あたし、眠っちゃってた」
変な寝顔をしてなかったか心配になった。そして匠くんも疲れているはずなのに帰りも運転して来てくれて、あたしだけ眠ってしまったことがとても申し訳なかった。
「ごめんね。匠くんはずっと運転してくれてたのに、あたし一人だけ眠っちゃって」
「いや、別に全然構わないよ。むしろ萌奈美ちゃんの寝顔も見られたしラッキーって」
そんな冗談を飛ばして車内の空気を軽くしてくれた。
「それに隣で眠ってるって、それだけ僕のこと信頼して気を許してくれてるんだなあって思ったし」
「え、うん・・・あの、いびきとかかいてなかった?」
寝顔見られたと思ったら急に激しく恥ずかしくなった。
「ああ、うん。かいてた」
匠くんは面白そうに答えた。
「えーっ!やだあ!」
自分が寝ているときいびきをかいてるなんて全然知らなかった。あたしは真っ赤になった。
「なーんて、嘘」
匠くんはしてやったりっていういたずらっぽい笑顔を浮かべてそう付け加えた。
・・・なんだとー!?
「何それ!?ひっどーい!!」
あたしはふくれっ面になった。もう、ほんとに匠くんにいびきかいてるとこなんか見られたと思ったら、死んじゃいたい位恥ずかしかったんだから!
完全に機嫌を悪くしたあたしに、匠くんは慌てていた。
「えっ、ご、ごめん」
「匠くんにホントにいびきかいてるトコ見られたと思って、死ぬほど恥ずかしかった!」
「あの、ごめん。そんなに気にすると思ってなかった。本当にごめん」
もう、とあたしはもう一回腹立たしさを口にすると、はあ、って溜息をついた。怒ったトコなんて匠くんに見せたくなかった。
「あの、ほんと、ごめん」
匠くんはこんなに機嫌を悪くしたあたしを初めて見て、弱りきっていた。
「つまんない嘘言って・・・ごめん」
「もういいよ」
溜息交じりに言った。
楽しかった一日をこんな風に気まずく締めくくるのは嫌だった。何気ない冗談だったのに、過剰に反応して怒ってしまった自分に後悔していた。
「あたしこそ、ごめんなさい。こんなことで怒って」
「いや、そんなこと。悪ふざけし過ぎた、僕の方こそ、本当にごめん」
匠くんは何回もごめんって繰り返した。
「ううん、あのね、もう怒ってないから。匠くんは冗談のつもりだったのにね、本当に怒ってごめんなさい」
本気で怒ってしまって、ばつが悪く感じられた。こんなことでムキになって・・・ちょっと落ち込んでしまう。
「いや、萌奈美ちゃんは全然悪くないから。本当、僕が全部悪かったんだから。もう100%、いや120%」
あたしの沈んだ様子を見て匠くんはあたふたしていた。
「ね、ほんと、ごめん。萌奈美ちゃんがそんなに傷つくなんて思ってなくって。考えが足りなかった。ごめんね」
今のあたしは匠くんの言葉に傷ついているのより、冗談ひとつにムキになって怒ってしまった自分の心の狭さに落ち込んでいた。自分がとても子供じみているように思えた。
黙って俯いたままのあたしを見つめる匠くんの視線を感じた。
注がれている匠くんの視線が気になって顔を上げた。そしたら思わぬ位にお互いの顔が急接近してしまった。
匠くんの顔を間近に見て、あたしの胸に突然願い事が浮かんだ。そしてとてもそれを叶えたくなった。
「もう、本当に怒ってないから」
じっと匠くんの瞳を見つめたまま言った。
「それでね、あたしのお願いひとつ聞いてくれる?」
思わぬ近さで見つめ合うことになって、匠くんはどぎまぎしている風だったけど、あたしの機嫌を取り戻そうと躊躇なく頷いた。
「う、うん。いいよ」
「あのね、キス、してもいい?」
こんな状況だったけど、あたしの気持ちはむしろ落ち着いていた。思った以上にしっかりした声で告げていた。
あたしの言葉を聞いて、案の定というか、当然というか、匠くんは目を見開いて絶句した。固まってしまった。
あたしは凝固したように身動きしない匠くんと目線を合わせ続けた。
えーと。どうしたらいいかな?・・・大胆過ぎたのかな?
確かにあたし自身、自分の言動をすごい大胆って思っているいつもの自分がいたりするけれど。
でも今日、朝早くから夜遅くまで殆ど丸一日近い時間を一緒に過ごして、間接キスだってしたし、意外な一面も含めて今まで以上にお互いの色々な面を見ることができたし、今日一日であたしと匠くんの距離はすごい縮まったのを感じていた。
そしてもっと、恋人として距離を埋めたかった。ぴったり重なるように、1ミリの隙間も無くあたし達の間に存在する隔たりを無くしたいってそう思った。
瞬間冷凍でもされたかのように固まっている匠くんにもう一度聞き返す。
「ねえ、いいでしょ?」
匠くんの視線が泳いだ。
「えーと」
「駄目なの?」って聞くと匠くんは「うーん」って唸った。
「嫌なの?」
匠くんは即座に頭を振った。
「嫌じゃない。絶対」
きっぱりした眼差しだった。
「じゃ、いい、でしょ?」
探るように匠くんの瞳を見つめる。
嫌じゃなかったら、何が問題になってるんだろう?匠くんは困り果てていた。
どうしてキスするのに困り果てることがあるんだろう?恋人同士なのに。全然分からなかった。
「どうして困ってるの?」
匠くんの瞳の中に答えが書いてあるかもって思って、瞳の奥深くに目を凝らした。
「どうして、と言われても・・・」
あんまりじっと見据えられて、匠くんは落ち着かないみたいだった。
「言われても?」
歯切れの悪い匠くんの言葉尻を捕まえる。その先は?
「うー」匠くんは再び唸ったけれど、諦めたように言った。
「・・・まだ・・・待たなきゃいけないと思ってる、から」
「待つ、って、何を?」
匠くんの言うことが飲み込めなくて、首を傾げた。
「萌奈美ちゃんはまだ高校生だから」
匠くんの言葉にあたしは目を丸くした。高校生だから?高校生はキスしちゃいけないんだろうか?
あたしが疑問に思っていることを読み取ったらしく匠くんは補足するように言葉を継いだ。
「僕は大人だから・・・」
大人だから自分が分別を持たなきゃいけない。匠くんは言った。じゃあ高校生は分別がないっていうんだろうか?
社会的、一般的には、高校生は精神的にまだ未成熟で、大人たる者が理性を持って分別を弁(わきま)えなきゃいけない、っていうようなことを匠くんは更に語った。
社会とか一般とかってちょっと建前じみた感じがしてあたしは反発したくなった。世間なんて関係ない、って言ってしまう程子供のつもりはなかった。それでも。
「社会とか世間とか、そういうのって、何かのっぺらぼうのお化けみたい感じがする。そんな何だかはっきりしない幽霊みたく実体の見えない何かに縛り付けられるのなんてつまんないよ。全然納得できない」
そう抗議した。
でも、と匠くんが反駁した。
「それが世間とか社会とかいうものなんだよ。実体はなくても現実を動かすことができるし、その影響や制約を僕達は受けてるんだよ、現実的に。そして、いっ たん問題になれば世間や社会は認めてくれないんだよ。どれだけ本当に本人同士お互いに好き合っていても、周りの身近な人が理解してくれたとしても。世間や 社会が声高にいう「常識」とか「社会通念」ってヤツに背中をせっつかれて、文部科学省とか、教育委員会とか、学校とかっていう組織は厳然たる対処を求めら れる。そして引き離されてしまう。僕はそんなことになりたくない、そんなことになるのは何としても防ぎたい。僕達二人の、これから先の未来を守るために。 だから・・・」
だから、匠くんは待たなきゃいけないって思ってる。それは何時まで待つの?あたしが高校を卒業するまで?それにはまだ二年近くの時間があった。それまで待たなきゃいけないの?
あたしにとって二年近い時間を待ち続けるなんて、何だか果てしなく遠い先のことにしか思えなかった。それを思うと悲しくなった。それはもちろん匠くんと引き離されてしまうことになるなんて絶対嫌だ。そんなの我慢できない。だから匠くんの言うことは理解できる。
でも、とその一方で思う。匠くんと出会ってから一ヶ月余りの時間の中で、あたしの中では匠くんへの想いがどんどん膨らんでいくばかりだった。急速に、加速 的に、匠くんの存在があたしの心を埋め尽くして、その余りの性急さに気持ちが軋(きし)んで痛みを感じる位だった。これからもその想いはどんどん大きくな り続ける。匠くんともっと一緒にいたい、匠くんとの距離を縮めて、二人の間にある隔たりを無くしたい・・・その思いが募っていく。だけど、その気持ちを我 慢して待ち続けなきゃいけないの?そんなこと、とても耐えられないって思った。
「そんなのやだ」
泣きそうな声で言った。
「匠くんと離れ離れになるなんて、やだ」
匠くんにしがみついて頭を振った。掴んだシャツがくしゃくしゃになってしまう位きつく握り締めた。
「だけど、ずっと待たなきゃいけないなんて、やだ」
あれも嫌だ、これも嫌だ・・・丸っきり駄々をこねている子供そのものだった。自分でもそれは分かってて、だけどどうしようもなかった。自分の中の気持ちを上手く整理することができなかった。
訴えるように匠くんを見上げた。我慢し切れず涙が零(こぼ)れ落ちた。
「そんなの、やだ」
何を伝えようとしているのか、言っている自分でもよく分からないままに呟いた。

あたしを見ている匠くんの顔が歪んだ。
次の瞬間、息が止まる程の息苦しさがあたしを襲った。匠くんに抱き締められているって理解するまでに時間が掛かった。
匠くんは抱き締めていた力をそっと緩め、少し身体を離してあたしの顔を見つめた。あたしも滲む視界で匠くんを見つめ返した。
ゆっくり目を閉じた。何秒かして唇に優しく触れる感触があった。そしてそのまま数秒が過ぎた。唇に触れていた感触が離れていった。
少し躊躇(ためら)ったけど、目を開けた。
すぐ近くに匠くんの顔があった。この顔が大好きだって改めて実感した。あまりに間近に見つめていたので恥ずかしくて再び目を閉じた。
そしてまた唇に匠くんの唇が重なった。今度はあたしも自分の唇に少し力を込めてみた。
さっきより長い間あたし達は唇を重ねていた。閉じたままのぎこちないキスだった。10秒くらい続いただろうか。匠くんの唇が離れていった。
目を開けようとして、あたしはぎゅっと匠くんに抱き締められた。おかげでどういう顔をしていいか分からなかったあたしは顔を見られずに済んだ。
「それと」
あたしを抱き締めたまま、匠くんが口を開いた。その声は緊張していて、少し掠れていた。
「自分にも自信がなかったんだ」
自信って?匠くんの言いたいことが上手く飲み込めなかった。
匠くんの声が少し軽みを帯びた風に感じられた。
「キスなんかしちゃうと、我慢できなくなっちゃうかも知れなくて。その先を」
やっと匠くんの言おうとしていることが分かってあたしは顔を赤くした。えーっと。どぎまぎして明後日の方へ視線を向けた。
それはあたしだってそう思うかも知れない。何れは。今のところはとりあえずキスで満足しているし、その先のことはまだぼんやりと夢みたいに思ってる位でしかないんだけど。でも全然思ってない訳でもなくて。
それに、そういう気持ちであたしのことを思ってくれているっていうことで、決して子供に見られているんじゃないってことも分かって、それ程嫌じゃなかった し、嬉しく感じてもいた。あたしも匠くんの身体に回した手に力を込め、匠くんを強く抱き締めた。今、匠くんに顔を見られてなくてよかった。多分ニヤけてい るはずだから。

あたしと匠くんは穏やかで満ち足りた気持ちで一日を終えようとしていた。キスした後、ちょっと照れくさくて気恥ずかしいような感じで、お互い何となくぎくしゃくしてしまったりもしたけれど。
本当に二人の間の距離を一息で縮められた一日だったって思い返された。最後にこんな締めくくりで今日を終えることができて、言葉で言い尽くせない位に最高の一日だった。
車から降りたあたしと向き合い、匠くんはまだ少し照れくさそうにしていた。
「それじゃあ」
「うん。今日は本当に楽しかった。どうもありがとう」
何気なく交わす言葉には今まで以上の親密さが確かに感じられた。
「こちらこそ楽しかったよ」
匠くんは笑顔で言った。優しい笑顔に胸がほっこりと温かくなった。自然とあたしも微笑み返した。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
頷き返してあたしは門扉を開けた。
バッグから家の鍵を出して鍵を開けた。玄関のドアを開けて入る直前、あたしは振り返った。
匠くんはまだ車の横で佇んであたしを見守ってくれていた。
後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、うわべでは笑顔を浮かべて手を振った。
匠くんも笑って手を振り返してくれた。
家に入り玄関のドアを閉めたあたしはしばらく聞き耳を立てていた。少しして車のドアが閉まる重い音が聞こえて、車が発進する音が響いた。エンジン音が遠ざかっていくのをじっと聞いていた。
やがて完全に聞こえなくなり、少し寂しい気持ちを感じていた。
その気持ちを振り払うように唇に触れてみた。匠くんの唇と触れ合った感触を思い浮かべた。
自分の中で楽しかった一日の余韻が優しく打ち寄せて来るのを感じた。
匠くんと交わしたキスの感触は、ふわふわとして頼りなくしか思い出せなかったけど、それでいて生々しい破片のような記憶がところどころにひっかかっていて、どきりとした。何時までもこの感触を忘れずにいたかった。
「お帰りなさい」
突然声をかけられて息が止まる位びっくりした。
慌てて顔を上げたらパジャマ姿のママが立っていた。
「ただいま。まだ起きてたの?」
ほっとして息をつきながら訊ねた。
「ん、ベッドには入ってたけど、まだ寝てなかった」
答えてから「楽しかった?」ってママは聞いた。多分、色んな意味を込めて。
「うん」
あたしは頷いた。
丸一日遊んでやっぱり疲れていたし、喋っていると今日の余韻が消えてしまうような気がして、ママには悪いけどあまり話したくなかった。
「お土産はまた明日見せて頂戴」
ママは笑顔で告げた。
「明日は学校なんだから。早くお風呂入って寝ないと寝坊しちゃうわよ」
ママの小言めいた言葉に、はあい、と応じながら二階へと上がった。

大きな音を立てないように気を付けながらお風呂に入っていて、ふと匠くんの事が思い出された。
今日あたしの記憶の中に焼き付けられた色んな匠くんの表情や声や振る舞いが、何かにつけふっと思い出された。髪を洗って目を瞑っているとき、浴槽に沈んでいるとき。沢山の匠くんの笑顔があたしの頭の中で鮮やかに映し出された。
自分の部屋に戻り、はあーっと大きく息を吐きながらベッドに倒れこんだ。ドライヤーは大きな音を立てるので使うのは諦めることにした。タオルで拭いただけの生乾きの髪が頬にかかり、その冷たさが気持ちよく感じられた。
流石にくたびれたっていう実感があった。足とかすごい疲れてるし。だけど何だかすごく心地よい疲れだった。
今日のことを思い出して自然と顔が綻んできてしまう。
時計を見たら午前1時を回っている。ふと視線を移して机の上の携帯に目が留まった。この時間だとやっぱり電話をかけるのは躊躇われた。でも何となく物足り ないような淋しさを覚えて、メールを送ることにした。メール位だったらいいよね?多分。ベッドに仰向けになって、メールを打った。簡単な内容にした。

今日は一日ありがとう。とても楽しかったよ。今、お風呂から出てベッドに倒れこんだところ。
すごい疲れてるけど、でも疲れてる身体がなんかすごく心地よく感じる。
匠くんも疲れちゃったでしょ?車も運転してたし。
また連れて行ってね。本当にすごく楽しかった。最高に素敵な一日だったよ。とびっきりの締めくくりだったし。えへへ。
じゃあ、おやすみなさい。

送信ボタンを押し、送信完了を確認してから携帯を閉じた。力なく携帯を持った右手をベッドの上に放り出した。
身体は疲れてるのに頭が冴えてるような感じで、なかなか寝付けそうになかった。ぼんやりと匠くんは今どうしてるかな、もう寝たかな、とか思っていた。
間もなく携帯が震えた。まさか、って心の中で思いながら携帯を開いてみたら匠くんからのメールだった。あたしがメールを送ってから五分も経っていない。匠くんもまだ起きてるんだ。
急いで受信したメールを開いた。

こちらこそ楽しかった。疲れたけど、最高の一日だったよ。
もちろん、また一緒に行こう。いつでもいいよ。
明日は学校大丈夫?起きられる?頑張ってね。僕は多分昼近くまで寝てるけど。学生は大変だね。いや在宅勤務でよかった。・・・なんてね。
じゃあ、また明日。おやすみ。
(なお、返信は禁止。キリがなくなるから。)

メールを読み終えて携帯を閉じた。匠くんからのメールを見たら、何だかとてもほっとした穏やかな気持ちになった。目を瞑(つむ)るとさっきまで寝付けそうになかったのが嘘みたいに、急速に意識が遠のいて行った。

◆◆◆

翌日は身体が重かった。滅茶苦茶眠くて、まだ寝ていたかったけど、遅くまで遊んで来て次の日学校をずる休みしたりすれば、匠くんとの交際を反対されちゃうかも知れないって思い、頑張ってベッドから這い出した。
「おはよう」
制服に着替えて一階に降りると、朝食を食べていた香乃音があたしの顔を見て言った。
「おはよう。萌奈美ちゃん。・・・目、腫れぼったいよ」
「ん、寝不足」
そう答えているそばから欠伸が出た。
苦笑しながらママがコーヒーを運んで来てくれた。
「大丈夫?授業中居眠りなんかしないようにね」
ぎくり、実は自分でもそれが心配だった。
「う、うん」
声がうろたえていた。
トーストを焼いてマーガリンと杏のジャムを塗って食べた。目を覚まそうと思って、コーヒーはいつもより濃いめのを飲んでみた。
身体を動かしていると、疲れは残っていたけれど意識がはっきりして来て、なんとかなりそうだった。
駅で電車が来るのを待つ間に、匠くんにメールを打った。昨日のメールでも匠くん言ってたから、多分まだ寝てるだろうけど。

おはよう。今、午前7時40分。駅で電車待ってるよ。
眠いけど頑張って学校行って来るね。あたしってば偉い?
でもほんと学校で居眠りしないか心配なんだけど。さっきから欠伸ばっかり出るし。・・・不安だあ。
放課後またメールするね。行ってきまーす。

学校ではなんとか居眠りせずに授業を聞いていた。ただし休み時間になった途端に机に突っ伏して寝ていたけれど。
三時限目が終わった休み時間にも机に顔を埋めて寝ていたら頭をこつんと突つかれた。
「こら、居眠り姫」
もう誰よ、しかめっ面で顔を上げてみたら春音だった。
「なに寝てるのよ」
ニヤニヤしながら訊いてきた。
「うるさいなあ。眠いんだからほっといてよ」
不満そうにあたしは答えた。
あたしと春音がやり合っていると、千帆達が近づいて来た。
「萌奈美ってば、休み時間の度に寝てばっかりいるのよ」
呆れたように言われた。
「だって眠いんだもん」口を尖らせて言う。
「で、昨日はどうしたの?」
春音は察しは付いていると言わんばかりだった。
「え、っと」
春音と千帆には匠くんのことを話してあったけれど、結香や亜紀奈達にはまだ教えてなかったので、みんなの前で全部話すのは躊躇われた。
「ディズニーシーに行ってきた」とだけ話した。
それでも亜紀奈は「えーっ、いいなあ」って一際大きな声を上げたので、思わず「しーっ、声が大きい」って、たしなめたくなった。それでなくても普段喋ると きでも亜紀奈は声が大きいのだ。そんな亜紀奈に教えた日にはクラス中に聞こえる声で驚かれてしまいそうでなかなか打ち明けられなかった。大体亜紀奈も祐季 ちゃんも口軽いし。あっという間に知れ渡りそうに思われた。
もーっ、とぼやきながら、あたしは仕方無く鞄の中からみんなにあげるつもりだったお土産を取り出した。
「はい、お土産。ちゃんと買ってきたよ」
亜紀奈と結香が大げさに歓声を上げる。
「さっすが、萌奈美。大好きー」なんてゲンキンな褒め言葉を言ったりしてる。
メモ帳を机の上に並べた。
「絵柄が違うから、みんなで相談して決めてね」
みんなはそれぞれ絵柄を確認し、どれがいいか相談を始めた。ほっ。上手く話題をそらすことが出来たって胸を撫で下ろした。
チャイムが鳴り、休み時間中に交渉はまとまらず、昼休みに持ち越しとなった。

昼休み。お昼ごはんを食べ終え、持ち越しとなっていた協議を終えて、みんなそれぞれに気に入った絵柄のメモ帳を手にすることができてご満悦のようだった。
あたしは春音と千帆と三人で教室を抜け出し、例の特等席に足を向けた。
中学校舎の二階にあるビオトープに設けられた休憩用のベンチに三人で腰掛けた。
「それで、佳原さんとはどうだった?」
春音が口火を切った。
「ディズニーシーにデートなんていいなあ」
千帆が心底羨ましそうに言った。
いざ話すとなると気恥ずかしくて仕方なかった。
「えっと、すごく楽しかったよ。朝6時に迎えに来てくれて匠くんの車で行って、開園前から並んで閉園まで遊んで。匠くんシーは行ったことなかったからあたしが案内してあげたんだ」
ふんふんと頷きながら二人は聞いていた。
恥ずかしかったけれど、でもその反面、誰かに聞いて欲しくてたまらなかったのも事実だった。
「列に並んでるときとか、色んな話できたし、今まであんなに朝早くから夜遅くまで、ずーっと一緒にいたことなかったし、昨日はなんかすごく匠くんとの距離が縮まったっていうか、親密になれた感じだった」
「あ、それ分かる」って千帆が相槌を打った。
「普段会わないような時間、特に夜遅くとか一緒にいたりすると、今迄に無く親密になれたりってそういう感じするよね」
そう話す千帆は三年の先輩と密かに交際している。このことはあたしと春音位しか知らないことだった。
「それと、一緒にペットボトル飲んで間接キスとかしたし」
恥ずかしいけど何だか自慢げな気持ちで告白した。
えーっ、と千帆が驚きの声を上げた。春音も声こそ上げなかったけど、目を丸くした。もうちょっとさらっと流してくれるかと思ってたから、そんな大げさに反応されると恥ずかしいんですけど。
「えーっ、それってどっちが仕掛けたの?」
千帆が好奇心に目を輝かせて追求してきた。・・・千帆って大人しそうなのに意外とこういう話、好きだったんだな。知らなかった。それに仕掛けたって、余り聞こえよくないし。
「え、あたし、だけど」
視線を逸らして答えた。
「萌奈美って、意外と大胆だね」
千帆は本当に意外だったっていう感じで呟いた。
「そう、かなあ」って首を傾げておいた。
ふーん、って春音は興味深そうに相槌を打った。
「それで、昨日の進展は間接キスまで?」
「え?」
春音の鋭い質問に言葉に詰まってしまった。顔にも動揺が出てしまった。
えーっ。千帆が再び驚きの声を上げた。
「何?まだその先があるの?」
春音も言っておいて、自分でも意外らしかった。
「え、ほんと?そうなの?」
あたしのことをよく分かってる春音は、まさかあたしの性格でそんなに性急な進展があるとは思っていなかったに違いない。
「えーっと」
あたしは今迄以上に顔を赤くして言い淀んだ。視線が定まらず宙を泳いだ。
「・・・キス、した」
ぽつりと白状した。
「えーっ、本当に!?」
千帆が周囲が振り向きそうな声を上げたので、あたしは慌てふためいた。
「千帆、声大きい!」
「ごっ、ごめん」
慌てて千帆は口を押さえた。
「え、それも萌奈美から?」
春音は信じられないような顔であたしを見た。
春音の問いかけに、真っ赤な顔でこっくりと頷いた。
あたしが頷いたのを見て、春音の顔に明らかな驚きの表情が浮かんでいた。
千帆はまたまた歓声にも近い声を上げた。
「すごーい。萌奈美、やるー」
「ほんと。萌奈美がそんな積極的だとは知らなかった」
春音が心底意外そうに呟いた。
顔から火が出そうなほど恥ずかしかった。でも、その実ちょっぴりこの事を話せて誇らしく思えて、嬉しかった。
千帆は笑顔で祝福してくれて、春音は複雑な顔をしていたけれど、それでも「よかったね」って言ってくれた。

午後の授業もなんとか乗り切り、授業中に居眠りして先生に叱られるっていうような事態は避けることができた。
帰りのホームルームを終え、本当なら早く家に帰って寝るか、匠くんのところに行くかしたかったんだけど、部活があったので気乗りしないながらも部室へと足を向けた。
春音はもう先に来ていた。
「あ、萌奈美。サボらなかったんだ」ニヤリと笑って春音は言った。
あたしは、ふん、といなしながら言い返した。
「しょうがないでしょ。この前ちゃんと部活に出るって言ったばっかりなんだもん」
「しょうがないとはどういう意味なのかしらね?」
突然背後から聞こえた冷ややかな問いかけに、身体が冗談ではなく数十センチ飛び上がった。
ぎくしゃくと振り向いたら、そこには生徒会副会長にして文芸部部長にあらせられる山根“ゆかりん”部長様が、見る者を瞬間冷凍しかねない眼差しを湛えて立っていた。
「こ、こんにちは、部長」あたしは怯えながら挨拶をした。
“ゆかりん”部長は軽く会釈をしてから言った。
「阿佐宮さん、今の発言はどういう意味なのかしら?文芸部がしょうがないということかしら」
「い、いえっ、そんなことは・・・えっと、言葉の綾というか、その・・・すみません」
すごすごと頭(こうべ)を垂れた。
「貴女も二年生になって、後輩を指導する立場になったんだから、もう少し自覚をもってくれないと」
嘆かわしそうに“ゆかりん”は頭を振った。
「は、はい。気をつけます」萎縮しながらひたすら謝った。
ふと視線を移動させると、春音が愉快そうな視線を送っていた。春音めー、覚えてなさいよ。

部活は夏休み中の活動と夏季合宿、それから文化祭に発行する部誌に掲載する作品執筆を議題にミーティングをおこなった。話を聞きながら、そうかあ、もう夏季合宿とか計画する時期なんだあって感慨に耽っていた。
あと二週間ちょっとで期末試験、それが終わればもう夏休みまでまっしぐらだ。今年の夏休みは匠くんと一緒に色んなところに出掛けたり、沢山一緒の時間を過ごそうって、ミーティングそっちのけで一人楽しく考えを巡らせていた。
部活を終えて、鞄にノートや筆箱をしまっていると、同じく帰り支度をしている春音が呟いた。
「もうそろそろ部誌に載せる作品考えなきゃいけないんだね」
「うん。そうだね」
「あー、あたし何書こうかなあ」
春音はまだ何も考えてないよ、ってぼやいた。
うん、って応じながらも、なんとなく書くもののイメージは出来上がっていた。
匠くんから借りた本を読んで感じたり発想したことを織り交ぜて、或る物語があたしの中で出来上がりつつあった。まだぼんやりとではあるけれど、少し幻想的な「物語を巡る物語」になりそうだっていう予感があった。
 


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