【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ Disney Sea 第1話 ≫


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夜の10時に差し掛かる頃、気持ちがそわそわして落ち着かなかった。匠くんからの電話がかかって来る時間だから。
机の上の携帯とにらめっこ状態だった。
間もなく、携帯が震えたかと思うと着信のメロディが鳴った。鳴ってから一秒も経ってなかったと思う。
「はいっ!」
ものすごい速さで応答していた。
一瞬の沈黙があった。
「あ、僕、だけど」
聞こえた匠くんの声は少し面食らったような、そんな感じだった。
着信時の画面表示でかけてきた相手って分かってるんだけど。いつも匠くんは律儀にそう言う。
「はい、萌奈美です」
応えるあたしの声は自分でもはっきり分かるくらいウキウキしていた。
「えーっと、今日はどうもありがとう。楽しかった」
「ううん、あたしの方こそありがとう。あたしもとーっても楽しかった」
力をこめて言った。
電話越しに匠くんの笑い声が聞こえた。匠くんの笑い声を聞くとすごく嬉しくなる。あたしも笑顔になる。
「それで、明日なんだけど」
「うん、どうしようか」
しまった、考えとくんだった。
「何処か行きたいトコある?」
突然匠くんが振ってくる。咄嗟には思いつかなくて。
「えーっ、うーん、・・・すぐ思いつかない・・・」
「ごめん、そうだよね」
申し訳なさそうな声が届く。
謝ることなんかないのに。頭(かぶり)を振る。
「ううん、そんなこと」
その時、ぱっと思いついて言った。
「匠くんち、行っていい?」
「え、いいけど・・・」
そう言いかけて匠くんはすぐに言い直した。
「あ、やっぱり駄目だ。明日、麻耶の友達が来るみたいだから」
「あたしは別に構わないけど・・・」
別に気にならなかったのでそう言った。
「いや、やっぱり外で会おう」
どうやら匠くんは気になるみたいだった。・・・まあ、別にいいんだけど。
梅雨は中休みのようで今日に続いて明日も晴れの予報だった。
ふと思いついて冗談交じりに言った
「じゃあ、ディズニーランドは?」
「ああ。・・・うん、いいよ」
匠くんは躊躇なく答える。
言い出したあたしの方が躊躇した。
「え?でも、すごく混んでると思う」
休みの日のディズニーランドなんて殺人的に混雑してると思う。人いきれで疲れ果てちゃうに決まってる。それにパスポートだって高いし。今日も結構使っ ちゃったから、今月のお小遣いそんなに残ってない。行くとついお土産沢山買いたくなっちゃうし。・・・そんなことを色々考えていた。
「別にいいよ」
事も無げに匠くんは言った。
えええっ。あたしは言ったことを半ば後悔した。それは匠くんとディズニーランドに行ければすごく楽しいけど、でもお金もないし。匠くんきっと疲れちゃうし、そう考えて気が引けてしまう。
返事を躊躇っているあたしに匠くんが訊いた。
「萌奈美ちゃんはそんなに行きたくない?」
そんなこと絶対ない。すごく行きたい。
「そんなことないけど・・・行きたいけど・・・」
「けど?」
言葉尻を捉えて匠くんがまた訊いてくる。ううう・・・
「すごく、行きたいけど・・・」
また、「けど」って言ってしまった。
「じゃあ行こう。僕も萌奈美ちゃんと行きたい」
・・・ぐらり。すごく心を動かされる匠くんの言葉だった。匠くん、さりげなくあたしの気持ち揺さぶるの上手い。匠くんはそんなつもりないのかも知れないけど。
あたしは弱弱しく白状した。
「でも、あたしお金ないし・・・」
「・・・そっか。それを気にしてたのか」
匠くんはやっと分かったっていう口調で呟いた。
「うん」
社会人だったらこんなこと気にしないでデートできるんだろうな。お小遣いのことが気懸かりだなんて、何だかすごく子供じみている気がした。ちょっぴり沈んだ気持ちで相槌を打った。
「・・・気にしないで、って言っても萌奈美ちゃんの性格だと気にしちゃうんだろうけど」
匠くんはそう前置きした。
「僕が出すから行こうよ」
うん、匠くんはいつもあたしの分まで払ってくれる。でも、それに甘えているとなんだか対等な恋愛じゃないって思えて。なるたけ甘えずにいたいって思う。自 分の分はできるだけ自分で払いたいって思ってるんだけど。でも高校生のあたしのお小遣いの額なんて知れたところで、土日の度に出かけてたらあっという間に 底をついてしまう。
「・・・でも」
まだ、踏ん切りがつかなかった。
「僕は負担だなんて全然思ってない。そう言っても萌奈美ちゃん、気にせずにはいられないんだろうけど」
繰り返すように匠くんは言った。
「僕は萌奈美ちゃんと会いたい。萌奈美ちゃんと一緒に色んな所に行きたい。・・・ってそれじゃ駄目かな?」
・・・ずるいよ、そんなの駄目かって訊かれたら、駄目な訳ないじゃない。そんなこと言われちゃったら、もう意地張ってる気持ちなんかどこかに吹き飛んじゃうよ。あたしだって、匠くんと色んな所行きたいって思ってるもん。いつも会っていたいって、ずっとずっと思ってるもん。
「・・・駄目じゃない」
嬉しくて涙が出そうだった。声が震えそうになるのを我慢した。
「ありがと、匠くん。すごく、嬉しい」
途切れ途切れで告げた。我慢したつもりだったけど、泣き声交じりなのが匠くんにはきっと分かってしまったと思う。
「うん」
匠くんの声はとても優しく響いた。
「それでさ」
改まった声で匠くんは話を続けた。
「僕、まだディズニーシー行った事ないんだけど。シー行ってみない?」
うん。もちろん異論なんかなかった。ランドももちろん大好きだけど、シーもいいよね。あのメディテレーニアン・ハーバーの景色観るとなんか外国に行ってる みたいな気分になるし、すごくロマンチックだし。ランドの夢と魔法の国の雰囲気も捨て難いけど、シーの大人っぽいロマンチックなムードもデートにぴったり だよね。

◆◆◆

ということで明日はディズニーシーに行くことに決まった。二回目のデートでディズニーなんて、結構急展開って感じがするけど、違うかな?
匠くんが車で、朝6時に迎えに来てくれることになった。
それから明日は朝が早いから今夜は長電話はやめて早く寝ることにした。明日たっぷりお話できるものね。
電話を切ってから、流石に明日早朝に出かけることをママに話しておかないとって思った。
一階に降りたらリビングでパパとママが仲良くテレビを観ていた。ソファに並んで座って、見るとパパの手がママの肩に回されていた。高校生の子供がいるって いうのに相変わらず仲のいい二人だった。普通の家庭だとこの年代の夫婦って、倦怠期を通り越して既にお互い空気みたいな存在に感じるものだとかって聞いた りするけど。
あたしが姿を見せるとママは「あら」と小さく声を上げた。パパは少しばつが悪そうにさりげなくママの肩から手をはずした。今更ばればれなんだけど。笑いそうになるのを堪えながら口を開いた。なるたけ何でもなく聞こえるように注意して。
「えっと、あたし明日ちょっと朝早く出かけるから」
「早くって何時頃?」
ママがすかさず聞き返した。
うう・・・誤魔化せないかな?
内心焦りながら、努めて平静な声で答える。
「ん、6時」
「随分早く出掛けるんだなぁ」
パパが暢気な声で口を挟んだ。ちっとも気付いてないみたい。パパ、根っから素直だもんね。
「何処行くの?」
こちらは追求の手を緩めてくれる気はなさそうだった。
「え、あの、・・・ディズニーシーに・・・」
あんまりしつこく問い質されたらどうしようって動揺を押し隠しながら答えた。
「あら、楽しそう」
ママもディズニーは大好きなのでうらやましそうだった。
あたし達が中学生位までは家族で年に何回かは行ったものだった。中学に入ってからはあたしも聖玲奈も香乃音もみんな部活とかで忙しくなって、今ではなかなか家族揃って行く機会がなくなってしまったけれど。
「誰と行くの?春音ちゃん達?」
わーっ、ママの追及はいよいよ核心に迫って来た。あたしの頭の中では「どうしよう、どうしよう」って焦りばかりがぐるぐる駆け巡っていた。
「ううん、ち、違うけど・・・」
上手い誤魔化し方が思いつかず、言い淀むしかなかった。
でも、ママはそれ以上の追及をしてこなかった。ああ、そうそう、と突然何か気がついたかのように呟いて立ち上がった。
「萌奈美、お金ないんじゃない?ディズニー行くんだったら、食事とかお金使うでしょ?」
「え、あ、平気・・・」
匠くんが払ってくれることを思いながら、歯切れ悪く返事をした。
「でもお小遣いだけじゃ足りないでしょ?」
ママはそう言いながら財布を取ってきて、中から一万円を取り出しあたしに差し出した。
「え、でも・・・」
「ちゃんとお土産買ってきてね」
戸惑っているあたしの手を取って、手の平の上に一万円札を置いた。
躊躇いながらそれを受け取り、「あ、ありがとう」とだけ言った。
笑顔で頷いたママは、あたしの顔を覗き込んで軽くウインクした。
「お友達によろしくね」
何もかも全部お見通しの気配のママにそう言われてあたしの顔は真っ赤になった。こくこくと頷いて、「じゃあ、お休みなさい」って言い残して逃げるように二階に駆け上がった。
自室のドアを閉め、「はーっ」と息を吐いて火照った頬を押さえた。匠くんのことをパパとママに打ち明けるのは思っているよりも早くなりそうな予感がした。
コンコン。部屋のドアがノックされた。びっくりして飛び上がりそうになりながらドアを薄く開けて廊下を覗いたら、聖玲奈が待ち構えていた。
動揺しつつも、早口で明日朝早いからもう寝るとこなんだけど、って告げた。
「じゃあ、今夜のうちに来ていく服決めといた方がいいと思うよ」そう聖玲奈はアドバイスをくれた。
「明日になってから何着ていこうか迷ってると遅刻しちゃうよ」
確かにその通りだ。
「で、明日は何処に行くの?」
例によって興味津々で聞いてくる聖玲奈に顔を顰(しか)めた。さっき見せた真面目ぶりは今や微塵も感じられない。
「ねえねえ、何処行くの?」
しつこく聞いてくる聖玲奈にうんざりしながら、諦めて答える。
「・・・ディズニーシー」
「えーっ、いいなあ!」
あんまり大きな声だったのでうろたえた。香乃音が何事かと出てきやしないかって心配になった。
「もう!声が大きい!」
眉間に皺を寄せて咎めた。
「あ、ごっめーん。まことにすいまめーん」
聖玲奈は悪びれずに最近流行りのお笑い芸人の真似をして謝った。そして「でも、いいなぁ」って心底羨ましそうに呟いた。
女の子なら誰でもディズニーは大好きだと思う。(そもそも嫌いだとか興味がない女の子なんているのかな?)妹にしても例外じゃなかった。
「お土産買ってきてよね」
・・・やっぱり母娘だなあって感心してしまった。
それから聖玲奈は招きもしないのに厚かましく部屋に入って来て、明日着ていく服をスタイリスト然とした顔つきで選び始めたのだった。
早くベッドに入りたいって思ってるあたしの気持ちなんて知らん振りで、自分の部屋からも服をあれこれ持ってきて、それから30分以上もあたしの部屋に居座り続けた。
相変わらず聖玲奈の選ぶ服装は、あたしが尻込みしてしまうものばかりなのは言うまでもなかった。

日曜の朝は見事に晴れ渡り、天気予報でも今日の天気は快晴との予想で、むしろ暑さが心配になる位のお天気になりそうだった。6時前の早朝の今はまだひんや りしていて涼しいけれど、日中に向けてぐんぐん気温が上がっていきそうな予感がしていた。帽子を被って行った方がいいかなって少し迷った。
みんなまだ眠っているひっそりとした家の中で、なるべく大きな音を立てないように注意して出かける支度をした。
あたしの今日の服装は、広いディズニーシーを歩き回ることを考えてシンプルなものにした。下は七部丈のデニムに、上は聖玲奈の意見を受け入れてノースリー ブのベージュのブラウス。肩が剥き出しだとちょっと落ち着かない気がしたけど、夏っぽくていいかなって思った。匠くんがどきっとしてくれたらしめたもの だ。なんて思ったもののやっぱり勇気が足りなくて、水辺で夜涼しいかも知れないなんて自分に言い訳して、薄手のカーディガンを持っていくことにした。日焼 するとすぐ赤くなってしまう方なので、日焼け止めを念入りに塗った。
そろそろ外に出ていようかなって思ってる所へ、ママが起きて来てびっくりした。
「おはよう」
まだ眠そうな顔をしてママが言った。
「おっ、おはよう。えっ、ど、どうしたの、こんな早く・・・」
動揺して噛みまくってしまった。
あたしの慌てぶりが可笑しかったのか、ママはくすりと笑った。
「ん、もう行くの?」
「うっ、うん」
「電車?」
ママの問いに躊躇したものの、ママはもう絶対気付いてるんだって思って下手な嘘をつくのは止めた。
「ううん、えっと、6時に迎えに来てくれる」
でも、それでも少し言い淀んでしまう。
ママはふーん、ってひとつ頷いた。
「運転できるってことは少なくとも18歳以上ってことね。年上なんだ」
ひえーっ。そんな方に頭が回るなんて、ママってやっぱり侮れない。それとも母親ってそういうものなの?
引き攣った笑いを浮かべるあたしに、ママは涼しい顔で言った。
「そのうち、ちゃんと紹介してくれるんでしょ?」
「う、うん・・・」
何れはそういうことになるんだろうなとは思ってるけど、それはまだまだ先の話のつもりでいた。でも、ママの包囲網によってその日はあたしが予想しているより大分早まりそうな気がして来た。
「じゃ、今は詮索しないでおいてあげる」
そう言ってママはにんまり笑った。

ディズニーシーは結構起伏が激しいし、歩きやすいスニーカーを履いていくことにした。でもデートなんだし、アディダスとかじゃなくて「あしながおじさん」のスニーカーを選んだ。あしながおじさんの靴は可愛いのが多くて大好きだった。
「じゃあ気をつけてね」
玄関で靴を履くあたしをママは見送ってくれた。
「それと、お友達によろしくね」
・・・含みのある言葉だった。
それには答えず、「じゃあ、行ってきます」って告げて玄関のドアを開けた。
ドアを閉める時、ママがにこやかに笑いながら手を振ってくれて、あたしも手を振り返した。
ママが匠くんの顔を見ようとドアから顔を覗かせないか不安だったけど、すぐに中からガチャリって硬い金属音が響いて玄関のドアの鍵が閉められた。
ほっと胸を撫で下ろし、門扉の外に立って匠くんの車が現れるのを待った。

数分も経たない内に匠くんのシルバーのオデッセイが姿を現し、あたしの前で停まった。
「おはよう」
運転席のドアが開いて、匠くんが降りてきた。
「おはよう」
あたしはまだ世間がまどろんでいる早朝には不釣合いなほどの元気のいい笑顔で返事をした。
匠くんはいつも助手席のドアを開けてくれる。お礼を言ってシートに腰を下ろした。もう慣れた手つきで乗ったと同時にシートベルトを締めた。
匠くんも運転席に座り、すぐに車をスタートさせた。
まだ行き交う人のない道を車は進んで行った。
わくわくと胸を高鳴らせた。とても素敵な一日になる予感に満ちていた。
そう思いながら匠くんの顔をちらりと盗み見たら、運転中の匠くんは真剣な眼差しで前方を見据えているけれど、その横顔はやっぱり楽しそうに感じられた。
車内には『シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~』が流れてて、まだ車の少ない高速道路をディズニーシーへ向かいながら、あたしは桜井さんの歌に合わせ一緒に口ずさんでいた。アップテンポなメロディーが夏らしくてぴったりな感じがした。
でもよくよく聴くとこの歌って、女の子の方があんまり気の無い素振りだったりして、男の子がなかなか思うようにならない彼女の態度にやきもきしてるっていう歌詞なんだよね。って、この際あまり細かいことは気にせず、ノリがいいのでオッケーってことにしよう。
首都高からは朝焼けに染まって黄金色に美しく輝く街が広がっていた。世界がきらきらと眩しくきらめいて見えた。

日曜の早朝の首都高は渋滞にぶつかることもなく、出発してから一時間余りで目的地へと到着した。
係の人の誘導に従って駐車場に車を停めて、他のお客さん達の流れに混じってエントランスへ向かっていると、どんどん期待が高まってきて興奮を覚えた。
周りを見たらどの人もこれから始まる楽しい一日にわくわくしているのが分かった。朝から元気にはしゃいで飛び跳ねている子供に、繋いだ手を引っ張られるように歩いている家族連れ。楽しそうに喋りながら身を寄せ合って歩くカップル。みんな誰もが最高に幸せそうだった。
今のこの幸せな気持ちを伝えたくて、匠くんと繋いだ手にぎゅっと力を込めた。振り向いた匠くんを見上げて、にっこり笑って繋いだ手を前後に大きく振った。
「すごく楽しみ」
「うん」
何時になく早朝から一緒にいられて、匠くんと何だかすごく親密な雰囲気に包まれているように感じられた。

ディズニーシーはオープンした年に家族みんなで来て、それから高校生になって家族で数回、友達とも二回程訪れていた。
だから今日はディズニーシーデビューの匠くんをあたしが案内してあげるねって得意げに言ったら、神妙な面持ちの匠くんがよろしくお願いしますって答えて、二人で笑い合った。
入場口に着いたら、気合の入った人達は大勢いるもので、既に結構長い列が出来ていた。今日は午前9時開園で、時計を見ると7時半を過ぎたところだった。開園一時間前にチケットブースが開くまであたし達は入場待ちの列に並ぶことにした。
あたしが用意して来たレジャーシートを広げるのを見て、匠くんが感心していた。
「流石は何回も来てると準備からして違うなあ」
えっへんと胸を張って、「そんなの常識だよ」って偉そうに言った。
匠くんは「ははあ、御見それしました」って言ってシートに腰を下ろした。シートは十分余裕があるにも関わらず、匠くんの横にぴったり身体がくっつくように座った。
匠くんが目を丸くしてあたしの方を見たので、「えへへ」って照れ笑いを浮かべて応えた。

チケットブースが開く8時になる少し前に匠くんはチケットブースに並びに行き、あたしは入場待ちの列に残った。何十分かしてパスポートを買い終えた匠くん が戻って来た。匠くんが腰を下ろすと磁石のS極とN極が引き合うように、すかさずぴったり匠くんにくっついた。傍から見ると相当なバカップルに映ってるか も。ひょっとして。でも、そんなのいいんだ。そんなの気にならない位匠くんが大好きなんだから。胸の中で一人大きく頷いた。
開園15分前になって、キャストの人の呼びかけで、一斉に周りが立ち上がってレジャーシートを畳み出した。
あたし達も立ち上がってシートをしまい、ざわつく列に混じっていまかいまかと開園時間を心待ちにした。いよいよ開園が近づいて来て、周囲は期待と興奮と緊張に包まれているのが感じられた。
あたしもなんだかどきどきしていた。そわそわと落ち着かなくて周りを見回していたら、匠くんと視線が合った。匠くんはあたしの落ち着かない素振りを見て可笑しそうだった。ちょっと自分が子供っぽく思えて恥ずかしくなった。
更に数分が経って列の前方でざわめきが起こり、歓声が上がった。「ミッキー」って呼びかける声や手を振る人もいる。ミッキー、ミニー達が挨拶に来たのだ。あたしも人混みの間からなんとかミッキー達を見ようと、背伸びをしてみたけどさっぱり見えなかった。
「全然見えない」しょんぼり呟いたら、匠くんは苦笑顔で「もうじき沢山見られるじゃん」って慰めてくれた。
「そうだけどぉ」
それでもやっぱり何度だってミッキーを見たいって思うのは仕方ないんだもん。
ミッキー達の姿にいよいよ興奮が高まり、やがて列が動いた。開園時間を迎えたのだ。
入園ゲートは一人一人パスポートを機械に通してから、回転するバーを通過しなければいけないので、思ったより時間がかかってしまう。なかなか進まない列が すごくじれったかった。周囲も同じ気持ちで、少しでも早く入園しようと押し合うように列は進み、揉みくちゃになりそうだった。匠くんはそんなあたしを後ろ から庇うようにしてくれていた。振り向いて匠くんを見上げたら、匠くんは参ったって顔で苦笑した。
「なんか、すごいね」
「うん、そうだね」
二人して笑い合った。
そうこうしながらやっと入園ゲートに到着し、あたし達は順にゲートをくぐり入園した。ゲートを通過する時、あたしはしっかりガイドマップを二部取って、匠 くんに一部を渡した。「ありがとう」って受け取った匠くんが興味深そうにマップを開こうとするので、慌てて「急がないと」って急かした。
「え?」訝しむ匠くんに理由を説明するのももどかしく、あたしは「早く早く」って繋いだ手を引っ張るようにして先を急がせた。あたし達の両脇を全力疾走で追い抜いていく大学生らしきグループがいて、余計気が急いた。
みんな少しでも沢山のアトラクションに乗ろうと思ってたり、ショーでいい場所を確保しようとして、入園と同時にまるでマラソン大会のスタートのように一斉に駆け出すのがランドでもシーでも開園時のお馴染みの光景だった。
危ないから走らないでくださいっていうキャストの呼びかけに従って、一応、あたし達は走ったりせずに早足でパーク内を進んだ。周囲はそんなこと一向に構わ ずに走っていくけれど。でも、脇目も振らず競争するかのように、周りより少しでも早く目的地へ向かおうとするのは、それも何かせっかくの夢の世界にいる気 分を損なってしまうような気がした。
ふと見ると、4歳か5歳位の男の子がお父さんお母さんの真ん中で両手を繋いで跳ねるように歩きながら、目を輝かせて「ねえねえ、スティッチと写真とれるか なぁ」って交互にお父さんお母さんを見ながら問いかけていた。その光景が微笑ましくて思わず顔が綻んでしまった。そして、あんな風にここに来れたらいい なぁって思ったりした。もちろんまだすごい先の話だけど。気付くと、匠くんもあたしの視線の先を追って親子の姿を見ていたみたいだった。同じように顔を綻 ばせていた。

あたしと匠くんはメディテレーニアンハーバーを通り過ぎてアメリカンウォーターフロントに向かい、最初にタワー・オブ・テラーのファストパスを取った。
ディズニーに来るのは約10年ぶりって話す匠くんは、シーのアトラクションのこともファストパスのことも知らなかった。10年前も高校の校外学習でランド に来たそうで、クラスの班分けのグループで回ってあまりたいした印象も残ってないってことだった。何となくただ広い園内を歩き回った位の印象しか残ってな いみたい。男の子ってそういうものなのかな?
何はともあれ、右も左も分からない匠くんに、得意になってガイド役を務め、色んなことを説明してあげた。途中、ディズニーに来たら定番だよって力説して ポップコーンバケットを買った。あたしはキャラメルが一番好き。シーではブラックペッパーも捨て難いけど。ランドにはないんだよね。普段ならお行儀悪い気 がして絶対しないけど、パークの中だとポップコーンを食べながら歩いても全然平気なのはどうしてなんだろう。やっぱり童心に帰ってるからなのかな?匠くん も初めて食べるキャラメル味を、うん、美味しいっていいながら何度も口に頬張っていた。その姿を見て、なんか可愛いって思ってしまった。
それからミート・アンド・スマイルを見ようとリドアイルに来たんだけど、朝一番に行われるショーを見ようとする人達でリドアイルは殆ど埋まっていた。かな り後ろの方になってしまったけど、一応ショーが見られる位置を確保してあたし達は並んで腰を下ろし、ショーが始まるまでの時間を待つことにした。
まだショーの開始まで時間があったので、あたしはトイレに席を立ち、戻る途中ペットボトルを買った。別々に2本買おうかとも思ったけど、荷物になるからい いやって思って1本だけ買うことにした。冷たいペットボトルを持ちながら、勝手な想像を巡らせて照れてしまった。はっ、いけない、いけない。
「ただいま」
「お帰り」
席に戻って匠くんの隣に腰をおろしてから、はい、ってペットボトルを手渡した。
「ありがとう」
受け取って蓋を開けようとして、匠くんはあたしの手にはペットボトルが無いのに気付いて不思議そうな顔をした。
「あれ?萌奈美ちゃんは?」
あたしは顔が赤くならないように気をつけながら、何でもないような声で答えた。
「ん?荷物になっちゃうし、1本でいいかなぁって」
全然平気だよ、っていう笑顔を向けた。
「え、そうなの?」
一方匠くんはあたしの言葉に目を白黒させていた。
「萌奈美ちゃん、先に飲んでいいよ」
匠くんはまだ口をつけていないペットボトルを差し出そうとする。
でも、あたしは受け取らずに「匠くん、先飲んで」って答えた。
そう?じゃあ、って言いながらも、ちょっと躊躇いがちに匠くんは蓋を開け、ペットボトルに口をつけた。なるべく口をつけないようにしようとして変な飲み方をしていた。
それからペットボトルを申し訳なさそうにあたしに差し出した。
「どうも、お先」なんて言いながら匠くんがどぎまぎした様子だったので、思わずくすくす笑ってしまった。
本当は心臓ばくばくだったけど、匠くんには涼しい顔をして、躊躇なくペットボトルに口をつけ、ごくごくと飲んだ。
匠くんにはどうしてだかこんなにも積極的になれるのが自分でもびっくりだった。聖玲奈や春音が見たら驚きのあまり、口をぽかんと開けたまま固まってしまうんじゃないだろうか。
ペットボトルを返したら、匠くんは目を丸くしてあたしを見ていた。えっ、そんなに大胆だったかなあ?匠くんの様子に内心やり過ぎたかもって焦ってしまった。

ショーの時間が近づくと、彩り鮮やかな衣装を着たパフォーマーがリドアイル中央に現れ、ショーの中で観客が参加するコーナーの練習をおこなうことになっ た。男女それぞれ古風ないかにも芝居がかった挨拶を交わす振り付けを、始めにパフォーマーの人がお手本を示してから、自分達の後に続いて観客みんなにも演 じるよう呼びかけた。照れて尻込みしている匠くんをせっついて、二人でパフォーマーの人がおこなう手本を見ながら、向かい合って挨拶する振り付けを真似 た。
しきりに照れている匠くんをあたしは「照れてちゃ駄目だよ」って注意した。ディズニーに来たら恥ずかしがってちゃ損しちゃうんだから。自分達もミッキー達と一緒に楽しまなくちゃ。
練習タイムが終わってパフォーマーが退場し、間もなく音楽が鳴り響いていよいよミート・アンド・スマイルがスタートした。
匠くんが持ってきたデジカメを取り出し、電源を入れる。
メディテレーニアンハーバーにミッキー達の乗った船が姿を現し、リドアイルからは拍手と歓声が上がった。船上のミッキー、ミニーを呼ぶ声がそこここから上がる。
あたしも一気に気持ちが高揚して、まだ遠い船上のミッキー達に向かい手を振って、「ミッキー!」って大声で叫んでいた。
あたしの思わぬ一面に隣で匠くんが一瞬ぎょっとしたようだった。
船がリドアイルに接岸し、ミッキー達が上陸して来ると歓声は一層大きくなった。そして、ミッキーが挨拶し、ディズニーのキャラクターが勢ぞろいしてショーを繰り広げた。匠くんは踊り回るミッキー、ミニー、ドナルド、グーフィー達みんなを順番にデジカメで写していった。
それから例の観客参加のくだりになって、また恥ずかしがって躊躇してる匠くんをせっついて、ミッキー、ミニーの説明に合わせ、二人して覚えた手振りを一緒 におこなった。男女で挨拶を交わすところは、お互い向き合って澄ました顔でお辞儀を交わし合った。匠くんも照れくさそうにしながらも、一応なんとか付き 合ってくれた。
そしてフィナーレ。ミッキー達はまた船に乗ってリドアイルから離れていった。みんなミッキー達の姿が見えなくなるまで手を振り、名前を呼んでいた。
音楽が止んで終了のアナウンスが流れた。ざわめきと共に周囲が立ち上がり、リドアイルから出ていく人の流れが出来た。
その場に立ったまましばらく余韻に浸っていたら、あたしの手を暖かくて大きな掌(てのひら)が包んだ。しっかりとあたしの手を握る感覚に我に返って隣を見上げた。
匠くんの笑顔が目に飛び込んで来る。
「さあ、行こう」
そう言って匠くんはあたしの手を引いて歩き出した。


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