【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ First Date ≫


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土曜日。天気は晴れ。絶好のデート日和だ。

昨日は匠くんにも約束した手前、部活に顔を出さなくちゃならなくてすっごく気が重かったけど、今日の事を楽しみに乗り切った。
朝学校に行って、まず春音と千帆に結果報告をおこなった。(因みに結香、亜紀奈、祐季ちゃんにはまだ黙っていた。話したらあっという間に広まりそうで心配 だったし。)千帆と二人できゃあきゃあはしゃいじゃった。(春音はあたし達の浮かれた調子には付き合ってくれなかったけど。)春音も千帆もとても喜んでく れた。まるで自分のことのように。
放課後は憂鬱だったけど、春音に付き添ってもらって部室に顔を出した。
ゆかりんにはこっぴどく叱られたけど、何とかお許しを貰って。
しょげたあたしに下級生もみんな優しくて。「ごめんね、みんな」って謝って。ちょっぴりうるうるしてしまった。
ゆかりんは先生やみんなの手前、すっごく恐かったけど、でも何だかサボってた理由を薄々気づいてるみたいだった。みんながいないトコで、こそっと「気持ち は分かるからさ。たまになら許す」って耳打ちされた。ちょっとびっくりしてしまった。あの校則が制服着て歩いているような、皆から堅物と噂されるゆかりん が、気持ちは分かるって・・・ひょっとして(失礼!)ゆかりん、彼氏がいるのかな?そんな疑問が湧いた。

朝は訳も無く早く目が覚めてしまった。待ち合わせは10時なのに、6時には目が覚めてしまって、まだ誰も起きてこない時間に起き出してとりあえずシャワーを浴びた。
トーストを焼き、スクランブルエッグを作った。一人でさっさと朝食を済ませると、パパが欠伸(あくび)しながら起きてきた。
「おはよう、パパ」
あたしを見てパパは「お?」って一瞬驚いた顔だったけど、「おはよう」って返事をした。
「どうしたんだ?こんな早くから」
ミルクティーを飲んでいるあたしの前の、既に食べ終えて空っぽになったお皿を見て、パパは目を丸くした。
努めて平然を装いながら、何でもないように答えた。
「ちょっと予定があるから」
「ふーん」一言唸ったパパはそれ以上は追及してこなくて、心の中でほっとした。
「パパも朝ご飯食べる?」
それとなく話題を逸らそうとして訊いたら、パパは「うーん、いや、樹里亜(じゅりあ)さんが起きてから一緒に食べるよ」って答えて新聞を取りに行った。 (樹里亜さんっていうのはママのことだ。パパとママは今でもお互いに「樹里亜さん」「公煕(こうき)さん」って呼び合ってて、却ってあたし達子供の方が恥 ずかしくなってしまう位に仲がいい。)
食べ終わった食器を洗って片付け、歯を磨いてから自室に戻った。
少し念入りに髪を整えて、普段は余りしないメイクもした。やり慣れてないから、ほんのちょっとだけ、ナチュラルさをなくさない程度に。
さて何を着ていこう。クローゼットから服を出してベッドに並べて思案していたら、聖玲奈(せれな)が入ってきた。
「おはよう、お姉ちゃん。早いね」
まだ眼が眠そうだった。
「こら、ノックしてない」
無駄だとは思ったけど、一応言い咎める。
案の定、えへへ、って笑って誤魔化してから、「服はあたしが選んであげるって約束したでしょ」って言って、あたしを自分の部屋に引っ張って行った。

聖玲奈が出してくる服は、どれもあたしにはちょっと恥ずかしくて着られないようなのばっかりだった。膝上10センチ以上あるミニスカートとか(ちょっと屈 (かが)んだらパンツが見えてしまうに違いなかった)、チューブトップのキャミソールとか(胸元の少し上あたりまで露出していて、肩も背中も丸見えだし、 覗き込んだらブラが簡単に見えてしまう。第一あたしは肩紐のないブラは持ってなかったし)。聖玲奈の出してくる服を着た自分の姿を想像して顔を真っ赤にし ながら、慌てて聖玲奈を制止した。
「ち、ちょっと、聖玲奈、あたし、こんなの着られないよ」
「えー?何言ってんの。もう夏なんだし、これ位着てかなきゃインパクトないよ」
不満そうに聖玲奈は言い返す。別にそんな強烈なインパクトを狙うつもりは全然ないんだけど。
「でも、ちょっとあたしには合わないと思う。もうちょっと、何かない?」
言いながら、やっぱり自分が持ってる服を着ていこうかって思い直していた。
「えー、詰まんないなあ」
聖玲奈は不満げな顔でぶつぶつ言いながらまたクローゼットの中を漁り始める。
その後しばらくの間、聖玲奈が選ぶ服にあたしが駄目出しして、また聖玲奈が別の服を選ぶっていう攻防が続いて、なんとかあたしでも着るのに耐えられる格好 に落ち着いた。それでもあたしは普段そんなの着たことなくて十分恥ずかしかったし、一方聖玲奈の目には大人しく映るらしくて少し不満そうだった。
上はミニワンピを着て、下はショートデニムを履いた。ミニワンピは結構襟元が大きく開いていて、首の辺りがすうすうしてちょっと落ち着かなかったし、肩も 出ていた。ショートデニムも膝上丈で太もも辺りまで肌が見えている。最初聖玲奈はホットパンツを選んで来たんだけど、あたしは七部丈のデニムがいいって主 張して、お互い譲歩し合ってこの長さになった。あたしとしてはこれがギリギリってラインだった。それでも普段こんな肌を出した格好は絶対にしないので、結 構恥ずかしい。
それから聖玲奈は服装に合うバッグと、過度にならない感じのネックレスを選んでくれた。一応完成したあたしの格好を前、横、後と周囲をぐるぐる回って眺めてから、ふんって鼻を鳴らした。
「ま、こんなトコかな」
聖玲奈としてはまだまだって面持ちだったので、慌ててあたしはお礼を言った。
「ありがと、聖玲奈」
「頭っからあんまりインパクトあり過ぎても今後の刺激がなくなっちゃうしね。最初はこれ位にしといた方が却っていいかもね」
聖玲奈なりに納得したようだった。でも刺激がなくなっちゃうって?・・・あたしにはこれでも十分刺激的なんじゃないかって思えるんだけど・・・今後に何だか一抹の不安を感じた。

一階に降りると、ママも香乃音(かのん)も起きてきていた。パパも加えた三人で朝食を食べているところだった。
「おはよう、萌奈美ちゃん」
あたしに気付いた香乃音に、あたしも「おはよう」って挨拶を返した。
「おはようママ」
「おはよう」
ママはにこやかにあたしの方を向いた。パパも釣られて。食卓の三人が一様にきょとんとした顔になる。
香乃音がぽつりと言った
「萌奈美ちゃん、その格好・・・」
・・・ギクリ。まずい、って焦った。だけど。
「可愛い!」
胸の前で手を組んだ香乃音が歓声を上げた。
・・・は?あたしは目が点になった。
「萌奈美ちゃん、その服すっごく可愛い!」
香乃音は目を輝かせて言った。
「あ、ありがと」
内心拍子抜けしながら、とりあえずお礼を言った。
ママもあたしを見つめながら頷いた。
「うん、何時もの萌奈美とちょっと印象違うけど、でも可愛いし似合ってるわよ」
「ほ、ホント?ありがと。嬉しい・・・」
思いがけず褒められて、恥ずかしくて頬が熱くなった。
「随分早く出掛けるのね?」
ママの問いに、パパが口を挟んだ。
「そうなんだよ。僕が起きてきたらもう一人で朝ご飯済ませててさ」
「ふーん」
ママが目を細めて、探るような視線を送ってくる。ギクリ。何か言いだけだった。
あ!と目を大きく見開いた香乃音が大きな声を上げた。
「ひょっとして、デート?」
香乃音っ!心の中で悲鳴を上げた。何もそんなママとパパの前ではっきり言わなくても!
「ちっ、違うわよ!言っといたでしょ、友達と映画観に行くって!」
うろたえて、早口で弁解した。
あたしの説明に香乃音は、なーんだ、って素直に納得してくれた。
一方、ママを見るといわくありげに微笑んでいた。
全てお見通し、って言いたげなママの笑顔に、あたしは慌った。早いところ、出掛けた方が良さそうだった。
「あ、あのっ、それじゃ、出掛けるからっ。行って来ます!」
言うが早いか逃げるように玄関へと急いだ。
背後から三人の「行ってらっしゃい」っていう声が届いた。
「気を付けてね」
ママが続けて言った。
「はーい」
生返事をしながら、下駄箱から履物を選んだ。
この格好だとスニーカーじゃ合わないし、そう思って小花柄が可愛くて気に入っているビルケンシュトックのサンダルを履いていくことにした。
玄関を出るとき、二階から降りてきた聖玲奈が声をかけて来た。
「お姉ちゃん、頑張ってね」
振り向いて「うん」って頷いた。あたしの「行って来ます」の声に聖玲奈は小さく手を振って、それからウインクをした。
玄関を閉めて表に出てからほっと息をついた。あー、焦った。
改めて気を取り直し、気合を入れた。心の中で出陣の気勢を上げる。さあ、行くぞ!

◆◆◆

予定より大分早く家を出ることになってしまったので駅前のコンビニでしばらく時間を潰した。ティーンズ向けのファッション雑誌を立ち読みして今後のためにちょっと研究したりした。
西浦和駅から武蔵野線に乗り、武蔵浦和駅で降りた。佳原さん、じゃなくて、匠くんと埼京線の上りホームの先頭で待ち合わせをしていた。
到着して辺りを見回したけどまだ佳原さん、じゃなくて、匠くんは来てなかった。時計を見たら待ち合わせの時間にあと15分あった。
ちらりとホームの人達を眺めた。西浦和から来る電車の中でも、他の女の人の服装を気にして見てたんだけど、結構みんなノースリーブだったり、ホットパンツ やミニスカートだったりして、肌の露出してる格好の人は大勢いた。あたしなんか大人しい方だったので、ほっとしていた。ホームの少し離れた所で待っている 二人組みの女の人(多分二人とも20代前半だと思う)は、一人はタンクトップにホットパンツ、もう一人は襟ぐりの開いたキャミにミニスカートと揃って結構 刺激的でセクシーな格好をしていた。うーん、すごい。ちょっと感心してしまう。とてもあたしには真似出来ないけど。まあ、とにかく、周りには(聖玲奈の言 うところの)刺激的でインパクトのある、アピール度の高い格好をした人達がそれなりに結構いて、あたしはほっとした。
鏡を出して、覗き込んだ。前髪を直して、どこか変じゃないか確認する。ふう。鏡を閉じて息を吐いた。
ちょっとどきどきして来た。
ホームを吹き抜ける風が緊張して火照った頬に気持ちよかった。
それから少しして佳原さん、じゃなくて匠くんの姿が見えた。ちらちらとひっきりなしにエスカレーターの方を見ていたので、エスカレーターに乗った佳原さ ん、じゃなくて匠くんの姿が見えてきたところから気が付いていた。佳原さん、じゃなくて匠くんはまだ離れているあたしに気付いてなくて、周囲を見回しなが らゆっくり上り線のホームの先頭方向へと近づいて来た。その姿をずっと見つめながら、どんどん緊張が高まってくるのを感じた。
匠くんはやっとホームの先頭で待っているあたしに気付いてくれた。視線が合い、笑顔で手を振った。
あたしの姿を見て、匠くんはぽかんとした顔になった。
あれ?てっきり笑顔を見せてくれると思っていたあたしの頭上には「?」マークが浮かんだ。
近づいて来るにつれ、匠くんの顔には戸惑いの色が浮かび、視線があちらこちらをさ迷った。
「や、やあ。おはよう」
あたしの前まで来た匠くんは何処か落ち着かない様子だった。
「おはよ、匠くん」
「待った?」
匠くんは視線を明後日の方に向けたままだった。
「ううん、あたしも10分位前に来たから、そんなに待ってないよ」
匠くんの様子を不思議に思いながらも答える。
匠くんは、話しながらあたしの方をちらっと見たかと思うとすぐ違う方へ視線を移してしまう。今日会ってから、まだちゃんとあたしのことを見てくれてなかった。
「匠くん、どうしたの?なんか様子、変」
そう問いかけた。
「え、そ、そう?」
匠くんは無理して笑顔を作った。
「萌奈美ちゃん、今日、何か雰囲気違うね」
あたしの問いかけには答えてくれないまま、反対に匠くんから訊き返された。
匠くんの質問にはっとした。ひょっとしてこの格好、匠くんは気に入らないのかも・・・急に不安になった。
「え、あの、・・・似合ってない・・・かな?」
探るように匠くんの表情を伺いながら、心細い気持ちで訊いた。
「あ、いや!そんなことない!あの、えー、いや、すごく似合ってるし、か、可愛い、よ」
少し上ずった声で、ちょっと言い淀むようにだけど、匠くんはそう言ってくれた。
でも、お世辞じゃないのかな?あたしを傷つけたって思って、そう言ったのかも。
「ほんと、に?」
「う、うん。もちろん」
おずおずと問い直したら、すごい勢いで匠くんはこくこく頷き返した。その様子を見て少しほっとした。
頭を掻きながら匠くんは弁解するように言った。
「あの、さ、萌奈美ちゃんの私服姿、初めて見たからさ、なんか眩しくて、ちょっと、真っ直ぐ見られないんだよね」
そう話す匠くんの顔は少し赤かった。相変わらず視線はあらぬ方を向いたままだし。
その言葉を聞いてあたしは安心した。よかった、匠くんに嫌がられてた訳じゃなかった。それと同時に、急に恥ずかしさもこみ上げて来た。
「あ、あの、これ、聖玲奈・・・妹が選んでくれたの。初めてのデートだから、どんな格好していこうか、迷っちゃって。それで、妹が色々選んでくれて」
慌てて早口で、あくまでも聖玲奈のセンスだってことを言い訳するかのように説明した。
「あのね、いつもはこういう感じじゃないんだけど、ちょっと、はりきっちゃった」
照れ笑いを浮かべて匠くんを見た。
匠くんと視線が合った。
「うん、とっても・・・可愛いよ」
口元を押さえて匠くんが言った。顔を赤らめて、匠くんはすごく照れていた。
「あ、ありがと」
あたしも匠くんに「可愛い」なんて言われて、急に緊張してしまったけれど、そう言ってもらえてやっぱりすごく嬉しかった。
「よかった。匠くんにそう言ってもらえて。頑張った甲斐あった」
微笑んで匠くんを見た。
「嬉しい」
「う、うん」
頷く匠くんは、少しどぎまぎしていた。

少しぎこちなく向き合ったままでいるあたし達の空気を打ち消すかのように、ホームにアナウンスが流れ、上り電車の到着を告げた。
ホームへ滑り込んできた電車が巻き起こした風であたしの髪は激しく乱れ、あたしは慌てて髪型を直した。
「だ、大丈夫?変じゃない?」
匠くんは笑いながら頷いた。
「うん、大丈夫」
自動ドアが開き、降りる人を待ってからあたし達は電車に乗った。
土曜日の車内は午前中から家族連れや男女のカップルで混み合っていた。
あたしと匠くんも並んでつり革に掴まった。発車した電車に揺られながら、二人とも初めのうちは窓の外を見つめていたけど、段々お互いに緊張が収まってきて、ぽつりぽつりと言葉を交わした。
「そう言えば」
匠くんはふと思い出したように呟いた。
「昨日は部活、大丈夫だった?」
あたしも思い出して答えた。
「あ!うん。部長には大分、叱られちゃったけど、何とか許してもらって。無事、また部活に出られるようになったから」
「それは良かった」
でも、とあたしは少し残念そうに口を尖らせた。
「今迄みたいに匠くんのトコ、行けなくなっちゃった」
匠くんはあたしの言葉に肩を竦めた。
「まあ、仕方ないね」
「そうだけどぉ・・・」
納得できない気持ちが少しある。
「毎晩電話するからさ。土、日にも会えるし」
匠くんは慰めるように微笑んだ。
匠くんのその言葉にぱっと顔を明るくして聞き返した。
「ホント?じゃあ、毎週土曜と日曜に会える?」
「うん、まあ、予定が入らなきゃ」
匠くんはあたしの勢いに急に不安を感じたようで、弱気な口調になった。
「駄目!土、日は絶対予定を入れないの!」
鼻息を荒くして言い返した。
「はあ、極力入れないように善処します」
匠くんはどこかの政治家のような台詞を自信なさそうに弱弱しく呟いた。   
今迄みたいに毎日のように匠くんと会えなくなっちゃうのは寂しかったけど、これから毎週土曜と日曜にデートできるのはこの上ない朗報だった。あたしはすっかり上機嫌になった。それから新宿に到着するまでの車内で、ニコニコしながら匠くんと話し続けた。

素敵な映画だった。程よくコミカルで程よくシリアスで、ちょっとシニカルなところもあって、だけどとっても優しくて心が温かくなった。
やっぱり観てよかったって満足できる映画だった。それは、匠くんと一緒に観たっていうこともあるのかも知れない。
この映画を見ることに決めたのは、前にテレビでやっていた情報番組でこの映画を紹介していて、観てみたいなって思ってて、電話で匠くんもこの映画を観た いって思ってたのがわかって、じゃあ観ようかって二人で意見が一致したんだけど、匠くんとはこういうことがよくあるんだよね。映画とか、小説とか、本と か、音楽とか、絵とか、食べ物とか、色んな好みがよく一致する。
春音とも好みがよく合うけれど、春音との間に感じているのとは違うものを匠くんに感じている。なんて言うんだろう、例えば欠けていた何かが見つかった時み たいな、まるでパズルのピースがぴったりと隙間なく嵌(は)まった時のような調和を感じる。一緒にいることで満たされる・・・多分お互いが、一緒にいるこ とで満たされる感じ。
だから、匠くんといつも一緒にいたいって願ってしまう。匠くんの声を間近に聞いていたいって求めてしまう。匠くんと離れていると言いようもなく不安を感じてしまう。そんなことは生まれて初めての感覚だった。
感覚とか、嗜好とかすごく近いものを感じる。ううん、「近い」なんてそんなんじゃない。「同じ」なんだ。匠くんとあたしは心に「同じ」成分を有しているに違いなかった。
そんなことを、映画を見終わって温かくなった胸の中で感じていた。
隣を歩く匠くんの横顔をそっと見上げた。匠くんの横顔は、とても穏やかで満足げに見えた。

その後、あたし達は匠くんの知っている洋食屋さんでお昼ごはんを食べた。前に雑誌のイラストの打ち合わせをした後、お昼どきだったので担当の編集の人に連 れて来て貰ったのだそうだ。匠くんは日替わりランチ(ちなみにその日はイベリコ豚のメンチカツ定食だった。)、あたしはハヤシライスを注文した。ハヤシラ イスはトマトの酸味が程よく効いていて、とても美味しかった。匠くんのメンチカツも味見させてもらって、こちらも美味しかった。メニューを眺めながら、他 のメニューも美味しそうなのばっかりだって溜め息交じりに呟いたら、匠くんはまた何度でも連れて来てくれるって約束してくれた。思わずほんとに?約束だ よ!って念押ししてしまった。・・・もしかしたらとんでもなく食いしん坊だって思われちゃったかな?少し心配になった。
シェフのお勧めで食後にデザートをお願いした。お店特製のソルベで匠くんはマンゴー味を、あたしはラズベリー味を食べた。もちろんマンゴーのも味見させてもらって両方ともとても美味しくて、もうこの上なく幸せだった。
美味しいものをお腹いっぱい食べて、匠くんと一緒で、とても満ち足りた気持ちだった。
お店を出てから二人で新宿の街をぶらついた。新宿高島屋、東急ハンズ、紀ノ国屋書店と回り、書店ではお互いに気になる本とか色々意見を交わしながらフロア を巡り、たっぷり二時間を過ごした。あたし達二人とも大きな書店とか図書館とか沢山の本がある場所だったら、何時間過ごしても全然苦にならなかった。
週末の午後の新宿は人で溢れていた。夕方が近づくにつれ、ますます人が増えているようだった。混み合う往来の中、すれ違う人とぶつかりそうになったあたし を、匠くんが咄嗟にあたしの手を取って避(よ)けさせてくれた。匠くんに手を握られた瞬間、あたしの胸はどきどきとものすごい速さで鼓動して思いがけず激 しく緊張したけど、でもとても嬉しかったりもした。
あたしを避(よ)けさせてくれた後、あたしの手を握っていた匠くんの手の力が抜けて、繋がれた手は自然と離れていってしまいそうだった。
離したくなくて、匠くんと繋いだ手をぎゅっと握りしめた。そうしたら匠くんもあたしの手をしっかりと握り返してくれた。
それからずっとあたし達は手を繋いだまま、夕刻へと差し掛かった新宿の街を歩いた。

まだ名残惜しい気持ちで一杯だったけれど、一応ちゃんと付き合いだして初めてのデートだったし、夜7時になる前に帰宅した。
本当はあたしはまだ帰らなくて大丈夫だって主張(抵抗?)したんだけど、羽目を外し過ぎるのはよくないからって言う匠くんに引きずられるように帰って来た のだった。やっぱりあたしがまだ高校生だから、匠くんは少し気をつけてるのかな?ちょっと不満だったけど、でも仕方ないとも思った。多分うちのパパとママ だったらそんなことないとは思うけれど、確かに夜遅くまで出歩いてて、万が一にもパパやママの印象を悪くして、匠くんとのことを理解を得られなかったりし たら困るし。匠くんのことを話した訳ではないけれど、ママは何気に気付いているみたいだし。
匠くんは武蔵浦和駅の武蔵野線のホームで電車に乗るまであたしのことを見送ってくれた。あたしは到着した下り電車のドア近くに立って、ホームで見送ってくれている匠くんに手を振った。
「今日はすごく楽しかった」
匠くんは車内の人の視線を感じて少し照れくさいのか、ちょっと素っ気無い感じだった。
「うん。気を付けて」
そう言って、少し手を掲げる仕草をした。
人の視線なんて、そんなの全然気にも留めずに匠くんに話しかけた。
「夜、電話頂戴ね」
発車を知らせるメロディが流れ、ドアが閉まった。
匠くんの返事は流れるメロディとドアが閉まる音に紛れて、あたしの耳には届かなかったけれど匠くんが頷いているのが見えた。
ドアの厚いガラスに隔てられたこちらと向こう。声の届かない場所に立つ匠くんを見たら、急に寂しさを感じた。匠くんに手を振り続けた。
匠くんも小さくではあるけれど手を振り返してくれた。
電車はゆっくりと動き出し、ホームの匠くんを残して進み始める。匠くんの姿はみるみる内に後方に過ぎ去っていった。そして窓の外は薄暮の風景へと変わった。
窓の外の暮れかかった夕景をぼんやり見つめながら、あたしの心は匠くんと離れることの寂しさに押し潰されそうになっていた。
匠くんと一緒にいるときの満ち足りた思いが大きければ大きいほど、一緒にいられないときの切なさが膨れ上がっていく。そのことに恐ろしさにも似た不安を感じてもいた。
匠くんと繋いでいた手をぎゅっと握り締めて、匠くんの手の温もりを思い出し、やるせなさを紛らわせようとした。

「ただいま」
玄関を閉めながら、誰に言うでもなく帰宅を告げた。匠くんと離れていることの寂しさをまだ引きずっていた。
リビングの方から「お帰りなさい」っていう声が聞こえた。
リビングを覗き込んでママと香乃音(かのん)の姿を確認し、もう一度「ただいま」って声を掛けた。パパの姿はなかった。時間からいって多分お風呂に入っているんだろう。
香乃音は元気な声で「お帰りなさい」って言い、屈託のない笑顔を向けてくれた。
「意外と早かったのね。でもまあ、初めのうちは妥当なところかしらね?」
わざとらしくリビングの壁に掛かっている時計を見たママが言った。
明らかに含みのあるママの言葉に、やっぱり気付いてるんだなって思ったけど、あたしは素知らぬ振りをした。
香乃音がきょとんとしてママに「何のこと?」って聞き返していた。
「ん?」ママはとぼけた仕草で香乃音を煙に巻いてから、「さあ、萌奈美も帰ってきたから夕飯にしようかな」って言ってキッチンに立った。後に残された香乃音はママの背中に不満げな視線を送っている。
あたしもそそくさと二階へ上がった。
階段を上がりきったところで、待ち構えていたかのように聖玲奈(せれな)の部屋のドアが開いた。
「お帰りお姉ちゃん」
聖玲奈の眼が初デートの成果を知りたがっていることを訴えていた。
「ただいま」とだけ答えた。
あたしの声のトーンに聖玲奈は「あれ?」って面持ちになった。もっと弾んだ声が返ってくるのを予想していたんだと思う。
「どうしたの?お姉ちゃん、元気なくない?ひょっとしてデート上手くいかなかった?」
聖玲奈は探るような眼であたしの顔を覗き込む。
「そんなこと、ないけど」
そう言いながら、でもあたしの声は明らかに沈んでいた。気持ちも沈んでいて、好奇心でいっぱいの妹の相手をする気分にはなれなかった。
あたしは聖玲奈に構わずさっさと自分の部屋に入った。
「ち、ちょっと、お姉ちゃん?」
あたしらしくない振る舞いに、聖玲奈の驚いた声が背後から響いたけれど、躊躇いなくドアを閉めた。
しんと静まった自分の部屋で深い溜め息をついた。まるで一緒に魂まで吐き出してしまったような感じがした。ベッドに力なく腰を下ろす。
匠くんと一緒にいる時はあんなに楽しくて気持ちが弾んでいたのに、別れてしまうと途端にどうしようもなく切なくて淋しい気持ちでいっぱいになる。
まるで自分のものじゃないみたいに浮き沈みする気持ちを、どうしていいか分からなかった。
「お姉ちゃん」
ひっそりと投げかけられた声に顔を上げた。ドアの隙間から神妙な面持ちの聖玲奈が顔を覗かせていた。
妹はいつもは興味本位で悪ふざけして冗談めいた振る舞いを見せるけど、こうして時たま、あたしや香乃音が本当に落ち込んだり参ってる時には心配してくれる。
あたしを見る聖玲奈の心配そうな眼差しに、あたしは自分の中の不安な気持ちを打ち明けた。
聖玲奈は隣に座って、茶化したりしないで静かにあたしの話を聞いてくれた。
あたしが話し終えるとほっとしたように肩の力を抜いた。
「そっか。でも、佳原さんとの仲が上手くいってない訳じゃないって分かってほっとした」
そんなことを言う聖玲奈の顔を見た。
聖玲奈は別に冷やかしている感じでもなくて真顔だった。
「この前も言ったけど」聖玲奈がそう前置きした。
「そんな気持ちになるのはお姉ちゃんが佳原さんを本当に好きだからでしょ?好きで好きでたまらないからこそ不安になるし、会えないときはどうしようもなく 寂(さみ)しくなるんだよ。会っているときが楽しければ楽しいほど、離れているときにはそれと同じくらいに、それ以上に切なくなるんだよ」
いつになく真剣な顔で話す聖玲奈を思わずまじまじと見返した。
あたしの眼差しに気付いて、聖玲奈は急に恥ずかしくなったのか顔を赤らめた。焦ったように早口で喋りだした。
「そ、それって、すごくいいなあって思う。それってすごく恋してるって思うよ。・・・すごく一途な恋してるって、お姉ちゃんのこと素敵に思う」
そう言って聖玲奈は微笑みを浮かべた。
思いがけず聖玲奈に励まされて、内心びっくりしてしまった。
でも、聖玲奈の励ましであたしの沈んでいた気持ちは鎮まり、穏やかなものになっていた。そして、この不安も切なさも全部抱き締めたままでいいんだって教え られた。あたしの中に淀んでるそういう思いも全部ひっくるめて、それが恋なんだって、前向きで温かくて心地よくて穏やかな思いも、暗くて冷たくて濁ってい る思わず眼を反らしたくなるような、認めたくなくて誤魔化したくなるようなそういう思いも、その全部があたしの中にある匠くんへの思いなんだ。聖玲奈の話 に耳を傾けていて、そう思った。
不安がなくなる訳じゃない、切なさや寂しさがなくなる訳じゃない、だけど、そういう思いを抱き締めたままでいいんだ。強がることも、それを誤魔化すことも しなくていいんだ。我慢できなければ匠くんにそれをぶつけたって構わないんだ。匠くんはきっと受け止めてくれるから。全部抱き締めて匠くんに恋していこ う。
「ありがと、聖玲奈」
俯いたまま、ぽつりと呟いた。
あたしの沈んでいた気持ちが治ったのを知って聖玲奈は顔を輝かせた。「ふふっ」って嬉しそうに笑った。
「ま、そりゃあね、あたしだって時々は真面目な話をすることだってあるよ。ごくたまにだけど」
あたしも釣られてくすくす笑った。
「そうだね」
聖玲奈はいつもの少し意地悪な眼差しに戻って、「じゃ、今日の結果報告はまた後でね」なんて捨て台詞を残して部屋から出て行った。
やっぱりそこは許してもらえないのね。
諦めの心境で聖玲奈を見送った。


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