【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ The Picture 第14話 ≫


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改札の手前で佳原さんとあたしは向き合った。周りにはきっと別れを惜しむカップルに映ってるに違いなかった。
時々、雑踏の中で立ち止まってるあたし達に進路を遮られた人が、すれ違い様に迷惑そうな眼差しを投げかけながら通り過ぎて行った。
「ホントに送らなくて大丈夫?」
車で送ってくれるっていう佳原さんの申し出を断って、あたしは「電車で帰ります」って言い張った。
それはもちろん車に乗っている間、佳原さんと少しでも長く一緒にいられるのはとても嬉しいけど、でも佳原さんの優しさに甘えてばかりだと、恋人同士って言 えない気がして。佳原さんは大人だし社会人だし、お仕事もしていて、収入もあって、車も運転できて、いつも佳原さんの好意に甘えてばかりで、いつもご馳走 になりっ放しで、つまりは佳原さんは大人であたしはまだまだ子供だって事で、それはどうしようもない事だと思う。だけど、それでもあたしは佳原さんのこと を、佳原さんがあたしを想ってくれる気持ちに負けない位想ってるっていう自信があるし、子供とかそんなの関係なく、あたしは佳原さんを愛している。
(・・・「愛」って言葉は何だかとてもくすぐったく感じてしまう。何だかまだあたしなんかが口にするには早過ぎるような、そんな感じがする。そう思うのはあたしがやっぱりまだ「子供」だからなのかな?)
できる限りフィフティフィフティでいたいなって思う。・・・そう感じていたいって思ってる。佳原さんの好意に甘えっぱなしでいるのは嫌だった。だから、送ってくれるっていう佳原さんの好意を固辞して、せめて電車で帰ることにした。

そんな気持ちを打ち明けたら春音は、あたしの気持ちも分かるって言いながら、でも、と言葉を続けた。
ちょっとした甘える姿を見せた方が、男の人からすれば甘えられてる、頼られているって感じられて可愛く思えるって聞くし、恋愛ってそういう駆け引きって必 要だし、大体がそもそも些細なことで詰まらない意地を張ること自体、対等じゃないって感じてムキになってる子供に他ならないんじゃないの?って指摘され た。うーん、いつもながらになかなか鋭い。
駆け引きとかそんなの余り考えたくなかった。あたしは、あたしが「あたし自身」って思ってる自分を、できる限りありのまま佳原さんに見せたかった。もし、 子供故に詰まらない意地を張っているんだとしたら、あたしが詰まらないことばかり気にしている子供だってことも、ありのまま佳原さんに見て欲しかった。
もちろんあたしが「あたし自身」だって考えてる自分が、本当の自分なのかどうかなんて分からない。っていうかそんなこと有り得ないって分かってる。自分 じゃ決して気付くことの出来ない死角のような部分があったりするだろうし、そもそも自分が考える「あたし」と人が見た「あたし」とが一致することなんてな いだろうし、そのふたつの「あたし」は常に決定的に隔てられていて、重なり合うことは多分決してない。それでも、あたしは物分りのいい顔もわかったような 素振りも佳原さんの前ではしたくなかった。恐いし不安にもなるけど、あたしは、あたしの中の「子供」の部分も、無理して背伸びしてる自分も、弱さもずるさ も、隠すことなく佳原さんに見ていて欲しかった。

「はい、大丈夫です」
未だに心配そうな眼差しを向けている佳原さんを安心させるつもりで、しっかりと頷いた。
佳原さんはあたしの頑固さに溜息をついた。それから諦めたように話題を変えた。
「じゃあ、また夜に電話するから」
夜も佳原さんの声が聞けるのが嬉しくて自然と笑顔になる。
「はい」
ホントは「待ってます」って付け加えたかったけど、恥ずかしいから言わなかった。
「それじゃあ、さようなら」
そう言って小さく手を振った。自分から口にした「さようなら」の言葉にひどく寂しい気持ちになりながら、改札へと吸い込まれていく人波に飲まれ、自動改札 機を通り抜けた。振り返ったら佳原さんが軽く手を上げてくれた。ちょっぴり周りの人の目が気になりながら、笑顔で小さく手を振り返した。
武蔵野線のホームへ向かう中、大勢の人に囲まれながらひどく寂しかった。すぐ隣で大きな声で笑いながら楽しそうに喋ってる女子高生達を何だか苛立たしく感じた。

◆◆◆

電車を降りて自宅への道を歩きながら、春音へ電話した。何回目かのコール音の後で春音の声が聞こえた。
「萌奈美?」
「うん。春音、今日はありがとうね」
学校でのことのお礼を告げた。それにあの後どうなったのか気掛かりだった。部長の逆鱗の矛先が春音に向いたりしなかったか心配になった。
「あれから、大丈夫だった?」
「まあね。何とかやり過ごしたわよ」
春音は大したことなさそうにさらりと返答した。でも恐らく、部長の苛烈な怒りに晒されたに違い無かった。そんなことは億尾(おくび)にも出さなかったけれど。春音はそういう性格だ。あたしは彼女に深く感謝した。
「・・・ ところで、成果はどうだったの?」
人の詮索なんて滅多にしない春音には珍しく、結果が知りたいようだった。もちろん、あたしも早く誰かと喜びを分かち合いたい気持ちで一杯だった。
「うん。ありがとう。おかげ様で」
恥ずかしくて持って回った返答になってしまった。
「成功したのね?」春音に聞き返された。
「うん。大成功、でした」
声が弾んでいるのが自分でも分かった。
「わお!おめでとう」
今まであたしでも聞いた覚えがないような弾んだ声が春音から返って来た。
「うん、ありがとう。ホントに春音には感謝してる」
彼女が自分のことのように喜んでくれているのが嬉しくて、あたしは感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
「詳細は明日聞くとして、とにかく、初恋が実ってよかったね、萌奈美。おめでとう」
「うん、ホントにありがとう」
何度もありがとうを繰り返した。それ以外に親友へ心からの感謝の気持ちを伝えるのにふさわしい言葉はないって思った。
ひっそりした空気に包まれた夜の道を、温かく幸福な気持ちに満たされながら自宅まで歩いた。

◆◆◆

家に帰ってからのあたしは相当浮かれてたらしい。知らず知らずのうちに鼻歌なんか口ずさんでたみたいで、目を丸くしたママから「どうしたの?何かいいことあったの?」って訊かれ、慌てることになった。
「ううん、違うけど・・・」
うろたえる気持ちを押し隠して平静を装ったあたしに「ふーん、そう?」って問い返すママは何か察しているみたいに思えた。
やっぱりまだ佳原さんとのことは隠しておきたかった。別に後ろめたい事なんかないけど、でも気恥ずかしいのと照れくさいのとで言い出せそうになかった。
その後、あたしは香乃音(かのん)とパパにも「いいことあったの?」って訊かれてしまった。動揺しまくりで「え、別に」って誤魔化したんだけど、二人とも特に不審がったりしなかったので助かった。
ふと気付いたらママがニヤニヤしてこっちを見ていた。何でもお見通しって告げられてるような気がした。
それにもう一人、あたしの様子にあの聖玲奈(せれな)が気付かないはずがなかった。

ボロが出ないうちに自室に避難することにした。
ほっとして、ベッドに寝転んでWALKMANでミスチルを聴きながら、帰りがけに買って来たデートスポットを紹介している本をめくって、土曜日に何処に出かけようか思いを巡らせてた。期待に胸が膨らむっていうのはこういうことなんだなって実感しながら。
曲に合わせて小さくハミングしながらページをめくった。すっかり安心しきってて、部屋のドアが開いたのにも全然気が付かなかった。
「デートってとこ?」
突然の声にギョッとして跳ね起きた。慌ててドアの方を振り返ったら、そこにはチェシャ猫のようなニヤニヤ笑いを浮かべてる聖玲奈の姿があった。
「な、なによ。ノックもせずに人の部屋に入ってきて」
内心の動揺を押し隠すように、不機嫌さを露わにして口を尖らせた。
「あれ、聞こえてなかった?浮かれてて耳に入らなかったんじゃないの?」
聖玲奈は悪びれもしないで、如何にもあたしの方に落ち度があるって調子で答えた。むうう。聖玲奈のヤツぅ。けろりと真っ赤な嘘をつくのは、もはやひとつの才能に近かった。
「で、珍しくそんな本読んでるけど、デートの計画立ててるの?」
うっ。いとも容易く言い当てられて言葉に詰まる。その反応で正解したことを察し、聖玲奈は会心の笑みを浮かべた。
「ふーん。デートに行くってことは順調に進展してるみたいね。よかった、よかった」
うんうんと頷く聖玲奈の姿を忌々(いまいま)しく思いながら、あたしは毒づいた。「あんたに心配される筋合いはない!」って、心の中で密かに。間違っても口には出さないで。面と向かって言う勇気のない自分が情けなかった。
「で、どの辺に行くつもりなの?」
図々しくも聖玲奈はあたしが開いている頁を覗き込もうとして首を伸ばしてきた。あたしは慌てて本を閉じた。
「『東京デートスポット100』?これまたベタなの見てるねえ」
あたしが閉じた本の表紙を見て、聖玲奈はくくくっと笑いを噛み殺しながら呟いた。恋愛初心者のあたしの振る舞いのそのいちいちが、聖玲奈には可笑しくてたまらないようだった。
顔から火が出そうだった。
「もう!大きなお世話よっ!いいから出てってよっ!」
あたしは爆発した。こんなところ、とても佳原さんには見せられない。
「まあまあ、そう言わずに」
聖玲奈はあたしの逆鱗に触れたところで一向に動じることなく、相変わらず暢気な口調のままだった。
「初デートなんでしょ。この経験豊富な妹が、愛するお姉様のために力になりますわよ」
わざとらしいその口調は胡散臭さぷんぷんだったけど、「初デート」なんて言葉を聞かされてしまうと途端に不安になり、つい魔女の甘言に容易に唆(そそのか)されてしまった。
「力になるって?」
拗ねるような口調で訊いてしまった。
後になって考えてみれば、仕掛けた罠に易々と入り込んで来た獲物(つまり、あたし)に、聖玲奈は内心笑いが止まらなかったに違いない。
だけど聖玲奈はそんなことは億尾(おくび)にも出さず、「まあ、そーねえ」って少し思案するように言った。
「まず、初デートでの服装は大事よね」
「服装?」
もちろんそれなりにお洒落するつもりではいるけれど。あたしは今更言われなくても、って心境で訊き返した。
「特にお姉ちゃんは佳原さんと今迄制服姿でばっかり会ってたでしょ。だから尚更私服の印象が大切なのよ」
人差し指を立てて、如何にも分かった風な口振りで聖玲奈は説明した。まるで何かのインストラクターみたいだ、ってあたしは思った。
「やっぱり初デートっていったら、女の子らしさをアピールするのが定石かな」
「女の子らしさ・・・」
それに見合うような服を、持っている服の中から選んでイメージしてみた。そうなるとスカートだろうな。ワンピースがいいかな。
そんなあたしの考えを見越したように聖玲奈は続けた。
「お姉ちゃんの持ってる服ってちょっと大人し目なのよね。無難っていえば無難だけど、もっとガーリーさを強調した服の方が初デートではいいと思うんだよね」
ガ、ガーリー?どんな服か思い浮かべようとしたけど駄目だった。
「えーと?」
困ったように、愛想笑いを浮かべて救いを求めた。
聖玲奈はやれやれっていった感じで、もどかしそうに言った。
「だから、ミニスカートとか、キャミとか、ポイント高いと思うけど」
ミニスカートもキャミソールもあたしは持っていなかった。そういう露出度の高い服装は小学校高学年になった頃から恥ずかしくて着たことが無かった。
あたしが怖気づいていると、聖玲奈は握りこぶしを作って強調した。
「あのね、お姉ちゃん若いんだから。年齢差もあるんだし、ぴちぴちの若さを売りにして、太ももとかバーンと見せつけなきゃ。大人の女性の魅力に対抗できないよ」
「大人の女性なんて・・・」
対抗するような人、別にいないしってあたしは思った。
そんなあたしを聖玲奈は甘い!と叱りつけた。
「あのね、お姉ちゃんが知らないだけで、佳原さんは同年代の女性と会ってたりするかも知れないでしょ?仕事とかで。大体、佳原さんの妹の麻耶さん、モデルでしょ?そーんな綺麗な人が身近にいるんだったら尚更だよ」
聖玲奈は滔々(とうとう)と語った。
「子供っぽい服装してったらお子様にしか見てもらえないよ。佳原さんをちょっとドキッとさせる位、攻めの格好で行かなきゃ。自分は魅力的な“女の子”なのよって、恋愛対象として意識させなきゃ、更なる進展は望めないわよ」
いつの間にかあたしは、聖玲奈の言う事を成る程と思いながら聞き入っていた。
「それに、いつもの印象と違う格好を見せると、意外さが新鮮な驚きを与えるし、改めて意識させたりして結構効果的なんだよ」
うーん、そうか。あたしはもう充分にその気になりつつあった。聖玲奈の言う事がいちいちもっともな事のように聞こえた。
「でも、あたし、そういう服持ってないし」
あたしの漏らした呟きを聖玲奈は聞き逃さなかった。
「大丈夫。お姉ちゃんとあたし、ほとんどサイズ変わんないから。あたしの服貸してあげる」
「ほんと?」
差し伸べられた救いの手にぱっと顔を明るくした。
「もちろん」
聖玲奈はにっこりと頷いた。いつもは嫌がらせみたいにからかってばかりいるけど、本当は姉思いの優しい妹だったんだね。あたしは聖玲奈を見直した。・・・もっとも、この時の考えが誤りだったことをあたしは後で思い知るのだけれど。
「じゃああたしの部屋おいでよ。コーディネートしてあげるから」
聖玲奈に誘われて部屋を出ようとして、携帯が鳴った。ベッドサイドに置いた目覚まし時計を見たら、佳原さんが電話をくれる時間だった。あたしは聖玲奈に手を合わせて謝った。
「ごめん。コーディネートはまた今度お願い」
聖玲奈は気安く「うん、いいよ」って答えて、部屋を出て行った。

急いで携帯を開いた。
「もしもし?萌奈美です」
「どうも。佳原です」
いつもの、変わらない短い挨拶。
ちょっと素っ気無い。ちょっと他人行儀な感じ。ちょっと不満だ。あたし達、付き合うことになったんだよね?
佳原さんはあたしのほんの僅かな沈黙に気付いたみたいだった。
「あ、今大丈夫だった?」
そういうことじゃないんだけどな・・・
「はい。大丈夫です」
ほんとは大丈夫じゃないけど・・・って、あたし、こんなちょっとしたことで機嫌悪くしてる?こんな我儘なやつだったかな?そう考えてちょっとうろたえた。
「どうかした?」
佳原さんはあたしの様子を察したんだろうか。でも、気持ちには気付いてくれないのかな。
「ちょっと不満です」
そう口に出していた。
「え?」佳原さんは戸惑った声を上げた。
「なんか、他人行儀な感じがする。あたし達、付き合うことになったんですよね?」
佳原さんはあたしの気持ちを推し量っているみたいだった。沈黙が続いた。
「あの、突然、そういうの変わるものじゃないのかも知れないけど、でも、なんていうか、距離があるみたいな感じがして、何だかちょっと寂しい・・・」
自分の気持ちを伝える適切な言葉が思いつかなくて、こんなのでちゃんと伝わるか心配になった。
どきどき。電話越しに沈黙があった。ちょっと後悔した。やっぱり言わなければよかったかも・・・そう思った時だった。
「うん、そうだね」
佳原さんの納得したような声が答えた。
「ごめん。阿佐宮さんの言うとおりだね」
ほっとした。言いたいこと、ちゃんと伝わったみたいだった。でも、今のはイエローカード、だよ。
「それも駄目です」
「え?」立て続けの抗議に完全に焦った声だった。
「阿佐宮さん、っていうのも、駄目です」
あたしははっきりと言った。こんなにはっきりと言いたいことを言っている自分にちょっと驚いていた。
「えっと・・・」
困ったような佳原さんの声だった。ちょっと可哀想かな、って思った。
「あの、匠さんって呼んでいいですか?」
あたしは提案した。「佳原さん」じゃよそよそしいから。
「いいけど・・・でも「さん」付けで呼ばれるのは、なんか、僕的にはそれも距離感を感じるんだけど」
そっか。年上の人に対する当然の礼儀かなって思ったんだけど・・・だったら。
「じゃあ、匠くん、でいいですか?」
匠くん。そう呼ぶと何だかくすぐったい感じがした。
「うん。ちょっと照れくさいけど。そのうち、慣れるでしょ」
匠くんも同じように感じたのかな。気持ちが通じ合ってるみたい。ちょっと嬉しい。
そうだ。あたしのことも名前で呼んでもらわなきゃ。
「それから、あたしのことも萌奈美って呼んでください」
「うーん」
匠くんはちょっと難があるように唸った。どうして?
「呼び捨てってどうも慣れなくてさ」
匠くんはその理由を説明してくれた。そして「萌奈美ちゃん、でもいい?」って修正案を出した。
・・・「ちゃん」かぁ。ちょっと子供っぽい感じがしないでもないけど・・・まぁ、よしとしようかな。
「それから」
あたしが返答しようとしたら、匠くんが言葉を続けた。
「萌奈美ちゃんも敬語はやめ。他人行儀な感じがする、でしょ?」
あ!
「・・・そっか。・・・そーだよね」
あたしは相槌を打った。
「じゃあ、これからはタメで話すね」
「OK」
匠くんは即答した。
まだ二人とも呼び方も、タメ口で話すのも慣れなくて、お互いくすぐったい感じがしたけど、でも二人の距離はぐっと近くなったように思えた。
えへへ。自然と顔がニヤけてしまう。電話でよかった。匠くんにニヤついてるとこ見られなくて。
「それでさ、土曜日に行きたいトコ、考えた?」
匠くんは改めて本題を口にした。
あ!そうだった。
「えーっと。まだ決めてない・・・」
さて、どうしようか?
「そう。まだ僕も思いつかないんだけど・・・最初はまあ、映画でも観に行かない?定番ってところで」
匠くんの提案に、勿論異存なんかなかった。
「はい。いいですね」
答えながら『東京デートスポット100』と一緒に買ってきた、『東京ウォーカー』の映画の頁を急いで開いた。
「何観ます・・・じゃなくて、何観る?」
現在公開中の映画に素早く目を通しながら訊ねて、つい敬語になってしまったので慌てて言い直した。
「いや、何もいちいち言い直さなくてもいいけど」
匠くんにくすくす笑われた。それもそうだ。恥ずかしくて一人で顔を赤くした。
でも、こういうやり取りとか、ふんわりした雰囲気があたし達二人を包んでて、あ、いいな、って思った。少しずつ・・・ひとつずつ、あたし達ちゃんとステップを登ってる。そんな気がした。
それからあたし達は、あたしが雑誌を見てこんな映画やってるよって教えながら、何を観るかを決めるのに長い時間喋っていた。耳元で匠くんの囁きを聞きながら過ぎていく夜の時間はとても親密に感じられて、優しくて、心地よかった。いつまででも、ずっとこうしていたかった。
電話を終えてからも、匠くんの声がまだ耳元に残っていた。
昨日までとは違う喋り方、違う呼び方。昨日までとは違う関係。
思い出す度、息が止まりそうなほど胸がぎゅっと締め付けられて、でもとても幸せな気持ちで一杯になって温もりに包まれる。
君が好きだ。
佳原さん、ううん、匠くんは言ってくれた。
匠くんと出会ってから、匠くんを好きになってからずっと焦がれていた言葉。
思わず携帯のボタンを押して、匠くんに確かめたくなってしまう程に、匠くんが言ってくれるのをもう一度聞きたくなってしまう位に、まだ何処か信じられなくて、夢みたいに思えていた。

あたしは立てかけてある絵の中の少女に語りかけた。
ありがとう。出会わせてくれて。あなたが巡り合わせてくれたんだね。大切な人と、あたしを。
ねえ、あたしの想いは叶ったよ。大切な人に想いを伝えて、その人は応えてくれたの。今、とても幸せだよ。幸せな気持ちで一杯だよ。
でも、これからその人と、もっともっと幸せな気持ちを育んでいくから。二人で一緒にもっともっと大切な想いを刻んでいくから。
不意に、ミスチルの歌の一節が浮かんだ。
“この素晴らしい 慌ただしい 人生を二人三脚で越えていけるかなぁ”
なんて曲だったっけ?すぐに曲名が出てこなくて。
でも、そんな風に匠くんと一緒に過ごしていけたらいいな。少しのんびりと、歩調は二人息ぴったりとはいかないかも知れないし、少しばたついたりするかも知 れないけど。でも、足がもつれそうになったら立ち止まって、ちゃんとお互いの顔を見て、二人で目と目で合図して、そして息を合わせてまた一歩を踏み出せば いいんだ。そんな風に匠くんと歩いていきたいな。そう思った。
だから、お願い。傍で見守っていて。あたしと匠くんのことを。ずっと。
あたしにそっくりな少女は、絵の中で全てを見通すかのように淡く優しく微笑んでいた。
 


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