【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ The Picture 第13話 ≫


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震えそうになる唇を開いた。
「今日は、佳原さんに会いに来るって、決めてたんです」
一言一言勇気を振り絞って伝えた。そうしなければ声は、あっという間にはかなく消え去ってしまいそうだった。
佳原さんは黙ってる。何だか張り詰めた気配を感じて、迂闊(うかつ)に動かないように警戒しているみたいだった。
待ち切れなくて言葉を続ける。心臓が破裂しそうなくらい大きく脈打っている。ドクンドクンって心臓が血液を送り出す音が、耳の奥で異様に大きく聞こえていた。
「あたし、佳原さんに伝えることがあります・・・」
佳原さんが聞いてくれているか確かめるように間を置いた。
「好き、です」
思っていた以上にしっかりした声で、あたしの言葉は部屋に響いた。
佳原さんは大きく目を見開いた。
あたしはもう一度繰り返した。
「あたし、佳原さんのことが好きです」
呆然としていた佳原さんの顔に次第に困惑が広がっていく。何かを悔やむかのような色が瞳に滲んでいた。
それに気づいて胸の鼓動が一層速くなる。
あたしと佳原さんの気持ちは同じだって予感があたしにはあった。ついさっきまで。
だけど・・・今のあたしは僅かな自信も吹き飛んでしまっていた。不安があたしの心を埋め尽くした。
佳原さん、前にもう少し時間が欲しいって言ってたよね?
あたし、待っていられなくて、佳原さんとの約束破っちゃって、それは本当にごめんなさい。だけど、でも、佳原さん、あたしの気持ちを迷惑がってなかったよね?あたし、自分の想いを諦めないでよかったんだよね?そうじゃなかったの?
「・・・ごめん」
その言葉はとても遠く聞こえた。
目の前が真っ暗になった。例えなんかじゃなく、本当にすうっと視界が暗闇に包まれて、まるでこの世界からあらゆる光が喪われてしまったように、何にも見えなくなった。
それは果てのない絶望だった。
佳原さんのいない世界なんて思い描けなかった。あたし、これからどうすればいいんだろう?どんな未来も、どんな幸せも、どんな嬉しいことも楽しいことも、何一つあたしには残っていない。そう感じた。
その時あたしはどんな顔をしていたんだろう?自分では想像もつかなかったけど、あたしの顔からはあらゆる感情も消え去っていたんじゃないかって思う。
次の瞬間、凍りついたような沈黙を佳原さんが破った。
「って、ごめん!その“ごめん”じゃなくて!」
佳原さんの慌てたような声があたしの耳に届いた。
あたしは空っぽになった心の中で問い返した。
何?佳原さん、何言ってるの?その“ごめん”じゃないって、それってどういう意味?
「あ、阿佐宮さん、あの、聞いてる?違うんだ。そういう意味じゃなくて・・・」
「違うって、何が違うの?」
あたしの口から感情の籠らない声が漏れた。
「えっと、だから、その、ごめんっていうのは阿佐宮さんの気持ちに応えられないってことじゃなくて・・・」
どぎまぎした感じで佳原さんは言った。
あたしにはその様子は無理をしているようにしか見えなかった。あたしを傷つけないように?でも、言いにくそうに無理して言葉を探す佳原さんを見て、あたしの中には哀しみが広がった。
「慰めなんかいいです・・・」
溢れそうになる感情を押し殺して言った。
「いや、だから、違うんだ。そうじゃなくって・・・」
「無理して言い訳しなくたっていいっ!」
更に言い募ろうとする佳原さんを拒絶するようにあたしは叫んだ。必死に抑えようとしていたあたしの中の膨れ上がった感情が爆発していた。
「違うって!だからっ!」
あたしの声に負けないように佳原さんも叫んでいた。
「・・・好きなんだっ!」
そんな風に声を荒げる佳原さんを今まで見たことなくて、一瞬怯えて口籠もった。
それから、改めて佳原さんの言った言葉を確かめていた。
え?
・・・佳原さん、今、何て言ったの?
あたしが見つめていると、佳原さんの顔が見る見る赤くなっていった。
「・・・嘘っ」
自分の聞いた言葉が信じられなくて、殆ど反射的に呟いていた。
「嘘なんかじゃない。無理して言い訳してるんでもない。僕も、阿佐宮さんのことが好きだ」
聞き間違いなんかじゃない。佳原さんの言葉にあたしは茫然としていた。大きく見開いたままの目から涙が零れ落ちて頬を伝わるのが分かった。
「君が好きだ」
繰り返し佳原さんは言った。そのたびにあたしの胸は熱く打ち震えた。哀しみではなく、どうしようもないほどの喜びであたしの心は満ち溢れ、その溢れる熱い感情は涙になって瞳からぽろぽろと零れ落ちた。
「でも、佳原さん、ごめんって言った・・・」
あたしの気持ちはもう抑え切れない喜びに満たされていたけど、でもまだ自分で聞いたことが信じられなくって、自分の気持ちに予防線を張るようにそんな疑問を口にした。
「だから、その“ごめん”はそういう意味じゃなくって・・・」
佳原さんは弱ったように頭を掻いた。さっきから佳原さんはそう言い続けている。
じゃあ、どういう意味なの?胸の中で問いかけた。
「僕が“ごめん”って言ったのは、本当は僕がちゃんと気持ちを伝えなくちゃいけなかったのに、何時までもぐずぐずしてハッキリしないままでいたから、阿佐 宮さんに先に言わせることになってしまって、それを謝らなくちゃいけないと思って、そのことを“ごめん”って言ったんだ」
佳原さんは気まずそうに俯いたまま打ち明けてくれた。
佳原さんの話を聞いて、あたしはぽかんと口を開け放って目を丸くしていた。
何それえ?
拍子抜けしたような気持ちだった。
「以前(まえ)に僕は阿佐宮さんに、もう少し時間が欲しいって言ったよね?だから、僕が阿佐宮さんを待たせているんだから、僕からちゃんと伝えなくちゃいけなかったんだ」
佳原さんは悔やんでいるみたいだった。そしてまた謝った。
「・・・不甲斐なくて、ごめん」
佳原さんはそんなこと気にしてたんだ。そんな佳原さんの気持ち、全然気付けなかった。むしろ、あたしの方が待ちきれなくて暴走してしまったとばっかり思ってた。
慌てて頭(かぶり)を振った。
「そんなこと全然思ってません!あのっ、あたしの方こそ、佳原さんに待ってて欲しいって言われてたのに、約束破っちゃったんです」
あたしがそう言ったら、今度は佳原さんが首を横に振った。
「それは違うよ・・・本当は、時間が欲しいなんて只の言い訳だったんだ。本当は自信がなかっただけで・・・」
自信?・・・自信って、何の?
じっと佳原さんを見つめ続けた。佳原さんが気持ちを伝えてくれるのを待っていた。
「・・・もう自分の気持ちなんてとっくに分かってた癖に、今更誤魔化すなんてことできっこないほどはっきりと気付いてた癖に、ただ恐がってただけなんだ。はっきりさせることで、失ってしまうかも知れないって思って」
分かったような気がした。佳原さんが言おうとしてること。その気持ちは多分あたしが抱いてたのと同じだって思った。
「どうしても不安だったんだ。君は高校生で、僕とは十歳近くも歳が離れてて・・・」
心の中で頷いてた。
あたしもです。あたしも同じ不安をずっと持ち続けてました。
もう何十回、ううん何百回?って自分の胸に問い返して来て、あたしの中ではそんなのもうとっくに問題じゃなくなってて、でも佳原さんがどう思ってくれてるのか分からなくて、ずっと不安だったんだよ。
なんだ、って思った。そんなことで・・・って言っても、あたしにはこれ以上ないほどの重大問題だったんだけど、ずっと悩んで不安に感じてたのが馬鹿馬鹿し く思えて来ちゃいそうだった。本当に“なんだあ”だよ。ずっと佳原さんもあたしと同じ不安を抱いてたなんて。ずっと、佳原さんの気持ちが知りたくって、で も分かんなくて不安でどうしようもなくって。
「もう、ずっと前から君のことが好きだった」
あたしのことを真っ直ぐに見つめたまま佳原さんは言った。どきん!あんまり胸が大きく高鳴って、心臓が止まっちゃうんじゃないかって一瞬不安になった。
「・・・多分、初めて会った時から・・・阿佐宮さんのこと・・・好きになってた・・・でも、その気持ちは叶わないと思ってたから、誤魔化そうとしてた・・・」
佳原さんは自分の気持ちを確かめるかのように、一言一言ゆっくりと言葉を続けた。
緊張しているのか佳原さんの声は掠れていた。
「だけど、無理だった。・・・会う度に、魅せられて、どんどん惹かれていって、どんどん好きになって、どうしようもなくなってた・・・君の、声も、笑顔も、仕草も、全部・・・君のことが、好きだ」
佳原さんの姿が滲んだ。もうっ!自分が腹立たしかった。佳原さんのこと、はっきり見ていたいのに。こんなにたまらないくらいあたしを幸せな気持ちでいっぱいにしてくれている、照れくさそうに顔を赤くして話し続けてる佳原さんのこと、ちゃんと見ていたいのに。
「あたしも。初めて会った時から、もうずっとずっと佳原さんのこと好きです。大好きです。佳原さんに恋、してます」
「恋」っていう言葉は口に出して言うと何だかとても気恥ずかしかった。でも、この気恥ずかしさとか、切なさとか、色んな気持ちがいっしょくたになった想いこそが「恋」なんだって思った。
涙がぽろぽろ頬を伝った。
佳原さんはあたしが泣いているのを見て動揺していた。
でもあたしは気付いて欲しかった。泣いてるけど、でもこんなに笑顔なんだよ。
「あ、だ、大丈夫?阿佐宮さん・・・?」
「・・・はい、だいじょうぶ、です」
ぐすぐすと鼻をすするのがとても恥ずかしかったけど、最高の幸せで胸をいっぱいにしながら、精一杯の笑顔で答えた。
佳原さんの赤かった顔が何だか一層赤くなったように見えた。
ついさっきまであたしと佳原さんを隔ててた、最後に残っていたほんの僅かな距離が消え去ってるのが分かった。
あたしは今、佳原さんのすぐ目の前に立っていた。

あたしと佳原さんは気持ちが落ち着いてくると、気恥ずかしさと照れくささでお互い視線を上げられなくなっていた。
すごく気になってるのになかなか相手の顔を見ることが出来なかった。
当たり障りのない話をするのも何かわざとらしいし、この場にふさわしい話題が見つからなくて沈黙が続いた。でも、その沈黙は気持ちを焦らせるようなもの じゃなかった。気まずい沈黙を埋めるために慌てて何か話題を探す必要なんてなくて、この沈黙を心地よく感じられる気持ちになってた。ただ二人で一緒にいる こと、それだけで心が満ち足りてる、そんな感じだった。
それでも少しして、段々佳原さんがどうしているか気になり出して、落としていた視線をそおっと上げてみたら、あたしを見ていた佳原さんの視線とぶつかっ た。お互い照れてどぎまぎしてしまったけど、でもすぐ二人して笑顔になった。佳原さんの少し照れたような少年みたいな笑顔を見て、大好き、って気持ちがあ たしの胸いっぱいに溢れた。

お互いに落ち着きを取り戻して穏やかな空気が流れていた。
思い出したように佳原さんが口を開いた。
「よかったら、食べない?」
あたしも手をつけないままほったらかしになってたフルーツタルトの事を思い出し、勿体無いっていう気持ちになった。
「はい」って頷いたら、佳原さんも嬉しそうに頷き返してくれた。
タルトはとっても美味しかった。そのほんとにほっぺたが落ちそうなくらい上質な美味しさに、満面の笑みになってしまう。とても幸せな気持ちになる。
「とっても美味しいです」
「よかった」
佳原さんもあたしの言葉にほっとしたように笑った。
タルトを食べ終わると、あたし達は心地よい幸せに浸りながら、本のことや音楽のことや映画やドラマのこと、色んなことをとりとめなく喋り、それから佳原さんの仕事部屋に行って本棚の本を見ながら喋ったり、CDを聞いたりして過ごした。
ずっとくすぐったいような甘い気持ちだった。とても満ち足りて幸せだった。
これから、二人でどんなことをしよう?二人でどんな所へ行こう?二人でどんな時間を過ごそう?
ずっとずっと、色んなこと、色んな所、色んな時間、一緒に見て、聞いて、感じて、過ごして、いっぱいいっぱい、ドキドキして、わくわくして、ウキウキし て、たまに切なかったり、ムッとしたり、カチンと来たり、カッとなったり、もういい、もうやだ、もう知らない、ってなったりするかも知れないけど、でもす ぐにまた仲直りして、もっともっと気持ちが募って胸一杯になって、もっともっと好きになって、もっともっと恋しくなって、もっともっと愛しくなっ て、・・・二人で一緒に沢山気持ちを育んで、一緒にいっぱい幸せになって、一緒にずっと歩いていきたい。
佳原さんとなら、それは叶うっていうはっきりとした思いがあたしの中にあった。これからずっと佳原さんと一緒にいる、そのことを不思議なくらいに当たり前に訪れる未来として、あたしは思い描くことが出来た。
自分でもずっと不思議だった。
どうしてか分からないけど、佳原さんとの未来は、予想とか願望とか希望とかそんなレベルを軽々と超えて、自然に訪れるものとしてあたしの中にある。今あた しがいるこの場所の先に一続きに繋がっている未来として、確定されているものとしてあたしの中にすとんと落ち着く。それは決して揺らぐことのない思いだっ た。

日が暮れかかる頃、まだ佳原さんと別れ難い気持ちを引きずりながら、佳原さんの部屋を後にしようとしていた。玄関で靴を履き終えお別れを言おうとして向き直ると、佳原さんが靴をつっかけ、あたしの方へ接近して来た。
えっ?
思いがけない急接近に胸が高鳴った。これってひょっとして・・・?
緊張と不安と、それから期待で身体を強張らせた。・・・でも。
「駅まで送るよ」
強張った顔を見せるあたしに向かって、佳原さんが言った。
ガクッ。
ずっこけそうになったあたしは、引き攣った笑顔をかろうじて作った。
「あ、ありがとうございます・・・」
内心、なんだぁ・・・ってがっかりしてる自分を叱りつけながら、平静を装って玄関を出てエレベーターホールへと向かった。
「明日は・・・」
エレベーターの中で佳原さんが口を開いた。唐突だったのでちょっとびっくりして見返すあたしに、「部活に出ること」って佳原さんは告げた。
えーっ!?
心の中で盛大に抗議の声を上げたけど、もちろん口に出せるはずもなくて。それでも黙ったまま不満そうな視線を送るあたしに、佳原さんは話を続けた。
「その代わり、今度の土曜日何処か出かけようか」
えっ!?
心の中でもう一度驚きの声を上げる。土曜日、って・・・それって?・・・頭の中に「デート」の三文字が浮かんだ。
「何処か、って?」
あたしは聞き返した。その声が抑えようもなく弾んでいる。
「ええと、行きたいトコとか、ある?」
聞き返されて佳原さんは少し困った表情を浮かべた。
「・・・え、行きたいトコ、ですか?」
そう問われてもあたしも突然のことで、すぐには思い浮かばなかった。鸚鵡返しに聞き直してしまった。
佳原さんも言ったのはいいけど何もプランは考えてなかったみたいで、照れ笑いを浮かべながら提案された。
「じゃあ、それぞれ行きたい所を考えておこう」
とりあえず頷き返したあたしに、佳原さんは「夜、電話するから」って約束してくれた。

土曜日のデートの約束と今夜もまた佳原さんと電話で話せるってことで、部活に出るよう言われて大いに不満を感じてたあたしは、そんな気持ちは180度回れ右して今ではすっごくご機嫌だった。現金だなぁ、って自分の事ながら呆れつつ。
駅まで続くペデストリアンデッキを、佳原さんと肩を並べてぽつりぽつりと言葉を交わしつつ歩いた。土曜日一緒に何処に行こうかってぼんやり思いを巡らせながら。
季節は初夏に差し掛かり始めていて、日中はもう長袖だと暑くて仕方ないほどに感じられるようになってきたけど、日が暮れかかる頃合になってひんやりした風が通り抜け、佳原さんの隣を歩きながら緊張して火照っている頬を心地良く冷やしてくれた。
向こうから早足に歩いて来た背広姿の男の人を避(よ)けて、佳原さんの方へ一歩ずれると、右手が佳原さんの左手とぶつかった。
「すみません」
慌てて謝って、さっと手を退けた。
「いや」佳原さんはそう言って笑い返した。
ほんの軽くぶつかっただけだったけど、心臓がバクバク鳴っていた。動揺してるのを気付かれないように必死に気持ちを落ち着かせながら、横目で佳原さんの様子を伺った。
佳原さんは何事もなく平然と歩いている。
あたし達って、周りの人達から見て恋人同士とかに見えてるのかな?そんなことを思った。
手、繋ぎたいな。
並んで歩くカップルが当たり前にするその行為を、突然猛烈にしたくなった。
あたしの右側で力なく揺れている佳原さんの左手を、しばらくじっと見つめていた。じき、駅に到着してしまう。あたしの中で羞恥心と焦りが葛藤し、鬩(せ め)ぎあっていた。そして意を決したあたしは頼りない勇気を掻き集め、ぶらぶら揺れている佳原さんの左手に右手を伸ばし、恐る恐るその手を握った。
その途端、びっくりして佳原さんは足を止めてあたしに向き直った。あたしも恥ずかしくて顔を真っ赤にしながら、でも真っ直ぐ佳原さんを見つめ返した。
佳原さんはあたしの緊張している表情に気付いて、笑顔を見せてくれた。でも、何も言わないまますぐ前に向き直ってしまった。何も言ってくれないことに不安になりかけてたその時、繋いでいる手が優しくそれでいてしっかりと握り返された。
驚いて佳原さんを見上げたけど、佳原さんは前を向いたままだった。
横顔を見つめながら、あたしの中でじわじわと嬉しさがこみ上げて来た。あたしも佳原さんと繋いだ手をぎゅっと握り返した。視線を交わさないまま、だけどお互いに繋いだ手から同じ幸せを感じ取っていた。
足を止めていたあたし達はまた歩き出した。
満ち足りた気持ちが胸一杯に広がった。
 


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