【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ The Picture 第11話 ≫


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六時限目が終了し帰りのホームルームが終わるや否や、教室を飛び出すように後にした。
逸(はや)る気持ちで市高通りを駅へと辿り、もどかしい気持ちで信号が青になるのを待った。
信号が変わるのをじれったく思いながら待っている間、お昼休みの終わりに春音に話した時のことが頭に浮かんだ。
目を丸くしてあたしを見ていた春音の姿が思い出される。
怒るというよりは呆れられた。もう何から何まで普段のあたしからは想像できない、想定外の行動らしい。春音にとっても。
佳原さんとの接点が少ない、というよりは皆無である以上、こっちから行動を起こしていかなきゃ佳原さんとの距離を縮める機会(チャンス)はゼロに近かった。
『夜は短し歩けよ乙女』の先輩のように、とにかく彼女が行く先々で姿を現し、「たまたま通りかかったものだから」って偶然を装って頻繁に顔を合わせ、まる で二人は運命の赤い糸で結ばれているかのように錯覚させる程に、彼女に自分のことを印象付けていく外堀埋め作戦は、同じ大学の学生っていうような行動範囲 や生活パターンが近い者同士なら有効な計画だった。けれど高校生のあたしと、ほとんど在宅でお仕事をしている佳原さんとでは望むべくもない。色々思い悩ん だ挙句、あたしは形振(なりふ)り構わないことに決めた。運命の赤い糸なんて関係ない。そんなあるかどうかも分からない存在を匂わせるような、まわりくど い事をしてたって埒は開かないような気がした。だったら直球勝負でぶつかってみようって思った。
つまり、理由なんて一切構わずに佳原さんの部屋を訪ねることにしたのだった。いきなり部屋を訪れるなんて、佳原さんがいるかどうかも分からないし、そもそ も非常識な人間って思われて、佳原さんの心証を悪くすることだって充分考えられた。でも、それでもじっとしていられなかった。もう手順を踏んで距離を縮め ていくようなゆとりは、あたしの中には無かった。気持ちが暴走し始めてるのに自分でも気が付いてた。
北浦和から京浜東北線に乗り、南浦和で武蔵野線に乗り継ぎ、武蔵浦和で降りた。改札を抜けて駅から続くペデストリアンデッキを急ぎ足で辿って、二棟建ての マンションへと向かった。エントランスに立って震えそうになる指で佳原さんの部屋番号を押してから、呼び出しボタンを押した。ドキドキしながら返事を待っ た。声はなかなか聞こえて来なかった。佳原さんはいないのかもって思い始め、盛り上がってた気持ちが急速に萎(しぼ)んでいった。
もう一度呼び出しを押してみようか迷っていたら、「はい?」と声が返って来た。機械を通して少し違って聞こえるけど佳原さんの声に間違い無かった。すっか りいないものと思って意気消沈していたあたしの気持ちは、突然聞こえた佳原さんの声に慌てふためいてしまった。頭が真っ白になって言葉が出てこなかった。
よく考えたら呼び出しの機械にはカメラも付いていたので、なかなか返事をしないあたしの姿が佳原さんに見えているはずだった。後でそのことに思い当たって、恥ずかしくて思いっきり赤くなってしまった。
「あ、あの、こっ、こんにちはっ。阿佐宮ですっ」
声が裏返ってしまって、思いっきり挙動不審だった。
「阿佐宮、さん?・・・どうしたの?」
聞こえた佳原さんの声は明らかに戸惑っているようだった。
「え、えっと、あの、ちょっと、何ていうか、お会いしたくて」言ってから、自分の発言があまりにストレートな内容だってことに気が付いて急に恥ずかしくなり、慌てて付け加えた。
「そ、それと、お借りしてた本を返しに・・・」
最近出来たばかりのマンションだから訪問者の姿を写してるカメラもきっとカラーなんだろうな、ものすごく赤くなってるあたしの顔も佳原さんには見えちゃってるのかな、とかそんなことを思って更に赤面しそうだった。
「まあ、どうぞ」
まだ腑に落ちなさそうではあったけど、佳原さんの声が告げた。ウイーンって音と共にあたしの前で頑なに往く手を遮っていたガラス張りのドアは魔法のように左右に開いた。
魔法が解けて再び扉が閉じてしまわない内に、あたしは慌てて中へと滑り込んだ。

エレベーターで15階に上がり、佳原さんの部屋の玄関のインターフォンのボタンを押した。返事がないまま待っていたら、間もなくドアの鍵をはずす音が聞こえて玄関のドアが開いた。
顔を覗かせた佳原さんに、あたしは大きくお辞儀をして勢いよく挨拶した。
「こ、こんにちはっ。二日も続けてお邪魔してすみません!」
佳原さんはいきなりでちょっと面食らった表情をしたけど、すぐに口元に苦笑を浮かべた。
それを確認して少しほっとしながら、早口で言葉を続けた。
「あ、あのっ、お仕事お忙しいのに、突然来てご迷惑だったら、帰ります」
ホントに門前払いされたらどうしようって思いながら。
「ん、いや、仕事はそんな急いでる訳じゃないから、大丈夫だけど・・・」
そう言いながら、でも佳原さんは歯切れが悪そうな口調だった。
少しがっかりしながら、やっぱり帰った方がいい、ってあたしは思った。大体、約束もせずにいきなりやって来るなんて、非常識だっていうのは自分でも充分分かってるのに。頭ではそう分かってるのに、でも高まる気持ちがあたしをここまで来させていた。
「あ、す、すみません、やっぱり、ちょっと厚かましいですよね、ごめんなさい・・・あの、やっぱり、帰ります、ね・・・」
そう言って、佳原さんの部屋の玄関を後にしようとした。
「あ、ちょっと、待って」
佳原さんの声があたしを呼び止めた。
「あの、さ、別に仕事は忙しくないし、まあ、別に迷惑じゃないよ」
佳原さんの言葉にあたしは振り向いた。おずおずと佳原さんの表情を伺ったら少しばつの悪そうな佳原さんの表情が見えた。
「よければ、どうぞ、上がって」
ちょっと照れたように佳原さんは言った。
そしてドアを更に開けてあたしを招き入れてくれた。
落ち込んで沈んだ表情だったあたしは、見る間に喜色満面の笑顔を浮かべていた。
「あ、ありがとうございます!」

昨日もお邪魔したリビングに通され、ソファに腰掛けるよう勧められた。
沈み込み過ぎない適度な硬さのソファにあたしは腰を下ろした。柔らか過ぎるソファは身体が沈み込んでしまうのが余り好きじゃなかったから、佳原さんの家のソファは昨日座った時から気に入っていた。
佳原さんはメタリックの大きな冷蔵庫からガラスポットに入った飲み物を取り出し、グラスに注いであたしの前のテーブルに置いてくれた。透明のグラスの中は赤茶色の澄んだお茶のようだった。
「ありがとうございます」
お礼を言ってグラスに手を伸ばした。緊張して喉がカラカラだった。
一口飲むと微かな甘みと、スッキリとした清涼感が口に広がった。
「美味しい」
驚いてグラスの中の液体を眺めた。
あたしのそんな動作を見て佳原さんは笑いながら教えてくれた。
「ハーブティー」
スッキリとした後味はハーブのものだった。
「お洒落ですね」
「麻耶が作ってるんだ」
佳原さんは肩を竦めた。
麻耶さんてこういうトコもセンスいいんだなー。と、そういえば今日は麻耶さんはいないのかな。
「あの、麻耶さんはいらっしゃらないんですか?」
「うん、今日は早くから写真の撮影があるって出掛けてった」
佳原さんの話では、今日は麻耶さんは昨日あたしも会った栞さんと一緒に、早朝から雑誌の写真撮影のお仕事があったのだそうだ。栞さんは実家暮らしで、ロケ現場が実家から遠いので昨日は佳原さん家に泊まりに来ていたということだった。
すると今、部屋には佳原さんとあたしの二人だけ・・・そう思うと急に緊張して来てしまった。ひえー、どうしよう。
佳原さんも黙ってハーブティーを飲んでいた。えーっ、どうしよう、話題、話題・・・慌てて頭の中で話題を探した。
「あ、あのっ、この本ありがとうございました」
そう言ってあたしは鞄の中から佳原さんに借りていた文庫本を取り出して佳原さんに差し出した。
「あれ、もう読んだの。確かにそんな分厚い本でもないけど、そんなに急いで読まなくてもいいのに」
そう言ってテーブルの上の本を手に取った。
「あ、でも、一度読み始めたら面白くて、つい一気に読んじゃいました」
あたしは打ち明けた。
あたしの言葉に佳原さんは嬉しそうな顔をした。
「それは良かった」
その佳原さんの様子に、あたしはもっと話したくなった。
「すごく素敵でした。読み終わってなんかしばらく、ほわあってなってました。なんだろう、胸がじんと暖かくなったっていうか、ぎゅっ、て抱きしめたくなったっていうか・・・」
読み終えた時のあの感覚を佳原さんに伝えたかった。大切な本と出会えた時の、あの感じ。昨日の深夜も、すごく眠かったけどものすごく満ち足りた気持ちになれた。
「薫くんが考えてることとか、目指したいと思ってる姿・・・目指そうとしてる姿勢?未来への決意?そういうのがすごく、自分の気持ちとか願いとかと重なるっていうか、そういうの感じて、とても嬉しくなりました。それから勇気づけられました」
夢中で話してた。
「とても、大切な本と出会えました」
心から感謝したかった。それが伝えられたらいいな、って思いながら微笑んだ。
佳原さんが少し照れたように見えるのは気のせいかな・・・佳原さんは何も言わず、グラスに残ったハーブティーを飲み干した。
「・・・じゃあ、四部作なんだけど、あとの三冊も持ってく?」
少ししてそう言った佳原さんはちょっとぶっきらぼうな感じがした。まるで照れ隠しみたいな。
「はい、是非!お願いします」
即座に頷いた。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』のカバーの折り返しに、庄司薫さんの他の著書名が書かれてて、あたしは自分からお願いしてでも借りたいと思っていた。
答えてから、あ、と気が付いて付け加えた。
「でも、今度お小遣いが入ったら、自分でも買おうと思ってるんですけど、それでも貸していただいていいですか?」
「それは構わないけど、でも、一度読んだのにわざわざ買うの?」
佳原さんは少し不思議そうな顔をした。
「はい。だって、大切な本って自分でしっかり持っておきたいって思いませんか?読み返したりもするし」
掛け替えのない一冊と出会うと、それが手に入るものならば自分でも大切に持っておきたいって思う。絶版とか、古かったりするとなかなか本屋さんになくて、手に入らなかったりもするけど。
佳原さんはあたしの返答を聞いて、少し驚いたみたいに一瞬目を見開いた。そして目を伏せた。
「うん、そうだね」
独り言のように呟いた佳原さんの口元が笑っているように見えた。

またお願いして仕事用の部屋を見せてもらった。佳原さんはちょっと躊躇(ためら)いがちの様子ではあったけど、それでも結局部屋を見せてくれた。
時間はたっぷりあったので、今日はゆっくりと部屋の中を見せて貰うことができた。
パソコンに保存されているCGを見せてもらったり(色使いがすごく綺麗だった。)、本棚に並ぶ本の一冊一冊のタイトルを確認しながら、気になる書名を見つ けると手に取ってパラパラと中を眺めたりした。それから佳原さんのイラストが載っている雑誌も見せてもらった。本屋さんで売っている雑誌に描いた絵が載っ ているなんて、改めてすごいって思った。
CDやDVDも並んでいて、CDはミスチルのが多かった。あとchara、LOVE PSYCHEDELICO、YUI、木村カエラ、MyLittleLover、B'z、DuftPunk・・・とか。DVDもミスチルのライブDVDが何 枚かあった。ミスチルのファンなのかな。あたしもミスチルは好きだった。って言っても、TVの音楽番組に出演しているのを見たり、たまたまかかってるのを 聴いたりする位なんだけど。
「ミスチル、好きなんですか?」
佳原さんの方を振り返って聞いてみた。
「・・・うん」
少し照れくさそうに佳原さんは頷いた。そして「すごく」って付け加えた。
佳原さんの様子にあたしもミスチルをもっと知りたいって思った。佳原さんが好きなものを何でも、全部知りたかった。
DVDは他に邦画、洋画、海外ドラマなんかが並んでいた。『CSI』『CSI:NY』『CSI:マイアミ』・・・どうやら『CSI』が好きみたい。・・・でも『CSI』って・・・どんなの?
それから、スケッチブックを見つけて中を見せてもらったり・・・始めは、佳原さんはすごーく嫌がったんだけど、何度もお願いしまくってあたしの粘り勝ち で、遂には渋々ながらも見せてくれた。中には何枚ものあの少女のスケッチが収められていた。色んな仕草、色んな角度、色んな表情の。それを見てすごく緊張 した。まるであたしがモデルをしていたかのような錯覚を覚えて。こんなに沢山のあたしを佳原さんが描いてくれたかのように思えて。とてもどきどきした。そ れに、とても嬉しかった。多分スケッチブックを見ながら、ニヤけた顔をしてたんじゃないかって思う。佳原さんの様子を伺ったら少し決まり悪そうな感じだっ た。

お願いしてミスチルのCDをかけてもらって聴いた。歌詞カードを見ながら歌を聴いたらみるみる引き込まれた。言葉の選び方とかがすごくて、ぎゅってあたし の胸を締め付けた。自分がなんとなく思ってたり感じてたりする、でもそれに適切な言葉を見つけられないでいる感情だったり、心の襞(ひだ)だったり、そう いうものをとても巧みに掬い取って表現していて。もちろん桜井さんの声も時に切なく時に温かく心を揺さぶって、あたしの心は言い表せない思いで締め付けら れた。
いつの間にか涙を浮かべてるあたしに気付いて、佳原さんは優しく笑った。そして「DVDもすごくいいよ」って勧めてくれた。
あたしは、今日もまたミスチルのCDとライブDVDを何枚か、それから森見登美彦さんの文庫本を二冊、庄司薫さんの四部作のうちの残り三冊を借りて行くことにした。

陽はそろそろ傾いて、夕焼けに染まった空の上の方は漆黒の夜が訪れ始めていた。
もう帰らなきゃ、って感じていた。でも、何となく帰りを言い出すのを躊躇っていた。本当はもっと一緒にいたかった。今日、色んなものを見せてもらって、色んな話ができた。佳原さんの好きなミュージシャンや映画やドラマを知ることができた。
でも、あたしは本当は言いたいと思ってることを、今日も言えずに終わろうとしている。伝えたいこと。伝えたい気持ち。まだ早計だって考えてる自分もいる。 まだ「たった」二回会っただけ。少しずつ佳原さんのことを知って、あたしのことを話して、まだまだこれからゆっくりとお互いの気持ちを深めていければい い。そう思いながら、でもそんなのもどかしくて待っていられないって焦る自分がいる。もう自分でも抑えられない位に溢れそうになってる想いがこの胸にあ る。
だけど・・・結局、その想いを口に出す事はできなかった。
リビングから玄関へ向かおうとして、あたしは佳原さんに向き直った。
「また・・・来ても、いいですか?」
そう聞いたあたしの眼差しは、きっと切なげだったんじゃないかって思う。
佳原さんは一瞬戸惑ったように見えた。
「うん・・・まあ」
そう言ってから、でも思案顔で佳原さんは更に続けた。
「できれば、来る前に電話してもらえるかな?・・・大抵は家にいると思うけど、外出してる時もあるし。・・・来てみて留守だったら阿佐宮さんに悪いし」
その言葉を聞いてほっとした。よかった、また来てもいいんだって安心した。
そう思った途端、あたしの口は動いていた。
「あのっ、明日も来ていいですかっ?」
目を丸くした佳原さんの顔を見て、はっとした。みるみる内に顔が火照って来る。気まずい気持ちで足元に視線を落とした。
そんなあたしを見て、佳原さんは噴き出した。
くっくっと喉の奥で笑いを噛み殺しながら、佳原さんはだけど、「いいよ」って答えてくれた。
本当?佳原さんの言葉に弾かれたように顔を上げて佳原さんを見つめ返した。満面の笑みで。
明日も佳原さんに会いに来れるっていう喜びと、一方で、伝えられない気持ちを残したまま佳原さんと別れることの躊躇いとがない交ぜになった心で佳原さんの部屋を後にした。

もう殆ど陽が沈み、夜へと移り変わりつつある時間帯の中を、微かな寂しさを感じながら駅へと歩いた。ラッシュアワーに差し掛かって、会社帰りらしいスーツ姿の人達が大勢、あたしとは逆方向に急ぎ足ですれ違って行った。
夕焼けに墨を流したような薄闇の空には、幾つかの星が明るく瞬いていた。


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