【 FR(L)AG-ILE-MENT 】 ≪ The Picture 第8話 ≫


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部屋のドアが開いて麻耶さんが顔を覗かせた。
「なんだ、こっちに居た」
何だか声に棘があるように聞こえるのは気のせい?
「阿佐宮さんが仕事してる部屋が見たいって言うから」
佳原さんがムッとした様に答えた。
あたしも慌てて補足した。
「あの、そうなんです。あたしがお願いして・・・」
麻耶さんは釈然としない感じの眼差しをあたしに向けて、ぶっきらぼうに言った。
「・・・着替え終わったから。行こうよ」
エレベーターで一階に降りて、あたし達はマンションの一階にあるイタリアン・レストランに入った。
レストランは人気があり夕食時ってこともあって混んでいたけど、まだ満席にはなっていなかったから待つこともなく席に着くことができた。
ただ、あたしは胸の中でちょっと不安に思っていた。とてもじゃないけどお小遣いくらいじゃ全然足りそうになかった。
「あの、あたしあまりお金持ってないんですけど・・・」
おずおずと申告するあたしに、麻耶さんが即答した。
「そんな心配いらないって。もちろん匠くんが奢(おご)ってくれるから」
さも当然であるかのように麻耶さんは、ね?、って佳原さんに視線を送った。
佳原さんが憮然として言い返す。
「あのな、そういう時は自分が奢るっていうもんなんじゃないのか?」
麻耶さんは心外そうな顔をする。
「えーっ、こういう時は年長者が持つもんでしょお?」
「俺より収入多いくせして何言ってんだ!」
佳原さんは畳み掛けるような麻耶さんの口撃に、流石にイラッと来た感じでちょっと乱暴な口調で答えた。自分の事を「俺」って言うのも初めて耳にした。ちょっと男らしい感じだった。
栞さんは見慣れた光景なのか、くすくす笑っている。日常茶飯事っていうか、お二人のコミュニケーション術というものなのだろうか?

麻耶さんと栞さんの二人がメニューを見ながら料理をオーダーした。二人はメニューを指差しながらこっちだ、あっちだって楽しそうに料理を決めていった。
オーダーを済ませ、少しして大皿のシーザーサラダ、フランスパンみたいな上にトマトやベーコンをトッピングしたブルスケッタっていう前菜、焼き牡蠣、牛肉 の香草焼き、お店自慢の石釜で焼いた薄い生地のパリパリしたピッツァが2枚(マルゲリータと挽肉のピッツァだった)、ペンネっていう短いパスタを使ったピ リ辛が美味しいペンネ・アラビアータ、スカンピっていう手長海老のパスタの二皿が順々に運ばれて来た。大皿に載った料理を栞さんが馴れた手つきで取り分け てくれた。
手際のいい優雅な仕草を見つめ、はあー、大人の女性だあ、って思った。あたしはあんな風に上手に取り分けたり出来ない。自分がすごく子どもに感じられた。
最後にデザートを食べた。麻耶さんと佳原さんがティラミス、栞さんがレモンとカシスの二種のソルベ、あたしがフランボワーズと白桃の二種のソルベを注文し て、女性三人でお互いに味見をし合った。佳原さんもどうぞ、って栞さんが言ったら、佳原さんは素っ気無く「いい」って言って、自分のティラミスをさっさと 食べ終えてしまった。
お料理はとても美味しかったしお腹はいっぱいになったし、とっても幸せな気持ちだった。
値段が心配だったけど、麻耶さんがしきりに心配いらないって言ってくれたので、ご好意に甘えさせてもらった。と言ってもお金を払ったのは佳原さんで、お会計の時に仏頂面をしていたのがちょっと気になったけど。

お店の雰囲気もすごく気に入ったので、家からもそんなに遠くないし、また食べに来たいって思った。帰ったらママに教えとこうっと。
お店を出てマンションのエントランスに向かって歩きながら、佳原さんにお礼を言った。
「どうもご馳走様でした。とっても美味しかったです」
精一杯の感謝を込めて深々とお辞儀をした。
「うん、どういたしまして」
言葉は素っ気無かったけど、少し照れたように佳原さんは頷いた。
すかさず麻耶さんが突っ込みを入れて来た。
「お気に召した?またいつでも来てね。匠くんがご馳走するから」
「おい、勝手な事言うな!」
慌てたように佳原さんが気色ばんで異を唱えた。
あたしと栞さんは、あはは、って声を上げて笑った。
夜風がとても心地よい夕べだった。

学校の鞄と借りた本を入れた紙袋を部屋に置かせてもらっていたので、一度みんなで佳原さんの部屋に戻った。
鞄を持ったあたしに佳原さんが促すように声をかけた。
「じゃあ、行こうか」
チャリン、って佳原さんの手の中で車のキーが小さく鳴った。
「はい」
玄関口まで行くと、麻耶さんと栞さんがお見送りしてくれた。
「じゃあ、気をつけてね」
あたしに向けて言う麻耶さんは、なんとなく少し素っ気無い感じがした。時々麻耶さんはこんな感じを見せる。フレンドリーな感じだったり、そう思うとよそよそしかったり・・・何故なんだろう?
「また一緒にご飯食べましょうね」
それから栞さんは悪戯っぽくウインクした。
「もちろん、匠さんの奢りでね」
とってもキュートな笑顔だった。
「あのね・・・」佳原さんが呆れたように溜息を付いた。
その様子にまたあたし達は声を上げて笑ってしまった。

エレベーターに乗るまで麻耶さんと栞さんは玄関前の廊下に立って見送ってくれた。笑顔で小さく手を振ってくれている二人に、お辞儀をしてエレベーターに乗った。
二人になると、また佳原さんとあたしの間を沈黙が包んだ。あたしはもう一度お礼を言った。
「本当に今夜はご馳走様でした」
「ああ、うん」
こういう時の佳原さんはちょっと所在無さげな感じだった。照れ屋さんなのかなって、ふと思った。
ちょっと悪戯っぽい気分になった。
「また、食べに来たいです」もちろん冗談だったけど。ちゃんと分かってくれるかな?
佳原さんは目を丸くしてあたしを見た。あたしがニコニコ笑ってるのを見て、その真意がちゃんと伝わったみたいだった。
「うん、そうだね・・・たまーになら、まあ・・・」
その言い方が絶妙で、ホントに「たまーに」だったら、っていうニュアンスが伝わって来て、思わずくすくす笑ってしまった。
あたしの笑う姿を見てか、佳原さんもちょっと笑顔になった。佳原さんの笑顔が見られてなんだかとってもハッピーな気持ちだった。

佳原さんは家の前まで送ってくれた。あたしの道案内で家の前まで辿り着いて車を停めた。
あたしが車から降りると、佳原さんもシートベルトをはずして車から降りた。
車の後部ハッチを開け、模造紙で包まれている絵を下ろしてくれた。あたしはそれを受け取った。
「本当に今日はありがとうございました。わざわざ家まで送っていただいて。ご飯もご馳走していただいて、おまけに本まで貸していただいて」
「荷物、大丈夫?」
佳原さんは鞄と手提げ袋と大きめの絵を抱えて、手一杯になっているあたしの姿を見て少し心配そうな顔をした。
「はい、大丈夫です。あと家に入るだけですから」
元気な声で答えた。
「そう?なら、いいけど」
そして佳原さんは少し口元を和らげた。
車に乗って運転席側の窓を開けた佳原さんは、あたしの方を向いて言った。
「それじゃ、さよなら」
それを聞いて何だか寂しい気持ちになった。
いつも学校帰りに友達と交わしているのと同じ言葉のはずなのに、今、佳原さんから告げられた「さよなら」っていう言葉は、何だかはっきりとした別れを刻むかのように感じられて、すごくもの悲しい響きを湛えてあたしの心を揺らした。
「おやすみなさい」
「さよなら」とは言いたくなくて、そう返事をした。少し寂しそうな顔をしてたかも知れない。
「帰り、気をつけてくださいね」そう続けた。
「うん、ありがとう。じゃあ」
優しい目で答えた佳原さんは、サイドブレーキに手をかけた。
「あのっ」
あたしは思わず引き止めていた。何だかこのまま見送るのが嫌だったから。
佳原さんは大きな声を上げたあたしにちょっとびっくりして、あたしの方に向き直った。
引き止めてからでも言うべき事を何も考えてなくて、慌てて言葉を探したけどなかなか何気ない言い方は思いつかなかった。
ただ、今思っていることをそのまま口にするしかなかった。
「あの・・・また、お部屋に伺ってもいいですか?」
あまりにストレートな聞き方だった。言ってからそのことを考えて、顔から火が出る位に真っ赤になった。
佳原さんもぽかんとした顔をしていた。その表情に更に恥ずかしくなってしまった。まるで頭から湯気でも出てるんじゃないかって思った。
焦りまくりの声で言い訳するようにまくし立てた。
「あのっ、お借りした本も返さなきゃいけないし、本棚にまだ読んでみたいって思った本が沢山あったので、だから、また、お邪魔できればって、思って。あの、ご迷惑じゃなければ、ですけど」
ううっ、とてつもない慌てぶりだった。余りの恥ずかしさに眩暈がしそうだった。このまま全力疾走で玄関の向こうへ消え去りたかった。けど、何とか踏みとどまった
「・・・何時でもどうぞ、そういうことなら」
え?恥ずかしさでオーバーフローぎりぎりのあたしの頭に、かろうじて佳原さんの落ち着いた言葉が届いた。
「ほ、ほんとにですかっ?」
車の窓から車内へ頭を突っ込みかねない勢いであたしは聞き返した。
「うん。でも、本当に急ぐ必要はないからね。返すのはいつでもいいから、ゆっくり読んでもらって構わないから」
あたしの勢いに押されて引き気味に佳原さんは返事をした。
また、お部屋にお邪魔していいんだ、また会いに行っていいんだ、そう分かってこの上なく嬉しくなった。天にも昇る気持ちって、こういう感じなのかも知れない。
「ありがとうございますっ」
ひっそりとした夜の住宅街に、あまりに元気な声が響き渡った。
自分の声にびっくりして身を縮ませた。佳原さんは可笑しそうに笑った。
「じゃ、おやすみなさい」
「はいっ、おやすみなさい」
我ながら呆れる位にテンション上がりまくりで、どうしても声が大きくなってしまった。
そして佳原さんは車を発進させ、そのテールランプはみる間に小さくなって行った。
佳原さんの車が走り去り、見えなくなるまで見送っていたあたしは、自分の家の前に立っているのに取り残されてしまったような寂しさをまた少し感じていた。
でも、さっきの佳原さんの言葉を思い出して、元気を出すように自分に言い聞かせた。また会いに行っていいんだから、って。
そして、静まり返ってしんとした夜の気配を振り払って、家の玄関の扉を開けた。

玄関を上がり一階のリビングに顔を出して、テレビドラマを見ていたママに「ただいま」って告げた。
「あ、お帰りなさい。何か食べる?」
「ううん、ごちそうになってお腹いっぱいだからいい」
「そう?」
そしてママはずっと気になっていたのか早速聞いてきた。
「電話で言ってたけど、夕飯ごちそうになった先輩って、文芸部の先輩?」
あたしはちょっと慌てた。佳原さんとはその出会いから話すとしたら、一言でどういう繋がりかを説明するのは難しいし、どうしても長い話になってしまう。
それに自分の中で佳原さんの事を家族に話すのは、なんとなく少し躊躇いがあった。
「え、と、部の先輩じゃないんだけど、最近知り合った先輩。佳原麻耶さんていう・・・」
少しうろたえつつ答えた。正確ではないけれど、全くの嘘でもない。
その先輩が女性だって知ってママは少し安心したのか、それ以上深くは追求してこなかった。
「ふうん」って呟いたママに「えっと、お風呂入るね」って告げ、そそくさと二階の自室へ逃げ込んだ。
自分の部屋でほっとして大きく息を吐いた。
包んだ模造紙をもどかしい気持ちでびりびり破って、現れた絵の前でぺたんと座り込む。
しばらくその絵を見つめたまま、ぼおっと放心していた。
 


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