【 FRAG-ILE-MENT 】 ≪ The Picture 第4話 ≫


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翌日は放課後の事が気掛かりで授業どころじゃなかった。授業の内容が頭に入った気がまるでしなくて、休み時間もぼんやりしている事が多かった。何度か千帆 達に「具合でも悪いの?」って聞かれてしまった。
帰りのホームルームを終えると、あたしはダッシュで美術室に向かった。先に来ていた美術部の仁科小春(にしな こはる)ちゃんが、「どうしたの?こんな早 く。まだうちの部員も来てないよ」って目を丸くした。小春ちゃんとは隣のクラスで、芸術選択科目で同じ美術を選択してて、一緒の授業を受けていることも あって美術部員の中でも特に仲が良かった。
どぎまぎしながら、一昨日あたしが見つけた絵を描いた卒業生が、今日これから来るってことを説明した。小春ちゃんはあたしの話を聞いて、それならチョコ ちゃんが来たら話をしようって言ってくれた。そしてあたしは準備室からその絵を美術教室の方に運び出しておいた。
「あ、やっぱりこっちに来てた」
声に振り返ったら廊下から春音が美術室を覗き込んでいた。
「春音。部活は?」あたしは自分のことを棚に上げて訊ねた。
「多分萌奈美部室に顔出さないで、こっちに直接来ると思ったからあたしも来たの」
美術室の中に入って来て春音は答えた。
「それでこの絵を描いた人には連絡ついたの?」
隣に立って、あたしとそっくりな女の子の絵を見下ろしながら春音が問いかけてきた。
あたしは内心たじろいでいた。春音には佳原さんに連絡したことは一言も言ってないのに。何で知ってるんだろう?
あたしが目を見開いて春音の顔を見ていたら、春音は肩を竦めて、まるで詰まらない手品の種明かしをするみたいに答えた。
「織田島先生にこの絵を描いた人の携帯番号教えてもらってから、早速電話したんでしょう?昨日の萌奈美の様子見てれば分かるよ」
春音には何処まであたしの行動パターンを読まれてしまっているんだろう・・・少々恐い気がした。
唖然としつつ、あたしはこっくりと頷いた。
「それで?」話の先を促すように春音が聞いた。
「うん・・・今日、これから学校に来てくれることになってるの」
春音はあたしの話にへえ、っていうように眉を上げて少し驚いて見せた。あたしがそこまで素早く段取りをつけたことがちょっと意外そうだった。
実際のところ、今日佳原さんが来てくれることになったのは、佳原さんの携帯に出た謎の女性の功績によるところが殆どで、あたしはその展開をただ茫然としな がら電話越しに聞いていたに過ぎなかった。
少しして次々と美術部員が集まり出し、顧問のチョコちゃんも姿を見せたので、昨日に引き続き美術室の片付けをした。小春ちゃんとあたしはチョコちゃんに今 日この後、例の絵を描いた卒業生が来る予定であることを話した。
チョコちゃんは目を丸くして、驚いたみたいだった。
「え?その人と連絡取ったの?」
「あ、はい。あの、あたしが昨日電話して。それで今日の4時頃に来てくれることになったんです」
どうやらあたしの取った行動が、実はみんなが目を丸くするほど早計なものであったことに気付いて、今更ながらあたしは気恥ずかしくなった。
チョコちゃんが腕時計を見たのに釣られて、あたしも左手の腕時計に視線を落とした。午後3時50分を示していた。

それからあたしも美術部に混じって、美術室と準備室の片付けの手伝いをした。って言っても佳原さんがもうすぐ来る(・・・はず)って思ったら、ちっとも作 業は捗(はかど)らなかった。昨日の電話でのやり取りからは、本当に来てくれるのかどうかさえも怪しく感じていたので、余計手に付かなかった。
落ち着きなくそわそわしていたら、突然放送がかかって名前を呼ばれた。
「二年の阿佐宮萌奈美さん、二年の阿佐宮萌奈美さん、至急事務室前まで来てください」
事務室からの呼び出しの放送だった。
最後まで聞き終わらない内に、美術室を飛び出して事務室に向かった。
事務室前まで一気に走った。(ホントは廊下は走っちゃいけないんだけど。)
事務室は職員・来客用の玄関を入ってすぐの所にあって、廊下と事務室を隔てる壁にはカウンターとガラスの小窓が設置されていた。学割の発行をお願いしたり 部室の鍵を借りる時など、生徒が事務室に用事がある時はそのガラスの小窓を開けて事務室の人に声をかけるようになっていた。
息を弾ませながら、ガラスの小窓を開けて事務の人に名前を告げた。
「あの、今呼び出しのあった阿佐宮です・・・」
デスク上のパソコンに向かっていた男の人は立ち上がって、カウンターの方へ歩み寄って来た。
「卒業生が会いに来てるよ」って言って事務の人は、ガラス越しに玄関脇の応接セットの方へ視線を向けた。あたしも振り返ってそちらを見た。でも応接セット には誰も座っていなかった。
「あれ?」
さっきまで座っていたって思ってた人がそこに居なくて、事務の人はきょとんとした表情を浮かべたけど、すぐに玄関の外に視線を向けて気が付いて言った。
「今、外にいるあの人」って指差した。
その指差された方へ視線を向けたら、玄関を出た正面の自転車置き場の辺りで佇んでいる人影があった。
「あ、はい。どうもありがとうございました」
事務の人にお礼を告げて、玄関を出ようとしてはたと立ち止まった。あたしはいま上履きだった。外に出るには下足に履き替えなきゃいけないんだけど、ここか ら生徒用の昇降口は離れていた。誰も見てなければ少し位上履きのまま外に出てしまったっていいって思うんだけど、まだ事務の人はカウンター越しにこっちを 見ていた。事務室の方を振り返っておずおずと聞いてみた。
「あの・・・このまま出ても構わないですか?」
事務の人はさほど気にした様子もなく頷いた。「ちょっと位構わないよ」
良かったって思い、改めて「ありがとうございました」ってお礼を言って外に出た。
職員用玄関を出て、真っ直ぐ自転車置き場の脇の辺りに立っている人の方に近づいていった。
その人は駐輪場の脇に植えられている桜の木を見上げていた。市高は塀に沿って学校敷地内に桜の木が何本も植えられていて、毎年三月末から四月上旬ともなれ ば見事な桜の花を咲かせる。あたしも春に咲き誇る桜を見ながら正門をくぐるのが大好きだった。残念ながらもうとっくに桜の時期は過ぎてしまっていて、今は 新緑の青々とした葉が生い茂っているばかりだったけれど。
近くに寄って行ってもその人は桜の木を見ていて背を向けたまま、あたしに気付く気配はなかった。
「あのう」
あたしはおずおずと声をかけた。
すぐ近くで声を掛けられてその人は大分びっくりしたみたいだった。慌てたようにあたしの方を振り向いた。
「あ、済みませんっ。驚かすつもりはなかったんですけど」
そんなにびっくりするとはまさか思ってなかったので慌てて謝った。
それからあたしは笑いかけた。
「あの、あたし、阿佐宮萌奈美です。佳原さんですよね?」
でも相手の人はあたしの顔を見るなり、言葉を失ったように黙ったままあたしを見返していた。大きく目が見開かれていた。
あたしは少し不安になった。ひょっとしたら人違いで、この人は佳原さんじゃないんじゃないか。呼びかけても黙ったままでいる相手を見てそんな懸念が浮かん だ。
自信のない声で躊躇いがちにもう一度聞き直した。
「あの、佳原匠さんですか?」
相手の人は聞き返されてやっと我に返ったようだった。
「あ、ああ。そうです。佳原です」
目の前の人が佳原さんに間違いないことが判明してほっとした。安心したら自然に笑顔になれた。
「あの、あたし、お電話差し上げた阿佐宮萌奈美です」
改めて名乗って深々とお辞儀をした。
「ああ、君が阿佐宮さん・・・」
「はい。今日はお忙しいところありがとうございます」
お礼を言って、もう一度軽く頭を下げた。
「いや、別にそんなこともないけど・・・」
佳原さんは受け答えはしてくれていたけど、何処か茫然としているようだった。その様子は心ここにあらずって感じに見えた。

◆◆◆

美術室へ案内して行く間ずっと、佳原さんは黙りがちだった。あたしも面識のない人と話すのは苦手だったので、廊下を歩きながら二人して沈黙しがちだった。 それでもわざわざ来て貰ったんだし、話題を探してはぽつりぽつりと話しかけた。学校に来たのは久しぶりなんですか、とか、学校の様子は卒業した時と変わり ましたか、とかそんな他愛のない話題を必死で見つけては、ぎこちない笑顔で話しかけた。でも佳原さんから返ってくる返事はひどく素っ気無くて、ほんの一言 二言で終わってしまって、そのまま話題は途切れてすぐにまた沈黙になってしまった。佳原さんの返事にしてもどこか上の空って感じだった。ただ、時々佳原さ んはあたしのことを見ているみたいだった。佳原さんのすぐ前を歩きながら、佳原さんの視線をあたしは感じていた。
佳原さんと一緒に廊下を歩きながら、妙に緊張を感じてずっとどきどきしっぱなしだった。もちろんあたしを見ている佳原さんの視線は気にはなっていたし、沈 黙しがちのこの状況に気まずさを感じてもいたけれど、そういった所から来る緊張とかとは違っているって自分で感じていた。あたしの心は、決して早くこの二 人きりの状況から逃げ出したいって願っている訳じゃなかった。今あたしが感じている緊張は、あの絵を初めて見た時や、卒業アルバムで佳原さんの名前と写真 を見た時に感じた胸の昂ぶりに連なるものだった。
気恥ずかしさに頬が火照るのを感じつつ、高鳴る鼓動を抑えながら美術室に向かった。
「こちらです」
あたしが招き入れると、佳原さんは「失礼します」って告げて美術室へ足を踏み入れた。
美術部の部員達は部屋の後ろの方で雑談していた。部屋の前方のスペースを開け、イーゼルに佳原さんの描いた絵が立てかけられていた。
部員達と一緒の輪にいたチョコちゃんが歩み出て来て、佳原さんに笑顔で名前を告げた。
「こんにちは。美術部顧問の星野と申します」
チョコちゃんが一礼して佳原さんも会釈を返した。
「あ、どうも。佳原です」
「この度はお忙しいところをお出でいただいて申し訳ありませんでした」
チョコちゃんに丁寧にお礼を告げられて、佳原さんは面映そうだった。
「いえ、別に。・・・柳河先生、退職されたんですね」
「ええ。私も引継ぎのご挨拶と離任式の時にお会いしただけなんですけれど」
チョコちゃんはそれほど面識がある訳ではない事を仄めかすように答えた。
「柳河先生、僕達の代のもうずっと前から市高の先生だったから、それこそ永遠に先生やってそうな印象ありましたね」
「ご本人も結構そう思っていた節がおありだったんじゃないですか?美術室も準備室もすっかり私物で占領されていて、片付けるのが相当大変だったみたいです よ」
チョコちゃんは笑って佳原さんの意見があながちはずれてもいないことに同意を示した。
「大切な私物だけは何とか持ち帰ったみたいですけど、後は見てのとおり今も色んなものが放って置かれてるままですから」
周囲を見渡したチョコちゃんが途方に暮れるように言った。
「発つ鳥後を濁して行っちゃった訳ですか」
佳原さんも室内を見回した。
「見事に。芸術家肌の方の中にはいらっしゃいますけどね。芸術にはありったけの情熱を注ぐけど、身の回りにはちっとも頓着しないって方」
自分はそうじゃないって言わんばかりにチョコちゃんは肩を竦めた。佳原さんはそれには、はあ、って曖昧な感じで相槌を打っていた。ひょっとしたら佳原さん もその類の人なのかな?二人のやり取りを聞いててぼんやりそんなことを思った。
「それで今、生徒に手伝ってもらって部屋の片付けをしてる真っ最中なんです」
苦笑を浮かべてチョコちゃんは説明した。それから佳原さんに問いかけた。
「佳原さんがいた時と変わってないですか?」
佳原さんはもう一度美術室内にぐるりと視線を巡らせた。
「そうですね。変わってないですね」
「何年ぶりなんですか?」
チョコちゃんが聞くと、佳原さんはうーん、って唸ってから「卒業して以来だから8年ぶり、ですね」って答えた。
佳原さんとチョコちゃんの二人の会話は結構弾んでいるように見えた。それはチョコちゃんは教師っていう職業柄、人と話すのが上手だし、性格も明るくて屈託 がなくて誰とでもすぐ打ち解けられて、そんなチョコちゃんをあたしも好きなんだけど、楽しそうに話す二人を見ているのは、何だか面白くなかった。
「それで、今日来ていただいた訳なんですけど・・・」
それまでの話題が途切れて、改まった感じでチョコちゃんは切り出した。
「この絵なんですが」チョコちゃんはイーゼルに立ててあるキャンバスを示した。
「佳原さんが描いたもので間違いないですか?」
佳原さんは頷いた。
「ええ、僕が描いた絵です」
チョコちゃんは良かった、っていう様に笑顔を見せた。
あたしも心の中では、既にその絵を描いたのが佳原さんに違いないってことに疑いのない確信を抱いていたけど、佳原さん本人の口からその絵は自分が描いたも のだって聞いて、改めて不思議な感動を覚えていた。
「その絵は彼女が見つけたんです」
チョコちゃんはそう言ってあたしの方を向いた。あたしはこの絵がやはり佳原さんが描いたものだって知ることが出来て、胸を打たれてぼおっとしてて、チョコ ちゃんの視線が向けられてはっと我に返った。
佳原さんもチョコちゃんに言われてあたしを見た。佳原さんに視線を向けられて、どぎまぎして思わずあたしは俯いた。
「それにしても驚いたんですけど。絵の女の子と彼女、阿佐宮さんって言うんですけど、そっくりで」
今なお信じられないようにチョコちゃんは説明した。
「ええ・・・」
佳原さんも、チョコちゃんの言葉に頷いた。
「僕も、さっき出迎えに来てくれた彼女を初めて見た時、信じられませんでした」
感慨深そうに答える佳原さんの声が耳に届いた。佳原さんの口調に熱に浮かされた時の様なぼうっとしたニュアンスを感じて、あたしはそっと視線を上げて佳原 さんを盗み見た。佳原さんは今は絵の方に視線を向けていて、あたしは複雑な感情がその瞳に浮かんでいるのを読み取ることが出来た。
「阿佐宮さん本人、或いは彼女のお家の方と面識があった訳ではないんですよね?」
チョコちゃんが不思議そうに訊ねた。
「ええ、もちろん。大体描いたのは9年前ですからね、彼女はまだ当時8歳くらいでしょうし」
佳原さんはあたしを見て言った。
「それに、描いた僕自身が言うんだから間違いないですけど、誰かをモデルにしたってことはありませんでしたから」
その明確な返答とは裏腹に、みんな(あたしを除いた、もしかしたら佳原さんも除いた、他の「みんな」)の表情に浮かんでいたのは、納得し難い不可思議さ だった。
「不思議な話よねえ」改めてチョコちゃんは興味深げな顔で言った。
恐らくそうなんだろうなって思った。多くの人はそれを「偶然」って呼ぶのかも知れないし、或いは「運命」って呼ぶ人もいるかも知れない。でもあたしはその 何れにも感じてはいなかった。
自分の中の確信を確かめるようにあたしは、長い年月を隔てて再会することになった自分が描いた絵に、感慨深い眼差しを向けている佳原さんの横顔を見つめて いた。
チョコちゃんが聞いた。
「折角ですし、この絵お持ちになりますよね?」
ほんの少し沈黙があって、佳原さんは答えた。
「いえ。結構です」
自分の耳を疑った。何て言ったの、今?問いかけるような視線で佳原さんを見つめた。
「え?」
チョコちゃんも聞き直していた。
「あの、折角ですが・・・お手間取らせたみたいだし、連絡まで貰った上で申し訳ないんですけど」
佳原さんは少し申し訳なさそうに言った。
「まあ、確かに、昔自分が描いた絵を見ることができて懐かしかったとは思うんですけど、でも今更9年も昔の絵を手元に置きたいとは思わないんで。今見ると 稚拙だし、粗ばっかり目立って」
思わず口を挟んでいた。
「そんなことありませんっ。すごく素敵な絵です。全然稚拙だなんて思いませんっ」
突然あたしがすごい剣幕で言い張ったので、佳原さんは少し驚いていた。チョコちゃんも目を丸くしてあたしを見ていた。
「いや、まあ・・・ありがとう。そう言って貰えるのは嬉しいんだけど」
あたしを見て戸惑うように佳原さんは言った。それからまたチョコちゃんの方に向き直って話を続けた。
「でも、僕としてはやっぱり持ち帰る気にはならないんで。お手数かけて済みませんが、学校で処分してもらえませんか?」
佳原さんがそう告げるのを、あたしは茫然としながら聞いていた。
しっかりと繋がれていた線が、突然ぷつりと断ち切られてしまったような、そんな行き場のない、迷子のような気持ちをあたしは抱いていた。


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